私事で恐縮ですがね、まさかあと二日で期末も終わるって日にすでに受け終わった別の科目のテストの再試のお知らせをくらうなんて思ってませんでしたよ。電気回路演習、面倒くさすぎんだろよ……
まぁこういうお知らせが早いのは助かるのですが……
今回はvs暴走レーゲンです。割と今さらなのですが、本作では基本的にISはそのほとんどを略称で呼称します。え? 理由? 一々フルで全部書くのが億劫だからです!(ドヤァ
というわけで、どうぞ。
「ガッ、ハァッ……!」
背中から壁に猛スピードで叩きつけられた衝撃にラウラの体はたまらず肺の中の空気を無理やり吐き出させられていた。
苦い経験の象徴でもある左目の封印を解いてまで取りに行った勝利だが、結果はこのザマだ。もちろん、そこに至るまで相手にも決して軽くない損傷は与えた。だがそれはお互い様だ。
互いに同じだけの傷を受けたのであれば、後はいかに早くそこから立ち直り、苦を苦とせずに相手を倒そうと己を動かせるかだ。そこに必要なのは徹頭徹尾自分自身のみだ。IS、優れた武器、特異な能力、何も関係ない。一人の戦士として積み重ねてきたものだけが物を言うのだ。
早く立ち直ったのは相手の方。この機を逃すまいと迫る攻撃を何とか凌ごうとするも、主武装である回転刃はその片方を折られ、そのまま一撃二撃と続けざまに攻撃を受ける。
不意に視界が閉じた。それが己を頭を鷲掴みにしている一夏の、白式の手であると理解するよりも早く体がバラバラになるのではないのかと思えるほどの衝撃を受けていた。
それが敬愛する恩師の切り札の一つによるものであると理解することもできぬまま、今度は束の間の浮遊感が全身を包み込む。そして、激痛により朦朧とする意識の中、胴の真芯に叩き込まれた衝撃に無理やり意識を叩きこされたラウラの目に映ったのは遠ざかっていく空、再度の背中への衝撃と共に舞い上がった土煙、そしてその値がゼロへと一気に減っていくレーゲンのシールド残量の数値だった。
(私は……負けるのか?)
ラウラ・ボーデヴィッヒには親が居ない。だからと言って別に彼女とて木の股から出てきたわけでもないし、コウノトリがどこからともなく運んできたわけでもない。
彼女を産んだ血の繋がった両親は彼女が乳飲み子である時分に事故で他界し、唯一頼れる可能性のあった遠縁の親戚も家庭の経済状況の厳しさゆえに彼女を引き取り育てることができなかった、そう彼女は生まれ育った国軍の援助で運営される孤児院の者から聞かされていた。
持って生まれた才覚によるものか、ラウラ・ボーデヴィッヒは聡明な少女だった。自分の置かれた環境にただ悲嘆するでもなく、その中で自分に何ができるのか、どうするのが自分にとって良いことなのかを考えることができた。
そして全世界を雷鳴のように駆け抜けた白騎士事件の勃発、そこから端を発するこの世界におけるISの歴史の開闢から数年が経過した時、彼女が選んだのはIS乗りとして身を立てることだった。
どこの国を見渡しても、それこそ開発者の出身国ですらISの扱いに手をこまねているなか、ドイツもまた同じような状況にあった。そうして時の軍が打ち出した一つの方策が、優れた適正を持った搭乗資格保持者(つまりは女性、それも少女のことである)に早期から軍、さらには政府の援助の下で専門的教育を受けさせ、将来的には世界でもトップレベルの質を持ったIS乗り達を国家として保有するというものだった。
それこそ皮算用と言われてもおかしくないような方策、そこから国中に広げられた募集にラウラは迷いなく志願したのだ。
(私が、黒ウサギの栄誉ある一員の私が……)
身を立てると同時に、乳飲み子でありながら天涯孤独となった自分を養い育ててくれた国への恩義を奉仕という形で返す。当時十と少しを数えたばかりの、それこそ正しく同じ道を志した同胞たちの中でも最も若年でありがながら確固たる意志を持って一歩を踏み出したラウラは、その意思と国家に認められた才覚を如何なく発揮し順風満帆の道のりを辿っていた。
そこへ突如として立ちはだかった壁であり挫折、それが彼女の左目に宿るものだ。途端に落ち込む成績、純粋に気遣う同輩たちの言葉すらまともに受け入れられなくなっていた中、彼女の前に現れたのが織斑千冬であった。
何てことは無い。自分が教える以上は他の者達と同じように相応のレベルになってもらう。そう示すような姿勢で授けられた教えは、ラウラを文字通り救った。再び返り咲いたトップの座、それは数字としての成績だけでなく、祖国唯一のIS運用専門部隊、その実働部門の隊長に任ぜられたことが示していた。
だが、それだけの結果を出した頃には既に千冬は彼女の前から去っていた。それも当然の話だ。元々そういう契約であり、千冬にもまた帰るべき場所が、そこで待つ者が居るという当たり前の事実があっただけのこと。そのことをラウラは十分に承知していた。それでも、思ったのだ。もっと一緒に居たいと。嫉妬だとも分かっている。けれど、千冬が帰るべき場所と定めたそこは、本当にそれほどの価値を持っているのかと疑ったのだ。
それを確かめる機会を不意に訪れた。白騎士事件以来の衝撃とも言える初の男性IS適格者の発覚、その調査と同時期に開発された新型の実地データ取得、それらを目的としてのIS学園への編入の話がラウラの下に舞い込んだ。
二つ返事での了承だった。海を渡り日本へと渡る最中、ラウラは一人の人物について考えを巡らせていた。件の騒動の中心人物、織斑一夏。はっきり言ってISを男の身で動かしたなど彼女にはどうでも良かった。そればかりは男であるならどこの誰であれ同じことだ。重要なのは、彼こそが千冬がラウラの前から去り故郷へと帰って行った言うなれば楔そのものであるということ。
そう、ただの嫉妬でしかないと分かっていた。だがそれでも、どうしても納得したかったのだ。自分自身で、織斑一夏は織斑千冬にとって必要なのだと、いいや違う。もっと単純に、自分が彼を認められるかどうかを、直接知りたかったのだ。
(あぁ、もう……認めているさ)
転校したばかりの、最初の顔合わせ。不敵な笑みと共にからかわれた。授業での彼の檄を飛ばしながらの同級生への指導は自然と自分の意識も刺激された。初めての手合せの時、突然の申し出にも出来うる限りの対応をしてくれたことには素直に感謝した。そしてその後の妙技には思わず舌を巻かされた。
久方ぶりの恩師との二人きりでの会話、その後に彼と二人で話した時の彼の『力』、『武』への真摯な思いは、決して直接的な解答にはならなかったが、聞いていて悪いものではなかった。
二人の候補生を同時に相手取り勝利を収めたあと、奢ってくれたプリンの味はとても良いものだった。
そうして今日、ようやく訪れた大舞台での本格的な勝負。機体の要である最新装備は見抜かれ、封印を解いた左目すらも通用しきらなかった。だが実際に技を交えたからこそ分かる。彼もまた、今の時点で出せる力を出して本気で立ち向かってきていた。
互いに本気で勝ちたいと願い、片方だけに与えられる勝利を目指して競い合う。否定できない。そこにラウラは確かな充足感を見出していた。
認められるかどうか分からなかった相手を認められた。敬愛する恩師と再び身近に接することもできるようになった。刺激を与えられる競い相手達も多くいる。そして、戦いそのものにすらこんな気持ちを持てる。これを満ち足りていると言わずして何と言うのだ。
そしてこれだけ多くのものが揃ったのだ。ここまで来たのであればもういっそのこと――
(勝ちたい……!)
