岸辺露伴は動かない [another episode]   作:東田

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another:23 《一代様》

 師走に入り、年の瀬も近付いてきた。

 岸辺露伴は大学図書館にいる。

 手を少し伸ばせば触れてしまうような低い天井と、間隔1mもなくびっしりと並べられた書架による閉塞感は、マスクの息苦しさをより際立たせた。

 彼が居るのは私立S大学図書館の下層部である。一般学生同士の雑談やせわしないタイピング音の一切届かない、開架書庫としてはほぼ最深部に位置する。呼吸音や頁を捲る音にすら気を遣ってしまうような沈黙の空間だ。光源も表に較べて十分とは言えず、反対通路の奥はほとんど暗闇だった。

 

 露伴はマスクをずらすと、その沈黙を裂くように大きく息を吸った。カビと埃の臭いが鼻を通って肺を満たす。嫌いな臭いではなかったが、確実に健康にはよくない。マスクを戻すと、今しがた開いていた本を棚に戻し、踵を返した。次話のための情報収集もひとまずは十分だろう。

 

 薄く緑がかったスチールドアを開けると、新鮮な空気が全身を包んだ。腕時計を確認すると、この書庫に入ってから2時間が経過していた。予定よりも長居してしまったようだ。

 もう一度マスクの位置を直すと、露伴は出口へと向かった。こういうときにマスクは便利だ。顔の半分を隠せるから、安易に身バレすることはない。最もお手軽な変装方法である。しかしそれ故に、その人物をよく知る相手には簡単に見破られる。例えば何度か交流のある知人とか――

 

「あれ、岸辺さんじゃないですか」

 

 出入り口のそばに設置された新聞の閲覧スペースから、田向花 小夜(たむけ さや)が手を振った。

 

「お久しぶりですね。お元気ですか」

 

 彼女は卓上に広げていた新聞を乱暴に畳むと、露伴のもとへと駆け寄ってきた。

 

「たった今しがた、元気がなくなったところだ」

 

 彼女と知り合ったのは些細な出来事がきっかけであったが、それ以降彼女はどうも、すっかり露伴と親しくなったと思い込んでいるようだった。露伴を見かければ、所構わず走り寄ってきて、それからほぼ一方的な雑談が始まる。

 

「こんなところで何してるんですか。びっくりしました」

 

「資料集めだよ。他に図書館を利用する動機があるのか?」

 

「いっぱいありますよ。ラウンジスペースでグループワークしたり、レポート書きに来たり。かくいう私も、レポートを書いている最中だったんです」

 

「そうか。なら引き続き励んでくれ。学生の本分は勉強だからな。ちょっと顔見知りを見かけたからと立ち話をするほど暇じゃあないだろう」

 

 出口へ向かって歩き出す露伴の進行を遮るように、小夜は彼の前方へ回り込んだ。

 

「いいえ、逃がしませんよ。ちょうどさっき、興味深い記事を見つけたところなんです」

 

 小夜はそう言うと、露伴の手を取って強引に閲覧スペースへと引っ張ろうとした。が、露伴も負けじとその場を動かない。

 

「ほら岸辺さん。へんな意地張らないでくださいよ。記事を1件読んでもらうだけです。5分もかかりませんから」

 

「僕の貴重な5分をなんだと思ってるんだ。君の戯言に付き合うくらいなら、今晩の献立を考えてたほうがよっぽど建設的だ」

 

「確かに私も、岸辺さんが普段何を食べてるかは気になります。コーヒー1杯飲んだらお腹いっぱいとか言いそうじゃないですか」

 

「いいや。食事は健康の基礎だ。そういうのはちょっとスカした大学生とか、社会人が寿命を削りながらやるもんだぜ」

 

「お酒やタバコと一緒ってことですね――じゃなくて!」

 

 体重をかけ、ぐぬぬと唸りながら引っ張るが、地面に根を生やしたように露伴は動かない。

 

「いいから見てってくださいよ!絶対岸辺さんも気になりますから」

 

 静かに、とカウンター越しの職員から諫められる。小夜はふてくされたような顔で手を離し、声のトーンを落とした。

 

「紙面のはしっこに書いてある短い記事ですから。内容は“火事の中から凍死した遺体が見つかった”って事件です」

 

「凍死……ね」

 

「どうですか、気になりません?」

 

 露伴は息を吐き出すと、下にズレたマスクを再び直した。

 

「5分だけだぞ」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

 

 ――――“一代様”の祟りか 住宅火災で一名死亡 “秋田新報”1月2日

 

 1日未明、宵潟町の住宅で発生した火災で亡くなった身元不明の遺体が、住民である油屋 知史(ともし)さん(71)であることが判明した。警察当局は死因が低体温症によるものであると発表。出火元は遺体元に落ちていたマッチからのものであり、昨年亡くなった妻の芭並子(はなこ)さんへお線香をあげようとしたところ、過って出火したとの見解を示した。

 地元宵潟町では、“一代様”の祟りによるものではないかと語る住民も多い。当局は事件性がないかを含め、引き続き調査するとした。――――

 

