東方落命記   作:死にぞこない

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一日千秋

 

 私は阿呆か阿呆ならざるか。

 

 これは難題と言う他なかった。私は自らを阿呆と言われても言い返さず、かえってそんな質の低い罵声にはこの広すぎる心で想いを汲み取ってやり、聖人もかくやの笑みを浮かべてやるくらいの傑物なのだが、自分で疑い始めてしまうともしかしたらそうなのではないかと思わざるを得なくなった。深謀遠慮の男は考え過ぎてしまうのが悪癖だったのだ。けれども流石の私でもあった。思考の袋小路に迷いに迷った挙句、発想の転換をしたのである。ずばり、新たに阿呆の中にも善し悪しがあるとし、その善しの方に己を当てはめることにしたのだ。

 

 するとどうであろう。悪い阿呆ではただ下らんことに現を抜かすしょうもない奴に聞こえてしまうが、善い阿呆となるとあえて世俗に馴染むことを良しとせず、平々凡々な生活を唾棄すべきものとする孤高な求道者のようではないか。まるで私である。私そのものである。道行く人に善い阿呆とは誰かと尋ねてみれば百人中百人が私の名を上げるに違いない。ここに阿呆論争は終結を迎えたのだった。

 

 だと言うのに私はまた自らを疑うことになってしまった。

 

 何であれ、自らの力量を考えに入れず安請け合いしたものは悔いる羽目になる。それが生き死にに関わる事であればなおさらであろう。その時の自分をど阿呆と一喝したくなること確実だ。呪っても良い。なぜ断言するかと言えば、今の心境がその通りだからである。

 

 確かに私は阿呆かもしれなかった。

 

「どーん!」

 

 お気楽な言葉とは裏腹に凄まじい衝撃を受けて、腹に穴の開いた私の体はいとも容易く後方へ吹き飛ばされた。罅すら入らない頑丈過ぎる壁に当たって止まったが、それと同時に私の鼓動も止まり意識が遠のくと、あまりにも当然のように死亡した。

 

 この一連の流れは職人芸と言えよう。

 

 そうして倒れ伏した私はこれまた当然のように蘇り、ゆらりと立ち上がって息を吐く。元の位置に戻ろうと思って歩き出そうとしたのだが膝が笑ってしまい、思わず情けない声が漏れた。疲労が蓄積されていた。自覚すると立つのもままならなくなり、壁を背にしてずるずると崩れ落ちてしまい片膝を立てて座ることになった。浅い息を吐きながら、どうしたものかと呆然とした面で天井を眺める。

 

 一面真っ赤であった。

 

 私はレミリアの依頼を達成するため、今日でかれこれ十回目となるフランドールの特訓に付き合っていた。場所は何時もと同じように紅魔館のフランドールの部屋。あの厳かな雰囲気を醸し出す扉が備え付けられていたところである。中は然程子供部屋らしくなく、無機質なベッドに棚、机と椅子等々日常生活に必要なものが一通り揃えられていた。聞くところによると、そのどれもが十六夜とノーレッジの不可思議術によって壊れない代物に変えられているそうだ。我が家にもやってほしいまじないである。そうすれば板戸も吹き飛ばされんですむだろう。

 

 早いもので時は三月の中頃になっていた。月日の移り変わりは早いものだと実感する。先日には私のような偽物でない死神がふらりと我が家を訪ねて来て、花見もそろそろだなあ、今年は良く咲きそうだねえ、と雑談に興じながら酒を酌み交わしたところだ。奴の持ってくるつまみと酒は良いものが多いのも特筆すべき点ではあるのだが、最も重要なのはそこではない。

 

 そう、花見である――花見なのだ――花見だ!

 

 一年の中で五指に入る我が娯楽の一つである。これは今までそう言った機会のなかったフランドールの宴会デビューには、千載一遇の好機に他ならなかろう。これを外してどうするのか。それこそ度を越した間抜けである。言うまでもなく、私は外面的間抜けかもしれんが知能的間抜けではない。想像を絶するお利口さんである。ゆえに今月中にでもやってしまい、彼女を外に連れ出せるくらいにするため付き合うペースを速めていた。とは言っても、あのレミリアですら手を焼いているのだからそう簡単ではないのも確かであり、三回目の時には早くも後悔の念を覚えてしまった。

 

「あ、あれ、また死んじゃったの? 今のは弱かったでしょ?」

 

 拍子抜けしたような彼女の声に私は視線を下ろして、余裕ある笑みを湛え大いにうなずいた。

 

 ふと違和感を覚えて我が衣服を見やれば、来た時には鮮やかな藍色であった着物が、いつの間にやら立派な赤いちゃんちゃんこへ変貌していた。野袴は何とか死守しているが、これも徐々に赤みを帯びてきており、そう長くは持たないだろう。フランドールは染物職人としてその頭角を現し始めているようである。手に職つけたようで嬉しいのやら悲しいのやら。独り立ちした娘にしてはあまりにも猟奇的だ。

