特殊災害対策機動部二課。
翼の案内で廊下を歩いていくクリス、マリア、ミライ。本来ならもっとこう、見覚えばかりの不思議な感覚に襲われるものだと思っていたのだが、まるでそんな感覚は無い。
と言うかそんな暇がない。何故ならば──
「そこがトレーニングルームで、すぐ隣がシャワールームになってんだッ! おっと、流石にこっちは女性用だから兄ちゃんはあっちの使ってくれよなッ! それでそれで……」
翼が猛烈に喋るからだ。
聞かれていることもいないこともなんでもかんでも。機密と抵触していないのだろうかと逆に不安になる三人を尻目に、翼はどんどん歩いていく。
彼女を追っていくと、やがて見覚えのある鋼鉄の扉に行き付いた。そこは紛れもなく……。
「指令室、到着だッ!」
鋼鉄の扉が開き、多くの電算システムで埋め尽くされた空間が広がる。席に座っていたのは見慣れたオペレーターたちと、黒いスーツを着た男。三人は即座にそれを風鳴弦十郎と思ったが、翼から出たのは別の言葉だった。
「たっだいまーッ!
「おかえりなさい、翼さん。お疲れ様でした」
立ち上がり振り向いた男は、やや角ばった精鍛な顔付きと、肩まで伸ばした後ろ髪を結び整えている男性。柔和な笑顔で三人を見る彼は、風鳴弦十郎ではなかった。
「はじめまして。私は特殊災害対策機動部二課の司令官を務めさせていただいています、『風鳴 九皐(かざなり くさつき)』と申します。
この度はノイズ掃討と民間人の避難に協力いただきありがとうございます」
「お、オッサンじゃない……ッ!?」
「ははは、そんなお世辞を。私ももうそう言われてもおかしくない歳ですよ」
「す、すいません、そういう意味では……。その、先ずは快くお招きいただき、ありがとうございます」
「いえ、装者であれば可能な限り協力体制を取った方が良いですからね。しかし同時に、貴方たちには不可解な点があります。それについて聴かせていただくべきだと思いましてね」
九皐の眼が鋭く光る。一瞬気圧されたクリスとマリアは、その眼力に風鳴の血のようなものを感じ取っていた。
だがこちらの目的は彼らと敵対することではない。それを心に詰め直し、マリアが自分たちのことを話し始めた。
簡単な自己紹介を終えたあとはすぐに本題……完全聖遺物ギャラルホルンの鳴動と、並行世界の異変の調査でこの場に訪れたと伝える。決して敵対したり、この世界に混乱を引き起こすような真似はしないとも。
「……なるほど。一先ずは貴方たちの話は、そのままの意味で把握させていただきました」
「全面的には信用してくれないという事ね。懸命だわ」
「流石にそのお話は拍子が突き抜け過ぎていますしね」
「それは、そちらの世界では特に異常は起きていないと取っても良いのでしょうか?」
「ご想像にお任せします。ただ言えるのは、貴方たちの言う漆黒のノイズや巨大怪獣、不審な黒ずくめの男の目撃報告は上がっておりません」
柔和な言い方なれど毅然とした断定を以て言葉を返した九皐。そんな彼を、マリアは”食えない男”と思考の中で形容した。言葉の差し筋が全て読まれているような、そんな錯覚までさせられる。
次はどんな言葉で情報を引き出すかと、表情崩さぬ心理の指し合いを高速で繰り返すマリア。だがその打ち合いを止めるかのように、扉が開き一人の男が入って来た。
ワインレッドのワイシャツと、その上に白衣を纏った偉丈夫──それはマリアやクリス、ミライもよく知る人物、風鳴弦十郎だった。
「九皐兄貴ッ! 新しいシンフォギア装者が来たんだってッ!?」
「弦おじさんッ!」
「弦……お前には先日永田町に送られたモノの調査を頼んでいたはずだが?」
「そいつはバッチリ終わらせてきたさ。今のところアレが自力で活性化するなんてことは起きんよ。
それよりも君たちか、他所から来たシンフォギア装者と言うのはッ!」
目を輝かせながらマリアたちに歩み寄る弦十郎。友好の印である握手をするべく差し出した手を、クリスとマリアは固い笑顔で、ミライは変わらず純朴な笑顔で握り返していった。
「マリア・カデンツァヴナ・イヴ、です」
「あー……雪音、クリスだ」