 

 

 記事は地域面の隅に小さく取り上げられていた。記事を読み終えると、露伴は眉間を揉んだ。

 

「“一代様(いちだいさま)”と読むのか?どこのゴシップ誌かと思ったら……大手地元紙じゃないか。大マジなのか?これ」

 

 “秋田日報”は秋田県下最大手の地方紙だ。そんな紙面がまるで迷信じみた内容を採用していることがなによりも驚きである。

 

「捏造記事だと言ってくれた方が嬉しいくらいだ。頭が痛くなるね」

 

 額に手を当てて頭を抱える仕草をした。

 

「この内容だけじゃ“一代様”がなんなのか、皆目見当もつかないし。気になりませんか?」

 

「気にはなる。だが、呪いだとか祟りだとか、そういうオカルトチックな事件にしては取り上げ方が雑じゃないか。言っちゃあ悪いが、まるでどうでもいい事件みたいな扱いだ」

 

 見出しに“祟り”というインパクトのある言葉を使っているにも関わらず、掲載位置は“地域面”の端っこという中途半端な場所だ。

 

「こう考えることもできませんか?この地域にとってこの事件はあまり珍しくもないって」

 

「人が1人亡くなってるんだ。全国報道はされなくても、地元じゃ大事件じゃないのか?死人が出るとこまで含めて“珍しくない”っていうならともかくだが」

 

 むしろ扱いが軽すぎることの方が不審だ。“一代様”報道の隣には自転車による軽い接触事故の記事が掲載されている。火事で人が凍死するという事件が日常的な出来事なのか。あるいは大事にしたくない()()なのか。

 

「“一代様”で調べても、この事件ヒットしないんですよね」

 

 小夜はスマホの画面を露伴に見せた。検索結果の一番上には“津軽一代様”と表示されていた。

 検索結果によれば、“津軽一代様”は青森県津軽地域特有の文化であり、生まれ年の干支によって参拝する寺社が異なるといった信仰であるそうだ。

 

「青森か。隣県ではあるが――事件との関連性は見えないな」

 

「津軽地方特有の、ってありますしね。これとは別物なんでしょうか」

 

 記事中の“一代様”とは別物であろうことはすぐ分かる。

 

「どちらにしろ情報が足りない」

 

 露伴はずれかかった肩掛けバッグを直した。

 

「後日詳しく調べ直そう」

 

 その言葉に小夜がニヤける。

 

「5分の価値、ありました?」

 

「さあな。だが調べるだけだ」

 

 小夜を残して露伴は図書館を後にした。

 

 

 

 

 

 ほどなくして小夜から宵潟町出身の学生を見付けたと連絡が入り、2人の空きコマの時間を使って話を聞く運びになった。大学近辺で長時間話し込むのは流石に目立つということで、少し離れたレストランで昼食も兼ねて落ち合うことになった。

 

 3人が席に落ち着き、席に用意されたパネルから料理を注文し、セルフサービスの水を取ってきたところで、露伴は本題に入った。

 

「平山君、君の地元は宵潟町で間違いないね」

 

 露伴の問いかけに赤髪の青年は首肯く。平山 昌樹(ひらやま まさき)は小夜の所属するサークルの先輩の知人ということだった。

 

「それじゃあ、“一代様”のことは知っている?」

 

 露伴は秋田日報の例の記事をプリントしたものを平山に差し出す。平山はそれを受け取る前に答えた。

 

「“ヒトシロサマ”のことですか?」

 

 “ヒトシロサマ”?と2人は同時に復唱した。

 

「これは“ヒトシロサマ”と読むのか」

 

 記事の見出しを指先で叩きながら追って尋ねる。

 

「そうです。うちの町では割とみんな知っている神様です」

 

「地元じゃあ有名なのか?散々調べてみたが、彼女が偶然見付けたこの記事以外に“ヒトシロサマ”についての文章は見つからなかった」

 

「“ヒトシロサマ”でも検索結果0件ですね」

 

 小夜が2人にスマホの画面を向ける。

 

「親父も昔同じようなことを言ってましたね。町にも記録は残ってないとかなんとか」

 

「どんな神様なんですか?」

 

 小夜の問いかけに、平山はうーんと腕を組んだ。

 

「いざ説明しろってなると、端的にこういう神様だって言えないんですよね。なんていうかほら、干支ってあるじゃないですか」

 

「やぱり干支が関係するの」

 

 小夜がそう反応すると、平山は怪訝な表情をした。続けてくれと露伴が促す。

 

「子丑寅のあれですね。町では、生まれ年と同じ干支の正月を迎える――つまり年男や年女を迎える人のところですね。大晦日の晩から正月の朝にかけて、そういう人たちの家の玄関先に“ヒトシロサマ”は来られるんです」

 

「そういう迷信……?」

 

「迷信と言えば迷信かも。けど俺の周りの人は本気で信じてますね。それで、年男や年女を迎える人がいる家は一晩中宴会をするんです。家の前にやってきた“ヒトシロサマ”を退屈させないために。もし忘れて寝てしまうと、“ヒトシロサマ”が怒ってその人の命を奪うと言われています」

