東方落命記   作:死にぞこない

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捨てる神あれば拾う神あり

 

 肌を刺すような寒さで目が覚めてしまった。人々の喧騒が届いてくることから昼頃だと思われたが、勝手に体が震えて来るほどである。昨夜が普段よりも暖かかったのも影響していよう。

 

 毛布は足や手も出さずに、完全に我が体を覆ってくれている様なのだが、それでも足りんらしい。私は息を吐いて毛布を剥ぎ、ゆっくりと起き上がった。吐いた息は当然の如く真っ白であった。肌をさすりながらもしや雪でも降ったかと思い当って、外套を羽織って板戸を開けてみた。

 

 だが白銀の世界はそこになかった。変わり映えのしない空き地が広がっている。どうやらただ単に寒いだけらしい。私は意識せずとも期待していたようで、肩を落として中に戻った。そうして居間に上がって卓袱台を出した。その後台所に向かい冷水で顔を洗ってから、いつも以上に沸騰させたお湯で茶を淹れて戻った。啜れば舌が焼けそうな緑茶が流れ込んでくる。あっちゃ、と思わず声を上げてしまうのも無理からぬことだ。けれども温かさが身に染み入った。

 

 そうこうしているうちに眠気も取れて、今度は食欲が湧いてきた。飯はどうするかと考えたら、我が家には備蓄が何も残っていないことを思い出してしまった。昨日の博麗神社への初詣で、巫女に今年もよろしくと色々持って行ってやったのだった。つられて賽銭も弾んでしまって、私の懐事情は寒々しい現状と同様である。まあしかし、ちいとばかしの見栄を張れたので良しとしよう。とは言え見栄で腹は膨れてくれない。

 

 飯、飯、飯。

 

 私の頭の中で様々な料理が回っていた。主に蕎麦である。かけそば、盛りそば、天ぷらそば等々。めくるめく妄想世界に身を揺蕩わせこの苦境からの脱出を図るが、それはあまりにも空しい。と言うか出来なかった。味は愚か香りもないのにどう腹の虫をなだめすかせばいいのか。仙人ならばできるかもしれんが、私には到底無理である。早々に見切りをつけて、他のことに集中して誤魔化そうと室内を見渡した。

 

 その時ふと目に入ったのは、掃除した結果溢れんばかりに出て来た、一見してガラクタの山にしか思えない物品たちである。鉄くず、何かの木箱、生徒諸君から要らないと言われてしまったおもちゃ、鈴、相当昔の本など、それは枚挙に暇がない。よくここまで溜め込んでしまったものである。物を捨てられないとは言うまいが、整理できる妖怪と言うわけでもなかった。

 

 そこで我が知性漲る頭脳に天啓が舞い降りた。

 

 ガラクタと言えば香霖堂である。正確に言えば古道具屋なのだが、実際のところ大差はなかろう。あそこに持ち込んで幾ばくかの金にでも代えてはもらえないだろうか。長い付き合いのよしみで、ちょっとくらい色を付けて引き取ってくれる可能性は十二分にあろう。希望的観測が多分に含まれているが、他に現状を打破する策は思い浮かばん。そうと決まれば即行動に移すのがこの大妖怪である。

 

 持ち運べるよう早速ガラクタの山を袋に詰め込めば、ぱんぱんに膨らんだ大荷物の出来上がりである。それをよっこらせと両手で持ち上げて、さあ出発だと板戸を足で開けようとしたら、勢い余って蹴ってしまった。するといとも簡単に倒れた。暫し思い悩んだものの、私は見て見ぬふりをして我が家を後にした。

 

 不在の間に誰かが直してくれることであろう。

 

 私はありもしない期待に胸を膨らませることにした。

 

 

 

 人里を出れば、更に寒さが増した気がした。外套を着て来てよかったと安堵する。ただの着物のままであれば寒さに打ち勝つこと敵わず、情けなくも撤退することになっていたであろう。私の判断力が気候に勝った瞬間であった。だが残念ながら下半身は野袴で、ちょいと涼し過ぎた。ゆえ、少しでも暖かくなろうと足早に香霖堂を目指す。

