岸辺露伴は動かない [another episode]   作:東田

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another:03《まどいや》

 冷たい風の吹くある日の昼下がり、S市中心地にあるS大学附属病院周辺を、岸辺露伴は散歩していた。

 

 およそ二ヶ月前に露伴がプライベートで遭遇した“とある出来事”により露伴は歩くことが出来なくなり、そのリハビリのために、露伴はこの病院に長く入院していた。

 

 散歩もリハビリの一環であった。最近では、日常生活を静かに送る分には支障のない程度には回復もしてきていたが、まだ走ったり、長時間歩くといったことは出来なかった。

 午前中の悪天候により、くるぶしの高さまで積もった雪の上を、滑らないように一歩一歩確実に踏みしめて歩く。雪の上では普段より足に負担がかかるため、露伴は足の疲労を懸念した。

 

「あのぉ、もしかして」

 

 不意に背後から声をかけられ、露伴は振り返った。

 

「もしかして、漫画家の岸辺露伴先生ですかあ?」

 

 若い女性が二人、露伴の後ろに立っていた。どちらとも、耳や首に数多のアクセサリーを装着し、この寒さの中にしてはかなり薄着だ。二人が話しかけてきた動機に、確信に近い見当をつけながら、露伴は首肯いた。

 

「そうだが。何か用かな?」

 

 キャァ、と二人が歓声を上げる。通りを行く人々が、何事かとこちらを一瞥する。自分にも向けられるその痛みを含んだ視線に、露伴は小さく顔をしかめた。

 

「先生ぇー。サインとか、お願いできますかぁ?」

 

 でもやっぱり、そういうのは無理ですかねぇ、と言いながら、二人が手提げバックの中から手帳とペンを取り出す。ファンサービスに関してだけは寛容な露伴は、快くそれを引き受けた。二人の手帳とペンを受け取り、一瞬でサインを書き終える。連載中のマンガの主人公イラストのおまけ付きだ。それを受けとると、二人は再び歓声を上げた。

 

「ところで先生ぇ。こんなところで、何なさってるんですかぁ?」

 

「そうそう。こんな田舎で、何してるんですかぁ?」

 

「取材だよ」

 

 露伴はそう嘘をついた。全国のファンに自分がここに入院していると知られでもしたら、堪ったものではない。毎日の知らない訪問者を作らないためにも、必要な嘘であった。

 

「何の取材ですかぁ?」

 

「この病院ですかぁ?」

 

「それは君達、秘密だよ」

 

 うーん、と二人が首を傾げる。どうした?と露伴は尋ねた。

 

「やっぱり、嘘だったのかなぁ」

 

「あのですねぇ、先生がこの町に住んでいるっていう、噂話があるんですよぉ」

 

「一部では、もう都市伝説みたいになってますけどお」

 

 そうか、と露伴は頷く。

 

「噂話や都市伝説ってのは、大抵が嘘だ。まともに取り合わない方がいいぜ」

 

 ですよねぇ~と二人が声を揃える。

 

「じゃあ、あの都市伝説も、やっぱり嘘だったのかなぁ」

 

「そうじゃないー?」

 

 露伴の眉が、ピクリと動いた。

 

「どんな話なんだ?その都市伝説ってのは」

 

 露伴は思わず、二人に訊ねた。

 

「先生も興味おありですかぁ?」

 

「でも、何てことない話ですよ?」

 

 構わない、と露伴は促した。不思議な話に関しては目のない露伴だ。

 

「蔵王って山、知ってますう?奥羽山脈の一部の山なんですけどぉ」

 

「その山中に、侍が住んでいるっていう、とんでもない都市伝説です」

 

「侍?この現代にか?」

 

「そうですぅ。おかしな話でしょお?」

 

「だからやっぱり、嘘なんですよ」

 

 そうだな、と露伴は頷いた。

 

〈嘘だと?とんでもない。天狗や鬼なら兎も角、何故侍なんだ?どうしてそんな、小学生が即興で考えたような話が都市伝説として囁かれてる。―――何か、裏がありそうだぞ〉

 

 自分がこの場に居たことを秘密にしてもらうよう、二人の気付かぬ間にちょこっと細工をした後で、露伴は二人と別れた。

 

 

 

