ビュン! ヒュッ! シュバウッ!
「ふっ! はっ! たっ!」
切る、凪ぐ、剣で突く。現実の学校生活では体育の授業を一人で壁打ちして過ごすしかないボッチな俺のリアル時には到底不可能な早さと剣捌きで魅せてくれるゲームアバターの性能に感心しつつ、俺は一息ついて空を見上げてから周囲を見渡す。
草原やら森やら街やら村までもが点在していて、モンスターたちの跋扈するダンジョンとしての山あり谷あり古代の遺跡ありなごちゃ混ぜワールドを『空に浮かぶ鉄の城』の階層ごとに個性で分けて百回層も連ねた超巨大迷宮《アインクラッド》。
聞いた話じゃ基幹フロアの直径はおよそ十キロメートル、世田谷区がすっぽり入ってしまうくらいはあるんじゃないかって程なんだそうだ。その内にひと月ぐらいかけて測量する物好きたちが現れたとしても何らおかしくない規模の超自然的な摩訶不思議空間と呼ぶべきだろうな。
総データ量を推し量るのがバカバカしく感じられるくらいにあり得ないスーパーテクノロジーの結晶体。
それが“たかがゲーム”に惜しげもなく全力投入されているのが二〇二二年十一月六日、日曜日に満を持して正式サービスが開始された世界初のVRMMORPG《ソードアート・オンライン》が実在している“この世界での現代日本”だった。
「・・・ゲームの世界が現実に、ね。笑えない冗談だよ全く。ゲームにさえ現実持ち込まれちまったら俺たちヒッキーなボッチゲーマーはどこに現実からの逃避場所を求めればいいんだろう・・・なっ!」
ヒュバッ! シュピィィィィィィッ・・・・・・ンーーーーズバッ!!
『ぴぎぃっ!』
残光を残す速度で剣が振られて軌跡を描き、背後からバックアタックを仕掛けようとしていたMobモンスターの一匹を刈り取る。
動かずジッとしながら獲物の方から俺を見つけて襲いかかってきてくれるのを待つだけの自分が囮になる手法なら、獲物を求めて動き回ってる奴らと狩り場を巡って争い合う必然性もないし、手に入れたドロップアイテムが原因で仲間同士いがみ合う必要性とも無縁でいられるから楽でいい。
最強を目指して誰かと順位を競い合う趣味を持たない俺には似合いの狩り方だと、つくづく思う。
そして、こう言うときにはつい考えてしまうのだ。
もしかしたら、この世界でだったら間違えることなく上手くやれてたのかも知れないのにな、と・・・。
「・・・こんなもの所詮は逃げでしかないと、自分でも分かってはいるんだけどな。
たくっ・・・選ばなかった事への後悔って言うのは、選んで失敗したときよりも尾を引くから面倒くさい。ましてやそれが『選んでいたら手に入ったのかも知れない後悔』なんだから手に負えないよね本当に・・・」
俺は心の底からそう思っているし、これは今も昔も死んでからも死ぬ前も生まれ変わってからもなに一つとして変わったことなど一度もない。
俺はあの時、答えを選び間違えて“やり直す”と決めた後に続くかも知れなかった明日を未練がましく求め続けている。二度と手に入らないと分かり切ってる“あの場所への回帰を”未だ諦めきれていない。願い続けているし求め続けてもいる。
決して手に入らないモノを、手に入れられるかもしれないと信じて手を伸ばした瞬間に横合いから放たれた偶然の一突きで命ごと奪われて果たせなかった場合の後悔は、本当に理屈ではどうにもならないほどにデカすぎる・・・・・・。
俺が死んだのは一色との一件で合同クリスマス会の話が持ち上がり、色々あった末に上手く行き始めていた頃でのことだ。平塚先生に発破かけられて、俺なりに悩んで迷って答えを出して、さぁ行くぞと、ほとんど寝ることもなく学校へと向かい着いてから一度眠るつもりでいた結果、よそ見運転で信号無視した車の暴走に対処しきれなかった。
避けるだの受け身だのと格闘技やってる静ちゃんなら色々批評できたかも知れない俺の判断の不味さだったが、寝起きですらない別のこと考えるのに頭いっぱいな状態で考えることしか出来ない俺に物理的な突発事故への対処法など求められても困ってしまう。そして、困っている合間に死んでしまう。つまりは、どうしようもなかったのだ。
他の選択肢を選ばなかったんじゃなくて、選ぶための条件を満たしておらず選択肢そのものが現れることが出来なかった。ただそれだけの現実的な死が俺の人生の終わり。正解も誤解も意味をなさないし何の役にも立たない、本当の意味でのファイナルアンサーだったのだから。
そうして死んだ俺は、どういう理屈でなのか目覚めた時には自宅のベッドの上で寝ていた。中学校時代の制服姿でだ。
訳が分からないまま部屋を出てリビングに行くと妹の小町がいて、テレビを見ていた。