 

 その途中、何やらしくしく涙を流すふりをして、しゃがみ込んでいる妖怪の姿が目に入った。朱鷺のような羽を頭と背中に付けた、親しい者からは朱鷺子と呼ばれる妖怪であった。その容姿は羽以外ただの少女と相違なく、おおよそ恐怖を与えるところなどない、私同様の弱小妖怪である。一度だけ巫女に傷を負わせたらしいが、本当のところはどうなのか分からない。弱小連盟でもあれば名を連ねることも出来よう。

 

 彼女は以前、むしゃくしゃしていた巫女に奇襲をかけられ、読んでいた本を奪われたと言う経緯を持つ悲しい妖怪でもあった。巫女に文句を付けに来た時、たまたま近くにいた私がその愚痴を聞くことになり、案外意気投合してそれ以来の仲である。酒を飲んだり巫女に挑んだりと遊び続けて、もうそろそろ二年になろうか。

 

 私は近付いていき、簡単な挨拶をした。すると彼女はたちまちに立ち上がり、ぱあっと常世を照らすような明るい笑顔で私を見た。しかし私だと理解した途端に、期待外れだとでも言うように眉を顰めた。何たることか。

 

「日暮さんかあ。ちょっと頼りないなあ」

 

 うーん、と唸り不満をあらわにする彼女に、言うに事欠いて頼りないとは何事か、と私は言った。私をして頼りないことはなかろう。だが反省した様子もなく、彼女は言葉を続けた。

 

「だってさ、今日こそはあの赤いのにぎゃふんと言わせてやろうって思ってね。通りかかる奴を騙してけしかけてやる気だったのよ。そしたら、はあ……日暮さんかあ……」

 

 溜息まで吐きおった。

 

「んー……でもまあいいや! お願いね!」

 

 そんな言葉でやってやる気になるわけもなく、私はふっと笑って肩をすくめ、首を横に振った。すると朱鷺子は猛然と抗議の声を上げて私の前に躍り出て、我が孤独な行軍を邪魔しようと両手を広げた。元々小さな彼女がそうしたところで進路を阻まれることなどなく、私は悠然と歩き出した。

 

 すっと横を通り抜けた私に、彼女がちょっと! と呼び止めて来るが止まるはずもない。私の足は我が意思でのみ動くのである。

 

「待ってよ! どこに行くの?」

 

 私は彼女を見ずに香霖堂、とだけ言った。

 

「香霖堂!? じゃあちょうどいいわ! あの巫女さっきそこに入って行ったもの。お鍋、お鍋って独り言を呟いていたから、鍋を食べるに違いないわよ!」

 

 そこを邪魔してやるぅ、と朱鷺子は気迫に充ち溢れた様子で私の隣に並んだ。歩行の早さは私の方が大股な分先に進んでしまうのだが、彼女は遅れることなく付いてくる。彼女なりの意地であろうか。

 

 いやしかし、これは良いことを聞いた。何も食っていない私は、出来れば鍋のお相伴にあずかりたいところだ。空腹も満たせて寒さも和らげる、鍋は今にぴったりの料理に違いない。その思考に呼応して、私の腹の虫がまた騒ぎ始めた。

 

 ぎゃあぎゃあやかましく、ここにはいない巫女に対して文句を呟いている朱鷺子を無視して歩くこと数分。私は他の妖怪や妖精に殺されることなく、無事に香霖堂に到着した。そこは新年らしさの欠片もないいつも通りの佇まいで、私は安心とも呆れともつかない心持となった。店外に置かれた椅子やら机、何かしらの看板は、今日も今日とてそこが香霖堂であると主張しているようである。

 

「さ、やってやるわよ!」

 

 隣で私と同じように眺めていた朱鷺子は、そう言って勢いよく扉を粉砕して中に入って行った。そこには一切の迷いがなく、称賛に値する行動力と言う他ない。だからと言ってその行為自体は誉められたものではなく、森近に同情の念を禁じ得なかった。私は心の中で謝辞を伝え、遅れてその後に続いた。

 