 あいにく入院中で暇の多い露伴は、その都市伝説について少し調べてみることにした。一先ず、インターネットで検索をかけ、二人の女性ファンから聞いた情報の詳細を求めた。いくつかのサイトを巡った結果、二人の話が、確かに存在することは確認が出来た。露伴の目にした情報の全てに共通していたのは、次のものになる。

 

・M県のある山奥(固有名詞が出てきたのは蔵王のみ)に、侍が住んでいる。

 

・侍は、江戸時代のもののような服装をしている。

 

・正確な居場所は不明で、会えたとしても、逃げられる。

 

 以上の三点のみだった。蔵王が居場所なのだろうという、大方の見当は付いた。それを軸に、露伴は文献等で情報収集をしてみることに決めた。

 

 以来三ヶ月、リハビリの合間に露伴は、その都市伝説を様々なアプローチで調査していた。蔵王が侍の居場所であるということは、事実として露伴の中では固まり始めていた。後は、そのどこに侍がいるのかという情報と、足が登山にも耐えられるようになるのを待つだけだった。

 

 ある日、市立図書館まで赴き、蔵王のことを調べていたときだった。

 露伴は蔵王の三枚の航空写真に至った。一枚は、侍の都市伝説がネット上で噂されるようになる三年ほど前のもの。もう一枚は、都市伝説の流れ出した翌年のもの。最後の一枚は、今から半年前に撮られたものだった。三枚のそれぞれが掲載された三冊の出版物に関連はなかったが、どれもほぼ同じアングルで、同じ斜面を写したものだった。それらの三枚を何気なく見比べているうちに、露伴は一つのことに気付いた。

 

 年を経るにつれ、山の中腹に木の生えていない小さな更地部分が出来ていたのだ。都市伝説が流行る以前は、木々が生い茂っていたはずの場所が、都市伝説が流れた後のものでは一部伐採が進んでいたのだ。それも、最近の写真で更に大きく広がっている。露伴はそこに違和感を覚えた。それとも、誰かの所有地なのだろうか。それは考えにくかった。

 

 

 更に一週間が経過した。露伴はM県の蔵王の麓に居た。こちら側から登れば、航空写真で見た拓けた空間まで近い。調べれば、その広場は山道からは外れているため、辿り着くのは容易ではなさそうだった。地形図と方位磁針を頼りに露伴は進むことにした。

 

 山に入っておよそ二時間。露伴はやっと、山の丁度中ほどにあるその広場に辿り着いた。広場には、所々切り倒された木の幹だけが植わっていた。露伴はその適当な一つに腰を下ろした。やはり、登山は足に堪える。

 

「これは―――誰かが切り倒したのか?だが人の手で、こんな風に木が切れるものなのか?」

 

 切り株の一つひとつは、とても滑らかな切れ方をしていた。斧はもってのほか、電動のチェーンソーでも、こんなに綺麗に切れるものなのだろうかと、露伴は首を傾げた。

 

「侍とやらと関係しているのか?兎も角、人の手が加えられていることに間違いはなさそうだ。だとすると、この辺りに人が住んでいる可能性はあるな」

 

 露伴は立ち上がると、周囲の探索を始めた。遭難しないよう、広場からは離れ過ぎないようにして歩く。

 

 三十分も探し回ったところで、森の奥に露伴は小さな小屋を見つけた。方位磁針で方角を確認してから、露伴はその小屋へ向かった。

 

 小屋は四方十メートルもない、小さなものだった。丸太組の荒い造りで、精々、雨風を凌げるかといったところだ。露伴は正面に見える、玄関のような戸に近付くと、軽くそれを叩いた。

 

「誰か居ないのか?」

 

 しかし、中からは何の反応もない。露伴はしばらく思案すると、再び戸を叩いた。

 

「おい、山火事かもしれないぞ。誰も居ないのか?」

 

 途端、小屋の中が慌ただしくなる。一息置いて、戸が開く。

 

「山火事だと!?」

 

 無精髭をはやし、長く放置された長髪。小屋から出てきた男は、清潔感とは程遠い風貌をしていた。

 

「本当なのか!?」

 

「ああ、嘘だ」

 