「ヒビノ・ミライですッ! よろしくお願いしますッ! 僕は装者ではないですが、お二人の仲間ですッ!」
「俺は風鳴弦十郎ッ! 九皐司令の弟で、二課の技術部門を統括しているんだ」
「弦おじさんもスゲーんだぜッ! 了子さんの代わりにギアのメンテとかよく分からない便利アイテムとか色々作ってくれるんだッ!」
「代わりと言っても、まだまだ了子くんの後釜にはなれんがな。まったく、無謀難解な宿題を遺してくれたもんだ」
よく喋りよく笑う。普段見る弦十郎より明るさが増しているように、クリスもマリアも感じられていた。もしくは、”司令”という重責の存在しない彼の素の部分は、こういった人柄なのかとも。
「さて、個人的興味で恐縮だが君たちのギアに付いて聴かせてほしいのだが……」
「ああ、それぐらいなら──」
思わず二つ返事で了承してしまおうとするクリスの口を押え、マリアが言葉を改める。瞬時に判断したこの好機、悪手を指すわけにはいかない。
「構わないですが、代わりに条件を付けさせていただきます。条件はそちら側の情報の開示と、私たちが明確にそちらへの敵対行動を行わない限り行動制限をかけないこと。
対価に当たるは私たちのシンフォギアのデータ。聖遺物学術と科学技術の集大成たる櫻井理論の結晶……その秘匿性、機密性は貴方がたもよくご存じのはず。であれば──」
「よし乗ったッ! 無論何もかもとは言えんが、答えられる範囲であれば何でも答えよう。なぁ九皐兄貴ッ!」
「弦……だからお前は、そうやって勝手に話を進めるんじゃない……」
慎重さの無い弦十郎の二つ返事に呆れた溜め息を吐くものの、九皐は改めてマリアたちに向かい合って話を始めていった。
「……私の見解を述べさせてもらいます。
並行世界……君たちは時空を跨ぎ並列する別世界から来たと言いました。だがそれは容易く信じられる話ではない。それぐらいは君たちも理解していると思いたいですけどね」
「ん、まぁ確かに……」
「我々も知るシンフォギアという兵装、だが我々の知らない聖遺物で作られたモノを纏う見知らぬ装者たち。そしてノイズを砕く携行銃器を持つ青年。警戒せざるを得ない状況です。君たちは正に、得体の知れぬ者たちなのだから。
だが君たちの行動は、間違いなく人を救い、人の命を守る為に行われたものだという事も理解はしました。だがそれは、我々を騙す手口なのかもしれないですけどね」
「そんな、僕たちは──」
「”そんな事をするはずがない”。決まり文句です。それを信じるのも信じないのもこちらの裁量一つだというのに。
そして君たちは、翼さんと一緒にここまでやってきた。お互いの喉元に食らいつける、まるで”相入玉”のように。何故そのような判断を?」
「私たちは彼女を信じたからです。私たちの世界にも”風鳴翼”は存在する。こちらの彼女とは性格や戦い方、考え方や歩んできた歴史は違えど、奏でる歌は紛れもなく”風鳴翼”だと判断し、その歌を信じようと思いました。
それにこれは勝負ではない。目的を為すための駆け引きではあれど、私たちはそちらと刃を交えるつもりは無いからです。
──であれば、”足を止めての殴り合い”など、最悪手でありましょう?」
マリアのその言葉に、九皐は穏やかに微笑んだ。何か一つ、彼女から信じられるものを得たかのように。
それはマリアも同じであり、だが一方でクリスもミライも翼も弦十郎も、よく分からずに首を傾げていた。
「四日前のノイズ反応記録を出してください」
九皐の言葉に従いオペレーターがコンソールを操作、モニターにグラフを表示させる。見た限りでは、それは特に変哲の無いグラフだ。だが九皐はある一点を指し、言葉を続けていく。
「こちらは四日前に観測されたノイズの反応です。この中に一か所、一際強いノイズ反応が見られました。こちらですね」
「他よりも強いノイズの反応……ってまさかッ!」
「カルマノイズ……ッ!」
「恐らくは、ですが」
クリスやミライが驚きと共に歯を食いしばらせる。やはりこの世界にも、あの敵は存在していたのだから。
だがそれを横目に、九皐は少し曖昧な答えで場を流していった。
