長谷川千雨は喫茶店に足を運ぶ   作:Mamama

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コーヒーを淹れた→8字
今回の話でコーヒーを淹れるために使った文字数→1710字
あ、あれ・・・・?

※完全に趣味に走ってます、今更な気もしますが
※新しい登場人物がいますが、また眼鏡です。ここまで全員見事に眼鏡
※思春期にありそうな、口にだすのがちょっと恥ずかしい友情を書こうとしましたが、筆者が恥ずかしくなっただけでした。

以上の注意事項に留意し、本編をご覧ください。


3話

 ピピピ、という無機質な機械音に頭を揺さぶられ、私の意識が急浮上する。その音源は安っぽい作りの目覚まし時計だ。目を擦りながら手探りで目覚まし時計を探り当て、叩き付けるように音を止めた。眠気を振り払うようにベッドの上で背伸びする。吸い込んだ息には、昨日飲んだマンデリンの苦味が残っているように感じた。

 

夜遅くまでネットサーフィンをやっていることが多いためか、元々私は朝に強い方ではなかった。ただ喫茶店に通うようになってから、私は喫茶店に行った日にはパソコンに触らないという不文律を打ち立てていたから、今日の目覚めはいつもと比べて爽快だ。

 

そんなことをする明確な理由というのは自分でもわからないけれど、きっと喫茶店の余韻を楽しみたいのだと推測している。パソコンをいじっている時間も楽しいけれど、機械相手というのはあの喫茶店と正反対の冷徹さを感じてしまうのだ。ネットの中でしか居場所がないはずなのに、そんな風に少しずつ変わる自分が嫌いではなかった。

 

いつも掛けている伊達メガネを手に取り、ベッドから起き上がる。まず行ったことはカーテンを全開にして朝の光を部屋の中に取り入れることだ。眩しさに目を細めそのまま30秒ほど日光浴。そこで完全に意識が覚醒した。

 

次に部屋に取り付けられているキッチンへ向かう。手に取ったのは銅のポットだ。時代を逆行するかのような古めかしいデザインのそれは私の愛用品だ、宝物と言ってもいいかもしれない。コーヒーやお茶は銅のポットで淹れることで味がよくなるらしい。一応これには理由があって銅には銅イオン効果があり、超微量の銅が水中でイオン化。 塩素を分解して水をまろやかにしてくれる、とのこと。

 

理屈というのは確かに大事だ。物事には理屈や根拠が必要だと思うし、私もそれを第一に考えている。だからこそ麻帆良をおかしいと思っているわけだし。

 

けれど、きっとこれにはそんな細かい理由なんて必要ない。古めかしい銅のポットのデザインがコーヒーを美味しくしてくれる、それで十分だと思う。マスターが使っているものと同じデザインだから、これを買った背景にはそんな下心も少しあったけれど。

 

使う水は水道水ではなく、スーパーで買ってきた軟水ミネラルウォーター。日本の水道水は世界的に見ても質が高いから水道水を使っても十分美味しいものが作れるが、それでも塩素の放つカルキ臭さはどうしても残ってしまうし、朝一の水道水は前日からたまっているものだからあまり使いたくない。

 

同室の葉加瀬には拘りすぎだ、と呆れられてしまったけれど、私の淹れるコーヒーなんてマスターの足元にも及んでいない。勿論使っている豆の品質にも差があるが、もっと根本的な技量の問題に大きな差がある。単なる経験の違いならば経験を積むことで追いつける余地はあるが、絶対に真似できないと確信できるものがある。それはコーヒーを淹れるマスターの動きだ。

 

フレアバーテンディングのような魅せる派手なパフォーマンスではないけれど、ゆったりとしているようで流れるような動きでコーヒーを淹れるマスター。その姿を頭の中でイメージしてトレースしても、序盤で既に追いつけなくなってしまう。

 

スタンドミラーを使って見てみたが、私のコーヒーを淹れる動きなどマスターに比べると性能の悪いポンコツロボット以下だ。きっと、あの流れるような動きを客が見ることでコーヒーも美味しく感じるようになるのではないか、と私は踏んでいる。

 

水に火をかけ沸騰するまでには少し時間の猶予がある。その時間を使ってドリッパーとペーパーフィルターを用意する。ペーパーフィルターは喫茶店で使われている余りを譲ってもらったもので、ドリッパーはuniflameコーヒーバネット。

 

ドリッパーだけで味が変わるのかと思うかもしれないが、別の水を使っているんじゃないかと思ってしまうほど口当たりがなめらかになるのだ。ペーパーフィルターをドリッパーにセット。コーヒー粉も入れ、サーバーに装着。

