迷走中で、暴走中。
誰だろう、この子?
作戦開始前、総旗艦の名前を聞いた彼女が思ったことは、『大丈夫だろうか』だった。
姉の影に隠れた平凡。
常に誰かと一緒に行動しているような、頼りなさばかりが目立つ艦娘。
『じゃ、扇で』
出撃時の訓示などなく、ただ一言だけ告げて動き出した彼女に、誰も異論を挟まなかった。
『総旗艦殿の直衛は?』
『私の? 必要ない、全員で扇。中心点は私がするから、最後衛に下がるけど』
扇。艦隊の配置を意味する単語であり、見た目がそのまま扇のようになる形から名付けられた進軍形体。
扇の曲線上に全艦娘を配置し、持ち手部分―中心点に一隻だけ艦娘を配置する形。
最低数三艦隊分、十八隻で広大な海域を監視・攻撃しながら進撃できるのだが、一隻でも脱落したら崩壊する綱渡りの陣形。
広く広く。同じ距離を進んでいるのに、仲間の姿は辛うじて見えるほどに広範囲に広げられた陣形に、彼女―春風は体が震えてくる。
こんなに広げて大丈夫か。
そもそも、演習時でさえ扇は使われることが稀だ。
広大な範囲を確保できる反面で、前衛と後衛の間が開き過ぎていて、敵に回り込まれて包囲される、殲滅される危険性がある。
とても繊細な、それこそ針の穴を通すほどの緻密な艦隊の運営と、敵に対しての的確な対処が必要になる。
通常ならば、中心点の艦娘は三名。
情報を精査する者、味方艦隊の陣形を維持する―これには制空も含まれる―者。そして、それらを正確に把握し作戦の推移を決める者の三名だ。
だというのに、今は彼女しか中心点にいない。
誰か止めるべきでは、と周りを見ても誰も口を挟まない。
『総旗艦殿の決定なら』
『やめてよ、妙高さん。じゃ、それで』
そう告げて出撃したのだが。
何事もない海域侵入。敵影も見えない海域を進む中、上空に影が翻る。
敵、と春風が見上げた先、六つのジェットエンジンをうならせた機体が浮かび上がっていた。
『ホークアイ』。広域センサーと電子装備を搭載した、巨大な怪鳥。
通常の機体よりも二倍は大きい機体は、悠々と舞いあがっていく。
まさか、あれは空母艦娘が扱えるはずがない。
振り返った彼女の視界がギリギリで捕らえたのは、特に気負う雰囲気もなく巨大な船を放つ瑞鶴の姿。
『なに、春風?』
こちらを見ていなかったのに、相手から通信が入る。
「いえ、なんでもありません」
『そ・・・・・全員、後十分で接敵するからそのつもりで』
はっきりと断言する彼女に、まさかと思った。
ついさっき、偵察機が飛び立ったばかりではないか。どうやって敵の位置を把握したのか。
それとも別の偵察機がすでに上がっているのか。
春風の疑問は尽きない。けれど、その瞬間は確実に迫っていた。
南方攻略艦隊の編成は以下の通り。
第一艦隊、瑞鶴、秋月、照月、島風、天津風、朝潮。
第二艦隊、妙高、摩耶、羽黒、潮、漣、大潮。
第三艦隊、神風、春風、荒潮、不知火、夕雲、初風。
提督は約束通り第零種装備が使える艦娘で埋めた、というわけではない。
確かに何人かは使えるが、全員ではない。
あの提督が、言葉をたがえることもあるのかと、春風は思った。
『けどさ、本気なのか、瑞鶴?』
『なに、摩耶?』
『いや、第零種ばかりじゃなくていいって言ったんだろ?』
『ええ』
信じられなかった。
ただでさえ空母一の重巡三で、他は駆逐艦ばかりなのに。その上で戦力を削るなんて。
『別に必要ないわよ。南方の姫クラスなら、私とあなた、それに妙高さんと朝潮、神風と春風で十分』
いきなり名前を言われて、ドキリとした。
『マジかよ。いくらなんでも一艦隊編成でなんて無謀じゃないか?』
『無謀じゃないわよ。元々、南方海域は念のためにって要素でしかない。北方と違ってブリザードはない。スコールはあるけど、一時的にでしかないから。いざって時は高高度からの突撃で打ち取れるし』
『へぇ~~~考えてんだな』
『常識でしょうが。子供でも考えつくことよ。それと・・・・』
