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西住みほ達あんこうチームの五人は黒森峰学園艦を訪れていた。
決勝を終えてみほと黒森峰の確執(と言える物かはともかくとして)が解消され、勝利して優勝したもののまだ正統な実力が備わっていない学校と決勝で敗退したものの王道的で基本的な戦法と非常に高い錬度を保っている学校との親睦的な交流会を目的としたものである。
と言ってもこの目的は虚ではないが、目的の為に方法が採られたのではなく、実際にはまず方法を前提としてそれを成立させる為に後付として目的が作られたのだ。
その過程はこうである。
まずあんこうの四人は戦車喫茶での経緯と、転校直後の戦車道と前学校に対するみほの言葉を聞いて、黒森峰からみほは排斥されていたと思っていた。
ところが決勝開始前のとある黒森峰生徒のみほへの気持ちの告白と親愛が込められた感謝と、決勝後の他の黒森峰生徒の様子にみほを慕う様子を見てそうではないと理解したのだ。
そもそも転校直後のまだ交流が少ない時ですら一体どの様にすればこの人の悪意とは無縁そうな少女を嫌えるのか不思議であったし、それは数ヶ月共にすれば疑問から断定に変わるのも当然であった。
そして当の本人もまた前校の黒森峰に何らかの感情を抱いているのは明白であった。
そこで四人は密かに黒森峰の隊長でもあり、みほの実姉である西住まほと連絡を取り合ってこの企画を実現させた。
詰る所、黒森峰の事を気にかけつつも顔を出しづらいであろうみほに黒森峰に出向く何らかの理由付けを行ったのだ。
もし、みほが真実心の底から黒森峰に行きたくないのであればこれは余計な御節介であったであろうが、みほにしても何らかの切欠を欲しがっていたのだからこれは四人の行動が功を奏した形になるだろう。
「懐かしいなぁ…」
学園艦を見回しながらタラップを上り、みほは独り言ちた。
ここを離れて半年程である筈なのに、その経緯とこれまでの様々な出来事がみほに深い郷愁を感じさせていた。
「本当に大きいよねぇ。プラウダのも大きかったけれどそれよりも大きいんでしょ?」
「そうですねプラウダのキエフ級重航空巡洋艦よりも黒森峰のグラーフ・ツェッペリンの方が大きいですね。
大洗と比較すると甲板だけでも四倍近くありますから、総体積や排水量はもっとすごい事になりますよ」
感心したように洩らす武部沙織に秋山優花里が何時もの様に薀蓄を披露した。
優花里があの黒森峰学園艦に足を踏み入れる事に興奮しているのは当然として、他の3人も大洗以外の学園艦は余りしらず、国内でも有数の規模を誇る黒森峰学園艦を多少なりとも楽しみにしていたのだ。
タラップを登りきると、そこには逸見エリカと他の数名の生徒がみほ達の出迎えに来ていた。
「ようこそ…黒森峰女学院へ……。よくもおめおめと顔を出せたわね元服隊長」
「あ、エリ…逸見さん……。その…」
「冗談よ。歓迎するわ」
少し前までならこの言い様に四人は戦車喫茶での時の様にいきり立っていたであろう。
しかし、不器用かつ素直ではないエリカの心境を知ってしまえばこの対応にもなんと下手糞なんだろう…と呆れるだけであった。
実際にエリカの言葉に俯いたみほの姿に一番動揺したのはエリカ自身であったし、慌てて冗談だと言いながらもみほから苗字呼びされた事に不服そうで悲しそうな表情を浮かべたのはこの場にいる誰もが明らかであった……みほを除いてだが。
それに関してはあんこうの四人も後ろに控えていた黒森峰の生徒も(それなら元服隊長なんて呼ばないで名前で呼べばいいのに…)と心中を一致させていたが少なくともこの場において其れを口に出すものはいなかった。
「それに…一番あなたに会いたかった子がお待ちかねよ」
そういうなり二つの大きな影がエリカの傍をすり抜けて飛び掛っていった。
「み、みぽりん!?」
沙織の悲鳴にも似たような声が場を満たすが、そんな事はお構いなしと影はみほに圧し掛かり、その勢いでみほは後ろにゆっくりとではあるが倒れこんでしまった。
「わぁ!ヴィットマンにカリウス!久しぶりだね」
その二つの影は何と大きな虎であった。
しかし、猛獣である筈の虎二頭に圧し掛かられたにも関わらず、みほは笑いながら舐められ、虎の頭を撫でていた。
「みぽりん!危ないよ!早く離れないと!」
この異常事態に頭がついていけてないのか混乱している中でそれでも友人の安否を気遣った沙織が声をあげる。
それを受けてみほは二頭の顎の下を撫でながら笑った。
