少女と少年と女が運命と出会って移動していたのと同じ頃。
国連直轄の組織、特務機関『ネルフ』本部は活気づいていた。
『目標に全弾命中! ―――うおわっ!?』
『チームリーダー、音信途絶! 以降はチャーリー2が指揮権を引き継ぐ!』
「総力戦だ! アツギとイルマも全部上げろ」
「出し惜しみは無しだ! なんとしてでも目標を潰せぇっ!!」
現場から届く悲鳴じみた報告に、巨大な本部ビルのデスクに座す三人の戦略自衛隊高級幹部たちが怒声で答える。
彼らは明らかに冷静さを欠いており、唾を飛ばしながら振り上げた拳を振り下ろし、命令しているのか喚き散らしているのか判別する価値もないと思わせる無様な醜態を晒しまくりながら戦闘指揮をおこなっていた。
その理由は後に続く、ネルフのオペレーターからの現状報告に集約されていた。
『目標は依然健在。現在も第三新東京市に向けて進行中。
“航空隊の戦力では足止めできません”!!』
バキィッ!!
幹部の一人が握っていた鉛筆を指の圧力だけでへし折った音が、飛び交うサイレンと報告による喧噪の中でもハッキリと後方に座って見守るネルフ司令官の碇ゲンドウには聞こえていた。
新参の素人衆を指揮して敵と戦うために“戦闘のプロたちの仕事ぶりを見学させられて”いた彼は、幹部たちの座る特別司令官席よりも後方に位置するネルフの司令官席で腕を組みながら、傍らに立つ副司令官の冬月コウゾウと上官方の取り乱しようをシッカリと“見物”させてもらっていた。
「・・・やはり、ATフィールドか?」
「ああ。使徒に対して通常兵器では役に立たんよ」
冬月から確認のため質問された疑問に碇は答え、心の中で一言だけ付け足した。
“だからこそ、彼らは税金の無駄を撃ち続けているのだろう”
―――と。
『・・・ダメです! 対艦ミサイルが直撃しても目標は掠り傷一つ負っていません!』
「なぜだ!? 直撃のはずだ!」
「戦車大隊は壊滅。誘導兵器も砲爆兵器もまるで効果なしか・・・」
「ダメだ! この程度の火力では埒があかん!」
また机に拳を叩きつけて怒りを露わにする自衛隊高官。
彼が先ほど発した一言こそ、彼らの嘘偽らざる本音である。
――敵に攻撃が利かないのは、今使った兵器の火力が足りていなかっただけで、自分たち戦略自衛隊は今なお国内最高戦力として健在である!
・・・彼らのヒステリーじみた言動は、ただただ自衛隊が手に入れた戦略の二文字を守り抜くため、有事の際の国防力として強化された地位と権限と影響力と特権とを死守するため。
自分たちの存在は敵に対して『無意味ではない。無力ではない』『市民が払ってくれた血税を、掠り傷一つ付けられない豆鉄砲を開発するために費やしてきたわけではない』のだと証明したい。
――ただ、それだけだった。
背後から見ている男の手前、何かしらの成果を上げてみせねば自分たちはおろか、戦略自衛隊から“戦略”の文字を没収されかねない。
手に入れた物が失われる恐怖故に、彼らは撃たせる。敵に掠り傷負わせられなかった兵器と威力的には大差ない、『撃つだけ無駄だ』と素人でも明々白々なミサイルと名付けられた税金の塊を。
「・・・わかりました。予定どおり発動致します」
やがて、彼らの執念を共有する総理大臣の決定が下された。
来年度の選挙に向けた布石の一撃。戦略自衛隊にとっての切り札―――『N2兵器』の使用許可が。
「ちょっと、まさか・・・」
電子観測機を使えば、第三新東京市でおこなわれている戦闘を遠方からでも観察できる場所、完成途中に都市へと続く丘の上の道路のひとつに車を停車させ、双眼鏡で安全な場所から戦況を分析するつもりだった葛城ミサトの目論見は敵上空を滞空していた戦闘機群の一斉後退により敢え無く破綻させられた。
「N2地雷を使うわけぇっ!?」
叫ぶが、遅い。
