自分の力とはなんぞや。
さっきは咄嗟に出てこなかったが、よくよく考えてみると師匠にならった、霊力のことだよな。
でも霊力って、人間が持つものだろ。今の俺にもあるのか?
そもそも、霊力で姿をかえられるのか。
それだったら、妖の持つ力、妖力の方が姿をかえられるんじゃなかろうか。
狐も狸も猫も変化が得意だし。
…今ふと思ったけど、妖力と妖気の違いってなんだ?
霊力と霊気の違いも。
霊力は戦闘の際につかうエネルギー。妖力も同じ。
師匠は妖の気配がするとき、妖気が、と言ってたよなぁ。
……妖の気配。略して妖気。なんちって。
たぶん、これと言った定義がないのではなかろうか。
如何様にも解釈することできるからなぁ。
弟ならばわかるのかもしれないが、この姿で会いにいたら蹴られるから却下。
人か妖かで呼び方が違うだけで、自分の中にある力を使うという点では同じだろう。
霊力がどうとか妖力がどうとか、そんな小難しいことをは空の彼方に放り投げて自分のなかに存在する力を制御できればそれでよし。
変化できればすべてよし。頑張るぞ、おー!
「っ……、ぎゃぁぁぁっ!?」
突然激しい頭痛に襲われ、耳をふさいで、体をよじらせた。
地面に倒れこみ、吐き気にみまわれえずく。
体を丸めて、おなかにかかる圧を和らげると、すこし楽になった気がしないこともない。
痛みの余韻が残る頭で、ぼんやりと景色を眺めた。星がきれいだ。
東の空が明るみ始めたころ、ようやく動く気力が戻ってきて、ゆっくりと体を起こした。
「なんだったんだ……あれ…」
まるで、頭の中をかき回されるのを通り越して、一気にぐちゃぐちゃにさせられるような不快感。
何が起こったのか、改めて振り返ってみても皆目見当もつかない。
恐る恐るあたりを見渡すも、特に何かがあるわけでもない。
立ち上がって、慎重に一歩を踏み出した。
――大丈夫。
もう一歩分、足を進める。まだ大丈夫。
もういっ――。
「いぎゃぁぁぁっ」
再び襲われた不快感に、後ずさり崩れ落ちた。
心構えがあったからさっきよりまましだが、気持ち悪いことに変わりはない。
あまりの気持ち悪さに目を潤ませながら、よろよろと立ち上がり、来た道を少しばかり引き返した。
道の脇にはえている木に背を預けて座り込み、ゆっくりと息を吐いた。
おなかに手を当てて深呼吸を繰り返しつつ、道の先を見やる。
「なんなんだよ、もう……」
頭痛。不快感。何処が境界なのかさっぱりわからないが、何かを境に何かがある。
それしか言えない。耐えればさらに何かが分かるのかもしれないが…。うん、ヤダ、ムリ。
耐えられないし耐えたくない。できることならそこから先には絶対に行きたくない。
でも、早く父上や弟、師匠のところに戻らなきゃ。
「……ここからじゃなければ、行けるかな?」
その日から三日ほどかけて、山の周りをぐるりと回った。
人ではなくなったゆえに身体能力が向上したからなせる技。元気だったら半分で回れたのではないかと思う。
しかし、何かを境に先へ行くと得も言われぬ不快感が襲い、その度に地面とお友達にならざるを得ず。
「あぁぁぁぁぁぁ、でれねーじゃねぇかよちくしょぉぉぉぉぉぉっ」
いや、出れなくはないけど。何回か経験して、耳ふさげば少しは楽になるような気がしなくもないことに気付いたけど、出たくねぇ。
どうしろと。俺にどうしろっていうんだ!?
引きこもれと? 家ならぬ山に篭れと!? どこの修験者だ!
