岸辺露伴は動かない [another episode] 作:東田
「よお、露伴先生」
馴染みのカフェで打ち合わせを終え、一人連載の構成を練っていた露伴の肩を、男が叩いた。露伴は視線を上げると、一瞬顔をしかめた。
立っていたのは、杜王町在住の小説家であった。“天地 世命”という一風変わったペンネームの彼は、現代社会に世界各国の神話を落とし込んだ独特の世界観で世間を席巻させていた。昨年発売された新刊は150万部という売り上げを叩きだし、今、最も乗っている作家である。
同じ杜王町に住むこの大物若手作家二人の間には、数ヶ月来の交流があった。露伴も、彼の才能のことは認めていた。尤も、大学ではモテていたであろう、天地のその爽やかで人懐っこい性格は気に食わないようではあるが。
「打ち合わせか?」
天地が尋ねる。
「終わったところだ。君は何だ、こんな昼間から。暇なのか?」
「取材帰りだ」
天地は、隣にあるキャリーバックを叩いた。泊まり掛けだったようである。
「四日ほど、京都に行ってきた」
そうか、と露伴は目の前のコーヒーを口に運んだ。
「知らなかったな」
「子供じゃあるまいし。わざわざ知らせる必要もないだろ?」
「それはそうだ。だが、君が京都に?仏教か?」
天地が首肯く。
「次の作品は京都が舞台だ」
「君ほどの人間が、わざわざ取材に行く必要があったのか?その辺の日本史の大学教授にだって引けを取らないぐらいの知識を、君は持ってるじゃないか」
「知識だけでものは書けないさ」
対面に天地が座る。
「確かに、俺は頭の中に本物そっくりの京都を描けるけどね?それは本物ではない。やっぱり、現地で肌で感じたものを文章にしなくちゃ、毎度新鮮なものは書けない。リアリティが薄れる」
「成る程。それには同意だな。リアリティのない作品が全て駄目って訳じゃあないが、少なくとも僕は描く気にならないね」
「そう!流石だ露伴先生。やっぱり君とは気が合いそうだ」
天地が露伴を指さす。露伴はジト目でそれを見た。
「で、何の用だ?わざわざ声をかけてきて」
「そりゃあ露伴先生、俺は知人を見かけても声をかけないほど非常識じゃあないさ」
「悪かったな、非常識で」
露伴は肩をすくめた。
「だから僕は君が嫌いだ」
露伴は手早く荷物を纏め始めた。
「冗談だよ、露伴先生―――悪かったって!本当は用件があるんだ―――だから待てって!」
一度立ち上がった所で溜め息を吐くと、露伴は再び腰を下ろした。
「先生は確か、メチャクチャ速筆なんだよな」
「一般的にはそうなんだろうな。毎週の連載分なら4日―――いや、早けりゃ3日だな」
「凄いな。漫画家って、締め切りに追われてるイメージしかないぜ」
「だから速筆なんだろ。興味ないがな。で、用件は何なんだ。いくら速筆って言ったって、僕が暇してるって訳じゃあないんだぞ。こうして君と話しているより有意義な時間の使い方はいくらでもあるんだ」
「分かったよ。本題に入る」
参った、といったような調子で、天地は片手で空を扇いだ。
「露伴先生、俺の代わりに取材に行ってきてくれないか?」
「断る」
即答だった。
「タダとは言わないさ。報酬は出す。ひとつ頼まれてくれないか?」
「金銭云々じゃない。君の代わり、というのが癪に障るんだ」
「なあ露伴先生、業界間で自分が何て呼ばれてるか、知ってるか?」
「知らないね。興味もない」
「一部じゃあ“情報魔”って呼ばれてる。何でも、欲しいと思った情報は、例えそれが国家機密のような秘密事項でも手に入れてしまう、と」
天地は顔の前で両手を合わせた。
「頼む!露伴先生!その情報収集力を貸してくれ!」
「聞こえなかったか?断る、と僕は言ったんだ」
露伴は冷たくあしらった。
「第一、君の取材することだ。どうせ神話にまつわる何かだろ?今のところ、僕はそっち方面にあまり興味がなくてね」
時期が悪かったと思って諦めろ。露伴は再び椅子から立ち上がりかけた。
「待てって、露伴先生。せめて取材内容くらいは聞いてくれ。きっと君も興味を持つ」