 

それとほぼ同時にお湯が沸く。それをいきなり注ぐのではなく、火を止めて暫し観察する。美味しいコーヒーを作るにあたって沸騰したお湯をそのまま使ってはならないというのは鉄則だ。お湯の理想の温度は95℃前後。表面のボコボコとした泡が鎮まったときが抽出に理想的な温度だ。

 

次に美味しいコーヒーを淹れるために最も重要な工程、蒸らしに入る。

初めにコーヒー粉に少量のお湯をそっと乗せるように注ぎ、粉全体に均一にお湯を含ませてから、20秒ほどそのままにして蒸らす。こうすることでお湯の通り道ができ、コーヒー粉とお湯が馴染みやすくなる。

 

蒸らしに入れるお湯の量は今日使うコーヒー粉から考えると20ccほどがベスト。この工程でお湯を多く注いでしまうと蒸らしが不完全になってしまう。銅ポットの注ぎ口は細口で調整がしやすいので大助かりだ。数ccレベルの調整など量販店に売っているヤカン如きには到底不可能な領域だ。

 

蒸らしが終わり、最後にお湯を抽出していく。小さな螺旋を描くようにゆっくりとお湯を注ぐ。丁度の量を見極めないと味のバランスが崩れてしまうのでここでも繊細な注意を払う。コーヒーを一杯いれるのは見た目以上に神経を使う作業だと、実際に自分で淹れるようになってから気づいた。

 

雨の雫が滴り落ちるようにコーヒーが出来上がっていく。サーバーからドリッパーを外すと閉じ込められていた香りが一斉に外に飛び出してくる。その香りを嗅いで今日の出来は中々だ、と自画自賛。

 

「うぅん・・。おはようございます・・・」

 

 コーヒーの香りに釣られたのか、同室の葉加瀬がふらふらとした足取りで、眼鏡をかけたまま目を擦るという器用な真似をしながらキッチンに現れた。ブラウスに下着一枚という危険極まりない出で立ちだ。女子寮だからといって緩みすぎではないだろうか。普段大学の研究室で寝泊まりすることが多いらしいので同室としてちょっと心配になる。

 

「おはよう、葉加瀬。コーヒー出来てるけど飲むか?」

 

「ふぁい」

 

 欠伸か肯定なのか分からない返事をする葉加瀬。昨夜もロボット工学に情熱を傾けすぎて徹夜でもしたのか、足取りどころか首まで振り子のようにかっくんかっくんと揺れている。その姿からは葉加瀬が超に次ぐ麻帆良学園のブレインとは到底思えない。

 

「・・・しょうがねーな」

 

 溜息を吐きながら、私は葉加瀬の手を引き、ダイニングテーブルの席に座らせる。あのまま転んだりしたら怪我でもしかねないからだ。うにゃー、と猫のような唸り声をあげて葉加瀬は机に突っ伏す。そのまま二度寝しかねない様子の葉加瀬だったが、私がコーヒーを持ってくると顔をあげマグカップを受け取った。そのままこくこくと半分ほど飲むとようやく覚醒したらしく、目つきがはっきりしてきた。

 

「今日の出来はどうだ?」

 

「・・・美味しいですね」

 

 ほう、と息をつき葉加瀬がそう言う。葉加瀬も眠気を抑えるためによくコーヒーを飲むらしく、コーヒーの良し悪しを多少は理解できるのだという。

 

「また腕が上がったんじゃないですか?」

 

 喫茶店に通うようになってから週に何回かコーヒーを淹れるようになった私だが、自分一人では独りよがりになってしまうので、葉加瀬がいる時にはこうやって飲んでもらい感想を聞いている。今回のは中々好感触。

 

「そうか?」

 

 私も席についてコーヒーを飲んでみる。口に含み、喉を通過していく。むぅ、と私は唸った。それは感嘆の唸り声ではなく、微妙という意味でだ。確かにそこらの缶コーヒー程度に負けるほどの味ではないという自信はあるが、まだまだ改善の余地はある。少なくともマスターの淹れるコーヒーとは雲泥の差がある。あれに比べると私の淹れたコーヒーなどまさに泥水だろう。

 

「・・・55点ってとこだな。深い苦味より浅い渋みが勝っちまってる。多分蒸らしの時間が足りてなかったのと、抽出のお湯が少なかったのが原因だろうな。それに酸味も強すぎる気がする。甘さも足りてない」

 

 香りが結構良かったのでいい出来かと思い蓋を開けたらこれだ。及第点もあげられない。そんな私の厳しい評価に葉加瀬は、私は美味しいと思うんですけどねー、と言ってくれる。その評価は嬉しいけれど私が思い描く味には程遠い。

