岸辺露伴は動かない [another episode]   作:東田

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another:15 《サイノカミ》

 “聴いたら死ぬ曲”なんてものは結局、一ヶ月経った今でも見付かっていないのだが、しかし露伴はどうも図書館という施設の面白さに気付いてしまったのだった。図書館は知識の宝庫だ。資料を読めば読むほど、次々と新しい知識への興味が湧いて止まない。元々図書館のその性質には気付いていたし、だからこそ必要なとき以外はこの施設を使ってこなかったのだが、どうもその()()が外れてしまったみたいだ。原稿に割く時間を除いて、一日のほとんどを露伴は町立図書館の中で過ごしていた。小説などを除く一般書架は二ヶ月で読破した。現在は裏の書庫にある資料を順次読みこんでいるところだった。岸辺露伴は図書館に魅了されていた。

 

 二ヶ月もの間通い続けていれば、司書らスタッフとは顔馴染みになる。彼女らとは他に、露伴と同じように図書館にあしげく通う女性が一人いた。彼女とは頭を下げて挨拶を交わす程度には知り合っていた。平日の日中であってもかなりの頻度で見かけることから、彼女が大学生であろうことが推察できた。はじめは卒論にでも取り組んでいるのだろうかと思っていたのだが、どうもそんな様子ではないらしかった。紙もペンも持たず、露伴と同じように棚の端から手当たり次第に本を読む奴が卒論を書いているのだとしたら、そいつはとんでもない記憶力を持った天才か、とんでもないバカかのどちらかだ。全て郷土コーナーにある資料ということの他に、彼女の読む本に共通点はなかった。郷土資料と言ってもその分野は行政から歴史・民俗まで多岐にわたる。何かを調べている、という感は彼女にはないように見えた。

 

 いよいよ彼女の目的が気になった露伴は、あるとき思いきって声を掛けてみることにした。彼女が棚に本を戻すタイミングを見計らい、その隣にさりげなく並ぶ。

 

「なあ、ちょっとした好奇心なんだが」

 

 棚のタイトルを眺める仕草をしながら露伴は尋ねた。

 

「いつも何を調べているんだい」

 

 不審なものを見る目が露伴に向けられた。

 

「図書館でナンパですか。斬新ですね」

 

「そういうナリにも見えるか。まあ確かに、学者や真面目な社会人には見えないな」

 

 そういう人を世間は“不審者”と呼ぶ。露伴は<M県の葬制>というタイトルの本を手に取って適当なページを開いた。前にも読んだものだ。

 

「ここ二ヶ月、毎日のように君を見かける。二ヶ月ずっとだぜ。何をしているのか気になっても不思議じゃあないだろ」

 

「それはお互い様なのでは?」

 

 露伴は顔を上げると初めて彼女と目を合わせた。露伴よりも背が低いせいで、露伴が見下ろす形になる。肩まで伸びない長さの髪や口角が気怠そうに垂れ下がっている。

 

「貴方こそ、平日の昼間から何をされているのですか」

 

「僕はただ知識をつけているだけさ。勉強だよ、勉強」

 

「暇そうで何よりです」

 

 女は棚に手を伸ばすと本を一冊引っ張り出した。

 

「半分仕事みたいなものだからな。ところで君はどうなんだい。僕は答えたんだぜ」

 

「別に。郷土資料を調べているだけですよ」

 

「卒論かい」

 

「そういうわけではありませんが――貴方には関係のないことです。それとも“私も知識をつけているだけです”とでも言えば納得しますか?」

 

 吐き捨てるように言うと、露伴が引き留める間もなく彼女は閲覧席へと戻ってしまった。取り残された露伴は手元の本を棚に戻すと小さく肩をすくめた。

 

 

 翌日以降も彼女は図書館に現れた。挨拶こそ欠かさなかったが、二人の間には妙な緊張感が生まれていた。次に二人が言葉を交わしたのは三日ほど後のこと。声をかけたのは露伴からではなかった。

 

「岸辺さんて有名なマンガ家さんだったんですね」

 

 町中で突然名前を呼ばれることはよくある。どうせサインをねだる輩だろうと思って顔を上げた露伴は、彼女が声の主であったことに少しの戸惑いを覚えた。

 

「この間は失礼しました」

 

「随分な掌返しじゃあないか」

 

