またです。
ブラックコーヒーありますか。
まあ過ぎます。
怖いです。
ジョーカー帝国において、皇帝は飾りでしかない。
実際に帝国の運営を決定しているのは皇妃であり、皇帝はその政策に口を挟んだことはない。
しかし、帝国の最高権力者が皇帝なのは、揺るぎない事実。
書類の最後のサインは、皇帝が行わなければならないのは、当然のこと。
「だからっておかしいと思わない?」
アイリスは書類を持ち上げて、溜息をつく。
「そもそもよ? 普段から政策に携わっていないのに、最終的な決定権を持っているのは、明かにおかしいでしょう?」
「まあ、この国はテラが言い出してできたのですから」
アセイラムが宥めるのだが、アイリスは止まらない。
「ええ、そうね。確かにテラが言い出してできたのだから、皇帝はテラがやるべきね。けれど、あの馬鹿に勤まるなんて、誰が考えたのかしら?」
室内を見回す彼女の視線に、誰もが答えずに沈黙を守る。
「そもそも、誰が言い出したの?」
さらに念押しに、全員の目線が真っ直ぐに返ってくる。
時に目は口以上に言葉を語るというが、全員からの無言の返答にアイリスは思い出す。
「昔の私の馬鹿」
グッと拳を握って、堪える。
確かに言ったのは自分だ。『言いだしたのだから責任取りなさい』と。
あの時は、『これでテラも落ち着くでしょう』とか甘い考えをしていただけなのだが。
落ち着くどころか、悪化してしまったが。
「とにかく、このききゃい?!」
「きゃい?」
言葉の途中で妙な悲鳴が混ざり、何があったのかとアセイラムが見つめ直すと、原因が軽くピースしている。
「いぇーい」
「テラ!!!」
机に突っ伏していたアイリスが体を起こし、『自分の後ろにいるテラ』に食ってかかる。
「何したの?!」
「舐めた」
即答。
一瞬のためらいも戸惑いもなく、即答する馬鹿が一人。
「何してるのよ!」
「いやだって、さっきから目の前をチラチラと、美味しそうな項が見えるからさ、思わず」
「だから何で?!」
「いやなんでって。そもそも、アイリスが俺の膝の上に乗っているからじゃないの」
「だから何よ?」
半眼で見てくる妻に対して、テラは嫌な予感がして顔を反らす。
「乗っているから何かしら? まさか、天下の『神帝』様は、たかが女性の項程度で動揺するの?」
軽く挑発。もう今までの色々なことの恨みが、そのまま載せられたような眼差しに、テラは軽く首をかしげた。
「もちろんです」
「あんたにはプライドってものがないの?」
「ない、いいかげんに降りないとお持ち帰りにするぞ」
「どうぞ。なんといっても、私は貴方の妻ですから。なんなりとお持ち帰りください」
とてもいい笑顔で告げながら、アイリスは姿勢を変える。
背中ではなく正面に、テラの首に両手を回して、妖艶な笑みを浮かべ。
「いかが、旦那様?」
「じゃ、お言葉に甘えて」
「へ?」
素早く立ち上がったテラは、そのままアイリスを御姫様抱っこして歩く。
「セラム、二時間くらいで戻る~~」
「はい」
「ちょ?! まって! セラム止めて! 雪菜!! 笑ってないで止めなさいよ、ロゼ!! ああもう! 誰か止めてぇぇぇぇ!!!」
「挑発した貴方の責任ですよ、アイリス」
フッと消えるように姿を消した二人を見送った後、アセイラムは静かに黙祷した。
室内にいた皇妃全員が、自然と黙祷を捧げた。
一年、ほぼ接触がなかったテラを挑発したのだから、きっとアイリスは明日まで動けないだろう。
疲れきってか、気絶してかは知らないが。
「アイリスの尊い犠牲により、テラの発散は終わりましたので」
「ああ、うん、そうだね。なんであいつって、こう極端なんだろ」
ロゼががっくりと肩を落とす。
それはこちらが聞きたいと、アセイラムは思う。
女好きではないが、愛した人は大好き。大切にするのに、時々は暴走するのは、きっと一族の呪故だろう。
子孫を残し、すべてを伝え、最愛の人を護るために。
この場合、最愛の人の定義は、個人個人によって曖昧になるらしいが、共通するものがある。
もし最愛の人が護れなかった場合、その者は必ず死ぬ。
例外はない、護れない者に価値などないと、速やかに首を落とす。
それが彼らの一族の呪。
千年の寿命を持ちながら、八十年で使い切るほどに苛烈に生きる彼らの中でも、最も強烈な自己批判の果て。
「では、決算も終わりましたので、後は自由ということで」
「セラム! 道連れは必要でしょう?」
「え?」
いつの間にか背後に出現したアイリスによって、彼女も連れて行かれたのだった。
その後、二時間後に戻ってきたテラは、執務室の机を見回して落胆したのだった。
「俺の仕事がぁぁ」
「残しておくわけないです」
雪菜の一言が、止めになったとか。
ジョーカー帝国の主星の帝都、そこには城がない。
政庁らしいものはあるが、皇帝や皇妃用の居城はない。