胸の内に満ちていた全てが勝利への欲求に置き換わる。まだ、まだ動ける。まだ戦える。勝ちたい、勝ちたい。
――カチタイノカ――
強く思っていたからだろうか。ふと聞こえてきたその小さな言葉に迷うことなく肯定で返していた。直後、異変は起きた。
「あぁっ! グッ!! あぁああああああああああああ!!!」
全身に痺れるような痛みが奔る。たまらず苦悶の叫びを上げる中、ラウラはまるで何かが自分を塗りつぶそうとしているかのように意識が闇に堕ちかけていくのを感じた。そのことに全身がサッと冷えていくような恐怖を覚えた。
(ち、違う! 違う違う!)
こんなことは望んでいない。自分はただ、もっとちゃんと彼と競い合ってその果てに堂々と勝利を勝ち取りたいのだ。こんなことでは断じてない。
だがそんなラウラの抵抗も空しく意識を覆う闇は止まることなく広がっていく。
(私は……私は……)
悔しい。せっかくこの上ないまでに爽快な心持ちで、間違いなく互いに納得のできるだろう戦いができていたのだ。それがこんな形で邪魔をされてしまったことが、何よりその引き金を自分自身で引いてしまったことが堪らなく悔しい。
ぼやけ始めた視界の先で自分の方を見つめる一夏が驚愕の表情を浮かべているのが見えた。こんな無様を晒してしまっていることが悔しい。何より、せっかくの勝負に自分自身で水を差してしまったことに、彼への申し訳なさが募る。
「 」
せめて一言だけでもとラウラは口を開き動かす。だが口から洩れるのは息が吐き出される掠れた音だけだ。しかし、それを見た一夏の表情は間違いなく変わった。驚愕の感情を引っ込め、眉根に皺をよせながらも真剣な眼差しを向けながら頷いた。
伝わった、それを自覚したことによる安堵で気が緩んだことによってか、ラウラの意識はそのまま闇へと落ちていった。
「なに、あれ……?」
アリーナの片隅で倒れた箒の様子を見ていたシャルロットはこの状況に思わず呆然とした呟きを漏らしていた。
激戦の果てに一夏はラウラに勝利を収めた。結果としてそれは悪いものではないし、別れる直前の約束もきっちり遂げたのだから何も言うことはない。だがその矢先に突如としてラウラの絶叫が響き渡り、思わず呆然としてしまう事態が引き起こされた。
シャルロットの視線の先でシュヴァルツェア・レーゲンに明らかな異常が起きていた。装甲があちこちから紫電を迸らせながらその形を変えていた。時折量子変換特有の燐光を発しながらも、レーゲンは装甲の各所を変化させていく。
他の欧州各国のISと比較しても重厚さをイメージさせる四肢の装甲は、打鉄や一夏の白式を彷彿とさせるようなスラリとした流線型に変わっていく。一夏によって破壊されたレールガンのパーツの名残や腰部のワイヤーをマウントしたパーツは不要と言うように機体から脱落し排されていく。
どちらかと言えば小ぶりな背中のスラスターは次々と、まるで角が生えるように鋭角的な形に姿を変えていき、まるで翼のような形になる。
そして最後に、両腕に取り付けられた二振りの回転刃は他の不要とされたパーツと同じように装甲から切り離される。だが、形を変えたレーゲンの手が取り外された回転刃を掴むと、まるでそれを芯として溶液中での再結晶化を行うかのように量子展開の燐光が刃を包み、やがてそれはなだらかな曲線を描く二振りの剣、それも一般に「刀」と呼ばれるソレへと姿を変えた。
「織斑先生ッッ!!!」
シャルロットが叫ぶように通信で管制室の千冬に通信を入れたのは一連のレーゲンの変化が起こる直前のことだった。
当人は自覚しているかどうかは定かではないが、シャルロット・デュノアという少女は要領が良い部類の人間に当てはまる。置かれた立場ゆえか、自身の危機への回避、あるいは受け流すということについては特にそのあたりのスキルが働く。
それゆえか、何よりもこの状況がマズイといち早く判断すると同時に自身が打てる最良の手を選び取っていたのだ。
既に管制室側も事態を把握しているらしく、シャルロットの状況の危うさを伝える言葉を聞くやいなや、すぐさま千冬が指示を下していく。
観客席に向けての、選手のISに不具合が生じたという旨のアナウンス、降りていく観客席とアリーナを隔てる曲面上の隔壁、アナウンスはなおも続き観客には不具合の対処に学園があたることや、おそらくはパニックを回避するためなのだろう、ただちの避難の指示は出ていない。
観客席の遮断隔壁が開くと同時にアリーナの壁の一部が開き、中から待機していたのだろう学園の打鉄やラファールを装備した教師陣が飛び出してくる。先陣を切っているのは真耶であり、常の様子からは信じられない程に険しい表情をしている。あの真耶にそれだけの表情をさせていることが、事態の緊急性を容易にイメージさせる。
「篠ノ之さん! 篠ノ之さん! 起きて! ピンチ! 危ないよ! エマージェンシーだって!」
ガクガクと揺らしながらシャルロットは箒を起こそうとするが、箒はただ低く呻くだけで目覚める気配はない。ウンともスンとも言わなかった先ほどまでに比べて呻いているとはいえ、若干の反応をしている以上そう遠くない内に目は覚めるかもしれないが、この状況でそれは遅すぎる。
「デュノアさん!」
教師の一人がラファールを纏いながらシャルロットの方へ寄ってくる。
「すみません! 篠ノ之さんをお願いします! 僕は織斑くんの方に!」
「分かったわ、任せて」
言葉も手短にシャルロットは箒のことを教師に託すと一夏の方へと向かおうとする。そうしてシャルロットが動き出そうとした直後、変貌したレーゲンもまた動き出した。
近接特化型そのものとしか言えないような圧倒的速さで一夏の方へと向かったかと思うと、両手に持った二刀の一振りを振る。それを咄嗟に蒼月でガードする一夏だったが、あまりに重い一撃だったのだろう、そのまま後方へと吹っ飛ばされる。
「織斑くん!」
一夏が飛ばされた延長線上に割り込むとシャルロットは一夏を受け止める。
「すまん」
一言、簡潔に礼を言うと一夏はすぐに体勢を整えなおす。生徒に危機が及んだことでいよいよ以って事態がより深刻になったと断じたか、教師陣が各々の武器を構える。変貌したレーゲンが明らかに近接型のソレであるからか、武装は全て銃器だ。
それを見た瞬間、一夏が血相を変えながら叫ぶ。
「やめろ! 撃つな!! 今のレーゲンにはシールドが無ぇんだぞ!!」
その声に教師陣が一様にハッとした様子で動きを止める。そう、一夏の言う通りだ。シュヴァルツェア・レーゲンは先の一夏との戦いによってそのシールド残量を残らず失った。
