或いはこんな織斑一夏   作:鱧ノ丈

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楽しんで頂けるよう鋭意努力する所存です。よろしくお願いします。


第一巻
第一話 始まりと決闘宣言


 雲一つ見受けられない蒼穹。太陽より降り注ぐ光が大気圏で屈折することによって空を染め上げた青色は、見る者に須らく心地よい気分を、穏やかな一時を過ごす気持ちを与える。

 だが、今この空の下ではそのような平和とは無縁の、喧騒と呼ぶには抑言に過ぎる事件が起きていた。

 

 

 

 透き通るような空の青とは対照的に、闇という暗さへと繋がる青色に彩られた海原。そこには鋼鉄色の塊が幾つも浮かんでいる。054江凱(じゃんかい)型フリゲート。それは海上に浮かぶ鉄塊の内の一つの制式名称だった。船籍の所属は中国人民解放軍海軍。中国において海軍が戦闘目的に配備を進める駆逐艦であり、時の中国における駆逐艦の最新型だった。

 その他にも051C瀋陽(しんよう)級駆逐艦や052C蘭州(らんしゅう)級駆逐艦などの影も見える。

 豊富な資源と人材、それらを以って急進的な経済発展を果たし、名実ともに大国と呼ばれるようになった国が現役の駆逐艦を、それも最新型を含むそれを派遣する。それは決して軽々しい事態ではない。

 

 後に白騎士事件と呼称される事件。大国の一角がとある諸島に向けて艦隊を差し向けたことに端を発したこの事件は、後に第二次世界大戦以後の国際情勢における最大級の事件と呼ばれるようになる。

 

 

『白騎士事件』

 

 航空機動兵器 IS <インフィニット・ストラトス> の国際的注目を集めることになった事件。この事件、及び事件以後においては個別に取り上げるべき様々な状況が勃発したが、その中でもISの存在の認知の拡大が最たるものと言われている。

 20××年某月某日、中国政府が尖閣諸島方面に向けて駆逐艦を中心とし、後方に空母を備えた艦隊を派遣。中国政府は事前に『領海及び領土防衛のための艦隊演習』を実施する旨を発信していたが、当初の申告よりも大規模な構成となっている艦隊と日本国領海に接近する艦隊の航路に日本政府は直ちに抗議。しかし、中国当局は『演習の範囲内』とのみ返答。

 この状況において日中間に即日緊張が高まったことが事件の切欠となった。

 この緊急事態に日本国航空自衛隊、ならびに海上自衛隊が緊急出動。中国側の目的である尖閣諸島を中心に展開がなされ、膠着が続くことになった。

 その後、中国側艦隊が日本の経済水域に侵入、尖閣諸島方面に進路を取った直後に同海域に白騎士が出現。駆逐艦の内一隻に接近し、同船が艦載砲を白騎士に向け発射したことにより白騎士と艦隊の交戦が開始した。白騎士、及びISについては別項参照のこと。

 

 結果として艦隊は白騎士に敗北。それは有史以来の戦闘の歴史を振り返っても驚嘆に値する結果であった。戦闘の詳細は別項の『白騎士』を参照のこと。

 

 戦闘終了直後に白騎士は視界、レーダー反応のの双方より消失。これは現在解析の大半が済んでいるISのステルス機能によるものとされており、現在では対IS用感知レーダーの開発も進んでいるが、当時においては最高峰を超える性能を誇っていたとされる。

 本事件終了後に各国政府、ならびに国連は即日日本政府に白騎士に関しての説明を要求。しかし日本政府側も詳細は把握しておらず、各国同様に開発者の篠ノ之束博士に説明を要求。

 博士は「非常事態対応のための緊急出撃」と返答したが、現在公に知られている博士の人格面から「ISの性能披露の側面が大半では?」という見方も為されている。

(ISの基本構想は事件以前に学会に提出がされていたが、当時の学会は博士の年齢や体裁を為していない論文、宇宙空間作業用とされているが軍事転用された場合は現代兵器群において戦術的最高位を得うるなどの内容を一笑に付したため)

 

 この事件の後、約一年を掛けて日本国は可能な限り収集できたISに関するデータを国連に提出。並行して国連が主体となったIS運用における取り決めのための専門機関「国際IS委員会」の設立を決定。

 事件後のアジア圏における情勢の変化、各国のIS導入に関しての動き、各種機関の設立などの諸事情は、後に「IS事変」と呼ばれるようになった。

 

 

――IS十年史序章「白騎士事件」の項より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日光を遮断された暗闇に砂利と固いコンクリートの擦れる音が響く。口から吐き出される荒い息は不規則であり、全身の血液を巡らせる心臓は早鐘を打っている。

息を吐きだしたのであれば、次は新たな酸素を求めて吸うのが人の、生物の道理。吐き出した口、そして鼻からも新たな酸素を求めて大気を吸い込み、肺へと空気を送り込む。

 鼻腔をくすぐるのは鉄と工業用の油の臭い。周囲に積まれた工業用の機械の数々と、空間を覆う薄い鉄板から発せられるそれらは、臭いを感じ取り始めた最初の内こそ眉をひそめたくなるが、既にしばらくの時が経った今となってはほとんど気にならない。

 一体ここがどこなのか。どこぞの工場、或いはその跡ということは分かるが、それだけ。何もかもが分からないことに満ちている。

 

「はぁっ……、くっ……」

 

 手近な物影に身を隠し、少年はなるべく音を立てずにして息を整える。元々の体力には相当以上の自信を持っている。本来なら限られた建物の中を駆けた程度で切れるようなヤワな体力はしていない。だというのに既に息を切らしかけているこの体たらく。単に走りまわるのとは異なる、極限に近い緊張と集中が体力の消耗幅を大きくしていた。

 

 

 ――――!! ―――――!!

 

 

 成人した男性の、野太い怒号が響き渡る。拡散した音の振動は建物の中のあちこちに跳ね返り、反響となって少年の耳に届く。

 何を言っているのかは少年には分からない。ときおり日本語のような声も聞こえる。だが、聞こえる声の大半は英語、そこに時折ドイツ語やら何やら、英語とはまた別の外国語が混じるだけ。

 齢にして十代の半ば、日本人である少年は未だ法によって定められた義務教育を受けている只中であり、別段外国語の関わる趣味を持っているわけでもなかったので、母国語の日本語以外の言語と言えば学校の授業で習う程度のレベルの英語にしか嗜みは無かった。

 

「ったく、なんだってんだよ……!」

 

 怒りに、戸惑いに、そして隠しきれない滲みでた恐怖に少年の顔が歪む。その顔に僅かについた『ある色』も相俟って、歪み犬歯をむき出しにした少年の表情は十代の少年がする表情としては凄惨に過ぎる様相を呈していた。