 

「つまり“ヒトシロサマ”による祟りということか」

 

 記事によれば、火事で亡くなった男の年齢は71歳。ちょうど年男の正月を迎えたばかりの出来事であり、平山の説明とも合致する。

 

「亡くなったその方は一人暮らしで、大晦日も1人で過ごしてたみたいです。それでうっかり寝てしまったんだろう、ってみんなは話してますね」

 

「でも本当に“ヒトシロサマ”が原因かは分かりませんよね?そういう言い伝えがあった土地で、たまたま亡くなった方の特徴が一致したから結び付ける人が出てきたってだけじゃないんですか?」

 

 小夜の指摘に、平山は首を上下に激しく振った。

 

「そう。それだけの話なんですよ。うちの町以外じゃ“ヒトシロサマ”って名前も、大晦日に寝ちゃいけないなんて話も聞かないし。そもそも年男とか年女とか関係なくみんな寝るでしょうけど、別にそれで死ぬなんて事はありませんし」

 

「火の不始末だった、といったほうが遙かに納得がいく」

 

「でもそれじゃ、死因が“凍死”だったことの説明がつかなくなりますね」

 

 平山は大袈裟に肩を竦める素振りを見せた。

 

「それは“ヒトシロサマ”を肯定する材料にはならない。不自然だと言いたいのかもしれませんが、“ヒトシロサマ”の存在のほうがよっぽど不自然だ」

 

 露伴は内心であり得ないことではないと思っていたが、しかし可能性のひとつとして留めた。

 

「“ヒトシロサマ”がよっぽど滑稽な話だってことも、君がまったく信じていないことも理解した。さしあたって、いくつか質問したいことがある。オカルト話としての“ヒトシロサマ”についてではなく、文化体系的な視点からの質問だ」

 

 露伴はスマホを平山の前に置く。

 

「青森県に“津軽一代様信仰”というものが存在するそうだ。“ヒトシロサマ”と同じ漢字が当てられているな。それにその解説を読んでもらえば分かるが、“ヒトシロサマ”同様に生まれ年の干支が関わっている」

 

 画面に表示されているのは“津軽一代様”について解説したサイトだ。平山はそれを手に取り、熱心に眺めた。

 

「君の村の“ヒトシロサマ”とこの“津軽一代様”は同様の信仰から派生したものだ、と考えられると思うか?」

 

「専門的な話はわかりません」

 

 平山はコップの水を飲み干す。それに気付いた小夜は水を汲みに立った。

 

「けど、似てるようでまったく違うものだと思いますよ。この“津軽一代様”ってのは、干支によってお参りする神様が違うってものですよね。このサイトだと子年は千手観音、未年と申年は大日如来。けど“ヒトシロサマ”は“ヒトシロサマ”です。複数の神様を指すわけじゃない」

 

「ありがとう。僕も同じ考えだ」

 

 スマホを回収する露伴を、平山は訝しむように見た。

 

「たぶん、青森の人に聞いても違うって言うと思いますけど……こんなことが聞きたかったんですか?」

 

「いや、本命はこっちだ」

 

 少しスマホを操作してからもう一度差し出す。今度は“なまはげ”について書かれたものだ。戻ってきた小夜も隣から覗きこんだ。

 

「なまはげなら私も知ってますよ。“泣く子は居ねがー!”って子どもを泣かせてる鬼ですよね」

 

 小夜は平山の前に水を置くと、両手の人差し指を頭の上に立てながら言った。その様子に露伴は頷く。

 

「同じ秋田県内に伝わる大晦日の来訪神だ。大晦日に各家を回り、厄災を祓うっていう文化だ」

 

「え!あれって大晦日にやるんですか。お正月の神社のイベント的なのだと思ってました」

 

「獅子舞と混同してるじゃないかい?子どものころに頭なんかを噛まれただろ。あれはどちらかというと正月を迎えてからの行事だが、頭を噛むことで厄除けになると言われてる」

 

「あれ、じゃあその獅子舞もなまはげも“ヒトシロサマ”と一緒ですね。お正月前後のイベントで、厄を祓ってくれる神様って」

 

「むしろ逆ですね」

 

 平山がそれを否定した。

 

「“ヒトシロサマ”は厄をもたらす存在です。御利益があるから大事にするのではなく、蔑ろにすることによって生じる祟りを畏れて大事にせざるを得ない。菅原道真公を祀りはじめたのと同じような動機ですよ」

 

「僕が確認したかったものがまさにそれだ。正月の時期の来訪神や厄除けの信仰それ自体は特段珍しいものでもない。東北地方はそういった文化が特に盛んだ。他にも岩手県の“スネカ”や山形の“アマハゲ”なんかもある」

 

 露伴は画面を2人に向けたままスマホを操作し、いくつかのページを行き来して見せた。

 

「共通しているのは正月の前後の時期に、それぞれの神を模した町人が家々を回って厄を祓い落とすってところだ」

 

「みんな良い神様なんですね」

 

