双子転生物語   作:彩霞

16 / 16
第16話「その心の名をまだ知らない」

 ぱっと目を開けた暁明は、目の前に広がる星空に目を瞬かせた。

 すごく寝覚めが良い。気分がすっきりしている。反動をつけて起き上がった暁は懐かしい空気に目を見開いた。

 

 頬を撫でる清涼な風を知っている。

 この場所から何度も空を見上げて、ほぼ一方的に語っていた。

 気づかないで、気づけなくて、いたずらに甘えていたあの頃の。

 

 そろそろと辺りを見渡して、見知った磐の上に人影はなく、息を吐いた。

 安堵と寂しさの入り交じったそれに気づいて膝を抱える。

 

 いつの間にここに帰ってきたんだろうか。確かさっきまで、俺は貴族の邸でそれで、冥がりの底で。

 

「起きたか」

「ひぎゃっ!?」

 

 頭上から降ってきた冷ややかな声に暁はけったいな叫びをあげた。そしてそろそろと後ろを振りかえり、音を立ててかたまった。

 その声音と同じ視線が容赦なく突き刺さる。

 

「た、たたたたた、たかっ、高尾さんっ!?」

 

 顔を見たいと思った。でも会えないと思っていた。会ってはいけないと。

 晴明と比べると薄いけれど、わずかにだがうっすらとまとわりついている靄がある。

 

 それに泣きたいくらいに心が締め付けられた。

 磐座に腰を下ろして足を下ろしている彼女の傍へ寄り、薄い靄へと手を伸ばす。

 けれども指先は宙を掻き、触れることすらままならない。

 

 晴明と、彼女と、高尾さんと。そういえば、晴明の所に行くことに集中していたからそのときは気に留めなかったけれど、岦斎にもあった気がする。直接的な関わりのない人にも影響があるのならば、会っていないとはいえ父や師匠にも累が及ぼしているのだろう。

 自分という存在があるせいで。

 

「我に、何か言うことがあるだろう」

 

 暁はびくりと肩を震わせた。

 鋭い声音に、ちらりと上を見上げれば表情のない顔。

 

 怒っているらしい、というのは分かった。

 ちょっと前に怒らせてしまった時のことが蘇る。それを思えば、こうしてもう一度会えたのは奇跡だとすら思っている。

 でも心を向ければ向けるほど、近くに居れば居るほど、この靄が皆を傷つけていくのではないか。ただ自分を苦しめるためだけに、皆が苦しむことになる。そんな顔は見たくない。

 

 彼女の顔を見上げながら暁は眩しそうに目を細めた。

 

「高尾さんは怒ってる顔もそれはそれで毅然としてて美しいけど、やっぱり楽しそうにしてる顔の方が綺麗だよな」

 

 そう思ったら、これ以上、手を伸ばすことなど出来なくて。

 だから言うことがあるとしたら、皆を思うなら別れの言葉が適切。頭では分かっているのに、喉は張り付いたように動かない。

 

 俯いて、固く目を瞑った。

 言わなきゃいけない。でも言いたくない。でも言わなきゃ傷つけてしまう。でも傍に居たい。理性と感情が衝突し合い、お互いが譲らない。激しくうねり渦巻く矛盾に唇を噛みしめた。

 

 忍び笑う声が耳朶をついた。

 その声は、先ほどまで怒った顔をしていた人のもの。

 声の元をたどるように顔を上げると、瑠璃色の双眸が柔和に笑っていた。

 

「本当にお前は退屈しない」

 

 喉の奥で笑う姿は本当に楽しんでいるよう。その姿にすとんと肩の力が抜けた。

 目頭の奥が熱い。つんとした痛みが鼻を突き、視界がにじむ。

 

「高尾、さん……っ」

 

 頬を伝う雫に虚を突かれた。

 軽く目を瞬いて、口角を上げる。

 

「いつまでその姿でいるつもりだ、暁明」

 