ISがコアから供給される動力とシールドエネルギーは別物だ。コアが稼働している以上は機体自体は十分に動ける。だが、シールドが尽きている以上は一切の守りが無くなった丸裸も同然の状態であり、当然ながら乗り手はISを装備しながらも生身を晒しているに等しい状態になる。そんな状態での戦闘など自殺行為も同然であり、それがISの業界においてシールドの消失と戦闘不能がイコールで結ばれている所以なのだ。
形を変えたとはいえ、レーゲンの基本的な装甲の比率に目立った変化はない。精々が頭をスッポリと覆う目の部分に赤いラインの入ったフルフェイスのヘッドセットが加わったくらいで、あとは四肢や腰部、背後のスラスターくらいしかパーツはない。
間違いなく急所とも言える胴の真芯は晒されたままであるし、そうでなくともIS用の火器はもっとも小口径のものにしても大型拳銃のソレを普通に上回っている。下手に攻撃を加えればそれが晒された生身の部分のどこに当たってもおかしくはなく、齎される結果は想像に容易い。
周囲を敵性と認識できる存在に囲まれているせいか、レーゲンはその場から動こうとしない。偶然とはいえ生じた膠着状態に好都合と感じた一夏はそのままレーゲンの観察をする。
「大丈夫ですか織斑くん! それにデュノアさんも!」
二人の傍に真耶が寄ってくる。二人を気に掛けながらもレーゲンから意識を逸らすことは決してせず、何か動きがあれば即座に対応ができる姿勢を取っている。
「俺は平気ですよ。まぁガードはできたんで。つーか先生、ありゃ何です一体。見た目がいきなり変わったかと思えば、寄りにもよってあの剣だと……?」
言葉の後半は真耶にというよりも自身に問うているような口ぶりだった。何が起きているかは分からない、しかし何をされたかは分かっているというような口ぶりの一夏にどういうことかをシャルロットが問う。
「信じられないけどな、俺が食らった一撃。あれは紛れもなく姉貴の剣筋だったんだよ。傍目にゃ単に速い踏み込みからの更に速くてついでにべらぼうに重い一撃としか見えんだろうがな。伊達にアレの弟を産まれてこのかたずっとやってるわけじゃないんだ。自分の姉の剣筋くらいは、分かっているつもりだ」
「つまり、あのおかしくなったレーゲンは織斑先生の動きってこと? でも確か、ボーデヴィッヒさんは織斑先生の指導を前に受けたって。その時に……」
「ねぇよ馬鹿野郎。ボーデヴィッヒが姉貴に指導を受けたのがざっと三年から二年半前あたり。それだけの期間で叩き込めるようなレベルじゃない。その後の自己研鑽も考慮に入れたとしてだ。そもそも、そこまでできるなら普段から使っているだろう。それに、こいつは直接受けた俺の感想だがな、動きがあまりに機械的するぎる。というかそれしかない。あいつの、ボーデヴィッヒの意思ってやつはまるで感じなかった。姉貴の動きを、文字通り機械でなぞっているだけだ」
「個人スキルの……機械的な再現……?」
一夏の説明に思い当たる節があるのか、シャルロットは顎に手を当てて記憶を掘り起し始める。その傍らで今度は真耶も口を開く。
「同じなのは動きだけじゃないですよ。ボーデヴィッヒさん、いいえ。今のシュヴァルツェア・レーゲンの形状、暮桜にそっくりなんですよ。間違いありません、私が保証します」
「どうなってんだ一体……」
動きだけではない。ISの形状までかつての姉のソレと同じだという事実に一夏は疑問を漏らす。二人の言葉を無言で聞きながら考え事をしていたシャルロットは、珍しく双眸に険しい光を宿すと白式、真耶のラファールそれぞれに会話ログを残さない設定にした上での個別回線を開く。
「どうした、デュノア」
「デュノアさん?」
「山田先生、ログなしの個別回線を織斑くんとも。この三人だけの状態にしてください。――大丈夫ですね? 織斑くん、当たりがついたよ。多分だけど今のレーゲンは、VTシステムが発動している」
「何ですって!?」
シャルロットの言葉に真っ先に反応したのは真耶の方だった。一夏はと言えば、どういう意味なのかを知らないからか未だ疑問符を頭の意上に浮かべている。だが、更に緊迫さを増した真耶の反応からロクなものではないと予想はできているらしい。
「VTシステムっていうのはね、まぁ端的に言えばISの操縦サポートシステムなんだよ。ただし、国際条約で研究開発・使用が禁止されている、ね」
「なに?」
そんな如何にもろくでもなさそうなものがレーゲンで使用されている。そのことに一夏は眉を顰める。そしてシャルロットの言葉を引き継ぐ形で真耶が補足の説明を入れる。
「VTシステムの目的は優れたパイロットの機動データなどをコピー、再現することでより簡潔にISの個としての戦力を高めることです。実質動きはほぼオートになりますから、サポートとは若干違いますね。織斑先生以外にも、ISの黎明期には今も超一流レベルの乗り手がいました。そうした人たちのデータが使われたと聞いています。けれどこれには欠陥もあった。その代表例が、パイロットに極度の負担を強いることです」
「そうか、乗り手なんてお構いなしにハイレベルな動きをすれば乗り手は……。確かに、ボーデヴィッヒのあの体じゃ姉貴の動きについていくのは無理だ。下手したら、壊れる」
曲がりなりにも武術家の端くれ、人体の構造的なアレコレについては人並み以上の知識は持ち合わせている。ゆえにすぐにその危険性をさっすることができた。いや、しっかりと説明をすれば誰だって理解はできるだろう。本来の限界を超えた動きを無理やりさせる、それが齎す結果など素人であっても想像には難くない。
「もちろん初めから禁止されていたわけではありません。最初は純粋に研究やIS全体の戦力向上を目的とされて用いられていたのですが、開発過程でそうした乗り手への心身に強いる高い負担、そこから発生する事故や乗り手をISのパーツとしてしか扱わないことへの倫理的問題、技術の一極化によって技術的広がりが阻害されるなどの意見の湧出があったことにより禁止に至ったんです。でも、それが何でボーデヴィッヒさんのISに……」
「今はそれは置いとくべきでしょう。まずは、この状況をどうにかするべきだ」
なぜレーゲンにそんな物騒なものが積まれていたのか、一体いつ、どこで誰が、そんな疑念が浮かぶのはごく当たり前のことだが、今この場では無用の考えと切って捨てる。何しろ、事態は急を要しているのだ。
何よりもまずは現状の鎮圧を、そう提言する一夏の言葉に真耶はすぐに頷く。
