或いはこんな織斑一夏   作:鱧ノ丈

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昨日の時点で完成はしていたのですが、例のトラブルで上げられませんでした。
今回は一夏の出番は少なめです。箒と鈴の、ガールズトークがメインとなります。


第八話 語らうファースト&セカンド幼馴染

「そっか。やっぱ行っちまうのか」

 

「うん。まぁ仕方ないよね。お父さんもお母さんもかなり悩んだみたいだし。それに、正直あたしも納得しちゃってるトコがあるしさ……」

 

 ならもう自分には何も言えないと少年は――かつての織斑一夏は腰を下ろした公園のベンチの背もたれに深く身を預けた。

 その隣には一夏と同じベンチに腰を下ろしているツインテールの髪が特徴的な少女――凰 鈴音の姿がある。

 ざっと数えて一年少々前の、ある日の夕方の一幕だった。

 既に夕日へと変わりつつある太陽の光が景色をうっすらとした朱色に染める中、同じベンチに隣り合わせて座る十代半ばの少年少女。この組み合わせだけを見れば、誰もが若人の青春の甘酸っぱい一時を思い浮かべるだろう。

 だが、二人の間にそうした感情はない。あるのは、数年前に初めて出会い、何の因果か今に至るまで続く腐れ縁から成る、ただの親しい友人という感覚だけだ。

 そして、その二人の間に繋がれた縁が、近く途切れそうになっていた。

 

「親父さんの方に残るってのは、やっぱ無理だったのか?」

 

「うん。多分お父さん、これから相当忙しくなると思うの。流石に、一人であたしの面倒を見るのもきつそうだし、あたしもそこまではちょっとね」

 

「そうか……」

 

 遠からず、鈴は海を越えて遥か遠くへと行くことになる。そうなれば、早々会うことも叶わないだろう。

 物理的な距離のひらきというものは、意外と縁の繋がりにも関わるものだ。海を越えるとなれば、それこそ二人の間にある縁は一気にか細いものになるだろう。

 だが、それをどうこうすることは今の二人にはできない。ただの小僧小娘でしかない二人は、流れに身を任せる以外に他は無かった。

 それを理解しているからこそ、一夏はこれ以上何かを言うつもりはなく、もはや仕方のないことだと諦観の念を抱いていたのだ。

 

「あたしもさ、正直寂しいのよ。あんたもそうだけど、弾や数馬、涼子や美穂とか明美とか。あたしの友達みんなに会えなくなるんだもの」

 

「そりゃあ……まぁキツイわな」

 

 鈴の立場に立って考えて見れば気持ちは良く分かる。会えなくなる、それがどうしようもない。理屈の上で理解するのはとても簡単だ。だが、感情はそうはいかない。

 鈴が挙げた友人たちは、一夏にとっても同じ友人と言える。あの日(・・・)を境に自分を『武』に生きる人間と決めたつもりだが、やはり友人と会えなくなるというのは、堪えそうだ。

 

「よし、決めた!」

 

 不意に鈴が力の籠った声と共に立ち上がる。何事かを問いかけるより早く、彼女は次の言葉を紡いだ。

 

「あたし、なるだけさっさと日本(コッチ)に帰ってくるわ! だから一夏。あんた、みんなと一緒にあたしの帰りを待ってなさい! そしたらさ、また皆でバカやりましょうよ」

 

「お、おう」

 

 いきなりの言葉にそれしか言えなかった。

 

 それから二週間後、凰 鈴音は母と共に中国へと渡って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そうかぁ。あれからもう一年かぁ……。月日って、早いなぁ……)

 

 今は一コマ目の授業が終わった後の休み時間だ。幸いと言うべきか、放課後の真耶による補講のおかげで専門的な内容の授業にもそれなりに理解が及ぶようになった。

 まぁまだまだということは分かっているが、やはり目に見える成果が出るというのは悪い気がしない。

 そうして二コマ目の授業を控え、必要な教科書やノートを取り出しつつ、一夏は鈴と別れたかつての日を思い出していたのだ。

 

「一夏、少し良いか?」

 

 声を掛けてきたのは箒だった。なんとなく用件の察しはついたのだが、敢えて確認するということはしなかった。

 

「どうした」

 