 店内も相変わらず雑多で、ある意味趣深い。ただ、見る人が見れば片付けが出来ていないだけ、と切って捨ててしまうだろうとも思われた。棚に置かれた本やら、足場を着実に奪っていっている壺、何が入っているか定かでない木箱など、年々増えていくこれらは、私の持ってきたガラクタと大差ないように見えるが、ここにあるものは何だかんだと森近の気に入ったものである。恐らくはどこか良い部分があったのだろう。ならば私のこれも、彼の目にかかれば金のなる木やもしれん。期待は自ずと高まった。

 

「赤いの! 今日も勝負よ!」

 

 そうやって物色していると、カウンターの奥から声が聞えて来た。私は隅に荷物を置いて、奥にある居間に歩いて行った。そこでは巫女と朱鷺子に加えて白黒の魔女までおり、中央に置かれた卓袱台を囲んで座っていた。卓袱台には新聞が敷かれていることから、そこに鍋を置く気なのだろう。しかし肝心の森近の姿は見えない。調理中か。

 

「うるさいわねえ。これから食事だからまた今度やってやるわよ。だから今日は帰んなさい」

「そうはいかないわよ。不意打ち何て卑怯な手を使う奴に、気を遣う必要なんてないわ!」

「ははは、その通りだな。霊夢、どうせまだ出来るまで時間かかるんだし、付き合ってやればいいじゃないか」

「嫌よ、私はもうお腹いっぱい食べない限りここを動かないって決めたの」

「むう、立ってよ、立ってよー」

「駄々こね始めたぞー」

「ほっとけば静かになるわよ」

「ふん、じゃあいいわよ。私の勝ちね!」

「はあ?」

「だって逃げるんだもの」

「はあー……しょうがないわねえ」

「お、やってやるのか」

「すぐ戻ってくるから先に始めるんじゃないわよー」

「勝った気になっちゃって。そう簡単にいかないからね」

「はいはい」

 

 話もまとまり、立ち上がって出て行こうとする二人を慌てて止め、居間に上がった。私が出て行く時機を逸するところであった。ここで出なければうまいこと鍋を食えんかもしれん。

 

 巫女は私と目が合うと小首を傾げた。

 

「あれ、何でここにいるのよ?」

「私の秘密兵器だからよ!」

 

 そう言って朱鷺子は私の後ろに回った。いつかの河城のように、私を盾にしてこの難所を乗り切ろうと言うのか。無謀であろう。私は吹けば飛ぶような脆さだと自負している。彼女の弾幕など受けてしまえば、当たり所悪く一撃で落命の結末を迎えるに決まっているのだ。

 

「秘密兵器ぃ?」

「おっ、日暮はそっちの陣営なのか。じゃあ私は霊夢側だな」

 

 万に一つも勝ちの目が見えなくなった。私はまあ待ちたまえ、と立ち上がりかけていた二人を座らせ、朱鷺子を呼んだ。私は隅で正座をして待ち構えた。何かの師範代のように、どことなく厳かな雰囲気が出ていることだろう。

 

「何よぅ」

 

 納得のいっていないような口振りの朱鷺子だが、存外素直にやってきた。私の真似をして向かいで正座をする。

 

 私はんん、と咳払いをして告げた。

 

 ――よいか、朱鷺子よ。いや我が弟子よ。お前は少々短絡的なところがある。突っ走ればいいと言うものではないぞ。状況を見ることも重要である。よーく考えてみたまえ。お前がここで巫女に弾幕ごっこを挑んだとしよう。十中八九負ける。そして追い出されてしまう。当然鍋は食えん。ならばその前に英気を養うため、皆で鍋を囲んでも良いのではないだろうか。うむ、良いのだ。鍋を食おう。いわんや鍋を食うべきだ。それは自然の摂理にも匹敵するであろう。それとも食わぬ気か。この寒いのに、なぜ鍋を食わんのか。暖まりたくはないのか。お前に食わぬ理由を問いたい。

 

「え? えっと、んー……分かんないけど……」

 

 であろう、私は食い気味に言った。そして、ならば鍋を食おうと続けた。すると朱鷺子は曖昧にだがうなずいた。言いくるめには成功したらしかった。私の鍋への道は着々と進んでいた。

