長谷川千雨は喫茶店に足を運ぶ   作:Mamama

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少し遅れました。

※今回はどちらかと言えばマスターがメインになっています。
※どんな人にも悩み、挫折、始まりがあるんだ的な話を書きたかったんですが、仕上がりは自分のイメージとちょっとかけ離れたものになってしまいました。
※今更ですがベタな展開です。

以上の注意事項に留意し本編をご覧ください




4話

 私がいつものように喫茶店の扉を開けるとコーヒーとは違う、なにやら油っぽい匂いを鼻が感じ取った。油っぽいといってもそれは決して不快なものなどではなく、食欲をそそる香ばしい匂いだ。

 

入口から確認できるキッチンを見ると、マスターが何故か菜箸を持っていた。コンロにかけられているのは大きなサイズの中華鍋。高火力に設定されているのか中華鍋の入れてあるであろう、油の弾ける音が耳に届く。コンロを高火力に設定している影響か、店内の温度がいつもより高いように感じた。

 

「おは・・・いらっしゃいませ、長谷川さん。今日はいつもより早いですね」

 

 私の姿を見たマスターは中華鍋の前に立ったまま挨拶。おはようございます、を言い繕って焦ったせいか、若干イントネーションがおかしなことになっていた。ただ以前よりはリカバリーが上手になっている。

 

「どうもです、マスター。何を作っているんですか?」

 

 いつもの指定席に座り、真剣な表情で中華鍋を見ているマスターに話しかける。

 

「ああ、これはですね」

 

 そこでマスターは言葉を切り、菜箸を素早く中華鍋に突っ込んでいく。慣れた手付きで中華鍋から中のものを引っ張り上げる。その正体は先週高畑が食べていたのと同じ唐揚だった。中華鍋の中の唐揚を全てキッチンペーパーを敷いた皿に乗せると、マスターはその皿を手に持ちキッチンから出てきた。

 

「見ての通り、唐揚を作っていたんですよ」

 

 個数は計6個。見事な狐色に揚がった唐揚は確かに美味しそうではあるのだが、客が一人もいないのに何故そんなものを作るのか。色々と言いたいことはあったが、私にできたのは、そうですか、と言うことだけだった。

 

「注文はいつもの水出しコーヒーでいいですか?」

 

「はい。あ、でも今日はアイスでお願いします」

 

「あー、揚げ物してましたからね」

 

 マスターは作ったばかりの唐揚をテーブルの上にそのまま放置し、再びキッチンへ向かう。大型の冷蔵庫から取り出したのは冷えた水出しコーヒーの入ったピッチャーだ。コーヒーグラスに水出しコーヒーを注ぎ、そこに大粒の氷を浮かべれば完成。煮沸という一工程を省いた水出しコーヒーはすぐに出てきた。

 

コーヒーグラスの大粒の氷はまだ春の季節なのに早くも夏を感じさせる。フレックスストローで軽く混ぜると、擦れあった大粒の氷がカランと音を立て、清涼感を演出する。ストローからコーヒーを吸い上げると、いつものホットとはまた別の味わい。

 

いつも飲んでいる水出しコーヒとの違いはホットとアイスくらいのものだが、清涼な喉越しは苦味や酸味を爽やかなものにしてくれている。アイスコーヒーも悪くない、なんて思いながら私は疑問に思っていた唐揚定食についてマスターに尋ねることにする。

 

「先週も言いましたけど、なんで裏メニューが唐揚定食なんですか?正直、あまりこの喫茶店には似合わない気がするんですけど」

 

 他にも理由があるって言ってましたよね、と言う私にマスターは私との視線を反らし、困ったような、どこか恥ずかしがるような顔をして言った。

 

「勿論理由はありますけど。・・・あー、聞きますか?」

 

 是非、と私は頷を頷いた。

 

「なんというか、ワタシにとって家庭の味だからですよ」

 

 少しばかり悩むように考えた末にマスターの口から出てきたのはそんな要領を得ない答えだった。要領を得ないというか、意図的に誤魔化しているような言い方だった。だから出しているんですよ、と言われてもそれは理由といえるものではないだろう。

 

「マスターにとっての家庭の味、ですか」

 

「ええ、ワタシの家では祝い事があったりすると家族が一番好きだった唐揚を作るハウスルールがあったんですよ。唐揚の時は家族が全員そろって食卓につきますから、ワタシにとって家族の象徴なんです」

 