「いや、さっきの編入生、中国の候補生と名乗ったやつのことだが……」

 

「あぁ、鈴な。まぁ俺の古いダチの一人だよ。あぁそうか、あいつが来たのはお前が行ったすぐ後だったか」

 

 その言葉に箒は凰 鈴音という少女と一夏の縁故の経緯をある程度察した。

 六年前、箒はその身柄を完全に政府の管理下に抑えられ転居の連続を余儀なくされた。その転居の最初で一夏と離れ離れになり、二人の関係には六年の空白が生まれたのだ。

 

(つまり、あの編入生はその間に一夏と出会ったわけか)

 

 自分の知らない所で一夏が、これまた自分の知らない少女と親しくなっている。その事実にズキリと胸が痛むような感覚がした。

 本来であればこのようなことにはならなかっただろう。自分は一夏と離れ離れになることなどなく、あるいは今も父の下で共に剣道を学べていたかもしれない。

 だが、それは所詮ifの話だ。今となっては叶わない願い。そしてその全ての原因は、たった一人の人間に収束する。

 いつの間にか視線は一夏の右手首、正確にはそこにある白い腕輪に向かっていた。ある意味では、それこそがその元凶たる人物を象徴するものなのだからだ。

 

「おい、箒?」

 

 訝しむような一夏の声で我に返る。一瞬、ハッとするような顔をしたが、すぐに何でもないという言葉と共に首を横に振る。

 

「そろそろ次の授業だな。私は戻る」

 

「あぁ」

 

 それだけ言って箒は自分の席へと戻って行く。次の休み時間に、その次の、そして昼休みにも、一夏に話しかけようかと思う。

 昼休みには一夏は大抵学食で昼食を取る。上手くすれば一緒に食べることができるかもしれない。

 おそらく、自分が同席したところで一夏は何とも思いもしないのだろう。だが、別にそれでも構わない。一緒に食事ができるという、それが重要なのだ。

 

 

 

 

 そして時間が経って昼休みとなった。箒が机の上を片付けて学食へ向かおうとした頃には、既に一夏は教室を出ていた。

 廊下を走るわけにはいかないのがもどかしかったが、それでも可能な限りの早歩きで学食へと向かった。そしていつも通りに列に並んでメニューを注文、出された食べ物の乗ったトレーを持ちながら一夏の姿を探した。

 

「どこだ……?」

 

 だが、食堂を見回しても一夏の姿は見当たらなかった。おかしい。

 こうして一夏を探すまでは、まぁいつものことだから別に構わない。一夏は基本的にこうした食事時は一人でさっさと食べに向かってしまう。別に誰に声を掛けるでもなく、本当に一人でさっさと食べに行くのだ。

 そして、例えばボックス席で食事を取っている時に空いている一人分、あるいは二人分の席に誰かが同席を求めたとして、それを特に断ったりもしない。

 そして誰かが同席したら、その者と軽く会話をしながら、やはり自分のペースで食事を平らげて速やかに場を辞する。他人から見れば早い、しかし彼にとってのマイペースで誰にも同じような態度を取りながら進める。それが一週間と少し一夏を見た上で箒が判断した彼の食事のスタンスだ。

 

 そしていつも通りなのであれば、今日も今日とて一夏はどこか適当な席で食事を取っているはずだ。あとはそこに自分が同席する。それで良いはずなのだが……

 

「いない……?」

 

 間違いなく一夏は自分より早くこの食堂に赴いたはずだ。だが、一夏の姿はまるで見当たらなかった。

 食堂は利用する生徒の数もあってかなりのスペースを持ってはいるが、それでも少し歩きまわれば全体を確認することができるくらいには拓けている。

 既に席に着いて食事を取っている生徒の姿の中から一夏を探すも、その姿はまるで見当たらない。

 

「篠ノ之さん、どうしたの?」

 

 一夏を探す中、不意に背後から声を掛けられた。振り返ってみれば、そこにはクラスメイトの姿があった。確か谷本という名字だったはずだ。

 

「あぁ、いや。一夏を探していたのだが……」

 

 つい反射的に、安易に答えてしまったことに言ってからしまったと内心思ったが、彼女――谷本癒子は特に気にする様子もなく、あぁと言って手を叩いた。

 