「えぇ、それは私たちも把握しています。ですから織斑くん、デュノアさん。二人は退避してください。後のことは、私たち教師陣で対処します」
「なっ……!」
その言葉には一夏も絶句した。今、何と言われた? 退避しろ? つまり、このまま何もせずに立ち去れということか。
「織斑くん、気持ちは分かるけどさ、ここは引こうよ。先生たちに任せて。何より、今の君はそれなりに消耗しているはずだよ」
シャルロットとてこのまま自分が何もしないまま引き下がることに思うところはあるのだろう。だがそれを押して引くことを一夏に勧める。何より、これ以上の無理を彼にさせないためにだ。
「ふざけるなよ。やれることがあるかもしれない中で何もせずに引き下がれと? あぁ、理屈としちゃ間違いなく正しいだろうさ。
「織斑くん! 命の危険があるかもしれないんですよ! そんな中に自分から飛び込むなんてこと、認められるわけがありません!」
「命の危険は先生たちだって一緒でしょう。それに、手が多けりゃそのリスクもちっとは減るだろうし……。ところでよデュノア、さっきから気になってることがあるんだ」
「え? 僕? な、なに?」
いきなり話を振られたことに軽く驚きつつもシャルロットは要件を聞く。
「あの見た目変わったレーゲンだが、あの胸の部分にある変なユニットはなんだ?」
「胸のユニット?」
言われてシャルロットは改めて確認する。確かに言われた通り、今のレーゲンの、正確には乗り手であるラウラの胸部には変化前には見られないパーツがある。
一見すれば胸当てのように見えるパーツだが、中央部にある赤く発光しているコアのようなものと、そこを起点に伸びている何本かの同じように赤く発光しているラインがある。それらが言い知れない不気味さを示していた。
「あれさぁ、いかにもシステムの中枢っぽいとは思わないか?」
「確かに……」
いっそ怪しさすら感じるあからさま具合だが、それでもそう見て納得ができるくらいには説得力のある存在だ。
「多分だけど、アレをぶっ壊せばまぁ事態は解決すると思うんですよ、先生。で、どうやってぶっ壊すんですか? まさかシールドが無い状態で貫通の恐れがある銃器でブッパってわけにもいかんでしょう。となると後は、殴るか蹴るか斬るかのどれか。そ、し、て、この場に居る人間でそれに一番長けているのは、間違いなく俺だ」
欠片の謙遜も見せずに己こそが最も武技に長けていると断言すると、そのまま止めを自分が刺すから教師陣はサポートに回れと言う。いっそ傲慢とも言える一夏の言葉に今度は真耶が言葉を失い唖然とし、シャルロットはやれやれと言いたげに首を横に振る。
「つーか時間ねーし。もう待ってられん、俺は行くぞ。あぁ、一応各種保険には姉弟共々加入済みなんで、そのあたりの心配は無用」
言うやいなや一夏はそのまま動きだし、誰よりもレーゲンの近くに、その真正面に立つ。それに対してレーゲンが取った反応はただ一つ、攻撃あるのみだった。
再び詰まる距離、間合いに捉えると同時に振るわれる片腕の一刀、それを迎え撃つように一夏もまた蒼月を振るい、甲高い金属音と共にレーゲンの一撃を弾いた。
「舐めるなよ木偶の坊。姉貴の剣っつてもそんなまがい物、俺に通用すると思うなよ……!」
織斑千冬の剣は織斑千冬自身が揮ってこそ真価を発揮する。機械でなぞり模倣しただけのそれは、確かに速く、重く、鋭くと三拍子そろった十二分に脅威たるものだが、それだけだ。恐れなど微塵も感じない。
「そして覚えておけ。俺の師は、その剣の更に上を行く真の達人だ。そして俺はその弟子、つまり俺はその後を受け継ぎ師と同じ領域に至る。この意味が分かるかぁ!」
今度は一夏の方から踏み込む。レーゲンの両腕がタイミングをずらしながら振るわれる。先に到達した左腕の一撃を屈んでかわすと同時に蒼月を縦に構えて続く右手からの一撃を受け流す。
流しながら一夏は蒼月に力を込めてレーゲンの右腕を弾くとそのまま返す刀で振るわれてきた左腕を受け止めて思いきり押し返す。ひっきりなしに続く金属同士の衝突音をBGMに、白と黒の剣舞が繰り広げられる。
「いくら姉貴の剣と言えどもな、俺にとっては――」
右手に蒼月を握りながら今度は左手にも二刀の残った片割れを掴む。それを頭の上で交差させながら構え、上段から振り下ろされた二刀の打ち降ろしを受け止める。
「通過点の一つにすぎねぇんだよ! だからこんなトコで負ける道理があるわきゃねぇんだゴラァ!! 調子くれてんじゃねーぞドサンピン!!」
押し潰そうとするような上からの圧力を、更に上回る膂力で以ってして押し返す。そのまま、一夏が振るった腕はレーゲンの二刀を完全に弾き飛ばした。
直後に連続して銃声が鳴り響く。真耶の指示の下、教師陣のISが各々の構える武器の引き金を引いていた。
「全員織斑くんをサポート! 止めの一撃は彼が行います! 距離を保ちつつ牽制射撃! 決して直撃はさせないでください!」
真耶の指示と共に教師陣が一斉に動き出す。レーゲンの周囲、地面などに決してレーゲン本体、ひいてはそこに捕らわれたラウラに攻撃が当たらないように牽制の射撃を撃ちこんでいく。
それと同時にレーゲンとの距離を常に開くように旋回機動を取り始める。
『織斑くん! 私たちがサポートします! だから無事にやりきって下さい! 怪我をして帰ってきたら、みんなでお説教ですからね!』
通信越しに掛けられる真耶の声、そこに込められた意図は明白だ。一夏も、そしてラウラも無事に戻ってきてほしい。何よりも生徒の身を案じている教師としての願いだ。
(まったく、頭が上がらないな)
こちらの意思を汲み取ってくれて、それでなお気遣ってくれる。全くもってありがたい話だ。そしてそこまでされた以上は、負けるわけにはいかない。
「行くぞぉ!!」
白式とレーゲンがアリーナの中を駆け巡り、その最中を教師陣の牽制の銃弾が飛び交っていく。
「抜かれた!?」
不意にレーゲンが跳躍と共に一夏から離れる。何事かと動きを止めた一夏がそのままレーゲンを目で追い、その目的に気付いた瞬間に表情を強張らせる。
「離れろ!」
「えっ!?」
一歩出遅れた自分に舌打ちしながら一夏もレーゲンを追う。レーゲンが向かった先はライフルを構える教師の一人だった。おそらくは小うるさい邪魔者から排除しようと魂胆なのだろう。
レーゲンの標的にされた教師は突然の事態に反応が遅れる。これが並みの相手であればその遅れも挽回できただろう。だが今回はその相手が並みではなかった。機械的なコピーとはいえ、IS界において最強を称された千冬の動きする存在なのだ。その僅かな遅れすら、十分すぎるほどの隙となる。
