或いはこんな織斑一夏   作:鱧ノ丈

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 前回からちょうど数えて二週間ぶりの更新ですね。大学の夏休みも終わってしまったので、また更新速度が少し遅くなるかもしれないです。いやぁ、時間がたっぷり取れればいいのですがね、世の中って厳しい。


第二十九話 夏だ! 海だ! 水着だ! 筋肉だ!

「あっついわね~」

「そうですわねぇ。レンタルとは言え日除けのパラソルがあるのはありがたいですわ」

 

 砂浜に突き立てたパラソルの下に敷いたシート、その上に腰掛けながら鈴とセシリアは日差しの強さとその暑さに愚痴を漏らす。

自由時間となるや否や海へと向かっていった者は多い。この二人もそうした面々の一部だ。だが一しきり海での遊びを満喫すると少しばかりの疲れも感じてきたため、休憩もかねてこうしてパラソルで作った日陰で休んでいたのだった。

 

「それにしても、こうして海で遊ぶのもだいぶ久しぶりね」

「あら、そうですの? 凰さんは機会があれば積極的にこういった場に繰り出すと思っていたのですが」

「そうね。行けるなら行ってたけど、日本に居た頃ならまだしも中国に行ってからはそんな暇も無かったし」

「確かに、そうですわね。わたくしも、思い返してみれば両親が亡くなって以来、こういったこととは少々縁遠かったですわね」

「お互い苦労してるわね」

「えぇ、本当に」

 

 向かい合って二人は揃って苦笑を浮かべる。砂浜、そして海の双方で同級生たちがキャッキャと声を挙げながら各々遊びに興じている。

少し離れた方の砂浜に目を向ければ、ビーチバレー用に整理されていた区画で何人かの生徒がビーチバレーをしている。その中にはシャルロットとラウラの姿もあり、ちょうどラウラが小柄な体格からは想像できない程の高さのジャンプから鋭いスパイクを打ち込んで驚きの声を受けていたところだ。

 

「……織斑さん、いませんわね」

「あたしは何となく予想していたけどね」

 

 女子率百パーセントのビーチの様相を見て二人は揃って呟く。女子しか居ない、それは逆説的に学年唯一の男子生徒がこの場に居ないということの証左だ。

 

「どうせあいつのことだから一人で何か勝手にやってるんでしょ。そういう奴だから」

「彼ともそれなりの長さの間柄にはなっていると思いますが、どうにも分かりませんわ。教室での様子を見る分には決して非社交的というわけでも無いのですが――」

「こういう自由行動の場じゃ基本的にスタンドプレイよね。昔からそうよ。話しかければちゃんと応対してくれるし、頼みごととかもできることは受けてくれる。最低限の社交性は持ってるのよ。けど、あいつは基本単独行動派だから。

例えばだけどさ、中学――ジュニアハイスクールの時なんだけどね。結構クラスのみんなでやれ海に行こうだの山に行こうだの、近場だったらどっかテーマパークに行こうだのなんてことをやったりしたのよ」

「あら、随分と仲がよろしいクラスだったのですね」

「ん~、そうとも言えるんだけどね。何て言うか、中学生なりの付き合いって言うのかしらね。そういうのも結構あったかな。セシリア、あんたも女ならそのあたり分かるでしょ?」

「あぁ……」

 

 鈴の言わんとするところをセシリアはすぐに察した。女というのは男と比べてみても同性の間での社会性というものへの意識が強い生き物だ。

セシリアは鈴の言う中学、いわゆる義務教育における教養課程などは専属の家庭教師などの指導の下でこなしてきたため、日本における学校内でのソサエティというものへの経験は深くないが、女同士の付き合いのあれこれということに関しては大いに同意できるところであった。

 

「それで一夏に話を戻すけどね、あいつはそのあたりの付き合いはお世辞にも良いとは言える方じゃなかったのよ。例えば夏休みに海に行かないかって電話口で誘うとするでしょ? 速攻で『行かない』って返してくるわよ」

「……すっごく、想像しやすいですわね」

「でしょ? んなもんだから、結構あいつの接し方に困ってるやつは居たのよ。何せそれだけだったら単に付き合い悪いだけの根暗なんだけど、あいつはほら、運動が凄いでしょ? 腕っぷし、運動能力、どれも学校の中じゃぶっちぎり。部活のエースだってあっさり打ち負かす。しかも時々妙な凄みがある。普通だったらそれだけでもチヤホヤされても良いけど、なんかみんなとは馴染まない所がある。もう変わり者も変わり者よ。実際、あいつが学校や学校の外でもよく一緒に居た奴はみんな変わり者だったし」

「あら? けどその論調から推測すると織斑さんはプライベートで付き合う相手をだいぶ絞っているように聞こえるのですが」

「そうね、確かにそのとおりね。あいつはみんなでワイワイって言うより、本当に仲の良い何人かでまったりってタイプだし。ただ、なんでそんなスタンスにしたのかは分からないけどね」

 

 言って鈴は肩を竦める。直後、二人の背に声が掛けられる。

 

「そんなの決まってる。面白いか、面白くないか、だ」

 

 その声に二人は勢いよく後ろを振り向く。いつの間にか一夏が立っていた。だが声を掛けられるまで近づいてきたことに欠片も気付かなかった。

 

「まったく……心臓に悪い登場の仕方するんじゃないわよ」

「ん、あぁ、悪い……」

 

 驚かされたことに対する鈴の文句に一夏は素直に謝るが、どうにも言葉の歯切れが悪い。そもそも視線にしても二人の方を向いているというわけではない。視線はおろか、意識さえもだ。

心ここに在らず、とでも言うのだろうか。別に考え事をしていて、それに没頭しかけているようにも見える。当然、そんな様子の一夏に鈴もセシリアも首を傾げる。

 

「あの、織斑さん。どうかなさいまして?」

「え?」

「いえですから、何やら考え事をしていたようですから。それも見た所、だいぶ深刻に考え込んでいるようでしたから」

「えっと、顔に出てたか?」

「えぇ、それはもうはっきりと」

 

 セシリアの言葉に一夏はあちゃーと言いたげにバツの悪そうな顔をする。

 