「恐らくとは、どういう事ですか?」
「確証が得られていない、という事です。翼さん、あの時の事を話してくれませんか?」
「ん、ああ。あの時はノイズを斃してから、九皐さんの指示でその場所に急いで向かったんだ。でも、オレが行った時にはそこには何もなかった。
……あいつ、立花響以外には誰も、なにも」
口惜しいように奥歯を噛み締める翼。彼女からしてみれば、反応があった場所に行ってみれば響しかおらず、彼女もまた状況を何も言わずに立ち去ったのだ。流石によい感情は持っていないだろう。
それを慮りはするも、焦点となるのはそこではない。
「……つまり、事の詳細はあの子しか知らないって事ね」
「でも、なんでそのことを黙ってたんだよ」
クリスの指摘に九皐は表情を変えず、理路整然と言葉を並べていく。
「一つは貴方がたを信用していなかったから、迂闊に情報開示する訳にはいかなかった。あぁ今はもうそれはありませんよ。
そしてもう一つは、先程も言いましたが確証が得られていなかったからです。
反応の大きなノイズと言うのは他に例が無い訳でもない。貴方たちも装者ならば、建物以上の大きさのノイズと戦ったことぐらいはあるでしょう? そちらの線も考慮に入れていたわけです。
貴方がたの話から察するに、カルマノイズはどうやら通常サイズのノイズでありながらそういった巨大ノイズと同程度──いや、もしかしたらそれよりも大きな質量反応が発生するはず。ただそれを、この時の反応だけで判別することは出来なかっただけなのです」
「すまんな兄貴、俺がもっと精度の良いヤツを開発できてれば……」
「今までコレで間に合ってたのが通じない事案が発生しただけだ。アップデートしてくれればそれでいいさ」
頭を下げる弦十郎に、九皐は変わらぬ微笑みで返していった。
「なんにせよ、事情を知ってるのはアイツだけってことか……」
「会いに行きましょう、響さんに」
「問題は、あの子が何処に居るかだけど……貴方たちはご存じない?」
「申し訳ない、彼女は我々の管轄に居ないので詳細な居場所を特定することは出来ません……。
精々分かるのは、観測上彼女のギアの反応が途絶える場合が多い地点はリディアン音楽院周辺としか……」
「いいえ、感謝します。一先ずはその周辺を辿ってみますね。
それと、風鳴……弦十郎、部長。貴方には先程の対価としてこちらをお渡ししておきます」
そう言ってマリアは自らのギアであるアガートラームのペンダントを弦十郎に渡す。自らの掌にはあまりにも小さい真紅の結晶を眺め、弦十郎はその眼を輝かせていた。
「ああ、ありがとうッ! 並行世界のシンフォギアシステム、しっかり学ばせてもらおうッ!」
普段彼女らが目にしていた彼とは程遠い、まるで子供みたいに好奇心を溢れさせる弦十郎。その様子を見て、クリスが小さく不安を口にした。
「……大丈夫なのかよ、勝手に渡して」
「不安は無くはない。けれど、アレが”風鳴司令”なら義に反することはしないはず。それに、私としてはLiNKERの節約にもなるしね」
「鉄火場はあたしら頼りかよ。ケツ持ちやるって言ったのは何処のどいつだ」
「適材適所よ。クリスとヒビノさんの腕前を信じているから、私は貴方たちに命を預けられるもの」
「一緒に頑張りましょう、クリスさんッ!」
「あーはいはい、ったく……」
呆れながら頭をかくクリス。だがマリアの言葉もちゃんと理解している。もし自分が独りでこの世界に来たらと思うと、この世界の響のことやそこに居る風鳴九皐司令への対応は明らかに悪いものとなっていただろう。
助けて貰った分はちゃんと助け返す。クリスはただそれを思い、溜め息に変えて吐き出した。そうして動き出そうとする三人に向かって、翼が声を上げた。
「な、なぁ! オレも行っていい、かな……?」
「別にいいけど……むしろそっちは大丈夫なのかよ」
「……正直なところ、よく分かんねぇ。でもこれは、奏に託されたものだから……!」
翼の眼は決意に満ちていた。それは言葉を変えれば、意地でも付いて行くという決意にも取れる。