轟音と共に振るわれた一撃がラファールに叩きつけられる。特別な機能など何も働いていない、ただ斬りつけただけの一撃であるにも関わらず、攻撃を受けたラファールはシールドエネルギーの大半を奪われて継戦が危ぶまれる状態まで追い込まれた。
「い、一撃で……」
「なんて、デタラメ……!」
動きを緩ませずにいながらも教師たちの間に戦慄が走る。そう、例えまがい物であったとしても自分たちの相手はIS界にその者ありと称されたIS乗り最強の代名詞なのだと、改めてその事実を叩きつけられた。
「狼狽えないでください! 勝機はあります! 高山先生、マクラミン先生の援護に! あなたも気を付けて!」
「了解!」
真耶の指示で教師の一人が攻撃を受けた教師の援護に回る。既にレーゲンに追いついた一夏が攻撃を引き受け、二人が安全圏まで離れられるようにレーゲンを阻んでいた。
「チィッ!」
どうにかすると意気込んでみたは良いものの、それでどうにかなるほど現実は甘くは無い。腐ってもかつての最強を模しているのだ。脅威を、恐怖を感じないのは事実だがそれとは別として手強いのもまた事実だ。
早々敗れるつもりも無いが、現状では攻めきって勝つということも難しい。その上、先ほどの教師への攻撃で新しい思考ルーチンでも獲得したのか、牽制の攻撃とかく乱を続ける教師陣への攻撃行動を行おうとする回数も徐々に増えていた。それを妨害するのに更にこちらの動きも制限される。
結果として延々交戦が続く膠着状態から抜け出せずにいた。
「お、のれぇ……!!」
また一人、教師がレーゲンの攻撃を受けた。まさか片方の剣でこちらと競り合ったまま、空いたもう片方を視線を動かすことすらせずに背後を通った教師の機体に当てるなど、誰が予想できようか。これで二人目がやられ、そのカバーのためにまた別の教師がついたことで実質四人が満足に動けない状態に陥った。
それだけではない。一夏にしたところで完全に攻撃を捌き切っているわけではなく、直撃こそ避けてはいるものの時折掠めた一撃がシールドを徐々に減らしている。試合開始からの分の消耗も含めて、既にシールドの残量は四分の一弱まで落ち込んでいる。一撃、直撃を受ければそれでアウトになるのは確実であり、さらに長期戦も不可能という状態だ。
何とかして早期に決着をつけねばならない。しかし状況は膠着している。自然と湧き上がってきた苛立ちに一夏の眉根に深い皺が寄る。
(後一手、もう後一手だけ加われば打開できる! だと言うのに!!)
「織斑くん!」
レーゲンの右手の攻撃を受け止めていた最中、迫ってきたもう片方の一撃を間に割り込んだ真耶が大型の盾で防ぐ。その隙に一夏の傍によったシャルロットがその肩を引っ掴んで後退し離脱。それと同時に真耶も下がりレーゲンの間合いから逃れる。
「はぁクソ、完全に状況が固まってやがる」
「織斑くんを責めるつもりは毛頭無いですけど、やはり織斑先生の動きというべきですか。改めて相手にすると本当にすごいですね」
二人揃ってやや息を荒くしながら一夏と真耶が呟く。
「そういやデュノア、箒のやつはどうした」
「篠ノ之さん? 先生たちが出てきてすぐに先生の一人に後を任せたけど……」
「篠ノ之さんはまだアリーナの中に居ます。この状況で下手に動かすわけにもいかないですから。今は佐伯先生が付いています」
「そうですか」
戦闘不能の要保護者までいるとなるといよいよ以って事態の早期解決が望まれる。だが、状況を動かすことができない。それが一夏に歯噛みをさせる。
「さっさとボーデヴィッヒのやつを何とかしてやらんといかんのに、何てザマだよクソッタレ」
「織斑くん……」
初めて、悔しげな感情を乗せた言葉を発した一夏をシャルロットが静かに見つめる。
「さすがにさ、曲がりなりにもクラスメイトとしてそれなりに一緒にやってきた仲なんだ。見捨てるのは、寝覚めが悪いだろう。それも、俺が奢ったプリンを小学生のチビッ子みたいに美味そうに食うようなやつをだ。
何より、俺とやつは武人として技を競い合った。その勝負はまだ終わっていない。なら最後まできっちり締めなきゃいかんだろう」
誰に聞かせるでもない、あるいは闘志を更に燃え上がらせるために己自身に言い聞かせるように一夏は独白する。
「それに、あいつの顔があのヘルメットで見えなくなる直前、あいつは俺に『すまない』って言ったんだよ。これは、あいつにとっても不本意な状況だ。あいつ自身、勝負に余計な茶々を入れられたことを嫌がっている。なら俺は、武人としてその心意気に報いてやらなきゃならない」
一夏の吐き出す息が大きく、そして荒いものとなる。思わず背筋の毛が逆立つような気配をシャルロットと真耶の二人は感じた。その直後――
「舐めるなぁぁぁあああああああああああああ!!!」
怒気を全開にした咆哮と共に一夏がレーゲンへと迫る。間合いが詰まるまでは文字通り一瞬、そして間合いが詰まった直後から剣戟が再開される。
嵐のように荒れ狂う漆黒の二刀による攻撃を一夏は蒼月の一振りのみで捌いていく。斬り、突き、払い、流し、周囲にひっきりなしに火花を散らしながら攻防が続いていく。
レーゲンの右手が振るわれて上段からの斬り下しが迫ってくる。それを捌いた直後、レーゲンは左手の刀を地面に突き刺す。一体何をと思うより早く、突き刺した刀を支えとしてまるで棒高跳びのようにレーゲンが一夏の頭上を取る。
「んなぁっ!?」
そのままレーゲンは一夏の背後に着地する。それとほぼ同じタイミングで後ろに向き直った一夏だが、間発入れずに振るわれた一撃に押され気味の守りで対処せざるを得なくなる。
「がぁっ!」
そこへ追い打ちをかけるようにレーゲンの、今度は足が振るわれる。放たれた蹴りは刀を防ぐことに集中していた一夏の胴にクリーンヒットし、その体が後方へ大きく飛ばされる。だがこの程度のことは今までいくらでもあった。すぐに体勢を立て直そうとし、その頃には既に眼前まで迫ったレーゲンが二刀を一夏に向けて振り下ろそうとしている直前だった。
「しまっ――」
己の迂闊に大きく目を見開いた一夏にレーゲンの二刀が交差するように振るわれる。直撃すれば戦闘不能は必至、それでいて既に回避も防御もままならない。手詰まりに近い状況に一夏は憤怒に顔を歪める。
「織斑くん!」
「このぉっ!」
だが、すんでの所で二つの影が割り込む。真耶とシャルロットだ。真耶が右手の刀を、シャルロットが左手の刀を、それぞれ展開した盾で受け止める。