 故あって単身国外旅行に繰り出した矢先の出来事。いきなり衝撃が走ったかと思えば、意識がブラックアウトして気がついた時にはこの廃工場だ。

 

 『誘拐』――この単語が導き出されるのにそれほどの時は掛らなかった。

 

 何故自分が? 目的は? 下手人は? 幾つものクエスチョンが浮かぶが、それら全てを振り払って少年の脳裏に浮かんだ考えはただ一つだった。

 

『死にたくない』

 

 もはやそれは、思考というよりも強烈な衝動に近いものだった。生存本能を脅かされる恐怖、それを否定することはない。だがそれ以上に、自分の身の安全が脅かされているという事実に対しての憤怒、抗うことへの意地が強かった。

 後先を考えない。ただひたすらに生きるために動く。諸手を縛っていた麻縄をそのままに見張りが目を離した隙に全速力で駆けた。そして今の閉所での逃走劇に至る。

 

 物影に隠れて僅かに生まれた間を使って両手を縛る縄を解こうとする。意図的に関節を外して束縛を緩める。そして一気に己の手をすり抜けさせる。外した関節を戻しながら痛みに顔を小さくしかめる。

 元々関節が外れるなど人体にとってはイレギュラーな状態であり、決して良い影響を与えるとは言えない。することがないならないに尽きるものだ。だが、そのような技法でもこのような場面では役に立つ。日本の中学生でこんなやり方を知っていて、実際に使う機会に出くわしたのは自分くらいだろうと少年は自嘲する。そして、僅かに震える己の手に気がついた。

 

「ハハ……、とんだザマだ……」

 

 気が付けば声も震えていた。そして静かに己の頬に手を添える。指先を僅かに湿らせる感触。そして周囲から漂う錆つきかけた金属塊から発せられるソレと同種でありながら、明確な異質さを感じさせる臭いに少年は口を噤み、ただ自嘲するように頬を引き攣らせた。

 

 

 

 

 ただ我武者羅だった。どこをどのように走ったかなど、ほんの数瞬前のことであるはずなのにまるで記憶に無かった。理性をかなぐり捨て、動物的な本能と直感にのみ従って両足を動かし、そして行き止まった。無理も無い。元々決して広いとは言えない建物なのだ。

 階段を上った先の、二階にあたるスペースもあるにはあるが、通路ばかりで実質的な逃走のための機能はほとんど無いと言える。そんな限られた空間の中を一対多で追いかけられるのだ。追い詰められるのは元より時間の問題だった。

 

 背水ならぬ背壁に陥った自身の目の前には自分を攫った一味だろう黒服の男たちが自身を取り囲むように立っている。全員が全員、黒塗りのサングラスを掛けているためにその奥の目を見ることはできない。だが、恐らくは一様に憤怒の炎を瞳に宿していることは間違いない。それだけのことをしたのだという自覚があった。

 

 凡そ誘拐事件において攫われた者は犯人の人質という立場になる。そして犯人側からの要求を通すためのカードとなるため、一応の命の安全のみは確保される。代わりの効く複数人の人質ならともかくとして、このような人質が一人の場合は尚更だ。だが、それも絶対ではなく要求が拒否された場合などは見せしめとして指の一本くらいは、或いは最悪命を覚悟しなければならない。

 

 少年も初めはそうであった。あくまで人質であるため無用な傷害はご法度と、黒服達は上より言い付けられていた。だが、少年は明確な敵対の意思を見せている。

 黒服達もプロだ。ただ黙って良いようにされるというわけにも行かない。上役より交渉が進んだという旨の連絡も未だ来ない。ならば是非も無し。恨みは無いが、覚悟をしてもらう。その気概で以って、黒服達もまた少年に対して明確な敵意を向ける。

 

 少年にとって状況は絶対絶命であった。少年自身、半ば達観したような思考ですぐ目の前に迫っているかもしれない己の末路に、覚悟を決めていた。

 

 不意に金属のひしゃげる音が響いた。錆ついた金属同士が擦れる音は耳障りな不協和音となって耳を、信号となった音を受け取る脳髄を侵すが、その音は少年にとって紛れもない天の助けそのものだった。

 

 

 

 

 

 無言で己を包みこむ腕。硬質な金属に覆われた直接的な温かさなど持たず、ただ金属特有の冷たさを少年の肌へと伝えるが、その抱擁に込められた心を察せないほど彼は愚鈍では無かった。

 だが、伝わる心の温かさ、それを感じ取ったからこそしかと実感する安堵、それらと矛盾するかのように少年の心は先ほどまでの冷たく俯瞰的になり、昂り荒波のようになっていた様が、静謐な湖面の様相を呈していた。

 

 己の危機は去った。身の安全はほぼ確実になったと言っても過言ではないだろう。だが――あまりにもあっさりとしすぎていた。

 周囲には己を害そうとした黒服達が転がっている。命はある。だが、完全に意識を刈り取られているために苦悶の呻き一つさえ漏らしやしない。強大な危機は、あまりにあっさりと散った。その要因は分かり切っている。今、自分を抱擁している存在。ただ一人の血を分けた肉親であり、同時に紛れもない個人として持ちうる力の究極を、もはや理不尽な暴力と呼んで差し支えないソレを掌中に収め操る人物。

 

(なんだ、そういうことかよ……)

 

 落胆するでもなく、失望するでもなく、怒るでもなく、悲嘆に暮れるでもなく、ただ淡々と思う。悟る。理解する。

それが全てと言い切るつもりはない。だが、結局のところ無力であれば何も意味を為さない。今、自分を抱擁するために目の前の家族は何をどれだけ犠牲にしたのか。それが決して軽くないものであることは、家族だからこそよく分かる。その責の一端は紛れも無く自分にある。自分の非力が、この状況を招いた。

 

 静謐な湖面に静かにさざ波が立つ。ただざわめくだけでそのまま、波が巨大となることはない。だが、そのざわめきは紛れもない心に湧きあがった怒りだった。

 心底腹立たしい。自分が非力であるということが。『自分に力が足りていない』という事実が、『自分が未だ弱い』と突きつけられたことが、耐え難い。

 湧きあがった怒りを面に出すことはなく、ただ静かに握る拳に込める力を強めた。

 

『無力は罪だ。力が無ければ、何も為せない』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ」

 

 不意に目の前が明るくなった。しばし目を瞬かせ、織斑一夏は目線のみを動かして自分の周囲を見回す。そのまま自分の状態を再確認。完璧と呼んで差し支えないレベルで空調が効いた室内は快適と呼べる気温そのものであり、適度な換気も為されているのか吸い込む空気は常に新鮮な香りを保っている。

 そんな中、椅子に腰かけながら腕を組み、僅かに俯いている自分。どうやらしばし睡魔の餌食になっていたらしい。チラリと左腕に付けた腕時計を確認する。家電量販店で数千円程度という安いデジタル表示の時計だが、ごく普通に使用する分にはまるで問題ない。