 これもまた雰囲気作りの一環です、とマスターは言った。雰囲気作りのために裏メニューとして唐揚定食を提供している。成程、と私は納得するが今度は先ほどの疑問をさらに突っ込んだ疑問が浮かんでくる。

 

「家庭の味が雰囲気作りの一環ということですか?」

 

 私の言葉にマスターは、しまった、とでも言いたげな表情を浮かべる。知らず知らずのうちに核心部分を突いていたらしい。視線を彷徨わせるマスターの姿からそれは明白だ。マスターのその困った姿をもうちょっと見ていたいという気持ちもあったが、誰にだって踏み込んでほしくない領域がある、というのは私も分かっているつもりだ。

 

「詳しく聞かないほうがいいなら、私も聞きませんけど」

 

「そういうわけではないのですが・・・」

 

 照れたように、マスターは頬を搔く。

 

「少しばかり恥ずかしい昔話が関係しているのですよ。・・・ちょっと長くなりますけど、聞きますか?

 

 是非、と私は頷いた。マスターはコップスタンドに掛けてあったタンブラーにピッチャーの水をなみなみ注ぎ、それを一気に飲みほした。

 

「長谷川さんのお父さんは厳しい方ですか?」

 

 そう切り出したマスターの口調は淡々としたものだった。喫茶店の話から随分と話が飛んだように見えるが、マスターが時たまこういった思いもよらない切り口で物事を語る時は何か重要な話をする時だ、と半年間の経験で私は学んでいた。

 

「怒る時は怒りますけど、結構温和な方だと思います」

 

「・・・ワタシの父さんは昭和の頑固親父という表現がしっくりくる人でした。暴力を振るったりはしませんでしたけど、随分と厳しい父親で正直ワタシは父さんが好きではありませんでした。父さんの方もいつもむっつりした顔でね。仲も良いというわけではありませんでした。ただ」

 

 マスターはそこで言葉を切り、空のタンブラーに水を追加する。再び飲み干すマスターの姿は酒に逃げようとして一気飲みしている中年オヤジのようにも見えた。素面では語れない、ということなのだろうか。もちろん、水で酔えるわけはないのだけれど。

 

「ワタシの淹れたコーヒーだけは美味しいって言ってくれましてね。よく淹れさせられたものです。思えば、父さんに褒められたのはコーヒーの味だけでしたね」

 

そこで懐古するようにマスターは笑った。

 

「マスターのコーヒー好きって子供時代からだったんですね」

 

 幼い頃のマスターが背伸びをしてコーヒーを淹れている、私の脳裏にはそんな情景が簡単に目に浮かんだ。マスターは幼い頃から全然変わっていない、私はそう思っていたが、

 

「いいえ、そうではありません」

 

「へ?」

 

 マスターから飛び出したのは私の予想を裏切る否定の言葉だった。

 

「ワタシはね、コーヒーを淹れるのも飲むのも好きではありませんでしたよ。だって父さんが褒めてくれたのはコーヒーの腕だけで、ワタシという個人を褒めてくれたことは一度もありませんでしたから。あの頃、家の中ではコーヒー製造マシーンに徹していましたね」

 

 コーヒーを飲むのも淹れるのも好きではないと言う。ならば、マスターの人生の分水嶺はどこにあったのだろうか。私にとってマスターとはコーヒーに対し飽くなき情熱を燃やしている、というイメージで、コーヒーという要素を抜いたマスターなど想像できなかった。

 

「じゃあなんで・・・」

 

「実はワタシが高校1年生の時に父さんが脳梗塞で倒れて半年ほど入院してしまったんですよ。家でコーヒーを飲むのは父さんだけでしたからワタシは家でコーヒーを淹れなくなりました。でもいざコーヒーから離れてみると寂しいもので。その時気づいたんですよ、ワタシにとってコーヒーは好きとか嫌いとか、そんな言葉で語れるようなものではないと」

 

 なにせ一番幼い頃の思い出がコーヒーを飲んでいる自分でしたから、もう体の一部のようなものです、とマスターは言う。例えば自分の体に好き嫌いなんて感情は抱かず、あることが当然と思うように。マスターにとってコーヒーとはそういうものであると。

 

「父さんが倒れてしまって、家庭は一変した、というわけではないですよ。ただ何時もと違う。そうですね、色褪せてしまう、と言えばいいのでしょうか」

 

 自分の家にいるはずなのにホームシックになってしまったのです、と苦笑しながらマスターは言った。

 

「おかしいですよね。でも本当なんです。まるでよく似ているだけの別の家に住んでいるようなそんな感覚がしてしまって」

 

