風鳴りがする。
遠くから、遥か彼方から、何処からか鳴り響く風の音に耳を傾け、彼女は静かに指を動かす。
弓がしなり、弦が奏でる戦いの声。
静かに引かれた矢は、天壌を貫く。
「はい、おしまい」
小さく呟く彼女の前には、砕け散っていく欠片のみが踊っていた。
瑞鳳という軽空母がいる。
卵焼き製造機、あるいは小柄な艦娘。駆逐艦じゃないの、等といわれている彼女は、偵察任務からの帰りに奇妙な光景を見た。
「・・・・・・・・」
艦娘が海面を跳ねている。
いや、艦娘ならば海面を走るものだ。熟練者ならば、海面の上でジャンプくらいはするのだろうが。
どう見ても、彼女は本人の意思で跳んでいるわけではないだろう。
「遅い!! だらだらだらだらと! 何時まで寝ているつもり?!」
再び彼女が跳んだ。
もう見事に、体をくの字に折り曲げて、跳ぶ。
「跳んだねぇ~~~~」
「瑞鳳さん! あれ、電ですよ!」
「そうだね~~~」
同じ偵察任務帰りの大鳳が慌てているが、彼女としては見慣れた光景なので楽観できる。
吹雪が本気の教導をしているのだから、艦娘が飛ぶことなんて何時も。
もっと凄い時には魚雷と砲弾の雨でダンスしている。
「止めなくて・・・・・・・」
大鳳、上手く言葉が出ずに震える。
慌ててかけ出すのは、同じ偵察任務に就いていた、最上と筑摩。
こちらの二人はまだまだ八丈島鎮守府の『特訓』になれていないので、止めないと電が死ぬと映ったのかもしれない。
一方、見慣れている艦娘は、顔面蒼白で祈っている。
「どうか、矛先がこっちに向きませんように」
潮と漣、中堅の上くらいなのに、どうしてそんなに怖がるのだろう。
瑞鳳はちょっと疑問に思うのだが、質問することはない。
なれているはずの彼女でさえ、目を疑うことが起きたから。
「だらしなわよ、電」
飛ばされた先、待っていたかのように暁が回し蹴りを叩きこんだ。
「はい!?」
見事に別方向へ飛んで行く電に、瑞鳳は呆けた顔を向けた。
二人がかりで。
あの二人がかりで特訓。
それはいくらなんでも、そもそも二人がかりでの特訓なんて、やったことある艦娘なんて。
「あ、いた」
不意に思いだす。
昔、バカなことを言いだして昇りつめた艦娘がいた。しかも、複数。
「ん~~~~じゃ大丈夫」
「何処がなんですか?! あれ、確実に死んじゃいますよ!」
「大丈夫、大丈夫。ほら、吹雪さんも暁さんも、手加減とか解るから」
「手加減しているんですか!?」
飛び跳ねる電。時々、海面にぶつかって転がって、何とか立ち上がろうとしているところへ、追撃が二つ。
さらに跳ばされてを繰り返す。
大鳳は、その光景を見た後にさらにきつく瑞鳳に詰め寄る。
「本当に手加減しているんですかぁぁぁ?!」
「うん、だって・・・・・・・・二人とも刀も剣も抜いてないから」
「基準点そこ?!」
絶叫する彼女に、何を当たり前のことをと思う。
二人が本気で殺しにかかっていたら、電の実力ならば一秒で細切れになっている。
とはいえだ、今は別の問題が。
「最上に筑摩、あれは特訓だから近づいたら・・・・・・・・あ」
気が付いて注意しようとしたが、時はすでに遅し。
迂闊に接近した二人は、教導を見学していた榛名と比叡によって沈められていた。
他の鎮守府では、戦艦『榛名』は優しいお姉さんなのだが、どうしてこの鎮守府では霧島や武蔵以上の『拳で語る淑女』になったのだろうか。
「ああ、最初の教導が吹雪さんだったから」
妙に納得できる事実だった。
辛い、苦しい、もう止めて。
世界が回る、何度も転がる視界の中で、彼女は苦痛と戦っていた。
海面が迫る、それが一瞬で遠ざかって、再び海面に。
立ち上がりかけたところへ、衝撃が二つ。
もう痛いと感じなくなった。
人の体は一定以上の痛みを遮断してしまう、と誰かが言っていた。艦娘も同じなのかもしれない。
「固まるなぁ!!!」
脇腹に衝撃、勢いのままに飛ばされて海面にぶつかり、そのまま転がる。
艦娘は艤装をつけていると、海上に浮く力が生まれて、それは足元だけではなく全身に作用する。