「ちょっと気になることがあってな。そうか、顔に出ていたか。いや、気にしないでくれ」

「はぁ……」

 

 いまいち納得しきっていない様子だが、あまり深く尋ねた所で話さないだろうし、尋ねる必要もそう感じなかったためセシリアはそれ以上を聞こうとしなかった。それは鈴も同様であり、珍しく考え事に没頭しすぎている一夏の姿を珍しいと思いつつ、そういうこともあるかとあっさり納得して一夏の考え事への興味を失くす。

 

「それにしてもアンタ、随分と変わってるTシャツ来てるわね。珍しいじゃない、黄色なんて派手な色を着るなんて」

 

 今の一夏の出で立ちはハーフズボンタイプの黒の水着の上にTシャツを着るというありふれたスタイルだ。だがそのシャツの色、黄色という少なくとも鈴の覚えている限りでは一夏があまり身に着けないような色をしていることが彼女には珍しかった。

言われた一夏も鈴の言葉には概ね同意なのか、頷きながらもシャツについての説明をする。

 

「これな。いや実はな、前に数馬や弾と服屋に行った時に買ったんだよ。いやー、その時は何故か三人揃って妙なテンションでな。値段が安かったのもあるけど、殆どふざけて買ってたわ」

「いや、あんたら三人揃ってる時はだいたいどっかしらおかしいわよ。で、いくらだったのよ?」

「ん? 二千円。あぁそれと、これの色は正確には『黄色』じゃなくて『イエローゴールド』らしいぞ」

「んなの些細な違いよ。それに、えっと、何て書いてあるの?」

 

 一夏のTシャツは胸の部分にアルファベットの短文のようなものが印刷されている。それ自体はありふれたデザインであるため特にどうというものではないのだが、鈴の見る限り英語には見えないのが彼女が首を傾げる原因だった。

そんな鈴に助けを入れたのは横に座るセシリアだった。

 

「『Ich Liebe Alle』でしょうか? ちょっと文字が大きい上に崩し気味の字体なので絶対とは言いませんが、多分そうだと思いますわ。凰さん、これはドイツ語ですのよ」

『え、そうなの?』

「……」

 

 セシリアの言葉に反応したのは鈴だけでなく一夏もだった。というより、着ている本人が自分の服に書かれている言葉を知らないというのは問題なのではないかと思うセシリアだったが、そこはあえて何も言わずに置き、軽くコホンと咳払いをして説明することにする。

 

「Ichは私、あるいは自分という英語でのIですわね。Liebeは愛する、つまりLoveでAlleは全て、Allですわ。中々、博愛精神に溢れている言葉ですわね。まぁもっとも、着ている人は少々問題があるようですが」

「何が言いたいんだよ、オルコット」

「いえ何も。強いて言えば、いくらある程度何でもありのISでの試合言えども、人の頭を鷲掴みにして壁に高速で叩きつける真似はどうかと思いますが。トーナメントの時、私の周りの何人かは怯えていましたわよ?」

「いや、あれはだな、その、なんだ。……勝てば良いんだよ勝てば! 勝てば官軍!」

「まぁ、そういうことにしておきましょうか」

 

 何とかして言い繕おうとする一夏をセシリアは軽く流す。その姿に一夏はこめかみをひくつかせるも、涼しい顔をしているセシリアには何を言った所で暖簾に腕押しだろうとあえて口を紡ぐことを選ぶ。この借りは、後で試合の時に返せば良い。

 

「そういえば一夏、あんたがそのシャツ買った時さ、数馬や弾はどうしたのよ?」

「ん? 弾は何も買わなかったけど、数馬もなんか面白がって一枚買ってたな。確か色が『シルバーグレー』だったかな。完全にただの灰色だったな」

「へぇ。で、数馬のやつには何か書いてあったりしたの? あんたのソレみたいに」

「あぁ、それなぁ。確か――」

 

 顎に手を当ててその時のことを思い出す。そして不意に、一夏は小さく噴き出した。

 

「フッ、あぁ思い出した思い出した。いや、中々面白くてね。背中の方には星みたいなのが印刷されてるんだよ。確か水星だとか言ってたな。でだ、前の方。俺のこのドイツ語と同じでアルファベットなんだがな。まぁ、その、アレだ。『NEET』だった」

「ブッ」

 

 聞いた瞬間、鈴も真顔のまま噴き出す。そして一夏と鈴、二人揃って押し殺すような笑いを口の端から漏らし始める。

 

「ニ、ニ、ニートって、ヒヒッ。何それすっごくおかしい」

「いやな、ククッ、あの時はそうだよ、確か三人揃って大爆笑したんだった、フヒッ」

「あの、織斑さん。ニートとは、あのニートのことですか?」

「ククッ。ん? あぁオルコット、そのニートだよ」

 

 ニート、正確には Not in Education,Employment or Training の略であるNEETと表記するのが正しい。意味はもはや言わずもがな。

ほぼ日本国内だけでその言葉と意味が独り歩きをしてしまっている状況にあるような言葉だが、一応欧米でもそれなりには知られている言葉だ。セシリアも元々の意味としての言葉自体は知っており、数か月になる日本での生活で日本における意味もある程度は知っていた。一夏に尋ねたのはその確認である。

 

「ただ、親友として弁護させて貰うならあいつは別にモノホンのニートってわけじゃない。むしろ下手な同年代よりずっとハイスペックさ。ただ、あいつは結構な変わり者でなぁ。俺は友人として気に入ってるけど、実際正確にえげつない所があるし、学校じゃ嫌っている奴も居た。そういう嫌っている奴が蔑称としてな、言っていたんだよ。そいつのことをニートって。まぁ本人はむしろ面白がってたくらいだけど」

「はぁ……。あの、まるで事情を知らないわたくしが言うのも変な話とは思うのですが、それでいいのですか? 自分へのそのような謂れなき侮蔑を放置しておくなど」

 

 確かにセシリアの言うことも一理あるとは思う。一般論で言えば数馬を嫌っていた面々の、彼への蔑称は十分名誉毀損、とまではいかずともそれに準ずるレベルだろう。だが――

 

