夏が過ぎて秋が来たかと思えば、もう冬がそこまで迫っていた。
それに伴って夜は長くなる、寒さは身に染みる、我が家の隙間から風が入る、なぜかガタガタ音がする、欠陥住宅であったことが判明する、柱がどんどん削られ過ぎて折れるのではないか心配になる、と良いことなしである。お茶っぱの消費量も右肩上がりであった。
今日は風がびゅうびゅうと強く吹いており、いとも簡単に家を揺らす。次の瞬間には屋根を吹き飛ばし、空が見える開放的な造りになってしまいそうである。ここを引き払ってどこかに引っ越したほうが良いのかもしれん。だが残念なことにそこまでの金がない。万年金欠と言うわけでもないが、まとまった金が手に入ったらすぐに食い物か酒に変わってしまうのだ。
格好良く言えば宵越しの金は持たぬ、というやつである。
江戸っ子ではないけれども。
私はため息を一つ吐いて台所へ向かった。居間よりも隙間が多いそこでは、吹き込んできた風が私の体を震わせる。羽織を羽織っていると言うのに、そんなもの意味をなさないように我が身を襲っていた。安物だからか。
置いている棚が今にも倒れてしまいそうなほど体をぐらつかせていた。私は見て見ぬふりをしてそこから昨日買った茶葉を取り出した。値の張ったものだったが、ここのところは毎日飲んでいるから奮発したのである。
急須に入れて湯を注ぎちょいと揺らして待つ。色が出たかと思われたところで湯呑に淹れる。鮮やかさ冴えわたる緑色であった。高級感ある素晴らしい具合だ。視覚でも楽しめる。良い買い物をした。飲む前から満足感が体を包んでくれる。だが悲しいかな、それでは寒さまではなくしてくれないのだ。
手が微かにかじかんできたので、急須、湯呑みとわさびあられを盆に載せて居間に戻る。
わさびあられは九代目のところで初めて食べたものだったが、意外とはまってしまい定期的に購入している。新しい物好きの新店主とは趣味が合うのかもしれん。これからも新商品が出る度に顔を出すことになろう。今度ともに酒を飲もうと誘いに行こうか。そうして私考案の菓子を作ってもらう、というのはどうであろう。
卓袱台を出して盆を置く。そうしてよっこらせと腰を下ろした。ふう、と一息ついて茶を一口。あっさりとした渋みは後味がよく、ついつい飲む手が止まらない。これではすぐになくなってしまう、と思いながらあられに手を伸ばす。つぶつぶとしたこいつは、口に入れるとその見た目からは想像できないくらいの辛味が襲ってくる。それが慣れると心地よいのだ。
そしてまた一口お茶を飲む。この繰り返しが最近の楽しみであった。隠居した年寄りのように見えてしまうのが難点である。昨日来た巫女に爺臭いと言われたのが地味に傷ついた。私は若いと思っているのだが、年齢的には確かに爺であり、反論は出来ない。心にまで風が吹いた気がした。
飽きが来るまで菓子を食い茶を飲んだ後、ごろんと寝転がる。げふっ、と噫気が出た。怠惰な一日である。だがそれが良い。こんな寒い日は外に出ないで日がな一日寝転がり過ごすのが一番であろう。少なくとも私はそう信じている。
ふわあ、と欠伸が漏れた。もうこのまま寝てしまってもいいかもしれん。今日は特に来客の予定も聞いていない。そもそもこんな日では他の者も来なかろう。
寝よう、寝よう、それに限る。