 時計の液晶が示すデジタル数字は最後に確認した時から五分少々しか経っていない。文字通りほんの僅かな眠りでしかなかったわけだが、その割には随分と密度の濃い夢だったと思う。

 そも、何故唐突にあのような夢を見るなんて、過去の記憶を掘り起こすようなことになったのか。時間的にはざっと三年程前、決して昔と呼べるほど前ではないが、何かとインパクトの大きい出来事だっただけに、その出来事の大きさや経った年月の短さに反比例して随分と昔に思えるようなことだと言える。

 

(この状況、かねぇ……)

 

 あまり意識はしなかったが先ほどから自分に引っ切り無しに向けられる無数の視線。好奇、品定め、対抗心、敵愾心、正負様々な感情が入り混じり混沌の様相を呈しているソレに、自分の一挙一足に呼応してざわめきのような波が生じるのを感じながら一夏は思考の内で一人ごちる。

 状況、とは言ってみたもののそれは決して自分に無数の視線が向けられていることではない。そんなことは心底どうでも良い。より正確を期して言うのであれば、今自分が居る場所が問題と言えるだろう。

 

 約十年前に起きた白騎士事件に端を発し世界中に拡散したIS技術。それを繰る上で最重要とされる操縦のための技術。件の事件からある程度世界に広まるまでのインターバルを含めれば世界的な運用は実質十年にも満たないISはその操縦ノウハウが致命的なまでに不足している。

 いかに単純な性能面、直接的な戦闘状況に入ったとして完勝をもぎ取ることも可能な現代における戦術の頂点に立つ機動兵器となったIS言えども、その肝心な操縦ノウハウが乏しいことは由々しき問題と言って差し支えない。

 その解決のためにと生み出されたのが今、一夏が居るこの場所。IS操縦のノウハウの蓄積、熟成、そしてそれを運用する未来の操縦者の育成機関。例え他の国にも同様のノウハウが伝わり、操縦面における技術の独占が不可能となってもより早いノウハウの蓄積をと各国が妥協せざるを得なくなった結果生まれた、国際的な教育施設。

 

 『IS学園』、それがこの地の名。

 

「人生一寸先は闇――なんてよく言ったもんだけどもな。これは驚き桃の木山椒の木に過ぎるだろう……」

 

 微妙にこめかみをひくつかせながら一夏はこうなった経緯を思い返す。

端的に言ってしまえば大々的な世界へのお披露目から十年、それまで女性にしか起動が不可能とされていたISを一夏が動かしてしまったのだ。

 たまたま赴いた私立高校の入試会場である、公共の文化施設としては県内はおろか全国規模で見てもでも最大規模と言われる市の文化ホールにあったISに触ったらこの有様である。

 

 別段一夏には何かの意思があったわけではない。当時持ちえていた意思といえばさっさと試験を終わらせて帰りたいの一つである。当該施設がIS学園筆記試験の会場の一つであったこと。IS学園本校に最も近い試験会場であるため、特例として受験者への実物見学のために学園の訓練用ISが貸し出され、施設の一室に秘密裏に置かれていたこと。

 最近急速に名を上げている若手建築家が作ったという、見栄えという点では十分だがいざ歩いてみると中々に構造が分かりづらい施設で一夏が道に迷ったこと。たまたま入った小さな部屋、その奥に件のISが置かれていたこと。本人でもらしくないと思うふと湧いた興味でISに触ったこと。そして――ISが反応を示したこと。

 

 少なくとも、最後にISに触ってみようという意思以外に一夏の明確な能動的意思は微塵たりとも存在しない。何もかもが偶然の産物。だが、その偶然によって彼の運命は大きく変わることとなった。そのことには、流石に深く嘆息一つつかざるを得ない。

 一体何が悲しくて、女子校に放り込まれねばならないのだろうか。

 

 一夏のIS適性発覚後は文字通り世界のあちこちがその話題で盛り上がった。それも無理からぬ話。それまで女性にしか扱えないとされていた現代最高峰の兵器に、突如として男性の適格者が現れたのだ。

 単純な話題性としても、国家の枢軸に座する権力者達の見出す経済的、軍事的側面からも、未だ未知な部分も多いISの全貌を明らかにしようと日夜奮闘している研究者達が見出した学術的側面からも、あらゆる方面から見て価値は十二分にある。

 

 もはや仔細を挙げることすら億劫になるレベルの複雑な事情、思惑の入り混じり合い。もつれにもつれたその結果が各国から独立した治外法権地帯であるIS学園への保護、調査を兼ねた入学と、学園の施設を主権領域内に持つ日本政府主導での身辺保護であった。

 

 

「では、これよりIS学園一年一組、最初のHRを取り行う」

 

 教壇に立つ女性の朗々とした声が響く。硬質な声音にはしなやかな力強さと凛とした雰囲気が含まれており、聞く者に須らく声の主の気質を思い浮かべさせる。そして聞いた万人が思い浮かべるだろう彼女の気質は概ね正解で間違いないだろう。それを一夏はよく知っている。声の主は織斑千冬。一夏の実姉にして、名実共に最強のIS乗り、ISを用いての戦闘能力は有史以来一個人が発揮するものとして頂点に立つとまで言われる女傑である。

 

「まずは自己紹介といこう。今年一年、諸君の担任をすることになった織斑千冬だ。授業ではIS実習を主に担当する。そして今――」

 

 話しながら千冬は視線を教室の後方に向ける。つられて移動する生徒達の視線。その先、教室後方入り口のすぐそばには、柔和な笑みを浮かべた眼鏡を掛けた女性が立っている。

 

「あそこに立っているのが副担任の山田真耶先生だ。主にIS理論の座学を諸君に教授することになる。私と彼女の二人で、この一年このクラスを受け持つ」

 

 一度千冬が言葉を切ると同時に、教室全体にざわめきが起こる。

 IS業界において織斑千冬という人間は開発者の篠ノ之束とともに、ISの社会的な確立の立役者であり、自身もまた他者と隔絶した実力を持つ凄腕の乗り手だ。つまるところ、現在ISの表側の側面として広がりつつある競技としての側面で捉えるのであれば、競技を確立した伝説的な名選手に直接教えを受けるということになる。

この生徒達の反応も、無理なからぬことと言えた。

 

「まずはIS学園に入学おめでとうと言おう。比喩表現でも何でもなく、この学園の入学試験は相応に厳しい。それを潜り抜けこの場に居る諸君は、ここに至るまでに培った努力に対し誇りを持って良い」

 

 そこで千冬はチラリと、一瞬だけ視線を一夏に向けた。すぐに逸らし、そもそもごく僅かであったためにあまりにも判別が困難な挙作であったが、その気配を一夏は鋭敏に感じ取っていた。