 ぽんと己の傍らをひとつ叩いた。

 それの意味することが分からない暁ではない。

 

 気づかなければ良かった。

 でも、気づけて良かった。

 

 とめどなく溢れる涙を流しながら、暁はもとの姿に戻れども緩慢に首を横に振った。

 鋭くなる視線を感じながら、震える声を吐き出す。

 

「だめ、なんです」

「我が良いと言っている」

「それでもっ」

「来い」

 

 強い口調に、暁は閉口する。

 この靄がどういう原理で移っているのかは分からない。

 だから少しのリスクも回避したいところだけれど、これ以上高尾さんを怒らせる勇気もない。

 受け入れることも、かといって突き放すことも出来ない自分が、酷く醜く思えた。

 

「暁明」

 

 名を呼ばれて、恐る恐る磐座に躙りよる。靄に変化はない。

 磐に飛び乗って腰を下ろす。靄も気になるけれども、なんとなく隣にいる人のことを見上げる事も出来なくて俯き続けた。

 

 不意に視界を覆われて、強く横に引き倒された。

 柔らかい感触が顔に当たる。

 

「た、高尾さんっ、あの」

 

 起き上がろうとするけれども、押さえるように頭に置かれた手を振りほどいてしまうのは惜しい。

 

「もう少し、眠っていろ」

 

 先ほどよりも断然穏やかな声が耳朶に届く。

 眠れと言われても、落ち着けるわけがない。

 

 目元を覆う手を掴むけれど、それはびくりともせず。

 申し訳なさのなかに嬉しさがあり、気恥ずかしさのなかに苦しみがある。

 筆舌に尽くしがたい感情に目を閉じた。

 

 貴船の風が心地よい。

 襲ってくる猛烈な眠気にまどろみながら、夢うつつの中で思考を巡らせる。

 

 最後の記憶は東五条殿。手に残る、今では自分よりも成長した弟の重み。

 本当に大きくなったなぁ、と口元がほころぶ。

 あいつが想いを寄せるあの女性も、随分と華奢で。でも化け物の子と恐れられる晴明を想える心の強さがあるのだろう。それとも、本質を見抜く目か。

 

 羨望がある。妬みがある。でも彼女が傷つけば晴明が悲しむからそれで良かった。

 冥がりに自分が沈めば、もうきっと。

 

 ――沈んだはずなのに、なんで俺はここにいる。

 

 意識が切り替えたようにはっきりする。

 思考を巡らせどもここにいる理由は皆目見当もつかない。

 ひやりとしたものが胸を滑り落ちた。

 

「あいつは……?」

「生きている」

 

 間髪入れずに還ってきた返答に目元を覆う手を抵抗なくずらす。

 横たわったまま見上げれば、静かな青が自分を見下ろしていて。

 大丈夫なんだと、心から思えた。

 

「あの子も?」

「生きている」

「よかった……。あれ、じゃあなんで…?」

 

 あれは餌を欲していた。

 確かに沈んだはずなのに。

 

「神の気まぐれだ」

「神の……? あ、まさか貴船の祭神様!? え、えぇっ、俺なにもしてないのに……っ」

 

 はっと目を見開いた。

 

 神は理不尽で、礼儀を欠けば祟られることもある。だから気をつけなさいと、礼儀を欠いてはならないと言われていたのに、すっかり忘れていた。

 暁は跳ね起きると姿を変えて磐座を飛び降りる。

 悠然と構える高尾さんにやっぱり綺麗だなと感想を抱きつつ、頭を下げた。

 

「ごめんなさい高尾さん。ちょっと、早急に祭神様へのお供え物用意してきますっ」

 

 くつくつと笑う声にむずがゆさを覚えながら山を下る。

 

 お供え物を調達する前に、晴明の様子を見に行くことにした。

 高尾さんの言葉を疑うわけではないが、それでも二人のことが気がかりで。

 関わらないという決意も虚しく、己を縛る黒い靄はそれを許さない。

 