「グゥッ、ウゥゥゥゥゥゥ!!!」
異変は攻撃を防いだ直後、シャルロットの方で起きた。受け止めたは良いものの、その重さにどんどんと押されてきているのだ。さらに刀を受け止める盾にも僅かだが損傷が生じている。
「デュノア!」
「デュノアさん!」
一夏と真耶がそれぞれ声を張り上げる。真耶の方には目立った異変はなく、完全に攻撃を受け止めているのが分かる。同じラファールでありながら真耶とシャルロット、二人に差が生じたのには要因がある。
まず第一に装備。今回教師陣が用いているISはラファール、打鉄双方共に防御というものに比重を置いた調整がされている。確かに非常時の対応も彼女らの仕事だが、その最優先目的は安全確保の一点に尽きるのだ。それは盾といった基本的な防御装備も同じことで、真耶が構える盾はシャルロットのソレよりも一回り以上は面積が広く、厚さも二倍以上はあるものを用いている。だがそれでも直撃を受けた教師が一撃で大きく削られたのはひとえにレーゲンの、ひいてはそこに宿る千冬の模倣がそれだけの武威を誇るというだけのことである。
第二に『慣れ』の差だ。IS学園所属教員となる以前、真耶は日本国所属のIS乗りを務めており、その直属の上司であり先輩にあたる立ち位置に千冬が居た。一夏がレーゲンをその間合いで相手取れたのは当人の剣腕もあるが、何より『織斑千冬』という剣士を深く知っていたということが大きい。真耶もまた同様なのだ。ISを駆る千冬を多く間近で見てきて、時として訓練のパートナーを務めたことも数知れず。一夏が『剣士』あるいは『武人』としての千冬を深く知るならば、真耶は『IS乗り』としての千冬を深く知っていると言える。織斑千冬という人間が繰り出す攻撃、それがどれほどのものかを知っているからこそ、経験があるからこそ完全に受け止めることができたのだ。
装備としての守りの充実、攻撃そのものへの慣れ、それらが模倣とは言え織斑千冬のソレを受け止めるのにシャルロットには足りていなかった。その結果は、徐々に押し切られそうになる防御が結果として示している。
「デュノアッ! ぐぅ!」
真耶は動けない。ゆえに自分しかいないと一夏はすぐにシャルロットの援護をしようとする。だが、一度倒れ地に膝を着いたことでようやく蓄積したダメージが一夏を蝕んだのか、このタイミングに来て全身に奔った一瞬の痛みに動きが止まる。その間にもレーゲンの刃は徐々に進み、いよいよ以ってシャルロットに限界が訪れそうになる。
歯を食い縛って一夏は立ち上がろうとする。だが眼前でシャルロットに押し込まれていく刃は、確実に一夏が間に合うより早くシャルロットを襲うだろう。三者の顔が緊迫により強張る。その瞬間だった。
「ぜぇえりゃぁああああああああああ!!!」
「なに!?」
更に新たな影が割り込んできた。影は手にしていた刀をシャルロットが封じていたレーゲンの左手の刀に叩きつける。二人分の抵抗を受けたレーゲンの左手が今度は逆に押し返されそうになる。それを好機と見た真耶とシャルロットはすぐに更に力を込める。そして完全にレーゲンの二刀を跳ね除けた。
シャルロットの隣、刀を振り抜いたことで一つ縛りにしていた長い黒髪が尾のように宙に舞う。纏うISは打鉄、その姿に一夏は驚きを込めた声で確認するように呟く。
「ほ、箒?」
己の手で倒したはずの少女、篠ノ之箒がそこに立っていた。
――時は少しだけ遡る。
「う、うぅ……」
「篠ノ之さん! 気付いたのね!?」
半開きにした瞼から差し込んでくる陽光の眩しさに再び瞼を閉じそうになりながらも、箒は己の意識が暗闇の水底から浮き上がってくるように覚醒していくのを感じた。それと共に聞こえてくる大人の女性の切迫した様子の声。
光に目が慣れたことで今度こそちゃんと瞼を開く。瞬間、箒の目に飛び込んできたのは二刀流を振るう漆黒の謎のISと、それと刃を交える一夏、その周囲を飛び交う学園のラファールや打鉄だ。あまりに理解からかけ離れた状況に思わず呆然とする。
「篠ノ之さん! 大丈夫!?」
「あ、ええと、はい。あの、これは……」
自分に話しかける教師の緊迫感に満ちた声に何か良くないことが起きているのだと漠然とながら理解する。だが未だ状況の理解がさっぱりであるため箒の尋ねる声は困惑気味のものであった。
そして箒は手短に状況の説明を受ける。箒が倒れた後、一夏とラウラが一騎打ちを行った末に一夏が勝利。その時は未だ箒が目覚めていなかったため箒・ラウラのチームが両者戦闘不能のため敗北となり試合が決した矢先にシュヴァルツェア・レーゲンが暴走。駆けつけた教員たちが一夏、シャルロットを交えて事態の鎮圧に動いている。
「なっ! じゃあ、あの黒いISにはボーデヴィッヒが!? 彼女は、ボーデヴィッヒは大丈夫なのですか!?」
「それはまだ分からないわ。ただ、私たち教員チームの指揮官の山田先生が言うには、このままだとボーデヴィッヒさんはかなり危険な状態に陥るとしか。それに、今のシュヴァルツェア・レーゲンはシールドが機能していないの。だから、ボーデヴィッヒさんを傷つけないようにアレを抑える必要があって、その決め手役を織斑くんが請け負っているわ」
「そんな……」
愕然としたように箒は顔を青ざめさせる。チームメイトとして自分を受け入れて、あまつさえ自分の望みを通してくれたクラスメイトが危険に晒されている。更にそれを抑えるために別のクラスメイトが、中でも幼馴染は最も危険な矢面に自ら立っている。その事実は箒の心を揺さぶるのに十分過ぎた。
「わ、私も! 私も加勢します!」
殆ど反射的にそう言っていた。だが、その言葉はすぐに厳しい一喝によって否定される。
「無茶を言わないで! 今のあなたは気絶状態から回復したばかりなのよ! そんな状態でまともに戦えるわけがないわ! それだけじゃない! 暴走したシュヴァルツェア・レーゲンは高いレベルの戦闘能力を持っているのよ! 現に直撃を一発受けただけで私たち教員のISが二機、大ダメージを負ったのよ! そんな中にあなたを行かせられない!」
「で、ですが!」
「お願い! 気持ちは分かるわよ! けど、あなたたち生徒を守るのが
「っ……!」
教師の顔には紛れもない悔しさがあった。事実として、生徒の力を借りている現状に納得をしていないのだろう。生徒を守るために、その守るべき生徒の手を借りている。この本末転倒具合を間違いなく悔やんでいる。それが察せないほど箒は愚鈍ではない。だが、彼女とて納得できないのだ。