「ま、心配しなくても大丈夫だろうさ。所詮相手は同級生程度。数馬なら自分でどうとでもするさ。……多分やり口はえげつないだろうけどな」

「え、えげつないのですか?」

 

 若干引くように聞いてくるセシリアに一夏は頷いて肯定する。

 

「いやな、元々そういう性格のやつだし。それに俺は話に聞いただけだけど、実際にやったことがあるらしいから……」

 

 そうして一夏は語り出す。まだ一夏と数馬が出会う前、数馬が小学生の頃のことと言う。

仔細はあえて割愛するが、当時の数馬が所属していたクラスに影響力が強いという意味で声が大きい数人の女子のグループがあった。

そんな存在があると聞けば自然と想像できることだが、案の定というべきか特定の誰かへの陰口などのいわゆる『イジメ』、あるいはそれに準ずることがあったらしい。

当時の数馬はそれを完全に他人事で無関心を貫いていたのだが、ある時にそのグループの矛先が数馬に向きかけたことがあった。常に教室の片隅で読書をしていた彼だったが、件の集団に運悪くいつも無口な根暗野郎として目を付けられたというところだったらしい。

 

「まぁ本人から聞いた話でしかないんだけどな。そこで自分への厄介事の気配を感じたあいつは、即座に対策をしたらしいんだ。ただ、それが実にエグくてねぇ」

「な、何をしたのよ?」

 

 この場の三人では一夏に次いで数馬を知る鈴が警戒するように続きを聞いてくる。

 

「そのグループが変に強かったのは集団として纏まっていたかららしい。元々派手な方の連中が集まってたらしくてな。その影響とかが相乗して云々らしいけど、とにかくその纏まりが要なら、それを壊してやれば良いっていうのが数馬の考えだった。

それでアイツはどうしたか。本当に壊したんだよ、その関係を。あることないこと、真実と嘘を混ぜた噂とかを無差別レベルであちこちにぶちまけて、その全部がそいつらに関することらしくてな。それも誰が誰を狙っているとか、知られたくない隠し事だとか。嘘も混じっていたらしいけど、事実もあるんだ。もうどれが嘘か本当かなんて判別がつかない。

かくして、互いに疑心暗鬼に陥ったその女子グループは見事にバラバラ。もはや友情なんてものは木端微塵に粉砕されて、もう誰か個人を狙っていびるなんて土台無理。数馬は危険を回避。ちなみにその出来事に数馬が関わっていたという疑惑はこれっぽっちも上がらなかったそうな――やっぱ引くよなぁ。俺も最初聞いた時は耳を疑ったもん」

 

 小学生のやり口にしてはあまりに酷いやり方に空いた口が塞がらないという風な鈴とセシリアに一夏は同意せざるを得なかった。

自分もたいがいロクな性格はしていないと自負しているが、それでも初めて聞いた時は唖然としたものだ。

 

「何と言いますか、本当にエゲつない……。いえそもそも、よく疑われたりしなかったものですわね」

 

 それだけ大それたことをしておきながら微塵も疑われることの無かった数馬に、セシリアは唖然としつつも感心するような感想を述べる。

 

「あいつ、保身はかなりしっかりしてるからな。それに曰く『自分は脚本家だから表に出ることは無い』だとさ。あぁ、あれ言ってた時のあいつ、やたらウザかったなぁ。ていうか脚本って何だよ脚本って。まさか周りの人間の行動全部読み切ってたのかよ。何それ怖い」

「まぁアイツの無茶苦茶ぶりはアンタに並ぶから今更だけど。ていうかアイツは今どうしてんの? 弾もだけど、日本に戻ってきても全然接点作れないのよね」

「ん? まぁ割と普通にやってるみたいだぞ。夏休みあたりまた会うつもりだから、その時は鈴もどうだよ?」

「考えとくわ。ていうか、随分と話が逸れたわね。Tシャツからよくもまぁぶっ飛んだもんだわ」

「確かに」

 

 つまりはそれだけ一夏も、そして数馬も話題に事欠かない人間ということになるのだが、二人がそれに気づいている様子は無い。

 

「で、今更だがお前ら何してんの?」

「見りゃ分かるでしょ、暑いからこうして日陰に避難中よ」

「わたくしも、正直日に焼けすぎるのは少々抵抗がありまして」

「ふ~ん」

 

 それだけの淡白な反応をすると一夏は砂を踏みしめながら前へ歩いていく。

 

「なに、アンタは泳ぎにでも行くの?」

「さぁてね。ただ、海も砂浜もトレーニングには中々良い環境だ。少しは体を動かさないとな」

 

 言って一夏はTシャツを脱ぐ。そして手早くかつ丁寧に畳むとヒョイと鈴の方に放る。

 

「悪いけど、そこらへんに置いといてくれ」

「……別に構わないけどさ、人前でいきなり脱ぐのはどうかと思うわよ? いや、あたしなんて学校のプールとかで結構見慣れてるから良いけどさぁ」

 

 そこで言葉を切った鈴は隣を見る。

 

「あ、あの……、わ、わたくしも些かどうかと思いますわ」

 

 微妙に上ずった声で鈴に賛同するセシリアがそこには居た。調子がおかしいのは声だけでなく、微妙に一夏を視線から逸らそうとしている。

 

「えーと、オルコット?」

「一夏、セシリアのようなご令嬢様にはいきなりの男の半裸なんて刺激が強すぎるのよ。ましてやアンタのようなムキムキは猶更ね」

「そ、そうか?」

「そういうものなの。だから――さっきからやってるその上腕二頭筋とか胸筋とかピクピクさせるの止めろってのよ!」

 

 かれこれ数年単位でハードと言って差支えないトレーニングを課し続けてきた一夏の肉体は、同年代の男子と比較しても明らかな程に筋肉などの発達が目立っている。当然のように腹筋は六つに割れ、力瘤など当たり前。全身のあちこちに鍛えられた筋肉による隆起が見られる。もっとも、完全なガチムチである彼の師に比べたらまだ細マッチョの段階に留まってはいるが。

