試作品集   作:ひきがやもとまち

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少し前に投稿した『ロードス島戦記』二次作の2話目です。思ってたほどには上手くできなかったのが悔いの回。いい話的な内容をいきなりやるのは難しかったですね。次から事前に準備してから書き始めるといたしましょう。


ロードス島戦史~ハイエルフの転生神子~第Ⅱ章

「・・・“予知の夢”・・・。それを見たから貴女は旅に出たと言うのですね」

 

 ニースは先日の地震で倒壊したマーファ神殿から少しだけ離れた位置にある臨時の避難小屋に、一人の奇妙な客人を迎えていた。

 ターバ村の住人たちが建ててくれた物であり、彼らにも自分たちの家を修復する作業があるにもかかわらず、せめてニース用の私室だけでもと嘆願してくれた結果である。

 

 小さな円形のテーブルに腰を下ろし、向かいに座る客人の顔を見つめる彼女の顔に今、不思議そうな表情が浮かんでいる。

 

「そう、予知の夢さ。未来に起きるかもしれない夢を見たんだよ。そういう理由でボクは族長から物質界に赴いて、忌まわしい未来を阻止するため旅立つよう命じられてきた。

 そして今、こうして君から情報を得るため倒壊したマーファ神殿を訪ねてきて歓待してもらっている。感謝しないといけないことだね」

 

 ニースと向かい合って座って、足を組んでいる客人はそう答え、人間離れして美しすぎる美貌に、人間らしい俗っぽくも柔らかな笑みを浮かべてみせる。

 

 人間の倍以上ある長い耳。ドワーフの金細工師でさえ作り出せぬような細い金色の髪。小柄で細い身体に、信じられぬような細い手足。

 客人は、エルフだった。もちろん、他にこれほど繊細な容姿を持った生き物がいようはずもない。

 

 ――いや、一種族だけいる。遙か太古に滅び去ったと伝わるエルフたちの上位種族『ハイ・エルフ』

 その中でも特に高貴で、特別な生まれを持つ者が今、ニースのまえに座っている娘の正体だった。

 

 心優しき氷竜を呪いから解放させ、古代王国の財宝によって神殿の再建と困窮する人々の救済を可能とした彼女たちが、一時的に避難先として使わさせてもらっているターバの村へ戻ってくると当然のように村人たちは熱狂し、感激した。

 

 そして、財宝の運び出しや神殿の再建を引き受けてくれる腕のいい大工を探しに王都まで遠出する役割をやらせてほしいと我先に願い出る者たちが続出し、ニースがいたままでは却って収拾がつかなくなると半ば部屋に押し込められる形となってしまったのだが、一方で自分を救ってくれた美しいエルフの娘を誰にも気づかせることなく『ニースの客人』として招き入れるには都合が良い状況にもなってくれていたのだった。

 

 今も戸口の外からは騒々しい歓声が隙間風に乗って聞こえてきており、心なしか神子の意識も彼らの方に向きがちで、ニースに対しておこなわれた事情の説明には些か意欲が欠けていたことは否めない。

 

 曰く、“近々ロードスに降りかかる夢を見た。それは人間たちのみにとどまらず、妖精界や精霊界にも悪影響と被害をもたらすほど巨大な災厄になるだろうと、夢の中に出てきた夢の精霊王は教えてくれた。その危機を避けるため自分は族長に命じられて人間たちが住む物質界までやってきたのだ”――と。

 

「どうして、私の元へ?」

「君は“鉄の王国”のドワーフ族と親交があると、予知の夢で語られていた。夢の中で襲われていた場所は、ロードス島の南モス地方にある『鏡の森』のエルフ族集落だ。

 そして、あの近くにはドワーフ族が住む石の王国がある。彼らは仲間思い名種族だからね、北と南で遠く離れすぎたドワーフ族の王国同士の間には、なんらかの連絡通路があってもおかしくはない。そう思ったから君に聞きにきたんだよ。なにか情報を聞き出すことができるかなって思ってさ」