 露伴は男の目の前に掌をかざした。男の顔の皮膚が中央から左右に割れ、本になる。露伴のヘブンズドアーだ。男は後方によろけると、すとんと尻餅をついた。既に意識はない。露伴は小屋の中へ立ち入ると、男の前にしゃがみこんだ。

 

「ふむ。名前は原内 義信―――なるほど、本当に武士の家系なのか。文政四年生まれ―――この男に何があったんだ?文政といえば、200年近くも昔じゃないか」

 

 文政年号――西暦で言うところの、1820年前後に使用されていた年号である。

 

「このままヘブンズドアーで読むのもいいんだが―――一つ、本人の口から聞くとしよう」

 

 “岸辺露伴に逆らえない”とセーフティーを男に書き込むと、露伴は男をヘブンズドアーから解放した。男が目を覚ます。

 

「な、何だ!?何が起こった?」

 

 座り込んだまま、男が目を丸くする。露伴はそれを横目に小屋の内装を眺めた。鹿か何かの毛皮が数枚、壁にかけられており、部屋の中央には簡素な囲炉裏がある。その他に目ぼしいものはなかった。

 

「いくらか話を聞きたいんだが」

 

 男に目を戻し、露伴が言う。

 

「いいかね、原内義信」

 

 男はコクコクと頷いた。

 

 

「俺は文政四年に、仙台藩で産まれた」

 

 露伴に促され、男、原内義信は出自を語り始めた。

 

「昔から俺は、神様とかの類いは信じなかった。そのことである日、仲間と口論になった。この蔵王には、地方に伝わる伝説“惑い家”がある、ないという話だった」

 

「“惑い家”――?」

 

 聞き慣れない単語に、露伴は首を傾げた。

 

「“惑い家”てのは、この地方のどこかの山奥に存在すると伝えられる、伝説の豪邸のことだ。一説では、奥州の平泉三代の子孫の建てたもので、この世の何よりも輝いているとも言われていた」

 

 有り得る。露伴は頷いた。奥州平泉氏といえば、あの金色堂で有名だ。それが発見されないことはともかく、そんなものが存在するとしても、違和感はない。

 

「そんな世俗の与太話なんぞ信じとらん俺は蔵王に入った。見付け出せなければ、それはないってことだ。だが、三日と経たないうちに、俺は道に迷った。二晩山中を彷徨った末、俺の目前に、不意にその金色の大豪邸は現れた」

 

「それが“惑い家”だった?」

 

 原内は頷いた。

 

「俺が呆気に取られていると、門が開かれて貴族みてぇな格好した女が出てきた。女は俺を敷地へ招いた。それまで数日、まともな食事と寝床にありつけていなかった俺は、女につられてその豪邸の中に入っていった」

 

 その後、と原内は続ける。

 

「客間に通された俺は、その豪邸の主人と名乗る男と面会した。男は俺に、食べ物と寝床を与えてくれた。しばらくの数日間、おれは言われるがまま、その豪邸で過ごした」

 

 そして。

 

「いよいよ帰ろうとなったとき、主人には土産を渡された。それから下山してみれば、そこは知らない世界だった。神隠しにでもあったのかと、俺は山の中に再び逃げた。帰り道も、あの豪邸も二度と見つからなかった。仕方なく、俺は自給自足の生活を始めた」

 

 五年前のことだ。原内が言う。

 

「自給自足には困らなかった。主人に渡された箱の中には、どんなからくりか知らんが、便利なものが沢山入っていた。どんな大木も一振りで倒せる斧とかな」

 

 原内が話し終える。メモを取りながら話を聞いていた露伴は、その手を止めた。

 

「帰ろうとは思わなかったのか?」

 

「思ったさ。あの屋敷に行けば、帰れると考えた。だが、屋敷は見付からなかった」

 

「その屋敷への行き方は?知ってるか?」

 

 原内は肩をすくめた。

 

「さあ。知らないから帰れないんだ」

 

「そうか」

 

 露伴が腰を浮かす。

 

「ありがとう。良い情報が得られた」

 

 露伴は立ち上がると、玄関へ向かった。その背中に、原内が声をかける。

 

「おいあんた。まさかとは思うが、行くつもりなのか?」

 

「当然だ。それがどうかしたか?」

 

「やめておけ。俺のようになるぞ」

 