「それに比べると“ヒトシロサマ”は疫病神だな」

 

「そう。疫病神だ。だがそれが不思議だ」

 

 露伴の言葉に2人は首を傾げた。

 

「さっき平山君が菅原道真みたいだって言っただろ。あれ、わりと芯を食った発言だぜ」

 

 小夜と平山は顔を見合わせ、互いに首を振る。彼の言わんとしていることがよくわからない。

 

「彼が信仰されるようになったのは、彼の祟りを畏れた時の帝がその怒りを鎮めるために祀りあげたためだ。だが今はどうだ。祟りなんて二の次で、“天神様”なんて学問の神様として御利益頂戴だ。信仰なんてのは長ければ長いほど()()が起こり得るんだよ」

 

「それっていうのは、良い神様に昇格するってことですか?」

 

 小夜の問いに、露伴はそうだと答えた。

 

「なまはげの起源も諸説はあるが――“火斑(なもみ)”を剥ぐ、要するに囲炉裏の火に長時間あたるような怠け者を諫める神様だったとか、中国の皇帝によって連れてこられた鬼を畏れた村人たちが祀りあげたのが始まりだとか言われている。いずれにしても最初から御利益をもたらす神だったわけじゃあなく、いわば悪い神様を祀っていたものが時代の流れの中で良い神様へと性質が変化したってわけだ」

 

「だからつまり、悪い神様であり続ける“ヒトシロサマ”は不自然だということですか」

 

「それに来訪神だというのに偶像化や具現化されてないってのも特殊だな。なまはげだって獅子舞だって、それに扮した人間が演じているだろう」

 

 ああ、と平山は相槌を打つ。そこへ、配膳ロボットが料理を運んできた。3人は会話を一時中断した。

 

「考えてみれば不思議ですね。“ヒトシロサマ”の話は少なくとも曾々祖父くらいから語られているのに、どんな姿をしているかって聞いたことがないですね」

 

 平山はパスタをつつきながら言った。

 

「周辺地域にそれだけ似たような来訪神の文化がありながら、“ヒトシロサマ”だけが異質だ」

 

 露伴はスマホを手元に戻し、一息ついて水を飲み干した。補充しようと立ち上がりかけた小夜を手で制止し、続ける。

 

「その要因も考えてみた。一番納得できるのは“ヒトシロサマ”信仰が生まれたのは最近、少なくとも明治時代以降って可能性だ。“ヒトシロサマ”についての文献が残っていないことも、比較的新しい文化だと考えれば説明がつく」

 

「あり得ないでしょうね」

 

 平山は即座に否定した。

 

「冷静に考えて、近代現代でこんな話が流行るって考えにくいでしょ。昔から信じられてきたものが今も信じられてるっていうのとは訳が違いますよ。新しく神様を生み出してるんですから」

 

 それも疫病神をだ。露伴も同意見だった。あまりにも原始的過ぎる性質なうえに、社会的利益をもたらさない風習だ。町ぐるみのカルト信仰があるならともかくだが、そういった要素はない。

 

「それじゃあ君なら、どう説明する?」

 

 平山は半分ほど平らげたきのこのパスタを眺めながら考えを巡らせた。

 

「やっぱり()()()()()()だからとしか、言いようがないんじゃないですか?」

 

「とは?」

 

 続きを催促する。

 

「うちの親も近所の人も、別に普段から信心深いってわけでもないですからね。初詣に行くとか、冠婚葬祭に参加するとかその程度はありますけど、家には神棚のひとつもない一般家庭です。けど“ヒトシロサマ”のこととなると話が変わるんですよ」

 

 平山は溜息を一つ吐くと、フォークを置いた。

 

「自分から言うことでもないんで、普段人には話さないんですけどね。俺2浪してるんですよ。で今、大学4年生」

 

 隣で小夜が指折りで年齢を数える。

 

「今は24歳ってことですか?」

 

「いや。早生まれなもんで、まだ誕生日が来てない。いま23歳です。つまり来年が――」

 

「年男ってわけか」

 

 平山は頷いた。露伴の口角が上がったのを、小夜は見逃さなかった。

 

「まあそんなわけで、両親が今年の大晦日は絶対に帰ってこいと口うるさく言ってくるんです。俺が“ヒトシロサマ”を信じてないことは2人も知ってますからね」

 

「帰るのかい?」

 

 まさか。平山はおどけてみせた。

 

「1月末が卒論の提出期限なんすよ。帰ってる余裕なんてありません」

 

「それじゃあこっちに居るわけだ。今は一人暮らし?」

 

「ええ」

 

「なら君に提案がある」

 

 露伴は少し前傾になりながら平山に迫った。

 

「“ヒトシロサマ”の迷信が本物かどうか、僕と試してみないか?」

 

 

 

 

 

「狭い部屋ですが、どうぞ」

 

 半月後の12月31日、時刻は既に22時を回っている。

 露伴は平山に案内され、彼の部屋へ赴いた。大学から歩くこと15分の場所に位置する、築年数の古そうな1K間取りの部屋だ。玄関からキッチン、部屋へと一直線に続いている。