 

「やっぱ粉じゃなくて焙煎から始めるべきかもな」

 

 少々値は張るが、コーヒーミルの購入を検討するべきかもしれない。

 

「いやでも、素人の焙煎なんて逆に不味くなるか?ホームロースターも買う必要があるし・・・」

 

「ほ、本格的ですね」

 

 思い悩む私を見た葉加瀬はちょっと引いたようだった。

 

「私としては美味しいコーヒーにあやかることができますから止める理由はないですけど、なんでそんなコーヒーに拘るんですか?」

 

「ん、喫茶店で凄く美味いコーヒー飲んでな。その味に追いついてみたいって思ったんだよ」

 

 私の答えに納得いったようで、成程と葉加瀬が頷き、

 

「じゃあ、長谷川さんの雰囲気が柔らかくなったのもその喫茶店の影響かもしれないですね」

 

 そんな聞き捨てならないことを言った。

 

「はぁ?私の雰囲気が柔らかくなったって?別にそんなことないだろ」

 

「そうですか?1年くらい前の長谷川さんでしたら寝ぼけてる私を心配して席に座らせてくれるなんてしなかったと思いますよ」

 

「いやそれぐらい・・・しなかったかもな」

 

 失敬な葉加瀬の物言いを否定することはできなかった。以前の私なら極力人との接触を避けていただろうし。悲しいことに葉加瀬の言葉に納得してしまっている自分がいる。その喫茶店でなにかあったんですか?と葉加瀬が聞いてきた。

 

「・・・その喫茶店のマスターと話すようになったぐらいだよ。ちょっとした心境の変化だ、たいしたことじゃない」

 

 コーヒーを飲むふりをしてマグカップを顔を隠すように傾ける。それが昨日高畑がやっていた動作とまったく同じであることをやってから気づいた。

 

「へぇ・・・。長谷川さん、ちょっと聞きたいんですけど」

 

「なんだよ?」

 

 葉加瀬のメガネがキラーンと光ったような気がした。日光の反射でそう見えただけなんだろうけど。

 

「その喫茶店のマスターさんって男の人ですか?」

 

「まぁ、そうだけど」

 

 この時点で葉加瀬の言いたいことが予想できた。

 

「もしかして、その人のこと好きなんですか?」

 

「・・・どうなんだろうな」

 

 コーヒーの水面に視線を落とし、私は静かに言った。そんな私に対して葉加瀬は驚いたようだった。意表を突かれた、というか狙った反応が得られなかったからだろう。

 

「あ、あれ?そこは『はぁ!?べ、別にあんな奴好きじゃねーから!』と言うべきではありませんか?長谷川さんのキャラ的に考えて」

 

「私はツンデレかよ。そんなこと言う奴、リアルにいるわけ・・・神楽坂ぐらいだろ、言うのは」

 

 発言途中に神楽坂ならいかにも言いそうな台詞であったことに気付く。後、特に理由はないがマクダウェルあたりも言いそうな気がする。

 

「でも否定しないのは意外でしたよ。てっきり顔を赤らめて否定するものとばかり」

 

 意外なのは私も同じだ。科学に魂を売ったとまで言われている葉加瀬が他人の色恋沙汰に興味を示すなんて。こいつにも年相応な部分があったのか。

 

「そこのマスターと話して落ち着くってのは本当だ。でもそれが恋愛感情かどうかなんて分かんねぇよ」

 

 自嘲するように私は言う。

 

「ほら、私って友達いないだろ?そういうのもあるしさ」

 

 一歩間違えば引きこもりの道まっしぐらの私に親しい友人なんていない。親しくしているのはマスターくらいだから、親しみの感情を恋愛感情と間違えてしまう可能性は無きにも非ずだ。尊敬や敬愛、そういった気持ちを抱いていることは確実だけれど。

 

一つの壁が私の前に立ち塞がっている。それは今の私でも十分乗り越えられる高さだ。けれど、壁の向こうになにがあるのかは分からない。だから進むのが怖くて、きっと私の足は竦んでいる。そんな妄想が頭に浮かんだ。

 

「え、なに言ってるんですか?」

 

 そんなことを考えていた私に向かって、きょとんとした顔で葉加瀬は言った。

 

「私達、友達じゃないですか。相談してくださいよー」

 

 そんなことを、何の気なしに。麻帆良のマッドサイエンティストと名高き葉加瀬聡美。けれど同時に彼女は中学生でもあって。間延びした声でそんなことを言ってのほほんと笑う葉加瀬の顔は、どこにでもいる少女の顔だった。