「当たり前じゃないですか。年中ニートのヤバい人にしか見えませんでしたよ。服装も奇抜ですし」

 

 掌を天井側に向け、人差し指で露伴の服装を示す。

 

「岸辺さんの正体を知った今でも、この前のアレはキモチワルイと思いますけどね」

 

「君の生意気なものの言い方はどうでもいいとしてだ。話しかけてきたってことは僕の問いには答えてくれるんだろうな。僕はまだ、君が何を調べているのか気になっているんだぜ」

 

「そんなことより岸辺さん。日中からこんな場所で読書に耽ってていいんですか?マンガ家って締切に追われてどうしようもないものだと思っていましたけど」

 

「なあおい、君は簡単なQ&Aもできないのか。いまどきの大学はテストに答えられないマヌケでも入れるのか?」

 

「確かに。これは私が悪うございました」

 

 ちょこんと頭を下げる。どうもリズムが掴めない。

 

「じゃあ言い換えましょう。Q&Aではなくギブアンドテイクです。一つを与え、一つを得る。等価交換といったところでしょうか――違うか。まあいいや。さ、岸辺さんからどうぞ。締切は大丈夫なんですか?」

 

「なあなあなあなあ。やっぱりおかしいぜ。最初に質問したのは僕だ。なぜ僕が先に答える!」

 

「欲しいものがあるのならそれ相応の対価を支払うべきでは?私たちの社会の基本は資本主義です」

 

 最近の学生はこうもひん曲がった性格ばかりなのか?露伴は顔を大きく歪ませた。

 

「僕は描き上げるのが早いんだよ。だから時間もできる」

 

「へえ。あのインタビュー本当だったんだ」

 

 彼女がどのインタビュー記事を言っているかは不明だ。速筆に関してはよく聞かれる事項である。

 

「それじゃ私も答えましょう。私が郷土史を調べている理由は“西村”です。西に村と書いて“さいむら”と読みます」

 

「西村?知らないな」

 

「市内外れにある小さな村です。特産品とかもありませんし、知っている人の方が少ないかと」

 

「なるほどな。ところで僕の疑問は全然尽きないわけだがどうする?まだギブアンドテイクやらを続けるかい」

 

 女はしばらくの思案を挟んだ。

 

「でしたら近くの喫茶店に移動しませんか。私は“あの岸辺露伴”とお茶をしたという対価を得られる」

 

 露伴は彼女の提案に同意した。図書館そばのこぢんまりとした個人喫茶に場所を移す。

 

「それでだ。なぜ町立図書館なんだ?君は大学生だろう」

 

 注文もそこそこに露伴は疑問を投げかけた。

 

「大学図書館の郷土資料は論文含めて全部に目を通しました。けれど西村に関する詳細な記述はみられなかった。だからこっちに通っているんです。郷土史・民俗史は大学のものよりコーナーが充実しています」

 

「お探しのものは見付かったのかい」

 

 彼女は首を横に振る。

 

「名前は出てきても、やはり細かく言及されたものはありません」

 

 二人の前に飲み物が運ばれてきた。

 

「西村の何を調べようとしているんだ」

 

「西村()()()()です」

 

「卒論でもないのにか。その異常な執着の理由はなんだ。ただごとじゃあないぜ」

 

「身の上話なんで言いたくありません」

 

 女は手元のスムージーに口をつけた。

 

「全く教えてくれないのか?小指の先ほどもか」

 

 食い下がる露伴に女性は折れた。小さな吐息の後に語る。

 

「西村は私の生まれ故郷らしいんです」

 

()()()?」

 

 しまった。彼女は慌てて口を両手で覆った。余計な情報まで喋ったみたいだ。

 

「図書館なんかより村役場やお寺の方が詳しいんじゃないのか」

 

「できません」

 

「火事で焼失したとか?」

 

 それならまだ納得がいく。

 

「親から“行くな”と言われているんです」

 

「勝手に行けばいいじゃないか。君のご両親はそんなに厳しい人なのかい」

 

「駄目です。私の育ちは西村の隣、宵村という場所なんですが、子供の頃から西村への立ち入りは厳しく禁じられていました」

 

「面白くなってきたじゃないか」

 

 なにやら変な匂いがする。露伴の興味は西村に真っ直ぐ向いていた。

 

「案内してくれないか。その西村まで」

 

 