 

 小夜は帰省のために不在である。もっとも、もし彼女が来たがったとしても露伴が断っていただろう。

 

「まさか本当に帰らせられるとは思いませんでしたよ」

 

 8畳部屋の窓際にはベッドが置かれている。その手前、部屋の中央やや外れにあるソファに露伴は案内される。背負っていた大きなリュックサックを床におろすと座り込んだ。

 

「親父も母も俺に対しては引くほど強情だったのに。一体どうやったんです?」

 

 絶対に1人で年越をさせまいと、平山の両親は宵潟町からはるばるこの部屋まで泊まりに来ていた。そんな両親を外食と偽って誘い出して貰い、露伴によって()()()()()()のは先刻の出来事である。

 

「有名人ってのは、それだけである種の信用を得られる場合があるのさ」

 

 適当な言葉を発しただけの露伴だったが、平山はそれに納得したようだった。

 

「コーヒー……は寝れなくなるな。何か飲まれます?」

 

「お気遣いありがとう。だが大丈夫だ」

 

 断りながら、露伴はリュックの中から2Lペットボトルよりも一回りほど大きな袋を取り出した。

 

「なんですか?」

 

「寝袋だよ」

 

 袋から丸まったそれを取り出しながら答える。広げると、丁度露伴がすっぽり納まりそうなサイズにまでなった。

 

「意外なもの持ってるんですね。マンガ家の方ってインドアなイメージが強いので。キャンプとか行くんですか」

 

「キャンプにも行くが、取材で野宿する時に使うことの方が多い」

 

「野宿!?はあー」

 

 平山は感嘆の息を漏らした。

 

「マンガ家って大変な仕事なんですね」

 

 平山は備え付けの物入れの引き戸を開けると、中から布団を引っ張り出した。

 

「人が泊まることも珍しくないんで、一式の用意はあるんですよ」

 

 布団と毛布を床に重ね置く。

 

「けど、それ持ってきていただいて助かりました」

 

 既に半身を突っ込んでいる露伴の寝袋を指さす。

 

「今これを出して思い出した。“ヒトシロサマ”をおもてなしするための大事な準備があるんです」

 

 平山は言うと、今し方置いた布団一式を玄関の方へ運んだ。

 

「それをどうするんだい」

 

「玄関に置きます。それと、こう」

 

 平山は一段下がったタタキに無造作に布団を投げると、台所の水をコップで汲み、布団の横に置いた。

 

「“ヒトシロサマ”をおもてなしするためのものだとか。ここまで疲れたでしょう、と水をあげて、この布団で寝てもらう。そうやってご機嫌を取るそうですよ」

 

「信じてないのにやるのかい?」

 

「雰囲気くらい楽しみたいじゃないですか。肝試しだって、ホントに幽霊が出ると思って行く人居ないでしょ?」

 

 平山は部屋へ戻る。

 

「だが期待はする」

 

「だからやるんです」

 

 平山は露伴の前を横切り、ベッドに腰かけた。

 

「岸辺先生って、リアリストなのかロマンティストなのか分からなくなりますね。すごく合理的なものの見方をしたと思ったら、“ヒトシロサマ”が本当に現われることを期待してみたり。あ、すみません。失礼なことを言っているのはわかってるんですが」

 

「僕はつくづくリアリストだよ。“体験”だ。“体験”がすべての根拠だ。合理性とか、科学的根拠とか、そういうのは“体験”を補強する材料にすぎない。だから幽霊が見えれば、僕はその幽霊の存在を信じる。幽霊を見た、という僕の根拠に則ってね。仮に僕には見えなくとも他の誰か、例えば君が幽霊を見たとしよう。仮に僕がその“体験”を得ることはできなくとも、君にとってソレは真実だ。君が幽霊を見えるという“体験”をしたということは、僕の作品の根拠になり得るのさ」

 

 露伴は全身を寝袋に包んだ。平山もそれに続く。

 

「難しい話ですね」

 

 平山は大きな欠伸をすると、断りを入れて部屋の電気を消した。

 

「君、興味のない講義で寝てるタイプだろ」

 

「昔からそうなんですよ。だから2浪もしたんでしょうね」

 

 自嘲気味に笑う。

 

「なら難しい話をしてやろうか。直ぐ寝られるだろ」

 

「いえ、遠慮しておきます」

 

 それ以上は露伴も返答しなかった。溜息を吐き、目を瞑る。

 

 

 少しして、平山の寝息が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンポン

 

 

 チャイムの音がして、露伴は目を覚ました。

 部屋はまだ真っ暗だ。平山越しに窓に目を向けるが、カーテンの向こうにも朝の兆しは見えなかった。

 

 

ピンポン

 

 

 またチャイムが鳴った。露伴は枕元に置いたスマホで現在時刻を確認した。

 2時36分。

 来客のあるような時間ではない。“ヒトシロサマ”か!露伴は半身を起こした。暖房を入れていないためか、部屋は非常に冷え込んでいる。

 

「平山くん、起きてるか」

 

 反応はない。

 

 