 太陽は東から昇っており、南に至るまでにはもう少し時間がある。

 

 あれからどれほどの時が経ったのかは分からないが、無事であることを祈らずにはいられない。

 貴船の山を下り、一条戻橋を過ぎるとすぐに安倍邸はある。

 向かいにある邸の屋根に飛び乗って遠目から中を覗き見た。

 

 あげられた御簾の向こう。書物やなにやらが積み重なってそのままな部屋の惨状を垣間見て、切なげに目を細める。

 晴明は褥に臥していた。目を覆っていた布は取り払われていて、規則的に上下する胸にほっと安堵の息をつく。

 

 晴明にまとわりつく靄はあの日のままで変わりは見られない。

 あの時とひとつ違うことがあるならば、臥床する晴明のそばに式神がいることか。

 

 伸ばしたくなる手をぐっと握りしめて、頭を振りかぶった。

 晴明が人として生きていられるのならそれでいい。

 

 一台の牛車が道を走る。気にも留めてなかったが、邸の前で音が止まった。

 疑問に思い門が見えるところへ回り込むと、丁度中から降りてくる人影が見えた。

 女物の着物に来訪者が誰であるのか見当をつけることはたやすい。

 

 付き添いの者を残し、ひとりでに開いた門に彼女は体を震わせた。

 暁には見えていた。来訪者を歓迎するかのように門を開けた式神を姿を。

 開いてすぐに姿を消す様を。その体に、まとわりつく靄を。

 

 安倍晴明が下したのは、神である。六壬式盤に名を連ねる神である、十二神将。

 その神にさえ靄が及んでいるという事実に、暁は強い衝撃を覚えた。

 

 付き添いの者に何かを言い置き、彼女は邸の中へと足を踏み入れる。

 晴明の所にいた式神の姿もいつの間にか見えなくなっていた。

 だから式神の一人だけなのか、それとも全員なのか、一部の式神だけなのかはわからない。

 神に名を連ねる式神にまで、この靄は纏わり付いている。それが事実。

 

 暁は屋根の上に座り込んだ。

 手足が異様に冷えている気がする。体は強ばっていて、叫びたいのに喉は凍り付いて動かない。

 衝撃のあまり声が出ないと言うことはこういうことなのかと、理性の片隅で冷静な自分が思考する。

 

 それは唐突に現れた。

 自分に纏わり付く黒い靄が、邸宅を覆うように見えたのは。

 

 こちらを伺うようにざわざわとうごめき、一つの部屋の中へ、晴明と晴明が思いを寄せる女性がいる部屋へと入っていく。

 顔も何もないはずなのに、赤く濡れた唇が弧を描く様が脳裏をかすめた。

 

 殺される。

 

 それは勘だった。強ばって動かなかった体は考えるよりも先に脇差しを抜き放つ。

 煽るように嘲笑うように蠢いていたそれは、動きを止めたのを見て、思わず口元に笑みを浮かべた。

 

 首に添えた刃を押しつけながらわずかに引く。

 ぴりっとした痛みが走るけれども、それで彼らが無事ならば瑣末なことだ。

 

 過去に七度の転生を果たし、覚えている限り今が八度目の人生。他殺であろうが自殺であろうが、同じく転生することとなった。

 けれども、この脇差しで自害を果たせば違うと、予感がする。

 魂が輪廻に戻るのかそれとも消えるのかそれはわからない。ただ、今のように記憶を持ったまま転生することはないという予感がある。

 

 どうやらそれはあちらの望む事ではないらしい。

 その事実に笑わずにはいられない。

 

 静かなにらみ合いが続き、暁はゆっくりを息を吐き出した。

 脇差しを強く握りしめ、強く引こうとしたとき、その靄は何事もなかったかのようにかき消えた。

 思わず手を止める。

 

 どうした者かと視線を彷徨わせ、晴明の部屋から出てきた女性に二人が無事であるとわかり、迷いつつもそっと脇差しを下ろした。

 一瞬、邸に纏わり付く靄が見えた。

 

