少年陰陽師がなさすぎて、つい思わず。
増えればいいのに増えればいいのにふえればいいのに。
冥く深く果てない闇。そんな言葉では表現しきれないほどの。
暗く、黒く、醜く、浅ましく、冥がりへとそれは続く。
それはいつもまとわりつき、心をかき乱す。闇を抱えた言葉は心を削り取る。
果てには穴をうがち、傷を抉り、心を壊す。何度も何度も絶望の底へと突き落とされた。
もう耐えられなかった。本当に、何もかもが嫌だった。
発狂して、ものに当たって、自分に当たっても逃れられなくて。
だから、俺は。
「益材、一の君も起きようだ」
「生まれたばかりから息があってるねぇ」
――誰。めっちゃ美人なんだけど、誰。
可愛い系の美人さんなんだけど、葛の葉って、え。
それ名前ですか。それが名前なんですかねぇ。
逃れられなかった、という事実から目を背ける行為を人は現実逃避と呼ぶ。
そんなことは百も承知だが、いかんせん事実を事実と認めたくない自分がいる。
囚われているのはあいつのせいだと思っていた。
何度も繰り返すのは、あいつの執念だと思っていた。
全て、あいつのせいだと、そう思っていたのに。
自死してなお、束縛からは逃れられなかった。
じわじわと胸に広がる恐怖と不安。
逃げなきゃと思うのに体は思うように動かない。
それが尚更恐れを掻き立てて、拒絶する一心で足掻く。
嫌だ。嫌だ嫌だいやだいやだいやだ。
怖い、はなせ。来るな、もうやめてくれ…!
助けて。いやだ、もう死にたくない!
どうして見てくれない。なんで奪っていく。
なぜ存在そのものを否定され続けなければならない。
どうしてあの女から逃れられない。
なんで、どうして…。
初めて、あの時はじめて自分で命を絶ったのに、なんでまだ俺は生きている。
頼むから、もう殺してくれ。俺が何をしたっていうんだ。
どうして何度も死ぬ恐怖を味合わなければならないんだ。
殺されることに怯え続けなければいけないんだ。
頼むから、誰か。
だれか、助けてくれよ……!
「大丈夫だ、 」
それは音になったかもわからない、囁くような声だった。
けれど不思議なことに確かにそれは自分の耳にしっかりと届いていた。
全身を温かいものに包まれた感覚に、荒れ狂っていた心が徐々に落ち着きを取り戻す。
自分を見下ろす黒い瞳をじっと凝視する。
安堵したような慈愛に満ちた表情に、こわばっていた体から力が抜けた。
恐怖など恐るるに足らないと言ったような温かく力強い“何か”。
先ほどとは違う意味でわけもわからず呆ける。
変わらぬ彼女の慈愛の微笑みに、思わず頬が緩むのを感じた。
「もう大丈夫だからな、吾子」
ぽんぽんとあやすように背を叩かれてじわじわと胸に広がるのは歓喜。
あの女に怯えなくてもいい。怖がる必要などない。
だって、大丈夫だと、そう信じられるから。
理由など知らない。でももう、大丈夫なのだ。
「幼いうちは母が守ってやるからな。だから、力をつけろ。
自分の身を守れるように。大切なものを守れるように。
お前たちには、母の血を引くお前たちは人一倍力はある。
守ってやれるうちに、力をつけなさい」
この人は自分が言葉を理解しているのを知っているのだろうか。
守るとか、力をつけろとか、ただ半狂乱になっただけで読み取れることじゃない。
自分が不思議に思っているのを読み取ったかのように笑みを深くした。
神秘的な雰囲気を醸し出す彼女に、まぁいいや、と目をつむる。
気が抜けたせいか瞼が重く、沈んでいく意識に身を任せた。
◇ ◇ ◇
部屋に戻った葛の葉は腕の中で眠る嬰児を起こさないようにそっと褥に寝かせた。
それを見て、もう一人の子を見ていた益材は寝息を立てる姿を見てほっと息をつく。
「泣き疲れたんだね」
「あぁ、おそらくは」
おなかがすいたわけでもなく、
それなのに唐突に泣き出した上の幼子。
生まれてから数日とは異なる泣き方に益材はどうする術も見出すことはできなかった。
幸い、何かに気づいたらしい葛の葉が対応してくれたので事なきを得た。
ただ任せる形になってしまったのが少々心苦しい。
一体、上の子に何があったのだろうか。
部屋から出る前の葛の葉の険しい表情が不安を掻き立てる。
けれども、知ったところでこの子たちの父親として何かできることはあるのか。
神祓衆の血筋でありながら、力のない私に。
「何を憂えているのだ、益材」
「……いや。力の使い方を教えてくれるものが必要だなと、思ってな」
「ならば、それは早い方がよい」
「葛の葉?」
険しい声音に、益材は目を瞬かせた。
あどけない顔で眠る赤子から顔を上げる葛の葉。
憂えた顔で苦笑して、ついっと上の子を見やる。
「この子は私たちの子だ」
唐突に告げられた言葉を不思議に思いつつ、益材はうなずく。
双子の男児。今の時代、双子は忌み嫌われる。
人は通常、一回の出産で一人の人間を産むとされているからだ。
牛などの家畜のように、一度に多くの子どもを産んだりはしない。