とは言え、学校のプール授業などでそれなりに見慣れている鈴はともかく、生粋の令嬢として育てられたセシリアには些か刺激の強い光景だったらしい。それゆえに、この反応ということだ。

 

「とにかくよ。脱いだんならさっさと海の方に行けば? 他の子たちだってアンタが来るのをそれなりには楽しみにしているはずよ」

「ま、俺は俺で勝手にやらせてもらうだけだがね。まぁ良いさ。じゃ、ちょっくら行って来るよ。さて、まずは足場の悪い砂浜でランニングと行こうか……」

 

 ビーチに行ってまずすることとして思いつくのがトレーニングであるあたり、欠片もブレないなと思いつつ鈴は一夏を見送る。やがて延々ビーチを走り続ける一夏の姿が彼女の視界に入ってくることになるが、走りながら同級生たちと軽快に言葉を交わしている様子を見ると、それなりには上手くやっているらしい。それを見て、どこか呆れるように鈴は小さく嘆息着くのであった。

 

<サーブイックヨー!

<チョットー、イマミズカケタデショー

<ダブルバイセェェップスッッ

<チョッ、コラヒッパラナイデー

<フフーン、ワシワシノケイヤデー

<サイドトライセェェップスッッ

<アー、ワタシノジューストッター

<ダレカタスケテェー

<チョットマッテテー

<アドミナブルッアンドッサァイィッッ

 

「……」

 

 ビーチから聞こえる同級生たちの喧騒、その中にやたら野太い声が混じっているような気がしたが、気のせいだと鈴は自分に言い聞かせることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いかに夏の陽気の下とは言え、一日中海で遊ぶというわけにもいかない。時刻も夕方と言って良い頃合いになれば、自然と全員がビーチから引き揚げて宿へと戻る。

そうして宿に戻ったら戻ったで、カードゲームやテーブルゲームなどの屋内での娯楽に誰もが興じ始める。中には参考書を広げて自習に勤しむ者も少なからずいるが、あくまで今日一日は自由時間。どのように過ごすかは個人の自由なのでそれをとやかく言う者は誰もいない。

 そして、温泉に海鮮物で彩られた豪華な夕食と言った楽しみも終わりしばらく経った、夜は八時半を回りそろそろ九時に達しようかとという頃合いだった。

 

「ふぅ……」

 

 軽く息を吐きながら箒は館内の廊下を歩いていた。先ほどまで千冬と一夏が宿泊する教員用の部屋に居たのだが、その最中にちょっとした用足しがあったために一度部屋を出ていたのだ。

ちなみに今現在、千冬の部屋は女子率100パーセントとなっている。千冬や専用機持ち達を始めとした、もちろんそうでない者も含めて生徒数人、揃ってガールズトークの真っ只中だ。というより、ビールの缶を開けて気分よくほろ酔い状態になった千冬が一夏の昔話を面白おかしく話しているというのが実情だ。

ではその一夏はどうしているのかと言うと、部屋に集まった面々が揃うよりもしばらく前に、他の生徒たちとは時間をずらした上での温泉堪能に行っているという寸法だ。

 

(とは言え、一夏のやつもそろそろ上がっている頃か)

 

 千冬に聞いた一夏が温泉に出向いたという時間から既に30分以上が経っている。普通に考えればそろそろ上がっている頃合いだろう。あるいは、既に部屋に居て会話の輪に混ざっているかもしれない。そう考えた矢先だった。

この旅館には他の多くの温泉宿泊施設と同様に休憩を目的としたスペースがある。館内の一角を使い、自販機やゆったりとしたソファや雑誌コーナーなどが置かれているスペースだ。ここ、花月荘もその多分に漏れず、そうした休憩スペースを設けている。

再び千冬の話の続きでも聞こうかと、再度元の部屋へと戻る途中で件の休憩スペースを通りがかった箒は、そこに人影があるのを見つけた。

 

「一夏?」

「ん? あぁ、箒か」

 

 そこに居たのは一夏だった。他の皆と同様に浴衣に身を包んでいる。座っている椅子はマッサージチェアだろうか、ウィンウィンとモーターが駆動する音が小さく聞こえている。

 

「な、何をしているんだ? 確か千冬さんから温泉に行ったと聞いたが」

「あぁ、見りゃ分かるだろ。もう上がった。で、今どうせ行っても人がいるだろうからな。こうして一人でゆったりと夜の時間を楽しんでいるというわけだ。それに、飲み物もつまみもある」

 

 言って一夏が掲げて見せたのはノンアルコールビールの缶とスルメの入った袋。どちらもすぐ近くの売店で仕入れたのだろう。

スルメを肴にノンアルコールとは言えビールを飲みつつ、マッサージチェアに身を預ける。思わず箒の脳裏に「オッサン」という単語がよぎったのは仕方のないことだろう。

 

「随分と、リラックスしているようだな」

「まぁね。折角何もないんだ。明日から忙しくなるだろうし、こうして英気を養っとかないとな」

「……それもそうだな」

「あぁそうだ。箒、明日お前誕生日だったよな。一足早いが先におめでとうと言っとくよ」

「え?」

 

 あまりに唐突に言われた言葉に一瞬箒は理解が追いつかなかった。だが数秒経って一夏の言葉の内容を理解すると、まだ若干しどろもどろながらもありがとうと言う。

 

「あ~、この臨海と被ったからすぐに何か渡すってのは無理だけど、後で何かしらはくれてやるから、そこは待っててくれ」

「え、あ、あぁ」

 

 どうやら一夏は誕生日のことを覚えていたばかりか、プレゼントのことも考えていたらしい。遅れてしまうのは仕方のないことだが、それはこの際どうでも良い。覚えていて、渡してくれるという事実の方が重要なのだ。

それ自体は決して悪いことではない。むしろ嬉しく思う。だが、誕生日とプレゼント、この二つの単語を思い浮かべた途端に箒は思わず表情に影を落としていた。

箒の表情の変化に一夏はすぐに気付いた。だが敢えてどうしたなどと聞こうとはしない。相談があるとすれば箒の側から言って来るだろうと思い、何も気づかないふりをする。

 