 胸にひやりとした者が落ちる。俺が自害しないための人質と言ったところなのだろう。

 

 暁は目を閉じた。

 

 会いたくない、関わらないようにしようという次元の話じゃなかった。

 恐らくそれはもうずっと前から。もしかしたら、生まれたときからそうだったのかも知れない。

 

「くそったれ……!」

 

 蠢く自身の感情に蓋をして、暁は屋根を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 安酒と自然の恵みという粗末なものだけれど、捧げて謝罪と感謝の念を社に向かって詣でた。

 祈りを終えて、社を見上げる。

 

「……神様。本当にいるのなら、一つだけ教えてください」

 

 助けてくれたついでと思って一つだけ。

 

「どうしたら、これを絶てますか? どうしたら、あいつに、高尾さんに纏わりつくこれを消し去る事ができますか? ただ、俺を苦しめるためだけに他の人間や、神と呼ばれる存在まで巻き込んであの邸に根を張るあの黒い者から、大切な人を、大切な人たちが大切に思う存在を守れますか?」

 

 願いを口にすれども答えがあるわけもなく。

 暁は目を閉じる。

 

 分かっている。すがっても、答えはないことを。

 どうしてあの場所から貴船の祭神が救い出してくれたのかはわからない。

 勝手にこの場所に居座っているのだ。今思えばむしろ何のお咎めもなくいていられたなと思う。

 

 脳裏に思い浮かぶのは、こんな自分でも引き留めていてくれる大切な人の存在。

 

 自分が今ここにいられるのは、高尾さんがいるから。

 いなければ、自分はここにいないし、神が気まぐれで自分を助けることもなかっただろう。

 

 俯いて地面を見つめた。ゆっくりと息を吐く。

 傷一つない首元を押さえて息を吐いた。

 

「あのまま、あそこで自害していたら、よかったのかな……」

 

 そうしたら、以上大切な人たちを人質に取る理由はない。

 そこまで考えて暁は首を横に振った。

 

 人質に取る理由がなくなったからといって、害を及ぼさない理由にはならない。

 自分を欲している事だけは事実で、そのためならば何でもするのだろう。それにも関わらず手に入れられなかった時の憤りの矛先が誰に向くのか、想像するだけでも血の気が引く。

 

 だからたぶん、これで良かったのだ。

 そしてこれからも、牽制する必要がある。

 

「……師匠……父上……」

 

 頼りない声が静寂に落ちる。

 様子を確認しなければと思うのに、見に行くのが何よりも恐ろしかった。

 

 夏の終わり。湿り気のある風が吹き抜ける。

 

 

 

 

 

 磐座で再び眠りにつく暁と名乗る子どもの頭を足に乗せながら貴船の祭神高淤加美神は右の耳朶に触れた。

 左につけ下がる耳飾りとは全く異なる装飾の、翡翠の玉がついた簡素な飾りがある。

 その対となる飾りは、眠る子どもの左の耳に。

 

 戻ってきた子どもは何も言わなかった。けれども、お供え物をする際に呟いていた言葉は届いている。

 

 彼が言っていたことは果たして、事実であった。

 巧妙に、本当にわずかながら纏わり付く者がある。

 神ですら欺くそれは、たかが一端の妖に出来る芸当ではない。

 

 人を人と、妖を妖と思わず、神ですら目的の為の道具と為す者。

 神は非情ではあるが無情ではない。けれども必要とあらば無情になり人であろうと神であろうと関係なく等しく利用するのが、世神(ときがみ)

 

 分かっていた。理解していた。

 けれども、当の本人の意思に関係なく知らぬままに翻弄されて足掻き続ける存在に初めて、彼らが気に食わないと心の底から怒りを抱いた。

 

 

 




書き直し始めたらすすまないので、ひとまず亀でも、矛盾が(ないように心がけてはいるが)あったとしても前に進む。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。