 

「いや、それあんたが皆で鍋食いたいだけじゃない」

 

 我々の様子を窺っていた巫女が、正鵠を射た言葉を呆れた様子で口にした。

 しかし強固な意思の前では、図星を突かれようと狼狽えることはない。私は鷹揚にうなずきを返した。

 

「てか何で鍋ってわかったんだ?」

「そこの巫女がお鍋お鍋って言いながらここに向かってたんだもん」

「なんだそりゃ。鍋くらいではしゃいじゃって、霊夢は子供だなー」

「うっ……」

「やーい、子供ー」

「子供ー」

 

 魔女と朱鷺子の両名は口々に煽り始めた。集中砲火を浴びる巫女は肩をぷるぷると震わせている。私は飛び火を恐れ、依然として部屋の隅っこで正座していることにした。私の前にいた朱鷺子は、とことこと歩いて魔女の隣に腰を下ろした。

 

「ふう、まったく……好き勝手言ってくれるじゃないの。二人とも一緒に相手してあげるわよ」

「おいおい、私は霊夢陣営だぜ?」

「知ったこっちゃないわね。謀反の疑いありで罰するわ」

「怖いなあ、じゃあやられる前に朱鷺子に寝返るか」

「喜んで受け入れるわ。ふふん、これで二対一ね。降参してもいいのよ?」

「じゃあ私は日暮を引き抜こうかしら」

 

 どう? と巫女は私に目配せをしてきた。私は思案を巡らすまでもなく、巫女の後ろに座った。強いものに付いた方が楽である。それに魔女と朱鷺子の味方をすれば、巫女の攻撃を一身に受けさせられるのは確実だ。すると朱鷺子が恨めしげな視線を寄越してきた。

 

「ちょっとちょっと! それはおかしいでしょ? 私の秘密兵器なんだからぁ……」

「こりゃあ厄介なことになったな。日暮は外付けの絶対防壁みたいなもんだし、あれを抜くのは一筋縄じゃあいかないぜ」

「降伏すれば痛い目は見ないで済むわよ?」

「いーや、こうなったら徹底抗戦だ。なあ朱鷺子?」

「あ、うん、そうよね」

「そっちの大将、あんまり乗り気じゃないみたいだけど?」

「そ、そんなことないわよ!」

「本当に?」

「う、うん……」

「いや、怪しいな。これは土壇場になって動けない奴のにおいがぷんぷんするぜ。こうなったらもう下剋上するしかないな。そして私が大将になろう」

「え、ちょっと、そしたら意味ないじゃないのよ!」

「それが世の儚さってやつだぜ」

 

 魔女はそう言うと朱鷺子を制し、巫女との二国会談を始めてしまった。と言うよりも、それまでと同じ状態に戻ったと言ったほうが正確であろう。一人寂しく切り離されてしまった朱鷺子はうわあん、と泣き声を上げて私の元までやって来た。

 

「師匠ー! 負けちゃったよー!」

 

 私はおお、よしよし、と即席一番弟子の頭を撫でて慰めてやった。そうして落ち着いたのを見計らって、彼女の瞳を真っ向から見た。

 

 ――よいか、弟子よ。敗北は無駄にはならん。次の勝利への糧となるのだ。それを努々忘れるでないぞ。

 

「し、師匠!」

 

 私はかっかっかと笑った。なんだか良い気分であった。

 久方ぶりに先達としての威厳を見せられた気がした。

 

「まったく、何だか騒がしいと思ったら……」

 

 不思議な空間が出来上がっていたところに突如かけられた声に振り向けば、そこには鍋つかみを手にはめ、ぐつぐつと煮えたぎった鍋を持っている森近が立っていた。瞬時にして食事の準備が完了したことを理解した我々は、示し合わしたようにすぐさま戯れを止め、卓袱台を囲んだ。森近はその素早さに一瞬気圧されたように呻いたが、新聞の上に慎重に鍋を置いた。

 