だから、畜生腹と言って嘲り笑う。
産んだ者も生まれた子も、どちらも
この子たちは将来きっと苦労するだろう。
双子だという事実ゆえに。
人ではないものの血をひいているがゆえに。
そのことは辛く思う。
だが、それに負けないくらいの愛情を注ごうと決めている。
心を通わせた者との子だから、大切じゃないわけがない。
たとえ葛の葉が人ではないとしても、ともに在りたいと思った。
たとえ自分が人だとしても、ともに在りたいと思ってくれた。
それが、真理というものだ。
「出生率の低い天狐が産んだ、双子の子ども。
受け継いだ力に振り回されることもあるだろう。
それは致し方のないこと」
人ならざる者の力だ。
人の身で完全に扱うものなど無理にもほどがある。
驕ればその力は身の破滅を導く。
必要な指導はすれど、努力をするか否かは本人次第。
怠ったがゆえに怪我をするのは自業自得というもの。
だがしかし。
「生まれながらにしてこの子だけに刻まれた呪詛をどうして許せようか」
静かに、けれども怒りを感じさせる声で告げられた内容に益材は息をつめた。
呪詛。それは相手を呪い殺すための呪法。
恨みつらみが積もりに積もって呪い殺せと頼む者もいる。
自らを闇に貶めて己が力で呪う者もいる。怨霊がいい例だ。
しかし、生まれたばかりの子に呪詛をかける理由は何だ。
自分たちに対するあてつけか。
もしそうだとするならばいったい誰がなぜ一の君だけを。
そこまで考えて、ふと目を瞬いた。
「一の君だけ、なのか?」
「あぁ。この子の魂にだけ深く根付いている。
…おかげでうちに眠る力を呼び起こす羽目になった」
「葛の葉、それは」
益材はざっと顔を青ざめさせた。
葛の葉が言うそれが意味するのはすなわち。
すなわちそれは、その子の身を削ると言うことなのではないのか。
こわばった表情で愕然とする益材に葛の葉が首を横に振った。
「案ずるな。むしろ魂を蝕む呪詛から守っている。
そしておそらくこの呪詛は発動に条件がある」
胎内にいたころ、呪詛の気配など感じなかった。
生まれてからもそうだ。
初めて気配に気づいたのが、つい先ほどのこと。
何かに怯えるように、何かに絶望するように異様に泣け叫んぶ赤子。
その子を飲まんとする黒い影がなければ気づけなかっただろう。
まったくもって腹立たしい。
この子に呪詛をかけているものもそうだが、気づけなかった己が一番赦せない。
けれども、今はまだ自分にはどうすることもできない。
呪詛はこの子の精神状態に左右されるのだと思う。
裏付けに、心地よさそうに眠る幼子からは呪詛の欠片に簡単には気づけない。
それほどまでに奥深くに入り込み、内側から蝕んでいく呪詛。
先ほど眠る力を呼び起こしたと言ったが、実は違う。
呪詛が魂を蝕んだことにより、本能がそれを排除しようと目覚めたのだ。
自分がしたのは、目覚めた力が逆に人の身を蝕まないよう鎮めただけ。
それによって呪詛も沈静化したは幸いだった。
先ほどの推測するからすると、何らかの理由により情緒が安定したということだろう。
天狐の力は、傷ついた魂を補い癒すために今はまだ眠っている。
けれども一度目覚めてしまったので、今後は容易に覚醒するだろう。
それにつられて二の君に影響があるかもしれないのは心配だ。
一部を端折りつつ、その旨を告げれば益材は小難しい顔をした。
心配事を押し付けていく形になるのは心苦しいが、自分にはできることが限られている。
今ほど一所に留まれないのを悔しく思ったことはない。
「発動しさえなければ、天狐の力が暴走することもあるまい」
「……しなければ、か…。もし、再び発動した場合、この子はどうなる」
「魂が蝕まれるのが速いか、体が蝕まれるのが速いか、と言ったところだろう」
「そうか…。…感情の制御ができるようになれば、ある程度は安心なんだね」
「この子の事を思えばそれが良いだろう。
だがそれは、子どもには酷なことでもある」
だいたい、大人でさえ感情を制御できないときがあるのだ。
子どもがそう簡単にできることではない。
それに子どもは元気にはしゃぎまわっているのが一番なのだ。
断じて、己の感情を押さえつけることがいいことではない。
「そうだな。だが、やらなければこの子が危ない。
もし恨まれ訳が必要だと言うのなら喜んで引き受けよう。
それでこの子が少しでも長く生きられるなら」
「益材……」
初めてできた子どもたち。
そのうちの一人が大きな問題を抱えているとは夢にも思わなかった。
それがその子の命を脅かすものであるということも。
全くもって癇に障る。
益材は表面には出さないものの、内心ではひどく怒っていた。
一の君をしばりつけるなら、二の君も同じように育てるべきだろう。
そうしなければ扱いの差に不満が生まれ、二人の間にいらぬ軋轢を生む。
それは本意ではないので、そうするしか術はない。
前途多難になるであろう我が子たちの人生を思い、両親は願う。
どうか、幸多からん人生であれ。