迷走中、楽観主義。
ごめんなさい、と誰かが言った。
何度も何度も泣きながら謝る姿が、いつかの姿に重なる。
手を伸ばしても届かないあの空。
必死に動かした足が海面に絡め捕られる。
ただ、前に。
もう少しで辿り着けるというのに、進む力がなくて。
水面に沈む。
「ごめんなさい」
再び聞こえた声は、いつかの自分の慟哭だった。
妙な夢を見た日は、何時も決まって深夜二時に目が覚める。
「はぁ・・・・・」
小さくため息をついて体を起こすと、目線を空中に向ける。
枕もとに置いてあるブレスレットが反応して、時計が空中に浮かんだ。
時刻は丁度、二時。
やはり妙な夢を見た日は、この時間に目覚めてしまう。
昨日は久しぶりの出撃で、戻ってきたのが夕方。
艤装の点検や推進器系の見直しで遅くなって、最終的にベッドに入ったのは十一時だったのに。
幸い、今日は休息。一日、何事もない日だから寝ていても問題はないのだが、今はとても眠っていられる気分じゃない。
ベッドから抜け出し、イスにかけてあるカーディガンをかける。
淡い藤色のカーディガンは、街に行った時に気に入ったもので、何時も気分を上げてくれる。
今日も少しだけ上がってきた気分のまま、部屋から廊下へと出る。
深夜の寮の廊下は、誰の気配もしない。
『ピ?』
気配はないが、見回りのバッタと妖精たちはいるらしい。
提灯を持ったバッタ六匹と妖精たち八人の組みは、一瞬だけこちらを見てから、再び進みだす。
顔色から問題ないと判断されたか、それとも何時もと同じ時刻だからそっとしておいてくれたのか。
どちらにしても、見回り組は行ってしまう。
再び薄闇となった廊下に出て、彼女は窓から外を見つめる。
夜間訓練の光が、海面を走る。
今日は誰だっただろうと思いだそうとして、窓へと近寄った。
ひとつは見事に一直線を描く光源。
きっと旗艦だろう、艦隊軌道の目印のためにつけているのだから、残りは新人が初の夜間訓練を行っているのだろう。
ここ―八丈島鎮守府では、無灯火で夜間訓練を行っても、艦隊機動に乱れはないから。
闇を見つめる。
廊下にある僅かな光が外を塗りつぶして、中を浮かび上がらせる。
漆黒に映った自分は、とても儚く弱くて。
とても、『・・・・』だとは思えないほどに。
気持ち悪い、気持ち悪い。
こんな弱い者が、皆の希望だったなんて、気持ちが悪い。
戦艦の象徴、日本海軍の最後の砦。
敵の悉くを打倒し、味方を救いだす圧倒的強者。
なのに、今の自分は何処までも弱くて惨めで、臆病だ。
「大和?」
名を呼ばれ、顔を上げる。
ハッとしてあげた視界に映った窓には、自分以外にもう一人。
駆逐艦、『吹雪』。八丈島鎮守府の最古参が、そこにいた。
「ああ、また変な夢を見たの?」
「え、あ、あの・・・・・・」
「しょうがないか。こんなところで一人にしておくのは、薄情者だから。一緒に来ますか?」
一人で納得した吹雪が手を差し伸べ、大和は少しだけ唖然としてしまう。
「怒らないんですか?」
「何故? 明日が出撃だったら諌めますが、明日は休息でしょう? なら構いませんよ。提督や代行も、そこまで厳しくないので」
どうしてそこで二人が出てくるのだろう。
疑問を浮かべる大和の手を取り、吹雪は歩き出す。
「どうせ眠れないのなら一緒にどうですか?」
「何処へ?」
「ちょっと内緒の密会です」
少し照れたような彼女に連れられ、大和は寮を出た。
普段なら明るい鎮守府は、今は静かな闇の中。
時々、警戒用の航空機の音がするだけで、他の音はしない。
向かった先は鎮守府の中、工廠。
僅かに扉が開いており、中から光がさしていた。
「あの・・・・・・・・・・」
「吹雪です。ちょっと一名、いますけど」
「はい、どうぞ」
声と同時に顔を見せたのは、ルリだった。
「提督代行?」
「ああ、大和でしたか。どうぞ、でも見ていて面白いものじゃありませんよ」
招き入れられるまま、大和は二人の後について工廠に入る。
普段なら明石や夕張が作業している工廠を抜け、提督の艤装が保管されている場所の一角、そこへと進んでいく。
「ここは?」
「内緒ですよ・・・・・さて、『我ら世界の果ての最奥を望む』」
『故に我らはすべてを手に入れる』
誰かの声がした。聞き覚えのない男の声。
「『血の十字架の名に誓い』」
『すべての者に沈黙を与える』
「『ただ一つの願いのために』」
壁の一角が動き出す。
四方に区切られた場所が、一瞬で別の場所になった。
「え?」
「置換魔術の一種のようなものです。一定範囲と一定範囲を入れ替えるだけですよ」
軽く説明されるも、大和には理解できない。