ピンポン

 

 

 3度目のチャイムが鳴った。この部屋のチャイムが押されていることは間違いない。

 

 寒さに肩を震わせながら立ち上がると、平山の枕元に置かれた照明のリモコンを操作した。平山は静かに寝息を立てている。その肩を揺すり、もう一度声をかける。

 

「おい、平山 昌樹。起きろ」

 

 

ピンポン

 

 

 平山が目を擦りながら起きる。露伴は玄関の近くまで向かうと、慎重に様子を窺った。

 

「今何時ですか?」

 

「2時だ。なあ、こんな夜中に尋ねてくるような知人が君には居るのか?」

 

「そんな奴居ないですよ。誰ですか、これ鳴らしてるの――さむっ」

 

「イカレた野郎か“ヒトシロサマ”しか居ないだろ。なあ、この部屋暖房とかないのか?」

 

 平山は無言でエアコンのスイッチを入れる。

 

 

ピンポン

 

 

「“ヒトシロサマ”って。本気で言ってます?逆に岸辺先生、貴方の手の込んだイタズラとかじゃないですよね」

 

「じゃあ変質者だ。どっちにしろドアの向こうの奴の姿を確認する必要がある」

 

「ここからモニターで見れますよ」

 

 平山が壁に埋め込まれた応答用モニターを指さす。露伴は正面へ移動した。

 

「なあ、温度もっと上げられないか?全然温かくならないぞ」

 

「温風出るまで時間かかるんですよ。我慢してください」

 

 

ピンポン

 

 

 チャイムは一定の間隔で鳴り続けている。平山もベッドから起き上がり、露伴と並んでモニターの前に立った。

 

「押すぞ」

 

 通話と書かれたモニター下の大きなボタンを露伴が押す。

 画面いっぱいに大きく顔が映し出された。

 

「うわ!」

 

 平山は叫び声を上げて飛び退いた。

 

 それは、低画質なモニターでもはっきり分かるほど白かった。頭頂部から左右に縮れながら垂れた毛、真一文字に引かれた二本の細い皺のような線はおそらく目だろうか。顔面の下半分、鼻から口にかけて緩やかに前方に突き出ている。両端に向かって吊り上げられるように開かれた唇のないその口の中は、ぽっかりと空洞が空いたように真っ暗だった。

 

「牛――いや、馬か?」

 

 その姿に愕きつつも、露伴は冷静に分析をする。見た目は偶蹄目の特徴に共通するものがある。しかしそいつは明らかに表情を持っていた。少なくとも、露伴の知りうる動物の中にこのような見た目をしたものは存在していない。

 

 

ピンポン

 

 

 チャイムが鳴る。画面に映るそいつは微動だにしない。

 

「なんだよそいつ……ドッキリなら趣味が悪いぞ――」

 

 すっかり腰を抜かした平山はガタガタと体を震わせていた。

 

「早く……消してくれ……もう見たくねえよ」

 

 消え入りそうな声を絞り出す。しかしモニターから目は離せないようだ。

 

「こいつが“ヒトシロサマ”か?」

 

 露伴は振り返って尋ねる。平山は首をブンブンと横に振った。

 

「知らねえよぉ。あんたの仕業なんじゃないのかぁ」

 

 

ピンポン

 

 

 何度目のチャイムだろうか。段々と耳障りに感じてくる。

 同時に露伴は、ある違和感に気付いた。

 

「なあ、さっき暖房付けたんだよな」

 

「今その話するタイミングじゃないだろ。まずその画面消せよ――面白がってんじゃねえだろうなぁ」

 

「君、間違えて冷房入れてないか?さっきからずっと、どんどん寒くなってきてるぞ」

 

「だからさあ!それって今重要な事じゃないだろ」

 

 平山は声を荒げる。彼の身体の震えはますます大きくなっていた。その様子を見て、やはり露伴は強烈な違和感を覚えた。

 

「今一番重要なのはそれだよ。付けたのは暖房か?」

 

 ベッドへ歩き、放り投げられたリモコンを拾う。設定は23℃の暖房だ。露伴はそれを27℃まで上げる。

 

 

ピンポン

 

 

 少しして、エアコンがゴオッと大きく唸り始める。しかし室内の気温は一層下がったように感じる。露伴もいよいよ肩を震わせ始めた。

 

「おい!壊れてるんじゃあないのか?全然暖まらないぞ」

 

 露伴は更に温度を上げる。リモコンの数字は上限の30℃を示した。だが一向に暖気は感じない。

 

「なにやってるんだよぉ。早く消してくれよお」

 

「そんなに見たくないなら自分で消せばいいじゃあないか!」

 

 露伴も段々と苛ついてきて怒鳴る。平山はというと、近くに転がった露伴の寝袋を引き寄せて毛布のように巻き付けた。

 

「腰抜けてぇんたよ」

 

「マズいぞ」

 

 露伴は呟いた。冷え込みは尚も増している。平山は呂律が回らなくなってきているようだ。間違いない。低体温症の初期症状が出ている。

 

 

ピンポン

 

 

