鈴の音のように、軽やかに鳴る。
鋭く引き抜かれた刃は空を斬り、やがて海を裂いて再び鞘へ。
「・・・・・・・・鈴谷、見るなとは言わないけれど、そんなに見つめられると困るのよ」
刀を収めた暁が視線を横に向けると、海上に艤装を纏ったまま目を見開いている彼女がいる。
「鈴谷?」
再度の声かけに、彼女はようやく瞬きをしてから、腰を抜かした。
「大丈夫?」
「あ、あの! 私は初めて見たんだけど、暁さんの抜刀ってどうなってんの?!」
「どうって、鞘から抜いて斬って鞘に収めただけよ」
「見えないんだけど!!」
興奮して近づいてくる鈴谷を、身をひるがえして避ける。
「見えるわよ。私の抜刀術はまだまだ未熟。提督のように光速には届いていないのよ」
「はい?! さらにおかしい話を聞きました!」
驚く彼女に対して、暁は何をいまさらと思った。
我らが提督の人外っぷりなど、散々に語ったではないか。
「はいはい、驚くのはここまで。さあ、鈴谷、構えてみなさい」
促されて鈴谷は銃型の艤装を持ち上げる。
大鳳とは少し違った、砲に似ている銃。ライフルに近いものがあるが、グリップは一つ。
構える姿に隙はない、さすが八丈島鎮守府の中堅といえるが。
銃口が震える。僅かに躊躇うように動く銃身に、彼女の迷いが伺える。
「砲も艦載機も同じよ、鈴谷。狙って、撃つ。ただそれだけ」
「解ってはいます」
「ええ、頭ではね。でも、心はまだ迷っている。重巡だった頃の自分を、こういった改造があったのに、されなかった頃の船の記憶。今の貴方が失敗しているのは、そういったものが銃身にぶら下がっているからよ」
一目で暁は、彼女の何が原因で失敗したか理解した。
メンタル面での不安、戸惑い、少しの苛立ち。
自分は重巡なのに、と無意識に思ってしまっているから、空母の艤装が上手く扱えない。
「私って弱いですか?」
「ええ、まだまだ未熟ね。けれど、決して悪いことじゃないわ。未熟だと自覚できれば、後は技量を磨くのみよ。大丈夫よ、鈴谷」
励まされた言葉に、彼女は暁に顔を向けた。
「八丈島鎮守府所属に、未熟だと切り捨てる艦娘はいないわ。強くなりたい、高見に昇りたい、そう言った気持ちを忘れなければ誰かが教えてくれるはずよ」
穏やかに微笑む暁に、鈴谷は自然と姿勢を正した。
「貴方が付いてくる限り、私も吹雪も止まらない。全身全霊をかけて、鍛えてあげるわ」
「はい!」
「よろしい。ならば、このまま百機ほど発艦させてみましょうか」
出された数に、鈴谷は固まった。
「え?」
「補充も考えて、着艦も行いつつよ。何度でも、何千回でも、何日かでも付き合ってあげるわ」
微笑みは変わらない。穏やかさも失っていない。
なのに、何故か鈴谷の背中を冷たいものが落ちていく。
普段の雰囲気で気付かない人や、忘れてしまう艦娘も多いが、暁は吹雪とは違った意味の『鬼教官』だ。
上にあった太陽が下がってきて、夕方に差し掛かる頃には、鈴谷は艦載機を見事に操って見せた。
「上出来よ。後で美味しい紅茶を御馳走して上げる」
「ありがとう、ございます」
その場に崩れ落ちる鈴谷の頭を、そっと暁は撫でる。
こういった訓練後の『飴』に、多くの艦娘が暁のスパルタを忘れるのかもしれない。
さて戻ろうと、暁が顔を動かしたとき、遠くに煙が見えた。
「鈴谷! 一人で戻れるわね?!」
「え? はい!」
言われて顔を上げた鈴谷も、状況を素早く認識。ふらつきながらも立ち上がり、鎮守府へと戻る。
進んでいく彼女の背中を一目だけ追い、暁は加速する。
煙は次第にその数を増やしていく。
海上を進む暁は、不意に視線を反らす。自分とは別方向から艦隊接近、所属は八丈島鎮守府。
影は六つ、一個艦隊編成。編成内容は睦月、如月、大井、北上、山城、そして旗艦は。
「扶桑!」
「暁さん! 状況は不明ですが、輸送部隊が襲撃を受けたようです」
