おめでとうございました。
今年は何話更新できるかな。
相変わらず更新頻度は低めですが、気長にお付き合いいただければ幸いです。
はっと目覚めた暁明は、空に広がる星空に目を瞬かせた。体を起こし、辺りを見渡す。
貴船の本宮に人の姿は見当たらない。夜だから人の姿がないのは当然のことだが、いつもここにいるはずの人の姿もない。
「あれ?」
なんでこんなところで寝てるんだっけ。
眉間にしわを寄せながら記憶をたぐり寄せ、どうしようもない現実に悄然と肩を落とした。
近づいた磐座をしたから見上げる。
そういえば、上から見上げるというのはずいぶん久しぶりだ。
隣で語るようになったのはいつの頃からだったか。
ずいぶんと昔のことのように思えるほど、隣にいるのは当たり前だったのに。
「……嫌われた…」
磐座に背を向けて座り、膝を抱えて目元を膝に押し付ける。
さみしさは募り孤独感が心を蝕み、泣きたいくらい悲しいのに涙は出てこない。
鬱々と、悪い方向へと沈む思考。
胸が引き裂かれるように痛くて苦しい。
それなのに、誰も助けてはくれない。
誰もいない。俺のそばには、もう誰も。
かたん、と音がした。
いつもなら耳に入らないはずの音が、落ち込んだ意識の狭間をぬって届く。
物音がした方をとっさに振り返り、暁明は眦を下げた。
求めている姿はそこにはない。けれども代わりに見たことのない脇差しが転がっていた。
なんとなくそれを手に取り、ふいに目を見開いた。
選べ。
そう、言われた気がした。
声が聞こえたわけではないのに、何かを選べと、それは言う。
この手には何も残っていないのに、何を選べというのだろう。
失ってしまった人たちの面影が脳裏をよぎり、脇差しをかたく握りしめる。
分からない。わからない。選べるものなどないだろう。
何も持たない自分に、欲しいと思いながらすべてを捨て去るまねをした自分に今更何を選べと。
何かを選ぶ資格なんて自分には。
ふつりと意識が途絶える。
曇天が広がる空。荒れ果てた原野に晴明がいた。
見たこともない景色。隠れる場所もなくておろおろする暁明は、けれども自分の存在をいぶかしむ様子がないことに首をかしげた。
少なくとも晴明と対峙する赤い髪の男と金色の髪の少女の視界に入っているはずなのに、こちらを見る様子はない。
なに、してんだ……?
「貴様が我ら十二神将を使役にと望む、そのわけは」
「…………は?」
思わず呆けた声がこぼれ落ちる。
口元を慌てて塞ぐけれど、赤い髪の男にも金色の髪の美少女にも晴明にも反応は見られない。
自分の姿は見えていない、ということだろうか。
困惑している間にも応酬は続く。
「俺は何度も言ったはずだ。人間は己を偽り、欺き、騙すのだと。貴様が貴様自身を偽っている限り、欺いている限り、俺は使役にはくだらない」
真の言葉をもって使役に望むそのわけを答えよと、男は再度、晴明に問う。
意味が分からないまま、暁明はぼろぼろの晴明の背を見つめる。
怒りの形相をにじませて、この身に宿る母から受け継いだ力をまとわせて震える手で刀印を組む、幼い晴明の姿が脳裏をよぎる。
あれは確か。
いつかどこかで見た光景。そのはずなのだが、それがいつのことでどこで見たのか、思い起こす前に疑問は霧散する。
ただあのときの晴明にどこか似ている気がして、暁明は目を離せないでいる。
似ているのに、あのときとは違って暁明から晴明の表情は見えない。
どんな顔をしているのだろう。やはり、怒っているのだろうか。
思い悩んでいるうちに、晴明は赤い髪の男を使役となしたようだ。
すごいなぁ、晴明は。
羨望のまなざしを向けて、自分自身の無力さにため息を吐いた。
所在なさげにあたりを見渡す。
自分はどうやってここに来たのだろう。
どうやって帰ればいいのだろう。
ここにいたら晴明と自分を比べて卑屈になる。
筋違いにも晴明に嫉妬してしまいそうになる。
それは、嫌だ。
三人から背を向けるけれど、どこかに行こうという気にもなれない。
ついつい気になって三人の会話に意識を向けてしまう。
「晴明。お前はばけものを倒したいから我ら十二神将を使役に望むのだと言った。そして、姫のためではなく、自分のためだと太陰と白虎に告げていたな。だが、そうではないだろう」
晴明に朱雀と呼ばれた男の晴れやかな声がした。
「ばけものを倒すためではなく、いとしく思う姫を救うため。確かに姫のためではない。姫を救いたい自分のためだ。それが、お前自身も全く気づいていなかった、お前の真の心だ」
なんですと。
暁明は思わず振り返った。
え。ちょっとまって。えっと。え? 化け物って……あ、あの祭りの時のか?
じゃあ姫って、化け物に狙われていた牛車に乗ってたあの?
