さて、状況を整理しようか。
あのえらく綺麗で美人な少女はどうやら母親らしい。
父親はいたって普通の成年である。
名をそれぞれ葛の葉、益材というらしい。
転生はこれで7回目。
死にたいのに、死ねない。
消えたいのに、今でも自分はここにいる。
どうして、自分は死ねないのだろう。
なぜ生きているのだろう。おかしいだろ、普通に考えて。
逃げるのも、追われるのも、もう疲れた。
なら、逃げなければいいのか。
……それは怖い。いやだ。死にたくない。
矛盾している。そんなことわかっている。
死にたい。でも死にたくない。
追いかけてくる
耳にこびりついた罵声。まなじりを吊り上げ、蔑み見下す表情。
嘲笑、侮辱、蔑みをはじめとした暴言。殴られ、蹴られるなどの暴力。
そして、鬼のような形相で恨み言を吐く顔。
命を狩るだけの何かとなり果てた姿。
眼を閉じれば、簡単に思い起こせる。
それくらい、幾度となく経験してきた。
苦しくて、憎くて、つらくて、怨めしくて。――寂しくて。
どんなに苦しくてもつらくても怨めしくても、憎みきれない。
いつか自分のことをちゃんと見てくれるのではないかと、そう思ってしまう。
そんな日は来ないとわかっていても、願わずにはいられない。
望まずにはいられない。思わずにはいられない。
どうしたらいいのだろう。
どうすればよかったのだろう。
――あんたなんか、産まなきゃよかった!
生まれてこなかったら、よかったのか。
生きたいと望まなければいいのか。
殺されることを、受け入れればいいのか。
「お、見ろよ。片割れが目を覚ましたらしいぞ」
「ほんとだ。ちょっと前まで、猿みたいにしわくちゃだったのに、だいぶ人間らしくなったなぁ」
「もう一人は寝てるな。寝れる方も豪胆だけど、泣かない方も、肝がすわってるよな」
能天気で、朗らかな声に、思考を中断する。
いや、中断するくらい摩訶不思議な存在に巡り合った。
(なんだ、あれ)
猿みたいなやつと、蜥蜴のようなやつ。それに角のついた丸っこいなにか。
それ以外にも、見たことのない“何か”がわんさかいる。
そのほとんどは寝ているけれど、起きている奴もいる。
起きているやつは、興味深そうにこちらを見つめていた。
「なぁ童子。おまえさ、でかくなったら俺たちのこと助けろよな」
「もちろん、俺たちもお前の力になるからさぁ」
「そんなこと言ったって、まだわかんないと思うぞ」
「ほら、あれだ。えーさいきょーいく、というやつだ」
「なんだそれ」
どうじ、同時……。名前? でも片割れにも『ドウジ』と言っているから違うよな。
にしても、ほんとなんなのこいつら。害はなさそうだけど…。
「ううん……たしか、小さいうちからいいようにいろいろ言い聞かせるやつだ」
「なぁるほど。俺たちを助けてくれるように、刷り込むんだな」
「だったら、ちゃんとお願いしないとな」
……突っ込みどころ満載なんだが、どうしようか。
もっとも、どうするとは言ったものの、何かができるわけではないが。
口々に、赤ん坊に言い聞かせる“何か”。
そもそも、これらが何で、助けるとは何か、というのは理解ができない。
でも何にも縛られない自由奔放な彼らが、うらやましいと思った。
「それにしても、見分け全くつかないよな。双子だとなおさら」
「たぶん、今起きてる方が一の君だと思うぞ」
「え、なんでわかるんだよ」
……双子、か。
隣は見ないように、知らないふりをしていたけど、やっぱり、そうなのか。
あぁ、なんて怨めしい。どうしてこう、双子に縁があるのか。
双子でなければ、あんなことにはならなかったのに。
「俺たちのこと、見てるから」
「見鬼の才があるのはわかるが、なんでそれが一の君だってわかるんだ?」
「二の君は見てるようで見てないけど、今起きてる見てるから。
考えても見ろよ。今まで、生まれて間もない赤子がここまで俺たちの子とみるか?」
「…そういわれてみれば」
やばい。そう思ったときにはすでに遅かった。
普通と違う。『ふつう』から逸脱した存在は、迫害のもとだと知っていたのに。
今までは慎重にやってきた。なのに、すっかり忘れていた。
まずい。まずいまずいまずい。
「……お前、俺たちのことわかるのか?」
視線をそらすタイミング間違えた。
いま逸らしたら、なんと思われるか。
いやでも、じっと見続けるのも、おかしいか?
双子。生まれた先々で、片割れが迫害されていた。
そして、片割れの復讐で殺された。
怖い。迫害されることが。
なにより、どちらかしか、優遇されない不公平さが。
忌み子。七つまでに、捨てられるのはどちらなのか。
神のもとへお返しするという名目で、殺されるのはどちらなのか。
自分か、片割れか。
いやだ。死にたくない。死ぬのは怖い。
何度あの恐怖を味わあなければならないのだ。
死にたくない。殺されたくない。
いっそのこと、死んだときに死なせてくれれば、怯えずに済んだのに。
怖い。恐ろしい。
どうして、双子に生まれなければならなかったのか。
「お前ら。二人から離れろ」
「なんだよ。俺ら何もしてないぞ」
「そーだそーだ」
「雑鬼ども。私は離れろと言っている」
死にたい。死にたくない。
生きたい。生きたくない。
だれか、誰か殺してくれ。
殺さないでくれ。
怖い。怖ろしい。苦しい。辛い。
突然、浮遊感に襲われた。
予想だにせぬ事態に、心を恐怖が支配する。
捨てられるのか。忌み子として、殺されるのか。
いやだ。いやだ嫌だ嫌だ…!
