深く、とても奥の方でささやく声がする。
誰かの声に呼ばれるように、彼女は目を開ける。
目の前には一本の刀。地面に突き刺さった刃は、まるで炎のように赤く染まっている。
周りは黒、まるで深海の底のように暗い空間の中で、彼女は刀の前に座っていた。
視線を刀からその先へ。
誰かが座っている。長い髭の老人が、棍棒のような無骨な杖をつき、石の上に座っている。
その左右には和装の男性が二人。片方はメガネをかけているようで、光が僅かに反射している。
もう一人は、長髪を揺らしながら、とても長い刀を背中に持っていた。
三人は無言のまま、それぞれの右手を差し出す。
彼女は、それに対して首を振った。
「ご心配なく。私は、一人で何とかできるわ」
返答に、三人は満足したように姿を消し、残されたのは彼女と刀のみ。
「心配症ね」
小さく言葉を紡ぐと、彼女の意識は現実に浮かんだ。
八丈島鎮守府の勤務形態は、大きく分けて六つ。
出撃、これは演習もしくは海域などへの出撃、あるいは万が一の迎撃のための要員を示す。
予備、これは出撃したメンバーに万が一の欠員もしくは、応援要請が入った場合の出撃要員。
待機、上記の二つとは違い出撃することはないが、召集がかかった時に速やかに出撃用ドックに集合出来るようにしておく。
準備、半分ほど休みながら艦娘によって艤装の確認、あるいは自主訓練、書類仕事などを行っている。
休息、完全な休みであり鎮守府内の建物以外にいてもよいことになっている。艦娘によっては鎮守府郊外の『街』に出かけていることもある。
休暇、一日だけではなく二日以上の休みが重なった場合の、完全自由時間。ただし自主訓練も禁止される。
六つの中で、自主訓練が可能なのは待機・準備・休息に名前が入っている艦娘のみ。
かなり厳しい取り決めだが、これは吹雪や暁といった初期の艦娘が『やらかした』ため、厳しく決めるしかなかった。
今では『注意』はあっても、『厳罰』はないほど、区分けが曖昧にはなっている。
例外として、提督、提督代行、大淀、明石、間宮だけは上記の区分で業務が決められていない。
早朝の五時、赤城は自室で目を覚ました。
竹と畳で作られたベッドの上に布団を敷いた、彼女の拘りの寝具から身を起こし、壁にかけた時計を見る。
思い切って賞与三つをつぎ込んだ、木製の時計は律儀に時間を刻む。
内部まで木で作った貴重な一品らしく、買う時には蒼龍や瑞鶴に止められたものだ。
何時もより早く眼が覚めてしまったらしい、と昔を懐かしみながら赤城は今日の予定を思い出す。
今日は『準備』。書類仕事は終わっており、艤装の点検も終了。明石からの呼び出しもないから。
朝練でも行こう。
思い立ってすぐに身支度を整えて、居室を出る。
「おはようございます、赤城さん」
「加賀さん、おはようございます」
丁度、隣の部屋から出てきた彼女と会う。
朝練ですか、一緒にいかが、とどちらともなく声を掛け合って、二人して弓道場へと向かう。
「赤城さん、そういえばあの話は聞いたかしら? 吹雪さんの鬼教官が炸裂した話なのだけど」
「ええ、もちろんです、加賀さん。三人に地獄のダンスをさせたとか。やはり憧れますね」
うっとりする赤城に、加賀は冷や汗が出てくる。
そういえば、赤城はどちらかといえば吹雪側だった、と。
「これで曙と霞も少しは大人しくなって、訓練に身が入ればいいのだけれど」
「ええ」
トラウマになってしまっていないだろうか、と加賀は密かに心配になっているが、赤城としては『いい訓練してもらった』程度でしかない。
二人して連れたって弓道場に向かう途中、不意に加賀は背中に圧力を感じた。
「・・・・瑞鶴?」
「ん~~~~~加賀姉」
半分、寝惚けているのだろうか。
「貴方の姉はあちらでしょう」
指さす先、翔鶴が少し困ったような顔で立っていた。
「ん~~~翔鶴姉より加賀姉のほうが近いから~~~」