 

 そう言って、朗らかに微笑む彼女の耳は今、部屋を流れる隙間風にふかれて小さく揺れている。部屋に入るまでかぶっていたフードは、すでに脱いでしまった後だったからだ。

 

 「部屋に招かれておいて、顔を隠したままなんて失礼すぎるでしょ?」と軽く言いながら他の者たちには見えないようにしていた素顔を余すことなく全てさらす彼女の態度からは誠意とともに、ニースへの個人的な好意が感じられた。

 

 

 彼女の正体がニースには最初から見えていた。あるいは娘の『肉体が持つ正体』と言うべきかもしれない。

 女神からいくつかの権能を与えられているニースの目にははっきりと彼女の『魂の形』が見えていたからである。

 その輝きの美しさは外見のそれと比べてさえ比較にならず、神にも等しい神々しさをその黄金の輝きから見いだすことができる程の、この世ならざる存在。

 

 ――だが、しかし。その光は今、奇妙に鈍く、そしてどこかしら綻びがあるようにニースには思われた。

 あるいはそれが先ほど感じた『人間らしさ』を少女に与え、ニースが初めて出会う異界の客人を普通の客と同じように接しさせていたのかもしれない。

 

 どこか歪であり、枯れた印象を抱かせるのである。永遠に等しい命を持つエルフの上位種族として、それは完全性の欠落を意味する。

 それが彼女からハイ・エルフとしての質を低下させ、ニースたち人間に生物としてのランクを合わせるところまで下げさせてしまっていたのだが、魔術師ならぬ神官でしかないニースにはそこまでの事情を知識として知ることはできない。

 

 ただ解るだけである。相手が“嘘を吐いている”という真実だけを・・・・・・。

 

「嘘ですね」

 

 ハッキリと断言しながら、ニースは相手の目を直視する。

 彼女には大地母神が与えた権能故か、あるいは彼女自身の誠実すぎる人格がそうさえたのか、『人の心を形として見る』ことが出来た。

 いつもいつもと言うわけではなかったが、今はハッキリと断言できるほどに彼女の目には相手の心が言葉と全く異なる誠実さのかけらもない嘘偽りで形作られた・・・だが不思議と悪意や邪気を感じることの出来ない忌まわしさのない嘘偽りだけで作られた歪みとなって見えていたからだ。

 

「うん、嘘だよ。今の話は全部嘘だ。予知の夢を見たことなんて、ボクは生まれてこの方一度もない」

 

 そして、相手もまた悪びれることなくハッキリとした口調で自分が嘘偽りを述べていたことを告白する。

 神に仕える神官にたいして虚言を弄することは罪悪であったが、聞くところによると『エルフ族は存在しない』らしい。

 神がいない世界というものを、神官であるニースには想像できない。だから相手の少女がなぜ嘘を吐いたのか、それを聞くことこそが最初にやるべき事だった。

 嘘に対して怒りを抱くのか、騙していたことを悪だと断定するべきなのか。全ては相手を知った上で判断しなくてはならぬ事。自分の信仰と教義のみを押しつけることを神は望んでおられないのだから。

 

「だけど、君に対して言った言葉のなかに嘘はなかったよ?

 ボクは本当に『予知の夢を見た』という話を族長にしているし、“鏡の森”が魔神共に襲われてエルフ族にとって大事な樹の枝を盗まれてしまうかもしれないからと言う理由で、族長から妖精界の外へ出る許可をもらったのだって嘘じゃない。真実さ。

 族長は騙したけど、君を騙した覚えはないよ。これもまた立派な真実のひとつって言わないのないかな?」

 

 まるで悪戯を成功させた子供のように邪気のない笑顔を浮かべる相手の顔を見つめながら、ニースは今の言葉に『嘘はない』と感じさせられ、肩の力を抜き、あらためて思う。

 

(やはり自分は、彼女のことを嫌いになることは出来そうにない)

