この時期、『神子』がヴァリスにあるファリス神殿で、ファーンとフラウスが出会うことになる最初の戦いを手伝いに来たことは今後を考え彼らと友誼を結んでおこうとする深謀遠慮からでは、残念ながらなかった。
むしろどちらかと言えば、好き嫌いに属する理由によって『神子』は、彼らのミノタウロス退治に協力しようと考えたのである。
エルフは元来、感情的な理由で動くことを嫌い、理性によって己の行動を律するべきだと考える種族であったし、元は人間の記憶を持ってはいても『神子』もまたエルフの血肉を分け与えられて第二の生を得たものである以上は、それら血の縛りと完全に無縁だったわけではない。
とはいえ彼女には、人間として過ごしてきた記憶を持つが故の『脆弱な精神』が備わっている。
長すぎる時間をかけて、ゆっくりと老いさらばえていくだけの時間を『妖精族としての存在意義』として喜びとすることができず、ただただ苦痛と感じることしかできないエルフから見た“人間らしい愚かさ”を持ち合わせたままハイ・エルフとして生まれ変わってしまった転生者。
そんな彼女には「失われて二度と戻らない若さ故の情熱」を取り戻したいと願う願望が確かにあったし、それを間近で見せてもらえることへの年寄りらしい喜びもある。
付け加えるなら、アラニアからモス地方へ赴くためには、どのみちヴァリスは通らざるをえない通過点にある国だった。
南のカノンを通れば遠回りになるし、今の時代にはまだ「風と炎の砂漠」にフレイム王国は興っておらず蛮族同士の争い合いが続いていて余計な諍いごとに巻き込まれかねない。
どのみち通るしかない場所なのだから、ついでとして後に知り合うことになるであろう勇者たちと面通しぐらいしておいた方がいい・・・・・・理性的な理由付けが必要だとするなら、そんな屁理屈でも付け加えてやれば済むことである。
そう考えた故に『神子』は、モスへ向かう途中で寄り道をしてヴァリスに立ち寄り、ファーンたちに力を貸すことにしたのだ。別に深い意図があって動いたわけでは全くなかったのである。
そして、それ故にこそ。浅はかな人間らしい理由で戸惑いを覚えることも、ハイ・エルフとなった彼女の人生にも時には存在したのであった。
「あなたの噂は、前々から聞いておりました」
ファリス神殿内にある宿舎の廊下を歩きながら、フラウスが言った。
隣に並んで歩く、聖騎士ファーンに向けて言った言葉である。
そこに嫌味はなかったが、神に仕える女性故の潔癖さが微量ながらも声に混入していたことを、一応は同じ女性として生まれ直したが故の理由で『神子』は気づくことができたが、どうやら男として生まれ育ったファーンに皮肉な響きは読み取れなかったらしい。
「大神殿には、週に一度の礼拝を欠かしておりませんから・・・・・・」
やや見当違いな方向での答えを返し、フラウスから若干の毒気を取り除くことに無意識のうちに成功してしまっていた。
なるほど、タラシだと神子は心の中で思いながら、口に出しては何も言わず。黙ったままフラウスから次の話題が供されるのを大人しく待つ。
「ミノタウロスと戦ったことはありまして?」
「いえ、ありません」
再びの質問に、今度はファーンは毅然とした回答を即答で返し、語尾を濁らすことなく続けて騎士としての誇りと自信を口にする。
「ですが、私には神の加護があります。負けはしませんよ」
「たいした自信ですのね」
「剣こそが、騎士の誉れ。戦こそが、騎士の果たすべき使命。自信なくして務まりません」
「・・・・・・」
積み重ねてきた実績と自負を込めてファーンが断言すると、フラウスはひどく真剣な眼差しでファーンを見つめ、その視線に気づいた相手から「何か?」と問いかけられると小さく首を振る。
「ご立派ですわ、皆が噂するとおりに・・・・・・」