普通に声をかけたら普通に返事をしてくれて、おかしな所は何も見あたらない。ただ単に昔着てた制服を引っ張り出して着たのを起きたら忘れてただけかーーそう思ってテレビに映るニュースキャスターの声も雑音として聞き流していたのだが、一言だけ聞き流せない部分があって確認するためカレンダーへと視線をやる。
今日を示す日付は十一月六日。暦が示す数字はーー“2021年”。
ーー死んだ俺が再び目を覚ました時、そこは《ナーヴギア》と名付けられたゲーム機を使い仮想の世界に自分の五感を完全に隔離遮断することができる究極に近いバーチャル・リアリティを実現させた、俺の生きていた時代には絶対にあり得ない不可能事が可能であると額縁付きの実績で証明された近未来日本にある自宅に変貌してしまっていたのである・・・・・・。
それ以降はとんとん拍子に事は悪く進められていく。
前世で入学した総武校への受験は、今生でも継続するつもりでいた。当然だ。俺には、岩にしがみついてでも『あの場所』に戻って二人に伝えるべき言葉があったのだから。
だが、俺の薄っぺらい希望は降り始めた雪とともに淡く溶け、やがて跡形もなく消し去られてしまう。
受験用の参考書を買いに訪れた東京BAYららぽーと、雪ノ下と一緒になって由比ヶ浜にあげる誕生日プレゼントを購入したレジャースポットで俺は別々の店で二人の『女性』と出会うことになる。
いや、『出会い』と表現できるほどに印象的で相手の顔も言葉も一見一句過たずに覚えていられる価値があったのは俺にとっての彼女たちだけで、向こうにしてみたら『会ったこともない、見ず知らずの赤の他人な年下の少年に声をかけられて道を聞かれた』以上の意味などありはしなかったのだろう。
それぐらい彼女たちは幸せそうに笑っていて、互いのことなど顔を合わせてさえ認識しあえないほど無関係な赤の他人同士になっていたのだから・・・。
一人目の女性は、長い黒髪と整いすぎてて逆に怖い印象を与えてしまう美貌を、薄く化粧を施したナチャラルメイクで柔らかく変化させることに成功したスーツ姿のインテリ系美人で、一緒に歩いていた年上の男性が議員バッジを付けてたことから政治家の秘書か、それに類する職業に就いてる女性だと推測できる。
そして横合いから別の男性が「雪ノ下議員」と声をかけられた議員の男性は、隣を歩いていた美人に顔を寄せて「すまんな、雪乃。また何か面倒事が起きたようだ。先に行って待っていてくれないか? 私も後から直ぐ追いつく」ーーそう、確かに言っていたのを俺は鼓膜が引き裂かれるほどの痛みとともに聞こえてしまっていた。
その直後に前方から幼い子供二人と手をつなぎながら歩いてきた明るい髪の若い女性は、ヤンママと呼ぶには雰囲気も表情も陽性すぎてて躊躇わせるものがあり、単に学生時代のヤンチャぶりが名残として髪色に残っているだけの平凡で当たり前な家族の幸福を全力で満喫している童顔の美人。
彼女の両手を左右から捕まえている二人の子供たちが満面の笑顔を浮かべながら、母親に甘える声で交互に話しかけているのが聞こえてくる。
「ゆいママー、今日の晩ご飯なにー? お肉ー?」
「ちがうよ、ういちゃん。今日のゆいゆいママの作るご飯はハンバーグですぅ!」
二人の我が子をあやしながら明るい髪の女性は、議員秘書の女性の横を素通りしながら、二人ともに返事を返す。
「はいはい、ういちゃんもゆりちゃんも喧嘩しないの。それと、残念でしたー。今日の晩ご飯はパパの好きなカレーライスに決めちゃってるからねー。今からの変更は子供からでも受け付けておりません」
「「ええー、ひいきー」」
「・・・雪乃、どうかしたのか? あの子たちが何か・・・ああ、なるほど。おまえもそう言う歳だったな。彼とは上手くいっているのか?」
「・・・・・・(//////)」
「ふっ。幸せそうに顔を赤らめおって。せっかく子供との距離が縮まったと思った矢先にこれなのだから、つくづく男親など成るべきではないものだと思わされるな」
ーーその後のことはよく覚えていない。ただ、普通に二人ともに同じ場所へと続く道を聞いてから帰宅した。どこへの道を聞いたかまでは覚えちゃいない。どうせ二人ともに関連付いてる場所だったんだろうけど、双方ともに何らの感慨すら持たないままに答えてくれてたから俺にとってもどうでもよくまっちまったんだろう、きっと。
こうして。俺は二人が既に総武高校を巣立っていったことを知り、『あの場所』に帰れる機会なんて始まった瞬間に失われていたのだと言う事実を最大限の痛みとともに思い知らされた。
俺はバカだ。分かったつもりで結局なんにも分かってはいなかった。
あがくのは大事だ。何もせずにあきらめた自分を言い訳したところで誰にも聞いてはもらえなかったから。