「正気ですか?岸辺さん、私の話ちゃんと聞いてましたか?行ってはいけないんです」

 

「だからこそだろ。禁じられてるからこそ行くことに価値があるんだ。かく言う君も気になっているんだろう。こんなに躍起になって調べているんだ」

 

 口をつぐんだ彼女を見て露伴は押しを強めた。

 

「それじゃあこんなストーリーはどうだい。君が――えーと。君の名前を聞いてなかったな」

 

田向花 小夜(たむけ さや)です」

 

「田向花 小夜。君が僕に無理矢理案内させられたというストーリーだ。君は被害者。僕が悪者だ」

 

 小夜の返答が何であろうと、露伴は彼女に案内をさせるつもりでいた。胸ポケットのペンに手が伸びる。しかし小夜の答えは賛同だった。

 

「八割事実ですよね、それ」

 

 

   *

 

 後日、宵村の最寄り駅で二人は待ち合わせた。非常に小さな無人駅だった。自動改札機など存在しない。代わりにポストのような見た目をした切符回収ボックスが設けられていた。電車を降りてホームで待つ小夜と合流する。小夜は切符をそのボックスに入れるよう露伴に指示した。

 

「無賃乗車し放題にも見えるが。大丈夫なのか」

 

「そんなことをしたら駅が潰れます」

 

 それも違いない。露伴は駅の外に広がる風景を眺めて頷いた。周辺一帯は田園に囲まれている。道路も整備が行き届いているようには見えない。この路線は周辺に住む人々にとって生命線にも等しいに違いない。

 

 小夜は線路と垂直に交叉する一本道に出るとその先を指さした。

 

「この先、直線上に宵村と西村があります。宵村の奥に西村。一本道で続いているんです」

 

「民家も見えないが。どれくらい歩くんだ」

 

 露伴は道の奥を凝視した。どこまでも田畑が続いている。

 

「三十分くらいです」

 

 表情一つ変えずに小夜は答えた。

 

「おいおい、冗談だろ」

 

 露伴のテンションは目に見えて下がった。いくらジムに通っているからといっても、体力的に余裕があるわけではない。歩くのが嫌というわけではないが、まさかそんなに歩かされるとは思ってもいなかっただけに露伴は面食らったのだった。

 

「私の両親の話なんですが」

 

 しばらく黙って歩いていた二人だったが、小夜が先に口を開いた。

 

「今の両親と私は血が繋がっていないんです」

 

「養子か?」

 

 小夜は小首を傾げた。

 

「難しいですね。戸籍上は今の両親が実の親ということになっていますが、本当の産みの親が別に居るんです」

 

「複雑だな」

 

 小夜の話し方から悲壮感は見られなかったものの、話題が話題なだけに露伴の反応も慎重だった。

 

「私が宵村に住んでいるという話はしましたよね。私が産まれた、実の親が現在暮らしている場所が何を隠そう西村なんです」

 

「それで西村を調べてたのか」

 

「私が生まれたのは冬でした。生まれてすぐ、実の両親は義父母に私を預けたそうです。雪の降る夜だったそうですよ」

 

 神秘的ですね。小夜がはにかむ。

 

「物心ついたときから“西村には行くな”と耳にたこができるほど言われてきました。それが村の掟だと」

 

「実の両親と会ったことは?」

 

 小夜は頷く。

 

「西村の人間が宵村に来ることは禁じられていません。でないとどこにも行けませんからね。この一本道しかないし。だからあっちの村人と会う機会は意外と多いんです」

 

「実の両親に会ってはいけないとか、そういうわけではないのか。益々解らなくなってきたな」

 

「私もそこは疑問です。村人同士も仲が悪いわけじゃないし、子供達は村を跨いで遊びます。ただ“西村に行ってはいけない”」

 

 次第に道の先に民家が見え始めた。畑仕事をする人影もある。

 

「小夜ちゃん!どうしたんだいその人!」

 

 その中の一人が道行く二人を見付けて声をあげた。その声に周囲の人も反応する。

 

「なんだい。大学のボーイフレンドかい」

 

 最初に声をあげたその老婦人が額の汗を拭いながら二人に近付いた。

 

「そうなのよ」

 

 ニコニコ顔で頷く小夜を見て露伴はあっけにとられた。

 

「おいおい、どういうことだ。聞いてないぞ」

 