 この学園への入学には単純な努力だけでなく、持って生まれた才能も重要なファクターになるという極めて狭き門が存在する。学園入学者は須らくこの門を多大な努力と天運でもって潜り抜けるが、その中で一夏だけは例外的な経緯でこの場にいる。絡みに絡みまくった複雑な事情の末に宙づり状態となった立場の一時保留のための保護こそが一夏の学園入学の主目的だ。

 

 一応と、他の者達も受けた実機試験のみ受けたが、どちらにせよ入学は確定事項であり彼がここにいる理由は一重に「男」であるからに他ならない。偶然の成り行きとはいえ、彼は他の者達が経験した労を払わずしてここに居る。そのことに千冬なりに思う所あっての、一瞬向けた視線なのだろう。

 

「だが、誇りとするのもここまでだ。これより直ちに授業が始まる。その瞬間から新たな競争が始まる。知っての通り、ISはその心臓部であるコアの絶対数が限られている。ゆえにISの数も、その乗り手の数もまた限られている。

 この学園を卒業し、なおもIS操縦者として身を立てることができるものは少ない。多くは乗り手の道から離れ技術者となるか、あるいはISに関する何がしかの職に就くか、あるいは完全にISとは関わりのない人生を歩むかだ。

 人の幸福とは極めて主観的なものであり、諸君らがたとえそうなっても悔い無しと言うのであれば、私は何も言わん。だがここに居る限り、IS乗りとしての志がある限りは、努力を怠るな。これは諸君の、同じこの場を志し脱落した者達の上に立ち、各々の国よりの援助を、期待を受けてこの場にいる諸君の義務だ。良いな」

 

 厳かに訓戒を告げる千冬。その声から、総身から発せられる巌のような気配に半ば気圧されるように生徒達の肯定の返事が返る。一夏もまた、最前列という千冬の圧迫を最も受ける位置にありながら涼しい顔で首肯のみでもって肯定の意を示す。努力をせよという言葉に反論するつもりは毛頭無い。

 とどのつまり、千冬の語る努力の目的とするところは学園を卒業してもなおIS乗りで居られるようになること、つまりは乗り手としての力をつけることだ。強さを得るための努力であれば、惜しむ必要などどこにもない。

 

 ただ一つ、彼が千冬と意見を違えるとすれば一つ。同様にして語った、この学園を志し夢潰えた者たちへの責務の在り処だ。自分とて例外的ではあるがこの場に居る以上、誰かからこの学園の生徒としての枠を一つ奪ったということであり、そのことについて多少なりとも意識をすることは事実だ。

 しかしそれ以上に感傷を抱くことは決して無い。そして、武の道においては強者が弱者を踏みつけて上に昇るのは必然。そこに余計な感傷など――不要だ。

 

 『人としての情を、仁義を捨て去るなとは言わない。信義を欠いた武は武にあらず。ただの暴力であり往く道は外道となる。だが、信念を貫き道を通すのあれば、その時は非情に徹しろ』

 

 あるいは姉以上に敬慕する、自分という人間を作り上げた全てと呼んでもいい武門の師。その言葉を脳裏に思い浮かべる。今までもそうしてきた。

 日常の中で挑まれた手合わせ、売られた喧嘩、師と共に赴いた出稽古先での同年代の者との組み手、全てにおいて一夏はただ勝利への一本道を歩み、余計な感傷を捨ててきた。

これからも同じように、ただそうするだけの話だ。

 

「ではこれより出席番号順に自己紹介をしてもらう。その後、授業を開始する!」

 

 その声と共に、一夏のIS学園での生活が本当の意味で始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桜も咲き誇る春とはいえ、日も沈みかける夕刻となれば未だ肌寒さを感じる頃合いであることに変わりはない。故あって真冬の深雪積もる山を駆けた経験も豊富な一夏からしてみれば、少し肌寒く感じる程度はどうということはないのだが、それでもそんな中から抜け出して暖に身を任せるのは心地よいものだ。

 一日の授業が終わっての放課後、副担任の真耶より寮の自室の鍵を受け取った彼は、そのまままっすぐ部屋へと向かうのではなく一しきり学園の敷地を散策してから自室へと赴いていた。

 

 通常の学校であれば入学初日以後二、三日は学内の案内などを始めとしたオリエンテーションが行われるのが通常だが、ISに関する各種理論学や実機訓練を行い、そこへ更に数学などの一般教養の科目までカリキュラムに組み込んでいるIS学園ではそのようなことを行っている余裕はない。

 そのため学園側は生徒に対し、学内などの施設は各所に配置された案内板や個人に配布された地図――当然ながら機密性の高い区画などは存在を感知されないように省かれたもの――を頼りにして、個々人で場所の把握を行うべしというスタンスを取っていた。

 

 事前にネットなどで調べた情報によれば、学園施設内にはISの訓練を行うアリーナを始めとして、トレーニング用のジムなどの設備も充実しているとのこと。こと、肉体訓練においては並々ならない執着を持っていると自負している一夏としてはそうした施設の情報は要把握事項であると思っており、この日の放課後は専らそうした設備の位置把握に費やしたのだ。

 そうこうして気が付けば日も暮れかけ、敷地内の見回りでたまたま歩き回る一夏の姿を見つけた警備員に寮の門限が近いことを告げられて戻ったのが少し前。そして今、彼は部屋に備え付けられた簡易ティーセットを使って暖かい緑茶を啜っていた。

 

「……で、何故こうなっているのだ……?」

 

 椅子に腰かけながら緑茶を啜る一夏に不機嫌を宿した少女の声が掛る。声音、掛ける言葉、その双方から初対面のような雰囲気は感じられない。

緑茶を啜りながら一夏は声のした方を向く。視線の先、二人部屋となっている寮の部屋に備え付けられた二つのベッドの内、窓側にあたるベッドに座るのは一夏のルームメイトとなった同級生。

 一夏に向ける目線こそ不機嫌の色を浮かべているが、その容姿は十人中十人が見事と言うものであった。ポニーテールに纏められた長い黒髪は艶やかな黒色に煌めくと共に柔らかさを感じさせ、その風貌は凛と整っている。

 古き良き日本美人を体現した存在がそこにはあった。だが、そのようなことは一夏にとっては瑣末事。ここで重要なのは、一夏にとって彼女が既知であるということ。

 

 篠ノ之箒。それが彼女の名であった。

 

 ここ数年で急速に知名度の上がった日本人姓が二つある。その片方は『織斑』。一夏も同じく持つ姓だが、少なくとも男性IS適性者の発覚が為されるまではこのことと一夏は無縁だったろう。むしろ彼の実姉千冬の功績によるところが大きい。