 おかしいなんて私には到底思えなかった。もし私がマスターと同じ境遇に置かれたとしたら、もっと酷いことになっていたかもしれない。家が恋しいなんて、麻帆良に来たばかりの私は常々思っていたことだ。だからマスターのそれは恥ずかしく感じる必要などなく、きっと人として当然のことだ。

 

「だから思ったんですよ。将来働くなら、アットホームな職場で働きたいなって。漠然と自分の将来をイメージしてみました。大学に行って中堅くらいの企業に就職する、そんな夢のないビジョンですね。それはそれでいいのかもしれないですけど、ワタシはそういう堅苦しいのが嫌だったんです。でもそんな都合のいい職場なんてないですから、自分で作っちゃいました」

 

「つ、作っちゃいましたって・・・」

 

 はっはっは、とマスターは笑う。大体の経緯は分かったが、色々と説明を省きすぎだ。もしくは、そういった自分の苦しかった部分を言いたくないだけかもしれない。最後の方で急におどけたような言動になってしまったから、きっと誤魔化したのだと思う。私の知るマスターとはそんな人だから。

 

「軽く言いましたけど大変だったんですよ。色々考えた末、結局ワタシが得意なのはコーヒーを淹れることだけと気づきましたから喫茶店を開こうとは思ったんですが、店を借りるお金もない、食品衛生責任者資格みたいなものも必要でしたし」

 

 幸いワタシの通っていた高校に食物衛生科があったので、2年から転科して調理師免許は取りましたけどね、と言うマスター。

 

「当時は勉強ばかりで本当に苦しかったですよ。でも終わりよければすべて良し、ということなんでしょうね。今ではいい思い出です」

 

「・・・両親は反対しなかったんですか?お父さんは厳しい人だって言ってましたけど」

 

 調理師免許の取得は可能かもしれないが、店を借りるお金もないだろうし、そもそも高校生がいきなり喫茶店を開く、と言い出して親が反対しなかったのだろうか。

 

「いや、それなんですけどね」

 

 私の疑問に対してマスターは何故かにやりと笑みを浮かべた。

 

「母さんは烈火の如く怒りましたね。なんでそんなことをいきなり言うのかって。まあ、当然の反応だとは思います。熱意は本気のつもりでしたけど、動機は結構ふわふわしたものでしたし。でもね、父さんは反対しなかったんです。寧ろ、母さんの説得に回っていました」

 

 当時の様子を思い出したのか、口に手を当て、マスターはクスクスと笑う。

 

「あれは本当におかしかったですね・・・『あなたからも何か言ってよ!』『ん、好きにやらせていいんじゃないか?』『えぇ!?』っていう感じで」

 

 あの時の母さんの愕然とした表情は忘れられない、と笑いながらマスターは言った。

 

「厳しいお父さんだったんですよね?なんで反対しなかったんですか?」

 

「厳しい人ではありましたけど、きちんと親の情は持っていたんですよ。ただ不器用な人でしたから、それを全面に出すことが出来なかったみたいなんです」

 

 不器用な人だとマスターは言った。子供のことを愛してはいたけれども、愛し方が不器用過ぎた。厳しさは愛情の裏返しで、きっと誰よりも自分のことを考えてくれていたのだと。少し恥ずかしように、嬉しそうにマスターは語った。

 

「父さんにとってコーヒーは唯一ワタシの事を自然に褒めることが出来るものでしたから、ワタシに頻繁にコーヒーを淹れさせていたんですね。・・・本当に不器用な人です。世間のイメージする『良い父親』からは遠くかけ離れていましたけど、ワタシにとっては立派な父親です」

 

 そう言い、マスターはおもむろに冷えた唐揚を口に運んだ。

 

「父さんの援助もあってワタシは麻帆良で喫茶店を開くことができました。裏メニューに唐揚定食なんてものを入れたのは、ワタシがアットホームな雰囲気を作りたいと思ったからです。訪れた時、どことなく懐かしいく感じるような、そんな喫茶店をね」

 

 ワタシにとって家庭の味だからですよ、と言ったのはこのためです、とマスターは言った。

 

「そしてなにより、唐揚は父さんの好物でしたからね。意地っ張りな人ですからまだ来てくれませんけど、いつ来てもいいように、こうやって練習しているんですよ」

 

 1つどうですか?と私に皿を向けてくる。私はいただきます、と唐揚を1つ口に運んだ。その味は絶品というわけではないと思う。本職の人が作れば、これよりももっと美味しいものが出来上がるだろう。けれど、どこか懐かしい味がした。運動会の日の弁当に詰められていた唐揚のような、そんな味。