「えーっと、私も結構早く食堂(ココ)に来たんだけど、ほら。あっちにパンとか売ってるコーナーあるでしょ?」

 

 癒子が指差した先には箒が料理を頼んだカウンターとはまた別のカウンターがある。そこでは袋に入ったパンやサンドイッチ、他にもおにぎりや軽食類などの食堂以外の場所でも食べることを考えたものが販売されている。

 

「織斑君、あそこで何か買って、それでさっさとどこかに行っちゃったよ?」

 

「なに……?」

 

 箒は自分が固まるのを感じた。つまり、目の前のクラスメイトの言うことが正しければ一夏は既にここにはいない。いつものように自分のペースで動き、結果として自分が見事においてけぼりをくらった。そういうことになる。

 そして、一夏と共に食事をしようとした目論見も、今日この日に限って言えば完全に潰えたということになる。

 じゃあ私飲み物取ってくる途中だから――そう言って箒の前から立ち去った癒子に覇気のない声で挨拶と教えてくれた礼を言いながら、箒は頭を抱えたくなった。

 自分は、いい加減一夏に振り回されっぱなしではなかろうか? そんな考えを持ちながらも箒は席を探す。既に手にはトレーに乗った料理がある。これを無為にするわけにはいかない。どこかしらの席について食べる必要がある。

 幸いにも席は早く見つかった。元々来たのが早いほうだったため、まだ席には余裕があったのだ。座ったのがボックス席であるため、もしかしたら誰かが空いている席に同席を求めるかもしれないが、別に構いやしない。誰であったところで、変わりはないようなものだ。

 席に着いてすぐに、箒は昼食の和食セットを食べ始める。元々和食には慣れ親しんでいたが、このIS学園の食事は学生用の食堂の料理としては随分とレベルが高いという印象だった。

 毎日美味しい食事にありつけるというのは、箒にとってもそれなりにありがたいことであった。

 

「ごめん。ここ、いいかしら?」

 

 そんな声が掛けられたのは食事を始めてから少ししてのことだった。

 

「別に構わないが」

 

「んじゃ、お邪魔するわよ~」

 

 そう言って声の主は箒の対面に当たる席に座った。別に誰であるかには特に興味は無かったのだが、何やら聞き覚えのある声だったので箒は顔を上げて声の主を確かめることにした。

 そして目の前に座る人物が誰かを確認した瞬間、気付けば茫然とその名前を呟いていた。

 

「凰……鈴音……?」

 

 その言葉に少女、鈴は不思議そうな顔をした。

 

「あれ? あたしあんたに名乗った覚えは無いけど?」

 

「あ、いや。私は……」

 

 だが、箒が何か言うよりも早く再び鈴が口を開いた。

 

「あぁ、あんたが篠ノ之箒ね」

 

 その声には何やら納得するような節があった。

 言葉を返すようだが、自分だって名乗った覚えはないと箒は思った。少なくとも、目の前の中国の候補生であるという編入生と面と向かって言葉を交わしたのはこれが初めてだ。

 だというのに、なぜ彼女は自分の名前を知っているのだろうと。いや、正確には自分の顔と名前を合致させて覚えているのかと。

 

「なぜ、私を……?」

 

「あぁいや、ほらさ。あんたの名字が……なんかゴメン。いや、中国(向こう)から来る前に、学園内の人間で政府がチェックしてるってやつは覚えさせられてさ。ほんと、悪気は無かったんだけど……」

 

 名字のことを口にした瞬間に、目に見えて暗い影を背負い込んだ箒に、思わず鈴は釈明を述べていた。

 

「いや、いい。気にしないでくれ。もう、慣れている」

 

 確かに気にしたと言えばそうなのだが、実際問題慣れてしまっている。行方をくらました世紀の大天才の実妹、コンタクトへの糸口になるかもしれないとして政府は自分の身柄を押さえたのだ。

 同じようにして、かの篠ノ之束の実妹として自分をマークしている政府や機関がどれだけあるのか。それはもう一々数えるのも馬鹿らしいくらいはあるだろうと、この年になれば察しだってつく。

 IS学園への留学生、ましてや候補生クラスともなればその行動には少なからずその国のISに関する政治戦略も絡んでくる。セシリア語っていた自身の第三世代型テストなど良い例だ。