一般論を答えとしてファーンに返し、フラウスは正面へと向き直る。
それは否定的なニュアンスが込められた仕草ではなかったが、どこか諦めたような、見限ったような、突き放したような・・・・・・有り体に言って『期待外れだった』と言いたそうな時の女性がする顔と酷似していたことに、このときファーンは気づいていたのかな? とこのとき神子は
思ったが、またしても声に出そうとはせずにフラウスの続く言葉を再び待つ。
「このロードスから、久しく戦が耐えたことはありません。それどころか、このところ世の中は悪くなる一方。この神聖王国も例外ではありません。ヴァリス北の国境には蛮族たちが侵入し、沖の海には海賊たちが横行し、山や森からは魔物が人里にも姿を現す。王国間のいさかいは絶えず、いつ戦が起こっても不思議ではない」
「我々、聖騎士も努力はしているのですが・・・・・・」
フラウスの糾弾するような内容の言葉に、ファーンは自分たち騎士団の不甲斐なさを指摘されたと解釈したらしく、申し訳なさを込めて謝罪の言葉を口にする。
事実としてロードスの、そしてこのヴァリスの現状が憂うべきなのは否定できない事実であり、彼ら聖騎士たちも辺境の村々を巡回して国境の警備を強化してはいるものの、正直に言って効果はあまり上げられていない。
その事実をよく知り責任感も強く、聖騎士団内でも特に自分たちの無力さを痛感しているファーンだったからこその誠意あふれる対応ではあったし解釈でもあったのだろうが・・・
―――論点がズレている。
と、端から客観の視点で見物していた神子には思わざるを得ない会話内容になってきていた。
神子が沈黙を保っていたことで、原作通りの会話内容が展開されていたはずだったのだが、こうして当事者の一人として間近から二人のやりとりを見ていると文字を追うことしかできなかった読者の視点だと分かりようがなかった事実にようやく気づかされる。
そのせいで神子が焦りを覚えさせられてしまったことは、大いなる誤算とも言うことができない、未熟な人間の心を持つ者故の初歩的なミスでしかなかったのだろうけれども。
「混乱の原因は、ヴァリス国内にありませんもの。国境の外のことには、聖騎士の威光も及びませんわ。だから・・・・・・」
「だから?」
「ロードスは偉大なる英雄のもとで、ひとつにまとまるべきだと思うのです」
フラウスの言葉が途中で途切れたため、ファーンが続きを促して、彼の求めに応じた答えに相手が驚愕させられ、神子はただ肩をすくめたまま沈黙を続ける。
「それでは、大戦になってしまいます」
ファーンは僅かではあったが言葉を荒げ、フラウスからの思いもよらぬ言葉を遮った。
ロードスの住人たちの間で、そういう気運が高まっていることを知るが故、治安を預かり国を守る者としての反応だったのだろう。
世の中が乱れると、人々は英雄の出現を待望するものだ。
統一によって混迷する自分たちの住む国を一つにまとめ上げ、千年の平和をもたらしてくれる英雄王の誕生を・・・・・・いつの時代、どこの世界でも戦乱期を生きる人々という存在は、そういった絶対的な力とカリスマ性によって争いの元を根源から絶ちきってくれる超人なり聖者なりの救済を求めるようになるものだ。
だが、互いに争い合う国々によって引き起こされる動乱を収めさせ、戦乱を平定するには武力に頼る以外に術がない。強力な軍隊を要し、傑出した英雄がこれを統率しないかぎり果たすことのできない難業であろうとファーンには思われたからだ。
そしてそのぐらいの事は、フラウスとて理解しているはずだと信頼していたからこそ彼は驚かずにはいられなかった。
「わたくしは五年前まで、アダン郊外の農村に生まれた、ただの村娘でした」