だがそんな思いを無視するように、戸がとんとんと叩かれた。勝手に中に入ってくる様子はない。これは私が出ねばなるまい。しかしどうにもやる気が出ずに起き上がるのが億劫であった。とは言え居留守はいかん。私は徐に起き上がり、戸を開けた。
「あ、すまない、寝ていただろうか」
そこに立っていたのは犬走であった。
吐く息は微かに白くなっていたものの、首周りをマフラーで覆い温かそうである。
彼女はここに来たのはおそらく初めてであろう。何か大事な用だろうか。
外は寒かろう、と中に招き入れた。
彼女はおずおずと入って来た。新鮮な反応だ。
このところ勝手に入ってくる奴ばかりだから何だか安心した。
犬走は居間に上がり卓袱台の側に座った。
私はお茶を出そうと急須を取り、台所に行く。
その中にはまだ湯が残っていたが、冷えてきている。客に出すには不相応だ。それはいっそ出してしまうことにして、新しくお湯を沸かして注いだ。客人用の湯呑みと急須を持って居間に戻る。犬走は視線を泳がせて座っていた。初めての場所であるから緊張しているのだろうか。
私は彼女に湯呑を出し、茶を注いだ。途端湯気が立ち上る。本当に寒くなったものだ。まだ室内で息を吐いても白くはならんが、時間の問題であろう。嫌なことだ。
「あ、ありがとう」
犬走はそう言ってお茶に口を付けた。あちっ、と小声で言ったのが聞こえて、気を付けたまえと注意しておく。こういうところはおっちょこちょいな奴だ。一口飲むと、彼女はほう、と息を吐いた。固かったのがちょいと柔らかくなったように見える。
それで、何をしに来たのだろうか。私は彼女が一息ついたところで切り出した。
「……今日は休暇を頂いてな、河童と将棋を指す予定だったのだが、どうやら急用が入ってしまったらしく。それで、もしよかったらどうだろうかと思って」
そう言うことならば否やはない。
私は立ち上がり、部屋の隅で埃をかぶっている将棋盤と駒一式を持って戻った。細かい傷やら汚れやらは多々あるが、使えないことはない。駒を並べ確認もしたが、しっかりとすべての駒があるようである。風で飛ばされておらんかと心配していたが杞憂であったようだ。
私はお茶目に、お手柔らかにと言ったのだが、犬走の視線は真剣そのものであり、そんな言葉は意味を為さないようである。鬼気迫る表情にも見え、彼女の将棋に対する熱い姿勢が見えた。これは私も本気で相手をしなくてはなるまい。景気づけに腕をまくった。
そして、勝負の幕が上がる。
私の将棋歴はここ二、三年が良いところである。八雲がずっと暇しているなら相手になってくれないかしら、と言ってきたことでやり始めたのだった。そんな私であるから、随分と前からやっている犬走に勝てる道理もなく、刻一刻と持ち駒は減少の一途を辿っている。
いとも容易く劣勢に追い込まれていた。
我が王は着々と消えていく仲間に戦慄し、隅っこで震える他なかった。最後の希望の金銀両名はあっさりと歩兵に負け、その先にいた王は哀れにも逃げ回った末囲まれ、雑兵のごとく刈り取られて勝負は終わりを迎えた。結果を見れば完敗である。犬走に淹れたお茶は卓袱台の上で湯気を上げていた。こうもこてんぱんに打ちのめされると逆に笑いが込み上げてくる。
「ど、どうした、大丈夫か?」
心配そうに言う彼女に大丈夫だ、と返しもう一度並べ直す。
「む、もう一局やってくれるのか?」
私は鷹揚にうなずいた。
一度負けたくらいで諦める私ではない。
私はふふふ、と意味深げに笑い、力を秘めたる大妖怪の威厳を醸し出す。
――いざ、勝負!