「…………そうか。好きな人できたのか……」
嬉しいような安堵したような、それでいて、やはり新たに紡がれている晴明の縁を苦く思う。
嬉しいはずなのに、苦しい。
喜ばしいはずなのに、悲しい。
どうしてこんな思いをしなければないのだろう。なんで自分ばかり。
妬む心が止められない。
僻む心が感情を埋め尽くす。
聞くんじゃなかった。
踵を返した暁明の耳に、冷たい声が届く。
「逃げるのか」
体を震わせて思わず足を止めた。
恐る恐る振り返りながら、頭の中は疑問で埋め尽くされている。
なんで。自分のことは見えていないのでは。
果たして、朱雀の瞳は暁明を移してはいなかった。
どこかへ行こうとしていたのか、身を翻しかけた晴明しか男の瞳には映っていない。
「分が悪くなると背を向け、真実から目をそらす。そうやって生きていても、これまでは何ひとつ不都合はなかっただろうさ。お前がそうしている以上に、誰一人としてお前のことをまともに見ようとしていないのだから」
「なにを……!」
憤る晴明とは反対に、暁明は言葉を失う。
のろのろと顔を両手で覆って、その場に崩れ落ちる。
痛い。痛い。心が痛い。
自分に向けられた訳ではないのに、言葉が刃となって胸に突き刺さる。
それは思い当たる節があるからだ。
おびえて目を背けて夢を抱いていた。
夢を暴かれて、いつの間にか大切な物はこの手からこぼれ落ちていて、一人になった。
向き合うことを恐れていたのは自分だ。
向き合われなくて当然。まともに見ようとしてくれなくて当然。
行いは、自分に返ってくるのだ。
――一人がいいならばそうすればいい。
だから、冷たく突き放された。
ざく、ざく、と足音がする。
十二神将と言うくらいだから、あの場にいた二人の他にあと十人、神将がいるはずだ。
一人一人名前を呼んで回っているのなら、おそらく次の神将のもとへ行くのだろう。
遠ざかる足音。またしても広大な土地に一人と残されるという現実に、暁明は顔を歪めた。
寂しい。ひとりは寂しい。
悲しい。辛い。苦しい。どうしようもなく、心は引き裂かれんばかりに泣き叫ぶ。
「……………無様に泣き叫ぶような姫なら、放っておけたのに…」
人のくくりを外れた耳は、遠のく晴明のつぶやきをしっかりと拾う。
なぁ、なんで泣き叫ばなかった。いづこかの姫。
そうしたら晴明が遠く感じることはなかった。
なんで、祭りに連れ出した。榎岦斎。
そうしたら晴明は姫と出会うことはなかった。
なんで。なんで。
「……ああ…そうか……」
唐突に足音がやむ。
そのまま足を止めて、逃げてしまえ、晴明。
顔を背けて目を閉じて、耳を塞いでしまえ。
そうしたら、また。
「……それも、ある。……だが…巻き込みたくないと言った彼女を救うことで……あなたへの贖いにしようとしていた……。すみません……あにうえ……」
「っ……!?」
息をのんだ。
思いもかけない言葉が暁明から思考を奪う。
地面を踏みしめる音が、ゆっくりと世界の奥に消えていく。
その音を聞きながら、暁明は右手で目元を覆って天を仰いだ。
俺は今、何を思った?
俺は今、何を願った?
俺は今、何を祈った?
――晴明の不幸を、闇へと沈むことを、今、俺は望んだ。
妬みがある。嫉みがある。僻みがある。羨む心がある。
それは至極当然のことだ。その負の感情に流されて他人の不幸を望み、それを為そうとしてしまえば、それは自分たちを蔑んできた人間と同じ程度まで成り下がるということだ。
「俺は……おれは……っ!」
ぐいっと、意識が引っ張られる感じがした。
はっと目を開けると、そこはいつもの貴船の本宮だった。
陽はいつのまにか頂点を超え傾き始めている。
あともう何刻かしたら空は茜色に染まり始める。
「…今のは、ゆめ……?」
口にして、暁明は頭を振りかぶる。
夢ではあったが、ただの夢ではなかったような気がする。
見たこと感じたことをもう一度思い返して、手にする脇差しに額を当てた。
深く息を吐いて、思考を整理する。
大切だと思っていたけれど、それは上辺だけ。本当に守ろうとしていたのは自分自身。
口ではなんとでもいいながら、心は自分にしか向けられていなかった。
だから、忘れられてるかもしれない事が恐ろしいと理由をつけて距離を置いた。
だから、殴られるのが嫌だと理由をつけて会うのを拒んだ。
だから、いつもそばにいてくれた人をないがしろにして、愛想を尽かされ孤独に陥った自分に酔いしれていた。
当然だ。自分のことしか考えない人と好んで関わろうとする人はまずいない。
俺だって、そんなやつと関わるのは願い下げだ。
――でも。
今更伸ばす手を、受け入れてくれるだろうか。
それでも伸ばさなければ何も変わらないと分かっている。わかっているけれど、恐れる心はどうにもならなくて。
一歩を踏み出す勇気が欲しい。
選べ。
暁明は顔を上げた。
誰かに告げられた気がするのに、やはり誰の姿も見えない。
首をかしげた晴明はふと自分の手に持つものに視線を奪われた。
先ほどからずっと持っていたのに、なぜか意識を引きつけられて目を離せない。
「……選べ、と言ってるのはお前か……?」
声は聞こえない。暁明はいぶかしげに眉を寄せた。
脇差しではないのか? でもなんでこんなにも惹きつけられるのだろう。
しばらくそれを眺めていた暁明はぐっと唇を引き結んだ。
勘違いかもしれないけど、選べ、というその言葉は自分の背を押しているようにも聞こえた。
いつの間にか傍らに落ちていたこの脇差しは誰かの落とし物なのだろう。
でも、ちょっとだけ。持ち主が見つかるその間だけ、借りてもいいかな。
気のせいなんだろうけれど、それがあれば、ちょっと踏ん張れる気がする。
お守り代わりだ。
「……よし」
とりあえず、晴明の所に行こう。
深く息を吐いて、暁明は一歩踏み出した。