相手の戸惑いに対して、フラウスは自分が聖職者になる道を選んだ経緯について静かに語り出す。
「五年前に、わたくしはファリス神の啓示を受けたのです。その啓示を、そのまま言葉で表すことはできません。五感すべてを貫くような強烈な衝撃だったのです。
ですが、あえて言葉で表すならば、その啓示は英雄の出現を予言していたように思います。ただ、その英雄には大いなる闇に閉ざされ、光の下に出られないでいます。
わたくしの使命は、英雄を闇から救い出すことだと悟りました。その証として、神はわたくしに奇跡の力を授けたもうたのです」
ファーンは彼女の言葉と、そこに込められている真摯な覚悟と信心の高さを示されたことで、素直に敬服し、尊敬の念をフラウスに抱いて一礼した。
それは至高神ファリスを信仰し、己の信ずる正義を貫くためなら命を捧げることを尊しとする聖騎士である彼にとっては、非常に正しく眩しくきらめく聖女のごとき輝きをフラウスの中に見いだしたからに他ならない。
――この若く美しい神官戦士には、聖女の資質があるのやもしれない。神の聖女となるには、さらなる厳しい修行と必要であろうし、困難な試練をいくつも潜り抜けなければならないだろうが、その助けになることこそ騎士として自分に与えられた使命なのだと、このときファーンには思えたほどだったのだから。
とは言え、この場には本来いるべき彼らファリス神の敬虔な信者たちだけが同席していたわけではない。
至高神ファリスの正義と正しさによって纏められるロードス統一の理想に対して、異なる価値観から見た意見と見方というものも別に存在していた。
「つまり、英雄に率いられた軍隊によってロードス中の国々に征服戦争を仕掛けるべきだ、と君は信じているのかな? フラウス」
ハッキリとした口調で、神子にそう問いかけられ、フラウスを明らかに“たじろがされる”
神子の声には、フラウスの考えに対しての否定や悪意や敵意が込められては決していなかったが、それでも具体的な表現を用いてハッキリとした言葉で自分の考えを口に出されるのを聞かされてしまうと、根が誠実で優しい聖女である彼女には怯まずにはいられない。
「・・・誤りは正されるべきよ、それは高司祭様が言っておられた通りだと私は思うわ。たとえそれが、国を治める王であっても、国そのものであったとしても間違いを放置したままであってはならないのだから」
「悪は断罪されなければならないと?」
「当然でしょう? あなたは、そう思うことができないの?」
今度はフラウスから、鋭い刃のような声と言葉で問いかけられた神子の方が視線をそらして頭に手をやり、ポリポリと掻き始めたがあまり感銘を受けた様子は見られなかった。
フラウスがさらに言葉を続けようとした矢先に、神子の方がポツリと、どうでもいいような口調でごく当たり前のようにドギツイ毒を言い放つ。
「だとしたら、この世の中で知恵ある生き物のほとんどは裁かれて死ななきゃいけなくなるんじゃないかな?
ゴブリンやオークとかの生まれながらに醜悪な生き物だけじゃなく、大部分の人間たちやボクたちエルフを含めて、正しいことだけ貫いて生きてる生き物はたぶんいないと思うから」
「「・・・・・・」」
思わず、絶句させられてしまった。ファーンもフラウスも同様にである。
そんな二人に対して、追撃をかけるという意思もなく、ごく当たり前で普通のこととして神子は彼らにとって、とてつもなく答えづらい疑問を続けて放つ。
「まさか君たちだって、この世界が善なるものだけで出来てるなんてことを思ってるわけじゃないんでしょ?」
「・・・・・・」
問われたフラウスは、答えられない。
「違う、世界は全て正しい」と答えてしまえば自分が先ほど言っていたことと矛盾してしまうし、逆に肯定してしまえば彼女の望んでいる正しい世界の実現は無数の屍の上に打ち立てられた死者の王国ということになってしまうだろう。