 鍋の中には白菜や水菜などの野菜、更に豚肉や鶏肉が豪勢にも所狭しと入っていた。食べる前から味噌の良い香りが鼻孔を衝き、食欲をそそる。森近は更に器と箸を持ってきた。なし崩し的に一緒に食おうと画策していた私に、文句も言わず持ってきてくれるとは、思いやりに溢れておった。そうすると我が腹の虫はとうとう我慢の限界に見えて、遠慮なく盛大に腹を鳴らした。

 

 一瞬の静寂の後、居間を笑い声が包んだのだった。

 

 

 

 失態を忘れるほどにたらふく鍋を味わい尽くし、私は居間で大の字に寝転がっていた。心地よい満腹感である。巫女、魔女、朱鷺子の三人は、一応の食休みをしたのちに、弾幕ごっこだ、と言って外へ出ていった。恐らく今ごろは前哨戦として朱鷺子がけちょんけちょんにやられて、巫女と魔女の頂上決戦の火蓋が切って落とされた頃合いであろう。私は朱鷺子に黙祷を捧げた。

 

「これでもどうです?」

 

 台所で食器やら鍋やらを洗っていた森近は、居間に上がってそう言い、私の視界に酒瓶と盃をちらつかせた。私は徐に起き上がり、了承の言葉を返す。

 

「どこか物足りなさそうだったからね、呑みたいだろうと持ってきたんだ」

 

 森近は苦笑して、私の向かいに腰を下ろした。卓袱台は既に片付けてしまっているので、畳に直接酒と盃が置かれた。詮を開け、盃に注がれる酒を目で追った。

 

「はい」

 

 そう言って彼は、なみなみと酒が注がれた盃を差し出してきた。私はこぼれてはもったいない、と丁寧に受けとる。

 

「乾杯」

 

 その言葉に応えて、我々は同時に盃を傾けた。

 

「こうして二人だけで呑むのは、何時振りだろう」

 

 私がしみじみ味わっていると、森近は出し抜けにそう言った。そうさなあ、と振り返るに、数年はなかったはずである。ここで酒宴を催すときは八雲もおるのが常であったのだ。

 

「お互い変わらないですね」

 

 森近は酒を注ぎながら呟いた。

 

「とは言っても、あなたよりは変わった気はしているけど」

 

 何を言うかと思えば。私はわざとらしく嘆息した。そうして勢いに任せて言う。やれ、私は日々進歩しているとか、昨日の私と今日の私とでは雲泥の差であるとか。そんな私を見て森近は、まだ酔ってないですよね、と笑った。

 

「まあでも、そう言うところがあなたらしい」

 

 誉め言葉だよ、と彼は続けた。

 

 その後も我々は酒をちびちびと舐めながら、他愛ない話に花を咲かせた。森近へは経営の方はどうなのかと訊ね、彼は最近どうだいと私に調子を訊ねてきた。

 

 答えは二人とも同じ、いつも通りの一言だった。

 

 

 

 薄い藍色の夜闇が辺りを覆うくらいになって、私は若干の酩酊状態に陥りながらも帰宅した。件のガラクタ袋は、持ち前の交渉術により蕎麦五食分に化けた。予想以上の値で売れてくれて、私は満面の笑みである。捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。厳密な意味は違うかもしれんが、まあよかろう。

 

 そんな拾う神であるが、どうやらおっちょこちょいなのか意地が悪いのか。我が家の板戸をも拾ってしまったようであった。何の形跡も残さず、綺麗さっぱり姿を消している。捨ててあったと勘違いしても仕方のないみすぼらしさではあったものの、これはあんまりであろう。

 

 千鳥足の私は何度も躓き転びそうになりながらも、応急処置として鴉の新聞で入り口を塞いだのだが、びゅうびゅうと風が吹く度に破れそうな音を響かせ、さらに隙間からは寒風が吹きすさぶ。役割を果たせているかは疑問が残ることとなった。

 

 その身の有用性を殊更に感じさせる板戸は、私にとって何ものにも代え難い宝らしかった。

 

 

 

 ――我が家の戸は何処へ行ったのだぁ!

 

 

 

 私の空しい叫びは、風にのって消えていった。

 

 

 

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