 

 ――と。

 

「同胞に対して嘘を吐いていたという事実を、私に対して嘘偽りなく正直に告白する・・・それが貴女にとっての真実だと言うのですね」

「そういうことになるね」

「ですが、それは詭弁というものではないのですか?」

「マーファ神官の君やドワーフたちなら、そう言うだろうね。もっとも、チャ・ザの司祭たちなら逆のことを言うかもしれないけれど」

 

 正しい。自分の側にも理があるのと同様に、ニースは相手の主張にも理があることを正しく認められた。

 幸運神チャ・ザは商人たちが多く崇めている神であり、商売の神でもある。そして、商人たちにとって嘘を吐くことは必ずしも悪ではない。

 人を騙して盗んでいくだけなら彼らにとっても悪であるが、『今は払えぬから』と後日必ず返すことを約束して借りていくだけならツケである。

 黙って借りていくことは盗みであるが、盗んだ分に上乗せして謝罪の意を示すことは商人の道徳に反する行いでは必ずしもない。

 

 一方で、厳格な教えを敷くファリス教団なら嘘を吐くこと自体が悪であるとして、罰することを由とするだろう。

 神の教えはそれぞれに異なっており、祈る者が自分の意思でもっとも教えに共感し、心から敬い信仰できると思えた神に帰依するのが一番自然な信仰のあり方なのである。自らの信じる神の教えこそ絶対と、他の神を信ずる者たちに押しつけてしまったのでは無用の争いを生み出すだけでしかない。

 

 ましてエルフ族は神を持たない。ならば人間の・・・それも数多くいる人間たちが崇めている教団の一つでしかないマーファ教団の戒律を守らせようなどと愚かしいだけか・・・。

 ニースはそう判断して、表情を緩め、せっかく訪れてくれた異界からの客人に由ないことを口にしたことを謝罪した。

 

 相手は笑って謝罪を受け入れ、ニースが手ずから煎れて供した茶に手を伸ばす。

 その相手の顔を見つめ返しながら、ニースはやや感慨に耽る。

 

 

 ・・・神から与えられたお告げによって、彼女の正体が異界から招かれたロードス島の存在するこの世界とは違う場所と時代から訪れた者であることをニースは知っている。

 

 だが一方で、賢者ではないマーファの司祭でしかないニースには異界という場所がどういうものなのか、実はあまりよくわかっているわけではない。

 神から教えられた以上のことは、彼女自身の知恵と心で見極めることしか出来ぬ身なのである。

 

 それが自らのことを『マーファの愛娘』と呼び慕ってくれている人々に対してニースが感謝とともに平行して抱いている、些かの苦い思いと同じ理由によるモノだった。

 

 彼らの言葉は、ターバ村の住人たちが自らも負傷しているにもかかわらず村の人間の癒やしを優先してくれたマーファ神官たちに対して仮住まいを建てるという形で示してくれた感謝の気持ちと同様のものであると頭では理解しているのだが、どうしても心では完全に納得することができずにいたからだ。

 

 彼らは『大地母神へ捧げる感謝の念』を『マーファの愛娘』と呼ばれている自分に捧げることで示そうとしてくれている。戦乱の絶えぬこの島の民たちを救うため大地母神が授けてくださった御子に感謝を示さねば、と。

 それは自分を、神に仕える者“プリースト”として見ているニースにとって、嬉しくもあり、不本意なことでもあった。

 

 自分たち神官は、あくまで神の意志の代弁者であり、奇跡の力を恣意的に使ってはならないのだと彼女自身は信じている。

 自分が神のごとく振る舞って、ロードスに住まう者全てを救済できる力があるなどと思い上がれば大変なことになるだろう・・・。

 それが解る聡明な娘だったからこそ、ニースは女神の御子と讃えられ、そして苦悩する。

 いつの世も、こうした誤解とすれ違いによって人と人とは結びつき、そして苦しめる。

 

 だからこそ、つい聞いてしまう。

 