 そしてもう一つの名が『篠ノ之』。今一夏と部屋を共にしている少女、箒の持つ姓。だが、一夏同様に彼女もまた、知名度とは一切無縁。名を世界に知らしめた張本人。それは篠ノ之束。千冬の幼馴染にして親友。そして、ISの開発者である。

 

「何でもよ、部屋の調整が上手くいってなくてしばらく二人部屋で我慢して欲しいだと。遅くても一月もしたら部屋移動できるようになるらしいし、まぁそれまでの辛抱だな」

 

 一夏も箒の声に含まれる不機嫌ははっきりと感じ取っていた。一応同じクラスであることは昼間の、というより最初のHRの時点で把握はしていたのだが、その後に話す機会が今に至るまでほとんど無かったために彼女の不機嫌の原因が何なのか図りかねていた。

 

「しかし、いくらなんでも昔知り合いだったからって良い年した男女を同じ部屋にぶち込むとは、先生も大胆なことをする。まぁ、お互い上手く気を使おうじゃないか」

 

 図りかねるからこそ一夏は己で推察することにした。かれこれ六年ぶりの再会となるが、少なくとも一夏の記憶にある篠ノ之箒という人間はやや固い性格をしていた。

 仮にその頃の性格が残っているのであれば、いや、僅か二言三言だが言葉を交わしてみて理解した。六年前から箒はあまり変わっていない。ならば話は簡単だ。彼女の気質が年頃の男女が同じ部屋というこの事実を是としないのだろう。

 

 性格面での合致はさておきとして、それに関しては一夏も同意するところだ。だからこそ、彼は先回りしてそれについては正式な部屋の移動が決まるまでお互いに上手く気を使ってやっていこうという提案をしたのだ。

 

「む、それは構わんが……」

 

 一夏の言葉には箒も同意するのか納得するように押し黙る。だが、その直後に表情に再び影が差す。

 

 そういうことではない。言いたかった言葉は口から出ることは無かった。何とも思わないのか、疑問に思う。六年ぶりの再会だというのに、一夏の態度には感動するような様子がまるで見られない。

 六年間、まともに連絡も取れなかったのはお互い様であるゆえに彼女もまた、今の一夏がどういうものなのかは知らないが、少なくとも平坦いつも通りという風にしか感じられない。それが一番癪であった。

 

 篠ノ之箒は織斑一夏に恋心を抱いている。

 このことを知っているのは自分だけだろうと箒は思う。いや、あの姉くらいはもしかしたら察しているかもしれない。無論それも人間的な感情などではなく、心理学やらの小難しい理屈を根拠としてのことだろうが。

 

 箒の記憶にある姉は、少なくとも人間としてはこと人格面は失格も良い所という認識だ。自分、千冬、そして一夏。心を開いた人間がその三人くらいしかおらず、後の者には無関心か、あるいは見下すか。なるほど確かに、文字通り世界の流れを大きく変えた一個人、天才という表現すら生温すぎる頭脳の持ち主である彼女にしてみればその他大勢の人間など興味を持てないだろう。理屈では分からなくはない。

 だがそれでも、その人格を箒は認められない。その頭脳に、その人格に、もっとも立場を、心を、人生そのものを、振り回されてきたと断言できるからこそだ。

 

 ISが白騎士事件によって世に広まり、徐々に世界がISというものを受け入れる形を整えてきたころ、束は突然行方を眩ませた。

 

 ISの心臓であり最大のブラックボックスであるコアの製造法を唯一知っている人間の失踪、それもどこぞの組織や機関に害されたというものではなく、自らの意思で行方を眩ましたという事実は世界各地の政の場を揺らした。そうして生まれた波紋は、箒の生活にも影響を及ぼした。犯罪組織に、あるいは国外の何某かに脅迫のための人質とされるのを防ぐため、何より日本政府が束に対するカードとするため。箒はその身辺を完全に政府によって抑えられた。

 法律の関係上、米国の証人保護プログラムのような徹底した措置を取られなかったのは幸いであったが、それでも常に目を凝らせばガードと思しき人間が目につく生活は窮屈であった。

 

 繰り返す転居の日々、当然ながら通う学校も幾度となく変わった。そのどこでも、同時に『天災・篠ノ之束の妹』という肩書きが付いて回り、それが更に彼女の気持ちを重くする。中にはそうした彼女の境遇、心情を察し純粋な善意で暖かく接してくれる者もいたが、役人の都合ですぐに転居、引き離されることがむしろその暖かさを苦痛に変えていた。

 そんな中で癒しとなったのはもはやそれ以前の、恋心を抱いた幼馴染との日々だけだった。

 

「で、だ。一夏、お前はどうするつもりだ?」

「何を?」

 

 落ち込んだ気分を変えるように箒は別の話題を自分から切り出す。とぼけたような返答をする一夏に僅かながら苛立ちを感じるも、敢えて責めることはせずに言葉を続ける。

 

「決まっているだろう。――試合のことだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は二限目の授業が始まった直後のことだ。

クラス代表を決める。千冬が発したその言葉が全ての始まりだったのだろう。

 

「クラス代表とは、いわゆる級長の認識で構わない。教師からの伝達事項をクラスの各員に伝え、行事などの際にはクラスを取りまとめる。だが、ここはIS学園。持ちうる職責はそれだけではない。

 代表例に挙げられるのが、詳細は追って知らせるが後々行われるクラス対抗戦ISリーグへの参加だ。クラス対抗戦は諸君のクラスの団結力、士気を高めることの他、将来諸君が一線で活躍するにあたって要されるスキルを身につけるため、日頃の素行から教師陣で評価を行い点数で競うものだ。

 そしてその中の一部門にクラス代表者で行うISによるリーグ戦がある。クラス代表にはこれに出場してもらう」

 

 その言葉に教室内は再びざわめきたった。より早期の習熟のため、遅くとも今月下旬には実機を用いての基礎訓練を始めるとは聞いていた。だが、それでも満足にISを用いての訓練ができるまでそれだけ掛ると思っていただけに、それよりも早くISに触れられるかもしれないクラス代表の立場は、決して聞き逃せない内容であった。

 より早くISに触れられるかもしれないという希望に色めき立つ教室を見回して千冬は僅かに目を細める。そして口を開き、だが――と前置きをする。直後に教室全体が静まり返ったのを確認して彼女は言葉を続けた。

 

「忘れるな。諸君が扱うのはISであるということを。かの篠ノ之束は確かにISを宇宙空間活動用パワードスーツとして発表した。知っている者は私が彼女と親交を持っていたことを知っているだろう。かつて幾つかのマスメディアが報じたことだが、否定はしない。

 ゆえに、私もまたISのその本来の用途を知っている。私もまた、ISの本来の用途は宇宙という新たなフロンティアを、人類の未来を切り開くものだと思っている。だが、現在の世界情勢が人類が求めたISの在り方を示している。即ち、兵器だ。