「伏せて!」と、助手席で訳もわからぬままマヌケ面を晒していた学生服姿の少年の上に覆い被さり、爆風と衝撃から身を盾にしてでも守ろうとするのが精一杯で、あのままの姿勢だと問題あるから後ろの席へと移動していた少女のことまで気を配っている余裕は些かも存在してはいない。
光が瞬き、遅れて爆発音が轟いて、最後にショックウェーブに襲いかかられ、レストアされたばかりで新品同様の乗用車は玩具のように風に煽られ転がされ、後ろへ後ろへと押し流されていった末にようやく立ち往生することが許された。
ちなみに後ろの座席にいた少女の方は、N2地雷の『Nツ・・・』の部分まで聞こえた時点で耳を塞いでうずくまり、対ショック姿勢を取ったまま揺り動かされる車内の中でゴロゴロ転がっていた。
心の中で何か思うことはない。そんな余裕は微塵も無い。とにかく今は生き延びられることを願うだけだ。
「――やった!!」
ネルフ本部で喝采を上げる自衛隊幹部。
表向きとは言え、2005年に政府で承認された第二次遷都計画の要である第三新東京市を吹き飛ばすしか『敵を倒す手段を持ち合わせない』軍事組織の幹部が自分たちだという自覚は今の彼らの頭にはない。
ただ純粋に勝ったことを喜び、敵の脅威から日本が守られたことを祝福する、一兵卒レベルの思考で喜び勇み勝ち誇っていた。
「・・・残念ながら、君たちの出番はなかったようだな?」
別の一人が身体ごと振り返り碇を見つめ、嫌味ったらしく言ってくるのをネルフ司令官は聞き流す。
そして思う。“コイツらは、使徒が攻めてくる度に第三新東京市を吹き飛ばす防衛策でも立案して参謀本部に提出する気でもあるのか?”――と。
『衝撃波、来ます』
彼の皮肉で無意味な思索は、オペレーターからの報告で画面を見上げる口実を得たお陰で中断させることが出来たのだった。
「大丈夫だったぁ?」
ミサトが尋ねる。場所は再び車の停めてある道路。――正しくは、道路“跡”だが地図上表記では今現在もそこは道路となっているので道路と呼んで問題はあるまい。
人は真実を求めるものだとしても、社会が求めるのは政府が記載し登録した記録と表示だけなのだから。
「・・・えぇ・・・。口の中がシャリシャリしましゅけど・・・」
少年が答えた。
爆発の際に口をしっかり閉じているより、頭頂部から圧迫してくる二つの柔らかく巨大な肉塊に気を取られてしまった思春期少年に相応しい相応の末路が声にあらわれていた。
「そいつは結構。――じゃあ、いくわよ? せーの!!」
『んーーーっ!!!』
グッと、力を込めて背中から押し、立ったまま戻らなくなった車を水平位置に戻すため一人の女と一人の少年は出会って最初の共同作業に力一杯従事する。
「ふぇ~・・・、何とか戻せたわぁー・・・。どうもありがとう、助かったわ」
「いえ、ボクの方こそ。葛城さん」
オバサン臭い息の付き方をして、葛城ミサトは隣に立つ少年に声を掛けつつ礼を言い、言われた相手である少年は対照的に大人びた礼儀正しさで感謝をし返す。
「ミサト・・・でいいわよ。あらためてよろしくね? 碇シンジくん」
「――はいっ」
ほんの僅かに声を弾ませながら答える『碇シンジ』と呼ばれた少年。
サングラスを外しながら颯爽と返してきたミサトは美人であり、画になる構図ではあったが、一方で彼らの周囲は砂だらけ廃車も一部が吹き飛んできているなど『機械墓場』じみた空気を醸し出していたのも事実ではあったので、この場に客観的視点を持つ第三者がいた場合には滑稽なものとしか写らなかったことであろう。絶対にだ。
なにしろ、“第三者として居合わせてしまった彼女の目には”彼らの姿が嘘偽り無くその様にしか写っていなかったのだから――――。
「三流ドラマの定番じみたやり取りしてないで、持つの代わってくれませんかね? 結構重かったんですよ、コレ・・・」
「うわっ!? ビックリした・・・気づいたら居なくなってたと思ったら、今までどこ行ってたのよ貴女? ―――って、あら?