 

「むう、おかしいなあ。全然力込めてないのになあ」

 

 彼女は動こうとしない私に対し、不思議そうに小首を傾げた。見た目は幼子であるので、何も知らなければ生徒諸君のようで微笑ましい光景とも言えそうだが、その体は返り血で洋服を汚してしまってどす黒く見えるほどであり、吸血鬼の名に恥じぬ様相を呈していた。もし夜闇の中彼女が彷徨い歩いておれば、どれだけ胆の据わった豪傑であろうと悲鳴を上げるに違いない。無論、私はそんなことはない。

 

「一番弱くやったつもりなんだよ?」

 

「なんで駄目なのー?」

 

「ちょこんってやっただけなんだけどなあ」

 

「わざとやられてるんじゃないよねー?」

 

 随分と失礼な物言いまで飛び出すくらいにぶつくさ文句を言っている彼女は、どうも自分の力の強大さを今でも理解していないらしく、と言うよりもする気がないらしい。レミリアが言うには仕方なくずっと部屋に閉じ込めているのが現状のようだった。その負い目を感じているとのことでフランドールの生活水準は私よりも高く、半ば軟禁状態なのを除けば衣食住に関しては至れり尽くせりである。傍から見れば過保護ともとれるその行動の結果、獲物を半死半生で捕まえて血を頂く、と言う吸血鬼であれば出来て当然のことが出来んらしかった。

 

 そうしたことを改めて説明された今回の依頼の達成目標は、そろそろ彼女に自らが規格外であることを自覚させ、人を気絶させるくらいの力を教えて社会復帰させることである。

 

 解決に向けてやることは分かっていた。

 

 人間と同じかもしくは若干弱いくらいのちょうどよい塩梅の、死んでも死なん私を実験体として殺さないように練習すればよいのだ。雑なやり方ではあるものの効果はあるだろうと思っていた。しかしいざやってみるとなかなかに上手くいかん。その決定的理由を簡単に言ってしまえば、彼女は圧倒的経験値不足なのだった。こうすればこうなると言う結果を予測する能力が致命的に欠落していたのである。そこに無双の経験値豊富な私を投入すると言うレミリアの判断は間違っていないだろう。けれども一向にその力加減を把握する様子がないのはどうしたことか。本当に力を抜こうとしているのか疑わしいほどだ。もうかれこれ今日だけで百は死んでいる。例え私の一回の死が一の経験値であろうが、塵も積もれば山となると言うし成長の兆しを見せて頂きたいものであった。これでは伊吹の喧嘩に付き合っているのと変わらないではないか。

 

 吸血鬼と鬼、この二つの者は私にとって大差ないのかもしれない。

 

 思わぬところで天敵が増えてしまったことに思い当たってしまった。

 

「じゃあもう一回! もう一回やればいけるよ!」

 

 私の浮かない心中とは裏腹に、笑顔のフランドールはぴょんぴょん飛び跳ねて催促してくる。可愛らしい仕草だ。そのままそこらのおてんば娘くらいの力で私を小突いてみてほしいものである。間違っても腕が腹を貫通してはいけない。そして吹き飛ばしてはいけない。最後に殺してはいけない。こうしたことを何度も念を押して言っているのだが、彼女に届いているのかどうかは怪しいところだった。

 

 私は頭を振りながら苦笑して立ち上がり、やってやろうと言う心持で大口を開けて向かい合う。

 

 ――来たまえ、だが忘れるな! この私を殺さんようにだぞぉ! 

 

 

 

 意気込みだけで万事上手くいくほど世の中甘くできてはおらん。それは私が周囲の連中を圧倒するような全知全能たる存在になっていないことからも明らかである。いや、そんな大人物になれないと言うこともないのだが、今すぐになることが不可能なのは私から見ても分かる。

 

 故に私は苦渋の選択の結果、戦略的撤退を図った。

 

 惨劇の数々によって着物が霧散し、十六夜にまた燕尾服を貸してもらった私は、以前レミリアと話した応接室でソファに座って休んでいた。向かいのソファにはまだ誰も座っていない。そろそろ来るとは思うのだが、着替えでもしているのだろうか。

 

 時刻は既に草木も眠る丑三つ時である。夜行性の彼女と雖も既に起きているはずの時間であった。と言うか逆に私が眠くなってきてしまっている。吸血鬼と妖怪の違いが如実に表れていた。寝ようと思えばすぐにでも別世界へ飛び立てるに違いない。とは言えここで寝てしまっては我が威厳は地に落ちよう。遺憾ながら人里やら妖怪の山では元からそうだが、紅魔館では低空飛行ではあるものの宙に浮いている気がするのだ。それなのに口の端から唾液を垂れ流しいびきをかく姿などさらして見給え。一巻の終わりに違いない。回避せねばなるまい。