何より彼女は、自分が間違っているとは思っていなかったし、それと矛盾するようではあったが相手の言葉にも間違いを見いだしてはいなかった。
神子の言ったことは非常に正しく、またごく普通に当たり前のことでもあったからだ。
――ただ、それを至高神の神官に問いとしてぶつけてくる子供という存在を、今まで彼女たちは見たことも出会ったこともなかったから、どう答えて対応すればいいのか分からなかっただけのことだった。
普通、このくらいの年頃の子供たちなら親から色々なことを教えられていて、至高神の教えもその中には僅かながら含まれているのがヴァリス国民に限らず一般的なのが、このロードスに生きる人々の常識的感覚だった。ロードス島に生きる者たちにとっては、それが自然で当たり前の認識なのである。
ただし、その感覚はロードス島に生きる“人間の常識を教えられて育った者たち”に限られていたという事実を、フラウスはこのとき初めて思い知らされていた。
否定ではなく、悪意ではなく、拒絶でもない。
ただ単に、不思議に思ったから聞いてみただけの子供から向けられた質問に答えられず、返事に窮する自分自身という経験はフラウスに対して、神の啓示を受けたときほどの衝撃は与えられなかったが、心にグサリと突き刺さり抜けない棘として深く根付いたことは確かであった。
「気に触ったなら、ごめん。ただボクたちエルフには、信仰の対象としての神を持ったことがないんだよ。創造主であることは認めているんだけど、自分たちの存在意義を知るための導き手としては考えていないし求めてもいないんだ。
だからボクには、君たち人間がどうしてそこまで神の教えた正しさとか正義にこだわるのかがよく理解できなくて・・・・・・それで疑問に思ったことを聞いてしまっただけで、フラウスのことを傷つけるつもりはなかったんだ。本当にごめんなさい」
「・・・・・・いえ・・・、そういうことなら分かるからいいわ」
少し虚ろになった瞳でそう返事をしたフラウスに、気遣わしげな視線を送りながら聖騎士ファーンは殊更大きな声をあげて、短い旅の出発を宣言した。
話題を変えることで互いの間に穿たれたかもしれない溝を少しでも埋めた方がいいと考えたからだったが、その気遣いは幸いなことに杞憂で終わってくれた。
フラウスは着替えを終えて出立した直後こそ、最初に出会ったときの威勢良さを損失しているように見えたが、すぐに自分の信じる信仰と正義と理想とを取り戻し、神子の方でも話題をブリ返して空気を重くする愚は意図的に避けて、エルフらしく人間たちが知らない冗談口などを叩きながら、真面目すぎる二人の旅の道中に花と言うより多くの野草を咲かせることに専念した。
また、神への信仰心を持つ二人をおもんばかり、自分のことは「神子」ではなく「ラウル」という名で呼んでくれるよう自分から申し出ることもしておいた。
特に意味がある名前ではなく、記憶の中にあった『クリスタニアRPG』の中で読者から応募された採用キャラクターに、そんな名前の人物がいたなと思い出しただけではあったが、配慮する気持ちはきちんと伝わって蟠りも消え、旅の間は終始明るいムードに包まれながら短い旅程を終えて使命を果たし、神子は二人に見送られながら次なる目的地を目指して旅立っていった。
その道中の半ばほどで。
「・・・・・・参ったなぁ・・・」
ポリポリと、フードの下にある頬をかきながら神子は、途方に暮れたように呟きを漏らす。
実のところ彼女がヴァリスに寄り道した『好き嫌いに属する理由』とは、フラウスにあって話を聞くことだったのだ。
