岸辺露伴は動かない [another episode]   作:東田

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another:07 《プレゼンス・フロッグ》

 目が覚めると、まだ意識が覚醒しきらないうちに家を出る。例え起きたのが午後であろうと、締め切り当日であろうと、同じコースを同じ時間、三十分たっぷりかけて歩く。それが小説家 天地 世命の日課だった。

 

 家を出て十分、駅前の大通りに辿り着く。比較的交通量の多いその通りの喧騒は、やっと働き始めた天地の頭に刺激を与える。

 それからカフェの前を通り、コーヒーや紅茶などの匂いに胃を鳴らす。駅の手前でUターンをし、脇道に逸れて往路とは違うルートで家へ帰る。

 帰るとまずコーヒーを淹れ、簡単な食事を作り、いっときの休息を得る。起床から一時間と少し。書斎の机に座り、仕事を始める。

 それが彼の日常だった。

 

 

 その日の天地 世命は、非日常な気分だった。昨晩、しばらく停滞していた原稿の入稿が完了し、開放感にあふれていたせいかもしれない。普段引き返す駅前の噴水広場。そこをつっきり、駅の構内にまで歩を進めた。

 時刻は夕方の五時。定時退社のサラリーマンや学生が、駅の外へと流れていく。その波に逆らうように天地は駅へ侵入する。

 

 彼は人混みを好む男ではない。だが今日だけは、気分が違った。むしろ何者にも逆らってしまいたいような、何も恐れないような、そんな高揚感を覚えていた。

 

 特にあてもないまま、駅の最奥へ足を運ぶ。とはいえ人の流れの勢いは凄まじく、天地は自然と道の端へと追いやられていった。

 

 券売機の手前、小さな売店で飲み物を買う。売店を出ると、道を引き返すことにした。歩きながら天地は、何か違和感を覚えた。

 

 人の流れ方がおかしい。

 

 真っ直ぐではなく、天地のいる壁側に一部大きく膨らんでいる。対面の壁際に障害物でもあるのだろうか。明らかに、何かを避けているかのような流れだ。

 

 天地の好奇心が騒ぐ。実際のところ、大したことではないのかもしれない。誰かが立ち止まっているだとか、ちょっと大きな落とし物が落ちているだとか、そういう些細な理由かもしれない。だが、それが結果的につまらない理由だったとしても、それは天地にとって問題ではない。ただ気になったことを知りたい。天地にとって、ひいては創作作家にとって、十分な行動動機だ。

 

 人混みの中を天地は無理やり横切った。迷惑がる周囲の視線が刺さる。だが、今の天地はそんなことは気にしていない。疑問を解決することが優先事項だ。掻き分けた先には――

 

「あれ、露伴先生じゃないか」

 

 岸辺 露伴がしゃがみ込んでいた。天地の目下、露伴の目の前には、男が一人倒れている。人々は、二人を避けて流れているようだった。

 

「天地 世命――いい所に来てくれた。救急車を呼べ!今、直ぐに!」

 

 露伴が叫ぶ。天地は即座にポケットから携帯を取り出し、119を押した。

 

「その男性。容態はどうなんだ」

 

 コールの間、天地が訊ねる。

 

「既に体温はない。念のため、これから心肺蘇生を試みる。AEDも必要だ…だがクソ!なぜ誰も手助けをしないッ!」

 

 人混みに向かい、露伴が叫んだ。しかし、こちらへ視線を向けるものは一人として居なかった。

 

「さっきからずっとこうだ…誰も見向きもしない。反応しない――何なんだこいつらッ 面倒事には首を突っ込まないって判断か?人命の問題だぞ――ッ」

 

 露伴が三度叫ぶ。天地は電話が繋がるのを待った。

 

 

 

     *

 

 露伴の最も苦手とする絵の一つに、空の絵があった。

 

 場所、季節、時間帯、気温、風向きや大気状態など、様々な条件によって、空は無数の姿を見せる。全く同じ空が二度と現れることはない。だから露伴も、二度と同じ空を描くことを嫌った。

 