それを察したクリスたちは、そのまま翼の同行を許すかのように手招き。途端に彼女の顔は明るくなり、三人のところに駆け寄り指令室を出て行った。
そんな翼の様子を見守りつつ、皆が出て行ったところで弦十郎がぽつりと呟きだした。
「奏から託されたもの、か……」
「まったく、彼女は何処まで私たちを引っ掻き回すのやら」
「兄貴は苦手だったもんな、あの手のタイプは」
「誰のせいだと思ってるんだ誰の。……だけど、彼女が居たから我々二課も弦の技術部も今なお存続できているし、翼もあれだけ逞しくなった。尊敬に値するさ。
……だが、今もあの頃のままであれば……そう思ってしまうのは、俺の悪い癖だな」
過去に思いを馳せる兄に、同じ思いがあると言わんばかりに肩を軽く叩く弦十郎。だがそれらは全て過ぎ去ったもの──時の盤面に”待った”は通用しない。
二人ともそれは、痛いほどによく理解っていた。
==
四人はリディアン音楽院の周囲を歩き回り、立花響の姿を探していた。
だが見つけなければならないとは分かっていても、そう簡単に見つかるものでもない。飽くまでも可能性の高い場所を巡っているに過ぎず、右往左往の運動量と容赦なく照らされる陽光は如何に爽やかな気候とて四人の額に疲労の汗を滲ませていった。
「あー見つかんねーッ!」
「闇雲に探してるだけだものね……。少し休憩しましょうか」
「賛成だ。ちょっとばかし落ち着きてぇ……」
「だったら飲み物買ってきますね。皆さんご希望はありますか?」
「スポドリッ!」
「あたしもそれで……」
「じゃあ、私はミネラルウォーターで」
「はいッ!」
朗らかな笑顔で自販機に駆け出していくミライ。その姿を何処か微笑ましく見ていた三人だったが、あまりにも自然に且つ当然のように彼の好意に甘えてしまう形になってしまい、何処か所在ない微妙な気分に陥ってしまった。
だが積もった疲労感だけはどうしようもなく、とりあえずは空いているベンチを見つけて腰かけていった。
「……元気だな、あの人」
「そうね。やっぱり不思議な人だわ」
「んー……ミライさんって二人の仲間、なんだろ? なのになんか、どっちもあの人のことよく知らなさそうだけど……」
翼からの指摘に思わずハッとするクリスとマリア。彼の存在──ウルトラマンだという事はこの世界では誰も知らない。そして知られる必要が無いこと。
余計なことを迂闊に話して奇異の眼で見られるわけにはいかない……即座にそう考えたマリアはすぐさま翼に返答した。
「その、所属部署が違うのよ、私たちと彼とは。私たちは実働班で、ヒビノさんは研究班に属してるの」
「んー、だったらなんでこっちに?」
「……事故みたいなもの、かしら。ギャラルホルンのゲートに偶然巻き込まれて──」
「んん……? そのゲートって装者しか通れないって……」
「ああーッ! お、オイあれッ!」
マリアの言葉に疑問を感じる翼。言葉の矛盾点を指摘しようとした瞬間、クリスが驚きの声を上げた。多少わざとらしく、ではあるが。
だがそれでも思わず声の方を向く翼とマリア。そこに居たのは、別のベンチに座って空を眺めている一人の少女の姿。紛うこと無き、探していた彼女だった。
「──行きましょう」
すぐさま立ち上がり歩き出すマリア。それを追ってクリスと翼も歩き出していった。
「こんにちは。少し良いかしら?」
「…………」
無表情でベンチに座っていた少女……立花響に声をかけるマリア。だが響は一度彼女の顔を見ただけで、返事もなにもしない。それを見て、翼が思わず怒りを声に出していた。
「おい、返事ぐらいしたらどうなんだッ!?」
「いいの、怒る事はないわ。ごめんなさい、彼女も悪気があるワケじゃないの」
「…………」
「私も彼女たちも、シンフォギアを纏ってノイズと戦う者……ああ、翼の事は知ってるか……。私とこの子は最近になって二課の協力に来た新参者なの。よろしくね」
にこやかに、和やかに、波風を立てない様に話すマリア。一向に返事の無い響だったが、それを気にすることも無くマリアは話を続けていく。
「早速で悪いんだけど、教えてもらいたいの。だいたい四日ぐらい前に、貴方が遭遇したノイズの事を」