 ここで断言しよう。IS本来の姿はただのパワードスーツだ。だが、紛れもない戦術級の極めて強力な兵器だ。然るべき乗り手、然るべき機体を揃えれば、一国に深刻な出血を強いることも可能だ。それも、既存の戦術、戦略兵器を用いるよりも遥かにコンパクトにだ。

 自分たちが扱う物がそれだけのものであるという意識を忘れるな。ISはシールドが、絶対防御が存在するから安全などという意見があるが、経験者から言わせてもらえばあのような意見は安直甚だしい。かの事件より十年、開発の中で事故も幾度となくあった。傷つく者も多くいた。

 例え訓練の段階であっても、それだけの代物を扱うという意識を忘れずに、確たる意思の下に希望する者のみが名乗りを挙げろ。以上だ。クラス代表に我こそはと思う者は挙手をしろ」

 

 千冬の言葉に、今度は沈黙を伴った緊張が教室に走る。生徒達は皆一様に周囲に目を配りながら、如何にすべきか悩む素振りを見せていた。千冬の言葉、その意味する所を理解したからこその迷いであった。

 それで良いと、千冬は責める気持ちは無かった。ここに集った者達は――極一部の例外を除いて――厳しい選定を潜り抜けて来た、まさにエリートの卵と呼んで差し支えない能力の持ち主達だ。だが、所詮は能力ばかり。

 

 国で多少なりともISに触れた経験があるものもいるだろうが、人間的には未だ十代半ばの少女のソレとまるで変わりがない。それは責められようがないことだ。だからこそこの迷いも当然のことであり、重要なのはこの後の決断。

 迷いの末に一歩を踏み出すか、それとも敢えて留まるか。踏み出すも是。留まるも是。どちらにも肯定されるべき理由があるために千冬は生徒達の選択にあれこれと口を挟むつもりはない。

 

 だが願わくば、千冬一個人としての極めて個人的希望を言うのであれば、己が受け持つクラスの生徒達には例え不安を抱えたままでもいい。一歩を踏み出す気概を持って欲しいという思いがあった。

 

「……」

 

 無言のまま、一本の手が天に向けられた。一瞬、教室中が張りつめる。千冬もまた、挙げられた手の主に視線を向けていた。その目は僅かに見開かれていた。

 手の主は己のすぐ目の前に居た。織斑一夏、世界初にして現状唯一の男性IS適格者、そして己の実弟。その彼が誰よりも先んじて一歩を踏み出していた。

 

「立候補者は織斑一夏、か。他には」

 

 感慨、と呼ぶには少々異なる何かの感情が僅かに湧くのを感じた。だが、それを面に出すことはせずに淡々とした口調を保ったまま、千冬は他の立候補者が居ないかを確認する。

 だが、依然他の者が手を挙げる気配は感じられない。一夏が手を挙げたこと。そのことへの驚嘆か、あるいは意外という心境か。とにかくほぼ全員が一夏に注視しているため、必然的に手を挙げる者が居ないという状況が生まれていた。

 

 時間も圧している。できれば他に自発的に手を挙げる者を見てみたかったが、個人の希望を押しとおして全体の流れに支障をきたすわけにもいかない。このまま一夏を唯一の立候補者として代表に任じようか。そう思った矢先だった。

 

「はい」

 

 凛とした少女の声が響いた。同時にスッと静かな挙作で挙げられる手。手の主が居るは後方。一夏とは対照的な位置だった。

 

「わたくしも、このセシリア・オルコットもクラス代表に立候補致します」

 

 無言の首肯で千冬はセシリアの立候補を認めた。

 

「現状、立候補者は二人か。……時間も圧しているな。丁度良い。立候補者二名、何か発言があれば言え。他の者は話を聞きながら、自分がどうするかを考えろ」

 

 その言葉に無言で二人、一夏とセシリアは席より立ちあがる。そして、一夏はゆっくりと後ろを向く。制服のズボン、そのポケットに両手を入れた姿は傲岸不遜であり、同時にこの緊張に一切臆していない余裕を見せている。

 

「さて、レディ・ファーストと言うよな。オルコットだったか? 所信表明があるなら、先を譲るよ」

 

 細められた目とは裏腹に軽快な口調で促す一夏に対し、セシリアもまた僅かに目を細める。互いに細められた視線の交差は数瞬。すぐにセシリアは瞑目すると、開いた目に力強い意思の光を宿しながら口を開いた。

 

「いいでしょう。では、お先に失礼させて頂きます。本音を申せば、わたくしは他の方が立候補をなさっていればその方でもよろしいと思っておりました。ここは学び舎。教師から我々生徒が教えを乞うばかりでなく、わたくし達生徒もまた、互いに教え教えられ高め合う場。

 わたくしは英国の代表候補生として、国より預かった最新の第三世代型のデータ蓄積を主目的としてここに来ました。わたくしの本来の目的に沿うのであれば、ここで真っ先に代表に名乗りを挙げるべきでしょう。ですが、もしわたくしの他に代表という立場になって自らを高めようという意思を持った方がいるのでしたら、わたくしは代表候補という先達としてその方に助力する心づもりでもありました。

 データの収集は、専用機持ちという立場上代表でなくとも機会には恵まれておりますので。ですが、あなたが名乗りを挙げるというのであれば話は別です」

「へぇ?」

 

 僅かに声のトーンが下がる一夏。挑発的と取ったからか、一夏から怒気にも近い不穏な気配が漏れる。それを間近で浴びることになった隣の席の少女が僅かに身を引くが、それに一夏が気付いた様子は無い。

 

「わたくしはISに誇りを持っています。それを扱うことに、扱う術を学べることに。そして――えぇ、はっきりと認めますが、わたくしはあなたに良い感情を持っていません、織斑一夏。

 IS乗りは、わたくし達女性だけに許された領域です。男性を貶めるわけではありませんが、そのことに矜持を持ってきました。わたくし達女性のみの力で、生まれ育ち想い深き故郷に貢献できることを。だからこそ、その領域にいきなり踏み入ってきたあなたをそう簡単には認めることができません」

「……」

 

 一夏は無言でセシリアの言葉に耳を傾ける。耳を傾けながら、一夏は軽く教室を見回す。位置的にちょうど教室全体を見回せる位置にあるが、見れば多少なりともセシリアの発言に同意する部分を抱えているのか、小さく頷く者も少数名ながら見受けられた。

 ふん、とだけ小さく鼻を鳴らす。別に意外なことではなかった。自他共に認める武術バカの自分ではあるが、暇なときはむしろインドア派に近く、人並みにネットなども嗜む。

 

