「うーん・・・逃げ場のない飛行船と言ってはみましたが・・・甘く見積もりすぎましたかね? 思ってたより断然広すぎますよコレは・・・」
途方に暮れたような声でエルククゥがつぶやいたのは、空港ジャック犯アルフレッドの後を追ってハッチから続く先にある飛行船に突入し、しばらく経った頃のことである。
罠にはめるため逃げ込んだわけだから、当然自分の居場所へといたる痕跡を微妙に残してくれているのだけど如何せん。よくわからない。
別に軍の特殊部隊隊員でもなければ暗殺者でもなく、ごく普通に腕利きのハンターでしかない彼女にはハンター同士で使われる記号や合い言葉などは知っていても、基本的に非合法任務をこなすために育成されていたアルフレッドの使う符牒などを理解できる博識さは持ち合わせていない。地道に探索するより他に道はなかったのである。
「はぁ~・・・しんど・・・。
――んん?」
何個目かの部屋の中を見終わって外に出て、次の部屋にはいて欲しいなーとか思っていたところ・・・ビンゴだ。何者かの気配が次の部屋の奥から感じられていた。
「ここですかねぇ? とりあえずまぁ、お邪魔しまーす」
気楽に挨拶しながら油断はせずに、室内へと歩を進めていくエルククゥ。
敵が自分から刃を突き立てに来てくれたら探し出す手間が省けて楽なのに・・・そんな甘い幻想を夢見つつ、室内に入室した彼女を待っていたのは厳しくてお先真っ暗な現実の暗闇。
「・・・暗いですねぇ・・・ブレーカーでも落ちてるんでしょうか・・・?」
白い目つきでつぶやく一言。
比喩ではなく、本当に暗い。物質的にと言うか地形的な背景が真っ暗闇に包まれていたのである。
機械の駆動音が重なり合って響いてる点から察すると機関室かなにかだと思われるのだが、それにしても暗い。何も見えない。それこそ足下の一歩先さえ見通せない人生の如く。
「ちっ・・・、いっそのこと適当にそこらにある機械の一つに火でもつけてやりましょうかね・・・。そうしたら慌てて犯人が消火しに来るかもしれませんし・・・」
危ない発言を半ば本気でつぶやく少女エルククゥ。どうやら先程までの不快感が徒労と暗闇の暗さで少しぶり返してしまっているらしい。
彼女自身に自覚はないが、こういう発言や行動が周囲の人間から見ても異常としか思えぬところが多く見られるため自らにつけられた二つ名の他に、もう一つの不名誉な渾名が奉られている事実を彼女は知らされていない。
即ち、『放火魔・エルククゥ』と。
「すいませーん、もしこの部屋に空港ジャック犯さんが逃げ込んでる場合は出てきてくださーい。出~ない~と、エンジンに火をつけるぞ~♪」
おいバカやめろと、人間だったら誰もが止めるキチガイ台詞を無表情顔で無感動に言い放ち、エルククゥが暗闇の室内に大きく一歩を踏み出すと。
・・・・・・グルルルルゥゥ・・・・・・
「ん?」
獣の唸り声らしきものが聞こえてきた。
思わず小首をかしげてしまう。
獣? 飛行船の中で? しかも式典参加予定の要人達が集っているアルディア空港のど真ん中近くに停めてある船の中で? ――なにがなんだか全く訳がワカリマセンヨ・・・。
「はぁ・・・」
またしても溜息を吐いて幸せを逃し、普通に部屋の奥へと進んでいく。
そうすれば自然と見えてくる物もある。
暗闇に浮かぶ獣特有の赤く光る両眼。
獲物の肌と肉に突き立てるため、極限まで磨き上げられて光る牙。
間違いない、オオカミ型のモンスター・キラードッグだ!
・・・変な術を使うだけで体は人間型をしている空港ジャック犯じゃ全然無かった・・・・・・。
「だめよ! パンディット。こっちへ来なさい」
脱力するあまり隙だらけになったエルククゥを、襲いかかる好機と見たらしい敵モンスターが飛び出そうとした寸前に声がかかり、キラードッグは大人しく引き下がって後方へ退く。
そしてまるで計っていたかのようなタイミングで照明の電源が回復し、室内を明るく照らし出す。
それらの照明がスポットライトであるかのように、『彼女』の姿を優しい光で照らし出したのだ・・・・・・。
「やめて!! この子は、何もしてないわ。
ただ私を守ってくれてただけの子を、傷つけるようなマネしないで!」
白銀の毛皮に輝くオオカミの前に立ちはだかり、まるで自分より強大な力を持つモンスターの母親として守り抜こうとする母親であると宣言するかの如く。
金髪の長い髪をした、民族衣装と思しき変わった衣を纏った少女が昂然とした態度でエルククゥを強い視線で睨み付けながら断言する。
この子を傷つけないで。この子は私の友達なのだから、と。
それはか弱い少女の見た目に反して、彼女の中に眠る心の強さを物語る物であっただろう。芯の強さと優しさを体現するものであったはずなのだろう。
だが、しかし。
「・・・・・・・・・???」
――そもそも『モンスターだから』と言うだけで他種族を傷つける趣味は持たないエルククゥにとってみれば、相手の言ってる意味そのものが良く理解できていなかったので些か以上に空回りしていたのにはどちらの少女に同情すればいいのだろうね・・・?