それって、もしかしなくても非常時に使う車のバッテリーなんじゃあ・・・」
言われて少女は、ドシャッ!と音を立ててミサトの前にソレを置く。
三つの予備バッテリー。
自分とシンジが肉体労働に励んでいた頃、彼女は頭脳労働とばかりに近くに吹き飛ばされてきていた廃車か、廃車になり掛かっている誰かのマイカーから掻っ払ってきていたらしい。
「・・・国際公務員の権限乱用して徴発してくるつもりだったのに、先を越されちゃったわね。――念のため聞いとくけど、よかったの?」
「――――フンッ!」
「うわっ! その『お前が動かないからやってやったんだ感謝しろ』的、上から目線で鼻息吐くの腹立つガキだわー」
「冗談です」
それだけ言って、一瞬前までの偉そうな態度と表情はナリを潜め、代わっていつもの不貞不貞しいポーカーフェイスな表情に取って代わられる。
「オレとしては、一秒でも早くここから離れられるなら何でも良かった。もう一度アレを食らった後に、今と同じで存在できてる保障はないですからねぇ。
とっとと逃げるため、使える物を廃品回収してきただけです。こんな所に置き去りにして盗まれる方が悪い。
被災地で盗みや盗難が多発しやすいのは周知の事実なんですから、盗難防止策は徹底しておきませんとね」
悪びれない少女の言いようが妙に気に入ったらしく、ミサトは楽しそうな笑い声を上げて彼女を見つめ、次いで忘れていた自己紹介の続きを再開させた。
「丁度、自己紹介しあっていた所だったのよ。私は葛城ミサト。で、こっちが碇シンジくん。
――あなたは?」
「『尾形ユリ』です。呼び方はご自由にどうぞ。
名前なんて親が子供の了解もなしに勝手に決める記号なんで興味ないですからねぇ。あだ名でも略称でも蔑称でもお好きなものを選んで勝手に呼んでください。返事したくなったらしますので、どうぞお好きなようにテキトーに」
ユリの言葉を聞いた二人はそれぞれ親に対して蟠りを持つ者であったため、若干ではあるが表情をしかめる。
とは言え、相手の口調から見ても声音から見ても、悪意が無いのは明らかだったため頭を振って割り切って、ミサトはユリにお願い事を申し入れた。
「・・・それじゃあ、ユリちゃんね。あなた機械関係は得意かしら?」
「得意と言えるほど大した腕じゃありませんが、少なくとも下手ではないレベルですかね」
「じゃあ、バッテリー接続するの手伝って。動けるようになったら直ぐ本部に向かうわよ」
了承し、比較的スペースのある後部座席へと非常用バッテリーを持って運んでいくユリと応急処置に勤しみ出すミサト。見ていることしか出来ない得意科目のない平々凡々な男子中学生シンジ。
三者三様で回り始めた運命の歯車は、今、ネルフ本部地下の作戦司令室で加速を始める。
「冬月、お荷物なお客様方がようやくお帰りになってくれた。ここからは我々が今作戦の指揮権を引き継ぐことになる」
「やっとかね。やれやれ、肩をこらされる連中だ・・・しかし、国連軍もお手上げのこの状況を我々だけでどう捌くつもりなんだ?」
「初号機を起動させる」
「初号機をか・・・しかし、パイロットがいないぞ?」
「問題ない。もう一人の予備が届く」
冷然とした口調で、葛城ミサトが油塗れになって届けようとしている碇シンジという名の『自分の息子』を物であるかの様に言い放つ。
そして、息子に対して言ったとき以上に冷たく感情のこもらない、『使い捨ての道具』について思い出したような口調でこう付け加える。
「・・・もし、仮に予備が即戦力として使い物にならなくても、彼女が目覚めるまで死なせさえしなければ勝てるさ。なにひとつ問題はあるまい」
「なるほどな。その為に彼女を“ついで”として呼び寄せた訳か」
「ああ。本命にはなんとしても生き残ってもらわなくてはならないからな。その為にも敵を引きつけておく囮役の餌は必要不可欠だからな・・・」