言葉は途中で不自然に止まった。
彼女は言い難そうに、僅かに迷いながら、続けた。
「第三輸送部隊、つまり由良、天龍、五月雨、初風、高波、そして電の」
ゾワっと背筋を何かが通り抜ける。
無意識に暁は左手で刀の鞘を握り、艤装に力を流しこむ。
「暁さん! 出撃許可は?!」
「後で司令官にお説教を貰うわ! 今は状況確認が優先! ドックは?!」
「念のために提督から、『浮遊ドック』の使用許可をもらっています」
ならば問題はない。
万が一、轟沈寸前だったとしても海上に設置可能なドックと高速修復材があるならば救える。
「急ぐわよ!」
さらに加速。
逸るような気持ちを抑えながら、暁はただ煙の上がる場所を目指した。
カチンと、音が鳴る。
それは自分が持っている刀のものであると、暁は知っていた。けれど、止められない。
大海原に一人。随伴艦なし、単艦のみでの海域進撃。
本来なら厳罰になることだが、今の暁は止まれない。
「ごめんなさい」
妹の言葉に引きずられるように、暁は思い出す。
あの時、合流した第三輸送部隊は全員が大破寸前で、辛うじて航行している有様だった。
「何があったの、由良!」
思わず旗艦である彼女に駆け寄る。
「すみません、暁さん・・・・油断してしまって」
「いいのよ。そんなことはいいの。よく戻ってきたわね」
優しく抱き止めながら、背中をそっとなでる。
嗚咽が零れる。今まで気丈に振る舞っていたのだろう。自分が旗艦だから、全員が傷ついているから、しっかりしないと、と。
「全員、もう大丈夫よ。ここには私がいる。これ以上、指一本たりとも触れさせない」
全員を見回し元気づける暁の視界に、一人だけ俯いてスカートの裾を握っている艦娘が映る。
自分の妹―電だ。
由良を扶桑に任せ、彼女は近づいていく。
嫌な予感がする。敵ではない。彼女達は輸送任務をしていたが、全員がそれなりの練度を誇っていた。
敵部隊の一つや二つ、出会ったところで大破まで追い込まれるはずがない。
「電?」
ビクッと彼女は震え、顔を上げた。
「暁ちゃん・・・・・・・ごめんなさい、電は・・・・・私が」
「何があったの?」
「私が、『敵を助けたいって思った』から」
泣き続ける彼女の口から出た言葉で、暁は自分の中で二つの感情が動くのを感じた。
つまり彼女は深海棲艦相手に、助けようとしたのだ。沈みゆく相手に、命をかけて戦っている敵に。
「そう。ならば、私は八丈島鎮守府の最古参の一人として、やらないといけないことがあるわ」
「はい」
「電、貴方のせいで味方が死ぬところだった。これは許されることじゃない」
本来なら鉄拳制裁だろう。いくら温和な提督代行や提督とはいえ、今回の問題は看過できない。
しかし、今の電は大破寸前。これ以上の傷は轟沈に繋がるから、今はお説教で済ませておく。
「謹慎処分は、覚悟しておきなさい」
「はい・・・・」
「それと、次は私は貴方の姉として、暁型の長女として言ってあげる」
「はいです」
「見事! 電、私は貴方を誇りに思う! さすが我が妹だと声高に言ってあげる! 確かに味方を巻き込んだわ! 多くを傷つけた! でも、戦うしかなかった私達の中で貴方だけが『助けること』を選んだ。! その気高き意志! その精神は立派であると言ってあげる! 他の誰が否定しても! 私だけは貴方を誇るわ!」
叫ぶ。声の限り、天に届くように。全身を使って、貴方は間違っていないと伝えるために。
そして振り返る。
傷ついた仲間を助けている艦娘達に向けて、深々と頭を下げる。
「今回の一件、私の責任よ。すべて、私の傲慢の結果。だから、電ではなく私に対して・・・・・・・・」
「誰も恨んでません!」
謝罪を遮って声を上げたのは、由良だった。
暁が顔を上げると、誰もが真っ直ぐに見詰めてくる。
恨みでも憎しみでもない、純粋な怒りを宿して。