 その上、空の絵を描くとき、そこには無限の可能性が秘められる。雲の形一つ取っても、想像でいくらでも生み出すことができるのだが、露伴が求めるものは何よりもリアリティだ。適当に雲を描くことは、彼のポリシーに反する。

 自身の描く世界での法則に従って雲も形作られ、動かなければならない。恣意的に露伴の手が加えられたような空の絵は、露伴自身が一番許せなかった。

 

 そのため彼は空を描くとき、いつも本物の空を参考にした。外に出かけ、自然を肌で感じながら空をスケッチする。そうして、どこで、どんな条件のとき、どんな空模様が生まれるのか、それを実体験する。それをデフォルメしながら自身の漫画に落とし込むことで、露伴はリアリティある空を描いていた。

 

 露伴がその日、駅の向かいの公園に赴いたのも、空のスケッチという目的があってのものだった。敷地の一角に設けられたベンチの端に腰掛け、穏やかな春の空を写し描く。

 

 しかし露伴の胸中はというと、実はそれほど穏やかではなかった。原因の一つは花粉症だ。日本人のおよそ四割が悩まされているアレルギーだが、御多分に漏れず、露伴も苦労を強いられていた。漫画家というのは基本インドアな職業ではあったが、露伴に関して言えば外出の機会は多く、そのため花粉症の影響は辛いものがあった。

 

 そしてもう一つ、露伴はどうしてもあることが気になっていた。

 

 最近どうも、杜王町の空が変わってき「」ている。杜王町のあるM県S市は“杜の都”として知られ、空気も比較的キレイだ。そのはずれ、沿岸部に位置する杜王町は、ここしばらく都市化の計画が進行しているものの、空気がよ「s……ま…e…」く澄んだ町だった。

 それが最近徐々に、都心の空気に侵略されてきている。空を淀みを見せるようになり、空気が生ぬるくなった。  

 そういった都会感のある空気が、露伴はあまり好きではなかった。たからこそ、交通の不便さを「す…ませ…n」知った上で、この杜王町に暮らし続けている。だというのに

 

<これでは、まるで都市部と変わらないじゃあないか>

 

 心の中で、露伴は悪態をついた。

 

「あの、すんません」

 

 肩を叩かれて、露伴はやっと男の存在に気付いた。

 

「これ、あんたのスか?」

 

 男が露伴の足元を指さす。500mlの空のペットボトルが転がっている。

 

「いや。僕のじゃないな」

 

「じゃあ誰のスかね」

 

「さあな。少なくとも僕のものではない、ということだけは確かだ。それ以上の答えを求められても困る」

 

「あんたは気付かなかったんスか、このゴミの存在」

 

 短く刈り上げた頭に、どうも似合わない白無地のシャツの彼を露伴は見上げる。年齢は20代前半。

 

「気付かなかった、という答えではどうやら満足しなさそうだが…」

 

 顔をしかめた男を見て、露伴は眉をひそめる。

 

「初対面の君に難癖つけられるほどの行為を僕がしていたとは思えないがな。違うか?」

 

 彼は溜息を吐くとペットボトルを拾い上げた。それからポケットに手を突っ込む。取り出したクシャクシャのビニール袋の中に、乱雑にペットボトルを投げ込んだ。

 

「どうしてこう、人ってのはみんな周りの環境にすら興味を向けないんスかね」

 

 男が露伴の隣に腰を下ろす。

 

「例えばポイ捨てだって、どんな神経してたらゴミをそのへんに投げ捨てようって発想になるんだか」

 

「言っとくが、そのペットボトルを捨てたのは僕じゃないからな」

 

「それはさっき聞きました――この杜王町だって町の至る所にゴミ箱が設置されてるっていうのに、道端に捨てられるゴミは一向に減らない」

 

 何でですかね。彼は露伴の顔を覗き込んだ。怪訝な顔をしつつも、露伴は答えた。

 

「それこそ周りに興味がないから、だろうな。町中がゴミだらけになろうが知ったこっちゃないって奴がゴミを投げ捨てるし、周囲の人間も見て見ぬふりをしたり、そもそも気付かなかったりする」

 

「じゃあ、何ンで興味がないんスかね」

 