「なぁ一夏、少し聞きたいことがある」

 

 来たか、と一夏は思った。残り少ないノンアルビールの缶に口をつけ、一気に中身を飲み干して空にすると、マッサージチェアの脇に置かれたサイドテーブルにスルメの袋共々空き缶を置く。そして箒に向き直った。

 

「どうした」

「その、姉さんのことは、どう思っている」

 

 箒の問い、それを聞いた瞬間に一瞬一夏の目が細まるが、すぐに元通りのいつもの眼差しになる。

箒が姉さんと呼ぶ相手、それはこの世にただ一人しか存在せず、その人物に彼は昼間既に会っていた。

 

「束さん、か。また唐突だな」

 

 唐突、とは言ってみたものの既に一夏の頭の中ではある程度の算段が立っていた。

昼間に遭遇した束の目的は、箒の誕生日に合わせて彼女に何かしらのプレゼントを渡すというものだ。その時はサプライズでも仕掛けるのかと思ったが、今このタイミングで束の話題が箒の口から出た以上、箒も束の動きを知っていると思って良いだろう。仔細までは知らずとも、明日の誕生日に束のアクションがあると事前に知っていた、あるいは束本人から知らされていたのは確定的と見て良いだろう。

織斑一夏という人間は、いわゆる学業成績という面では凡庸と自負し、その上で本人も自覚はしていないが決して馬鹿ではないし頭の回転とて悪い方ではない。むしろ重要な案件であるほど、その重要さが分かっているから真剣に考え思考が自然と研ぎ澄まされていくタイプだ。ちなみに最も頭が素早く回るのは武術関連なのは今更言うまでもない。

 思い返せば箒は束にどこか一歩引いたところがある。その能力もさることながら、人格的な面も含めて奇特極まりない人間だ。いかに実姉いえども敬遠はするだろう。仮に一夏が箒の立場だとしても同じように思った。それに、その束のせいで箒は何かと窮屈な思いをしてきたと聞いている。やはり、複雑な心境となるのは無理もない話だ。

しかし、今ここで言うべきは己の考えである。

 

「束さん、ね。俺からすれば昔から同じ、知り合いの変わり者さ。あの人は俺にもフレンドリーだったが、実はこいつはここ最近になって思ったんだがな。お前や姉貴のついでなんじゃないかと思うようになってな。あぁでも、んなのはどうでも良いか。別に好きでも嫌いでもない。俺にメリットのあることをしてくれたら素直に礼は言うし、逆なら怒る。まぁ普通かね」

「そうか……。すまない、変なことを聞いたな」

「別に良いさ」

「その、変なことついでにもう一つ、良いか?」

「ん? 良いけど?」

 

 このような切り出し方となると先ほどの束の件とはまた別だろう。どんな内容なのか、純粋に気になって一夏は続きを促す。

 

「お前は、その、目的とかそういったのはあるのか?」

「目的というと、具体的には?」

 

 一口に目的と言っても色々だ。例えば勉強だったら次のテストでは前回より20点は上げるとか、料理ならば次は同じ料理を更に美味しく仕上げるとか。

具体的にどういうことでの目的なのか、それを言ってくれないことには一夏も答えようがない。

 

「お前は、いつも鍛練に励んでいるだろう。武芸にしろ、ISにしろ。そこまでお前を駆りたてる、その目的は何なのか聞きたい」

「なるほど、そう来るか」

 

 納得したと言うように一夏は頷き、顎に手を当てる。何が目的か、そんなのは今更言うまでもない。だが、改めて言葉とするためにどう言うべきか、僅かに頭の中で推敲をしてそして言葉とする。

 

「ISにしろ武術にしろ、目的は『極み』への到達さ。何せ身近な所にそれぞれで、文字通りそこまで行っちまった人が居るわけだし。まぁIS乗りなり武術家なりやってる上での義務? やって当然のこと? そういうのもあるんだけど、俺自身が純粋にその領域に達したい、そこまで達した時、世界がどんな風に見えるのか知りたい。まぁそんなトコかな」

「じゃあ、その『極み』に達したいと、そう思った理由は何なのだ?」

「理由、理由ねぇ。う~ん、気が付いたらそう思っていたし、そこまで深く考えたことは無いな。いや、実は俺もこのあたり不思議に思ってるんだけど、明確にこれって言える理由が無い割には、かなり強い目的意識なんだよ。ただ、理由を考えようとするとどういうわけかあまり良い気分はしなくてね。あれかな、武術家として極みを目指すのは当然、そこに理由を求めるなんて愚の骨頂、なんていう天の啓示かね?」

「いや、それを私に聞かれても困るが……。そうか、極みか」

「まぁな。で、なんでまたそんなことを?」

 

 今度は一夏が尋ねる。どうしてそのような質問をしたのかと。別に答えを絶対に求めているというわけではない。聞けるなら聞きたい質問だったが、この辺りでやたら生真面目な気質を持っている箒は真剣に答えようとする。だが、出てきた言葉は一夏にとっても意外なものだった。

 

「その、分からなくなっているんだ。私自身が何をしたいのかが」

「と、言うと?」

「私は、お前ほどではないが学んでいることは殆ど同じだ。IS、そして武芸。だがISは、そもそも学ぶ切っ掛けだったこの学園への入学にしろ私がそう望んだことではないし、武芸――剣道にしてもとにかく我武者羅にやってきたようなものだ。それで、ふと疑問に思ってしまったのだ。私は、ISで、武芸で、この先どうしたいのかを」

「……」

 

 すぐに答えることはせず、しばし一夏は口を閉ざす。何かしら言葉を掛けてはやるべきだろうが、言う内容はしっかりと選ぶ必要がある。

 

「はっきり言って、そいつはお前自身の問題だ」

 

 それを一夏は言葉の始めとした。

 

「だから俺がどうこう言うよりも、お前自身で何をしたいかを見つけるべきなんだろうな」

「あぁ、それはその通りだ」

 

 一夏の言うことは紛れもなく正論、それは箒も十二分に分かっていた。

 