 

「・・・・・・教えてはいただけないのですか?」

 

 ニースから短く、そう尋ねられたとき、茶を飲もうとコップを口に運んでいた神子の腕が一瞬だけ停止して、さり気なく彼女はその動きを再開させた。

 

「なにを?」

「全てを。これからロードスで起きる全ての出来事を、貴女は知っているはずだと女神マーファは私にそう教えてくださいました」

「・・・・・・」

 

 沈黙したまま茶を飲み続ける相手に対してニースは熱心に言葉を紡ぎ続けていく。

 “聞くだけ無駄である”と答えを得ている相手に、聞いても教えてくれないと判りきっている質問を何度も何度も尋ねてしまう。

 それもまた彼女が人であるが故に持たざるを得ない完全性の欠如であり、人間らしい不完全という名の美徳であったかもしれない。

 

 ニースには、神からのお告げとして目の前の者がロードスの未来を知っていることを知ることができた。

 そしてまたニースには、人の心を形として見る力によって、相手がその質問の答えを教えてくれることは決してないことも知ることが出来てしまっていた。

 

 それは『マーファの愛娘』と、過剰な評価を人々から与えられている彼女にとって、拷問にも等しい無力感を実感させられる行為であり時間でもあった。

 

「私には、今から起こるであろう災厄よりロードスを救うことはできません。なぜなら私には世界は見えず、歴史も見えないから。

 ハイエルフ族の神子、あなたにはその能力があります。知恵があります。知識を持っています。

 貴女がその一部でもいい、私に教えていただけるならマーファ教団は総力を上げて人々を救済し、貴女の知る最悪の未来からロードスの人々を幾ばくかだけでもお救いすることを約束させていただきます」

「・・・・・・」

 

 神子の沈黙は解けない。ただ黙ってお茶をすするだけだ。

 そしてまた、ニースも言葉を止めない。止めることはできない。それが自分たち双方にとって“自然な在り方”だと承知しているから・・・。

 

「全ての災厄から、全ての人々を救いえるなどと私は約束することができません。私には約束を守れるだけの力はありませんから・・・・・・」

「・・・・・・」

「それでも、多少の力はあるつもりです。苦しむ人々を救うことはできなくとも、苦しんでいる人の内、誰か一人でも多くの命を救うことぐらいはできるはずです」

「・・・・・・」

「ですから、お願いします異界から訪れしハイエルフの神子様。どうか私に少しでもいい、貴女の知っていることを教えていただきたいのです。返せるものなど何も持たぬ未熟非才な身ですけど、私にできることでしたらどのような恩返しでもさせていただきますから何卒・・・」

 

 ニースは言葉から熱意と熱情を消そうとせず、神子も沈黙を解こうとはせず、相手のしたいようにさせていた。

 彼女たちは互いに見えていたからだろう。神子の心が、形となってハッキリと。

 

 

 ――それはまるで、樹齢千年を超えた古木のようだった。

 あるいは、年経て枯れ果てた老木のようだった。

 冬の日の星一つない夕暮れのような暗闇に包まれるかのようだった。

 長い長い月日を、たった一人で生き続け、老いさらばえて若さを失った生気のない老人であるかのようだった。

 

 

 自分の努力が無益であることは、ニースには最初から分かっていたし、見えていた。

 彼女は女神マーファに祈ることで、いかなる奇跡でも起こすことができる。天命を全うせず死んだ死者を復活させる、蘇生の奇跡さえ行うことさえ可能なほどに。

 

「・・・・・・・・・」

 

 だが、長い時間を過ごし、老いて死んでいこうとしている人の心を癒やすことだけは決してできない。それは自然の法に反することだからである。

 あるいは彼女が生まれながらのエルフだったなら、時間と寿命は平等に老エルフと呼ばれるには早すぎる娘の年齢にふさわしい健全で若々しい心を得られたのかもしれない。

 