理解を超えているのかもしれない。
今、彼女の視界には巨大な船体が映っているから。
『ピ!』
バッタ達が振り返る。
鎮守府で見慣れたバッタ達が、数万以上はいる巨大な格納庫。
艦首をこちらに向けた巨大な船が三隻。左右の船よりも中央の船が巨大過ぎて、周りの縮尺がおかしく見える。
「これより定期メンテナンスを行います。絶戦艦級『イオナ』『アリア』、総旗艦『アルカディア』、全ユニット及び武装のフルコンタクトを了承」
ルリの号令を受けて、それぞれの船体に『スフィクス』が浮かび上がる。
『了承』
右側の船体に白いドレスを纏った少女『イオナ』。
『ようやくですか』
左側の船体に同じく白いドレスに白い髪の少女『アリア』。
『ああ、やっとだよ』
中央の船体のスパイラルホーンを持つ少年『バビロン』。
「暴れるわけじゃありません。あくまで定期メンテナンスです。最近は色々と物騒なので。各自、艦載機も含めてのメンテナンスを」
『了解だよ、ルリ。『スノーホワイト』のロックを外してくれない?』
「ダメです。そちらのロック解除キーを私は持っていません」
バビロンの言葉に、ルリは首を振って拒否する。
『はい? 『旗機』のチェックもするんだよね?』
「外部からのチェックだけです。テラさんの専用機には、私でも触れられません。近衛騎士のL.E.Dミラージュやオージェに触れられないのと同じ理由です」
『・・・・・・おう、シット』
『馬鹿ばっか』
『馬鹿ばかりですね』
「人のセリフを取らないでください。近衛騎士には触れないで、他はチェックを。迂闊に触れて動き出したら、一時間で地球が消えますから」
とても危険な話が出たのだが、大和は聞き流すことにした。
八丈島鎮守府において、聞き流すのは安全を確保する確実な手段だ。
「では全員、テラさんが熟睡している二時間の間に終わらせるように」
『了解!』
たったそれだけしかないのですが、とルリは小さく呟いた。
慌ただしく動いているバッタ達を余所に、ルリ、吹雪、大和は指揮所のような場所でイスに座っていた。
「で、どうしたんですか?」
「大和が廊下に立っていて、その・・・・・」
吹雪が言葉に迷う。
言っていいのか、それとも言わない方がいいのか。
迷う彼女を見ていたルリは、視線を大和へ向けてから、じっと見つめる。
「なるほど。本当に、うち―八丈島鎮守府の艦娘は強ければ強いほどメンタル面が弱いんですから」
「あの、その」
見抜かれたらしい。
大和は少し恥ずかしくなって俯く。
「別に怒りませんよ。恥ずかしいことでもありません。心を持っているなら、余計な考えが浮かぶのは当たり前のことです」
私だってそうですよ、とルリは最後に小さく付け足す。
自分だって、決して平坦な道を歩いてきたわけじゃない。
テラと出会って、『サイレント騎士団』の全軍の指揮権を得るまで、かなりの苦難があった。
今でもそうだ。全軍の九割九分の命令権を得たとしても、未だに近衛騎士は反発している。
『サイレント騎士団』以外では、同じシリーズの機体でも反発されることはある。
アイリスの『テンプル騎士団』、アセイラムの『遊星騎士団』は特に。
「意外です。提督代行はずっと、冷静沈着だと思っていました」
「私だって心がありますから。ただ、貴方達の前では平然としているだけですよ」
本当に意外だと大和が思っていると、室内にノックが響いてバッタ達が入ってきた。
それぞれが飲み物を渡してくるが、中身がコーヒーだったりする。
「私はメンテナンスが終わってから仮眠をとります。二人は戻るなら戻りなさい」
「私は最後まで付き合います」
吹雪は早速とコーヒーを受取、飲み始める。
「大和、無理して付き合わなくても大丈夫ですよ」
「いいえ、私も眠れそうにないので」
「無理しないでくださいね。貴方は大切な八丈島鎮守府の駒ですから」
「はい」
受け取ったコーヒーは、とても熱くて、とても暖かくて。
「闇を飲むような、というのはアラブ系のコーヒーだそうです。アメリカンとは違って濃いですよ」
「あ、そうなんですか?」
「ええ。吹雪はこちらのほうが好きらしいですけど」
チラリとルリは視線を、美味しそうに飲んでいる子に向ける。
大和も顔ごと向けるのだが、吹雪は気にした様子もなく飲み続ける。
「・・・・・・時々、こっそりとチョコレートを入れるのですが」
「提督代行!」
赤面して叫ぶ吹雪だったが、手に持っているチョコが丸見えだ。
「無理して大人を演じなくて。自分が美味しいと思うもの楽しみなさい」
「は~~い」
「だからって、変わり身が早すぎます」