「だから俺はお前のその質問に、はっきりとした答えを返してやることはできない。――けど、助言くらいはできる」

「助言?」

「まぁそんな大したことじゃあないけどな。アレだよ、とにかく頑張ってみれば良いんじゃないのか? 俺だって何も考えずに武術やってたら、いつの間にか目標ができてたようなもんだし。そう焦るもんでもないと思うぞ。やるべきことを、一生懸命にやっていれば良いさ」

「……それも、そうか」

 

 一夏の言葉に箒は俯きながらも頷く仕種を見せる。垂れた前髪に隠されて箒がどんな表情をしているかは一夏には見えない。ただ、明るい顔はしていないのだろうなと思った。声にもどこかそんな感じのほの暗さがある。

 

「休んでいる所を邪魔してしまったな。私は先に行くよ。余計な忠告かもしれんが、早めに戻ると良いぞ」

 

 それだけ言って箒は歩いていく。その背を一夏はただ黙って見送る。

 

(本当に、引っ掻き回してくれる人だな)

 

 幼馴染の背を見送りつつ、考えるのはその姉のことだ。むしろ箒に対しては憐憫に近い念さえ抱く。

共に著名に過ぎる姉を持つという身の上だ。その弟妹であるがゆえの悩みは一夏も十分に共感できる。ただ違いがあるとすれば、一夏の場合は姉の人格がまだ遥かに真っ当かつ高潔なことであり、箒の場合は姉がもはや破天荒そのものであるということだ。その差が二人の境遇にどういった違いを生み出したのか。

勿論、双方の姉の人格の及ばない影響力という点での差異もあるが、それを差し引いても箒の場合はこれまで心身双方で窮屈な生き方を強いられてきた。それを思えば同情の一つや二つはしたくもなるというものだ。

 そしてその全ての原因である箒の姉、篠ノ之束。一応幼少の頃よりの顔なじみではあるし、それ相応に交流もあった。そうして会うその都度その都度、まるで口癖のように千冬と箒への思い入れの強さを語っていたことを思い出す。だが――

 

(あの人、それでも絶対に自分第一が来ているよなぁ)

 

 束はまず第一に「自分」というものを何よりの優先に置いているのではないかと思うことがある。確かに言葉通り、千冬も箒も大事にしているのだろう。だがそれはまず第一に束が何より束本人という絶対を置いた強烈なまでの唯我の上にある感情なのではないか。

こうしてある程度物事に考えを巡らせる年頃になって改めて考えてみると、そうなのではないかという思いが非常に強く感じる。

 

「まったく、せっかくの遠出だっていうのに。もうちょっと自重をしてくれないもんかね、あの人は」

 

 誰もいない虚空に向けて呟き、すぐに意味のないことだと小さく鼻で笑うと一夏は空き缶を握りつぶす。そのまま空になったスルメの袋共々近くのゴミ箱に分けて放り込むと、残った未開封のスルメの袋とノンアルビールの缶を持って休憩スペースを後にする。

もうそろそろ自分ら姉弟の部屋から他の生徒たちも失せている頃合いだ。残りのスルメとビール(ノンアル)は部屋で楽しもう、そう思いつつゆったりとした足取りで一夏は部屋へと戻っていた。

 

 

 

 

 部屋に戻った一夏の目に飛び込んだのは壁にもたれて小さく寝息を立てている千冬と、その周りに置かれた空のビール缶数本だった。

姉もせっかくの機会ということでそれなりに気分よく飲んだのだろう。それを考えて微笑を浮かべると一夏は後始末に取り掛かった。

まずは空き缶の処理。纏めて持って部屋の外にあるゴミ箱へと持っていく。空き缶用のゴミ箱は廊下にしかないのだ。途中で見回りの途中らしき真耶と出くわし、手に持っているビールの空き缶を見られた途端に一瞬真耶の目が険しくなったものの、千冬のものであることを告げたらすぐに納得の様を呈した。

そして空き缶を片づけて部屋に戻った一夏は、出る前には壁にもたれかかっていた千冬が畳に横たわっているのを見ると、その体に静かに布団を掛ける。本来ならばきちんと布団を敷いて、そこに寝かせるべきなのだろうが、そのために動かして起きたら本末転倒だ。それに弟としての経験則で言えば、酔って寝入った千冬はさほど時間をおかずして一度起きる。多分今回もそうなるだろう。布団に放り込むのはそれからでも遅くは無い。

 一しきり部屋の片づけを終えると、一部の僅かな照明を残して部屋の電気を消す。目を凝らせば何とか室内が見渡せる程度まで暗くなった部屋を何にも躓くことなく滑らかに歩くと、部屋の窓の傍へと歩み寄りそのままそこへ腰掛ける。

 

「かんぱーい」

 

 小声でそう言うと一夏は持ち帰ったビール(ノンアル)の缶を開け、窓から見える月に向けて軽く掲げる。あいにくと満月ではないが、雲が殆ど無い夜空で輝く月と満天の星は中々に風情を感じる。

ふと思い返すのは敬愛する師だ。数年前に弟子入りしてからというもの、夏休みや冬休みといった纏まった休暇には必ず師の下へと泊りがけで出向いて稽古を付けてもらっていた。そんな日々の中、一日の稽古を終え夕食や風呂なども済ませ、あとは寝るだけという頃合いに師はよく邸宅の縁側で酒を飲んでいた。

子供ながらに料理の心得をそれなり以上に持っていた一夏は簡単なつまみを用意したが、師曰く季節によって移り変わる景色と夜空の月や星、それらだけでも十分な肴になると言う。

そう言っていた師の心、今ならば分かる気がした。確かに静かな空間で星々を煌めかせ、月を静謐に佇ませる無限に広がる夜空を眺めながらというのは中々に乙なものだ。もっとも、師のように飲み物単品だけでは物足りず、今も口にくわえたスルメのような文字通りの肴が無ければ口さびしく感じる辺りはまだまだなのだろうが。

 

「う~ん、いいねぇ」

 

 思えばIS学園に入学してからというもの、確かにそれなり以上に面白く充実さも感じる日々ではあったが、同時に止むことのないある種の喧騒が常に付きまとっていた。そこから解放され一人静かに夜の時を楽しむ。知らず、心に癒しのようなものを一夏は感じていた。