「……知らない」
「そんなワケねーだろッ!? こちとら交戦記録だって残ってんだ、そんな戯言──」
「どうでもいい」
翼の言葉を遮りつつベンチから立ち上がり、そのまま去ろうとする響。翼はそれを追おうとするが、マリアの手に止められてしまう。
そのまま見送るしかないと思った其処へ……響の前へ、ミライが明るい笑顔を咲かせながら立っていた。
「響さん、あったかいもの、どうぞ」
「……は?」
「先日のお礼です。受け取ってください」
「……私、なにもしてない──」
「助けてくれました。僕や、逃げられないお爺さんお婆さんたちを。だから、ありがとうございます」
ミライの無垢な笑顔に、響は何処か苦虫を噛み潰したような顔を一瞬浮かべ、何も言わずミライが差し出した飲み物も受け取らず速足でその場から立ち去った。
「取り付く島は無し……前途は多難ね」
「本当にアレが、あのバカと同じ人間なのかよ……」
終始冷淡な響の態度に落胆や失意にも似た溜め息を吐くクリスとマリア。立ち去る背を見ているしか出来なかった翼も、つい弱気を声に出していた。
「……やっぱ無理なのかな、アイツと協力なんて……」
「そんなこと、ありませんよ」
彼女の弱音を否定したミライ。思わず上を向くと、彼は変わらない微笑みを浮かべながらもう姿の見えない響の消えた方向を見つめていた。
「響さんは優しい人です。きっと、応えてくれます」
消えた彼女に向けるかのように、ミライはそう断言した。何処に確信があったのかは、その場の誰も分からぬままだったが。
==
とある一室。
部屋に電気を付けぬまま、帰宅した響はベッドへと突っ伏した。
(なんなの、あの人たち……)
理解できない事だった。
自分に話しかけてきた見知らぬ人たち。……いや、見て見ぬフリをした人たち。ただ話しかけられただけでは判断が出来なかった。合点がいったのは、そこにあの煩いヤツがいたことだ。
(面倒臭い……)
目を閉じるものの、それでもあの煩い声が耳鳴りのように蘇ってくる。連なるように意識の中に映る、にこやかに語り掛ける薄紅色の長い髪をした大人の女性と、覚えのある顔立ちをした銀髪の少女。
──そして、優しい笑みを向けてきた、男の人。
『ありがとうございます』
言われた言葉が蘇る。
笑顔の温もりが何かを刺激する。
覚えがあったような気がする。
あんなあたたかい■■■のような笑顔を、いつかどこかで見たような気が。
(……知らない、そんなの)
余分なモノを振り払うように思考から排除しようとする響。そうして心が落ち着いたところで意識は急落し、睡魔の闇に落ちていった。
微睡みの中で彼女が見ていたのは、いつしかの出来事──。
座り込む路地裏……分厚い灰色の空からはバラバラと水滴が落ちてきた。
(雨……)
ぼんやりと、天の気紛れをありのままに受け流すかのように、響はその場から動く事も無く佇み続けていた。
近く……大通りからは、少女たちの声が聞こえていた。
「わぁッ! もう、傘持ってきてないのに~……」
「どっかお店にでも入りましょうよ。だんだん強くなってきてるし……」
少女らの言葉を聞いて、響はようやくこの天候に必要なモノがなんであったかを思い出した。
(傘か……このままだとかなり濡れちゃうな……)
「……どうでもいいけど」
思い出した上で出した結論。諦観による己が身の投げ打ち。自分がどうなろうと、それを気にするつもりは一切無かった。
(風邪をひいたって構わない。どうせわたしを心配する人なんていないんだから──)
自嘲気味な思考に力無く口角を上げる響。己が身を鑑みて、それがあまりにも滑稽に映ったが故にか。
うずくまるように顔を俯かせる響に、先程の少女が声をかけてきた。
「ねえ……」
「…………」
「あの、立花響さん……だよね?」
声の方を向く響。長く綺麗な銀のウェーブヘアーと柔和な顔付き、どこか幼さを感じる見た目に反して制服の下からでも強く主張する”女性”の象徴。
それだけの特徴を有しておりながら、響は目の前の少女に対して思い当たる節が無く、ただ怪訝に思っていた。
(……この人、誰だっけ……?)
