海上を走る。青を裂くように描かれる白の先、彼女は前を見据えたまま突き進む。
蒼穹と滄海の狭間、何処までも続く世界の果ては、まだ見えない。
「・・・・・・・はぁ」
軽くため息をついて、急停止。続けて直角に右側へと滑りだすと、目の前を魚雷が通過していく。
「あれを避けた?!」
「当たり前っぽい!!」
左舷側を航行する影は三つ、曙、霞、夕立。
駆逐艦同士の対抗訓練のはずだったのに、何故かだろう。
少し吹雪は思い出す。
確か今日は訓練の始まりの時に、転んでしまったのが原因だった。
盛大に、滑稽に、仰々しく。
凄い音がして転んだ吹雪を、訓練に参加する全員が見ていた。
「え?」
隣にいた暁は、なんでそこで転ぶのという呆れ顔。
周りにいた中堅組は、『あの吹雪さんが』という驚愕を浮かべ。
今回が吹雪と初訓練組は、『あれで最古参?』と疑問の顔を向けていた。
「あ~~、やっちゃった」
「何しているの、吹雪?」
溜息をつく彼女に、暁は呆れながらも手を伸ばす。
「ごめん、暁」
「別にいいけど、本当に何があったの? 普段なら、あんな段差くらいで転ばないじゃない」
「あ、段差があったんだ」
「そこから? 今日の訓練、変わりましょうか?」
「大丈夫だよ」
ニッコリ笑顔で立ち上がる吹雪。
本当に、と目線で訴える暁。
二人が無言で意思を伝えあっている時、声が差し込まれた。
「あんな頼りない奴で大丈夫?」
馬鹿にするような口調に、全員の視線が発言者―曙に向けられる。
「ちょっと!! 曙、あんた!」
陽炎が注意を示し、不知火も鋭い目線を向けたが、彼女は謝らない。
「本当のことじゃない。こんな段差程度で転ぶが奴が、今日の教導艦だなんて冗談じゃないわ」
「本当に強いの? ただ古参ってだけじゃないの?」
曙に同調するように、霞まで不満を口にする。
「二人とも、少し調子に乗っていませんか?」
鋭く朝潮が二人を睨みつける。
古参の一人であり、吹雪に直々に特訓されたことのある彼女は、少しだけ崇拝しているところがある。
「本当のことじゃないの」
しかし、二人は謝るどころか、さらに吹雪の実力を疑うと言ってくる。
「調子に乗って」
あまりの態度に叢雲が拳を握るが、それを吹雪が止める。
「吹雪さん! いいんですか?」
「まあ、私が転んだのが悪いので。それに、弱そうに見えるのは確かことだから」
「そんなこと・・・・・・・」
違うと言いたかった大半の意見は、結局は言われることなく消えた。
「なら、戦ってみればいいっぽい?」
夕立の何気ない発言により、曙、霞、夕立の三人対吹雪の模擬戦が始まった。
この決定に対して、言った本人は顔面蒼白で首を振った。
「無理っぽい! 死ぬっぽい! 殺される!!!!」
「夕立が私をどう思っているかよく解りました」
顔面蒼白の上に号泣する彼女に対して、何かしたかなと思う吹雪。
着任した時に自由奔放に立ち回るから、第一種装備を持ち出して本気で調教したことを、忘れていたりする。
水面が跳ねる。その音と顔面に突きつけられた拳で、吹雪の意識は回想から現在へ戻った。
「っぽい!!」
突きだした拳を握りしめ、手首をひねる。
体の回転と推力の逆進を利用した、作用の反転。柔術の一部を艦娘の艤装で行えるようにした、独特のマーシャル・アーツ。
その結果、夕立は盛大に水面を転がっていく。
「接近まで移動力、隠密性は合格。でも、攻撃力と命中率は不合格」
「っぽい~~~~~~~」
まだまだ転がっていく夕立に、吹雪は冷静に照準を合わせる。
「中堅の貴方がこの体たらくでどうするの、夕立?」
砲撃。右手の連装砲塔での連続射撃。二門同時の斉射ではなく、一門ずつ撃つことによって、着弾と着弾のタイムラグを無くし、連続的な砲撃で相手の体勢を崩し続ける。
右足、左胸、右腕、左足、腹部、次々に砲弾が当たる夕立は、立つことも転がることもできず、踊らされる。
「調子に乗んな!!」
「誰が? 違うかな、どっちが、かな?」
左右から魚雷が四本ずつ、計八本。扇状に放たれた魚雷に対して、左手に挟んだ砲弾を投擲、誘爆。
水柱が立ちあがり視界を塞ぐ。
曙と霞が回避行動をとった先、そこに一発目の魚雷が命中。
二人の体が吹き飛んだ先、着水地点に二つ目が、さらに次の場所へ三つ目が、跳ねるように海面を飛び続ける二人に、吹雪は目線を向けていない。
「回避運動が甘い。左右から挟み撃ちにすれば当たるなんて、甘い考えを誰に教わったの? 状況予想能力があまりにお粗末じゃない」