「大丈夫だよ。この子達は…私の大事な家族だから……」
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西住の家には遥か昔から虎を飼う風習がある。
その風習を辿ると18世紀の肥後熊本藩おいて西住流騎射道が成立した時まで遡る事が出来る。
即ち、西住の家は少なくとも西住流という流派の創立時から虎と縁があった事になり、しかもこれは正確に辿れる範囲内での記録であって、実際には其れ以前の元となった家では遥か昔からその風習があったそうだ。
その繋がりは深く、西住の人間にとって虎は最も信頼できる従者でもあり友人でもあり家族でもあり戦友でもあった。
江戸時代において日本で虎が見世物として好評になっても、西住家は一貫としてその姿勢は崩さなかった。
一例として幕府の徳川の名に連ねる者が最近町で話題になっている虎が欲しくなり、しかもそこ等の様な檻越しでの飼育ではなく、西住の放し飼いをしていても主人を襲わないという虎に目をつけた事があった。
言って見れば流行に乗った上で更に一風変わった物が欲しくなったのだ。
少なくとも彼の者は目的から考えれば目の付け所は間違っていなかった。
もし実際にそれが叶っていれば江戸中の注目の的になるであろうし、虎を同伴して歩いて見せるだけで七十五日は話題を独占できただろう。
また行動力という点でも使者を送って要請するのではなく、御自ら出向いたのだから評価されるべきであろう。
だが、当然ながらその様な事は西住家から了承されるはずもなく、返事は竹を割ったような率直さで「否」の一言であった。
これに驚いたのは彼の者である。
何せこの時代に徳川に名を連ねる者というのは言って見れば支配者の親近者である。
そんなお方が態々日本の端である九州まできて"頼み"に来たというのにこのような対応を取られるとは思ってもいなかったのだ。
ここで彼の者は更に一歩譲り、より言葉を重ねて再び要請をした所、今度はより真摯な返答が帰ってきた。
「お断り申す」
何と一文字から五文字に増えたのだ。
流石にこれには彼の者も激昂し、立ち上がっては罵詈雑言を西住方にぶつけた。
これを西住方は一切の怒性を見せず、通り過ぎる風の如く受け流していたのだが
「たかが畜生の一匹を!」
この台詞を発言した瞬間に今まで山の如く不動であり林の如く静かであった西住方は静から火の如く勢いが有り風の如く素早く動へと転じ、
そのあまりの差異から何が起こったのかも解らせぬままに一太刀で彼の者の首を跳ね落としたと伝えられる。
当然の様に問題になったが、様々な要素が絡みこれはお咎め無しとなった。
まず、西住家は九州では士農工商から人望があった。
特に西住の虎の信望は凄まじく、領内において実質的に放し飼いされていたが、決して領民を襲う事はなかったのだ。
それ所か農村等にとって死活問題である害獣の駆除や、更には盗賊の類の討伐すらしており、人間の兵士よりもよっぽど頼れる存在であった。
元々、信心深いこの時代では狐や犬や狼などと言った様に獣を神と捉える例は幾らでもある。
ましてや身近にあって直接的に利益をもたらすとなれば神獣と崇められるまでにそう時間はかからなかったのも当然であった。
虎が通りがかれば人々は道を譲って手を揃えで拝み、軒先に居座れば縁起が良いとされ大事に世話されたそうだ。
この様に長い歴史を通じて西住の虎は守り神として大事にされていた。
また農民にとどまらず武士からも人気が高かった。
竜虎という表現がある様に、虎は勇猛さだとか強者だとかの象徴といえる。
軍馬もそうであるが共に戦う動物は武士にとって重要な相棒である。
ましてや験を担ぎ迷信を尊重する者達だ。
神の使いとされている西住の虎に悪感情を向ける者など存在しなかった。
その中でも特に好意的だったのが薩摩藩である。
詰る所、西住は九州全体とその中心であった存在に対して影響力のある家であり、虎の件は何れからも「致し方無し」と西住が支持され、横暴な要求をした幕府を非難する傾向にあった。
特に薩摩藩の存在が徳川幕府を及び腰にさせた。
天正十五年に豊臣秀吉と徳川家康という両雄が組んで三十万を越す兵力で島津征伐に向かうも、ついに其れを破る事が出来なかった。
ここから徳川家康は天下を取って島津を臣家としても恐れ、直々に使者を出し、薩摩は島津家の領土であり、徳川からは一切干渉しないという制約を出したという。
そして島津家は獅子であるから慎重に当たれと代々伝えられていった。