 フン、と露伴は鼻を鳴らした。

 

「君と違って、僕はそんなドジを踏んだりはしないさ」

 

 

 

 

「方位磁針は持っているから、迷っても帰れなくなることはないんだろうが―――」

 

 やはり、不安ではある。

 

「まあいい。今日は行けるとこまで行こう。途中で引き返して後日出直しても良い」

 

 露伴は、山道に沿って頂上の方へ向けて探索することにした。

 

 

 

 

「―――暗くなってきたな」

 

 原内の小屋を出てから、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。露伴の前には、依然として屋敷は現れなかった。じきに日も暮れる。露伴は下山しようかと考え出していた。

 

「四時か。日没まで一時間もないな。―――降りるか」

 

 春先とはいえ、山は冷える。何の準備もなしに一夜を明かすという選択肢はない。露伴は下山することに決めた。地図と方位磁針を取り出し、現在位置を探る。しかし、周囲の地形と、地形図に記載されているものとが全く一致しなかった。

 

「まさか―――迷ったのか?」

 

 だが、山道に沿って進んできたのだ。まさか迷うはずもあるまい。

 

「おいおい。この地図、本当に合ってるんだろうな」

 

 露伴は地図を疑った。最新のものを買ったはずだ。あるとすれば、製作側のミスか。

 

「地図のミスを見付けると図書券が貰えるんだったか?だがこの場合、下手すれば裁判沙汰にもなるぞ?」

 

 宛にならない。露伴は地図を閉じた。周囲を見回しても、周りは木々が生い茂るばかりだ。

 

「日没も近い。無闇に動き回るのも考えものか....どうする。袋小路じゃあないのか?」

 

 周辺二十メートルくらいならまだ塩梅か。そう思い、露伴は一歩、踏み出した。

 

 その足元に、地面はなかった。

 

「な!?」

 

 バランスを崩し、足元に突如現れた地面のない空間に、露伴の身が投げ出される。露伴は落下する中で、我が目を疑った。周囲の地面が露伴を包むように隆起し、そして閉じる。露伴は、地面の中にできた空間を落下していった。

 

「くそッ!意識が!」

 

 落下はいつまでも続く。その中で、露伴の意識は遠退いていった。

 

 

 

 全身への衝撃で、露伴は目を覚ました。頭上の空は藍色になっている。地面に手を当てると、土の感触がした。露伴はひとまず安堵した後、上体を起こして周囲を見た。相変わらず、山の中ではあるようだ。自分の身に何が起きたのか。露伴は思案しながら立ち上がり、服についた埃を払った。

 

「あれは―――幻覚だったのか?」

 

 しかし、たった現在露伴が地面に落下してきたというのは、事実であるようだった。露伴の寝ていた地面が、微妙に窪んでいる。露伴は地図と方位磁針を取り出した。

 

「ムッ」

 

 方位磁針を微妙に動かす度に、その針がまばらな方向を示す。

 

「これは...磁場でも形成されているのか?」

 

 その動きに規則性はない。磁場でなければ、あるいは超常現象か。

 

 露伴は警戒しながら、周辺を探索した。

 

 斜面を上へ登っている時だった。不意に目の前が開け、金色の建物が現れた。荘厳な門の両脇に塀が連なり、その奥に豪華な御殿が見られる。おそらくそれが、原内の言っていた“惑い家”であることを、露伴は瞬時に理解した。

 

「流石にたまげたな」

 

 露伴は一歩、門に近付いた。

 

「これはいくらなんでも――豪華過ぎじゃあないか?金閣寺や金色堂なんて比じゃあないぞ」

 

 門の奥に見られる本殿だけでも、現代の一般家庭に見られる平均的な一軒家の二十倍以上の土地面積がありそうだ。本殿一棟だけである。その全てが、金箔に覆われている。夕日が反射して、建物は眩いばかりの輝きを放っていた。これだけの金が、一体どこで手に入るのか。

 

「一体、どんな奴が住んでるんだ?ここまでくると異常だぜ」

 

 金箔の輝きに目を細めながら、露伴は更に門に近付いた。門の高さも、五メートルはあるだろうか。塀の幅は、視界の続く限りどこまでも延びているようにすら思える。

 

「山奥の豪邸か...嫌なイメージしかないな」

 