死にたくない!
どくりと、胸の奥で何かが脈打つ。
すっと周りの音が遠のいた。
それと同時に、聴覚、触覚、視覚といった感覚が外界から膜を張ったように、そこにあるのに遠く感じる。
一定間隔で脈打つそれだけが、感覚として認識できる不思議な感じ。
音に耳を傾け、脈打つ振動に感覚を研ぎ澄ませる。
身を委ねるようにその感覚を受け入れれば、不思議と心が落ち着いた。
鼓動は次第に大きくなる。うるさいとも煩わしいとも思わず、むしろ眠気を誘うほどここちよい。
うとうとするなか、やがて一際大きく脈打つと、何事もなかったのかのように、鼓動はふつりと途切れた。
それに伴い、音をはじめとした感覚が戻ってくる。
とん、とん、と一定の速さで背を叩かれている。
もう大丈夫だ、と告げる暖かい声。視界に穏やかな目をした母の顔が広がる。
「よしよし。恐れることはない。私も益材も、お前たちふたりを愛している。だから、安心して元気に育て」
手のひらから伝わる温もり。優しい瞳。微笑む唇。
あたたかなものが胸にあふれだす。言葉にできないほどのその思いが苦しくて。でも、いとおしくて。
熱いしずくが、目尻を伝う。
大丈夫だと、信じてもいいのかもしれない。
ほしい言葉をくれた存在に身を任せ、意識は闇に沈んだ。
腕の中で眠る幼子をそっと寝かせ、葛の葉は雑鬼どもに視線を滑らせる。
「二人たちを頼む」
言葉少なに子どもたちを任せ、退室する。
力の弱い雑鬼。できることはたかが知れている。
仮に何かあったら、その時は容赦なく消すまで。
「益材」
愛しい夫の名を呼べば、益材は困ったように微笑む。
その手に握られている書状は、見なくとも何を言わんとしているのかはたやすく想像がついた。
けれど、彼が言わないから、知らないふりをする。長く同じ場所にとどまれない。連れていくことはできないから、置いていくしかない。
「忠行からか?」
「…まぁ、そんなところだ」
力のない益材が、葛の葉を娶るために交わした約定。
生まれた子どもを神祓衆の直系の家に送るか、娶らせるか。
一人であれば、こう悩むことはなかった。けれど、生まれてきた子は、双子の男児。
どちらかを寄こせと言われるのは明白で、事実、約定に従い生まれてきた子を、下の子どもを直系の家に入れろ、と催促する文が届いた。
幸いなのは、今すぐ寄こせと言わないことか。
無事に生まれてきた子でも、生き延びることができるのはほんの一握り。
力があるとはいえ、病にかからないかというと、それはまた別の問題。
何より、播磨までの旅に耐えられるとも思えない。
刻限は、七年。七つまでは神の子と呼ばれる、その時が終わるまで。
そうしたら、迎えが来る。
苦い思いを抱きながら、益材はそっと手紙を火にくべた。
申し訳ないと思う。子を、子孫を売るような真似はしたくなかった。
でもそれよりも、気高く優しい彼女とともにありたいと思う気持ちが勝った。
対価がなければ成り立たなかった婚姻。
自分自身では祓うことができない代償。
この先もずっと、あの子たちへの罪悪感を抱えて生き続ける。
あの子たちのために、できる限りのことをする。
それが親としての務め。それと同時に、あの子たちへできる唯一のこと。
白い紙が炎に包まれていく様子を見つめる益材に、葛の葉は切なげに目を細めた。
あぁ、この身が自由であれば、どんなによかったか。
そうしたら、いとしい人のそばにいられる。かわいい子どもたちと過ごせる。疎ましい彼らへの、抑止力となれたのに。
そう思って、そっと頭を振りかぶった。身の上ばかりは、どうしようもない。
離れることは必要だから、胸が張り裂けるほどつらいということはない。
遠くで、幼子の泣く声が聞こえた。
「呼ばれているから、行ってくるよ」
やることがあるのだろう。行ってらっしゃいと告げ、机に向かう夫。
その背中をみて過ごせる時は、もう長くはない。
束の間の幸せ。それはわかっていたことだ。
益材はしらない。私の秘密。共にありたいと望んでくれた彼と、束の間でも共に在りたいと思った。
何も言わずに消えることを、申し訳なく思う。
愛しい子どもたち。名はすでに決めてある。双子なのに驚いて、慌ててもう一つ考えたのは暖かい思い出だ。
私はその名を呼ぶことはできない。呼べばきっと、届いてしまう。この胸に秘め、二度と呼べなくともかまわない。
ただ。
ふいに嬉しそうに下の幼子が笑った。
…お前は、お前たちは私を忘れてしまうだろう。
それが身を切るよりも辛く、悲しい。
頬を、一つのしずくがすべる。
視線を感じて、顔をあげた。じっと見つめてくる上の童子。
内包する力を通じて、不安が伝わってくる。
この子は賢い。赤子でありながら、まるで意識は成人のよう。
何もできない母を、恨むだろうか。いなくなる母を、憎むだろうか。
「…母は、行かねばならないのだ」
突き刺すような緊張が伝わってくる。やはり、わかっいるのだろう。
守ってやりたい。その身を縛る呪を断ち切ってやりたい。だけど、できない。
「――愛しい子。そばにおれずとも、いつも思っているよ。
恐れることはない。益材も、そしてこの子も、お前の味方だ。それを忘れるな」
二人の重さをその体に刻むように、葛の葉は抱きしめ続けた。