「私は……」
幼い頃、まだ姉がただの(というには少々度が過ぎていたが)変わり者の少女で、ISなど世界のどこにも存在せず、家族で共に暮らしていた時だ。
幼少より続けている剣道、箒にとってその道を志した原点であり最初の師であった父は彼女にこう説いた。
『武道の原点とは身を守ること、すなわち活人にある。何よりも、守るために使われるべきであり、それは自分を、他の者を救うことができる』
当時幼かった箒にはまだ難しい言葉だった。だから率直に分からないと言ったとき、父はフッと表情を穏やかな笑みに変えると、ゴツゴツとしながらも大樹のような安心感を感じさせる温かい手で箒の頭を撫でながらこう言ったのだ。
『みんなのために剣道をするとな、皆が幸せで笑顔になれるんだよ。箒も、お姉ちゃんも、お父さんも、お母さんも、雪子おばさんも、箒の友達のみんなもだ』
あの時の言葉は今でも忘れたことはない。確かに環境の目まぐるしい変化に伴うストレスや、認めざるを得ない心の未熟もあって時には箒自身『外れている』と思えるような振る舞いをしてしまったこともある。それでも、かつて父が語った活人の理念は忘れたことが無い。
「私は……!」
倒れていても手放さず、今も握られたままの打鉄の装備である刀を握る手に力がこもる。そこで遠くから一夏と真耶の緊迫した声が響いた。反射的にそこへ目を向ければ、そこにはレーゲンの刀を受け止め、しかし今にも押し切られそうなシャルロットの姿があった。
「私はぁああああああああああ!!!!」
「篠ノ之さん!!」
気付けば箒はレーゲンに向けて打鉄を全速力で走らせていた。背後から教師の咎めるような、制止するような声が聞こえるが敢えて無視する。守ろうとしてくれる心遣いはとてもありがたいし、感謝している。できれば素直にその意思に従いたい。だがそれでも、時分にもできることがあるかもしれない中でただ安全圏に居るということが箒にはできなかった。クラスメイトが困っているから助ける、小難しい理屈など存在しない。ただそれだけのことである。
実際問題として無茶なのだろう。そんなことは百も承知だ。ついでに言えば、一夏から受けたダメージがまだ残っているのか、頭の奥ではまだズキズキとした痛みが残っている。
だがそれがどうした。無理を通せば道理もねじ曲がる。ここで動かずしていつ動くのか。動かないという選択肢を、彼女は選べなかった。
「ぜぇえりゃぁああああああああああ!!!」
私のクラスメイトに手を出すな! 私が剣を志した理由を通させろ! そんな意思を込めて裂帛の気合と共に刀を振るう。
後の結果は見ての通りだ。シャルロット、真耶の協力によりレーゲンを退ける。箒は知らない。腕利きの候補生と教員を含めた三人がかり、その上相手が機械的なコピーとはいえ、自分がIS界に雷名を轟かせた女傑の攻撃を弾いたという事実にだ。だが、そんなことを気にしている余裕はこの場の全員に存在しなかった。
「ほ、箒?」
一夏の戸惑うような声が耳に入ってきた。事情を説明するべきなのだろうが、そんな暇はないだろうということは理解している。だから、一言で全てを伝える。
「篠ノ之箒! 助太刀に参戦する!!」
在りし日の最強を模した漆黒のISを前に一切臆することなく、真っ直ぐに刀を構えたまま箒は高らかに名乗りを上げた。
「むぅ……」
低く唸りながら立ち上がった一夏はゆっくりと前に出る。そうして真耶、シャルロット、そして箒に並ぶように立つ。
「正直、予想外っちゃ予想外だったよ、箒。ていうかどうして」
「どうして、か。上手く言えないのだが、放っておけなかったから、かな」
「それでここに飛び込んでくるかね。あ~、こんなことは言いたくないけどよ、お前バカじゃねぇの?」
「助けにきた者に失礼な奴だな。だいたい、仮にバカだとするなら、それはお前の肘鉄が原因じゃないのか? 実のところ、まだ痛むんだぞ」
「お前やっぱ引っ込んで休んでろよ」
「あの~、この状況でコントはやめてくれる?」
おそらくは軽口の応酬だろうやり取りをする一夏と箒をシャルロットが諌める。
「まぁ無茶っていう織斑くんの意見には僕も同感だけど、それを言うなら僕たちもそうだし。それに、その、ありがとう篠ノ之さん。正直、助かったよ」
「礼には及ばない。それに、まだボーデヴィッヒが残っている」
「……そうだね」
そして改めて四人は真剣な面持ちで真正面のレーゲンと睨みあう。
「一夏。私は状況を詳しく知らない。だが聞いている時間も無い。私がやるべきこだけを言ってくれ」
「分かった。いや、確かにお前がきたのはラッキーだったな。欲しかった後一手が揃った。悪いが時間が無い。次で一気に勝負を決めに掛かりたい」
その言葉に三人とも
「やることはシンプルだ。まず俺が出る。それをレーゲンは迎え撃とうとするだろう。そこで俺が一度引くから、そのままレーゲンの攻撃を三人で飛び出して受け止めて、ついでに弾き飛ばしてやる。さっきのアレだ。割り振りは片方を先生で、もう片方をデュノアと箒の二人掛かりでだ。先生には無理をさせますけど――」
「構いません。元より、そのつもりですから」
「……すいません。で、もう片方をデュノアと箒だ。デュノア、悪いがお前には箒の動きのリードとサポートの両方を頼む」
「オッケー、任せてよ」
「全力を尽くす」
話は纏まった。何をすべきか決まれば、後にすることは一つだけだ。勝負を決めるのみ。
「行くぞ!!」
先陣を切ったのは一夏だ。白式の機動性を活かして誰よりも早くレーゲンに迫っていく。当然ながらそのまま案山子でいるレーゲンではない。それまでと同じように、二刀を振りかぶって迎え撃とうとしてくる。
「あらよっ――とぉ!」
レーゲンの剣の間合いに入る直前、一夏は白式のスラスターを逆向きに吹かして減速、そのまま交代する。下がる一夏の居た場所に入れ替わるように、彼の背後から真耶、シャルロット、箒が飛び出してレーゲンの前に姿を晒す。
「ぐっ!!」
「くぅっ!」
「これしきぃっ!!」
右手の一刀を真耶が、左手の一刀をシャルロットと箒が、それぞれ受け止める。その重さに苦悶の呻きを上げながらも、断じて負けるものかと歯を食い縛って踏ん張る。そして、気合いの方向と共に先ほどの焼き直しのようにレーゲンの両腕を同時に弾き飛ばした。
『織斑くん/一夏!!』
三人が一夏の名を呼ぶ。その時、既に彼は準備を終えていた。
内で練り上げた気が爆発し荒れ狂う。心臓の鼓動が早鐘を打ち、脳内分泌物質の影響かすさまじい興奮状態になっていくのが分かる。