 かつて自分の身に降り掛かった災難を、露伴は思い出す。そしてまたその時のように、不意に門が開かれた。

 

「旅の御方ですか?」

 

 門の先には、思わず露伴は見惚れてしまう程の美形の少女が立っていた。もはや芸術の域をいくようなその顔立ちに、露伴は言葉を失った。

 

「よろしければ、中でおくつろぎ下さいませ。お茶菓子などもございます」

 

 十代半ばに見えるその少女は、時代にそぐわない和服に身を包んでいた。原内が言っていたように、まるで平安貴族である。

 

「....いかがなされましたか?」

 

 いつまでも立ち呆ける露伴に、少女は首を傾げた。

 

「ああ、いや―――別に立ち寄る用はないんだ。ただちょっと道に迷っただけでな。帰り道を教えてくれ」

 

「お休みにはなりませんか?」

 

「ならない。別に疲れてないからな」

 

 山奥に人知れず佇む、超巨大な黄金建築。露伴の興味がそそられないはずはなかったが、原内という前例がある。長居は危険だと、露伴は感じ取っていた。

 

「どうしても、ですか?」

 

 少女が尋ねる。露伴は溜め息を吐いた。

 

「どうしても、だ。僕は早く帰りたいんだ」

 

「お茶菓子だけではご不満ですか?」

 

 少女が、目尻を潤わせながら露伴を見詰める。露伴は一瞬、多少の気負いを感じた。

 

「もしご所望でしたら、ごちそうもご用意できますけれども」

 

「なあ、いいって言ってるだろ?早く帰り方を教えてくれ」

 

「お土産もありますよ?」

 

 少女が涙声になる。露伴は顔をしかめた。

 

「そういうのはいいから。頼むから帰り方を教えてくれよ」

 

「どうしても―――ですかぁ?」

 

 ふぇぇ、と少女がか弱く泣き出す。

 

「なあおい、嘘だろ?僕が泣かせたみたいになるのはやめてくれよ」

 

 少女は泣き止まない。遂には膝を地面につけ、座り込んでしまう。

 

「分かった。分かったよ。お土産ぐらいなら貰ってやるよ。だから泣くのを止めて、早く帰り方を教えてくれ」

 

 露伴が折れる。途端、少女は泣き止み顔を上げた。

 

「本当?でしたら、ご主人を呼んできますね。お待ちください」

 

 少女は立ち上がると、トトトと屋敷の方へ駆けていった。どこか敗北感を味わいながら、露伴はその帰りを待った。

 

 しばらく待っていると、屋敷の方から一人の男性がやって来た。彼もまた、貴族風の着物に身を包んでいる。男性は少女と同じように門の手前で立ち止まると、仰々しく露伴に頭を下げた。

 

「この館の主人の者です。只今、娘に土産物を用意させておりますので、少々お待ちください」

 

「ああ。なあ、悪いんだが、土産物はいいから帰り道を教えてくれないか?道に迷っただけなんだ」

 

「ええ。お教えしますとも。でも、この山道を迷っていたのなら尚更、お疲れのことでしょう。お土産だけなどと言わず、どうぞ、中でゆっくりお休みになってはいかがですか?」

 

 微笑みながら、主人が露伴を中へ促す。

 

「あのなぁ~」

 

 露伴は顔をしかめた。

 

「さっきの娘といい君といい、何なんだ?お前達。何故そんなに僕を引き留めたがる?怪しいんだよ」

 

「まあまあ、そんなこと言いなさらずに――」

 

 主人の男が、露伴に近寄る。

 

「ささ、是非どうぞ。もしよろしければ、ご馳走もご用意しますよ。世の珍味も取り揃えております」

 

 主人は、露伴の腕を掴むと中へと促した。露伴は反射的に防衛行動に走った。

 

「ヘブンズ・ドアーッ!」

 

 露伴のヘブンズ・ドアーが発動し、主人が本になる。同時に、主人はズルリと地面に崩れた。

 

「こいつら、何が目的なんだ?全く理解が追い付かない」

 

 露伴はしゃがみこむと、地面に横倒れになった主人のページをめくった。

 

「柳 惟明(これあきら)―――それがこいつの名前か」

 