天地が再びそれを引き留める。露伴は今度は座り直さずに答えた。
「そうかい。それじゃあ、僕はこのまま話を聞こう。興味のない話だったら、このまま帰る」
「それでいい、聞いてくれ。取材内容と言うのはだな―――“御神渡”って知ってるか?」
露伴は頷く。
「長野の諏訪湖で有名なあれだろ?寒冷地の凍った湖面に見られる、神様が通った跡だとされる自然現象だ」
「自然現象のことだと思うだろ?」
「違うのか?」
「日本で一ヶ所だけあるんだ。本物の御神渡―――“神様の行列”の見れる場所が」
「祭か何かか?」
露伴が首を捻る。天地は否定した。
「違う違う。本物の“神様”だ。人じゃない」
「神様に扮した人間ではなく?」
「正真正銘、本物の“神様”」
露伴は鼻を鳴らした。
「生憎、僕は無神論者でね」
「―――10月31日。その地が少し早い雪に見舞われた年にだけ、それは出現すると言う」
「―――神無月か」
「そうだ。そして今年の10月31日は、全国的に雪の降る予報だ」
「―――」
露伴はしばらく無言になった。
「いいだろう。乗った」
露伴は椅子に腰を下ろした。それから店員を呼び止め、追加でコーヒーを注文する。
「詳しい話を聞かせてもらおう」
「そう来ると思ったよ」
天地ははにかんだ。
*
10月31日。N県某所。
天地から話に聞いた“御神渡”の見られると言う神社の向かいに建てられたカフェに露伴は入店した。
道路脇に面したカウンターに陣取り、テーブル上にスケッチブックを広げる。道路を挟んだ対面に、正面を構えて居据わる神社を、露伴はスケッチブックに写生した。まだ雪も降っていない。天地は、それが見られるのは夜だと言っていた。露伴は気長に待つことにした。ここでは、他にすることもない。
二杯目のコーヒーを飲み終えた頃。露伴の隣に、一人の老人が腰を下ろした。老人は、露伴の手元に開かれたスケッチブックを興味深そうに覗き込んだ。その視線に気付いた露伴は、スケッチブックを閉じた。
「巧いもんだのぉ」
老人が感心したように首を振る。
「何の用だ?他人の手元を覗くのが趣味なのか?」
「ああ、すまない。そんなつもりではなかったんだ」
老人は笑って返した。
「ただ、珍しく思ってな」
「珍しい?僕がか?」
老人が首肯く。
「あの神社に興味を持つ若者は珍しい」
「だろうな」
今時、神社や寺といったものに興味を示す若者は少ないだろう。せいぜい、それらを研究対象にしている学生ぐらいだ。
「美大生かの?君は」
「いいや。書籍関係の仕事だ」
漫画家であるとは、あえて言わなかった。この老人ぐらいの年代は、漫画に理解を示さない人も多い。
「ふむ、成る程。この神社が取り上げられたりするのか?何なら、儂の話を聞いていかないか?あの神社についてなら、人より多少詳しい」
「本当か?なら是非、尋ねたいことがある」
何でもどうぞ、と老人が促す。
「“御神渡”の事についてなんだが―――」
露伴がそう口を開いたところで、老人がそれを制した。
「待った。今、なんと?」
「耳が遠いのか?“御神渡”についてなんだが――」
繰り返された露伴の言葉に、老人の目が険しくなる。
「どこでそれを知った?」
「“御神渡”か?知人からだ。それがどうかしたのか?」
「知人―――その知人はこの町出身なのか?」
「さあな」
露伴は椅子に深くもたれた。老人はなお、険しさのある目で露伴を見ていた。
「それで、何なんだ?“御神渡”とは。その様子だと、知ってるんだろ?」
老人は小さく溜め息を吐いた。
「“御神渡”は、この地元でさえ全く知られていない―――知られてはならないものだ」
「“知られてはならない?”ただ知名度がないだけとは違うのか?」
「我々のような“御神渡”を知る人々は、滅多なことではそれを人には話さない。“御神渡”とは、何百年と続く神聖な儀だ。無闇に知名度が上がれば、見物客達に神社を荒らされる。我々は“御神渡”が世間に広まらないよう、細心の注意を払っている。毎年、この日に神社を監視する仕事が一人にだけ割り当てられる。その該当者以外は遠くからしか眺められない。お陰で地元にさえ知られていない。だと言うのに、まして他の地域の者がそれを知ることなど、皆無に等しい」