そういった事から今回の件は有耶無耶の内に不問とされていったのだ。
その後に文久元年に猛獣見世物禁止令が出されても、当然ながら西住はまるで知った事ではないといった風であった。
そして近代で後のドイツであるプロイセンと親交を深め、一次世界大戦後に興された戦車道において厚遇した元捕虜のドイツ人の協力の元で黒森峰女学園が創立された。
かかるように西住流戦車道とドイツは深い関係にあり、そしてドイツの主力戦車(MBTの意味ではなく)の名が「虎」であった事から両者は深い奇縁を感じ更に仲を深めた。
そして今現在も西住流を象徴する戦車といえばティーガーであり、つまり虎は西住流を象徴する存在でもあった。
長々となったが詰る所、西住にとって虎というのはそいういうものである、
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我輩は虎である。名はまだ無い。
と、濡れ縁に寝そべるこの大きな白い虎が言ったかは定かではない。
いや、言ってないに決まっているだろう。
何故ならこの虎には「ヴィットマン」という名前があるのだから。
昔は西住の虎には当然ながら「~吉」だとか「~~太郎」だとかそういった和風の名前がつけられていた。
しかし、ドイツとの交流の元で戦車道を確立してからは、西住流にとって重要な車輌である「ティーガー」に習ってドイツ風の名前がつけられる事を慣習としていた。
その中でも特にそのティーガーに登場したドイツ軍人から取る事を尊び、このヴィットマンの名前も世界大戦で戦車撃破数138輌を誇る有名な戦車兵のミハエル・ヴィットマンに因んでいる。
かの偉大な英雄の名をつけられたこの虎はその名に相応しい勇猛さを見る者に抱かせていた。
その虎も今は日向ぼっこを楽しむように日光をその全身に受けながら気持ち良さそうに目を閉じて微睡んでいた。
「ヴィットマン」
ところが彼の名が呼ばれた瞬間に彼は其れまでの文字通りの眠れる虎から瞬時に体を起こした。
普段ならば目を開けて視線を寄越すだけであっただろうが、賢い彼はその呼びかけの声色に何か用件を命じるであろう事を悟ったからだ。
西住家の当主である西住しほは相も変わらずに自分に忠実なこの長年の友に対して表情を崩さずに、しかしそれでいて優しげに背から頭まで撫でてから言った。
「ヴィットマン、私はしばし用事でまほをつれて家を留守にします。
その間、みほを頼んだわよ」
見ればその腕の中に一人の幼児がいた。
通常の価値観で言えばやっと頭が座り始めた幼児の世話を猛獣である虎に頼むなど正気の沙汰では無いだろう。
だが、この地ではそんな常識は通用しないし、この虎もまた通常の虎ではなかった。
忠実かつ賢明なヴィットマンはそこらの人間よりもよっぽど自分の愛娘を預けるに値する相手であったのだから。
ところが、そのしほの命令には忠実な筈のヴィットマンは器用な事に若干の苦々しげな表情を浮かべた。
何せヴィットマンは長女であるまほも次女であるみほも共に生まれた時から知っているし、何度も面倒を見てきた相手である。
姉であるまほは幼児の頃から成熟していた。
大人しいだとかとは少し違い、幼児に対する評価としては些か異ではあるが、道理を弁えているという評価が適しているといった感じである。
一方で妹であるみほ赤子の頃から活発でやんちゃでともかくヴィットマンの手を焼かせたのだ。
ある意味では非常に大人しくそして懐深く忍耐も深い彼が手を焼くのだから大した者である。
姉もそうであったがみほは其れに更に輪をかけてヴィットマンを恐れなかった。
如何に西住の者でも生まれて間もない頃に自分の大きさより大きな頭を持つ猛獣には怖がるのが殆どである。
しかし、みほは赤ん坊の頃から恐れる事無くヴィットマンに懐いており、毛や髭を引っ張ったり、ペシペシとパンチを繰り出したり、手足の肉球を執拗に触ったり、口を開かせてその鋭い牙を興味津々に触ったりしたものであった。
少し成長すれば今度は姿を見かければ拙い移動手段で全力で近寄ってはもたれかかったり圧し掛かったりとやりたい放題するのだ。
尤も、それを見て西住の親族は愉快そうに笑いながら「これは将来が楽しみだ」と零すのだが。
だがそれもみほが移動できる様になるとそれまでは遥かに楽であったのだと実感する事になるのだ。
みほは自分で歩けるようになると更に元気さと活発さを爆発させたかの様に好奇心を満たしていった。