浅い記憶をほじくり返しても出て来ない。流石に自分でも、こんな目立つ人間は忘れないと思っていたのだが……。
そう考えていると彼女がまた話を切り出してきた。
「……えっと、風邪ひいちゃうよ? そんなふうに雨に濡れてると──」
「…………」
目の前の銀髪の少女は少しオドオドしながらも優しく声をかけている。一方でもう一人の少女は、何処か警戒したような目でこちらを見ていることに気付いた。そちらの方は見覚えがあった。
(ああ、そういえばクラスにあんな子がいた気がする……。なら、こっちもクラスの子か……)
そう結論付け、おもむろに立ち上がる響。そのまま二人に背を向けて、路地の奥に向かって歩き出した。
「……関係ない、放っておいて」
それだけ言い放ち、速足になることもなく力無く歩いていく。銀髪の少女は、そんな響を心配する声を自然と発していた。
「あ、あのッ! 立花さん──ッ!」
「……やめましょ、雪音さん。あの子に言ったって無駄ですよ……」
「で、でも、同じクラスなんだし──」
「……それだけでしょ。もう、思ったよりもずっとお節介ですよね、雪音さんって。……それに、あの子って昔──」
その小さな声も聞こえていた。彼女が聞こえるように言ったわけではなくとも、響の耳には確実に入っていた。
痛ましい過去……思い出したくもないものに蓋をするかのように思考を閉じる。それもこれも、”雪音”と呼ばれた彼女のお節介が起こしたことだと、響は思うことにした。
(……そう、お節介。そんなのただの迷惑だから……)
「あッ! か、風邪、ひかないように気を付けて──ッ!」
誰も喜ばない。必要としていない。
……それでもなお、彼女──諸事情により一年遅れでリディアン音楽院に入り、響と同窓生となった少女、【雪音クリス】は、別れ際のお節介を一際大きく声に出していた。
(……雨、もっと強くなればいいのに)
(……雨が降れば、もっと強くなれば──。きっと、静かになるから……)
(世界が全部、雨の音だけになればいい……。そうしたら、なんの雑音も聞こえなくなるから……)
人影の消えた路地、響の目の前に居るのは極彩色の異形──人類の天敵、ノイズ。
その一体を掴まえ握り潰し、勢いを付けた回し蹴りで続けざまに蹴り飛ばす。
彼女の一挙手一投足でノイズは黒く炭化して崩れ落ちる。彼女が纏っているFG式回天特機装束──シンフォギアの力が、人類の天敵を鏖殺する牙となっているのだ。
……ただ纏っている当人には、世人の為に天敵を駆逐するというような崇高な想いは無いのだが。
(……邪魔だッ! こいつが──)
一つ、また一つとノイズを打ち崩していく響。その眼に宿る光は野獣のように獰猛で、爛々と燃えていた。
「こいつらが、いるせいでぇぇぇぇッ!!」
右手のガントレットを引き上げ、そこに力を集中させる。そのまま周りのビルの壁を蹴って跳ね上がり、ノイズの群れの中心点を確認。そこを目掛けて、墜落するかのように直下拳を叩き込む。
そして次の瞬間、
「はあ、はあ……」
砂塵と黒炭の煙の中で、大きく息をする響。
やがて煙も晴れ、耳障りだった雑音も何もない静寂が、その場を包んでいた。
(……静かに、なった……。誰もいない……。わたしだけの、世界……)
静寂に独り……溜め息のように息を吐く響。その静けさに己が身を晒しているところに、バイクのエンジン音が近付いてきた。
そこから跳び下りた青い剣の少女。響はその姿を、何処か無感情に眺めていた。
「翼、現着ッ! 九皐さん、ノイズはッ!?」