「この子は、大丈夫。私には逆らわないわ。だから!」
「はあ」
生返事を返し、ポリポリと頬を指でかいて「どうしたもんかなー、コレ・・・」と軽く途方に暮れるエルククゥ。
さっぱり答えの出ないまま、相手の少女も黙りこくったまま睨み付けてくるばかりで説明補足をしてくれる気配もなく、そもそも自分は何しにこの部屋へ入ってきてたんだっけ?と疑問に思ってから、ようやっと答えらしい答えを口に出す。
「えっと・・・あなた方が私に見なかったことにして欲しいようでしたら、その通りにしますので一つだけ教えていただけませんかね? この飛行船に逃げ込んできた人物を目撃されたりはしておりませんか? 私、その人物を追いかけてるんで知ってたら教えていただきたいんですけども」
「・・・・・・」
「あ、知らないか言いたくないようでしたら別にいいんで、気にしないでください。どのみち自分でも探すつもりでいましたし、楽できるならしたいなーって思っただけですから。それじゃ」
「あなた――」
「・・・はい?」
立ち去ろうとしたら呼び止められて振り向いて、
「私を捜しているんじゃないのね?」
――聞いてるのはこっちなんだけどな~。と心の中で思ってはみたものの、先程の失敗が尾を引いてるので口には出さずに別のことを口にする。
「あなたが私の何を警戒しているのかは存じませんし、聞き出したいとも思いませんが、ひとつだけ誤解の訂正を。
私は、人里を襲って害をなすモンスターという名の害獣が嫌いだから殺すのをお仕事にしているだけの人間です。
人の形をしてないだけで、友達を守ろうと体張ってる友達さんを殺そうとする下劣な人柄になった覚えはありません。そんな連中と一緒くたにするのはやめてください、不愉快ですから」
「!!!」
「では、そう言うことですので失礼いたします」
そう言うことって、どういう事なんだろうと自分でもよくわからない屁理屈を適当に並べ立てながら部屋を後にしようとしたエルククゥ。
「待って!」
――うん、もうなんでもいいや。最後まで話を聞いてあげてから出て行った方が早い気がしてきたし。
半ば悟りを開いたような心地で腰を落ち着けるエルククゥ。
そんな彼女に相手の少女は意外な頼み事をしてきたのである。
「・・・私をここから逃がして欲しいの」
「逃がす?」
「わけは言えないけど、この船には――」
少女が何かを言おうとした瞬間、部屋の外から悲鳴と共に誰かの助けを呼ぶ声が響いてきた。
「ギャーッ、助けてくれー!」
「・・・・・・」
悲鳴にゆっくりと振り返るエルククゥ。
敵の意図は明白すぎるほど明らかだったから、特に焦る必要性はないと感じていたからだ。
「・・・パーティーの準備と飾り付けが終わったみたいですねぇ・・・」
敵に所在を知られていない追われる側が、わざわざ犠牲者を出して悲鳴を上げさせてまで自分の居場所を声高に宣言する理由は一つだけ。
『俺はここだ。ここに居る。俺の首が欲しいならここへ来い。
歓迎パーティーの準備は終わったところだぞ』
と、言うわけだ。仕事柄、誘いに乗らないわけにはいかないとは言え、杓子定規に相手の望みを叶えてやる義理があるわけでもない。
「あなた、この船から逃がして欲しいと言いましたよね?」
「え? えぇ・・・そうだけど・・・それが、なに?」
「だったら――」
エルククゥの空虚な瞳が怪しく光る。
その先に見つめるのは、一人の少女と一匹のモンスター。
戦力として未知数な一人と、確実に戦力になる一匹の大型オオカミ。
「手を貸してください。助けてもらった分は報酬として、あなた達を安全な場所まで確実に送り届けることでお支払い致しましょう。この商談、引き受けていただけませんか?」
目を丸くする白い衣を纏った金髪の少女。
手を差し出しながら瞳を細め、薄く微笑む黒瞳の少女。
それは完全に光と影のコントラストをグロテスクに現したとしか思えない、ショパン辺りがお似合いの光と音の協奏曲。その始まりを告げるファンファーレにぴったりのアリアであった。
そして場所は飛行船の甲板、最終局面へと移行する・・・・・・。
「どーも、お待たせしました。遅れて申し訳ありませんでしたねぇ?」
「・・・・・・」
道化た口調で甲板に上がってきたエルククゥは話しかけ、声をかけられた相手は甲板の前方先へと続いている、何処か遠くに居る誰かでも見つめているような遠い目をして黙りこくっている。
「こういう場合は、お約束を遵守して『追い詰めたぜ』とか言うべきものなのでしょうか? それとも『どうした? もう逃げないのか?』の方がお好みでしたかね?