「僕も知りたいくらいだね。その根源は僕にも読めない――それよりも」

 

 露伴はスケッチブックを閉じ、男に顔を向ける。

 

「僕はむしろ、普通の人が興味を示さない、それに興味を持っている君のことの方が気になるね。何故君は人が周囲に興味を持たない、そのことに疑問を抱いているんだ。その動機は何だ」

 

 今度は露伴が、彼の目を覗き込んだ。

 

「別に。深い理由はありませんスよ。ただ何か、この町が汚れることに抵抗を感じない奴が気に入らないだけっス」

 

 男は露伴から目を逸らすと、いきなり立ち上がった。

 

「とにかく。ポイ捨て、あんたはしないで下さいよ。これからも」

 

 男が立ち去る。おかしな奴も居るもんだなと思いながら、露伴は再びスケッチブックを開いた。

 

 

 ぶどうヶ丘高校の放課を知らせるチャイムが聞こえて、露伴はスケッチの手を止めた。熱中するせいで、露伴はよく時間を忘れる。駅周辺で空のスケッチをするときは、いつもこの高校のチャイムが終了の合図だ。ペンを胸ポケットに仕舞い、スケッチブックを小脇に抱え立ち上がる。

 喉の乾きを覚えた露伴は、帰りに何か買っていこうかな等と考えながら帰路に着く。そして今日出会った彼のことを思い出した。

 

「“人は何故周囲に興味を示さないのか”だったか。少し僕も、視野を広げてみると面白いかもな」

 

 とはいえ露伴は職業や性格上、常に周囲に対しアンテナを張っている人間だった。本人にとっては既に無意識上での行為であったため、どれだけ帰り道の風景をじっくり眺めても別段新しい発見のないことに、露伴は首を捻った。

 

 駅の高架下を過ぎたあたり。露伴は初めて“発見”をした。個人商店などの小型家屋の建ち並ぶその間の路地。何者かが、こちらに背を向けてしゃがみこんでいる。

 

 何でもいい。とにかく発見だ。喜んだ露伴は、好奇心をもって近づいた。

 

「なあ、そこで何をしてるんだ」

 

 気分でも悪いのか。言いかけたところで、相手が振り向く。

 

「あんた、さっきの――」

 

 彼だった。

 

「君か。どうしたんだ、こんなところで」

 

「いや、ただ――」

 

 彼が自身の足元に視線を落とす。露伴は肩越しに覗き込んだ。

 

「猫――死んでるのか?」

 

 全身の毛が茶色の、成猫がピクリとも動かずに横たわっていた。

 

「ええ。野良なのか飼い猫なのかも分からないんで、どうしようもないんスけど――ただ、飼い猫であるなら飼い主を探してあげたいっスね」

 

「そうか」

 

 露伴はいっときの思案を挟んだ後、彼の肩に手をかけた。

 

「少し、いいかな」

 

 男にどいてもらい、しゃがみ込んで猫の毛にそっと触れる。

 

 ヘブンズドアー。猫の皮膚がめくれ、その記憶が現れる。

 

「飼い猫だな。品種は日本猫か。“タマ”と呼ばれてたみたいだな。飼い主は――この近くじゃないか」

 

 男にも聞こえないほどの小さな声で呟くと、露伴はすっと立ち上がった。

 

「飼い猫だな。この近くの住宅地をあたってみよう」

 

「猫は――」

 

 猫を放置したまま歩き出した露伴に、男が聞く。

 

「触らない方がいいぜ。飼い猫とはいえ、どれくらいそこに放置されてるかも分からないんだ」

 

 

 体裁上、露伴はなるべく多くの家を回った。飼い主が誰なのかは既に知っていたが、いきなり訪ねては、相手にも男にも不審がられる。六軒目で飼い主を訪問し案内を終えた二人は、飼い主の感謝を背に立ち去った。

 

「人の良さそうな飼い主さんしたね。良かったっス。報告できて」

 

 どうやら男の家は露伴と同じ方向らしい。すっかり暗くなった道を二人は並んで歩いた。

 

「あれも同じなのか?昼に言っていた“町が汚れることを気にしない人が嫌い”という動機か?」

 