淡々と語る吹雪の手は、決して止まらない。
魚雷と砲弾、三人を同時に相手にしているのに、まるで一人を相手にしているように対処する。
「本当に、どうしょうもない」
「吹雪!!!!」
怒鳴り声一閃。ハッとした彼女の視界に、赤い刃が映った。
咄嗟に後退、すぐに後ろ腰にさしてある剣を引き抜いて、刃にぶつける。
「あ・・・・・・暁?」
「あんたね、やり過ぎって言葉、いい加減に覚えなさいよ」
ちょっと呆れて、少し怒っている暁は、赤い刀をゆっくりと引く。
そこでようやく吹雪は、三人が轟沈寸前になっていることに気づいた。
模擬戦だから間違っても轟沈はないだろうが、トラウマになっていることは間違いない。
「あ・・・・・・ははは」
ちょっとやり過ぎたか。これは不味いかなと目線を見学者全員に向けると、全員が蒼白になって敬礼していたりする。
「鬼教官って呼ばれているの、知っているでしょう?」
「うん、それを今、言われたくなったかな」
溜息をつく暁に、吹雪は泣きそうな顔を向ける。
その後、嫌な予感がして合流してきた時雨と白露に、『だから吹雪さんの教導はぁ』と言われて、さらに暁からも『はい、退散』と追い立てられて、溜息交じりに戻ることになった。
一人だけトボトボと歩く。
今頃は暁が三人にフォローを入れているだろうか。
それとも、白露と時雨が上手くとりなしてくれているか。
どちらにしても、自分はやらかしたことになる。
「はぁ」
溜息ばかりが出ていく。
訓練だとどうしても、手加減ができない。
彼女達が何時か戦場に立った時に。
どんな敵が相手でも冷静にいられるように、圧倒的な力で恐怖を植え付けたくなる。
足を止める、前に進めなくなる。それが恐怖。
前に進む、足を進ませる。それも恐怖。
失うのが怖くて、無くすのが恐ろしくて。でも、すべてが傷つくことのほうがもっと怖くて恐ろしいから、前に進める。
そう教えてくれた人がいたから。
「私って教導艦に向いてないんだよなぁ」
「そっかな?」
独り言に返答され、吹雪は驚いて振り返った。
「よ!」
「司令官?!」
「はいはい、司令官でも、提督でも、どちらでもいいけど、テラですよ~」
気楽な表情で手を挙げているのは、この鎮守府のトップだったりする。
「なんでここに?」
「ちょっとね。さてさて吹雪、また盛大にやらかしたって話だけど?」
「あ、もう伝わりました? ついあの三人に冷たく当たってしまって」
情報が速すぎませんか、と内心で溜息をつきたくなったが、事実なので否定しない。
「三人? 俺が聞いたのは第零種装備の件だけど?」
「え? ああ、そっちですか」
一瞬、吹雪は冷水を浴びたように全身が震えた。
何故、どうして、知っているの。
体が震える、喉が渇く、思考が止まってしまうような感情の中、彼女の心は必死にすべてを動かす。
「ちょっと失敗しちゃって。すみません、ちょっと考え事をしていて」
「ふ~~~ん、そっか。まあ、第零種はちょっと特殊だからな」
「はい、そうですね」
言い訳を、話題を、何でもいいから話を違う方向に向けないと。
思考を加速させる。必死に頭を動かす心とは裏腹に、彼女の全身は強張る。普段なら自然と出てくる考えさえ、今は何処からも出てこない。
「第一種までの艤装は、『艦娘としての手足の延長』だからなぁ」
「はい、そうですね」
「でも、第零種は『吹雪としての手足』だからさ」
ピシリと、何かに亀裂が走った。
聞きたくない、言わないで。
「え?」
言葉が出ない。
意味が込められない。
単純な音のみが口から滑り落ちる。
テラは吹雪を真っ直ぐに見つめ、告げる。
「吹雪、おまえさ・・・拒んだな?」
瞬間、全身が震えた。
知られたくなかった。知りたくなった。
絶対に知られたくない人に、自分の最も醜い部分を見られた。
「な・・・ん・・の・・・・・・」
「第零種で従えられる数は、接続先の人物がどのくらいの『魂』を持つかによる。吹雪の場合、大まかに六つに分けられるから、六号艇までが使えている」
聞くな。絶対に聞いては駄目だ。
聞くべきだ。司令官の言葉は何よりも重い。
「一号艇は、勇気。二号艇は、希望。三号艇は、情熱。四号艇は、信頼。五号艇は愛」
指折り数える姿は何時もと変わらない。怖い顔をしているわけでもなく、真面目な顔をしているわけでもない。
変わらないはずなのに、今の彼がとても怖い化け物に見える。
「そして、動かなかった六号艇が示すのは・・・・」
「止めてください!!!!」