 だが、彼女は異界より招かれエルフとなった客人。人が老いて死ぬのは運命であり、自然なことのはずなのに、彼女が手に入れた永遠に等しい命を持つエルフとしての肉体は彼女から、通常の時間と寿命で生きる人生を送る権利を奪い去り、返してくれることは決してない。

 過ぎ去った時間は戻らない。それもまた反することのできない、自然の法である。

 時間の流れの中で、老い朽ちていった者の心と時間を巻き戻すことは『マーファの愛娘』にも、そして全能なる女神マーファにも決してできない不可能な奇跡のひとつだった。

 

「貴女は、神にも等しい四人の偉大な友人たちを持ち、ロードスにこれから起こる災厄から人々を救いうる知識さえあります。

 しかし、そんな能力を持った偉大な種族が、御自分の人生を捨てていらっしゃる。他人の人生だけに価値を感じていらっしゃる。私には、それが残念に思えます」

「・・・・・・・・・」

 

 言える言葉を全て言い終え、想いの全てを言葉として注ぎ込んだニースは押し黙り、神子もまた茶を飲み終える。

 水を吸い込むことのできなくなった老木に、癒やしとなる慰めは意味をなさない。

 枯れ木の心に必要なのは、年老いて二度と新しい芽を芽吹えさせることができなくなった枯れ木を燃やし、残された灰の中から再び蘇り若鳥として飛び立てるようになるための炎のように熱い熱量だ。

 

 それをニースはできうる限り目の前に座す、美しい森の上位種族に注ぎ込んだつもりだったが、自分の言葉では不十分であることも自覚していた。

 もとよりニースは、それらが似合う類いの人間ではない。教えを説いて廻り伝えるのではなく、想いを込めた言葉の熱量で相手の心を再熱させるのは、もっと別の相応しい人間がいていいはずだった。

 あるいはその役目を神に与えられた人物は、後の世に生きる誰かなのかもしれない。

 神子にはいずれ、その人物と出会うことによって心を再熱する未来が待っているのかもしれない。

 

 だが、今この場にいるのは、その役目を十分に全うするには相応しくない人格を持つニースだけであり、今その役目をニースが果たせなければ神子が口を割ることは決して無いだろう。

 それはロードスに降りかかろうとしている災厄から、今を生きる人々を救えたかもしれない道が断たれることを意味している。

 

 人はなぜ、望まれたとき、望まれた場所に生まれてきていることができないのだろう?

 その人が生まれてくるのがあと少しだけ早ければ、あるいは遅ければ。その人自身の人生と歴史は別の道を選びえたかもしれないのに・・・・・・。

 

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 

 沈黙が、降りる。

 

「・・・・・・いいお茶だね。作ってくれた人たちの気持ちに、大地の精霊がよく応えてる」

 

 やがて先に口を開いたのは、長い長い沈黙を破った神子の方だった。

 

「単に味がいいだけじゃない。何世代も何世代も親から子へ、大地を良くしようと頑張って付き合い続けてきた人たちの感謝と愛情が桑の一振り一振りから土に染みこんでる味だ。その想いに精霊たちが喜びで返してる。

 二つの感謝が味からも香りからも感じられて胸が一杯になってくるような、そんな地味に満ちた美味しさがある」

「・・・・・・」

 

 今度は逆にニースの方が沈黙した。いや、絶句させられてしまった。

 今まで彼女が煎れたお茶の味を「おいしい」と言ってくれた人間は無数にいたし、その半数ほどは彼女の名声をはばかってご機嫌伺いが混じっていたものの、美味しいという言葉自体には今の神子と同じように嘘はなかった。

 茶に使っている草花を育ててくれたターバの村の住人たちに、感謝や賞賛の意を示した者も三割ぐらいはいたはずである。

 