住む場所は『ヴァルハラ』の『神帝城』にあり、政庁内部には執務室といった公的な部屋のみ。
皇妃それぞれが抱える騎士団は、『エデン』のそれぞれの母港に収納され、帝都には旗艦用にドックがあるだけで、他にはない。
当初、これには帝国軍や政治家から色々と言われたが。
「そんな余分なものに資金を使うくらいなら、もっと他に使うべきところがあるでしょうが。家とか部屋なんて眠れればいいの。施設よ、公共機関、教育機関、医療機関、福祉施設。ほら、いくらでもあるじゃない」
言ってくる人は皆、アイリスの正論で戻っていったが。
ちなみに、帝国軍本部や、帝国警察機構本部、帝国情報局本部といったものは、主星の各地に分散されており、総会議時のみ、帝都に集まる。
民間人及び民間企業の、一切の立入禁止領域として。
反乱した場合、周辺一帯ごと、消滅させられるように。
「というより、あの馬鹿のための城なんて一つで十分でしょうが」
「本音を出すのは、身内だけの時にしてください」
ポロリと言ってしまうアイリスに、ユイがため息交じりに忠告したのは、いい思い出らしい。
夢が終わる、その瞬間に浮かんだ思い出に、彼女は小さく微笑む。
「お、起きた」
「え? あれ?」
ユイは、目の前にいるテラの顔を見てから、自分の格好を見て、さらにテラを見た後に体を隠すようにシーツに潜る。
「お、おはようございます」
「はいはい、おはよう。先に行くよ~~」
「はい、着替えてすぐに行きます」
「なんで敬語?」
疑問一つだけ置き、テラはすぐに部屋から出て行ってしまう。
はうっと息を吐き、グッと背伸び。
昨夜はテラが泊まったのだったと思い出し、だから昔の夢を見たのかと結論を出す。
今日は一日、御休み。
アセイラムとアイリスの二人が動けないのは、確認済み。
確認した深雪曰く、『容赦のないのは、昔からですね』、とのこと。
具体的な内容も聞きたいかといわれ、ユイは首を振った。
容赦ない時のテラは、本当に容赦ないらしい。
自分はまだ体験したことはないが、アセイラムとアイリスはそろって同じ言葉で表す。
「愛情という名で隠れた猛獣」
呟いた途端に寒気がして、首を振って振り払う。
今は忘れてしまおう。
急いで着替えて追いかけないと、テラがふらふらと何処かへ行ってしまうから。
手早く着替えて室内を出ると、珍しくテラは廊下で待っていた。
「え、あの・・・・・・テラ?」
「ん~~」
彼は無言で歩いて来て、ポトリとユイの肩に顔を埋めた。
「どうしました?」
「ユイの体に俺の残り香つけた」
「・・・・・・・テラは時々、私たちを撃沈しにかかりますよね」
一瞬で恥ずかしくなって顔が真っ赤になった。
彼は時々、こんなことをする。
素で言っているらしいのは、幼馴染二人からの証言で知ってはいるが、時には裏があるのではと疑ってしまう。
「うん、俺だけ撃沈されたままじゃ『しゃく』だから」
「撃沈しましたっけ?」
「惚れてますから・・・・・愛しているよ、ユインシエル」
「ああ、なるほど。私もですよ、テラ」
彼は『知っているよ、ありがと』と言いながら、体を離した。
僅かに残る温もりが、とても残念であり、離れてくれてドキドキが収まるからと安心した。
「朝飯にしようか」
「そうですね。今日は、何が出てきますか?」
「あ~~今日の調理番は誰だって? あれ、調理番ってまだやっているの?」
「やってますよ。今日はそうですね、葵でしたよ」
「なら大丈夫。葵は料理上手だから」
軽やかに笑う彼に、穏やかに微笑みを向ける。
彼のいない日々は楽しいことも、何処か物足りなくて。
彼のいる日々は、とても心から安らいでいく。
初めて会ったあの日から、ずっとそう思えた。
ガシャンと音がした時、テラは全身が震えた。
「え、え?」
朝ご飯は奏が存分に腕を振るった料理で、久し振りの奥様の手料理で嬉しくて楽しくて。
朝食が終わった後に、軽く散歩して歩いていたら、前からクトリが嬉しそうに手を振ってきて。
両手に手錠をかけられた、と。
「・・・・・・ちょっと待って、何してんのクトリ?」
「え? 逃げないように逃がさないように手錠した」
当たり前のこと聞かないでよ、と顔に書いてありそうな彼女に、テラは前にルリと話したことを思い出す。
やはり、クトリの愛情は重い。
大切なものが、大切な家族が、すべて消えて行ってしまったから、大切なものを失う痛みを一番、知っているのだから。
「俺、まだ戻らないと」
「何で? 戻る必要があるの? テラはここにいればいいんだよ。別の世界なんて関係ないじゃない」
「約束がある」
「関係ない、私には無関係。テラはここにいて」
真っ直ぐに見詰めてくる彼女の瞳は、何処までも澄んでいた。
これで濁っていたら、『ヤンデレ』とかになるのだろうが、彼女は純粋にそう思っていた。
「ごめん、約束を破りたくないから」