 

 眠らないように頬や手の甲をつねる。それでも甘い誘惑は振り払い難く、視線を彷徨わせて紛らわせた。そうして一所に視線がとどまった。向かい合わせに置かれたソファの中央にある丸机、その上にあるティーカップである。中に注がれたるは詳細不明の青い液体。

 

 十六夜の言によれば紅茶だと言うことだが、紅茶なのに青いとはこれ如何に。あべこべである。そのそそられない色に踏ん切りがつかず未だに口を付けていないのだが、折角出してくれたものを頂かないと言うのは十六夜に悪い。それに眠気覚ましにはなるかもしれない。私はカップを手に、意を決して啜ってみた。

 

 私は僅かに眉間に皺を寄せたことであろう。色はおかしいものの、味は可もなく不可もなく。言ってしまえば紅茶と変わりない。もっと変な味がすると思っていたところにこうも予想に反するものが襲来して、私の思考は一瞬虚を突かれてしまった。何がどう作用してこの色になっているのかまったくわからない。何処かをふわふわと浮遊しているような夢心地にも近い感覚に包まれながら時間は過ぎて行った。

 

「待たせて悪かったね」

 

 紅茶がなくなり一息ついていると扉が開き、十六夜を後ろに従えたレミリアが入って来て、向かいのソファに腰を下ろした。すかさず十六夜が私のカップが空になっていることに気が付くと手に持っていたポットから茶を注いでくれた。変わらず青い紅茶である。カップから顔を上げてレミリアを見れば、十六夜が同じ茶を出していた。カップを手に取りなみなみと注がれた青い液体を前にしたレミリアは、微妙な表情をしてこちらを見た。

 

 私にはわかる。何これ、ということに違いなかろう。分からん、と頭を振った。

 

「ま、まあいいわ」

 

 そう言うとレミリアは恐る恐ると言った手つきでカップを傾け、ゆっくりと紅茶を口に含んだ。その様子からして彼女も青い紅茶は初体験らしい。

 

「あ、普通……」

 

 途端、首をかしげた。私もそうなった。それが正常なのであろう。私はうなずいた。レミリアの座るソファの後ろに佇む十六夜も、優雅に一つうなずいていた。この反応で良かったらしい。瀟洒なメイドの新たな一面を垣間見た気がした。

 

「それで、どんな感じ?」

 

 カップをソーサーに置いたレミリアはそう訊ねて来る。良い返事を聞かせたかったのだが、私は肩をすくめて首を横に振ることしかできなかった。面目次第もない。するとレミリアはくすくす笑った。

 

「ま、私だって出来てないんだからそう焦る必要はないよ。そっちの都合に合わせてやってあげて」

 

 依頼主の寛容さに滂沱の涙を流さずに済んだのは、偏に私の精神力が他を凌駕しているからに他ならなかろう。しかしこの苦しい状況においてその優しさは敵である。我がフランドール仲良し大作戦を現実のものとするには、今までにやっていない大掛かりなことをやる必要があるに違いない。と言うかそうであって欲しい。でなければ私の一か月は何であったのかと私が私に責め立てられる羽目になってしまう。

 

 故に一つ提案することにした。

 

 ――花見に連れて行っても良いか?

 

「……本気? 花見って言ったら酒も入るし他の妖怪もたくさんいるでしょ? 誰か死んでも責任は取れないわよ?」

 

 そこは私も心配な部分である。酔っぱらった連中に絡まれてしまえば、次の瞬間そこには死体の山が、となる可能性も無きにしも非ず。だからこそ依頼を達成してから連れ出したかったのだが、よくよく考えればフランドールにすれば外に出る動機がなく、よって力を制御する必要も感じられないのだろう。ならばこそ、ここで一つ外の世界から誘惑してみるのも良い手ではなかろうか。

 

「それにそもそも、誰があの子に付き合ってくれるのよ。霊夢とか魔理沙は面白がって一緒に騒ぎそうだけれど、それだけに万が一があったら大変だしねえ」

 

 花見のメンバーに関しては既に候補が上がっている。私のように死んでも死なん奴を誘えばよいのだ。つまりは藤原と蓬莱山である。計四名と人数にすれば少なすぎる気もするが、今回は大勢で楽しむのが目的ではない。

 

 ――まあまあ、万事任せたまえ。この私がやると言って出来なかったことは恐らくない。

 

 それでもなお不安そうな表情をしたレミリアに対し、私は花見とフランドールの更生との関係を熱弁した。結果、十六夜からは小さな拍手を、レミリアからは渋々ながら了承を得ることに成功した。

 

 

 

 ――早く花見にならんかなあ!

 

 紅魔館からの帰り道、太陽の上り始めた空を仰ぎながら、私は快哉を叫んだ。

 

 

 

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