「私たちを見くびらないでください。仲間が行ったことが、どれだけ立派であるか、その意見に対して反対せずに同意したのは誰であったか、傷ついた責任を誰かになすりつけたりなんてしません」
由良の言葉に、誰も首を振らない。
私達は、そんなに卑屈ではない。私達は、仲間の責任にして自分だけ救われようなんて考えない。
意思を宿した瞳に見つめられ、暁は胸に熱いものがこみ上げてくる。
「ありがとう。私は、貴方達の先達であることを誇りに思う。貴方達のいる八丈島鎮守府を立ち上げられたこと、間違っていなかったわ」
一人一人の顔を見つめた暁は、グルリと振り返り、進みだす。
「扶桑、悪いのだけれど、皆をお願いね」
「暁さんは?」
「少し所要があってね。ああ、付いてこなくてもいいわよ。これはね、私怨なの。艦娘としてでも、八丈島鎮守府としてでもない、私の個人的な恨みをぶつけに行くだけだから」
「けど、相手は艦隊だったんですよ」
由良から止める声が入るのだが、暁は振り返って微笑む。
「貴方達を傷つけた罪深さを思い知らせるには、百隻の艦隊でさえ少ないと思わない?」
クスリと苦笑を置いて。
そして、現在に戻る。
「追いついたわよ」
前に艦隊がいる。
明らかに深海棲艦の、中央には姫級か。数は五十を下らない。
けれど、暁は止まらない。今は訓練用の艤装で砲も魚雷もない。
だからなんだというのか。あの程度の相手に、騙し打ちするような外道相手に艤装など必要ない。
腰の刀を抜く。
刀身は何時の間には長くなり、三尺を超える。
その刀を顔の横まで上げ、小さく呟いた。
「秘剣、つばめ返し」
瞬間、艦隊に三つの亀裂が走った。
彼らにとって不幸だったのは、何だったのか。
艦娘の『弱みに付け込んだこと』だろうか。
それとも、八丈島鎮守府所属艦娘を騙し打ちしたことか。
艦隊を三つに分断された深海棲艦は瞬時に振り返る。
相手は何隻。一隻のみ。しかも駆逐艦程度とは。見たところ、魚雷や砲もない。
「失礼、挨拶代りだったのだけれど、随分と数が減ってしまったのね」
「おまえ、何者だ?」
「あら、流暢にしゃべるのね。深海棲艦は片言だと思っていたのだけれど」
手に持つ刀は、とても小さい。あんなに短い刀で、艦隊を斬ったのだろうか。
「私は特異個体だ。どうした、まさか仇打ちに来たのか?」
「その通りよ。案外、頭のいいのね」
「ああ、そうかそうか。あのおバカな駆逐艦のいる艦隊の関係者か。敵を救うなど、何処の平和ボケかと思ったぞ」
高らかに笑うと、相手は小さくため息をついた。
「平和ボケ・・・・・・それは貴方達じゃないの? どんなぬるま湯の戦場にいたか知らないけれど、『ルール』も守れないなんて、低能ね」
「ルール? 戦争にルールなどない、強者こそが絶対なのだ!」
真理を解く。これぞ、世界の普遍の理。
「強者こそが絶対? 貴方、よほど井の中の蛙だったのね」
「ほざけ!」
砲弾を叩きこむ。少しだけ横を向いている駆逐艦に向けて放った砲弾は、彼女の胴体を吹き飛ばした。
「くくくくくく、弱い、弱いな。まったく話にならない」
「ええ、そうね」
声がした。今しがた、倒したはずの駆逐艦の。
振り返る。言葉の聞こえたほうに顔を向ければ、そこにはあいつが。
生き残ったらしい、次こそは。
砲撃を叩きこむ、魚雷を放つ。次々に現れる駆逐艦相手に攻撃を加えていくと、あたり一面が血に染まった。
「中々、手強かったな。これで終わりだ」
「何が終わりなのかしら?」
正面から言葉が降る。
そこには誰もいない。いないはずなのに、声がする。
「馬鹿な、お前は殺したはずだ! 死んだはずだ!」
「そうね。『いったい何時から私が死んだと思っていたの』? 砕けなさい、『鏡花水月』」
ガシャンとガラスが割れるような音がして、世界が一変する。
周りには残骸が、味方である深海棲艦の欠片が浮かんでいた。