私としては、やられ役の悪役みたいで好きな言い草ではないんですけどね」
「ふっ・・・」
犯人は振り返ることなく前方を見つめたまま静かに嗤い、
「お前は今、追い詰めたといったな?」
余裕と勝利の確信と共に結論づける。
「違うな・・・」
つまりは、死刑。
“勝つのはお前ではなく、この俺だ!”――と。
「お前が誘い込まれたんだよ。間抜けなハンターめ!」
叫んで、最後まで取っておいた切り札を使用する。
それはモンスターの召喚。
本来は人の言うことなど聞くはずもない獣同然の彼らであっても、とある一族を研究した結果、部分的に使役するのと召喚するのとを可能ならしめた実験的な術式。
未完成故、たった一回の使用が限界ではあるものの、たった一人を誘き出して仕留めるには十分すぎる数が喚び出すことが出来る性能は付与させてある!
「これでどうだ! 傷ついた身体で、この数相手に戦いきれるか? 不可能だろう?」」
「・・・・・・」
「だから俺様が親切に言ってやったんだ! “勝負はまだついちゃいねぇ”ってな! 人の忠告を聞こうとしなかったテメェが悪い!
学校で教わらなかったか? 『大人の言うことは素直に聞きましょう』ってな! ふははははははっ!!」
「・・・・・・」
相手の高笑いを聞き流しつつ、時間を口の中だけで数えて三十秒ほど経過した頃、
「・・・もうそろそろいいでしょうかね・・・」
と呟いて、槍を持っていない左手を天に掲げる。
「あん? テメェ一体何やって・・・・・・なに!?」
犯人は最初、その行動をいぶかしみ、次いで驚愕した。
空から光の柱が降りてきたかと思うと、相手の目に見えて傷ついていた服の破れ目などの切り傷がみるみる塞がっていくのが見えていたからだ。
「もう大丈夫よ。これで、思い切り戦えるわ」
「ですね。身体に力が戻ってきましたよ。“毎度の事ですが”、ありがとうございました」
「くっ・・・!!」
悔しそうに唇をかんだアルフレッドは、このとき完全にエルククゥの心理戦に引っかかってしまっていたことに気づいていなかった。
彼はこのとき、こう思っていたのである。
(まさか・・・追い詰めたと思い込まされて誘い込まれたのは、コイツじゃなく俺の方だったのか!?)