「私たちより重いもの?」
「それはない。クトリ、怒るよ」
「はぁ・・・・・・・私だって怒りたいんだけどな」
溜息一つ、その後に彼女は手錠を外した。
「ありが・・・・」
言葉の途中で、口を塞がれた。
「貴方を殺してしまえば私だけのものに出来るのに」
温もりが離れた時に、置かれた言葉はとても印象深いもので。
「けど、貴方を殺してしまったら、私の世界が終わってしまうから」
「だから、貴方を殺す前に私を殺して・・・・・・って、なんでテラが最近のドラマのセリフを知っているの?」
「え? 前にクトリが面白いって言っていたから、見ておいた」
「そっかそっか・・・・・・・私の本心、そこだからね」
念を押すようにクトリは指さす。
「俺はクトリを殺したくないなぁ」
「私だってそうだよ。テラを殺したら、自殺する間もなく八つ裂きにされるから」
誰にとは言わない。
クトリは近接戦闘能力が高いが、それでも雪菜には劣る。
魔法も使えるが、メテオラや深雪に勝てるほどじゃない。
騎士団を持ち出したとしても、きっとユインシエルが抑え込む。
何より、彼女の刃ではテラ・エーテルは殺せない。
彼女の『フェアリー騎士団』では、『サイレント騎士団』の前衛も突破できない。
だから、想いだけを彼の中に残す。
これだけは、誰にも防げないし、防がせるつもりはないから。
「必ず戻ってくるんでしょ?」
「もちろん」
「浮気は許す」
「え、そこは許さないって言うところじゃないの?」
「もう一人や二人は増えそうな予感がするって、言っていたなぁ」
大げさに天を仰いだクトリに、テラは何も言い返せなかった。
その後、彼女と少しだけ散歩した後に、テラは戻る。
「多妻の時点で、浮気とか関係ないか」
最後の最後に、とても凄い言葉を言われたが。
逃げこむ場所があることは、とても嬉しいことなのかもしれない。
「で、私のところ? まったく、私は貴方の妻になったけど、駆け込み寺にはなってないんだけどなぁ」
葵は少しだけ頬を膨らませる振りをして、チラリとテラを見つめる。
体に変化なし、欠損は見られず。ただ、妙な能力が付随している、か。
「ごめん、恩にきます」
「本当にそう思っているの?」
怒ったふりを続けながら、さらに細かく『見る』。
「葵さ、実は言ってないことがある」
「ん、何?」
「実は葵が能力を使うと、『目が虹色』になる」
「嘘?!」
まさかと鏡を見つめるが、瞳の色に変化はない。
そもそも、だ。能力を使用して瞳の色が変化するなら、最初の頃に指摘されて訓練されるはずなのに。
「テラ、騙したの? 追い出しましょうか?」
「ごめん、悪かった。申し訳ない」
「まったくもう。でも、何で私のところ? 逃げるなら、クルルのところとか、後はエミリアのところでもいいんじゃないの?」
『ヴァルハラ』最奥にある場所に何時もいる、エミリア・アークドライブ・エーテルは、防御系や妨害系の技能を得意としているため、彼女の傍にいると他の騎士団や奥様の追跡を逃げることができる。
今回の場合、彼女が協力することはないだろうが。
「ん、行ってきたら、大泣きされた。で、慰めたけど、居づらくて」
「それで私のところね。私だって言いたいことあるんだけど?」
「でも、葵は言わないじゃない?」
まあ、確かに。
相手を気遣いとか、テラが疲れているとかではなく、テラが馬鹿で言ったところで無意味だと悟ったから。
後は、そんなバカなところが好きだから、忠告しないのかもしれないが。
「それで、何時までいられそう?」
「すぐに戻るよ。あっちにはルリちゃんもいるから」
「解った。でも、なるべく早く戻ってね」
さびしいから、という言葉を飲み込む。
彼には彼の事情があって、決して遊び半分で留守にしているわけじゃないから。だから、自分のこんな気持ちは重荷でしかない。
心の底に押し込めて、上から蓋をして。
「戻るよ。俺が寂しいから」
でも、彼はそんなもの関係ないように、蓋を取り除く。
言いたいことも、言われたいことも、解ったように。
「なら私から言うことはなし」
「ん、そっか・・・・・・じゃ俺から」
何を、と質問する途中で、葵は口を閉じた。
「よっし、元気が出た」
「ああ、そう、うん、別にいいけど」
唇を抑えて、葵はそう告げるだけで精いっぱいだった。
まったく本当にこの人は、不意撃ちが得意なのだから。
いや、誰かの悪癖がうつったのかもしれないが。
「じゃあね、葵。また後で」
「はいはい」
手を振って退室するテラに対して、奏は俯いたまま手を振った。
顔が赤面してあげられなかったわけではない。
絶対に。
日々、色々なことがある。
一日だって同じ日はない。
だからこそ、毎日が愛おしい。
でも、こんな日は考えてしまう。
もし、平和な時代に生まれたら、自分はどんな人生を歩んだのだろうか、と。