 平山は身体を縮こませ、ガチガチと歯を鳴らす。既に我慢できる寒さを超えている。露伴もベッド上の毛布をひったくり身体に巻いた。だが気休めにもならない。

 

「火を焚け!なんでもいい!このままでは()()()()!!」

 

 露伴は平山に叫んだ。平山はしかし、虚ろな表情で身体を揺らすだけだった。

 チッと舌打ちをし、モニターに映り続けるバケモノと揺れる平山の間を抜けて部屋を出ると、キッチンへ向かった。2口あるコンロの点火ダイヤルを両方回す。ボッと火が付いた。だが何のしのぎにもならない。火にかざした指先すら温まらない。

 

「くそ!」

 

 露伴は玄関へ正対した。徐々に身体の動きが鈍くなっているのを感じる。動ける時間も限られてきた。

 

「元凶はひとつ」

 

 扉の向こうの“ヒトシロサマ”と思われるバケモノがこの異常を引き起こしているはずだ。ならばやることはひとつ。

 露伴は布団を踏み越えて、玄関押し開くと同時に叫んだ。

 

「ヘブンズドッ――――」

 

 冷え込みが一段と激しくなる。ヘブンズドアーを発動しきる前に、露伴は玄関先に膝から崩れた。全身の筋肉が硬直し、ろくに受け身も取れず床へ叩きつけられる。コップの水が零れ、外へと流れ出た。

 布団がクッション代わりとなり、頭だけは強打を免れた。

 

 

ピンポン

 

 

 視界の先には獣の脚があった。露伴はなんとか首を上に向ける。茶色の体毛に包まれた四足。地上から1mほどの高さに胴体があり、その上にモニターに映っていた顔が乗っている。露伴は一瞬、シシガミ様を想起した。

 開ききった玄関の向こう、扉の左の壁に設置されたインターホンに向かい合うように“ヒトシロサマ”が佇んでいた。“ヒトシロサマ”はその場を微動だにせず、ただインターホンをじっと見つめるように立っている。

 

「ヘブンズドアー……」

 

 諦めず、露伴は身体を捻らせて指を“ヒトシロサマ”へ向けた。しかしそれは発動しない。バカな。焦る。まだ身体は動くが、思考が先に鈍り始めている。

 

「さみいよォォォォ」

 

 ズルズルと平山が身体を引き摺る。

 

「来るな」

 

 頭をもたげ、叫んだつもりだった。だが出たのは、囁きともつかぬ小さな吐息だった。平山よりも自分の方が重傷だ。ずるっと布団から頭を落とす。しくった。露伴は後悔した。安易に近付きすぎたのが間違いだった。おそらくこの低温は“ヒトシロサマ”が起点。より近くに居る露伴の方がその影響も大きいようだ。

 

 

ピンポン

 

 

「あれぇ。みんななにやってんのォ。バーベキュー?」

 

 平山はコンロの火に向かってそう尋ねた。

 

「俺も混ぜてよォ。バーベキュー」

 

 虚空に向かって話しかける。彼も限界が近いようだ。

 平山はコンロの縁に手をかけると、ゆっくりと体を起こした。

 

「やめろ……危険だ……」

 

 露伴はもう一度、“ヒトシロサマ”に向かって腕を伸ばした。だがやはり、ヘブンズドアーは発動しない。

 

 段々と意識が遠くなってくる。本当にマズい。気絶したらお終いだ。気力でなんとか意識を保つ。

 

「美味しそうな肉だなぁ。あ、俺このソーセージもらいー」

 

 平山は自身の人差し指に噛みついた。すっかり幻覚を見ているようだ。

 

「あれ、生だ。もうちょっと焼こォ」

 

 平山は指をコンロの火にかけようとした。このままでは燃える。そうか。火災の中で凍死した油屋は、こうして死んだのか。

 幸い部屋から出て来たくれたおかげで射程圏内だ。露伴は平山に向かって腕を伸ばした。燃えるのは勘弁だ。

 

 

ピンポン

 

 

 燃える――

 まて、何かおかしい。露伴はこれまでの違和感に気付いた。

 これだけ急激に低体温症が発症するほど寒いというのに、周辺環境はまったく変わってないのだ。どうして零した水が凍らない?

 吐く息が白くならないほど気温が低いとなれば、少なく見積もってもマイナス25℃を下回った環境にあるはずだ。大型の冷凍施設の中と同等か、それ以下の気温のはずだというのに、室内はずっと乾いた様子だ。通常、ここまで寒くなれば空気中の水分が結露し、霜や氷結が壁や床などに発生する。それらも一切見られない。

 

 気温が低くなったのではない。低くなったのは僕らの体温だけだ。

 

「なるほど。この布団と水はおまじないか。使い道があるってことだな」

 

 気温ではなく、体温が奪われていることに気付かせるための水。そして布団は――

 

 

ピンポン

 

 

「ヘブンズドアー――」

 

 露伴はヘブンズドアーを平山に向けて発動した。

 

〈寝袋を燃やし、こちらへ投げる〉

 