 

葉加瀬の何気ない一言に私がそれだけ嬉しいと思ったかなんて、どれだけ価値があったかなんて、葉加瀬はきっと分かっていない。だから私は、そっか、と重さを感じさせない軽い声で答える。

 

「あれ?長谷川さん、どうしたんですか?いきなり上向いたりして」

 

「なんでもねーよ。ちょっとコーヒーが目に染みただけだ」

 

 どんな言い訳だと自分でも突っ込むけれど、葉加瀬はなにも言わなかった。

 

「・・・なぁ葉加瀬」

 

「なんですか?」

 

「・・・ありがと」

 

「どういたしまして」

 

 そんな会話を葉加瀬と向き合って、朝のダイニングテーブルでする。今の雰囲気は少しばかり喫茶店の空気と似ている、そんな風に思った。弛緩した空気の中、そういえば、と葉加瀬が思い出したように言う。

 

「今日のコーヒーはいつもと淹れている種類と違いましたよね?なんていう名前なんですか?」

 

「ああ、今日淹れたコーヒーは――――」

 

 今でこそ水出しコーヒーにハマっている私だが、実は初めてあの喫茶店で飲んだのは水出しコーヒーではなかった。あの喫茶店の記念すべき一杯目は今日淹れてみたコーヒーと同じ種類のものだ。私が初めて飲んだその味を、きっと私は一生忘れない。それは文字通り、私の世界を変えてくれたのだから。

 

たかがコーヒーなんて馬鹿にする人がいるかもしれないけれど、本当に切っ掛けなんてものは些細なものだと思う。きっと人間の本質なんて単純なものだ。

 

半年が経過した今でもすべてを思い出せる。そのコーヒーの味だけではなく、喫茶店の景色、聞いた言葉、匂いや色さえも。例えて言うなら、それはまるで頭の中であの日の分だけフィルムを焼いたかのようだった。鮮明に、鮮烈に、克明に、はっきりと。

 

芳醇な香りと柔らかな酸味、深くまろやかなコクが特徴のコーヒー。口に入れると優しい苦味が広がり、後味にはまるでミルクチョコレートのような甘さが広がる。奥に感じる柑橘系を感じさせる良質な酸は、さらにコクと甘味を引き立てる、そんな味わいだった。

「――――エメラルドマウンテンっていうんだ」

 

 ブラックでも感じる甘さは、まるで私に足りていないものを補ってくれるような、そんな優しい味わいだった。それはちょうど、今のように。

 

 そんな風に話しをしているうちに結構な時間が経過していた。コーヒーは染みになりやすいので一度水で濯いでそのまま放置する。寝間着から制服に着替え支度をし終えると、走ってギリギリ間に合うか、という時間になっていた。新田の巌のような厳しい顔を思い出してゲンナリする。

 

「ほら、急がないと遅れちゃいますよ!」

 

 既に遅れた気分でいる私が玄関に向かうと、既に支度を終えた葉加瀬が律儀にも待っていた。

 

「・・・いや、先に行ってろよ。セグウェイで行けば十分間に合うだろ?」

 

 私がそう突っ込むと葉加瀬は思い当たったかのような表情を浮かべた。セグウェイの存在を忘れていたらしい。葉加瀬らしからぬ凡ミスだ。

 

「きょ、今日は気分じゃないんですよ!」

 

 葉加瀬らしくない、非論理的な反論だ。こんな葉加瀬もまた珍しい。

 

「ほら急いで!走りますよ千雨さん!」

 

 誤魔化すようにそう言い、私を手を引っ張り、葉加瀬は自然に私の名前を呼んだ。神楽坂や一部の生徒も私のことを名前を呼ぶけれど、それとは重さが違う。初めから距離が近かったのと、距離が近くなったという隔絶とした違い。

 

「ああ、分かったよ。聡美」

 

 私は観念するようにそう言って、眩しい朝日の中へ飛び出していく。友人から伸ばされた手を、離さないようにしっかりと握りしめて。

 

 




前回の唐揚定食云々の伏線を回収しようと思いましたが、例によって今回も暴走しました。この話の内容は元々は1000字程度だったんですが。唐揚定食は多分次の話ですると思います。

今回は葉加瀬聡美を登場させました。アニメ版では同室だったようなので。
原作では出番は少なかったので割と自由にしゃべらせることができました。

本編でのコーヒーの淹れ方はUCC公式ホームページを参考にしています。さすがに銅のポットとかに拘るのはやりすぎかもしれませんが、蒸らしは意識すればすぐにできることですので、自分でコーヒーを淹れる際には是非心がけてみてください。


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