「まったくもう、翔鶴も笑ってないで何とかしてほしいのだけれど?」
当人の説得は無理と諦めて、その姉に助けを求めたのだが、彼女はちょっと悔しそうにしている。
「瑞鶴、ずるいわ。私のほうが速く加賀姉様を見つけたのに」
「・・・・・・・」
加賀、絶句。ちょっと待て、この状況でそっちに思考が向くのか、と。
「相変わらずですね。加賀さん、モテモテですね」
「ええ、そうね」
諦めるしかないと加賀は悟る。
瑞鶴が着任した頃、まだ翔鶴がいないからと色々と世話を焼いたこと。
周りの鎮守府の加賀と瑞鶴の噂を聞いて、『自分はもっとしっかりと愛情表現しよう』と決めて、提督に色々と話を聞いて対応したこと。
さらに言えば、翔鶴が来た時も姉らしくと振舞っていたら、何故かこうなった。
今では加賀型五姉妹とか言われているのだが。
「蒼龍、何とかなさい」
「無理です、加賀姉さん」
密かに二人の後ろからついてきた、加賀型の次女に話を振るのだが、彼女は早々に無理と首を振ってくる。
蒼龍の後ろ、飛龍が苦笑してついてくる。
元日本海軍の機動部隊が揃った形だが、加賀型五姉妹は揃っていない。
加賀型の五女に数えられる末っ子は、未だに夢の中だったりする。
少しの喧騒を引きずりながら赤城達は、弓道場の入口へと辿り着く。
八丈島鎮守府の弓道場は、ある理由から屋内に作られている。
扉を開いて中へと入り、弓道場への入口へと足を向けた赤城は、誰かの背中が見えているのに気づいた。
入口のドアが少しだけ開いており、そこから見える背中は見慣れた艦娘のもの。
八丈島鎮守府、空母組の母。
鳳翔が真っ直ぐと背を伸ばして、座っていた。
何をと声をかけようとした赤城を遮るように、弓矢独特の風切り音がした。
鳳翔が見ているのは、誰かの訓練だろう。
赤城は誰だろうと歩き出しかけて、その音で早足になった。
弓道場の中、小さな影が弓を構える。
小柄な影に『瑞鳳さん』と誰かが言ったが、違うと赤城は心の中で否定した。
構えから矢を放つまで、流れるような動作で行う。
まるで、芸術品のように完成された美しさを持つ所作に、思わず赤城達は見惚れてしまう。
スッと矢が放たれる。
的まで伸びた矢は、突き刺さっていた矢の矢尻にぶつかり、前の矢を二つに裂く。
継ぎ矢と呼ばれる神業。赤城達でさえ、狙ってできるのは五回に一回。
なのに、彼女は事もなげに次々と当てていく。
「あれで空母艦娘じゃないのだから、凄いわね」
自然と出てきた言葉に、彼女が顔を向けた。
「あら、うちの主力空母艦娘が勢ぞろいじゃないの。瑞鳳がいないのが、少し残念だけれど」
弓を片手で持ちながら、彼女は歩いてくる。
「お見事でした、久し振りに貴方の腕前を見せて頂けました」
深々と頭を下げる鳳翔に、彼女は微笑む。
「私はお遊び程度でしかないわ。貴方達のほうが見事な腕前をしているでしょう」
「いいえ。まだまだ未熟ですから」
「鳳翔にそう言われたら、貴方達はどうなるのかしらね?」
話を不意に振られたが、赤城はすでに言葉を用意していた。
「慢心せず、日々研鑽を重ねます」
「ご名答ね。貴方達がいるなら、八丈島鎮守府の空は安心ね」
「はい、落胆させません『暁』さん」
弓を持った彼女は、華のように穏やかに微笑んでいた。
暁型四姉妹、長女暁。
八丈島鎮守府において、二番目に着任したのが彼女。
それ以来、誰にもナンバー2の座を渡していない、最強の一角。
鬼教官、恐怖の塊、畏怖と尊厳のトップと呼ばれるのが吹雪ならば。
優雅な淑女、穏やかな姉君、優しい教師と呼ばれるのが暁。
生き残りたいなら吹雪に教われ、高みに昇りたいなら暁に教われと言われるほどに慕われている。
一方で暁は、武芸百般としても知られている。
剣、槍、長刀、手甲、弓、彼女に扱えない武器はなく、艦娘の艤装ならばどの艦種のものでも操ってしまうのが、暁という存在。