心のままに叫びをあげて文字通りごろごろ転がり回る。
そうしても現状が変わるわけではないと知っているものの、かといって行き場のない感情を抑え込むこともできない。
かくして、視える人が見れば正気を疑われる行動を感情のままに取るのであった。
「――っていうことなんですけど、俺ほんとにどうすればいいんですかね…?」
頭痛は何なのか、どうしたらいいのか、原因に心当たりはないか。
相談できる人と言ったら、思い浮かぶのは一人だけ。
かくして、美人を前に情けのない姿をさらすことに己のふがいなさを感じつつも、出会った場所に来ていた。
案の定、磐の上で悠然と微笑んでいる彼女に相談を持ち掛け、現在に至る。
「その答えを、私が知ると思うか?」
「知っていたらうれしいです」
「それは残念だったな」
凪いだあおい瞳に見下ろされ、がくりと音が付きそうな勢いでうなだれた。
彼女が座る磐に背を預け、伸ばしていた足を引き寄せた。
膝を抱えるようにして腕をまわし、膝に顎を乗っけてぼんやりと視線の先にある地面を見つめた。
どうして、世の中こうもうまくいかないんだろう。
愛してほしくて、認めてほしくて、ほめてほしくて。ようやく手に入れたと思ったのに、俺のせいで傷つけてしまった。
頭から血を流す父。必死に応戦している師匠。青白い炎に包まれた弟。大切な人が、俺という存在のせいで傷ついた。
…はっ。俺ってほんとに馬鹿だ。
目の前にあるものが暖かくて、あれの存在を忘れてしまう。
いや、忘れようとしているのか。忘れたいと願っているのか。
あれは、世界を超えて追いかけてくる。執拗に、この命を狩るために追いかけてくる。
どこまでも、どこまでも、この命を狩りとるその時まで、永遠に。
周りへの影響なんて考えもしない。
傷つく人を何人も見てきた。人生を狂わされた人を何人も知っている。
なのにどうして、誰かのそばにいるその危険性を忘れていたのか。
俺がいるから、周りの人間が傷つく。
忘れてはいけない。忘れてはならない。
ぎゅっと腕に力を籠め、唇をかみしめる。
なぜか忘れてしまっていたそれを、今度は忘れないように、刻み込むように何度も何度も繰り返す。
大切だから、近づかないほうがいい。近づいてはいけない。
忘れてはいけない。俺がいるから、あれは顧みないことを。
俺がいるから、周りの大切な人たちが傷つくことを。
一緒にいてはだめだ。傷つけてしまう。
傷つけたくない。傷つくところを見たくない。
自分のせいだと知って、畏怖の目を、軽蔑する目を、向けてほしくない。
「何を恐れている」
唐突に上から降ってきた声に、びくりと体を震わせた。
冷水を浴びせられたように、全身から血の気が引いていく。
誰かと一緒にいることは、その人を傷つける。だから、一人でいるほうがいい
そう思っていたのに、そばにいることは当たり前だというように感じていた。
あまりにもそこにあることが自然で、空気のようにそこにいることを認識できていなかった。
行かなければ。ここを、出ていかなければ。
――いいや。出て行ったところで、あれは周りを巻き込んで追ってくる。
なら、どうすればいい。どうすれば、だれも傷つかなくて済む。
追ってくるのは、この命がほしいから。巻き込むのは、あれにとってどうでもいい存在だから。
あぁ、そうか。
生きたいと、欲しいと願わなければいいのか。
普通に過ごしたい。愛してほしい。生きていたい。そう、願うことをやめたらいいのか。
そうして、あれの手を振り払うことなく取れば。
ふらりと立ち上がり歩み出す。
消えればいいのだ。いなくなればいいのだ。
それは決して、いらないからじゃない。みんなが傷つくことがないように。
人生を狂わせることがないように。
自分さえいなければ、あれがみんなを巻き込むことはない。
俺が、いらないわけじゃ。
「だめ、お兄様」
後ろから聞こえた声。
疑問に思うよりも早く、視界が闇に染まった。
崩れ落ちた子どもを抱えて、唐突に表れた人物は振り返った。
二人の間を流れる沈黙を破ったのは磐に泰然と座る神であった。
「かの一族のものが、何用だ」
「お兄様をやつに渡すわけにはいかない。ゆえに止めに参った次第。
高淤加美神に置かれましては、ご機嫌麗しく」
「そう見えるか」
「近年まれに見る存在となりましたので」
「……。すでに、そこまで減ったのか」
「もとより、核たる神がいなければ成り立たない存在ですから、彼女たちは。核たるかみがいなくなっても保てる者はほんの一握り」