其れによって少し目を離した瞬間に何処かに姿を消し、そして無茶無謀を行ってはこの勇猛で恐れ知らずである筈の彼の肝を冷やすのだ。
「それでは宜しく頼むわ」
そんなヴィットマンの心中を知ってか知らずか、どちらにしてもさほど気にも留めずにヴィットマンの傍にみほを降ろすとさっさと行ってしまったのだ。
そうして残されたみほは「うぃっとまん うぃっとまん」と舌足らずに彼の名を呼びながらすかさず首に手を回して抱きついてきた。
このまま自分を遊具としてくれれば問題は無い。
そう思ったのかヴィットマンはみほが飽きないように必死に相手をした。
撫でられればゴロゴロと喉を鳴らし、しっぽに触ろうとすれば猫じゃらしの様にピョコピョコ動かし、手を出してくればそこに前足を重ねたりした。
しばらくはそうして遊んでいたみほだが、この移り気なお姫様がそれで満足する訳ではないのは解りきった事である。
ヴィットマンの柔らかなお腹を弄んでいた彼女はやおら立ち上がるとトコトコと部屋から出て行った。
当然だが目を離すと何をしでかすか解らないのでヴィットマンもついていく。
以前、服を軽く噛んで無理に引き止めようとした所、凄まじい勢いで泣き、手がつけられないほど暴れたので諦めた事があったのだ。
ともかくも我侭でお転婆なこのお姫様にはひたすら付き合うしかないのだ。
幼児特有の無意味な移り気の結果かみほは特に目的もなく家の中を彷徨っていた。
そして目に付いた部屋に入ると棚の上に乗っている金属製の戦車の置物に目をつけた。
背と手を伸ばしても届かないそれを何とか取ろうとするみほの姿にヴィットマンは嫌な予感を感じていた。
ついに辛抱たまらなくなったみほはついに拙いながらも足腰に力を込めてジャンプをして置物に手を届かせた。
そして見事にそれを引き寄せ、棚から半身を除かせたそれはぐらりと傾いた。
これを見て機を見るなり敏であるヴィットマンはその鋭敏な反射神経をもってみほを軽くだが押すように突き飛ばした。
そしてみほが位置に割り込む形にになったヴィットマンの胴体に金属の塊が落下した。
「ギャンッ!」
これにはヴィットマンも溜まらず喚いてしまった。
怪我といった損傷は無いが、如何に頑健な肉体を誇るとはいえ痛みまでも感じない訳ではない。
「グルゥゥ」
そこらの動物のように暴れないのは流石であったが、痛みを堪える様に唸り声を出しながらその場に伏せた。
無論、暴れないのは傍にみほがいるからだ。
この巨体で無秩序に暴れれば彼女に危険が及んでしまう。
「うぃっとまん?」
低い声で唸り続ける虎なとという常人ならば決して近寄りたくない存在にみほは立ち上がるとてくてくと近づいてヴィットマンの置物が当たった箇所をそっと優しく撫でた。
「ありがとうね、うぃっとまん。いたいのいたいのとんでけー」
みほはかつて自分が母や姉や菊代にされたようにヴィットマンの痛みを和らげようとした。
我侭で気ままではあるが、同時に心優しい子供でもあるのだ。
小さいが柔らかで暖かい手がヴィットマンの背を撫でる度に、痛覚が触感で誤魔化されていき、痛みが和らいでくる。
それにヴィットマン自身もこうしてみほに撫でられるのは気持ちが良く好きなのだ。
十分痛みが消えるとそれを伝えるかのようにみほの頬を猫科特有のざらつく舌で幼児の肌に傷つかないように優しく舐める。
その意図を正確に察したのかみほは「えへへ」と笑った。
その後もヴィットマンの受難は続いた。
まず庭に出ようとして縁から降りようとして危うく頭から地面に落ちそうになったところを何とか自分の体で受け止めたり、池を身を乗り出して眺めているみほが水の中に落ちそうになって慌てて引き戻したら自分が水中に落ちてしまったり、ともかくヴィットマンの苦労は絶えなかった。
そうしたアクティブな遊びに対して湧き出る活力は幼児特有のものであったが、同時に体が眠りを欲しやすいというのも幼児特有であった。
遊びつかれたのか次第にみほは頭をこっくりと動かし始め、目もとろんとしてきた。
この状態で好きに行動させるのも危ないのは間違いないし、これ幸いにとヴィットマンはみほの背の上の方を優しく牙を立てないように口に咥えると、親猫が子猫を運ぶように持ち上げた。
みほもこの姿勢は気に入ったのかそれともただ眠いのかそのまま受け入れて四肢をだらんとぶら下げられながら大人しく運ばれていった。
この時のリズム良い振動が落ち着いたのか、ヴィットマンが部屋にみほを連れて来る頃にはみほはすっかり夢の中であった。