だが、その爆発し荒れ狂う闘気を強引に収束させる。その一切を外に放出させることなく、内に閉じ込めることで余すことなくそのエネルギーの全てを体の燃料へと変換していく。
心臓の鼓動が更に早まり、鼻の奥と口内に鉄臭さが広がる。おそらくは毛細血管が切れて鼻の奥や歯茎で出血でもしているのだろう。だが全て無視する。
すぐ目の前の白式のモニターウィンドウに表示されたあれこれの数値やグラフやらがその値を飛躍的に上げていく。実に好都合、己の気合入れにISまで応えてくれている。ならば猶更、負けるわけにはいかない。いや、負ける気がしない。
スラスターを爆発させる。瞬時加速、今となってはだいぶ手慣れた技だ。その圧倒的加速により、レーゲンとの距離はすぐに詰まる。
「はぁっ!!」
気合い一閃、会心の一太刀と呼べるほどに心技体が揃った爽快さすら感じる一撃を放てた。刹那の内にレーゲンの前を通り過ぎた一刀は、ラウラの体を傷つけることなくVTシステムのコアだけを斬り裂いていた。
レーゲンの横をすり抜け、そのまま急停止する。冷や汗が流れた。最後の一撃の瞬間、レーゲンはせめてもの一撃とばかりにこちらを迎え撃っていた。大きなダメージこそ無かったものの、僅かに掠めたことでISスーツの上半身の部分が見事に裂けていたのだ。
「ガッ、ハァッ!」
僅かに膝を崩しながらも倒れまいと踏ん張りながら一夏は荒く息を吐く。少しばかり無茶をした。現状自分にできるトップクラスの無茶を行使し、結果は出せたが代償としてあの短時間で相当の負担が体を蝕んだ。元よりダメージの蓄積で万全とは言い難い状態とは言え、あまりに効率の悪い消耗に思わず眉をしかめる。やはり、今一度の更なる練磨が必要か。
「だが、終わりだ」
そう一夏が言い放った直後、背後で何か重いものが地に落ちる音が聞こえた。今度こそ完全に機能を停止したレーゲンが力なく地に膝を着いたのだ。
それと同時に機体よりラウラの体が解放され、ただちに教師たちの手によって抱えられ救護のために連れて行かれる。それを首だけ後ろに向けることで見送った一夏は事態の終息を実感すると、蒼月を地面に突き立てて天を仰ぎ、大きく息を吐いた。
「ミッション、コンプリートってな」
仕事をやり終えた一夏の下に箒が、シャルロットが、真耶が寄ってくる。それを微笑で迎えた一夏は、そのまま真耶から告げられた後で千冬から説教という旨の言葉に再び顔を青くするのであった。
「面白いものが見れると踏んではいましたが、まぁ随分と派手なことになったものです」
事の一部始終を見届けた美咲はそう呟く。緊急事態宣言のすぐ後、彼女は動いていた。観客席とアリーナを隔てる隔壁(隔壁とアリーナを覆う半球状シールドの間には一定の空間がある)が閉まる前にその隔壁の外へ身を躍らせたのだ。
そのまま監視カメラの類が存在せず、なおかつアリーナを見渡せる手近なポイントに身を潜めて事の顛末を見ていたのだ。なお、これはその場にいた赤木防衛事務次官の緊急の指示であり、別に彼女は職務放棄の類は一切していない。件の赤木氏の警護は既に彼女の部下がついている。
そうしてそのままアナウンスで事態の終息が宣言され警戒状態の解除と共に隔壁が開くのに合わせ、美咲はさも何事も無かったかのように再び日本国VIP来賓用ブースへと戻る。
「報告は後程。少々、デリケートな扱いを要すると思いますので」
「分かった。十三番会議室を空けておこう。君には早々に報告を纏めてもらう。急ですまないが――」
「構いませんわ。元よりそのつもりですので」
「そう言って貰えると助かるよ。あぁ、報告だがね、君にも意見をだいぶ求めることになると思う。頼りにさせてもらうよ」
「承知しました」
淡々と、まるで今日の天気を話すかのように平静を保ったまま二人は話を進めていく。この平静と保つということが肝要なのだ。非常の事態においていかに冷静に対応ができるか、そこにその者の能力が示されると言っても良い。そしてそのポイントにおいてこの二人はまさしく最上級の位置にあった。
(それにしても、少々気に入りませんね。仮に私の予想通りだとすれば、ちょっと手間になるのでしょうか)
会場アナウンスで少々時間を繰り下げていくらか変更をするものの、このまま試合プログラムを続行するという放送を聞きながら美咲は試案する。その目には僅かだが不満そうな光が宿っている。
(ですが見方を変えれば私が動くことができるということ。これは良いことと取れるかもしれない)
そこまで考えて、ゆっくりとその口元に歪んだ微笑が浮かぶ。
(いいえ、悪いのかしら? 何しろそれで幸福になる者などろくにいないのですから)
暗い愉悦から成る毒華のごとき妖艶な微笑を浮かべたまま美咲は眼下のアリーナを見下ろす。かつて『
大学の期末テストが終わったのが先週の木曜日、つまりは八日でしてその日に早速書き始めたのですが、この話が今日投稿されたことから分かる通り、四日で書き上げることができました。ここしばらくではかなり早い仕上がりです。まぁその分、クオリティについては保証しかねるところもありますが。
さて、一通り書き上げた後に自分で見直して思ったこと。「あれ? いつの間に箒が主人公してんだ?」と。まぁ現在構想している三巻の展開も考えると、主役は一夏なんですよ。それは間違いないです。でも一番主人公タイプの人間性を持つのは多分箒になりそうですww
いやぁ、どうしてこうなったと思わないでもないですが、まぁ楯無ルートじゃ割をくらうことがかなり固いので、こっちでくらいはとも思ったりしています。
あとは、冒頭の部分を読んで頂ければ分かりますがラウラに関しての設定にも手を加えました。いや、さすがに人口生命とかそんなどこぞのコーディネーターみたいなのは無理があるんじゃねぇかよと思ったりしまして。あと、そこまで重要なことじゃないのですがラウラはこの作品における「良い子」の筆頭格です。
ちなみにメイン六人で見た場合、一番まともなのはセシリアと鈴がツートップ、次点でラウラ。ラウラはちょっと一般常識に疎いところでマイナス入ります。さらに次に箒、良いやつだしまともだけど、ちょっとノリがズレている感じになって、さらにその次にシャル。シャルも良い子なんだけど、ちょっとブラックな思考を持っているので。
で、一番のロクデナシが何故か主役やっているという訳わかんない事態になっておりますww
とりあえず次回は二巻の終わりです。多分ダイジェスト的な感じになるんじゃなかと。
ではまた次回に。