ひねくれ者の大賢者ウォートをして、「あなたが羨ましい」と憧れを抱かせた彼女の夢の話を聞くことができたなら、自分にも再び夢なり理想なりに再熱して長い惰眠から目覚めることが出来るのではないかと、無茶ぶりを承知で期待して来てみたのが今回のヴァリス行程における主目的だった。
そして神子の目的は、果たされることなく終わりを告げた。
フラウスは確かに揺らぐことのない信仰心と、ただ神への信仰のみを考え行動するファリス信者の理想型とも呼ぶべき女性で、聖女と呼ばれるのに相応しい神秘的なまでの聖性と、英雄王の誕生を夢見る少女の心の全てを矛盾なく両立させて持ち合わせている素晴らしい女性だったと、自分でも思う。
彼女個人に含むところはないし、彼女の人格で否定すべき点も得には見当たらない。価値観や好み次第で評価が大別するだろうとは思ったが、それはシーリスやディードリットと大して変わらない人それぞれが持つ個性と好き嫌いの問題に過ぎない。
――だから神子が彼女に抱いてしまった『失望』は、すべて神子自身がフラウスを見誤っていたことに起因する。
神子が間違えただけの問題であって、悪いのも全て神子だけであるべき感情論で、神子以外の者がこの件で非難を受けさせられるのは不条理であり不正義であり、八つ当たりでしかない・・・・・・そう自覚しながらも、己の心に言い訳しながらでなければ足取りが重くならざるをない事実を否定することは、神のごとき精霊王に愛された神子であっても出来そうになかった・・・・・・。
「彼女は・・・・・・、フラウスは・・・・・・、」
ポツリと呟き、空を見上げて灰色がかった雨雲が遠くから近づいてきているを確認しながら、神子は原作小説の中で暗黒皇帝ベルドの心に深く刻みつけられた若き神官戦士の、自分なりに感じた個人的評価を誰も聞く者とていない無人の道ばたでポツリポツリと呟き捨てながら歩き続ける。
「フラウスは、ロードス島を統一する英雄王の登場を夢見て憧れを抱いている、初心で純粋で純朴な田舎村出身の村娘に過ぎない存在だったって事なんだろうきっと・・・・・・」
そう、それが直接フラウスにあって話を聞いた神子の彼女に対する感想だった。
考えてみれば、自然な出来事であり心理でもあったのだ。
政治は腐り、国は荒れ、宗教は信仰を捨てて権力を求め、国王や貴族は貧しい自分たちの支配する国を永続させることしか考えておらず、国の外側でも内側でも争いばかりで平和などどこにも見いだすことが出来ない世紀末的状況の中。
信仰の国の片田舎にある農村の村娘が、『戦乱を終わらせる英雄王を見つけ出し、その心の闇を払って聖なる統一王に導くことがお前の使命だ』と、神からの啓示を受けて神聖魔法の奇跡を授かり、教団に入って出世して、やがて自分は狂ってしまった王から実の息子だと信じ込むことで国を悩ませ続ける元凶となっていたミノタウロスに王子の妃として宛がわれ、そして化け物を退治して自らは未亡人となる、悲劇の運命と過酷な試練を背負った神に選ばれし運命の聖女様・・・・・・。
彼女の半生だけで、実に英雄的な物語の一節ができあがってくれる。
実際のところは、それほど綺麗なものでもないのだが・・・・・・農民出身故にもともとが純朴で、悪く言えば無知故の純粋さを持った彼女には英雄物語の主役に憧れる気持ちと、恋を知った年頃の娘の恋情と、神への純粋なる信仰心との違いが分かるほどには知識もなければ経験も乏しいことであっただろう。
たとえば原作描写で、ミノタウロスを討伐したとき。
聖騎士であるファーンは彼女ことを、『花嫁というのは名目で、本当は離宮の主人を討つための他ならない』と表現している記述がある。・・・このとき彼女は気づいていただろうか?
身分を偽り、宮殿の主人を討ち果たすため単身おもむく者のことを、世間では『暗殺者』と呼び習わしている事実を、彼女は気づいていたであろうか?