 

「ん?」

 

 そうして何気なく見上げた夜空、そこに浮かぶ月を見て思わず唸る。月の表面に浮かぶ模様、本来は月面のクレーターだが地球上では模様に見えるソレは世界の各地域で見え方が違う。

蟹のように見えれば女性の顔のようにも見える。そしてここ、日本から見える形は兎。満月ではないため一部が欠けているが、兎と判断するには十分なくらいに形は出ている。それを見て思い出すのは昼間の一幕だ。

 

「はぁ……」

 

 招かれざる、とまでは言わないものの個人的感情で言えばできることなら歓迎したくない知人を思い出し、一夏は思わずため息を吐いていた。そうして沈んだ気分を紛らわそうとするかのように、グイとビール(ノンアル)をあおる。

 

「なんだ、暗い部屋で月見酒など。あいつの真似か?」

 

 不意に背後から千冬の声が掛けられる。

 

「あぁ、起きたのか」

 

 少し寝入ったことである程度持ち直したのだろう。目を覚ました千冬は上半身だけを起こして窓際の一夏を見ていた。

声を掛けられたことで千冬が起きたのを確認した一夏はすぐに立ち上がると、部屋の端の方にどけられていたテーブルの上にあるティーセットの方へと歩いて行き、籠に入った湯呑を取るとその隣に置かれていた水差しから水を一杯注いでそれを千冬に手渡す。

 

「すまんな」

 

 水を受け取った千冬は一言、簡単な礼を言うと一息で飲み干し、大きく息を吐く。空になった湯呑を受け取った一夏は、それを再びテーブルの上に戻す。

 

「布団、敷いとく? 結構飲んだんだろ。明日もあるんだし、今夜は寝たらどうだ?」

「そうだな、そうするとしようか。で、お前は私が寝ている横でまた月見酒か」

「一応言っとくけど、ノンアルだぜ?」

「あぁ、分かっているさ。でなくば許しはせんよ」

「それもそっか」

 

 言いながら一夏は部屋の襖を開け、中に畳まれている布団一式を出して敷いていく。千冬が手伝おうと立ち上がりかけるが、酔っ払いが下手に動くなと言ってそのまま座らせ続ける。

別に布団を敷くのが不得手なわけではない。むしろそこいらの同年代連中よりは遥かに手際よくできる自信がある。伊達に留守がちな姉に代わり家の管理をしてきたわけではない。

 

「ほれ、布団敷いといたからさっさと寝たら? 明日だって早いんだろう?」

「で、人が寝ている横でまだ飲んでいると」

「だって中身残ってるし」

「ほどほどにしておけよ?」

「分かってるって。ほら、休んだ休んだ」

 

 背を押して急かすように一夏は千冬を布団へ追い立てる。まだ酔いが抜けきっていない千冬はやや足取りをふらつかせながらも言われた通りに布団へ潜ろうとする。

 

「……」

 

 もぞもぞと動きながら再び寝入ろうとする千冬の背を見ながら、一夏は目を細めた。

昼間に会った束のこと、言うのであればこれが最後のチャンスになるだろう。明日は箒の誕生日当日、仮に昼間の彼女の言葉が正しいのであれば確実に明日行動を起こす。それも人目を忍んでなどという気遣いは欠片もせずにだ。

一体束が何を企んでいるのか、未だ一夏には見当がつかない。だが、当人たちにとってはどうかは知らないが、高い確率で周りを騒がせるようなロクでもないことだろうとは予想できる。何しろ、昔から何かやらかすたびに大事にしていたからだ。

 

(さて、本当にどうしたものかねぇ)

 

 今の姉は酔ってそこそこに気分が良い状態だろう。そこから眠ろうというのだ。気分は更に良いに違いない。そこへ頭痛の種になるような要件を伝えるのは少しばかり気が引ける。あるいは、もういっそどうにでもなれと諦めようかと思った直後のことだった。

 

「一夏、何を悩んでいる」

「え?」

 

 布団に横たわり、自分に背を向けたままの千冬から不意に掛けられた言葉に一夏は思わず呆けていた。

 

「今日一日、いや正確には私がお前を外に追い立ててからだな。それからというもの、何か考え込んでいる様子だったが。私だけじゃない、山田先生も気付いてはいたぞ? まぁお前を気遣って敢えて何も言わず、私に報告しただけだがな。お前がこの臨海学校を楽しめているか、それが気がかりだったらしい。感謝しとけよ? それだけ心配されていることを」

「え、あ、それは……」

 

 言葉に詰まり、すぐに言い繕おうとしても無駄だと悟る。となればもう話してしまうべきなのだろうが、では今度はどう切り出すべきかと悩んでしまう。だが、その解決の糸口は思わぬ方向からやってきた。

 

「束か」

「っ……」

 

 何気なく千冬の口から呟かれた言葉に一夏は息を呑む。目立たない反応だが、一夏の動揺を千冬に悟らせるには十分なものだった。

 

「そうか。もしやと思っていたが、やはりお前にもか」

「『も』ってことは、姉貴」

 

 もしやと言うような一夏に千冬は横になったまま頷く。

 

「明日の篠ノ之の誕生日、確実に束は何か行動を起こすだろうよ。あいつめ、少し前に私に直接電話で言ってきた」

「てことは、俺が知らされたのはドンケツってことか。箒も前々から知っていた風だったし」

「なに? 篠ノ之もだと――いや、考えればそれも当然か。一夏、お前はそれをいつ知った?」

 

 互いに状況は既に把握済み、となれば余計な説明など不要だ。必要なことのみをただ伝えるだけで事足りる。

 

「さっき、部屋に戻る前に。箒とバッタリ会ってな。そこであの人の話題が出たからよ。ちょうど昼間に直接会ったばかりで、明日のことを聞いていたから、こりゃあ当たりだと」