 だから、箒も鈴の言い分をすぐに察したし、それ以上何かを言おうという気も存在してはいなかった。

 

「実際、私が篠ノ之束の妹なのは事実だ。もっとも、私は姉ほど優秀なわけじゃない。すまないが、姉絡みで役に立つことなど何も言えない」

 

「いやだから、ホントごめんって。別にそういうの聞きたいわけじゃなくって、単にあたしがあんたを知ってるってだけの話よ。うん」

 

 気まずくなった空気を払おうとするように鈴はわざとらしい咳払いをする。

 

「あ~、そういえばさ。まぁその、その資料にあったんだけどさ、あんたって一夏と昔知り合いだったかもしれないってマジ?」

 

 話題を変えるように問いを投げかける鈴。面識のない少女の口から『一夏』と紡がれることには、やはり心の隅にわずかながら釈然としないものを感じるが、さすがに問われて答えないわけにはいかない。

 

「事実だ。幼馴染と言うべきだな。父と、それに姉さんもだが、その繋がりで最初に会ったのが六歳の時。離れたのが、十の頃だ。そのあたりの事情は――要らないだろう」

 

「まぁ、一応ね。そっか。じゃあ、ほとんどあたしと入れ違いみたいなもんかな。あたし、丁度小学校の五年になった時に一夏に会ったから」

 

「そう言えば、朝に一夏と一年ぶりとか話していたが……」

 

「あぁそれね。ちょっと事情があってウチの親、離婚しちゃってさ。その時、お母さんについていってあたしも中国に戻ることになっちゃったから。それで一辺別れちゃったのよね」

 

「あ、その……すまない」

 

 両親の離婚、その言葉の内にある重さを察して今度は箒が申し訳なさそうな顔をする。

 

「気にしなくていいわよ。別にけんか別れってわけじゃなくって、お互いに事情があって納得しての離婚だったし。あたしも、まぁ納得はしてるかな。それに、仲が悪くなったわけじゃないから、今でも普通に手紙や電話はしてるし、その気になれば都合をつけて会うことだってできる」

 

「そ、そうか。なら良いのだが」

 

「まぁざっくり言うと、お父さんの仕事とお母さんの実家の都合がぶつかっちゃったからってトコよ。色々落ちつけば、もしかしたら復縁なんてこともあるかもしれないし。あたしはもう割り切ったわ」

 

「そうなのか……」

 

 本人がそれで良いと割り切っているならば、部外者でしかない自分がこれ以上立ち入ったことを聞くことは憚られる。そう判断してそれ以上を聞くことはしない。

 だが、それとはまた別で気になっていることがある。というより、箒にとってどちらが重要かと問われれば間違いなくこちらの方だ。

 

「その、凰。聞きたいことがあるのだが……」

 

「別に鈴でも良いけど、まぁあんたの呼びやすい方でいっか。なに?」

 

「その、お前と一夏はどのような関係なのだ?」

 

友達(ダチ)ね」

 

 即答であった。どのような答えが返ってくるのか、身構えてすらいた箒が思わず呆けるほどにあっさりと簡潔な、素早い回答だった。

 

「最初に会ってから今年で六年目。腐れ縁の続いたダチよ」

 

「ダ、ダチ……?」

 

「そ、ダチ。丁寧に言うなら友達、英語で言うならフレンド。まぁ、昔は他の連中とかと一緒に結構ツルんでた仲よ」

 

「友達……」

 

 その意味をじっくりと噛みしめるように箒は言葉を反芻する。友達ということは良好な関係にあるといって間違いない。だが、それでもあくまで『友人』でしかないのだ。

 だが果たしてそうなのだろうか。箒の胸中からは未だ疑念がぬぐえずにいた。友人であることはまだ良い。だが、それ以上の感情があるのであれば、目の前の気さくな少女は自分にとって――

 問うことは躊躇われた。別に知らないままで、目の前の少女が一夏のただの友人という認識で終わらせても構いはしない。だが、万が一にも疑念が的中したら、その疑念が箒にとって受け入れがたい結果を齎したら。

 そう考え、箒は口を開いた。

 

「その、もう少し、聞いても、いいか?」

 