『敵陣での通信で相手をおびき寄せるのも、ですね』
妙高の言葉に、再び春風は驚く。
『どうせ数を削らなくちゃいけないから、あっちから来てもらったほうが速い』
『おいおい』
『はぁ、まったく。貴方は猫をかぶっていたというのですね?』
『私は私よ。加賀型五姉妹の四女、瑞鶴。それ以外の私は知らないから、他の方法なんて考えたことない。じゃ、皆、鎧袖一触よ』
鋭く細く彼女の宣言が耳を打つ。
まるで加賀のように、たったそれだけで春風は不安が消えていくように感じた。
本当に、加賀がいるような安心感が、そこにあったから。
本当にまったく。
彼女が猫をかぶっていたと妙高が言っていたが、本当のことらしい。
「戦い易いですね!!」
目の前に迫った深海棲艦、ル級だろうか。
砲塔はすべて脱落、装甲は半壊、推進機も損傷しているのか速力も出ていない。
後はただ、砲を向けて撃沈するだけ。
神風の一撃で海に消えるル級。もう何度、同じことを繰り返しただろう。
数の優位は相手側にあるはずなのに、目の前に出てくる深海棲艦は一隻か二隻程度、その上で相手は大破に近い損傷を受けていた。
その上で上空には敵機が一機も見えない。
時々、思い出したように飛行してくるが、上空に差し掛かった瞬間に撃墜されて落ちていく。
いや、落ちてこないか。破片も残らないほど粉々に砕かれ、僅かに塵が上空に敵機がいたと物語る。
『不知火、十五秒後に二隻行くから。中破でごめん』
『構いません』
『島風、レ級が行くからかき回して、二秒後に上空から爆撃する』
『了解!』
次々に指示が入り、その通りに深海棲艦が出てくる。
戦い易い。本当に、演習のように相手の出方が解って、対応策も完全に供えられていた。
『神風、次、戦艦棲姫二隻。大破でそっちに流すから魚雷で仕留めて』
「解りました」
『秋月、照月、対空砲火は追いかけなくていいから、コースだけ絞り込んで』
『はい!』
『解りました!』
対空駆逐艦からの対空砲火が、青空を染める。
炸裂弾ではなく、光学兵器による空間を染め上げる攻撃が、敵機の侵入コースを特定。
そこに入りこんだものは、上空から逆落としに迫った天雷が叩き落とす。
『ああ、もう』
ふと瑞鶴がため息をついた、ように聞こえた。
ハッとして振り返ると、彼女の近場にレ級が。
「瑞鶴さん!!」
『何?』
返答は緊張感のかけらもなく。
一言、たったの一言を返す間に、瑞鶴は前方宙返り。
左足がレ級の頭部に迫るが、相手の両手で防がれた。
『はいはい、お疲れ』
次の瞬間、瑞鶴の右足がレ級を叩き潰す。
「え? えええ?!」
『神風、前を向いて。次が来るから』
「体術でレ級って倒せるんですか?!」
『瑞鳳さんなら、左足の一撃目で倒せるんだけどね。私だと無理。まあ、技自体は斧鉞って名前だから、間違ってはいないんだろうけど』
事もなく言ってくる瑞鶴に、『ああ、そうですか』としか返せない。
間違いなく、彼女は猫をかぶっていたということだろう。
いや、今までの彼女は姉たちがいたから、手を抜いていただけのかもしれない。
それか、姉たちと離れたくないから、実力を隠していたのか。
もしかして、単純に甘えていたからかもしれないが。
『神風、来てるけど?』
「え、はい?!」
情報通り大破状態の戦艦棲姫二隻を撃沈し、遅れた分を進む。
『次、陸上攻撃、敵基地はこっちで目印を立てるから、砲撃開始』
目印、何のことだろうか。
神風が疑問を感じた瞬間、敵基地のある場所付近に爆弾が落下。
上空から迫った春雷―B-2スピリッツが落としたクラスター爆弾が基地の一角を吹き飛ばし、続けて起きた火災で基地の位置に『目印』が上がる。
『目印上がったから、砲撃。十二発だけ叩きこんだから、次に行くから』
『基地の壊滅確認は?』
妙高からの通信に、瑞鶴は否と答える。
