勘違いしないでよね!
1年間365日の中で本当に何もない日というのはきっと存在しない。祝日や記念日といったカレンダーに載せられているもの以外に、例えば親しい人の誕生日であったり個人とってはちょっとした特別な日であったり。今日なにげなく過ごしている日というのは誰かにとっての特別な日。それはもちろん私にも例外なくあてはまるわけで。
今日という日が他人にとってどれだけありきたりな1日であったとしても、私にとって今日は特別な日だ。
平常心平常心、と息を整える。深呼吸をし心臓の鼓動を落ち着かせる。いつも何気なく開いている喫茶店の扉が深淵へと続くような魔界の扉に見えてきた。それは間違いなく錯覚なんだろうけど、それくらいの重度のプレッシャーを感じさせるのだ。
私がなぜこんな魔王に挑む勇者の如く必死の覚悟で喫茶店の扉と対峙しているのか、話は今から1週間前に遡る。
誕生日というのは誰にでも等しくやってくるもので、それはマスターも同じ。以前の雑談でさりげなく誕生日を聞き出していた私は普段から世話になっているということもあってなにか贈り物をしようと画策していた。問題は一体なにを贈れば喜んでもらえるかというところで、正直なところ何をプレゼントしたらいいのか皆目見当もつかなかった。
マスターがどんな人物かと聞かれると、案外その質問に答えるのは困窮する。
マスターは若いにも関わらずどこか老獪な雰囲気を漂わせていて、若者にありがちな快活さというか、そういうものがそっくり抜け落ちている。その代わりにあるものが齢を重ねた老人のような安心感で、話していると時折この人は本当に見た目通りの年齢なのだろうかと勘繰ってしまうことがある。
物欲が薄く、悟りを開いた僧侶のような超然とした態度を見せることもあり、そういった姿勢はまるで最近の若者らしくない。初めて出会った時の印象は落ち着きがあって穏やかそうな人というものだったが、交流を深めていって改めてマスターの人物像を脳内で構成していくと、この人もこの人でどこかしらが一般人とかけ離れている気がしてならない。勿論、それが悪いというわけではないけれど。
――――分からん。
数日悩んで出した結論がそれだった。とはいえその時は焦ってはいなかった。まだ誕生日までには十分な時間があったし、いつかアイデアも浮かぶだろうと思っていたのだ。
そんな考えのまま1日また1日と過ぎてゆき、あれよあれよという間に誕生日は1週間後に迫っていた。
誰かの協力を仰ぐというのは気恥ずかしさも相まって避けたかったが、タイムリミットが迫っているこの状況でそんな我を通すわけにもいかず、親しい友人に相談を持ちかけることにした。
「男の人が貰って喜ぶようなもの、ですか?」
「ああ。その、マスターの誕生日が来週でさ、なにか渡そうと思うんだけど何も思い浮かばなくてさ」
相談相手は同室の聡美だ。一番気安い相手であるし、マッドなところを除けば良識もあるほうだ。少なくとも誰かに吹聴するようなことはないだろう。少なくとも、早乙女あたりよりはよっぽど信頼できる。あいつもあいつで引き際くらいは弁えているが、その引き際の線引きがかなりシビアだ。
特に親しいということないし、ラブ臭どうこう言っているから初めから選択肢にすら入っていないが。神楽坂は親身になってくれそうだが、あの子供教師が事態を引っ掻き回してくれそうな予感があったため今回の件では頼らないことにした。
「女子校通いだし男の人と喋る機会なんて殆どないだろ?でも聡美はよく大学に行ってるから、なんか思いつくかなって」
何しろ私の身近な異性といえば父親とマスター、担任の子供教師くらいだ。年上の異性に誕生日プレゼントを贈りたいけど何がいいかなんて流石に父親には尋ねられないし、子供教師に至っては論外だろう。もしもそんな暴挙にでたら自身の尊厳をいくつか失いそうだ。
交友関係が極端に狭い私と違って、聡美は工学関係でよく大学に赴いているためか交友関係は広いし、大学ならマスターと同じ年頃の男なんてたくさんいるだろう。
「誕生日プレゼントというわけですか。そうですねえ、研究室の人達ならパソコンのマザーボードでもあげれば喜びますけど」