 露伴がそう切り出した。

 

「猫の件スか?まあ――動機は同じっスね…それがどうかしたんスか」

 

「単なる好奇心だよ。つまり君は、猫の死体を“町を汚すゴミ”であると認識し、それが放置されていることに憤りを覚えたと、そういうことになるが」

 

「そうじゃあないっスよ。ただ…」

 

 男が足を止める。

 

「ただ?」

 

 露伴も立ち止まり、男の答えを待った。男は小さく深呼吸をした。

 

「そもそも、それは本当の動機じゃないんスよ。建前と言うか、何と言うか。違う人に会う度に毎回毎回、何度も同じ説明をするのが嫌で、それで簡潔な理由を適当に作ったんスよ」

 

「なら、本音は何なんだ」

 

「――俺、持病があるんスよ。急激に進行するタイプのものじゃないんで直ぐには死にませんし、今はまだ普通に生活してますけど、あと十五年も生きられるかどうか。十代のときはヤンチャしてたんすよね。周りに迷惑ばっかかけました。だからその分、残り少ない動ける時間で、何とか社会に恩返ししたいなと思ってて」

 

「それで、誰も気にも止めないような事を進んでやってるってことかい」

 

 男は頷く。

 

「今から何か大きなことをやるには、時間も足りないスから。そういう小さいことで、少しずつ返してこうかと」

 

「そうかい、どうもありがとう。これで納得した」

 

 さて、と露伴が踵を返す。

 

「僕はもう帰るよ。また縁があったら少し話そう」

 

 自分の死期を知った人間はどのように物事を感じ、考えるのか。露伴は男に興味を抱いた。

 

「俺も是非、ゆっくり話したいです。岸辺先生」

 

「知っていたのか」

 

 首だけを回し、露伴は彼を見据えた。

 

「ええ、勿論スよ」

 

「そうか――ちょっとこれを見てくれないか」

 

 露伴は胸ポケットからペンを取り出すと、男の顔の前にかざした。

 

「ペン、スか。これがどうか?」

 

「なに、ちょいと約束をしてもらうだけさ」

 

 

 

   *

 

 

 杜王駅に到着した電車の扉が開く。どっと車内から人が一斉に降りてきた。ちょうど会社や学校の終わる時間帯。車内もホームも、帰宅途中の人々で溢れかえっている。出掛け先の取材でインスピレーションを得て、創作意欲に掻き立てられていた露伴も、飛んで帰ってきたことに若干の後悔を感じた。予定通り一時間後の電車に乗っていれば、こんなごった煮の状況は避けられたはずだ。

 

 人の流れに身を任せ、階段を下ってホームを出る。そのまま改札を過ぎ、構内を外へ向かう。

 

 ドン

 

 何か重いものを蹴った。露伴は一瞬、前へつんのめった。体勢を立て直したところで、後ろを歩いていた人が露伴の背にぶつかる。

 

「これは――ッ」

 

 露伴を無言で睨み付け、その人が通り過ぎる。しかし露伴は、既にそれどころではなくなっていた。

 

「こいつは、この前の!」

 

 露伴の蹴った重い何か。それはこの間出会ったあの男だった。

 

「おい、大丈夫か!」

 

 男は目を見開いたまま、仰向けに倒れていた。露伴は地面に片膝をつき、彼の耳元で叫んだ。しかし返事はない。すぐに首筋の動脈に指を当て、脈を確認する。

 

「冷たい――どういうことだ」

 

 男の体からは、既に体温が奪われていた。つまり、脈が止まってから数時間は経過していることになる。

 

「この人だかりの中だぞ。何時間も人が倒れたまま放置されるわけがないじゃあないか!」

 

 今も、駅は帰宅の人々で溢れている。これだけの人の中、何故騒ぎにならない。

 

「おい!誰か手伝ってくれ!」

 

 人混みに露伴は叫んだ。

 

「一人じゃあ手が回らない!――誰でもいい!反応しろぉッ!」

 

 だが振り向く者は居ない。それどころか、視線を寄越すことさえしない。 

 

「何なんだコイツら。僕達が見えていないのか?」

 