「どれぐらいの人間が知っているんだ?」
「十人程度じゃよ」
ならば、天地 世命はどうやってこの情報を手に入れたのだろうか。露伴は首を捻った。
「それで、“御神渡”ってのはどんなものなんだ?僕は詳しく知らないんだ」
「ムウ」
老人は小さく唸ると、何やら思案を始めた。
「今更隠しても仕方ないだろ。僕は気になったものはとことん調べ上げるからな。ここで教えられなくとも、そのうち全て知るつもりだ。だが、それにも手間がかかるだろ?ここで教えてもらえると有り難いんだが」
「――誰にも話さないと、約束できるか?記事にもしないと、秘密にすると。出来るのなら話そう」
「神に誓おう。単に僕個人の好奇心だ」
そもそも、天地の頼みを引き受けたのもそうだ。“好奇心”。これに勝る動機は、露伴にとって他になかった。
「ならば話そう。“御神渡”は10月31日の夜、この神社に祀られる神様が出雲からお帰りになさる儀のこと」
「そこまでは僕も知っている。雪が降れば、その“御神渡”が見られるってことも」
「そうだ」
老人が頷く。
「時期的に少し早い雪が降れば、その“御神渡”の行列を拝むことができる」
「だが、それが理解できない。“行列が見れる”って、一体どういう状況のことを言ってるんだ?」
「自分の目で確かめればいい。今宵は七年ぶりに降雪の予報だ」
「ああ、そのために来た」
それで、と露伴は尋ねる。
「それは何時に見られるんだ」
「そう焦らなさんな。雪が降りだすのは七時頃の予報じゃ」
露伴は腕時計に目をやった。あと二時間は暇になりそうだ。
*
時計の針は、既に八時を過ぎていた。店の前の路面を、七時頃から降りだした雪がうっすらと覆っている。“御神渡”はまだ現れなかった。
四杯目のコーヒーが届いたところで、露伴は神社の敷地内の人影に気付いた。若い男が五人、境内で騒いでいるらしいことが、目を凝らせば分かった。
「そうか、ハロウィンか」
露伴が呟く。若者達は皆、異様な格好をしていた。吸血鬼とミイラらしき仮装をしている二人は、露伴からも識別できた。他の三人は何の仮装だか判別できない。酒が入っているのか、時期早々の降雪に気が昂っているのか。五人は遠目から見ても分かる騒ぎ様だった。
「何がハロウィンじゃ。下らん異国文化だの」
剣呑な目付きで老人がぼやく。
「毎年毎年、ああ無駄に騒ぎおって。周りの迷惑も考えられんのか」
露伴は小さく、同意の頷きを示した。ハロウィン自体は否定せずとも、最近の若者達の騒ぎ様は目に余るものがある。大都会では特に、毎年ニュースになるほどの騒ぎだ。
神社内で騒ぐ若者達が社にイタズラを始めた。どうやら、社の扉を無理やりこじ開けようとしているようだ。露伴は溜め息を吐いた。流石にやりすぎだ。
「いいのか?放っておいて。“御神渡”の邪魔になりそうだが」
「放っておけ。神が裁かれる」
「神が?」
怪訝な顔をする露伴を一瞥すると、老人は酒の入ったグラスを口元へ運んだ。
「今に分かる」
老人のその言葉とほぼ同時だった。境内で騒いでいた若者達が、次々と地に倒れ込んだ。
「何だ。何が起きた?」
露伴は椅子から立ち上がると、窓の外を凝視した。倒れ込んだ男達に、苦しむような様子はない。急に気絶したかのようだ。
「おい、あれは一体―――」
老人の方を振り向き、問い質そうとした露伴の言葉を老人は片手で制した。
「“御神渡”が来る」
遠くで笛の音がしたような気がして、露伴は再び外を見た。目前の景色に変化はない。
再び笛の音が聞こえた。今度は聞き間違いではない。笛の音は、徐々にはっきりとしたものとなる。同時に、音の数も増え出した。小鼓やその他弦楽器の音もする。音の数は多かったが、それらの奏でる旋律は、決して賑やかなものではなかった。厳かで、神聖さを感じさせる音色である。
やがて、演奏は間近で聞こえるようになった。
視界の隅に、白装束を纏った男を捉えた。車道の上を、手に