「いいから話に合わせてください」

 

 耳打ちする露伴に小夜は忠告した。露伴は困り顔になった。老婦人と小夜が言葉を交わす。急いでるのでと小夜は早々に会話を切り上げた。

 

「悪い人たちじゃないんですけどね。話が止まないのは困ります」

 

「そんなことはどうでもいいんだ。さっきの返答はどういうことだ」

 

「我慢してください。西村に案内してるなんて言ったら追い返されますよ。私が貴方を連れて歩ける妥当な理由は他にないんです」

 

 露伴は渋々了承した。だがどうも、その言い訳は悪手なように思われてならなかった。事実、村に帰った二人は質問の嵐に苦労することになる。

 

 小夜の実家に荷物を置き、義父母と少しだけ談話し、それから露伴に村の中を案内すると言って二人は外に出た。玄関先で義父母が小夜に耳打ちする。

 

「何て言われたんだ」

 

 村に繰り出すと露伴は尋ねた。

 

「“西村には行くな”と念押しされました。まあこれから行くんですけどね」

 

 駅とは反対方向に、村の中央を縦断する一本道を進む。陽が傾き始めていた。道には街灯もなければ、明りを持参してきたわけでもない。今が秋時であることと遠くに見える西村の民家までの距離を考えれば、帰りは何も見えなくなりそうだ。小夜は澄ました顔をしているがその点の心配はないのだろうか。

 

 四人の子供がはしゃぎながら西村の方面から駆けてきた。道の向こうでは別の子供達が手を振っていた。

 

「西村の子たちです。宵村の子はあっちへ行けないから、いつも彼らが遊びに来るんです」

 

 前方で手を振る三人を見据えながら小夜はそう言った。なるほど。二つの村の関係はやはり良好なようだ。道沿いの畑が途切れ、前方に草原が広がる。西村の民家にポツポツと光が灯り始めた。

 

<まるで隔離されてるみたいだな>

 

 西村へ至る道はこの一本の他にないと聞いた。四方を山に囲まれたその村は、どこか俗世から切り離されたような印象を露伴に与えた。

 

「アレは何だ」

 

 二人の前方、道の両脇に朱色をした一対の柱が出現した。高さは二メートル半。上部からは注連が下げられている。門や鳥居を模したような、そんな注連柱だ。

 

「さあ――私も初めて来ましたから」

 

 小夜も不思議そうにそれを眺める。二人は得体の知れないそれに接近した。右の柱の手前に人の背丈ほどの祠が建っていた。四本の支柱で屋根を支えているだけの簡単な構造だ。壁も存在していない。露伴はその祠に目的を変更した。幅の広いその祠には、大きさも形も別々の三つの石が置かれていた。中央、上下左右に最も大きい石には“佐倍乃加美”と刻印がされている。露伴のへその高さまであるその石の左右には、二回り以上小さな石が座していた。左には30センチほどの丸石が、右にはそれより幅はちいさく少し高さのある石が、それぞれ中央の石から等間隔の距離に置かれていた。露伴は小夜に目線で尋ねた。小夜は首を振る。

 

「“佐倍乃加美”……どう読むんだ?」

 

 何のために設置されているのかも皆目見当が付かない。その先の注連柱と併せて考えれば、ここが宵村と西村の境界のような役割なのだろうか。その柱に向かって露伴が歩もうと足を踏み出す。同時にどこからともなく“声”がした。

 

『わりいの。わりいの』

 

 露伴は咄嗟に足を止めて周囲を見回した。しかし人の姿はない。

 

「聞こえたか?」

 

 小夜の方を振り返る。小夜も肯いた。

 

「幻聴じゃありませんよね」

 

「お化けかもしれないな」

 

 夕日が射し込む今の情景的には妖怪の方が出てきそうな雰囲気ではあるが。どちらにせよ薄気味悪い。

 

「行きませんか?」

 

「先に行っているといい。僕はもう少し観察してから行くよ」

 

 一本道だから迷う心配もない。小夜が祠の横を通り過ぎる。

 

『わりいの。わりいの』

 

 再び声がした。小夜が足を止める。やはり人影はない。小夜は足早にその場を去ろうとした。柱の間を踏み越えたその瞬間。小夜は地面に崩れ落ちた。

 

「なにぃッ!」

 

