※読了後、こんなの千雨じゃないという感想を持つかもしれません。大丈夫、あなたは正常です。
※たんたんと進みます。魔法なんて使いません。というか魔法の知識なんてありません。ついでにギャグもありません。
※こちら調査兵団索敵班はもうしばらくお待ちください。
以上の注意事項に留意し本編を読んでください。
そこはこじんまりという表現が似合う小さな喫茶店だ。白い屋根に白塗りの壁、見た目は西洋で見るようなペンションハウスに似ている。そのシックな見た目は店の外から見る分には中々にお洒落なのだが、吊るされたコルクボードに店の名前と今日のオススメが書かれた紙が画鋲でとめられているだけで、一見すると喫茶店には見えないのかもしれない。
事実として、何年も麻帆良に住んでいる私、長谷川千雨がこの喫茶店に気付いたのはほんの半年ほど前だ。あるいはそれに気がつかないほどに追い詰められていたのかもしれない。
オープンと英語で書かれた木彫りの札を確認し、古めかしい押し扉をゆっくりと開く。ぎぃぃ、という木の軋む音と共にからんからん、とカウベルの音が私を歓迎する。店内から漏れる暖かな光がほんの少しだけ眩しく感じた。
見た目同様、中もこじんまりとした内装だ。カウンター席が5つ、テーブル席が3つの小さな喫茶店。若い人が好んで入るような、俗に言うチャラい喫茶店ではない。特別目を引くようなものが置いてあるわけではないし、はっきり言って地味だ。しかしベージュとブラウンで構成された店内は地味だけれど無性に安らぐような、そんな気持ちを抱かせてくれる。茜色の西日が窓から差し、一種の幻想さを醸し出している店内は外とくらべ、時がゆっくりと流れているようだった。誰も座っていない席はノスタルジーを感じさせる。
音楽を魅せて奏でるような演奏のクラシックと、音楽を楽しみ体で弾くような演奏のジャズが混じったクラシックジャズのBGM。さして音楽には詳しくないけれど、店内の様子とマッチしたいい音楽だと思う。
狭い店内の真正面のカウンター席はダイニングキッチンのようになっており、一人の男性がスタッキンググラスを磨いていた。年齢は二十歳前後ほどで銀縁メガネが特徴的。図書館から抜け出したような文学青年、という雰囲気の喫茶店のマスター。何故か猫のアップリケがあしらわれたエプロンをかけており、ちょっとしたギャップを演出している。無類の猫好きらしいが喫茶店なので飼えず、せめて気分だけでも味わいたいとの事らしかった。
「ああ、おはようございます、長谷川さん」
グラススタンドにスタッキンググラスを掛け、マスターが私に声をかける。細身の体格には若干似合わないほどの低い声は父親を連想させる。夕方なのに『おはよう』とは妙だし、普通客には『いらっしゃいませ』が正しいのだが、これはマスターの悪癖らしい。マスターは言った後に言い間違いに気付き、ちょっと照れたように笑いながらいらっしゃいませ、と小声で言った。
「おはよう、マスター」
私がカウンター席に座りながらからかうようにそう言うと、マスターは逃げるように注文を聞いてきた。その様子は赤点が見つかった時の小学生のようだった。人をからかうのは結構好きな癖に自分が受け身に回るとマスターは途端に弱くなるのだ。
ニヤニヤ笑う私の姿をクラスメートが見れば一様に驚くだろう。クラス内の私は必要以上に喋らないタイプだし、冷淡なイメージで固定されている。対人恐怖症気味の私がこんなにも打ち解けるようになるとは、半年前の私も思わなかっただろう。
「じゃあ、水出しコーヒー。ホットで」
私の注文に頷き、少々お待ちくださいと一言残し背を向ける。キッチンには水出しコーヒーの器具、大きな砂時計に似たウォータードリッパーが置いてある。
水出しコーヒーとは文字通り、お湯ではなく水を用いるという抽出法だ。この方法により香りが逃げずに、そのまま珈琲に封じ込められ、良質な甘味と柔らかい苦味が引き出されるらしい。全てマスターの受け売りだ。少々値が張るが、このコーヒーを飲むと他の喫茶店のコーヒーなど泥水同然のように感じてしまう。チェーン店のものなどもってのほかで、缶コーヒーに関しては論外だ。