 声は途切れ途切れと言える程にゆっくりだった。ただ聞きたいことがあるにしてはあまりにおかしなその様子に首を傾げつつも、鈴は頷いて続きを促す。

 

「お前と一夏が友人というのは、分かった。だが、その、それ以外の感覚というか……そういうのは、あるのか?」

 

「う~ん、まぁ確かに仲はそれなりに良かったし、ツルむことも多かった。実際あたしが一年前に中国に戻ることになって、離れることになった時は寂しかったけど、それでもやっぱりダチって感覚よねぇ」

 

 そう言って鈴はチュルリと自身の昼食であるラーメンを啜る。食事を進めながらの会話であったために、会話が進むにつれて二人の昼食も残りを少なくしていっている。

 

「そ、そうか……」

 

 鈴本人は何気なく答えたつもりなのだろう。だが、その答えは箒を安堵させるのには十分だった。

 もちろんそれで完璧だという確証があるわけではないが、少なくともこのやり取りから判断する限りでは、鈴に一夏への異性としての好意は無いように思える。なら、今はそれでよしとするべきだろう。

 

「……ん?」

 

 ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間だった。ふと気付けば鈴が視線をまっすぐ箒に向けていた。その目は笑っているわけでも、怒っているわけでもない。ただ真顔で箒を見つめていた。

 

「な、なんだ?」

 

 もしや何か気に障るようなことでもあったのかと、僅かながら焦る箒を見ながら鈴は口を開いた。

 

「あんたさ――」

 

 一体何を言われるのか。ゴクリと、唾を飲み込んだ喉が鳴った。

 

「一夏のこと、好きなわけ?」

 

「なぁっ!? 何をっ!?」

 

 その問いかけはあまりに唐突で、そして箒を大きく同様させるものだった。目に見えてうろたえる箒の様子が面白いのか、鈴はカラカラと笑いながら落ちつけと箒を制す。

 

「まぁまぁ落ちつきなさいよ。ほら、目立つって」

 

 言われて箒は慌てて周囲を見回す。いきなり声を大にした箒に周囲から何事かと気にするような視線が集まっていることに気付くと、気まずそうに顔を伏せた。

 

「いやぁゴメンゴメン。まさかと思って聞いてみたけど、ここまで盛大に反応してくれるなんて思ってなかったわ」

 

 苦笑気味に謝る鈴に箒は自分を落ちつかせる様に咳払いをする。そして、わずかに身を乗り出して鈴に顔を近づけ、小声で聞いた。

 

「な、なぜ気付いた……?」

 

「ん~、まぁ何となく? そんな感じがしただけよ。いや、本当にそうだなんて思っちゃいなかったわけだけどさ」

 

 その『感じ』で当てられてはこちらの立場が無いという話だ。とは言え、言い当てられたことにうろたえるという明確な反応を見せてしまった時点でもはやどうにもできない。あとは、潔く認めて後の手を打つだけだ。

 

「そ、そのだな……。頼むから――」

 

「あぁハイハイ。他の連中には黙っといてくれって話でしょ? 別にいいわよ、そのくらい。ペラペラ言いふらすとか趣味じゃないもの」

 

 それなら良いと、箒は再び胸を撫で下ろす。もっとも、他人にこの想いを知られてしまった時点でもはや安堵も何もあったようなものではないが、これ以上の拡散を防げただけまだマシとするべきなのだろう。

 

「ただ、一つ言わせてもらうわよ。言っちゃあなんだけど、初対面のあたしから見ても結構分かりやすかったわよ。少なくとも一夏の話になった時の感じとか、あたしに一夏をどう思っているかって聞いて、その後の反応とか。本当に隠しときたいなら、あんた自身が気をつけなきゃよ」

 

「ぜ、善処する……」

 

 至極もっともな指摘に箒は頷くよりなかった。

 よろしい、と満足げに頷くと鈴は残り少なくなっていた麺を一気に啜る。それに合わせて箒もまた、昼食の残りを平らげる。しばし無言で食事を進めた二人が箸を置いたのはほぼ同時であった。

 

「この際だから聞きたいんだけどさ、あたしが一夏絡みであんたについて知ってることに、あんたが十歳くらい、つまりあたしが一夏に会う少し前あたりに引っ越しの連続になったってあるんだけど、これって確かよね?」