 いっそ、ヘブンズドアーで無理やり手伝わせるか。そう思った矢先、一人の男が、人の波を掻き分けて現れた。

 

「あれ、露伴先生じゃないか」

 

 聞き覚えのある声。見覚えのある顔。

 

「天地 世命――」

 

 露伴は天地のことが嫌いだ。普段見せる、誰にでも愛想がよく馴れ馴れしい性格はムカつくし、それでいて、何か得体のしれない“裏”を持っている。そして露伴は、その“裏”を不気味に感じていた。だが、今はそうも言っていられない。せっかく現れた、助けの舟。

 

「いい所に来てくれた。救急車を呼べ!今、直ぐに!」

 

 天地が携帯を取り出す。状況をすぐに察し、手際よく動いてくれる。このあたりは、むしろ天地でいてくれて助かったかもしれない。

 

「その男性。容態はどうなんだ」

 

「既に体温はない。念のため、これから心肺蘇生を試みる。AEDも必要だ…だがクソ!なぜ誰も手助けをしないッ!」

 

 再三、人混みに向かって叫ぶ。やはり、ほんの少しばかりの反応を示す者さえいない。

 

「さっきからずっとこうだ…誰も見向きもしない。反応しない――何なんだこいつらッ 面倒事には首を突っ込まないって判断か?人命の問題だぞ――ッ」

 

 駄目だ。これ以上は意味がない。露伴は男へと視線を戻す。

 

「天地 世命、それが終わったら駅員とAEDを持ってきてくれ」

 

「分かった」

 

 露伴は男に対しヘブンズドアーを使った。

 

<死 死 死 死 死 死 死 死 死 死 …>

 

 現れたのは、延々と綴られた“死”の一文字。ヘブンズドアーで読める情報がこれだけということは、つまり――

 

「手遅れ…か」

 

 それは、その肉体がただの物質になったことを意味する。精神の、魂の抜け殻。露伴のヘブンズドアーによる命令も、こうなると抗力を発揮しない。

 心肺蘇生は試みてみよう。だが、ほんの少しの希望すらも望めそうにはない。

 

 男は幸い仰向けの格好だ。露伴は両膝を床につくと、男の胸骨の中心に掌を置いた。両手を重ね、そこに体重を乗せる。三十回程度の圧迫を終えると、露伴は一旦手を止めた。

 人工呼吸をするべきか否か――死後、体温が完全に奪われるのには、数時間から数十時間を要する。胸骨圧迫は実施してみたものの、蘇生の望みはない。人工呼吸はむしろ、露伴が感染症などのリスクに晒される心配もある。

 

 露伴はもう一度男の記憶を読んだ。

 

<死 死 死 死 死 死 死 死 死 死 …>

 

 変化はない。一瞬の逡巡の後に、露伴は蘇生を断念した。天地はいつの間にか姿を消していた。救急車を呼び、駅員とAEDを取りに行ったのだろう。

 

 露伴は男を観察した。特に苦しんだりした形跡もなさそうだ。その場で、バタリと倒れたようだ。右手にはコンビニのビニール袋。中身は。何か物を買ったのか?それとも。露伴は内容物を確認する。

 

「やはりゴミか」

 

 出会ったあの日、露伴の前でもそうしていたように、袋の中には十数個のゴミが入っていた。ペットボトルや缶、タバコの吸い殻まである。

 

「残念だ。こんなことをできる人間が、今の社会に、いったいどれくらいいるのか」

 

 男へと視線を動かす。その目が、彼の顔で止まった。

 

 男の口の中から、ゾロゾロと何かが這い出て来た。

 

「虫、いや――蛙?」

 

 数えると、十匹は超える数がいる。体長が小指の先ほどの、黒色の小さな“蛙”。世界最小のカエルは8mm程度だが、それくらいの大きさだ。だが、カエルにしては形が歪だった。体長に対し胴の幅が細く、手足が体に比べ長かった。全体的に細長いシルエットは、カエルというよりも、ゴミムシやカミキリムシなどの甲虫に近かった。

 

「何だ、この生き物は――見たことがないぞ」

 