 内容を読みながら、露伴は更にページをめくる。

 

“旅人がお見えになられた。数日前に送り出した侍の方とはまた違った格好をしている。こんな数日間のうちにお客人が二人もやって来るのは珍しい。とはいえ、我々はこんな山奥に住んでおり、めったに外界の人間とは関われないため、これは嬉しいことだ。娘も大変喜んでいる。この客人にも、出来る限りのおもてなしをしよう”

 

 露伴は溜め息を吐いた。

 

「こいつら、本気で僕をもてなすつもりだったのか」

 

 ヘブンズ・ドアーには、真実のみが記される。この男と娘が露伴を執拗に屋敷へ誘い込もうとしていたのには、何の敵意も悪気もなかったことが判明した。

 

「だが、“数日前に送り出した侍”だと?原内のことか。あの男がこの屋敷を出たのは、五年ほど前のはずだぞ」

 

 彼にもヘブンズ・ドアーをかけた。嘘はついていないはずだ。

 

「だとすれば、考えられるのは―――やはり長居はマズい」

 

 露伴は男にかけたヘブンズ・ドアーを解除した。主人がはっと目を覚まし、立ち上がる。

 

「これは――失敬。躓いてしまったようで」

 

「なあ、悪いがやはり失礼するよ。旅は急ぎのものでね」

 

 そう露伴はうそぶいた。主人は一瞬、落胆の表情を見せた後に笑った。

 

「そうでしたか。そういうことでしたら、仕方がありませんな」

 

 お待たせしましたと、そこへ先程の娘がやって来た。手に小さな小包を抱えている。

 

「ほれ、それをこのお方に渡しなさい。この方もお急ぎの御用であるらしいから」

 

 コクリと頷き、少女が露伴にそれを差し出す。露伴はその小包をおそるおそる受け取った。

 

「これは―――」

 

「私どもよりのお土産でございます。きっと何かしらのお役に立ちますので、是非お納めください」

 

「あ、ああ」

 

 露伴は困惑しながらも、それを脇に抱えた。

 

「それで、帰り方なんだが」

 

 露伴が尋ねる。

 

「帰り方でございますか?それでしたら、この斜面をひたすら下っていただければ、山の麓に到着します」

 

 主人が答える。

 

「元の場所に戻れるんだな?」

 

「ええ。ご安心ください」

 

「そうか――それじゃあ、失礼するよ」

 

 露伴は踵を返すと、足早にその場を去った。

 

 

 

 

「本当に合ってるのか?この道で」

 

 山を下り始めてから、一時間が経過した。もう日もほとんど落ちている。しかし、未だに山の麓は見えてこなかった。露伴はいよいよ、主人の言葉を疑い始めていた。

 

 日が落ち、とうとう足元が見えなくなった。露伴は立ち止まると、途方に暮れた。

 

「まずいな―――春先とはいえ、山の中で夜を明かすのは危険だ」

 

 こんなことなら、懐中電灯でも持ってくるべきだった。露伴は自分の不手際を後悔した。スマホの明かりでは心許ない。

 

 その時、露伴の持っていた小包から急に光が漏れ始めた。露伴は慌てて小包を開けた。

 

「これは―――」

 

 中には、強い光を放つ提灯が入っていた。しかし、火を灯しているわけではないようだ。なら、何故光る?露伴はそれを取り出した。

 

「役に立つって言うのは、これのことか?」

 

 主人の言葉を露伴は思い出した。なるほど、確かにこれは夜の山道では役に立つ。

 

「だが、一体これはどういう原理なんだ?」

 

 その構造の不思議に、露伴は好奇心を持たざるを得なかった。しかし、この明かりがどれぐらい続くかも分からない今、分析をしているような余裕もない。露伴はその明かりを頼りに、下山を再開した。

 

 更に三十分も歩いた頃、不意に視界が開けた。目の前に突然、町明かりが現れる。

 

「着いた―――のか」

 

 しかし、降りてくる途中で麓の光は見なかった。やはり不思議な現象ばかり起こる。

 

 付近の表札から、ここが杜王町であることが分かった。ほっと露伴は一息吐くと、スマホを取り出し時間を確認した。既に八時近い。

 

「ム...?」

 