 

 頷く箒。そのことについて思うことは極めて多々あるものの、今更否定をしたところでどうしようもない。事実なのだから、否定をする意味がない。

 

「てことはさ、あんた。その頃から一夏(アイツ)が好きだったわけ?」

 

「……そうだ」

 

 しばしの間を空けて、問いに肯定でもって返した箒に鈴は感心するように「カーッ」と息を吐いた。

 

「いや、素直に大したもんだと思うわ、あんた。てことは実質六年ね。いやぁ、純情純情」

 

「か、からかうつもりならこれ以上この話はしたくないのだが……」

 

「まぁまぁ怒んない怒んない。いや、正直ちょっと茶化しちゃったけどさ、実際感心してんのよ? 大したやつだわ」

 

 別に感心されるようなことではないと箒は思う。ただ想いを秘め続け、そしてそれをいわば心の支えにしてきた。それで十分だった。ぶっきらぼうな所はあったが、時に自分を気に掛ける優しさを見せてくれた幼馴染との思い出、彼への想いは箒にとって明確な『幸せ』の具現だった。

 

「ただまぁ、悪いけどあんたと離れた後の一夏を知っているから言わせてもらうわ。多分、あんたが惚れたあんたと別れる前の一夏と今の一夏は――別人よ」

 

 その言葉に胸をえぐられるような思いがした。言われずとも理解している。『男子三日会わざれば刮目して見よ』という古いことわざにあるように、六年の歳月を経て再開した一夏は、自分のしるかつてとは違っていた。

 もちろん、そのことわざに則るのであれば、その変化もごく当たり前のことと言えるだろう。だが、それだけでは割り切れない不安を感じたのも確かだ。そしてかつてと違うその姿に憤りを感じたのもまた事実だった。

 だがもう一つ、今しがた聞き逃せない言葉があった。

 

「その言い草だと、一夏が変わったのを――」

 

「見たわよ。そりゃもう、ガラリとね」

 

 聞き終えるよりも先に答えを言い放った鈴の目は、先ほどまでカラカラ笑っていた時とは打って変わり、真剣そのものだった。

 

「放課後、ちょっと時間貰っていいかしら? あたしもあたしと会う前の一夏は気になるし、それを話してくれるかもしれないあんたとちょっと話してみたい。代わりに、あたしも一夏(アイツ)のこと、話せることは話すわ」

 

 断る道理は無かった。頷く箒に鈴もまた頷くと、僅かにスープが残るのみとなった丼の載ったトレーを持って席を立った。

 

「じゃ、また放課後にここでね! ()!」

 

 そろそろ昼休みの時間も差し迫っているためだろう、食器を返却しにいく鈴の足取りは軽やかであり早い。そしてその背を見ながら箒は、鈴に倣って食器を返しに行くでもなく、ただ茫然としていた。

 

「箒、か……」

 

 誰もが彼女のことを名字で呼んだ。あるいは突出した実姉の名が知れ渡っていたから、あるいは単に名前で呼び合うほどの交友が深まっていなかったから。

 だからこそ、一夏という例外を除けば他人から名前で呼ばれるのは久しくなかったことだった。

 そうしてしばし呆け、やがて時間に気付き慌てて彼女もまた、片付けのために動き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 そうして食堂で少女二人が友誼を深める一方、話題に挙がっていた一夏は何をしていたのか。別に特別なことはしておらず、教室で昼食を取っていた。

 足早に赴いた食堂の一角で昼食のサンドイッチをいくつかと、飲み物にパックのグレープフルーツジュースを購入。そしてすぐに教室へと引き返した。

 ちょうどこの直前で箒も食堂に着き、一夏がいた場所からまた少し離れた場所である料理を受け取る列に並んだため、微妙な差で二人は入れ違いになったと言える。

 

「ふんむ……」

 

 軽く一息つきながら一夏は手にしていた冊子をめくり、同時に机の端に置いていた端末――生徒に支給される学内各種情報やIS関連に限定されるがネットワークに接続して情報を得られる代物――を操作する。

 食堂で買ってこの教室に持ちかえった昼食だったが、あっという間に平らげてしまった。封を開けて食べ始め、ふと気がついたら全てを食べ終わっていた。紙パックのジュースも一息のうちに飲み干した。