 自分のIS適性が発覚してからそこそこ経つが、探せば匿名掲示板などで自分についてのアンチ要素を含む発言などいくらでも見つかる。特に現在積極的にメディアへの露出に勤しんでいる「社会派」と呼ばれる言論による、ISの存在を基とした女尊男卑の社会体制を訴える派閥など、自分のことを疫病神扱いする始末であった。

 それにくらべれば、ノコノコ表れたのが目に付いた程度のセシリアの発言など、むしろ可愛い部類である。

 だが、言われっぱなしは一夏の性分に反する。そこで初めて一夏は口を開いた。

 

「なるほど。つまり、お前が俺を認めるかどうか。重要なのはそこってわけだな」

「……確かに」

「良いぜ。なら、今度は俺の番だ」

 

 そこで一夏は静かにポケットから両手を抜く。僅かに歩を進め、机と机の間の通り道に立つ。その一夏の挙作の一つ一つに、教室中の視線が集まる。

 

「ご高説お見事、と言っておこうか。国への貢献ね。俺もこの日本に愛着はあるけど、お前のように誇りを持つほどじゃあない」

 

 その言葉にセシリアの眉根が僅かに上がる。誇り――名家に生まれ育ち、かくあるべしと育てられた彼女にとって誇りとは重々に重んじるべきものという認識だった。

それを軽視するような発言は、正直なところ不快に感じた。

 一夏もまたセシリアの不穏な気配を感じ取っていた。だが、彼はむしろ薄い笑みを唇に浮かべながら言葉を続ける。

 

「言っておくがな、俺にもプライドはある。けどそれは国のためとか、誰かに捧げるもんじゃあない。俺が持つのは俺の、武人の矜持だよ。

俺が代表になった理由? 決まっている。そうした方が手早く高みに行けそうだからだ。剣術を、無手の武術を、そしてISの適性が分かった今、IS戦技の、武の高みに昇ること。それが俺の生涯の目標、矜持だ!」

 

 胸の前で右手で作った拳を握りながら一夏は吠える。そこに余計な理屈など要らない。ただ自分が武人だから。そう思っているからこそ、己は強さを求める。そうすることが、武人であることの全て。それが一夏の、信念。

 

「随分と我欲的ですわね。つまりあなたにとってクラス代表とは、誰のためでもない自分が上に行くための踏み台のようなものだと?」

「だとしたら?」

「只管に高みを目指す、その心意気は買いましょう。ですが、その利己的な姿勢は看過できませんわね。何より、クラスの代表になるということはこのクラスの皆の上に立つということ。上に立つ以上は、下につく者達のために与えられた権限を振るう義務があります」

高貴なる者の勤め(ノブレス・オブリージュ)ってやつか。その考え方は否定しないし、むしろ俺は肯定されるべきだとも思うさ。だがな、この信条ばかりは譲れないんだよ。より素早く、そして確実な、極めた強さの領域に辿り着くには例え誰かを踏みつけることになっても断固たる意思で前に進むべきというな。元より、強者の称号はより高い次元に居る少数に、ましてや最強ともなればただ一人に与えられるものだ。むしろ、誰かを蹴落とすことは当然だろ」

「お言葉を返すようですが、わたくしもあなたの語る『強さ』の理念を真っ向から否定するつもりはありません。確かに一理あるのも事実です。ですが、何者も顧みないというのがわたくしには認められないのです」

「前を進むたびに一々後ろを振り向けと言うつもりかよ? いや、確かに過去からの反省を活かすのは大事さ。けどな、自分に負けた相手にまで一々構ってたらキリがないんだよ。まだ勝つべき相手が居る、なのに勝った相手にいつまでも感傷くれるなんざ、馬鹿馬鹿しい」

 

 繰り返される言葉の応酬に、二人の間の緊張が少しずつ高まっていく。張りつめていく空気を感じたからか、教室内の生徒達が一様に息を飲む。そこに、別の第三者の声が響いた。

 

「そこまでだ。互いの持論をぶつけあうのはまた別の機会にしろ。このままでは平行線になるのが目に見えている」

 

 張りつめた雰囲気を両断するかのように鋭く、しかし同時にある種の呆れを含んだ声で千冬が待ったを掛けた。

 

「いずれにせよ、候補者が二人出た以上は何かしらの方法で決定しなければならんのだ。まずはその方法を決め、続きはその時にでもしろ」

 

 そうして一夏とセシリア、二人のクラス代表の座を賭けてのIS試合が行われることが決まるまでに、それほどの時間は掛らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝機はあるのか?」

「わざわざ、お上が専用機用意してくれるって言ってんだ。後は、鍛えた技と意地と根性と執念で押し切る」

 

 代表候補生相手にただ性別が男であるという以外はズブの素人でしかない一夏が挑む。はっきり言って無謀でしかない。それは誰の目にも明らかで、当事者である一夏もまた理解していることだった。事実、二人の試合が決まった時、クラスの数人はハンデの設定を一夏に勧めた。他意など無い純粋な善意によるものであったが、それを一夏は一蹴していた。

 

『俺は一向に構わんッッ!!』

 

 気合いの籠った一喝に静まり返る教室。呆れたようにこめかみを押さえる千冬の姿が印象的だったが、とにかくそれっきり。それっきり、一夏にハンデを進めるものは居なくなった。

 

「まぁ、うちの姉が家でポロっと言ってたけどよ、IS動かすのには生身でどんだけ体動かせるかも重要らしい。それなら、俺にもアドバンテージはある」

 

 その言葉に箒は、「そういえば自己紹介で剣術を嗜んでいて、他にも空手に柔道、最近じゃムエタイも少々」などと言っていたなとと思った。

 いや、実際問題それらの経験が役に立つとしてもである。厳しい状態に変わりは無いことは間違いない。ISに関してはド素人という事実は依然として厳然と存在していることに変わりはないのだから。

 

「とにかく、これは俺の勝負だ」

 

 有無を言わせない。言外にそう告げる一夏の言葉に箒は押し黙るしかなかった。

 変わらず茶を啜り続ける一夏の姿を見ながら箒は目を伏せる。六年、それだけの年月を置いて再会し、今こうしてすぐ近くに居る、だが、箒は一夏との間に見えない、超えようがない壁があるように感じられて仕方が無かった。

 

(しかし、専用機か……)

 

 試合が決まった直後、千冬が一夏に告げた言葉。政府より貸与される一夏の専用IS。一応、その意味合いも並み程度には知っていたため、あの時のクラスの驚きは一夏の理解が及ぶところであった。

 

 はっきり言ってしまえば一夏は己の処遇を巡っての思惑の交差になど、興味は微塵たりとも持ちえてはいなかった。

 そも、それを行っているのは自分が生まれるよりも遥か以前からそうした騙し騙され蹴落とし蹴落とされ、さながら魑魅魍魎の跋扈する伏魔殿と呼ぶに相応しい政の場を生きてきた老獪達。

 