一団は皆一様に、白装束に身を包んでいた。闇夜に立つ彼等だったが、その姿は浮かび上がるようにしてはっきりと認識できた。白装束に至っては、眩しさを感じるほどの輝きを放っている。彼等が普通の人間ではないことが察せられた。
行列の中心には大型の神輿があった。神輿の上には、周囲とは異なり、狩衣のようなものを纏った人物が鎮座していた。男性か女性か、露伴からでは判別できない。
立派な装飾こそなされていないものの、神輿の重量はとてもありそうだった。しかし、その神輿を担ぐ人々は何の表情も浮かべていない。彼らの体格は屈強とはほど遠く、むしろ華奢なものだった。にも関わらず、彼らは軽々と神輿を肩に乗せていた。
集団の先頭の男が、進路を直角に変更し境内に正面から進入した。列も折れる。やがて神輿が曲がると、神輿に隠されそれより先の様子は見えなくなった。
行列の最後尾が見えた頃、不意に、神輿の姿が消失した。境内の社に入ったわけではない。サイズ的に、それは不可能に思える。露伴は闇夜に目を凝らした。行列の行く先を凝視する。
行進する白装束を纏った彼らは、社に到達すると同時に姿を消した。あの社が“御神渡”の終着点であるということか。
行列の最後尾が神社の敷居を跨ぐ。露伴はそこで我を取り戻した。急いでその後ろ姿をスケッチにとる。二十秒としないうちに“御神渡”は完全消滅したが、露伴には十分な時間だった。それからも、記憶を頼りに神輿やその従者の様子を描き出す。
一通り描き終えたところで露伴は顔を上げた。正面の道路を、隣にいたはずの老人が渡ろうとしている。いつの間にか会計を済ませていたようだ。老人は境内の方へ向かった。境内の様子を見ておきたいと思っていた露伴は、手元のコーヒーを一気に飲み干すと急いで会計を出た。老人の後を追って道を渡ろうとした露伴であったが、境内に広がる光景にはっとして足を止めた。
境内に入った老人は、、その場にしゃがみ込み、倒れた若者の首に手をかけていた。
「おい!何をしてる!」
老人の動きが止まる。露伴は道路を渡ると老人へ近付いた。振り向いた老人と目が合う。
「何をするつもりだ」
老人を見下ろして露伴は訊ねた。
「神の裁きだよ」
老人は答えると若者に向き直った。
「おい。流石にやり過ぎだ」
露伴は老人の肩に手をかけると、半ば強引に若者から引き離した。
「確かにこいつらがやっていたことは気に食わないし、許せないことであるのは分かる。自業自得で怪我でもすればいいのにとは、僕でも思う。だが、実際に手をかけるってのは行き過ぎだ」
諭しながら、露伴は老人から手を離した。老人は鼻を鳴らすと、露伴を気にも止めずに若者の方へ歩んだ。
「おい、聞いてるのか!」
「黙れ、人間風情が。神を冒涜した者に裁きを下すだけだ。何も不条理なことはなかろう」
老人の口調が先程とは一変する。そこに確かな圧力を感じた露伴は、一瞬怯んだ。殺気はなかった。その圧力には負のオーラと言うよりも、むしろ聖なるものすら感じられた。だが、露伴の本能は何よりも危険を感じていた。今この老人に逆らえば自分の命も危ないような、そんな実感があった。
「いいや、不条理だね」
しかし、それで引き下がるような露伴ではない。彼はあえて、一歩を踏み出した。この岸辺露伴が、こんな老いぼれに気圧されたままでたまるか。それは露伴のプライドであった。
「神を崇拝しない者からしたら、それは不条理でしかない。罪に対する罰の釣り合いが全く取れてないじゃあないか」
「貴様の意見など聞いていない。神に背いたのであれば罰せられるのは当然だろう」
「なあ、さっきから“貴様”とか“人間風情”とか、何なんだ?お前」
「何なんだ、とな」
老人は歩みを止めると振り向いた。
「“神”だよ」
「はあ?」
露伴の口から、思わず間抜けな声が漏れる。
「神である私に反目するのであれば、貴様にもそれ相応の罰を受けてもらわなければならない」
言うや否や、老人は露伴の首に片手を伸ばした。
「うお!」