 正直物足りなさを大いに感じるところではあるが、これでまた追加を買いに行くのも億劫というものだ。ここはこらえて、目の前のことに意識を集中させることにした。

 

 一夏が眺めている冊子、そして起動している端末の画面には一様に銃器の画像、そしてその名称や説明などが載っている。

 冊子は先のセシリアとの試合の翌日に倉持技研の技術者と面会した折に貰った代物、端末は学園のデータベースにアクセスして銃器をメインにした武装のライブラリーを開いている。

 

(どうすっかなー、コレ……)

 

 正直よく分からないというのが感想だ。自慢ではないが『武術』に関しての知識はかなりあると思っている。元々師より学んだ剣術は当然ながら、ある時より並行して教わり始めた空手や柔道もしかり。

 長期の休みを利用して泊まり込みで稽古をつけてもらっていた時などは、学んでいる武術以外についてもあれやこれやと色々な話を聞いた。

(スキル)』とそれに伴う人体の構造、その自分が安全かつ効率的な破壊の仕方は知識に富んでいると言える。だが、この手の『兵器』には少々疎いというのが本音だった。

 もちろん、ネットの普及した現代に生きる人間の一人である以上、ネットで軽く漁れば出てくる知識くらいは一夏も把握している。あとは師より聞かされた銃と刀の戦いにおける刀の戦い方という、聞いた一夏本人もまさか先の試合で役立つ機会が来ようとはと思っていたものくらい。

 あまり細かいことなど説明されても『知るか』としか言いようがなかった。

 

(けど、このまんまってのも良くないんだよねぇ……)

 

 何の因果かは知らないが、これからの自分はIS乗りとしての道も歩むことを余儀なくされるだろう。その中で何をしていくかはまだまだ先のことだからどうこう言うことはしないが、少なくともこの学園にいる間は先の試合のように幾度も場数をこなして自分を高めていくことになる。

 その中で銃器を相手にすることは、それこそ数えるのが馬鹿らしくなるほどにあるだろう。となると、相手にする以上はその知識を持っておく必要がある。孫子に曰く敵を知り己を知らばウンヌンカンヌンだ。

 

(まずは学園にあるやつをレンタルして感覚を覚えて、それから合うやつにするか? 何が良いかな? ライフル……なんかパッとしねぇな。アサルトライフルやマシンガンは短時間で大量にブッパするから、多少下手糞でもいけるか?)

 

 事実セシリアも正確な射撃に自信がないのなら、弾数の多さで弾幕を張れるマシンガンあたりが良いのではとアドバイスをくれた。『下手な鉄砲、数打てば当たる』とはよく言ったものだ。

 

(だがマシンガンは多分、腕がガクガク揺れる……。あぁいやでも、女衆の細腕よりかはよっぽど支えられるか。となると、多少反動が大きくても大丈夫かなぁ)

 

 冊子の開かれたページに栞代わりのペンを一本挟みこんで閉じる。そして今度は端末を手にとって操作を開始する。

 さすがに支給されてから何日も経てば使い方くらいは覚える。学生に支給するものにしてはやたら豪勢だとは思うが、そんなことは今は関係ない。

 

(えーっと、確かオルコットはカナダがうんちゃらと……)

 

 IS学園は操縦技能の研究機関としての側面も持っているために、それに付随して各国の各企業各研究機関が開発した武装も多く保有している。

 仕入れる早さはなかなかのものであり、ある程度新型のモデルであってもある程度流通する頃になればまとまった数が学園の保管庫に仕入れられる。

 そして、こうして学園に入った武装は申請をすれば生徒も実機訓練の際に借り受けて使用をすることができる。そして新型が入るたびにそれは貸し出し予約で一杯になるのだが、それは今の一夏には関係ない。

 物が新しいかなどはあまり関係ない。今の一夏にとって重要なのは、いかに自分に使いやすくて尚且つ効果が上がるかなのだ。

 

 データベースに登録されているリストから製造メーカーの国で検索を掛ける。型番や名前のリストはアルファベットと数字が何かの暗号のようにズラリと並んでいる。こうやって絞り込みでもしなければやっていられない。