ただ水出しコーヒーにも欠点がある。大きなものとして抽出時間の長さだろうか。このコーヒーを一から作るとなると、短くても数時間はかかってしまう。だから基本的には前日のうちからストックを作っておくのが普通だとか。私が頼んだのはホットだから、待ち時間はコーヒーを温めなおす数分間だ。
「お待たせしました」
マスターが私の方に振り向き、流れるような動作でコーヒーを私の前に置いた。ソーサーと木製の机が接触する軽い音が私以外の誰もいない店内で響いた。
砂糖もミルクも入れずに、コーヒーを口に運ぶ。酸味のやや薄く、ほろ苦い香りが私の鼻を刺激する。
特段コーヒー通というわけでもないが、美味しいと素直にそう思った。捻くれ者の私だが、このコーヒーに関しては文句のつけようがない。
これだけ美味しいコーヒーがあるのに、客のいない店内の殺風景な様子が不思議でたまらない。おそらく立地的な要因だろう。
「落ち着きましたか?」
コーヒーを半分ほど残し、一息ついた私にマスターが声をかける。
「あー、そんな風に見えましたか?後何度も言いますけど、私の方が年下なんですから敬語はいいですよ」
私も敬語を使っているが、この人相手だとタメ口よりも敬語の方がしっくり来る。人付き合いを事務的にこなすため、という初期の理由をズルズルと引きずってしまった結果でもあるが、最近は油断するとタメ口で話してしまいそうになる。別にそれでもかまわないといえばかまわないのだが、ちょっとした気恥ずかしさを覚えてしまう。
「接客業ですからね、敬語はもう癖みたいなものです。それとワタシの目には落ち着きがないように見えましたが?」
「……マスターってなんか人間観察とか得意そうですよね」
若干失礼な事を言いつつ、暗に正解だと認める。半年間の付き合いだが、この人に口で勝ったためしがない。
「悩みごとですか?」
「悩み事というかなんというか、自分でも分からないんですけどね――――」
悩み、なのだろうかこれは。悩みというよりもっと深く、救いようがない類のものなような気がする。クラスメイトと諍いがあった、成績が下がってしまった、などというものではなく。例えて言うならば、台風に巻き込まれて全てを無くし、これからどうやって生きていけばいいのだろうかと自問することに似ているように感じる。大いなる自然の脅威に無自覚のまま晒されているような、漠然とした不安感が胸を巣食っているのだ。
「取りあえずそれを吐き出してはどうでしょう。今日もそのつもりで来たのでは?」
「ええ、まあ」
この喫茶店には週に1回ほどのペースで来店するが、そのほとんどがマスターに愚痴をぶちまけることが目的だ。マスターは聞き上手というのか、固く結ばれた紐を解かしていくかのように私の心の裡を引き出してくれる。そして最も重要な事はマスターが私の主観から見て、至極マトモな人間であるという点だ。
「マスター、麻帆良って何ですか?」
麻帆良を一言で表すと?という疑問が投げかけられたら、私は間髪入れずに『異常』と返すだろう。世界樹とかいう明らかに限度の超えた巨木。メートル単位で吹っ飛ぶ学生。何故か集まる天才集団。学校に通うロボットを筆頭に女子中学生とは思えない濃い面子。オリンピック選手顔負けの速度で爆走する女子中学生に、トドメは10歳の教師だ。これが異常でないとすれば異常の定義がおかしいのか、麻帆良学園が異常者を集めた隔離施設かのどちらかだ。
「麻帆良とは何か、か。中々難しい質問ですね。参考程度に長谷川さんの意見を聞かせてもらえませんか?」
「何度も言いますけど、私にとっては全部が異常ですよ。だってどう考えたってありえないじゃないですか、例えばあの世界樹、どう思います?」
私はそう言い、ガラス越しに確認できる世界樹を指さす。
「でっかいですねぇ……。ここに初めて来たときは思わず放心しましたね」
ちなみにワタシはあれをエクスデスと呼んでます、と余計な注釈を入れるマスター。
「でかすぎるんですよ!あれ270メートルですよ!?ふざけんな!マウンテンアッシュの2倍近いじゃねーか!」
最後は感情が高ぶりすぎて敬語が抜け落ちた。力説する私をマスターが落ち着くように手で制する。いつものように柔和な笑みを浮かべるマスターの顔は私を落ち着かせてくれた。