ヴィットマンがやはり優しく横にすると、ブランケットを加えて持ってきて足先が出ないように気をつけながらそれをかけてやった。
大役を何とかこなした安心感もあってか、それとも気苦労が耐えなかったからかヴィットマンも疲れから眠気が襲ってきていた。
気持ち良さそうに眠るみほの傍に伏せて横たわると同じ様に夢の中へと落ちていった。
普段なら目を離すと何処に行くか解らないお姫様だが、この時だけは安心して寝られるのだ。
何故ならこのお姫様は目が覚めて起き上がる時はまず最初に自分の忠実な相棒の名を呼びながらぺしぺしと叩いて起こすのだから……。
しばらくしてみほは夢の中から浮上した。
と言っても少しだけ意識を取り戻しただけでまだ眠く、直ぐにまた眠りの世界に行く事は確実だろう。
だが、みほは眠り直す前に一つだけ行動を起こそうとした。
自分にかかっているブランケットを傍で寝ているヴィットマンに拙いながらも足先から肩まで包み込むようにかけてあげるのだ。
実際には自分よりも遥かに大きい虎の全身を包む事はできず、足も肩も出ているという中途半端なかけ方になってしまったがみほは満足した。
しかし、そうすると今度は自分が寒くなってしまう。
そこでみほは……。
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井手上菊代は主のいないこの屋敷で使用人を纏める家政婦長即ちハウス・キーパーまたはハウス・スチュワードともいえる存在であった。
家事だけではなく"家"を主に変わって守る立場でもあるのだからその次代の世話も彼女の重要な役目であった。
しかし、この家の可愛いお嬢様には優秀なナニーでもありヴァレットでもある存在が傍にいる。
故に主がいない時でも菊代が常に見ている必要は無いのだ。
とは言っても完全に放置するわけには行かないので時々様子を見に行く事はある。
「…お嬢様いらっしゃいますか?
入りますよ……まぁ…」
そうしてみほがいるであろう部屋を覗くと菊代は顔を綻ばせた。
そこには少し乱れたブランケットがかけられたヴィットマンがおり、そしてみほがその短い手足を丸めてその柔らかいお腹の中に身を埋めて寝ていた。
ヴィットマンもその四本足でまるで抱え込むようにみほを抱いており、まるで親猫が子猫を抱きしめているようだった。
「何て可愛らしい…」
そういいながら起こさぬように携帯電話を取り出してスピーカー部を手で押さえながら写真を取った。
この写真を見れば最近仕事が重なって疲れが溜まり、娘と触れ合える機会が少ないと愚痴を零していた主も少しは疲れが癒えるだろう。
手早くメールに添付して送った後、ブランケットよりもっと大きな二人を包む十分な余裕のある毛布を持ってきて優しくかけてあげた。
「ん…うぃっとまん……」
「…ぐるる」
互いに互いの存在を呼び合っているような寝言に再び菊代は破顔した。
家の者から見ればヴィットマンに一番懐いているのはみほであるのは当然であるが、そのヴィットマンが一番懐いているのもみほであるのも一目瞭然であった。
みほと同時期に生まれたカリウスはまるでみほの弟の様であるが、ヴィットマンは妹か娘を心配して溺愛している兄か父親の様である。
菊代はそっと静かに退室して、襖を閉めた。
襖が閉められる事によって二人を照らしていた廊下の光源は徐々にその幅を狭め、ついに二人の丁度中央にて消えた。
そして薄暗い部屋の中で二人は何となしにその手足に力を籠めたのだ。
……まるでずっと一緒だと。絶対に離れないという意思を示すように…。
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その後、みほが進学して学園艦に移る時になっても虎達はついてきた。
西住流と縁が深い黒森峰学院では西住の者が入学してくる時に起こる、言わば一定周期毎の伝統であると承知していたからこれは特に問題はなく、むしろ間隔こそ長いものの遥か昔からの通例であった。
尤も西住についてあまり詳しくない一般生徒は極普通に闊歩している虎を見ては驚く事もある種の伝統行事となっていたが。
つまり、虎と西住は家から離れてもかつて無意識に誓っていたように常に一緒にいれたのだ。
みほにとってヴィットマンもカリウスも常に傍にいてくれる大事で最も信用の置ける従者でもあり友人でもあり家族でもあり戦友でもあった。
…そう、あの決勝戦での出来事が起きてみほが黒森峰から離れるまでは……。
その日から黒森峰女学院学園艦では時々切なそうな二頭の虎の鳴き声が聞こえる様になるのだという。