「そうか。しかし、既にここまで来ているか……。いや、あいつの行動パターンなど考えても今更か……」

「で、どうするつもりだよ。あの人は、白昼堂々人様の前に早々ツラ出せるような人じゃあないだろう」

「その通りなのだがな、実は何も考えていない。というより、考えるだけ無駄だ。昔からそうさ。奴を相手にするのであれば、ほぼ常に後手に回ることになる。私だって、気が付いたらあいつの起こした騒動に火消しに奔走していたということなど幾らでもあるからな。無駄だ無駄。今更どうこうしたところであいつは止められんよ」

「すっぱり割り切ってるのなぁ」

「でなければ、アレと付き合ってなどられん」

 

 フンと鼻を鳴らす千冬に、それもそうかと一夏はどこか納得していた。そして納得した一夏は、昼間より気になっていたことを千冬に聞くことにした。

 

「姉貴、あの人は箒に誕生日のプレゼントをくれたやるつもりだって言ってた。一体、何なのか分かるか?」

「……さてな」

 

 答える直前の僅かな間、それが何を意味するかは一夏には分からない。「何となく」での予想は立てられるが、所詮は確証の無い憶測でしかない。ゆえに何も追及はしない。そうか、とだけ言って頷くだけだった。

 

「いずれにせよ、今の私はIS学園の教員で、お前はその生徒だ。誰が来て何をしようが、私たちがここに来た目的に変わりは無い。お前は、お前たち生徒は学ぶべきことをしっかり学んで、私たち教師はそれを滞りなく進め、この臨海学校を無事に終わらせることだ。本来の目的やすべきことを見失いさえしなければ何とかなるさ。そういうものだよ」

「そっか……。いや、確かに姉貴の言う通りだよな。確かに、やることやればそれで終い、でもってさっさと引き上げれば良い」

「そういうことだ。――じゃあ、私はもう寝るぞ。お前もあまり遅くなるなよ。おやすみ」

「あぁ。おやすみ、姉貴」

 

 交わされるおやすみの言葉、学園の教師や生徒たちがこれを聞けば程度に差はあれど驚く者が殆どだろう。常の二人の立ち居振る舞い、言葉からは想像しにくい穏やかさに満ちていたものだったからだ。

そして静かに寝息を立てて寝入っていく姉を一夏は穏やかな眼差しで見つめると、打って変わって苦笑と共に小さなため息を漏らす。

 

「確かに、あの人相手なら今更だよなぁ。良いさ、来るなら勝手に来れば良い」

 

 言って、一夏は再び窓際へと戻り腰を下ろす。飲みかけのビール(ノンアル)の缶を持つと、窓から見える月に向かってソレを掲げた。その姿はまるで月に映しだされた兎に、それを象徴する一人の女性へと宣言するかのような姿だった。

 

「加減無用だ。楽しませてみろ」

 

 そう不敵な笑みと共に言うと、一夏は缶の中身を一気に飲み干す。その姿を照らす月明かりは、まるでそこに住まう兎が笑っているかのような趣きを醸し出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして夜が明けて臨海学校の二日目が始まる。

この日の予定は日中のほぼ全てをISの実機を用いた訓練に当てる。アリーナという限定空間ではない開放された空間という、常とは違う状況でのIS運用をこれまでの授業では用いなかった装備と共にひたすら学んでいくのだ。

そして、専用機を持った生徒は別としてそれぞれの母国より送られた試作装備の稼働テストや、そのデータ収集を行う。それが、本来のこの日の予定だった。

 だが、この本来の日程の消化のために海岸へと集まった者達は、生徒教師皆一様に驚きに思考が支配されていた。その原因は全員が海岸に集合し終えた直後に現れた一人の人物の存在だった。

 

「じゃんじゃじゃーん! 世紀の大天才が大! 登! 場! 私が篠ノ之束だよー!」

 

 周囲の様子など気に留める様子を欠片も見せずに、高らかに名乗りを上げる束の姿がそこにあった。その姿を千冬はいつも通りの鉄面皮を貫いたまま見つめる。実妹の箒は何かに迷うような、緊張の面持ちで姉を見つめている。

そして一夏は、千冬や箒とは更に離れた場所で静かに、しかし眉間に小さな皺を作りながらまるで睨むかのように旧知の人物を見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 とりあえずは普通な感じで終始進めた今回の話ですが、例によってと言いますか、そこかしこにネタは仕込んであります。具体的には一夏のTシャツとか、数馬のTシャツとか。一夏のシャツに書かれているドイツ語、セシリアの訳を参考にしてみてください。イエ、トクニイミハナイノデスケド(すっとぼけ
ちなみに一夏のTシャツについては第二案として、茶色の生地に文字を「滅尽滅相」とか考えてましたww

 数馬の武勇伝(?)は、身も蓋もない言い方をしてしまうと尺稼ぎと言いますか。ちょっとボリューム感を出したいなぁと思い、テコ入れ感はありますが書いてみました。基本、自分が気に入らない相手には容赦なく、かつエゲつないのが彼の特徴です。本当に、我ながら随分とキャラを弄ったものだと思います。今更感マックスですが。

 そして夜に話は移りまして、絶賛ブレッブレの箒さん。もうちょい、もうちょい彼女には我慢してもらいます。大丈夫、この三巻終わるころにはむしろこいつの方がある意味正統派主人公じゃね? と言えるようなキャラにする……予定ですから。
いや、前向きと言いますか、作者の主観で正統派な感じのキャラにするつもりではありますが、そこは読者の皆様の主観に依りますからね。とりあえずはそういう予定ということで。
ちなみに作者の頭の中では、本作の一夏は成年に達したらその瞬間に酒豪確定です。というかこれっぽっちも作中に出していない、作者の脳内の隠し設定では家で千冬のいない間にチョクチョク……なんてのがあったり。

 で、最後に一夏と千冬の一対一。いや、ただのお話ですがね。
思い返せば本作で一夏と千冬だけでの会話シーンというのはだいぶ珍しい気がします。普段は学園で教師生徒の関係だから接触が限られる。けれど今回については姉弟として話しているため、ということにでもしましょうか。
 最後の「おやすみ」は二人とも相当に柔らかい言い方です。このあたりで姉弟っていう感じを出せていたらなぁとは思います。

 それでは、ひとまず今回はここまで。また次回に。





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