だから、沈まない。沈む時は、轟沈するとき。
潜水艦娘ならば沈むこともあるが、自分はそんなに器用じゃない。
姉ならば‐暁ならば、事もなげに潜水もするだろうが、自分はそれほど器用じゃない。
砲撃も、魚雷も、防御も、近接戦闘も中途半端。
誇れるものなんてない。
なのに、どうして、『自分はまだ立ち上がろうとする』のか。
解らない。でも、『立て』と誰かが叫ぶ。
手をつく。海面を押し上げ、体を起こす。
足に力を入れて、体を持ち上げる。
立てと、立ちあがれと、心の底で誰かが声を上げる。
全身が痛い。視界が歪む。もう止めたいと思う一方で、体は立ち上がる。
満身創痍、傷だらけの姿で立ちながらも、顔だけは前を向く。
「固まったままで、何ができるんですか?」
吹雪の右拳。気がついたときにはもう顔面を殴られていた。
神速で接近しての意識の隙をついた、完璧な奇襲。
「ほら、足が止まった」
倒れる寸前で今度は背中に蹴り。
冷静に正確に、戦場を見渡して先回りした暁の先読み。
八丈島鎮守府の双璧。第六感と知識と経験、その上で五感すべてが研ぎ澄まされた、戦場の支配者。
届かない、一人を相手にしたとしても、指一本も触れられなかった相手。
何度目の攻撃、何度目の転倒。
でも、それでもと誰かが叫ぶ。
「立ちなさい、電。貴方が掲げた志は、その程度で実現できるほど、容易いものじゃありません」
「私や吹雪でさえ、考えられないような崇高な理想なのよ? 倒れている暇があるのかしら?」
二人の声が聞こえる。
倒れているのは自分で、立っているのは二人。
もし、敵を救いたいと願うなら、倒れたままでいいのか。
味方も敵も救いたいと考えるならば、自分は転んだままでいいのか。
言葉が頭の中で回る。
「立ちなさい!」
「立ち止まっている暇はないのよ」
二人からの怒鳴り声が、まるで泣いているように聞こえる。
知ってはいる。本当は、優しい二人だ。教導だって、本当はあんなに厳しくしたくない。
けれど、世界はとても残酷だ。少しでも気を抜いたら、命なんて簡単に消えてしまう。
知っている。いや、知っていた。
今も、あの時も、『あの大戦の時』だって。
手から零れ落ちてしまう命を、目の前で消えていく人々を。
『誇り高き人であれ』と願った、あの人のように、救いたいと。
「私は・・・・・・・・」
力を込めろ。足りないなら、全身から絞り出せ。
それでも足りないなら、立ち上がれないなら。
力を貸すのは、我ら。
「私は、救いたいのです」
ならば、我らは力を貸そう。
心の底から叫ぶ声は、かつての人達の想い。
かつて、駆逐艦『電』に乗っていた軍人たちの魂。
「だから・・・・・・・・・だから!!!」
手を伸ばす。絶対に譲れない願いがあるならば、進み続けて勝ち取るしかない、と誰かが言っていた。
勝ち取るなんてできない。でも、譲れないから。
「想いだけでは何もできませんよ!」
「そこに力がなければ、ただの夢想でしかない」
吹雪が迫る。
暁が走る。
二人がそれぞれの軌跡を描く様を見つめながら、電は『自分の中の魂』を握り締めた。
「私は・・・・・・」
輝きが溢れる。視界が晴れた。力が抜けていく体に力が巡り、これならばと思った矢先に、暗転した。
パシャパシャと水が跳ねる。
出しっぱなしにした蛇口から落ちる水を頭で受けつつ、『あ~~』とか声を出してみる。
冷たい水が頭にはいい。
火照った体を覚ましてくれるし、思考を冷静に戻してもくれる。
「・・・・・・で、何であんな無茶したのかな、吹雪さん、暁さん」
水を払うように頭を振ってから、瑞鳳は隣で膝を抱えて項垂れている二人に視線を向けた。
無言、返事はない。
「ただの屍のようだ・・・・・・・って、わけじゃないよね」
冗談を挟んでみたのだが、やはり返答はない。
相手からの返答がないため、瑞鳳は考えを巡らせる。
そもそも、仲間に優しい二人が心を鬼に変えてまで、電を虐めたのか。
特訓、ではない。あれは完全に虐めだ。一方的に痛めつけたのみ。