「自信」
「は?」
出てきた言葉に、吹雪は上がってきた感情が急に落ちるのを感じた。
嫌な気持ちではなく、まるでそこに当てはまるように。探していたパズルのピースが、ストンとハマるように。
「え? ええええ?!」
「・・・・・・・・・・おい、本当に気づいてなかったのか?」
テラ、呆れ顔で半眼になってしまう。
「悪意とか、弱さとかじゃなくて?」
「はい? どっからどうして、そんな言葉が出てくるんだよ? 一番、悪意とか弱さから程遠いだろうが」
「そうですか?」
「そうだよ。武蔵、アイオワ、ビスマルク、日向、伊勢の戦艦五隻の大乱闘を拳一つで鎮圧した吹雪が、弱さってなんだよ?」
「ああ、ありましたね。そんなこと」
「おまえが弱いと、この鎮守府のほとんどが赤ん坊になるんだけど、よろしいかな?」
「さすがに赤ん坊の集団で最前線は嫌ですね」
「だろ? だから、おまえが拒んだのは自信。どうせ、昔の夢でも見てナーバスになって、そのまま引きずって起動テスト受けたんだろ」
確かに、そうだった。起きてすぐのテストだったから、忘れていたつもりで無意識下に残っていたのかもしれない。
「・・・・・・・お騒がせしました」
素直に吹雪は頭を下げる。
というのは建前で、思い出したら自分の痴態に恥ずかしくなって顔向けできないだけだが。
「はいはい。時期的にそろそろじゃないかなって話だったし、俺もいい気分転換になったからなぁ」
「私の落ち込みが気分転換ですか?」
ちょっと頬を膨らませて非難を向けてみると、テラは軽やかに笑った。
「弱気な時の吹雪って、かなり可愛いからさ」
「か、可愛いんですか?」
「小動物的な」
「は、はい。そうですか」
今度は別の意味で顔が赤くなって、吹雪は再び視線を反らす。
「じゃ、最古参で可愛い吹雪さんは大丈夫そうですね~~」
「からかわないでください、司令官」
「たまにはいいじゃん。さてと、俺は戻るかな」
軽く背伸びしてテラは歩き出す。
「ああ、そうだ、吹雪」
歩みの途中で振り返り、彼は不敵に笑う。
「三人に何かしたって話の報告書、執務室で待っているからな」
「ふぇ?!」
「珍しくイスに座って待っていてあげよう」
「止めてください、司令官!!!」
大声で拒否を示すのだが、彼は手をヒラヒラと振るだけだった。
執務室に戻ったテラを出迎えたのは、ルリだった。
「すみません、テラさん。ご足労をおかけしました」
「ん、いいよ。大事になる前でよかったよ」
「確かに」
室内に入って机を通り過ぎ、イスへとテラは腰を下ろす。
「前に吹雪が情緒不安定になった時は大変でしたね」
「まあね。艦娘とはいえ、女の子だからさ。思春期もあれば、青春もある」
「青春? それで第一艦隊から第四艦隊までが大破って、さすがに」
「あ、ははははは」
前に吹雪が情緒不安定になったときは、本当に大変だったことをと二人は思い出す。
あの時は第零種艤装の暴走あり、敵泊地への単独突撃あり、と実に多彩なことがあった。
周りに気づかれないように、吹雪の武勇伝的な話で情報操作したのだが。
「八丈島鎮守府の双璧の片方が、メンタル的に不安あり。なんてこと、軍令部に言えませんね」
「確かにね。また高野総長が胃潰瘍で倒れる」
すでに胃薬を常用している軍令部総長に、これ以上の負担はかけたくない。
とある密約で、かなり負担を強いているのだから。
「まあ、今回は無事に収まったということで」
「はい。ところで、テラさん、珍しいですね。イスに座って何か待っているなんて、どうしたのですか?」
「ん、ちょっとね。吹雪の武勇伝に追加があったらしいから、報告書を待っているんだ。一緒に見る、ルリちゃん?」
「武勇伝に? それは是非とも、からかうネタになりますので」
二人してニヤリと、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
そして吹雪は持ってきた報告書を口頭で読み上げられ、二人に散々にからかわれた。
また夢を見た。
最初の頃、司令官に会った時の。
吹雪は目を覚まして、同じように剣を持ち上げる。
僅かに見せた剣身には、泣きそうな自分ではなく、穏やかな笑みを浮かべた自分が映った。
「私はまだ弱いけど、決して弱いままじゃないよ」
言葉は刃に吸い込まれ、決意を込めた鞘で閉じ込めた。
優雅に振る舞い
お淑やかな作法を心がけて
華やかさを忘れずに
微笑みを絶やさず
鈴の音のように語る
それが、私のレディーとしての嗜み