 ・・・・・・だが、彼らの先祖までもを含めたターバの村が歩んできた歴史全てを総括したような褒め言葉を述べたのは神子が初めてだった。

 それは彼女が、森と共に生きる森の種族ハイエルフの中でも特別な存在だった故なのか。

 それとも、枯れてしまった二度と葉を咲かせることのできなくなった自分のようにはさせないよう、短い寿命を大地と格闘し続けることに費やしてこられた村人たちへ憧憬の念を持つハイエルフに生まれ変わってしまった異界の客人だった故なのか。

 

 それを確かめる術は、異界を知らず、女神マーファも教えてくれない、うら若く経験不足な十七歳の娘ニースには判別しがたい老人の心底。

 

 

「・・・・・・一つだけ教えておこう。君は自分が正しいと信じる道を、正しいと信じるやり方で迷い無く進んでいけばそれでいい。今までと同じように、これからもずっとね。

 それが結果的に一番多くの人の命を救って、ロードスから不幸を減らす道に繋がっているはずだから・・・・・・」

 

 それだけ言って、ハイエルフの神子は席を立ち、暇を告げる。

 それはニースからの問いかけに対する、明確な回答の拒否。枯れて脆くなった、かつての大木が枯れ果てているが故に、地中深くまで根を張りすぎて抜けなくなってしまった長く生きすぎた年月が込められた巌のように頑迷な拒絶だった。

 

 今このとき神子は、ニースから差し伸べられた救いの手を振り払い、救われる道を選ぶことを拒絶したのである。

 運命の不幸に苦しむ人々を救うことは、ニースにとっての務めであり義務でもあり運命でもある。

 だが、自らの選択で救いを謝絶し手を振り払い、枯れ果てた心のまま救い無き一生を選んだ者に自らの救いを強制することはニースには選べない道である。

 

 彼女の膝に伸ばしかけていた右手の平が宙で止まり、ためらった末にニースは自分の胸元へと引き戻す。

 

「・・・ありがとう、高貴なる森の姫君よ。その忠告は心に刻みつけ、一生忘れることのないよう留め置きましょう。貴女がいつか救いを求めてきてくれる、その日までずっと・・・」

 

 先ほどまでの熱量が嘘のように自分の内から去って行くのを、ニースは感じ取っていた。

 まるで潮の満ち欠けのように、波が退いていくかの如く一瞬ごとに自分がいつもの自分へと戻っていくのを実感させられてゆく。

 

 あるいは神子の感情に、さざ波のような揺れが生じて、それが感情に左右する精霊王たちに影響を及ぼし、気づかぬうちにニースの心にも影響を与えていたのかもしれない。

 それほどまでに神子は神子で、ニースとの語らいを好感を持って楽しんでいたからだ。

 

 それは枯れ落ちた落ち葉の心に熱を与えるものではなかったかもしれないが、長い間ハイエルフの中で孤独に過ごしてきた一人の人間だった娘として、人との語り合いに癒やしを感じて感謝の意を彼女なりに表した結果なのかもしれない。

 

 それらの想いを、口に出して彼女たちは伝えようとはせずに別の言葉を口にしあう。

 

「これからどこを目指されるのですか?」

「とりあえず、ザクソンに行くさ。ほかに道はないし、あそこからならアラニアの王都アランにも近い。それから後のことは―――」

「それから決めるのですか? 道が自然に導いてくれるだろうと・・・」

 

 新しくできた友人の旅立ちを見送る者として、年頃の娘相応の笑顔を浮かべたニースが珍しく冗談口をたたいたところ、神子は意外にも「いや」という否定と明確な答えを返してきたのだった。

 

「神聖王国ヴァリスにある、至高神ファリスの大神殿。そこがボクが次に行くところだと最初から決まってたんだ。

 自分の進むべき道を自らの意思で決めることを放棄したボクに、導かれる資格なんてとっくになくなってるからね。ボクはただ、すでに敷かれた道の上を歩みながら、一部の流れを不自然な方向に変えるだけだよ」

 

 先ほどまでとは打って変わって、明るい笑顔で皮肉な答えを返されてしまったニースには、もはや反問する意思など残っていない。

 