『必要ないです。もし残っていたら、グラビティ・カノンを叩きこみますから。それより、先を急ぎましょう。私達の役目は、『数を削ること』と『後ろに通さないこと』だから』
『解りました、総旗艦殿』
『止めてくださいって』
本気で照れているような瑞鶴の発言に、神風は笑ってしまう。
まるで戦場を支配したような指揮をする彼女が、照れている間だけは普段の、加賀達に甘えている瑞鶴に見えたから。
考えてみれば、上手いくことなんてなかったな。
最初の時、航空機の発艦さえできなかった。
自分が人間になったこと、船じゃないこと、頼もしい乗組員もいないこと、たった独りだということ。
何より、生身の体に戸惑っていた。
自分の体さえ上手く動かせずに泣いたこともあった。
戸惑いから傷つけようとしたこともあった。
そんなとき、優しくしてくれたのはあの人。
傍に寄り添って温もりをくれた。
出来るまで何度もでも付き合ってくれた。
姉がいないときは、姉以上に姉らしく優しく穏やかに暖かく。
他の鎮守府では冷たいとか馬鹿にしてくるとか、色々と話を聞いた時に別人だろうと思ったこともあった。
『瑞鶴、顔を上げなさい。私たち空母は、常に上を向く艦娘なのよ』
脳裏に蘇るのは、何度も失敗した時に教えられたこと。
空を見上げ、遥か先を見通す。
千里をかける航空機を扱う者が、下を向いていてはできることもできなくなる。
「うん、知っているよ、加賀姉」
航空機を動かす。
姉に教えられたように、姉に並べるように。
敵機が降下する前に撃墜、破片が海面に落下していく。
きっと加賀ならば、破片を落とすことはない。
『迷ったら攻撃、相手を叩き落とせば防御なんて考えなくて済むから』
別の言葉が体を動かす。
引き返しかけた航空機を前に。続けて、右側の前衛が遅れているからフォローを入れる。
「蒼龍姉は、何時だって前に前になんだからさ」
軽く苦笑してしまう。常に攻撃あるのみといったあの姉は、護ることなんて考えていない。
『防御の隙間は相手が『できる』と思った瞬間よ。いいわね、瑞鶴?』
穏やかで冷たい声が、脳裏を走る。
爆弾投下のチャンスを窺っていた敵機は、動きだした瞬間に撃墜。
僅かに翼が翻った瞬間を、絶妙のタイミングで打ち抜く。
同時に、同調したように動きだしかけた敵艦を妙高と羽黒が撃沈。
「翔鶴姉は、そうやって意識の隙をつくのが上手いんだからさ」
波間を超える。何時も穏やかに微笑む姉が、実は最も奇策が得意だと知っている艦娘が何人いるか。
『広く戦場を見渡すこと。偵察機が大型化し、広域を探査できるようになったなら、空母艦娘に求められるのは、そう言ったことです』
暖かく微笑む艦娘の姿が流れる。
三機の『ホークアイ』が送ってくるデータと画像、すべてを瞬時に処理しながら、的確に指示を出す。
航路、位置、敵との距離、風速までのすべてを纏めて。
「鳳翔さん、それはきついよ」
泣き言が口から零れ、瑞鶴の足は前へと進む。
『航空機は何処までも自由。空をかけて誰にも邪魔されない。高く速く、それが航空機だからね』
音速を超える。ループでさえ音を置き去りにできるのは、航空機が高性能故か、それとも妖精達の練度故か。
両方だ。
何度も訓練してきた。
何度も挫折を味わって、失敗ばかりだった。
「瑞鳳さん、それは限度があると思うけど」
子供のようで大人よりも鋭い艦娘に、軽く反論する。
自分の前には多くの艦娘がいた。
『瑞鶴、いい? 戦場には予想不可能なことが多い。でもね、よく観察すれば前触れはあるの。私にはそれが見える。貴方の航空機はどうかしら?』
良く解らないと、あの時に答えたことがあった。
でも、今なら理解できる。
敵の僅かな進路変更、敵への目線、回避行動時のズレ。
僅かな情報を集めていけば、相手側がどういった意味で動いているのかは手にとるように解る。
「こういうことだよね、暁さん」
航空機の編隊を変え、海面を強襲。
相手の足並みが乱れたところへ、朝潮と荒潮が突撃。上空からの同時爆撃で敵ヲ級三隻撃沈。