すんでのところでその腕を露伴がつかむ。だが、老人の腕に力がこもると、露伴の 首筋に簡単に老人の指が触れた。想像以上の腕力だ。露伴は両手で老人の片腕を掴まざるを得なかった。だが、それでも老人の力が露伴を勝る。
「なんだコイツ!年寄りのパワーじゃないぞ!」
露伴の膝が徐々に曲がる。
「おい!待てよ!やっぱり不条理じゃあないか!僕が一体何をした!」
「神を信じぬ者には罰を与える」
露伴の膝が地に着く。老人の力は緩まなかった。露伴は更に、後ろ側に押し込まれた。
「おおおおおッ!!」
ついには仰向けに倒される。その上に馬乗りになった老人は、余った反対の腕を露伴の首に伸ばした。咄嗟にそれを掴む露伴。だが、片腕でさえ力負けしていたのだ。首に迫る腕が二本に増えた今、露伴に抗う術はなかった。
「駄目だコイツ!イカれてやがる!!」
両手は塞がってるが、それでも発動は可能だ。
「ヘブンズドアーッ!!」
露伴のヘブンズドアーが発動する。一般人なら気絶するか、それでなくとも怯むはずだった。だが、老人の腕の力は弱まらなかった。それに加え、老人には視えていた。常人には視えないはずの、露伴のこの能力が。
「フム―――書物、か?不思議だな。私にも得体が知れぬ―――だが下らん」
「なにッ!?ッグ!」
老人がとうとう、露伴の首を掴む。露伴は急いで老人に“岸辺露伴から手を離す”と書き込んだ。しかし、老人は手を離さない。それどころか、力を加え始めた。
「ヘブンズドアーが――――効かない...?」
「へぶんすどあ、と言うのか?何であれ、“神”である私が宿ったのだ。“運命”そのものである私が。何をしようとこの老いぼれは止まらん」
老人の腕に更に力が加わる。露伴の視界はぼやけ始めていた。老人の情報を読もうにも、もう無理そうだ。
〈“神”だと?一体、“神”にどう勝てる?ヘブンズドアーが通じないんだぞ〉
意識が遠退き始める。時間がない。
〈考えろ―――何か解決の糸口があるはずだ。神と言えど、万能じゃない。万能じゃあ....コイツは何が出来ない?何かヒントがあるはずだ。この神に出来ないこと―――それがヒント〉
「あの小僧どもも始末しなくてはならないのでな。時間が惜しい。もう終わりだ」
露伴の首が更に絞まる。
〈小僧?あの青年達のことか―――そういえば何故、この“神”とやらはこの老人に取り憑いた?何故、当事者である若者達の誰かに取り憑かず、近くのカフェに居たこの老人に取り憑いた?気絶した者には取り憑けないのか?〉
いや、それはおかしい。露伴の脳はフルで回転を始めた。
〈それだと、わざわざ青年達を気絶させた意味がない。いくらなんでも非効率だ。他に理由があるはずだ―――〉
奴は何か言ってなかったか?これまでの老人とのやり取りを、露伴は回想する。
〈そもそも、僕やあの若者達が殺されそうになってるのは何でだ?奴は“神に逆らった罰”と言っていたな―――もしや、条件は“信仰”か?〉
もしそうだとすれば、勝ち目はある。老人の肉体への命令は、“神”が老人の肉体を支配している以上効かないが、老人の記憶や精神への書き込みなら通じるはずだ。だが、外れていた場合は―――
〈時間はない。ヘブンズドアーを動かせるチャンスは残り一回だけだ―――――賭けるしかないッ!〉
「ヘブンズ....ドアー....」
掠れた声で呟き、片手を老人の顔に伸ばす。
「無意味な抵抗を」
《神を信じない》
書き込めたのは、その短文。だが十分だった。ヘブンズドアーが発動する。老人の腕から力が抜け、露伴の首から外れた。老人はそのまま背後へ倒れ込んだ。
喉元を押さえ、咳き込みながら露伴は立ち上がった。老人は仰向けに引っくり返って気絶していた。どうやら、賭けは成功したようだ。
「僕のヘブンズドアーは、記憶を書き換える。捉え方によっては、“運命”に抗える能力とも言えるかもしれないな」