「確かにありえない大きさですが、現実としてそこに存在している以上、認めざるを得ないでしょう?それにワタシは学者ではないですからね、あの大きさの樹が存在することにおかしいと断言することはできません」
まったくもって正論だ。論より証拠とはまさにこのことで、証拠そのものが堂々と鎮座している以上、結論は揺るぎない。私だって植物学者ではないので分からないが、もしかしたら理論上あの大きさの樹の存在は可能なのかもしれない。だが理解は出来てもそれが納得に繋がるかどうかはまた別の問題だ。少なくとも私は納得していない。
「それでも限度がありますよ。世界樹はまあいいとして、他はどうです?オリンピック選手顔負けの速度で走る学生なんてどうですか?」
「羨ましいですね。ワタシは運動が不得意ですから」
見当違いな事をいうマスターに、私はそうじゃねーよと心の中で突っ込みを入れておく。
「まあ実際に記録を測ったわけでもないですし、オリンピック選手顔負けとは誇張しすぎでは?それとも長谷川さんはオリンピック選手の走りを間近で見た経験があるのですか?」
「それは……ないですけど」
痛い所を突かれ、言葉に詰まる。テレビ越しよりも間近で見た方が迫力が大きいのは自明だ。目の前の迫力に圧倒された思い過ごし、ということは確かにありえる。
「じゃあ、マスターは麻帆良がおかしくないって言うんですか?」
追い詰められた私は苦し紛れにそう言う。子供が拗ねたような――事実私は女子中学生という子供だが――物言いにマスターは苦笑する。
「いや、ワタシも麻帆良はおかしい思いますよ。どこがどうと言われると言葉に詰まりますがね。ですが、ただ目の前の事実に目を背け否定することは現実逃避と同じではありませんか?」
マスターの現実逃避という言葉に私はハンマーで殴られたような強い衝撃を感じた。
「現実逃避、ですか……」
「言っておきますけど、長谷川さんの『麻帆良はおかしいのではないか』という疑問そのものを否定するわけではありませんよ。むしろ、物事に疑問を覚えることは良いことだと思います。ですが疑問だけに囚われるだけの人生なんてきっとつまらないものですよ」
脳裏には底抜けに明るいクラスメートの顔が思い起こされる。一部を除いてどいつもこいつも楽しそうに人生を送っているな、と羨んだこともあった。今思えばあれはただの僻みだった。
「苦悩は人生のスパイスとも言いますからね。時々悩んで、それを糧に人生を楽しめばいいんじゃないですか?」
最後はそんな言葉で締めくくる。なんとなくではあるが、マスターの実感がこもっているように思えた。だがそれは――――
「結局、それってなんの解決にもなってなくないですか?」
「まあそうですね」
私の言葉をマスターはあっさり認めた。あまりのあっさり具合に拍子抜けしたぐらいだ。半目で睨む私を見たマスターは弁解するように口を開く。
「だって悩みなんて大なり小なり誰もが人生の中で味わっていくものですし、生きる上で切り離せないものですよ。だったらせめてポシティブに捉えましょう、という話です」
それが中々難しいんですけどね、と言葉の最後に付け加えた。
悩みなんて誰もが抱えているものだ、ということを私は忘れていたのかもしれない。私だけが重荷を背負っているわけではなく、多少の差はあれど誰のが苦悩を抱えて生きている。
そう、それは私のクラスメートだって同じなはずだ。多分。
……ごめん、ちょっと想像できない。
「じゃあマスターには何か悩みがあるんですか?」
「店内を見れば分かるでしょう」
話を転換しようと投げかけた疑問にマスターは即答する。ガラガラである。閑古鳥が鳴いているとはこういう時に使うのか。憮然とした表情のマスターに気を使って言葉には出さなかったが。
「あー……売上、大丈夫なんですか?」
「……まさか中学生に店の心配をされるとは。一応固定客もいますからなんとか黒字ですよ」
哀れむような私の表情を読み取ったマスターは流石に心外そうだった。何やら大人の自尊心を傷つけられたようだが、多い時でも片手で数えることができる程度の客しか来ない喫茶店に自尊心もなにもないだろう。
「宣伝とかしないんですか?コーヒーは美味しいんですから、リピーターは期待できると思いますけど」