「いやまあ、マスターは喜ばないんじゃねーかな」
マスターは喜ばないどころか工学関係の代物を貰って喜ぶのは一部の工学マニアくらいだろう。私だってパソコンの扱いには多少自信はあるが、そんなものを貰ってもどうしようもない。置き場所に困るだけだ。
やっぱりそうですよね、と言うあたり聡美も本気で言ったわけではないらしい。うーん、と顎に手を置き考える。
「やっぱりコーヒーに関係するグッズとかはどうですか?」
「それは考えなかったわけじゃないけど、大抵の代物はマスターが持ってるからなぁ・・・」
「あー、成程」
マスターといえばコーヒーと等号で結べるほどだが、だからこそコーヒーに関連する商品は抑えているだろうし、マスターが持っていないだろうという商品は高価すぎて私では手が出せない。ちなみに今回の私の予算は5000円ほど。
「田中さん(仮)を喫茶店用にカスタムするというのはどうでしょうか?」
「いや、それはやめとく」
聡美の提案に私はほぼ反射的に首を横に振った。田中さん(仮)がどんなものかは知らないが、どうせ麻帆良工科大学の粋を集めて作られた明らかにオーバーテクノロジーなロボットだろう。目からビームでも出そうだ。そんな物騒なものあの喫茶店に配置させるわけにはいかないし、それは聡美からの贈り物であって私からの贈り物ではない。
私にとっての誤算は聡美もまがりなりにもあの3-Aの面子の1人ということだった。貶すわけではないが、聡美も大分一般人からは感性がズレている。普段から年上の男性との付き合いがあるから良い意見を聞けると思ったが、聡美にとって大学生達は一緒に馬鹿をやる悪友の関係に近いらしい。友人以上の付き合いはないとのこと。結論としては失礼な話かもしれないが聡美は大して役に立たないということがわかっただけだった。
「喫茶店でしたら衛生面が気になるでしょうし、お掃除ロボというのは?」
「あの喫茶店は掃除の手間がかかるほどの広さはないし、あの人けっこうアナログだからな。多分もらっても使わないと思う」
「ならメイドロボ!メイドロボはどうですか!ほら、男のロマンですよ!?」
「・・・とりあえず工学関係から離れてくれねーかな」
あーでもないこーでもないと話しあうものの、実りのある結果はなにもでなかった。
「誕生日に何が欲しいか、ですか?」
「ええ、来週マスターの誕生日じゃないですか」
聡美との話し合いを終えた私はいつもの喫茶店でマスターにそう尋ねていた。何を贈ればいいかわからない?なら本人に聞けばいいじゃない、と開きなおったわけではない。話題を振ってマスターから情報を引き出そうとしたところ、あっさり看破され逆に口を割らされたというなんとも情けない結果だ。頭隠して尻隠さず状態の私は傍から見ればただの間抜けだったようで、微笑ましそうにするマスターの表情の意味を理解した私は羞恥に顔を染めた。
「そんな気を遣わなくてもいいんですよ?店の売り上げで言えばお世話になっているのはむしろワタシの方ですし」
「ハハハ、まあいいじゃないかマスター。他人の好意は素直に受け取っておくものだよ」
そう言うのは私の1つ席を挟んで座っている高畑。私の援護射撃をしてくれているようだが、先ほど私の口を割らされた時にへらへら笑っていたあたりいまいち信用ならない。うるせえアンタは黙って唐揚げ食ってろと内心毒づいて鬱憤を晴らす。
「とは言いましてもね。欲しいもの、欲しいものねえ・・・」
数分間ほど唸るように考え込んで出したマスターの答えは
「――――そうですね。パっとは思いつきませんね」
特にないらしい。それが遠慮とかではないからタチが悪い。
「そういう答えが一番困るんですけど」
なんでもいいというのは自由度は高いということだが、その正解を手繰り寄せるのはとても難しい。自分で考えて文章を書いて答える問題と三択の記号問題、どちらが難しいかと聞かれれば圧倒的に前者だろう。
「ワタシは高校を卒業して一人で麻帆良に来ましたからね。交友関係も広いとはいえませんし、祝ってもらえるだけで充分ですよ」
「つまりだね千雨君、マスターはこう言ってるんだ。――――君から貰えるものならなんでも嬉しい」