――と。
無論、実際にはそうではない。
エルククゥにはアルフレッドの罠を予想できはしても、どれだけの陣容を揃えてくるかも、どのような手段で用意する気なのかも、それらに対処する上で自分が用立てた追加戦力だけで足りるのかどうかも全部未知数な未来予想図でしかなかったのだから、自分の方が敵を追い詰めるなんて夢のまた夢でしかない。
だが、彼女がそのように思考できたのは自分が『挑む側』であり『挑まざるを得なくされたチャレンジャーでしかない』と弱者の立場を自覚していたからだった。
罠を敷いて待ち構えている側に切り込むのだから、地の利が敵にあるのは道理。その点に於いて攻める側が守る側に勝る要素は1ミリもなし。
そう割り切っていたからこそ、可能性に賭けるしかない状況下で平然と不利な立場を受け入れられていたのであるが、アルフレッドの場合は事情がやや異なる。
彼には策を弄して敵を陥れて手に入れた優位性という、足枷が付けられていた。
自分が相手にしたことを、相手もまた自分にしてくるのではないか? という疑惑は人間と似た欲望を持つ者たち誰しもが抱いてしまう永遠の悪夢である。
“人は他者の中に自分と同じ鬼を見る”と言う。
今のアルフレッドの陥ってしまった心理は、まさにそれだった。
人は相手も自分と同じように考え、同じように思うことを当たり前だと信じ込みやすい欠陥を持っている。
特に、劣等感や嫉妬心など負の感情に囚われている者たちと、特権におごり高ぶって一つの価値基準を絶対と信じたい願望を抱いた人間に、そうなりやすい傾向が強く現れている。
空港ロビーにいた三馬鹿トリオが良い例と言えるだろう。
エルククゥはああいう心の腐敗と対極にいる人間だったが、アルフレッドは置かれ続けた劣悪な境遇により特権階級への憧れと、自分自身の無力さに対する劣等感の双方を強く持ち合わせていたから、どうしても『手に入れた優位性』には固執してしまう。
だからこそ陥ってしまった、権力闘争じみた三流俗物思考。
戦場に立つ一人の戦士には必要の無い、むしろ邪魔でしかないそれらを彼は求めていたから、一度は手に入ってしまったそれらが失われていく過程に見果てぬ夢の残滓を用いてしまいたくなる理由も、まぁ判らないわけでもない。
「では、決着を付けると致しましょうかね?」
「くぅっ・・・!!」
こうして数を増したチーム戦という形で再開された、アルフレッド対エルククゥの戦いであったが、相変わらずアルフレッドにとってはハンディマッチであるという事実に変わりは生じてくれなかった。
なにしろ罠を張って待ち構えて数で押し潰そうとしていたところ、罠を見抜かれ逆利用され(勘違いだけど)優位と信じた立ち位置を一挙に引っ繰り返されてしまったのだから無理もない。
「奴等、ただ者じゃない・・・ちくしょう!
ここまで来て死んでたまるか!! 俺は生きる! 生きるんだ! 生きて必ず姉さんと再会して! それから!!」」
――モンスター達を指揮しなければならない召喚者自身が、最初から思考が逃げにかかってしまっていた。これでは勝てない。
敵をおびき寄せて挟み撃ちにする調虎離山をしかけた結果、逆に背水の陣を敷かねばならなくなった彼の立場としては命を捨てるつもりで前に出なければ逆に命を失ってしまう状況なのに、それが理解できていないのだから勝ちようがない。
尤も、これは必ずしも彼の責任とは言い切れないだろう。
彼は肉体的に不安定な状態に改造されてしまっているのだから、精神だけが不動というわけにはそうそういかない。身体に心が引っ張られて心身共に不安定にならざるを得ない境遇に彼はずっと置かれ続けてきたのだから仕方の無い部分は多々あることだろう。
だが、それでも。
どのような事情があろうと今このときだけ彼は全てを割り切り全力を出し尽くすべきだったのだ。生き残るため、死ぬつもりで戦いを挑まなければならない状況なのだと己を納得させなければいけない場面だったのだから。
どんなに自分が多くの事情を抱えていようとも、敵にはそんなもの関係ない。敵はただ、自分の都合を押しつけてくるだけの存在なのだから。事情を聞いてもらうためにはまず、彼は勝たなければならなかったのだから。
そんな状況下で勝利よりも、命を惜しんでしまったこと。
それが彼の敗因。彼の任務失敗理由。彼が殺されなければならなくなった致命的な遠因。
彼はやはり、どこまで行っても犯罪者には向いていない、ごく普通の愛情いっぱいに育てられてきた弟であり、お姉ちゃん想いの少年が成長した姿に過ぎなかった。
――たかだか特別な力を与えられた程度で、人は特別な存在になれない。
力の入れ物に相応しい中身を注ぎ込めないままでは、入れ物に中身の支配権を握られてしまう。
力は道具、術は道具、強さも道具。
剣や槍と同じ敵と戦い倒すために使う限りは、武器と同じ道具として見なすことが出来なければ戦士に至ることができない。ただの『力持ちな乱暴者』に留まってしまう。
それでは、その程度では彼女に勝てない。必ずや敗北させられてしまうだろう。
何故ならエルククゥという少女は―――
「テメェなんかに・・・テメェみたいな苦労知らずのガキ風情にこの俺が倒せるとでも本気で思ってんのかテメェはよぉぉぉぉぉぉっ!?」
「さあ?」
「そんな質問、私に答えを聞くより自分で答えを出してしまった方が早いと思いますけれど?」
―――自分自身さえ勝敗を図る計器の一つ、武器という名の道具の一種に数えられる精神の持ち主だったのだから―――。
「はい、これで終わり。ゲームセットです。ご苦労様でした」
ザシュ!
つづく