露伴は深呼吸で息を整えると、社へ向かった。建物の幅は広くない。せいぜい五メートルといったところだ。どう考えても、“御神渡”のあの神輿が入るような面積はない。社の扉は南京錠で固く閉ざされていた。若者達の暴行の跡はあるが、最近に解錠されたような形跡はない。露伴は続いて足元に目をやった。ここまで歩いてきた露伴と、青年達の踏み荒らした跡はあるものの、あの行列が通ったような跡はない。
“御神渡”と言い、先程の“神”と言い、何か変だ。
「天地 世命――――アイツ、何か知っているのか?」
気付けば雪は止んでいた。
*
三日後、露伴は馴染みのカフェのテラスで天地と向き合っていた。
「どうだった?“御神渡”は。見れたかい?」
露伴は頷くと、“御神渡”の様子を描いたスケッチをテーブル上に広げた。
「これは―――まるで祭の行列だな」
「逆に言えば、そのモデルとも言えるかもな」
「鋭いね、露伴先生。―――うん、ネタにできそうだな、その発想」
天地はスケッチを手元に手繰り寄せるとそれに見入った。露伴は一口、コーヒーを口に含む。
「それで、天地 世命。一体何のつもりだったんだ?」
「何がだ?」
顔も上げずに天地は返答した。
「知ってたんじゃないのか?“御神渡”の主である“神”が本物だったってことを」
天地が顔を上げる。
「何を言ってるんだ?露伴先生」
「不自然なんだよ」
露伴は溜め息を吐いた。
「君がこの“御神渡”の情報をどこで入手したのかは知らないが、地元の人間の話を信じれば、この“御神渡”は部外者が知ることは皆無に等しい。そんな情報を仕入れた君が僕の情報収集力を貸してくれなんて、そんなことする必要があるのか?そもそも、その界隈じゃあ君の方が顔が利くじゃないか。わざわざ僕に頼む必要がないだろ」
「あれ?言ってなかったか?」
天地はわざとらしくおどけた。
「一昨日まで、俺はホテルで缶詰めになってたんだよ。締め切りに追われてさ。だから代わりに行ってもらったんだよ」
「缶詰めぇ?」
「ああ。俺は露伴先生とは違って遅筆だからな」
天地は苦笑いした。
「だったら、余計おかしいじゃないか」
椅子の背もたれに肩肘を預け、テーブル上に反対の手を置きながら露伴は話した。
「僕に取材の話を持ちかけたあの日、君は京都からの取材帰りだと言ってたな。普通、そんな詰まったスケジュールの立て方するか?先ず、缶詰めになるほど締め切りが切羽詰まってるのに、取材旅行に泊まり掛けで行くのはおかしい。しかも行き先は行き馴れた京都で、更にその後には“御神渡”だって控えてるのにだ」
天地が笑みを引っ込める。
「七年ぶりだぞ、“御神渡”が現れたのは。次に見れるのは何年後になるか分からない。そんなチャンスを逃すか?京都取材の方をずらすだろ、普通」
「取材先で俺が“御神渡”を知った可能性は考えなかったのか?」
「仮にそうだとしたら、帰り際に寄ってくればいいじゃないか。位置的には道中に寄れるところにあるんだ。移動中や宿での時間を使えば、原稿だって進められる。僕が君だったら、多少締め切りを押してでも行くがな」
天地は口を閉ざしている。露伴は続けた。
「君はわざとスケジュールを詰めたんじゃないのか?天地 世命。僕を“御神渡”の取材に行かせるために」
「さあな」
天地の口元が小さく歪んだように見えた。
「何を知っているんだ。“御神渡”について。あれの正体について」
露伴の質問には答えずに、天地は千円をテーブルに置いた。
「露伴先生、俺らは作家だ」
立ち上がりながら天地が言う。
「作家は“空想”に“リアリティ”を吹き込む。“リアリティ”は創作において重要なファクターだ。“リアリティ”こそが創作物に命を与える。“想像力”よりも“リアリティ”だ」
天地は荷物を纏めると露伴の脇に立ち、その肩に手を置いた。
「だが時に、“想像”は“リアリティ”を超える」
睨み付ける露伴に対し鼻を鳴らし、天地は通りに消えた。
「天地 世命―――何者だ」
天地の消えた通りの流れを見ながら、露伴はポツリと呟いた。
冷たい風が吹き抜けた。通りを行く人々が、思わず襟を立てる。もうじき冬だ。
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