言うが早いか周囲を見回す翼。だがそこに目標の敵性物体は存在せず、黒い炭の塊と流れる煙、その中心に佇む得物を握らぬ少女の姿で得心した。
「お前は──。……お前がノイズを斃したのか?」
「…………」
「おいッ! 質問に答えろ、立花響ッ!」
ややけたたましい翼の声に、響がゆっくりと振り向く。翼は何処か苛立ったような顔を、響は真逆の……諦観の表情をしていた。
(──雑音がする……)
「やっとこっち向いたな。なぁ、ここに現れたノイズは──」
(……独りに、なりたい……)
面倒くさそうに顔を逸らし、翼とは逆の方向に歩みを進めていく。
彼女から引き留められるような言葉を放たれるが、それを気にすることも無い。自分の欲求に従うかのように、響はその場から立ち去っていった。
人気の無い路地を、響は歩いていた。歩きながらずっと、虚ろな考えを続けていた。
(……ノイズ……。人を殺す災害、怪物……。……この世界の、異物……。
あいつらの──あの怪物のせいで、わたしは……わたしは──)
募らせた憎悪に顔を歪めたかと思いきや、その表情は静かに消沈していく。
自身の思考のスパイラルがそうさせたのか、響はそのまま足を止めてしまっていた。
「怪物……か。そんなの、わたしも同じだ……」
その手に目線を落とす響。一見すると生傷の痕だけが残る程度の掌を流れる雨は、まるで洗っても落ちぬ穢れのようにも感じられた。
(人の中にいて、人ではない異物。人を殺すノイズを、殺すことの出来る怪物──)
力無く手を握る響。ヒトの天敵を砕く力をその身に宿す自分は、最早ただの人ではない。ならば自分はなんなのか……。
己が存在意義を問う思考の渦に囚われ始めた時、脳裏に蘇るものがあった。
『特異災害対策機動部二課』という組織を名乗る者の言葉……。人々を守護る為に力を貸してくれないかという大人の声。そこには同じ『装者』もいる、きっと君の力にもなれるはずだと見知らぬ大人は言う。
だが覚えているのは、その言葉に対しても興味を示すことが出来なくて、無言で立ち去ったことぐらいだった。
(わたしの力になる……? そんな人、いるわけがない……。
一緒に他人を守るなんてできない。誰かを守るなんてしたくない……。他人を守ったって、わたしのことは誰も護ってくれない。助けてなんてくれない……。
苦しくて、辛くて、誰かに助けてほしい時があっても……誰もわたしなんて、助けてくれない──)
思考の中で自虐的な自縛を重ねていく響。
その結論を出した瞬間、何かが自分の思考から抜ける感覚と共に、響の口から根底の疑問が声となり漏れ出していた。
「──じゃあ、どうしてわたしはノイズを斃しているんだろう……」
……最悪の言葉と共に、目を覚ます。
知らない何かが胸を打ち鳴らし、応えるように身体を起こす響。……否、彼女はそれを識っていた。なんで起こるのかは分からなくても、なにが起きたのかは理解っていた。
寝惚け眼を瞬時に引き締め、窓を開けて夜空の下に跳び出る響。走る先に見据えていたのはた だ一つ──。
「──ノイズッ!」
==
夜闇の中、襲い来るノイズを破壊していく装者たち。
翼たちよりも早くに到着して交戦を始めていた響は、変わらず感情を叩き付けるようにノイズを打ち砕いていた。まるで、つい先ほどまで見ていた夢を払拭するかのように。
(わからない……理由なんかわからない。だけど、わたしはこいつらが憎い。わたしはこいつらを殺せる。わたしは──こいつらを殺したいッ!)