 好奇心の塊、知識魔である露伴といっても、各分野に深く精通しているわけではない。だから知らない生物がこの世に存在することは不思議でないし、むしろそのような存在について知りたいと、露伴は思っている。だがこの日本の、しかも地元に自分の知らない生物が存在する。露伴にとってそれは不思議だった。

 

「新種か?」

 

 本当にこれまで未発見の生物だったか、それとも外来種か。この二択だ。

 

 不自然に放置された男の遺体。その彼の口から出てきた、この“蛙”。

 

「何か、関連があるはずだ」

 

 露伴の血が騒がないはずがなかった。

 

「知りたい」

 

 こいつらは一体どんな生き物で、どのような生態なのか。何故、男の口から出てきた――

 

「ヘブンズドアー!」

 

 露伴は、一匹に能力を発動させた。“天国への扉(ヘブンズドアー)”が開かれる。

 

<食>

 

 そんな文字が飛び込んできた。

 

 ヘブンズドアーは、対象の体験や記憶を露伴の知る言語情報に変換させる。しかしそれは万物に有効というわけではない。勿論遺体には効かないし、相手の知能程度が低い場合もうまく発動しないときがある。つまり相手が“記憶”を持たない、持っていたとしてもごく少ない容量しかないとき、情報は非常に簡素なものになる。

 

 この“蛙”も、知能はほぼ持ち合わせていないようだ。読み取れる情報は“食”の一字のみ。

 

「こいつらの思考はつまり今、“食”一色というわけだ。こいつらは今――」

 

 十数匹の群れが、露伴に向かって男の上を這う。

 

「“餌”を欲している!そしてその“餌”とは!」

 

 男の胸のあたりまでやってきた“蛙”達が、露伴めがけ一斉に跳ねた。

 

「対象は今、僕に向いたッ‼」

 

十数匹に対し、ヘブンズドアーを発動させる。だが能力は発動したものの、一匹たりとも動きを止めることはなく、露伴の腕に飛び付いた。全ての“蛙”の、全ての文字が“食”だ。

 

 振り落とそうと、露伴が腕を挙げる。

 

「なっ」

 

 それだけで、あっさりと“蛙”の群れは床に落ちた。予想外の出来事に露伴は気の抜けた声を漏らした。露伴はしかし、直ぐに状況を理解する。“蛙”達は落とされたのではない。自ら落ちたのだ。

 

「既に用は果たした、というわけか」

 

 “食”の文字が次々と消えていく。そして消えた箇所に、新しく文字が現れた。

 

「“存在感”――こうもはっきり示してくれるとはな…」

 

 冷や汗が頬を伝う。

 

「露伴先生!」

 

 天地が駅員を連れて戻ってくる。露伴は二人を一瞥すると足元の“蛙”に視線を戻し、そして確証を得た。

 

「やはり、文字が“食”に戻ったな」

 

 “蛙”が一斉に天地達の方を向く。

 

「こいつらの“餌”は文字通り“存在感”だ。そして今の標的はおそらく二人。なら!」

 

 露伴は男の握っていたビニール袋をひったくるようにして取ると、中のゴミを全て床へ打ち捨てた。

 

「こいつらは、二人に向かって一斉に跳ねる!」

 

 “蛙”が天地達に向かって跳ねた。露伴は両手を使い袋の口を大きく開くと、跳ねた“蛙”を全て袋に包んだ。

 

「捕獲した」

 

「露伴先生――何を…」

 

 突然の露伴の行動に天地が戸惑う。それを尻目に、露伴は袋の口をキツく縛った。

 

 救急車のサイレンが聞こえた。駅員が対応のために駆けていく。突然の救急車に周囲は騒いだ。だがやはり、露伴達の様子に気付く者はいない。

 

「先生、その袋は――何があったんだ」

 

「少し黙っててくれ」

 

 露伴は考えを巡らせた。男の死因はおそらくこの“蛙”だ。“存在感”を食われた。食い尽くされて死んだ。だから駅で死んだまま長時間、誰にも見付からなかった。“存在感”がなかったからだ。では男は“存在感”を食われて死んだのに、何故同じように“存在感”を食われたはずの自分は無事なのか。