 彼女は幼馴染みとして育った、若いドワーフの姿と頑固さを思い出す。

 

(・・・かつてエルフとドワーフは、同じ世界を故郷とする妖精族の仲間だったとギムは教えてくれたことがあったけれど・・・。

 もしかしたらドワーフと同じようにエルフにも、彼らと同じぐらい頑固でぶっきらぼうで一度決めたことを最後まで貫き通す信念の強さを持った種族なのかもしれない・・・)

 

 そう思い、それはとても良いことなのかもしれないと、ニースは不思議と腑に落ちる。

 神子もまた、皮肉っぽくも悪戯好きな少年のように癖のある笑みを浮かべてニースを振り返ると、普段通りの彼女を取り戻したことを示すかの如く諧謔に満ちた気遣いの言葉で『この世界で初めてできた友人』に一時の別れの挨拶代わりとして去って行く。

 

 

「気遣いをありがとう、マーファの愛娘さん。でもボクに二度目のそれは不要かな。だってボクは枯れても痩せても精霊使いで、司祭じゃないからね。

 どこに続いていようとも地面に敷かれた道なら、大地の精霊を支配するボクたち精霊使いは変えることができる。

 奇跡の力を恣意的に使うため精霊を支配するのがボクたち精霊使いだ。敷かれた道にしたがって歩むことはあっても、運命を支配させることまでは絶対にさせないさ。

 たとえそれが他人に押しつけられた、不幸に至る道であっても精霊王に命じて変えさせてみせるよ。絶対に・・・ね?」

 

 

 そう言って、ニースに向かい片目をつむって見せる異界風の挨拶を残して、彼女は南に向けて旅立っていったのは、マーファの仮神殿で語り合った数時間の後だった。

 彼女が目指す南の空は奇妙に薄暗く、灰色の空が厚く垂れ込めていた。

 

 

 ・・・しかし、ニースの見送る遠くの空の先から人間の耳には歌声のように聞こえる少女の声が響いてきた途端に空は晴れ渡り、ニースに向かって太陽の光が差し込んでくる。

 

 それは天空を支配する神々が彼女を祝福してのものだったのか、あるいは神々に等しい力を持つ精霊王たちが新しくできた友人の友人に感謝を表したものだったのか。

 あるいは、精霊王の愛娘からニースに送られた発破掛けだったのか。

 

 

 ・・・たとえどれだったとしても、今はまだニースは動くことができない。マーファ神殿の修復に目処が立つまでは神殿の代表が空席となるわけにはいかない。

 おそらく、これからの五年はマーファ教団の代表としての働きがけに全精力を注がねばならないだろう。

 

 

 だが、今のニースは不思議と心が安らいでいた。氷竜ブラムドを呪いから解放するために疲れ切っていたはずの身体からは、鋭気が内側から沸いてくるかのように感じられている。

 

 今日は、もう一頑張りしてから休むとしよう、とニースは思った。

 彼女が背を向けた、神子の去って行った南の空は灰色の雲が垂れ込めて薄暗かった先ほどまでの景色が嘘のように晴天の明るさに満ちている。

 

 明日もまた、忙しい一日になるに違いない。

 まだ半分も終わっていない今日の一日と同じように・・・・・・。

 

つづく

 

*神子の性格の退廃的なところは『ロード・オブ・ザ・リング~旅の仲間~』で初登場してきたときのアラゴルンと、『二つの塔』で描かれていた彼の恋人でエルフの姫君アルウェンが結ばれた後に至るであろう悲しい別れの後の映像をイメージして作ってみました。

 人間の時間感覚を持ったまま、ハイエルフの一生を生きる道を求めてしまった神子は生きながら死んでるような心理状態にありますから、世界全体に影響を与える意欲はもう残っていません。

 ただ、牧場を渡る風のように吹きすさびながら、隙間風程度で救うことができる程度のわずかな命を救うだけ・・・・・・それが今の彼女が求めうる最大限の救済です。


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