『いいですか? 常に五感を働かせなさい。相手は意思があります、思考を持っています。ならば、読めないことはありません』
無理言うなと当時は思った。
訓練の時の滅茶苦茶な動きに、本当に艦娘かと疑ったこともある。
でも、今は。
「解るよ、吹雪さん。私は今なら解るから」
敵側の戸惑いが解る。相手の戦術が変わった、陣形が変更して回りこもうとしている。
瞬時に不知火と夕雲を下げる。同時に島風に突撃させつつ、補佐で天津風を側面から回り込ませる。
囮は自分の航空機達。海面ギリギリを這うように桜花が突き進む。
ミサイルベイを開く。相手側は魚雷かと回避するが、残念ながら魚雷は搭載していない。
回避行動をとった先に、遠距離から潮と漣が放った魚雷が命中。
止めと島風と天津風の魚雷が命中、轟沈。
流れる、翻る。まるで踊るように、『扇は揺れる』。
かつてルリが提案し、赤城や鳳翔でさえ辿り着けなかった、『扇陣形の最終形態』。
『蒼の迷宮』は、こうして瑞鶴の手で完成した。
昔の話。
「扇って、なんであんな形なの?」
ある日の訓練の後、瑞鶴はルリを捕まえて、そんなことを聞いた。
「そうですね。扇は、実はあれは最初の陣形であり、その後は流れに流れて『蒼の迷宮』に発展します」
「何それ?」
言っている意味が解らない。
陣形とはそれだけで成立するもので、流れて別の陣形へと発展することはないのに。
「扇って、風を送りますよね?」
「ああ、道具の方の扇か。送るけど?」
「あれって、風を『捕えている』から送れるんです」
何を当たり前のことを言っているんだろう、と瑞鶴は思った。
「風を捕らえ、風を反らし、風に踊って、風を巻く。それが扇です」
「当たり前じゃん。何を言っているの、提督?」
意味が解らずに聞き返すと、ルリは軽く手を振って空中に扇を舞わせる。
「あちらでも、こちらでも風を捕らえるならば、何処にも出口がなくなりませんか? まるで迷うように」
「・・・・・・・」
言葉が出てこなかった。
確かに、そうかも知れない。けれど、そうなると、あの陣形の最終形態とは何なのか。
「一度でも入った敵を、何処までも躍らせて逃がさない。撃沈して消えるまで絶対に迷わせるもの。それが扇陣形の最終形態、『蒼の迷宮』です」
瞬間、瑞鶴は全身に強烈な寒気を感じた。
逃げられない。
何処にも出口はない。
空も海も青くあるのに、壁など何処にもないのに。
冷たい蒼が周り中を塞ぐ。
その日から密かに瑞鶴は、これを完成させたいと思った。
失敗ばかりで、姉の足を引っ張ってばかりの自分が、姉たちに並ぶために必要なもの。
上手く出来ていない自分が、ただ一つだけ護っていたもの。
いつか、あの姉たちと肩を並べて戦いたい、その想いを達成せるために。
「そっか、忘れていたけど、そうなんだ」
南方棲姫が沈んでいく中、瑞鶴はポツリと呟く。
たった一つだけ護っていた決意は、ようやく声を出して宣言できる。
「私は・・・・・・私は加賀型五姉妹の四女『瑞鶴』!!」
周りにいた艦娘達が視線を向けてくるが、関係ない。
やっと自信がついた。
やっと追いつけた。
だから叫ぶ。
「長女加賀と並ぶ者! 我が翼が怖くないならかかってこい!!」
叫んでやる。
あの姉が何時も言っている、あのセリフを。
何度も聞いたことがある、力あるあの言葉を。
魂の底から。
「鎧袖一触よ!!!!!」
大声で高らかに叫んでやった。
電文あり、内容は以下の通り。
『我、南方攻略艦隊総旗艦補佐、『妙高』。作戦は完遂セリ。なお、ひな鳥は羽ばたいた。あれは、タカでもワシでもない、ヤタガラスナリ。以上』
南方海域、解放成功ス。
同じ鎮守府にあっても、相手のすべてをしることは、できない。
普段から話していたのに。
同じ場所にいたのに。
相手のことを深く知ることは、少ないのだから。
でも、信じられるくらいには、知っている。
彼女も自分も同じものを信じているから。