容赦なくコーヒーにチョコレートを入れる吹雪に、半眼で呟くルリ。
不意に、大和は可笑しくて笑ってしまう。
「あ、やっぱり子供っぽい?」
「いえいえ、吹雪さん。違うんです、私って馬鹿だなぁって」
赤面して質問してくる彼女に、大和は正直に答えた。
本当にバカだ。昔のことを思い出して、あの時の無念を今に置き換えて、進もうとしないなんて。
「・・・・・・今ですか?」
「酷いです、提督代行」
「何を今更。貴方達、というより艦娘全員が馬鹿なんですよ。昔に引きずられて今を決めてしまうなんて、馬鹿なことです」
一つだけ呼吸を挟み、ルリは二人を見つめる。
「貴方達はここに生まれて進んでいく。他に同じ『貴方』がいても、世界で『貴方』は一人しかいない。ならば比べることも、過去を後悔することもせず、前に進みなさい」
淡々と語りながらも、何処か暖かい目線でルリは見ていた。
小さく頬笑みを添えて。
「そのために必要なものは私やテラさんが揃えてあげます。もし何かあったら取り除いてあげます。だから、駒らしく自由に生きなさい」
「はい」
「はい!」
「よろしい」
満足そうに頷いて、ルリは再びコーヒーに口をつけた。
その後は他愛のない談笑が続き、やがてメンテナンスは終わったという。
「・・・・・・でも、時々は使ってみたい欲求がありますね」
終わった後、ルリはポツリと呟いたという。
不意に目が覚めた。
またかと思いながら時計を見れば、今日は珍しく朝の四時。
何故だろうと考えながらも、体を起こす。
少し早いかもしれないが、今から寝ても同じだろう。
今日は待機、時間は七時より。
珍しく朝の早い時間が指定されているのだが、何かあったのだろうか。
体を起こした大和は、身支度を整えた後に部屋を出る。
慣れ親しんだ習慣のまま、無意識でもきっちりと身支度を整えるのは、ある意味で病的なことだと誰かが言っていた。
昨日はまた夢を見た。
無力な自分、役に立たない鉄クズ。
あの人―山本五十六も、自分のことをそう思っていたのだろうか。
すでに死んだ人だから聞けるわけがないが、もし目の前にいたら聞いてみたい。
貴方にとって、大和はどういった存在だったのか。
無用の長物、時代遅れの鉄クズ。
何度も夢を見る。何千回だろうと、見続けてしまう。
艦娘ならば、誰もが。
無力に沈んだ自分を、何もできずに味方が沈んでいくのを見送ることを、幾度となく死んでいく戦友たちを、何度も見送る。
悲しくて辛いことだけれど、今は。
「ありゃ、大和」
「あ・・・・」
気がつけば港近くまで来ていた。
まだ闇の中、銀色の艤装を纏った提督がいる。
「夢遊病なら医者を紹介するけど?」
「いえ、そんなことありません。提督は今からですか?」
「ちょっと散歩。ルリちゃんがやたらと複雑なロックかけるから、ここ最近は出られなかったからね」
提督が語る周囲には六つの戦艦と二つの空母が従う。
昔の自分のような形の戦艦に、大和は不意に口を開く。
「提督にとって、戦艦ってなんですか?」
「絶対最強」
即答するテラは、笑っていた。
意地の悪いものでもなく、ただ純粋に子供のように。
「何が来たって負けない。誰が相手でも一歩も引かない。味方のためなら楯にさえなる、戦場の王者だ」
「そう、ですか」
まるで自分と正反対な意味に、大和の顔が少しだけ歪む。
「『俺たちにとっての大和はそうだった』って言っているよ」
「え?」
「じゃ、大和・・・・・・・君の昔の戦友たちによろしく伝えてくるよ」
軽く手を振って走りだす提督を、大和は呆けた顔のまま見送った。
誰が、戦場の王者で、味方のための楯で。
「『勇気の象徴であった』」
夢が流れる。
今日に見た夢は、ある男の独白。
いや、多くの男たちがそれぞれに語る理想の朗読。
『我らにとっての大和は、まさに戦艦の象徴であり、海軍の魂であった。なあ、大和、我らはおまえを上手くは使ってやれなかったかもしれない。けれど、我々はおまえと共にあったことを、後悔はしてない』。
語られる言葉は、彼らのものであったのか解らない。
けれど、今は前を向いて言えることがある。
「提督、私は大和です。最強の戦艦であり、最後の楯でもある大和ですよ」
遠ざかるテラは、振り返りながら片手を上げた。
「知ってる!!!」
叫ぶ彼はそのまま夜の海へと消えていった。
今日はいい日になりそうだ、と大和は思う。
そして今夜もまた、自分は夢を見るのだろう。
怖い夢もいい夢も、そして自分の戦友たちの夢も。
始まりは些細なこと。
人にとっては、些細なことがその人の人生を変化させる。
いつだって