 小夜から血が流れ出る。かなりの出血だ。露伴は警戒心を最大限まで高めた。()()かが彼女を攻撃している。数秒を待ち露伴自身に攻撃が及ばないことを確認すると、小夜に近寄った。

 

「止まれ!!動くんじゃあないッ!!」

 

 その露伴を後方からの怒号が制した。露伴は勢いよく振り返った。男が二人。中年の男と、露伴と年の近そうな男が一人だ。

 

「それ以上進むな。彼女と同じ目に遭うぞ」

 

 中年の男が凄む。露伴は臨戦態勢をとった。

 

「彼女に何をした!」

 

「落ち着け。俺らの仕業ではない」

 

 信用できない。露伴は警戒を続けた。

 

「福間さんのとこの子だ。村長も呼んできてくれ」

 

 中年の男に指示を受けて若者が西村に走る。

 

『いいの。いいの』

 

 またしても声がする。先ほどの二回とは言葉が異なっていたが、その意味するところは不明だ。

 

「説明願おうか。それとも強硬手段がお望みか?」

 

「落ち着けって言ってるんだ。彼女は死にはしない。安心しろ」

 

 露伴は小夜の容態を目で確認した。並の出血量ではない。

 

「死にはしないだと?あんたがここで僕の足止めを続ける限り、彼女の死期は迫ってくるんだぜ」

 

「断言しよう。君が何かをするまでもなく、彼女は死なない」

 

「あんた何者だ」

 

「俺も宵村の人間だ。君ら二人が西村の方面に歩いて行ったと子供らから聞いて飛んできた。西村には行くなと言われなかったのか?」

 

 やはり信用するには足らない。だが攻撃の正体が判明しない以上迂闊に動かないのが正解というのは露伴も理解していた。

 

 西村から明りを持った集団がやって来た。先頭を歩くのはさっき駆けていった若い男だ。後方には高齢な男が一人、中年の男女一組、そして別の若者が続く。六人は倒れ込む小夜の前で立ち止まると、彼女の様子を覗き込んだ。

 

「田向花さんのところだ。運びなさい」

 

 老人の言葉で、若者二人が担架に小夜を乗せて宵村へと運んでいった。彼らに敵意がないことをすれ違いざまに確認し、安堵の息を吐く。西村からやって来た三人は祠の前に跪くと合掌した。

 

「奴ら、何をやってるんだ」

 

 訝しむ露伴の横に宵村の男が並ぶ。彼にも敵意がないことを露伴はそっと確認した。三人が合掌を解いて露伴と向き合う。

 

「はて――どこまで理解しているのかね」

 

 老人が露伴に尋ねた。

 

「どこ、とは。西村に行くなとは聞いた」

 

「その理由がアレだ」

 

 老人は宵村へ運ばれる小夜を指さした。

 

「西村に“来てはいけない”のではない。“入れない”のだよ」

 

「彼女は掟を破ったからああなったのではないというわけだな」

 

「ここに祀られているのは“サイノカミ”という神様だ」

 

 老人が祠の屋根を軽く叩く。

 

「“サイノカミ”」

 

 露伴は復唱した。なるほど、石に刻まれた“佐倍乃加美”も無理をすればそう読めないこともない。

 

「西村はこの“サイノカミ”によって守られている。“サイノカミ”はこの西村にとって害となる存在を弾くのだ。来なさい」

 

 老人に招かれ、露伴は祠の前に立つ。

 

『わりいの、わりいの』

 

 声が聞こえる。

 

「これが“サイノカミ”による判決だ。“サイノカミ”はこの境界を越えようとする対象の過去から現在、そして未来までの全てを見通す。そしてその対象が西村に害を与える可能性があるとき、“サイノカミ”はこれを拒絶する」

 

 “わりいの”とは“悪いの”が訛ったものだろう。

 

「拒絶されたものが無理に境界を侵そうとすれば、“サイノカミ”は彼らを半生半殺にする」

 

「“塞の神”か――」

 

 外敵から集落を守護する神。老人は一度祠から遠ざかると再びその前に立った。

 

『いいの。いいの』

 

「この返答が返ってきた者だけが西村に立ち入ることが出来る。宵村は、西村で産まれたものの“サイノカミ”によって害をなす存在と判定され、村の領域に存在することが出来なくなった者たちの集まりだ」

 