となると、二人以外の命令か。
吹雪や暁クラスに命令し、拒否をさせないとなると、八丈島鎮守府では一人しか思いつかない。
「提督の?」
二人は、僅かに首を動かした。
なるほど、と瑞鳳は頷く。
八丈島鎮守府において、提督の命令は『絶対』だ。
絶対遵守、絶対規律、絶対法律。真理とまで言われるほどに、提督の命令は艦娘達にとって、破ってはならないもの。
命令違反者は、ほぼ間違いなく提督代行によって消される。
跡形もなく、痕跡も残さずに。
不動のカースト制度。頂点に君臨する提督の命令ならば、二人が行うもの無理はない。
しかし、だ。八丈島鎮守府が始まってから、提督が行った命令は三つ。
一つ、生き残って戻ってこい。
二つ、仲間を大切にしろ。
三つ、自らの魂に背くな。
たった三つの命令のみだからで、その後も出したことはない。
となると、残りは一つ。
「提督のお願いを、提督代行が命令として伝えた?」
「正解!」
泣き顔のまま二人して顔を上げるから、瑞鳳は少しだけ身を引いた。
怖い、かなり怖い。
やがて、二人はポツリポツリと顛末を語った。
艦隊大破の話。
「そんなことあったんだ」
電のしたこと。
「あの子は優しいからね~」
応援したい気持ち。
「私だってそうだよ」
暁がしたこと。
「ちょっと待って。何、解放しているの? 戦略級って、そんな簡単に使っていいものじゃないと思うよ」
その後の提督代行からの話。
「そっか」
で、特訓の内容について。
「追い詰めれば会得するっていうのが通説」
「馬鹿?」
真っ向から、瑞鳳は否定した。
「えええ?! だって私の時は決死の中でだったよ!」
吹雪、絶叫。確かに吹雪が第零種兵装を起動させたのは、周り中が深海棲艦に囲まれた瞬間だった。
「私の時も、そうね。本当に追い詰められたわ」
姫級三十に囲まれたら、確かに追い詰められたになるだろうか。刀も持っていなかった頃だし。
「だから、追い詰めてみた!」
「私の時は、寝て起きたらだったけど?」
ピシリと二人は固まって、崩れ落ちた。
瑞鳳が起動させたのは、初接続を試してみた後、妙な夢を見て起きた朝に何気なく起動させたら、動いた。
「ようは、当人の気持ちの持ち方じゃないの?」
「でもでも、提督は『魂』がとか言っていたよ?」
吹雪、泣き続け。
これを鬼教官と呼んでいる艦娘に見せてみたい。きっと、呆然と立ち尽くすに違いない。
「ちょっと吹雪、私もその話、初耳なのだけれど?」
「第零種は接続先の人物がどれくらいの魂を持つかによるって話で、幾つ動かせるかは、魂が大まかに幾つに分けられるかによる、だったよ」
瑞鳳も初耳な話だ。
確かに、従属艦艇の数はそれぞれに違っている。
形はほぼ同じ、と考えていたのだが。
「もしかして、武装も違っている?」
瑞鳳が出した言葉に、二人は涙を止めた。
「私は三連装主砲二基に、VLSが二十六セルと、対空用のガトリングが六基」
「待ちなさい。何よそれ? 三連装主砲なんて、私のには載らないわよ。対空用ガトリング? CIWSじゃなくて?」
「え、え? ちょっと待って、二人とも。カタパルトじゃないの? 格納庫とセットでの」
出てきた内容は三人ともバラバラ。
「格納庫もカタパルトも搭載できるけど、二十機しか搭載できないから」
「吹雪、何を言っているの? 搭載機は一艇につき、三十機でしょ?」
「暁さんこそ、間違っているよ。一艇につき、百機でしょ?」
また内容が食い違う。
「考えたくないけど、これは『接続先の艦娘の魂によって内容が違ってくる』じゃないかな?」
結論が吹雪の口から出され、暁と瑞鳳は否定しなかった。
となると、だ。
「じゃ起動方法も各人で異なるんじゃないの?」
瞬間、二人は再び俯いてしまい、鳴き声が響いてきた。
瑞鳳は、しまったという顔を手で覆い、打開策をと考えを巡らせた。
空を駆ける。
悠久の天空を走り、誰も追いつけないほどの、高みを目指す。
恨んだことない、これは本当。
だから、私はここにいる。