「うーん、確かにワタシもコーヒーには自信はありますけどね……」
煮え切らない態度である。なにかに迷っているようにも見える。
「何か理由でもあるんですか?」
「そうですね……空気を壊したくない、からですかね」
ポツリとそうこぼした。
「空気?」
「ええ。ワタシは喫茶店というものは単にコーヒーや軽食を提供すればいいというわけではないと思っています。空間であったり雰囲気であったり、そういった目には見えないものもサービスとして提供したい、とね。今の雰囲気を壊したくないんですよ。客を呼び込みたくないなんて喫茶店のマスターとしては失格なのかもしれませんけど」
少しばかり、私は驚いた。マスターはマスターなりに自分の考えと信念を持って喫茶店を経営しているらしい。ただその結果がぎりぎり黒字という結果を招いていることがなんともアレだが。だが確かに落ち着いた店だということもこの店の魅力の一つなのかもしれない。騒がしい店内など、この店にはそぐわない。
大仰な言い方になってしまうが、私にとってこの店は数少ない心の安らぐ場所なのだ。自室の次、いやもしかしたら優先順位はこちらの方が上なのかもしれない。それにもしこの喫茶店に客が入ってマスターが忙しくなると――――いや、これ以上はやめておこう。深みに嵌まりそうだ。
「お客さんは入って欲しいですけど、必要以上に入って欲しくない。傲慢な考えだとは分かっているのですがね。そういった意味で長谷川さんはとてもありがたいお客さんですよ」
マスターはそう言い、スタッキンググラスを磨く作業に戻る。あまり触れられたくない部分なのだろう。
そんなマスターの様子を横目で見ながら、私は温くなったコーヒーを口に運ぶ。温くてもコーヒーは変わらず美味しかった。コーヒーを飲み終えるのと日が沈むのはほぼ同時。門限の都合もあるため、30分ほどの滞在だが、店を出ることにする。
鞄の財布から500円硬貨と100円硬貨を一枚ずつ取り出し、マスターに手渡す。計600円の支出は女子中学生の懐事情からすると高価な部類だが、このコーヒーにはそれだけの価値があると思う。
ありがとうございます、というマスターの言葉を背にドアの取っ手に手を掛けるが、ドアを引く前に思い出す。
一言、言葉を残しておかないと。
「来週も、また来ますね」
「――――ええ、またのお越しをお待ちしております」
喫茶店のマスターと客の会話。ただそれだけのワンシーン。
それでも私にとってそれは、とても心地の良いものだった。
外は既に薄暗く、街灯が点滅を始めた頃だった。ふわりと風が吹き、辺りに植えられた7分咲きの桜の花弁を揺らす。日中は暖かくなってきたが日が沈むとまだ冷える。その証拠に息を吐くと僅かに白く濁る。三月末とはそんな季節の節目だ。
気分は悪くない。寧ろ調子がいい方だろう。明日からまたあの騒がしい面々と付き合う羽目になるのに不思議なものだ。結局は気持ちの持ちようでどうにでもなる、ということだろうか。それでも悩みは未だ晴れず、私の将来はきっと暗雲が立ち込めているのだろう。
けれども、立ち向かっていこうという気概は湧いた。
おそらく、というか確実に私の薄っぺらい気概程度ではどうにもならずストレスを溜め込んでしまうだろう、という負の面での自信はある。けれど別にそれでもいいのではないのだろうか。
私はただの女子中学生で、それに見合った程度のことしかできない。それはしょうがないし、仕方のないことでもある。
乗り越えられない困難の壁にすぐそこまでに迫っているだろうけど、きっと大丈夫だと今は思える。
私には愚痴を聞いてくれる、お人よしな喫茶店のマスターがついているのだから。
後ろを振り返ると当然だが喫茶店が目に入る。明日から学校が始まり、私は中学3年生になる。そして私は一杯のコーヒーを飲むために、この喫茶店に足を運ぶのだろう。
需要がないと自分でも分かっていますが、書きたかったので書きました。こういう日常とか普段の生活の描写はすごく楽しいですし、筆が進みます。白紙の状態から書き始めて4時間強ほどで仕上がりました。
一言でもいいので感想などよろしくお願いします。また要望等ありましたら是非書いてください。