 隔離されているのは宵村の方だ。ならさっきの若い男は?もしものための連絡役だと老人は説明する。

 

「なぜ彼女には真実を伝えなかった」

 

「彼女は今――21か?」

 

 老人が隣の男女に確認をとる。二人は肯いた。

 

「あと数年もすれば伝える予定だったよ。それも決まりだ。子供に伝えても理解されないからな」

 

 老人は男女に露伴の前に立つよう促した。

 

「彼女の実の両親だ」

 

 老人の紹介で小夜の実父が握手を求める。しかし露伴はその手を握り返さなかった。

 

「疑問に思わないのか。実の子供なんだぞ。得体の知れないカミサマとやらの一言で産まれたばかりの我が子を他人に預けられるものなのか?西村を出て三人で暮らすという選択肢はなかったのか?」

 

 両親はキョトンとした。

 

「何故?“サイノカミ”によって西村は永きにわたって繁栄している。必要のない()()()()()を追放したまでだ」

 

 開きかけた口を、露伴はつぐんだ。

 

「帰る」

 

 吐き捨てるように言い残し、宵村へと道を戻る。“サイノカミ”だか何だか知らないが、それ以上に村人が腐っているようでは駄目だ。太陽は完全に沈み、月明かりが道を照らした。

 

 田向花家に戻ると、慌ただしく田向花夫婦が出迎えた。露伴は二人に頭を下げた。自分の我が儘が彼女を危険に晒した。彼女にもその気があったとはいえ、露伴が唆さなければ、少なくとも彼女が今夜西村に向かうことはなかった。田向花夫妻はしかし、そんな露伴を温かく迎えた。

 

「せめて君に怪我がなくてよかった。安心してくれ。明日の朝には彼女も完治するよ。“サイノカミ”の目的は西村に外敵を侵入させないこと。殺すことが目的じゃない」

 

 小夜の眠る床の間に通される。布団にはまだ少し血が染みていたが、小夜の息は安定していた。半生半殺。死にはしない。両親が部屋を去る。

 

「今回ばかりは僕も反省しなくてはならない。全くその気なく、だが間違いなく僕の好奇心が君を傷付けた」

 

 彼女の動機の一部は露伴への善意でもあった。あと数年もすれば村から真実が語られていた。今夜の事態は小夜にとっては不要だったもののはずだ。露伴は胸元のペンを取り出した。

 

 

 

  *

 

 

「悪かったな。いらないことに巻き込んだ」

 

 翌日の昼過ぎ。二人は駅のホームで1時間に一本の電車が来るのを待っていた。

 

「いえ、岸辺さんに言われなくてもそのうち私一人で行っていたでしょうから。結果的には村のことを知れましたし、岸辺さんが謝ることではありません」

 

 早朝に完治して目覚めた小夜は、露伴や田向花夫婦から昨夜の出来事と“サイノカミ”についての説明を受けた。衝撃こそ受けた小夜だったが、決して露伴を非難することはなかった。

 

「君の産みの両親のことだが――君は彼らをどう思っている?」

 

「どう、ですか。特に頻繁に会うわけでもないのでなんとも。遠い親戚みたいな感じですかね」

 

「そうか。今のご両親を大切にするといい」

 

 昨夜の対応で田向花夫婦の人柄の良さを感じていた露伴はそうとだけ伝えた。電車が到着する。小夜とはここでお別れだ。

 

「そうだ」

 

 電車に乗り込もうとしたところで露伴は思い出す。

 

「今回の埋め合わせと言ってはなんだが。“おまじない”をかけておいた」

 

 露伴は胸ポケットのペンを取り出し、ヘブンズドアーを発動させた。

 

<幸せになる>

 

 本のように開かれた小夜の右頬にはそう書き込まれていた。小夜が昨晩眠っている間に書いたものだ。

 

「ギブアンドテイクだ。君には大きな借りを作ったからな。対価とまではいかないが」

 

 意味が掴めない小夜は目を丸くする。

 

「まあ効果は保証できないがな」

 

 露伴は電車に乗り込んだ。




更新が早いですね!!僕は天才です!!!

でもまあネタ切れしてるんで次の更新の目処は立っていないんですが。この短期更新に読者が満足して一年くらい休んでも大丈夫なのでは――

時間はあるんでおいおい書くとは思います。待たせてごめんなさい。でも待っててください。

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