「……今日はまた、随分と派手にやるな」
「まさか、あたしらが接触したから……?」
「どうかしらね……。そうでなければ良いと願うだけだけど……」
響の感情は読めない。ただその眼は憤怒と憎悪に燃え上がっていることだけは何とか理解できる。
連携は取れずとも、装者4人の戦いは瞬く間にノイズを掃討し、一息の間を生み出すに至った。
「九皐さん、ノイズは?」
『周辺5km範囲で反応消失。みなさん、お疲れ様でした』
「ザッとこんなもの、かしらね」
「所詮はただノイズ、あたしらの敵じゃねえ。あとは……」
クリスたちの目線が響の方へ向く。彼女はそれも意に介さぬように見返すこともせず、夜闇に消えゆく黒炭をただ眺めていた。そんな彼女へなんて話しかけていいか分からず、三人はつい所在無さそうに佇んでしまっていた。
静寂に耐えながら、不意に天を見上げる翼。夜は深く、しかし雲一つない空には月が明るく輝いている。だが次の瞬間、その輝きが”なにか”に遮られ、響を含む装者全員が危険を察して空を見上げていた。
「──ッ!?」
瞬きする間も無く空気が圧になって押し寄せてくる。まるでそれは、なにか巨大な質量物体が落ちてくるかのようだ。
「な、なんだこれッ!?」
「まさか……ッ!」
慄きの中で翼たちの耳に二課からの通信が入る。珍しく焦燥感のある九皐の声だった。
『上空から高質量物体が、飛行しながら落下してくるッ! なんだ……なんなんだこれは……ッ!!』
「悪い予感は的中って事ね……。風鳴司令、今から来るのが私たちが呈した別の脅威──侵略怪獣よッ!」
マリアの言葉が放たれた直後、姿勢を変えて着地する”侵略怪獣”。
真紅の瞳と、漆黒の体躯。細長く鋭い口と、その身体に似つかわしくない薄翅……。紛れもなくそれは、クリスやマリアが以前戦った怪獣──ベゼルブだった。
甲高い鳴き声を上げ、自分の存在をこの世界に知らしめるかのように両腕を掲げるベゼルブ。その威容──否、
「……なに、あれ……」
「あれが、話してた怪獣……ッ!?」
「ベゼルブ……来ちまいやがったかッ!」
『翼さん、貴方は住民避難を最優先にしながら彼女らの対処を見て覚えてくださいッ!』
「りょ、了解ッ!」
「つってもあたし達も、足止めが精一杯なんだけどな……」
「この世界にウルトラマンは居ない。私たちがやるしか──」
気持ちを入れ直し、アームドギアを構え直したクリスとマリアがベゼルブの前に立つ。
その時、二人の通信にミライが直接声をかけてきた。
『クリスさん、マリアさん、僕が行きますッ!』
彼のその言葉の意味、理解らないはずは無かった。
天羽奏と共に戦った時のような、”その世界に出現したウルトラマン”は居ない。だがこの場には、”自分たちの仲間であるウルトラマン”は存在するのだ。
「……任せて良いのか?」
『勿論です。僕は皆さんと一緒に戦い守護りたい……”ウルトラマン”は、みんなの力になりたいのですからッ!』
「……わかった。お願いね」
『はいッ!』
避難誘導の甲斐もあってか、夜の住宅地に人気は無い。
漆黒の宇宙怪獣ベゼルブを前に、ミライはその左腕を顔の横まで上げ、内に秘めた力を解き放つ。
光と共に浮き上がる炎のような手甲──メビウスブレス。中央に据えられた紅蓮の宝玉に右手を当て、火花を散らすかのように強く右手で擦り上げた。
高速回転する宝玉の中に炎のような光が宿り回転と共にその勢いを増していく。そのまま左へ身体を落とし力強い溜めを構え、そこから左腕を天へと突き出していった。
彼……ヒビノ・ミライ自身の真名を掛け声と変えながら。
「──メビウゥゥゥゥゥスッ!!!」
end.