苦しむことは重要だ。苦しまずに楽に生きてけるなら一番良いが、そんなもん送れる奴らは苦しみの価値なんて考える必要性がない。考えてる時点で俺にとっては必要なことなんだろうと言い切れる。
悩むことは大切だ。悩まず安易に選んで失敗したときには、絶対他人のせいにしたくなってしまう。自分の選択に自分で責任を負うためには自分一人でまず悩むことから始めなくてはならない問題が必ずある。
無論、考えるのは必要不可欠だ。計算づくで相手の気持ちを考えるしか出来ない俺が考えることを放棄してしまったら、後は心も頭も失った機械がぼっちとして一台切りで残っているだけの状態が続く。意味がない。
だけど、俺は何よりも大事で一番重要な要素を計算に入れずに正しいと問い答えを求め続けて考え続けて足掻いて悩んで迷い続けていた。時間を無駄に捨ててしまっていたんだよ。
平塚先生の言うとおり、答えは直ぐ近くで既に出ていた。後は俺が選ぶかどうかだけだったのに俺は貴重な時間を、残された見えないタイムリミットを永遠だと勘違いし続けて、今になってようやく間違いに気づく。
人生にやり直しが利くというのはリスタートの事であって、選んでしまった選択肢を選び直すことは出来ないし、選んで出した答えに付随してくる結果が予想していなかったものだとしても最初から選び直す権利なんて与えてもらえることは有り得ないのだと言う当たり前の事実に戻れなくなった事でようやく至る。
俺はバカだ。人の心理が読めてただけで、それから得られた答えについて口に出す日を後日に後日に廻し続けて、誰もいなくなってから放課後の部室棟で一人後悔の懺悔をいつかどうかも分からない神様に向かって叫びたくなってしまってる。
俺はバカだ。間違えてばかりの青春と人生を送ってきて無様に死んだ、単なるぼっちだ。俺にやり直す資格なんかないし、やり直したところで俺が帰りたいと願った『あの場所』はもう、この地上のどこにも存在していない。とっくの昔に消え去っていて、誰の記憶にも残ってさえいないだろう。
だから、これは幻想だ。仮想空間だからこそ可能となっているだけのバーチャル・リアリティだ。仮想の世界に現実を投影してみただけの儚い幻にすぎないはずなんだ。
『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』
空に浮かぶ深紅のローブをまとった、顔なしアバター。
俺が絶望の中、無理して受験する必要がなくなったのでダメ元から応募してみたSAOのベータテストに想定通りに落選してから二ヶ月後の今日。どういう偶然かは知らないが小町が発売日当日に購入してきたそれを何故だか俺に押しつけて遊びに出てしまったために少しくらいはやってみるかと遊んでいた最中に、突如として鐘の音が大音量で響きわたって直後に転移してきた場所『はじまりの町』の大広場中央の頭上に、禍々しい姿で舞い降りてきた深紅の悪魔が俺たち一万人の虜囚に向けて語りかけてくる内容は、幸せな連中にとっては死の宣告であり、俺みたいな一度死んで全てを失った俺にしてみたら福音以外の何者でもありはしなかった。
『私の名前は茅場昭彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』
ーーああ、これで俺はようやく。
『このゲームでの敗北は現実での死を意味する。ゲームオーバーでアバターが消滅した瞬間、現実世界にいる君達自身もまた永遠に意識を消失する』
ーー生まれ変わってから死なずにきたことに意味が持てた。
『諸君がこのゲームから解放される条件は、たったひとつ。最上部の第百層で待っている最終ボスを倒すことだだけ。
その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』
ーー死んだ命の使いどころが、生き返らせられたのに生きてる意味を奪われてた意味が、その全てが。
『以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。
プレイヤーの諸君ーー健闘を祈る』
ーー無意味な俺の命で何かが救えるかもしれない、第二の人生に与えられてた意味。
「・・・・・・つまり、このゲームの中で誰かの代わりに俺が死ねって意味なんだろうな。なんだそりゃ、楽勝すぎてあくびが出る難易度のクエストだな。
誰かのために犠牲になるなんてーーそんな傲慢な行いならやり飽きてる。楽勝だ。せいぜい派手に身代わりになって死んでやるよ。
・・・そうすりゃもしかしたら何処かの誰かに許してもらえて、アイツらに伝えたかった言葉だけでも言える機会をもらえるのかもしれんしな・・・」