――おそらく、いや絶対に気づいてはいないのだろう。それが彼女の無知さから来る純真無垢な信仰心の由縁なのだから・・・。
思わず神子は溜息を吐かずにはいられない。
フラウスの望みである、『ロードス統一』の理想を実現させるため、これからの歴史上で度々登場する人物たちのことを想起せずにはいられなかったからだ。
暗黒皇帝ベルドの起こした『英雄戦争』
その後に続く戦乱を終わらせて、ロードスを光の勢力に統一させたのも、黒の導師バグナードの策謀により全ての国々がマーモという悪の帝国をロードス島から一掃するため戦力を結集して総力戦を挑むためだったからに他ならず。
その戦いの勝利によって、ロードスは一つの国ではなくとも、一つの円卓によって纏められ、古代王国崩壊の時代からロードスに戦乱をもたらし続けてきた「灰色の呪縛」からも解放され、諸王国は互いに盟約を結び合い、決して争うことなく、人と物との交流が盛んに行われる平和な時代を手にしたが、ようやく手に入れた尊い平和でさえ大して長続きはしなかった。
『漂流伝説クリスタニア』の第一章に記されていた内容を、フラウスの話を聞かされた直後の神子は、思い出させられていた。
【――その島にはいくつもの王国が栄えていた。諸王国は互いに盟約を結び、決して争うことなく、人と物との交流が盛んに行われていた。
この平和は、あまりにも長く激しい戦いの後に得られたものだった。それゆえ王も民もこれを大切にしようと誓いあっていた。
百年もの長きにわたり、その島では戦のために人の血が流されることはなかった。
やがて、平和に慣れた人々はある疑問を覚えた。なぜ、一つの島がいくつもの王国に分かれている必要があるのだろう。これほどまでに互いが親密ならば、統一された王国を興したほうがよいのではないか―――】
こうしてロードス島は、再び戦いに彩られた歴史を再開させる。
自ら終わらせたはずの時代に原典回帰して戻ってくる道を自ら選び取り、平和を終わらせる。
結局は、どちらだろうと同じ願いを求めて実現することを目指してしまうのが人なのだろう。
世の中が乱れた時代が長く続いた時代でも、平和が長く続いた時代でも、結果的に求め出すのは【統一】という名の大きな大きな血の色をした華美な夢。
どちらだろうと同じ夢を求め出すのが人間だという事実を心から否定できるのは、その二つを同時に体感するには人間の寿命が短すぎるから。ただそれだけが理由なのかもしれないとさえ、このとき神子は思ってしまっていた。
まぁ、それらの考えが正しかったにせよ、間違っていたにせよ、正しく確かな答えは今、ひとつだけ神子にも解っていた。
それは――――
「ファリスの聖女さまに、ボクを救うことはできないそうにない、ってことか・・・」
それだけ言って、また歩き出す。
やがて降り出してきた雨を精霊に頼んで止ませようともしないまま、ただ打たれるに任せてズブ濡れになりながら雨滴の灰色に染まった周囲の景色に顔を背けてうつむきながらトボトボと、モス地方へと続く道を歩んでいく。
エルフのみが使える森の魔法を使ってしまえば、方向の違いに意味はなくしてしまえるけれど使う気にはなれない。使う意味も感じられない。
近道をすることにどんな意味があるのか解らなくなって百年以上が経過した、今の神子にとってみれば、正しい方法にこそ価値がなく、効率的な最短ルートを行く道こそが勿体なく感じられて仕方がない。
神子が幼い頃に聞かされた、エルフ族の伝承によれば、人間たちは自らが世界で果たすべき役割を伝えられる前に、その導き手たる神を失ったと伝えられている。
だからこそ人間たちは神を求めて止まず、自らの生き方、自らの存在理由を知ろうと躍起になり、神官たちは限られた神との接触から人間のありようを説くが、真実の答を得た者は未だ人の中には誰もいないのだと、そうエルフ族では自分たちから見た人間たちのことを子や孫の代に教え伝えてきた。
そして古き種族であるエルフは植物を育み、精霊界からの恵みを物質界へと正しく送り届けることだと、自分たち妖精族の存在理由を理解しているからこそ、長い年月をかけて変わることなく植物を育んでいるだけの暮らしを苦痛に感じることはないのだという。
別に今更エルフの伝承や存在理由を否定する熱意は、神子に残されていないけれど、もし仮にそれらエルフ族に伝わる伝承の全てが正しかったとした場合。
「自分の存在理由を知りながら、その使命を果たす意思を失ってしまったハイエルフの森に住んでた神子さまは、人間よりもっと愚かで劣った下等な生き物だ・・・と言うことになるのだろうねぇ・・・エルフの森の基準だと、きっと・・・」
つづく