 亡くなった男は錯乱や火の不始末によって燃えてしまったのではない。“ヒトシロサマ”を退けるためにあえて燃やしたのだ。その結果、運悪く延焼してしまったが。

 平山は命令された通り、包まっていた寝袋をコンロの火にかけた。難燃性ではない。外のビニルが溶け、中の羽毛に火が付く。しっかりと燃え始めると、平山はそれを玄関へ投げた。布団に火が移る。

 

「意味があるから伝えられているんだ」

 

 炎が大きくなると同時に、身体の自由が徐々に戻ってくる。

 

「今日のところはお帰りいただこう。近所迷惑になる前に」

 

 露伴はゆっくり立ち上がると、廊下向こうの消火器を取りに走った。

 

 “ヒトシロサマ”はいつの間にか消えていた。

 

 

 

「ホントに出たんですか!?“ヒトシロサマ”が!」

 

 叫び声を上げた小夜に、露伴は目を細めた。周囲からの注目を集めたことに気付いた彼女は気恥ずかしそうに身体を縮める。いつもの喫茶店、“カフェ・ドゥ・マゴ”である。

 

「また私をからかおうって魂胆だったりしませんよね」

 

 声のトーンを落とした小夜に冷たい視線を浴びせる。

 

「また、ってなんだ。僕がいつ君をからかった」

 

「私としてはからかわれてばかりって気がするんですよね-」

 

 ストローに口を付けながら飄々と嘯く。

 

「あしらった記憶はあっても、からかった覚えはないな」

 

「あ!やっぱあしらってはいるんだ!」

 

 当然だろう。露伴は悪びれない。

 

「でも、ホントだとしたらよく生きて帰ってこれましたね」

 

「残念だったな。僕が簡単にくたばると思ったら大間違いだ」

 

「まるで私が岸辺さんに死んで欲しいと思ってるみたいじゃないですか。逆ですよ。安心してるんです」

 

「君に安心する道理もあるまい」

 

 露伴はウェイターを呼び止め、コーヒーの追加を注文した。

 

「“ヒトシロサマ”って、何だったんですか?」

 

 小夜の至極当然の質問に、露伴は肩を竦めた。結局あれが何者だったのか。その正体は露伴にもわからない。

 

「少なくとも、ヒトでもケモノでもないことは確かだな」

 

 胸ポケットから取り出したペンを回しながら、露伴は思い出す。低体温で能力の発動が鈍ったかとも思ったが、平山には問題なく作用した。“ヒトシロサマ”が能力の効かない、生き物以外の存在であったか、あるいは幻覚症状の産物であったのか。

 

「ひとつ考えたことはある」

 

 テーブル備え付けのペーパーナフキンを1枚取り、ペンを走らせながら小夜に語った。

 

「僕らはずっと“ヒトシロサマ”を“一代様”と書くと思ってたが、本来は違ったのではないのか、とね」

 

 “一代様”と書いた下に、新たに“人代様”と書き込む。

 

「依代って言葉があるだろ。神を招き入れるための器のことだ。人に憑依させる場合は尸童(よりまし)“とも言うが」

 

 ウェイターがコーヒーを運んでくる。露伴は一息吐いてそれを啜る。

 

「“ヒトシロサマ”はつまり人代様(ヒトシロサマ)”。尸童を言い換えたものだった。もっと砕いて分かりやすくすれば“人質様”だ」

 

 露伴は“人質様”まで書き込むと、小夜にナフキンを渡した。

 

「これは僕の想像だ。妄想と言っても構わない。そもそもあれは神様なんかじゃない。なまはげなどの来訪神や、青森の“一代様”に擬態した()()じゃないのか」

 

「町民が生け贄にされていたってことですか?」

 

「生け贄にされたが、生き残る手段を見付けたというのが事実かもしれないな。“寝てはならない”と、禁忌として伝わっているのだから」

 

 コーヒーに少し砂糖を入れながら続ける。

 

「だが何かしら制約があったことは事実だろう。文献にも残らない、口伝のみの伝承だ」

 

 それから対処法。わざわざ気付き辛い、回りくどい方法で伝える必要性があったのか。

 

「宵潟町の住民を生け贄とした、あるいは“ヒトシロサマ”自身に気付かれない必要があったか」

 

 だが妄想だ。念押しするように露伴は呟いた。

 

「それじゃあ、まだまだ調べることは沢山ありそうですね」

 

「いいや。この話はここでお終いだ」

 

 浮き足立つ小夜を諫める。

 “ヒトシロサマ”が神か獣かなど些細な問題だ。言ってしまえば、どうだっていい。彼は既に“体験”を手に入れた。原因の究明は、その道の専門家のすることだ。

 

「この件については忘れるんだな。これ以上面白いものは出て来ない」

 

 正体を知ったところで、きっとそれは“体験”の味付けにもならない。危険を冒すデメリットの方が大きい。それならば必要ないのだ。

 

 だからこれ以上、

 

 岸辺露伴は動かない。

 

 

 

 






ご無沙汰してます。
最終回みたいな落ち方しましたが、終わりません。
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