その後十戦ほどやり、十敗の記録を打ち立てた私はごろんと寝転がり天井を見つめた。変わらず呪いの染みはそこにあった。この風で吹き飛ばされてくれんものか。
「す、すまん、本気でやってしまった」
私はいい、いい、と手を振って、謝る犬走を制した。こんなことで謝られては、さらに惨めになる。我が威厳が皆無になってしまうではないか。そんなことをやってはいかん、私の精神衛生上の問題で。
そうして力尽きた私を置いて、犬走は将棋盤を片付けてくれた。元の位置に戻り腰を下ろす犬走を待って、私は他に何か用があるのだろうと声をかけた。
「な、なぜ分かったんだ?」
分からいでか。私は言った。
ある程度の阿呆を自覚している私とて、普段来ないような客人がわざわざ足を運んだと言うのならば、ちょっとした言い難い理由があるだろうことは想像できる。大体将棋ならば私でなくもっとうまい奴がいるのだから、人里くんだりまで来る理由としては弱かろう。そこまで侮ってもらっては困る。
「……間壁さんに相談するようなことではないんだが、じ、実はその、文さんと仲良くなりたいと思っている。顔を突き合わせる機会も何かとあるから、いつまでもいがみ合う仲でいるのも、な」
私は、ははあと息を吐くこととなった。そうして上体を起こして彼女を見据えた。恥ずかし気に目を伏せ頬を赤らめている。普段の凛々しい様子とはまた違い初々しい。それを見る限り、その言葉に嘘はないように思われた。
私はそう言った仲がよろしくないと言う噂を聞いていて、以前妖怪の山を訪ねた時に垣間見たくらいなもので、実際のところは全く知らん。助言をするにも状況把握は必要であろう、そもそもなぜ仲が悪くなってしまったのかを問うた。
「それがよく分からないんだ。何時の間にかそうなっていて。決定的なものがあるわけでもなく……」
どんどん小さくなっていく声に、私はううむと唸る始末である。理由もなくあの鴉が嫌うことはなかろう。かと言って嫌うほどの理由とは何なのか、そう考えても思い当たるものはない。苦手意識があるだけならば良いのだが。
ふと、二人の間でその話をしたことがあるのか、浮かび上がった疑問を率直に言葉にした。
「いや、これ以上溝が深まれば修復不可能と思えて、聞くことは出来ていない」
さもありなん、私はであろうなあ、と力なく相槌を打った。
どうしたものか、せっかく相談に来たのだから笑顔でここを後にしてもらいたいものだが、ちょっとした助言だけで終わるように思えない。それにこれは私にも関係が深い。友人と友人の仲が悪いのは良い気はせんものだ。
その時ふと思い出した。鴉の家で酒を飲んだ時は、あまり険悪な雰囲気はなかったことを。
それを話すと犬走は僅かに表情を曇らせた。
「誰かが間にいるときは、気楽になれると言うか……話しやすくなると言うか。だがそれでは解決になっていないだろう? 二人だけでも楽しくいられるようになりたい……と思っている……ははは、何を言っているのだろうな」
自嘲する犬走をやめたまえ、と一喝した。
仲良くなりたい、そう思うのは当然のことである。
すると彼女は驚いた様子で私を見た。我が気迫に気圧されたのだろう。
「あまりにも怖くなくてな、逆に吃驚した。だが、うん、その方があなたらしい」
私は呻くことを余儀なくされた。
それほどまでに私は駄目なのか。
悲しみが襲った。
「あ、そんな落ち込まないでくれ、褒めたつもりだったんだ!」
妖怪が怖くないと言われて褒められた気にはなるまい。けれどまあ、褒めてくれたと言うのならばそのまま受け取ろう。そう、この寛大な心で。
と、そんなことはいいのだ。問題は犬走と鴉である。
間に誰かが入れば仲良くとはいかずとも何とかなる、という藤原と蓬莱山のような関係にあるようだ。となれば無理やりにでも一度酒の席を設けてしまえば結構簡単に打ち解けられるのではなかろうか。
となると問題はその場をどう提供するか、である。
だが運がいいことに、近々博麗神社で宴会が催される。年越しのため、普段集まらんような奴も私が無理やり引っ張りだすことが多く、いつも以上に境内が狭くなる日だ。そんな中であれば、この二人もすぐに喧嘩を始めることもなく、多少は我慢も必要となるものの一緒に飲めるのではなかろうか。そこで素面では言えないことを言い合えば解決するに違いない。
私は夢想し、それが良いと結論付けた。
――三日後、博麗神社で宴会がある。お前はそれに来たまえ。鴉もこのことは内緒にして誘っておく。周りに他の奴らはおるが、私がほぼ二人で飲めるようにしておこう。うむ、それで行くぞ。今から楽しみだ。
呵々大笑する私を前に、犬走は困惑した面持ちで固まっていた。
そう不安がるでない、そう言って胸を張る。
楽しきことが我々を待っているのだ! そう言い放つ私に、彼女は訝し気な視線を送り続けたのであった。
もう少し、信じてくれても良い気がするのだが、どうであろう。
犬走が帰った後、呪いの染みと向かいながら、私は一人そう呟いた。