「お前は違うとでも?」
「似て非なるもの。もっとも、“姫”と呼ばれる彼女にこの命を握られていることに変わりはありませんが」
まぁ、そんなことはどうでもいいんですけど。
そう言うないなや、抱え上げている少年を差し出す。
「そういうわけですので、高淤のお母様にはお兄様のことを気にかけていただきたく」
真顔で平然と紡がれた言葉に、耳を疑う。
しかし、目の前の人物の背後にいるものを思い出して、納得した。
この世界とは全く異なる世界がある。
この世界に重なるように存在している世界とは異なる、完全に独立した世界だ。
その独立している数多の世界の均衡を司る神と、その神に付き従う者と一族がいる。
彼らを総じて『調節者』あるいは『
その中に、数多の世界で転生するものがいると聞いたことがある。
このものは、そういう役を担うものなのだろう。
転生した中に、”高淤加美神”の娘として生まれたことがあったのか、はたまた別の理由なのか。
なんにせよ、お母様と呼ばれる所以がそこに在ったのだろう。
とはいえ、それは別の世界での話。私には関係のない事。
じっと見つめてくる黒曜の瞳を見つめ返した。
関係はないが、おじけないその態度は気に入った。
不遜とも取れるが、その働きに免じて水に流すことにする。
先ほどから結界に干渉していた煩わしい者がいなくなった。
おそらく、この男が手をくだしたのだろう。
そこまで考えて、ふと思い至った。
世神が背後にいる条件のもと、気に掛ける、というのは死なないよう守れ、というのと同義だ。
結界に干渉していた者は、おそらく子どもを狙ったもの。
手を下しているのであれば、その必要はないはず。ならば、退けただけであって、完全には消せいないということか。
「お前が排除したあの煩わしい者から、この高淤にその子どもを守れと」
「願わくは。…あれは、脅かすもの。何度も消そうとした。でも生きている。
消せるのは、おそらくこの者だけ。そういう事実を踏まえたうえで判断していただきたく」
「この子どもだけが、あの煩わしい者を倒せるとでもいうのか。お前にも出来ぬ事を」
「あれに力を与えたのは“姫”なので、おそらくはそのせいかと」
「なんだと?」
「次代は立った。だが、補佐が皆無に等しい。だから、引き込むための状況を作り上げる」
そのために、人ひとりの運命を捻じ曲げているのか。
理由はわかった。しかし、それは数多の神々にでさえ批難されること。
人の運命に関わったうえ、その世界から魂を一つかっさらう真似。一つとはいえ、重要な構成要素だというのに、彼らは顧みない。
それに加え、もともと目的のためなら手段を問わない者たちだ。より癇に障るというもの。
もっとも、多くの神々にとっては、の話ではあるが。
「相変わらず、あれらは無情だな」
「彼女らは無情でなければ、多くの世界の存続が危ぶまれてますよ」
必要があらば情を捨てる。それが世神。
捨てられなかったものは、情を持つ代わりにその命を失う。ただそれだけだ。
「――いいだろう。私がその子どもに興味を抱いている間ならば、気にかけてやる」
「寛大なお心に御礼申し上げます」
子どもを受け取れば、その男は安堵したように息をついた。
「随分と、気にかけているようだな」
「世界は違えど、私があなたを母と慕うのと同じように、兄として慕っていますので。
しばらくは大丈夫だとは思いますが、あれに呑まれて消える真似だけはしてほしくない。それだけですよ」
「お前は、あれらとは別だと?」
「好きに生きろと、”姫”から仰せつかっておりますゆえ」
それが、情を捨てる前の彼女のささやかな願いだと知っている。
彼女自身の願いを知っているが、彼女は彼女で、私は私。
それとこれとは話は別。だから好きなように適当に生きている。
その時が来るまで、生き続ける。それが役目だから。
「それでは、御前を失礼いたします。そのうち、また伺うのでその時はどうぞよしなに」
返答を待つことなく、それは消えた。
厄介な奴に目をつけられたものだと、安心しきったように眠るその子どもを見つめた。
興味を抱いている。
物おじしない子どもに。妖となることを選んだ子どもに。
力を持ちながら、気配の区別がつかない、ちぐはぐな子どもに。
だから。
「せいぜい、楽しませてくれるんだな。がんぜない、人と妖の子よ」
この先、この子どもがどんな道を歩むのか、それを見ていようではないか。