 

「なんというか、意外でしたね。結構行き当たりばったりって感じで・・・」

 

 唐揚を咀嚼し終えた私は思わずそんなことを口走っていた。

 

「正直、コーヒー一筋かと思っていました」

 

「昔のワタシが見たら驚くでしょうね。でも人生なんてコロコロ変わるものです」

 

 身を以て経験したせいなのか、マスターの言葉には説得力があった。変節漢なワタシが偉そうに言えることではないですけど、と前置きをし、マスターが言う。

 

「中学3年生というのは一つの人生の節目ですよね。義務教育が終わりますし、高校になると授業にも専門性が出てきます。長谷川さんがどういう道を行くのかは分かりませんけど、ワタシみたいな行き当たりばったりな人生は苦労しますよ」

 

 それもまた楽しい人生かもしれませんけどね、と最後にそう締めくくった。

 

 

 

 

 

 喫茶店の帰り道、私は歩きながらぼんやりと思考に耽る。将来のことなんて遠い未来のはずと思っていたのに、何故かその距離が急激に縮まったような気がする。

 

小学生の時、卒業アルバムには自分の夢を書くスペースがあったことをふと思い出した。

宇宙飛行士になりたい。

パイロットになりたい。

パティシエになりなた。

プロ野球選手になりたい。

それは本当に子どもの描く夢で、純粋な憧れがそこに満ちていていたような気がする。

あの卒業アルバムで、私は自分の夢をなんと書いたのだろうか。ほんの数年前のことがもう思いだせない。

 

高校に進学して、大学を卒業して、私はどんなことをしているのだろうか。

私が得意とするのは・・・パソコンだろうか。プログラマー?システムエンジニア?

 

「なんか違うよな・・・」

 

 私の溜息と共に漏らした声は人混みの中に溶けて消えていく。普段からパソコンをいじくり回している私だが、それを職業とすると途端にイメージが消えていく。結局それは趣味の範疇を抜けていないのだろう。

 

職場は・・・私はあまり社交的な性格ではないから、できればアットホームな職場がいい。堅苦しいのは少し苦手というのもある。

 

そんなことを考えていると、不意にコーヒーの匂いが私の鼻孔を掠める。辺りを見ると、全国でチェーン展開しているカフェを発見する。オープンテラスもそこそこ席が埋まっており、中々繁盛しているのが分かる。

 

「っておいおい、何やってるんだよ」

 

 オープンテラスに視線を向けた私は思わず突っ込んでいた。視線の先には一組のカップルの姿。そのカップルはあろうことにホットコーヒーの匂いを嗅ぐこともせず、いきなり飲み始めたのだ。アイスならまだ分かるけど、ホットコーヒーならまずは匂いを楽しめよ。しかもいきなりコーヒーフレッシュ入れやがって。なにが『苦ーい』だ。その苦味を楽しむんだろうが。いちゃいちゃしやがって、私に対する当てつけか、ああ?

 

 そんな被害妄想を続けること数十秒。

 

「あ、そういえば私コーヒー好きだったな」

 

 唐突にそんなことを思い出した。なんであたりまえのことを今更思い出したのだろうか。この半年間、マスターに追いつけるように創意工夫を凝らしていたというのに。それはきっと、今の私の生活の一部に溶け込んでいるからだろう。美味しいコーヒーを淹れるにはどうすればいいのか、そんなことを日がな一日ずっと考えていたから。

 

そのことも踏まえて私の将来を考えてみよう。

答えは、割りと簡単に出た。

 

 

 

 




筆者の小学校の時のアルバムを開くと、将来の夢はプロサッカー選手になることと書いてありました。今思うと無謀なこと書いてんなー、と思いますけど、小学生の時は努力すれば何でもできると考えていた年頃だと思います。それが中学生になると自分の限界というか、そういうものが見えてきます。高校生のアルバムになると、手堅くサラリーマンと書いてある人もいたり。

勿論そういうのが悪いなんてことは思わないですけど、小学生時代のああいう若い気持ちはどこに忘れてきたんだろうな、と時々鬱な気分になったりします。本編の最後の方の卒業アルバムの下りは実際アルバムを見て、鬱な気分になりながら書きました。

話数的にはあと2話くらいで終わるんじゃないかと思います。ただ千雨とマスターが初めて出会った時のことを回想という形で書いてみたいとも思います。


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