 スマホには、無数のメールと不在着信が届いていた。山を下り、電波が入ったからだろうか。次々と着信が入ってくる。一番最新の着信は、編集者からのものだった。露伴は一先ず、折り返し電話を掛けた。

 

『露伴先生ですかッ!?』

 

 電話に出た編集者は、電話の向こうで叫んだ。露伴はスマホを耳から遠ざけると口を開いた。

 

「何の用だ?あんなに電話やメールを寄越して。いくら僕が出なかったからって、ありゃかけすぎじゃないか?マナーを知れよ、君は」

 

『マナーを知れって―――露伴先生こそ、何してたんですか!留守にするなら連絡するもんでしょ!そんなに俺の事が嫌いなんですか!?』

 

「おいおいおいおい。どういうことだ?いつから僕は君に、一々プライベートを教えなくちゃならなくなったんだ?一日ぐらい連絡がつかなかったからって、そんなに怒られる筋合いはないぜ。原稿だって入稿済みなんだ」

 

『一日ぃ?いい加減にしてくださいよ!露伴先生!!俺だって、一日や二日連絡がつかなくたって、そんなに怒りませんよ!でも先生、今回は度が過ぎます!一ヶ月も音沙汰なしで、一体何やってたんですか!!』

 

「一ヶ月?」

 

『ええ、一ヶ月です!まさか自覚がなかったなんて言わないでしょうね!?警察にも、もう届出出しちゃってるんですからね!?冗談じゃあ済まされませんよ!』

 

「なあ、おい。落ち着けって」

 

『これが落ち着いていられますか!!』

 

 編集者が息巻く。露伴はそれを冷静な口調で制した。

 

「落ち着くんだよ。いいから落ち着け。一旦落ち着いて、僕の話を聞け」

 

 渋々、といった空気で編集者が黙り混む。

 

「まず聞きたい。本当に僕は、一ヶ月も留守にしてたんだな?」

 

『ええ、そうです。今は色々なところに無理言って、情報が漏れるのを抑えてますけど、そろそろ限界が来る頃でした』

 

「だが、僕が出掛けていたのは一日だ」

 

『―――?どういうことですか?』

 

「そのままだよ。僕はたった一日、留守にしていた。そして帰ってきたら、一ヶ月が経っていた」

 

『先生、ふざけるのも大概に――』

 

「ふざけてない。マジだ。何であれ兎に角、直接会って話をする必要があるようだ。明日にもそっちへ向かう」

 

『いえ。俺がずっとこっちに来てますから。先生は今から駅前に出てきてください。編集長達はともかく、僕が納得するまで説明してもらいたい』

 

 それはおそらく無理だろうな、と露伴は電話を切った。

 

「一ヶ月―――か」

 

 薄々勘付いてはいた。原内 義信が百年以上の過去から現代にやって来た理由は、あの屋敷にあると。

 

「そういえば、あの辺りに迷い込む直前、僕は“落下”したな」

 

 幻覚かとも思ったが、あれは異空間への入り口か何かだったのかもしれない。

 

「時空の狭間――にでもあるのか?あの屋敷。おそらくだが、あの空間の時の流れは非常に遅い」

 

 そう露伴は仮説立てた。主人の記憶に“数日前に侍を送ったばかり”とあったのも、そういうことなのだろう。“こちら側”では数年が経っていても、“あちら側”では数日しか時が流れていない。

 

「一ヶ月、か。連載を書き貯めておいて良かったな」

 

 速筆の露伴は幸い、行動の制限される入院中に、ある程度の連載分を書き貯めておいたのだ。一ヶ月分ぐらいなら問題ない。

 

「あの主人にその自覚があるかどうかに関わらず、迷惑な話だ」

 

 まあ別に、自分以外が迷い込む分には問題のない話だ。そもそも、被害自体が少ないだろう。行方不明者が特段多い山でもない。

 

 露伴は身震いを一つして、タクシーを呼ぶために車通りのある道を目指した。

 

 春先も夜は冷える。




 皆様お久しぶりです。

 前回投稿から数ヶ月経ってしまいましたが、ようやく、第三話が投稿できました。次回の話は既に執筆に入っておりますので、今回ほど時間を置かずに投稿できると思います。遅くはなってしまいましたが、これからも宜しくお願いします。

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