 ニュースなどで見ることのできる昨今の経済事情や国民の意思とそぐわない政策を見るに、本当に政治家に相応しいのかと首をひねることは多々あるものの、白騎士事件における篠ノ之束、そして当時実質彼女の独占化にあったISという当時の状況では御しきれそうにない爆弾を身中に抱えながらの、各国の追求に対しぬらりくらりとした当たり障りのない対応、そこからの致命的な政治的不利の回避、極東圏におけるIS技術の優位性、当該事件の引き金の被害者側という立場を利用しての政治的イニシアチブの確保は十分に評価できるだろう。

 ゆえに断言できる。自分ごときがどうこう言ったところで何も変わりはしないと。ならば興味を持つだけ無駄というもの。

 

 無論、一夏とてただ状況に流されるを良しとはしない。このまま流されたところで、自分は権力者の思惑の良いように振り回されるだけだろう。そのようなことは断じて我慢ならない。

 彼個人の極めて偏見的な主観も加味した上での表現をするとして、革張りの椅子の上で内臓脂肪をこれでもかと蓄えた段腹を揺らしながら踏ん反りかえる、或いはそろそろ良い年になって骨と皮ばかりになっていつポックリ逝ってもおかしくない、そのような年寄りに振り回されるなど、憤怒以上に殺意の籠った嫌悪が湧きあがるというもの。

 ゆえに考えた。そうならない方法を。そしてそれは至極単純なものであるとも気付いた。すなわち、『ISによる立身栄達』である。それを考えれば、専用機というのは悪くない。

 確かに一夏個人のステータスにはなるだろうが、あいにくそんなものより単純な個人としての力の方が興味がある。そういう意味では、それを試せる今度の試合も決して悪いものではないだろう。

 

 

(まったく、これだから『武』は辞められん)

 

 胸中に湧いた狂気じみた感情。それに流されるのを本能的に阻止しようとしてか、一夏は残った茶を一息に飲み干した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。例の少年がイギリスの代表候補生と早々に試合か……」

「こちらとしてもデータはなるべく欲しいが、些か早すぎるような気もしますな」

「倉持には少々急いでもらうことになるが、まぁ支援金を貰っている身だ。このくらいはしてもらわねばな」

 

 某所。一切の電子機器を省いた空間で交わされる会話があった。駆け足と呼ぶには生温い速さでデジタル化が進行している時世にありながら、あえてその流れと反するかのように会合から一切の電子機器を取り払うのか。その意図を語る者は誰一人として居ない。語る必要も無い故に、である。声の主は一様に相応の年を経ただろう男性のもの。静かに語る声に乗せられた重みが、彼らの歩んできた人生の重さを示している。

 

「しかし、男の適格者が現れるのはまだ良い。だが、もう少し後になってからでも良かろうに」

「まぁ、そうですな。ようやくIS周りのあれこれも整った矢先に、今回の一件。それも我が国でだ。上手く扱えば利は見込めるが、何とも厄介な……」

「起きたことを言っても致し方あるまい。それに、彼の少年を責めるわけにもいかん。これより先、我らのような腹の黒い年寄りの思惑に振り回されるだろう彼の将来を考えれば、むしろ被害者に近い」

 

 茶化すような言葉に軽い笑いが起こる。各々謀略渦巻く政争に身を置く立場。たとえ集う面々が個人的親交を持つ朋友同士であっても、常にその腹の内に一物抱えていることを皮肉るような言葉に、それを自覚しているがゆえに一同は笑いを禁じ得なかった。

 

「まぁ、当面は静観としようか。分からぬことばかりの内に手を出すのは失策も良い所。各々方、今しばらくは足場を固めるということでよろしいか?」

 

 一人の男の提案に無言の肯定を残る全員が返す。その直後だった。

 

「……来たか」

 

 それまで無言を貫いていた男、この場に集う面々の中でも特に剛腕、堅物などの異名で知られる男が低い声で呟いた。

 

「ご無礼申し訳ありません。少々興味深く、お話を拝聴させて頂きました」

 

 室内に響いたのは鈴がなるかのような女の声だった。その声に動じた様子も無く、男達は声の方向に視線を向ける。

 部屋の角、光の当たらぬ暗がりにその姿はあった。己を包む闇と同じ、黒の装束に身を包んだ若い女。壁に背を預け腕を組む姿は優雅であり、同時に妖艶さも漂わせている。

 

 しかし、浮かべる微笑は無垢なる少女の様。純真と魔性の混在した、形容しがたき存在がその場にあった。

 そして、そのような存在が不意に現れたことに誰も何も言わない。皆が皆、女の正体を知っており、そしてこのようなことを平然と行う人格であるとも承知しているからだ。

 

「で、貴様は何を思う」

 

 余計な言葉を飾らず、女の出現を告げた男は彼女が自分達の話を聞いた上で何を思ったのかを問う。

 

「何も。元より、彼の少年には私も興味を持っておりましたので。ご存じのはずでしょう? 私と彼の間の奇妙な縁。そしてそれはあなたにも言えること。違いますか、おじ様?」

 

 最後の呼びかけ、そこにだけ親しみを込めて尋ね返す女に、男は固い鼻息を一つだけ漏らす。

 

「貴様が何をしようが、敢えて我々は何も言うまい。それだけの能力があり、それを基に我々は認めているのだからな。だが、下手は打つな」

「無論」

 

 そう言って女は優雅そのものの仕種で一礼をする。手の動きに合わせて、その手首に付けられた飾り紐、その先に添えられた同じく漆黒に彩られた蓮の花を象った飾りが揺れて小さく音を上げる。

 

 気が付けば女の姿はその場から消え失せていた。別段、面妖な黒魔術の類を使ったわけではない。そもそも、そのようなものは存在しない。ただ普通に歩み部屋を出ただけ。だがその動きがあまりにも迅速で、あまりにも静謐で、余りにも気配が希薄で、あまりにも存在感が無かったため、いきなり消えたように見えただけ。

 女が完全に去ったのを確認し、男は掛けていた椅子に深く背を預けた。

 

「やれやれ、我らを害することは無い、むしろ我々の味方と分かっていても心臓に良くない娘だ。まだ若いのに、どうしたらあのようになれるのやら」

「元よりそのような気質なのだ。言うなれば、アレの才というもの。年など、なんの当てにもなりはせん」

 

 困ったように呟かれた言葉に男が憮然としたような口調で返す。そこで別の声が男に掛る。

 

「しかし、よくよく考えればあなたも中々に奇妙な縁をお持ちだ。彼女しかり、彼の少年しかり」

 

 その言葉に、男は静かに首を横に振った。

 

「私ではない。全ては、あの馬鹿息子だよ」

 

 その言葉はこの場の誰でもない、遥か遠くに向けられているような響きを持っていた。

 

 

 

 




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