 

「おそらくだが、“蛙”が一度に食う“存在感”の量はそれほどではない。だから、僕からすぐに離れたし、僕は死んでもいない。彼はきっと長い間、何度も何度も食われていたに違いない。その原因はきっと――」

 

 床にぶちまけたゴミを、露伴は眺めた。

 

「“存在感”のない、町に捨てられたゴミ――気付く者は少ない。そして稀に現れる、それらのゴミに気付き、触れた者。その者達から“存在感”を得る」

 

 だから露伴もこの“蛙”の存在を知らなかった。彼らはひっそりと、食物連鎖の陰で生きているのだ。

 

「だから“餌”が“存在感”なんだ。住み処が分からなければ、外敵に認知されない。他の種と触れ合う機会も少ないから、生態系が崩れることもない」

 

 そうやってバランスを取っているのだ。

 

 だが彼は違った。男を見下ろす。

 

 彼は気付けてしまった。自然の隅にひっそりと住む、それらに。“蛙”達からしたら、彼のような人間は恰好の“餌”に違いない。

 

「なあ天地 世命」

 

 背中の天地に露伴は問いかける。

 

「真面目な奴が損をする、って言うことあるよな。あれ、どう思う」

 

「いきなりどうしたんだ」

 

 それには露伴は答えない。

 

「今の世の中のことを言いたいのか?そんな風刺めいたことを先生が言うとは思わなかったが――まあ、気持ちのいいものではないが。かといって、どうしようもないだろうな。それに」

 

 露伴の様子を窺いながらも、天地は続ける。

 

「真面目なだけで生きていけるほど、世界は甘くないんじゃないのか。狡猾さは持ち合わせておくべきだと、俺は思うぞ。自然界だってそうだろ」

 

 どうかしたのかと、再度天地が尋ね返す。

 

「何でもない。目の前でそれをされてムカついたってだけだ」

 

 露伴は何かを振り切るように、勢い良く立ち上がった。

 

 

 

 帰り道、道端に転がる空き缶を見つけると、露伴はその上で、ビニール袋を開いた。それをひっくり返し、中の“蛙”を道に逃がす。どのみち、この数を処分したところで意味はない。

 

 十数匹が、思い思いに散る。露伴は空き缶を拾おうと手を伸ばし、途中でその手を止めた。脳裏に、一つの違和感が浮かんだ。

 

「――何か見落としてないか」

 

 “蛙”については結論がついたはずだ。だが何か一つ、大きな違和感がある。

 

「あの“蛙”は“存在感”を食べる生物。彼は“存在感”を食われて死に、誰にも気付かれず、長時間――――そして僕が気付いた。それから――」

 

 何故

 

「何故誰も、僕の訴えに反応しなかった――?」

 

 反射的に、露伴は空き缶から手を引っ込めた。道に戻る。

 

「寒の戻りか?これじゃあ、カエルなんかもあとしばらくは冬眠してそうだな」

 

 背筋に寒さを感じ、露伴は肩を震わせた。

 

 

 冷たい夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 最後までお読みいただきありがとうございます。

 少し余裕ができてきたので、これからは活動報告とかTwitterとか、ちょっとずつ活発にしてこうかなと思ってます。

 で、ちょっと気になったんですが。この「後書き」、他にも「前書き」もあるんですが、物語を読む前に苦労話とか次の更新予定とか話されても困るかなと思って「後書き」で書いてるんですよ。ただ「後書き」も場合によっては物語の余韻を壊しかねないなぁと思ってて、結局どっちがいいのかなぁと。読者の皆さんはどっちがいいですか?「前書き」と「後書き」

 流石にこれだけ冗長に書くようなら「後書き」なのかなぁ。こういう話を活動報告の方でするって手もありかもですね。

 あと自分Twitterもやってるんですが、そっちとこのサイトとで名義が違うんですよね。詳しいことはこっちの活動報告に載せます。

  →https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=214117&uid=208952


とりあえず聞きたいのは、「前書き」と「後書き」どちらがいいですか?ということと、今使ってる「谷矢 双志郎」。変えてもいいですか?ということです。

 
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