もちろん、吹雪もできるのだが、彼女の場合はそこに『恐怖』がついてくるので、あまり知られていない。
だからこそ、こんなこともある。
「お願いします!! 暁さん!!」
場所は食堂、少し遅い朝食をとっていた彼女は、唐突に頭を下げられていた。
「どうしても教えてください!」
「そうね、話の内容が見えないけれど、とにかくここは食堂だからもう少し落ち着いて。はい、座って」
自分の隣の席の座面を触り、彼女を座らせて落ち着かせる。
「それで?」
ティーポットから紅茶を注ぎ、相手に差し出す。
「はい、私に空母としての訓練してください」
「・・・・・・・はい? 鈴谷、貴方ね」
真剣な顔で見つめてくる重巡に、半分ほど呆れた顔を向けてしまう。
「貴方が攻撃型軽空母なのは知っているけれど、どうして私に?」
「赤城さん達から『暁さんが最も上手い』と聞いたから」
「あの子たちは。とはいえ、赤城達は弓だけれど、貴方は大鳳と同じく銃形体なのね」
「はい、それなんで赤城さん達の手に余るみたいで」
先日、鈴谷と熊野は初の空母艤装を扱っての警戒任務だったのだが、熊野はそれなりに扱えたらしいが、鈴谷は散々だった。
いきなり重巡から空母になったら戸惑うのが普通なのだが。
熊野は淑女を目指しているが、訓練は吹雪系統を好むので『第六感』の塊だから、扱えてしまうのだろう。
「銃なら吹雪のほうが上手いわよ?」
「まだ死にたくありません」
間髪入れずに答える鈴谷に、暁はちょっと言葉に詰まってしまう。
向こう側に吹雪がいるのが、彼女には見えていないらしい。
同時に彼女がちょっと苦笑しているのも。
「鈴谷の気持ちは解ったわ。けれど、私にも予定があるのよ。大鳳は今、瑞鳳と一緒に海域偵察中で不在だから・・・・・・そうね、私の訓練の合間でよければ見てあげるけれど?」
「ありがとうございます!!」
パッと笑顔を浮かべる鈴谷に、暁は『あくまでついでよ』と念を押す。
「ああ、それと、あちらに吹雪がいるのだけれど、気づいてる?」
「?! 違う! 吹雪さん!! 私そんなつもりじゃないから!!!」
大慌てで立ち上がって駆けだす鈴谷だが、その途中で捕まった。
「鈴谷、どういうつもりであんなことを?」
青筋を浮かべる熊野と。
「これはお話が必要ですね」
恐ろしい笑顔を浮かべた榛名に。
「違うから!! 怖がってないから!!!」
「遺言は地獄で書け」
必死に言い訳をする彼女に、二人は冷たく言い放ったという。
蒼白な顔で引きずられていく鈴谷に、同情な顔をする艦娘三割、当然という艦娘六割。他、静観。
意外と怖がられてはいても、嫌われていないのが吹雪なのよね。
内心で感想を浮かべながら、暁は正面から差し出されたカップに紅茶を注ぐ。
「金剛、せめて何か言いなさい」
「暁さんの紅茶、暁サンのコウチャ」
壊れたテープレコーダーのように呟きながら、慎重に口に運ぶ金剛。
この子も変な風に育ったわね、と暁はため息をつきそうになる。
いやダメだ。そんなことはレディーとして相応しくない。溜息を消し去り、紅茶を一口。
「風味が飛んでしまったわね。金剛、入れ直してくるから・・・・・って」
彼女は号泣していた。
何があったのだろう、やはり風味が飛んでいて悲しくなったのか。
「三週間ぶりの暁サンの紅茶デス。これで私は後三年は戦えマス」
「大げさよ。ほら、入れ直して上げるからカップを貸しなさい」
「いいえ!!! これで十分なのデス! これ以上のを飲んでしまったら、私は・・・・・ワタシは?!」
「貴方、日本語がきちんと喋れるのだから、片言に戻さないの」
妙にハイテンションな金剛を宥めながら、暁は思い出す。最初の頃の教導をやったのは確か、吹雪だったな、と。
私はここにいる。
貴方達が傷つく時も。
道を見失ってさまよう時も。
理不尽さに泣く時も。
常にここにいるから。
だから私はレディーとして、凛と立つ