そして正面には変わることない駆逐艦がいる。
「な・・・・んダ・・・・・と?」
「失礼、少し意地悪が過ぎたわね。けれど、貴方がしたことと変わらないのよ。ああ、そうそう、もう一度だけ質問してもいいかしら?」
駆逐艦は刀を振るう。刀身が鉄の色から赤い色に染まり、焔が燃える。
「平和ボケしたのは、どちらかしら?」
「おまえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
襲いかかる。相手が何かする前に、何かをしてくる前に。
「遅い・・・・・・・・万象一切、灰燼と為せ『流刃若火』」
刹那、『周辺すべてが蒸発』した。
事件の顛末はこれで終わり。
少し苦い思い出は、彼女達を鍛える糧になる。
「始末書です、提督代行」
数百枚の書類を机に置いた暁は、直立不動のまま相手の返答を待つ。
「はぁ・・・・・・・・お願いですから、次からは報告を入れてから動いてくださいね」
「善処します」
「まったく、貴方は。冷静で理知的に動いていると思えば、直情的に動いてしまうのですから」
溜息交じりのルリの言葉に、暁は深々と頭を下げる。
「ああ、それと、電の罰ですが」
「はい」
「吹雪と暁の地獄の訓練一か月にしました」
言われた内容に、暁は思考が停止するのを感じた。
「これは提督からの提案です。『今回の一件で艦隊が大破寸前になったのは、電が弱いから、自分の意思を果たせないから。なら、強くしちゃおう』とのことです」
「ええ~~~~~」
呆れて脱力する暁に、ルリは無情ともいえる追加命令を出す。
「なので、暁と吹雪の二人がかりで、電が『第零種艤装兵装』が動かせるまで鍛えなさい」
「はい!? だって、あれはまだ八人しか動かしてないのに!? 鳳翔だってまだなのに?!」
「これは決定であって、反論は許しません。大丈夫、あんなに立派な志を持った子ですから。きっと動かせますよ」
ええ、そうかなぁと暁は内心で思うのだが、ルリは譲ってはくれない。
「貴方の妹ですから」
「そう言われると弱いので。解りました、教導に入ります。」
一礼し退出しようとする暁だったが、ルリは呼び止める。
「誰が退出していいといいました、暁? 艦隊の一件、追撃の一件についての始末書は受け取りました」
「はい、残りはないはずですけど?」
「とぼけても無駄です。貴方、使いましたね? 『しかも三回も』」
鋭く睨んでくるルリに、暁はさっと顔をそむけた。
「まあ、物干し竿は許します。けれど、鏡花水月と流刃若火は何故に使ったのですか?」
「ええっと、夢でそれの元の持ち主を見たので~~~」
「却下です! 下手をしなくとも戦略級装備を、二つも振るうなんて。貴方の刀は戦略級装備の『見本市』のようなものなんですよ!」
「は、はい、解ってます」
「解っていません! まったくもう! 吹雪といい貴方といい、提督といい」
「え、提督?」
何かあったかなと思いだす暁に、ルリはため息交じりで答える。
「乖離剣と星の聖剣に、金色の魔王と天照といえば解りますね?」
暁、絶句。
まさか、あんな危険極まりないものを使ったというのか。
「追加の始末書を提出しなさい」
「はい」
これで許してあげるのだから、感謝しなさい。
提督代行の口外の意味が、今の暁には辛かった。
夢を見る。
それは死神と呼ばれる人たちだったり、英霊と呼ばれる人達だったり。
共通点は刀のみ。他は年代も時代も、世界さえも関係ない。
自分が持っている刀の特異性をかみしめながら、暁は夜中に目を覚ました。
「本当に心配症なんだから。私は大丈夫よ、『聖杯』」
無限の願望機、あるいは神々の創造機。様々な言われ方をする神器は、今は刀の形となって少女の傍らにある。
あの頃に願ったことは、たった一つ。
どこまでも、自由に飛べる翼。
あの大空の果てまで行ける。
そんな翼が欲しかった。