むう、と難しい顔の私を見た高畑が余計な茶々を入れる。多分教師という立場が無かったらつま先を意図的に踏んづける程度のことはしてるだろう。というか学校での高畑と喫茶店での高畑は大分性格が違うような気がする。なんというか、いつもよりも子供っぽい。胡乱気な私の視線に気づいたのか、高畑が苦笑しながらコーヒーを口に運ぶ。
「まあ、実際のところ高畑さんの言う通りですね。千雨さんからもらえるものならなんだって嬉しいですよ」
こういう台詞を臆面もなく堂々と言ってのけるのがマスターの厄介なところでもある。自分の言葉の1つ1つがどんな影響力を持っているのか、この人はまるで理解できていないのだ。
「そういうのって自分のセンスが問われるから困るんですよね・・・」
実際のところ私が何を贈ったとしてもマスターは喜んでくれるんだろう。なんでもいいやと割り切れたら簡単なんだろうけど、優柔不断な私の性格ではそれも難しい。釣果はボウズ。マスターと高畑に恥を晒されたあげくハードルが上がっただけだ。今日は厄日だ、と項垂れる。
「せめて具体的でなくてもいいですから、こういう感じのものがいいとかありませんか?」
「・・・まあ、強いていうならこの喫茶店の雰囲気に合うようなものですかね」
「雰囲気にあうもの、ですか?」
それもまた難しい注文だ。より難易度が上がった気がする。結局は私のセンスが問われるわけで。どっこいしょと爺臭く腰を上げる。マスターと高畑の悪乗りの相乗効果は馬鹿にはできない。これ以上二人の玩具になるつもりはなかったので、今日のところは退散することにする。
「おや千雨さん、帰られますか?」
「はい、御馳走様でした」
いつものように500円を手渡し、店を出ようとする。今日が丸1日時間が取れる最後の日になるだろうから、街へ繰り出して色々と物色しなければならないのだ。
「ああ、そうだ千雨君」
私が扉の取っ手に手を掛けるのと同時、背後の高畑から呼びかけられる。私は渋々と―――勿論それを表情に出すような真似はしないが―――振り向き、なんですか、と高畑に尋ねる。
視界に入った高畑の顔はこれまでのへらへらとした軽薄そうな笑顔ではなかった。だからといって教師の顔ではない。それはまるで娘の成長を喜ぶ父親のような純粋そうな顔で、
「頑張りなさい」
高畑はそう言った。なにをだ、とは聞かなかった。
気持ちが籠っていればいいなんて言ってくれたけど、気持ちを込めたゴミを渡したところで喜んでくれるはずもなく。結局主軸になるのはどんなものを贈るかということだ。当たり前といえばそうなのだが。
人混みの雑踏の中に紛れ、そんなことを思う。
マスターの性格や『喫茶店の雰囲気に合うもの』という限定条件があるものの、どうにも抽象的で上手く範囲を狭めることが難しい。喫茶店の雰囲気に合うものという点から、聡美が提案したロボットの類は無理だろう。時代に逆行しているかのような喫茶店にロボットは壊滅的に似合っていない。
置き物ならやはりアンティークの類だろうか。ピンキリだが、小さくて安いものなら私の予算でも手に入る。ただこのあたりは私のセンスがモロに反映されるからあまり手を出したくないというのが本音だ。もし失敗したら漬物石の代わりにもならない。リスクが重すぎる。
「お?」
考え事をしながらぼけっと無計画に歩いていたせいか、街の中核を少し抜けたところの公園に出てしまう。それだけなら引き返せばいいだけだが、私は逆に公園の中へと歩を進める。
公園は普段とは別段の賑わいを見せていた。整えられた芝生の上にはブルーシートが引かれ、その上には洋服や小物の類がところせましと並べられている。そんな光景が公園の至るところで見ることができた。
有志によって開かれたフリーマーケットだろう。
別になにか期待があったわけではない。ちょっとばかり歩き疲れたというのもあるし、半分くらいは気分転換の気もあった。だからまあ、このフリーマーケットで誕生日プレゼントを発見できたことは僥倖と言ってもいいだろう。
なんとなく、活動報告をはじめてみました。なにかありましたらこちらへどうぞ。