 検索した国はカナダ。セシリアの言によるのであれば、そこのマシンガンが良いとやらのことなのでまずはそこから当たってみる。

 ズラリと並んでいたリストが一気に絞り込まれ、更にカテゴリー別で絞り込みをかける。そしてリストは更に絞り込まれた。

 どういう順で並んでいるのか、よく見てみるとリストの名前の横の方に青い丸のようなものが並んでいる。そしてそれは上の物ほど数が多い。それを見て一夏は、リストの並び順の意味を悟った。

 

「いやいや、通販のレビューかよ」

 

 見るに評価は五段階。一体誰が付けているのか。これが学園のネットワークということを考えれば、思いつくのはこれらを使用するだろう生徒や教師だ。

 画面と睨めっこをしながら自分が使った装備に評価とレビューをせっせとつける。そんな図を想像してあほらしいと切り捨てた。

 とはいえ、こうした客観的な意見があるのは素直にありがたい。単純に、現在表示されているリストの上位にあるものはそれだけ評価が良いということだ。ならば、扱いやすい物の一つや二つは容易く見つかるかもしれない。

 

「なになに? R-L社製の……ヒットマン? 殺し屋とはまた物騒な。えっと、こいつは同じ系列か。これがコブラ……今度は蛇かい。どういうネーミングだよ」

 

 たまたま目に付いた二種を見ながらぼやく。どちらもリストのトップの方にある代物であり、高い評価を得ていることが分かる。

 

「へぇ……、この会社結構良いの多いみたいじゃん。これがオルコットの言ってた会社か?」

 

 そのまま、今度は会社名で検索を掛けた。今度は会社というカテゴリーであるため、武器の種類は多岐に渡る。

 一夏が目星をつけた企業はマシンガン以外にもアサルトライフルなども開発・販売をしており、このリストを見る限りでは評価はどれも上々だった。

 

(これ、試しに使ってみるかな?)

 

 これだけ評価の良いものが揃っているとなると、それは中々に興味深い。今は無理だが、あとで貸出申請をして試しに撃ってみるのも悪くないだろう。

 安易に銃器に頼ることを武人としてそれはどうかとも思わないではないが、例え最終的に頼らない選択をすることになったとしても、まったく経験がないよりはマシというものだ。

 まぁ流石に今日からすぐにというのは都合が許さないというものだが、

 

 気付けば昼休みも残りが少なくなっている。いつのまにか随分と没頭していたらしい。もう少ししたら学食に行っていた者たちも戻ってきて賑やかになるだろう。

 そうなるよりも早く片づけをして、次の授業の準備をしておいた方が良い。そんなことを考えて一夏は目をつけた装備の名前をメモに書きこむと、いそいそと片づけを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(確かここで良いはずだったが……)

 

 放課後、箒は再び食堂を訪れていた。昼休みの別れ際に凰は「またここで」と言った。ということは、つまりこの食堂で良いのだろう。

 食事時間外であるためカウンターなどは閉まっているが、食堂それ自体は開放されてフリースペースになっている。学園の生徒の大半が食事に利用する食堂の広い空間が開放されていることは生徒間では概ね好評であり、放課後の今でも友人との歓談や自主学習のためにいる生徒の姿があちらこちらに見える。

 

「おーい、こっちこっちー!!」

 

 よく通る、聞き覚えがあり過ぎる声が箒の耳朶を打った。声の聞こえた方向に目を向ければ、そこには既に席に着いている数時間前に知り合ったばかりの少女の姿がある。

 箒に自分の位置をアピールするためか、片腕を大きく上に伸ばしながら上下させており、そのたびに特徴的なツンテールがピョコピョコと揺れている。

 唐突に食堂内に大きな声が響き渡ったために、他の生徒達の視線を必然的に集めることになった。視線が集まるのを感じた箒は気恥かしそうに目線を伏せると足早に少女――鈴の下へと向かう。

 

「こ、声が大きいぞ!」

 

 目立たないためにささやくような声量で、しかし強い調子で箒は鈴を咎める。だが、当の鈴はと言えば涼しい顔そのものだった。

 

「あぁゴメンゴメン。まぁ別に構いやしないでしょ。ほら、座って座って」

 

 まるで悪びれる様子もなくケロリと言ってのける鈴だが、不思議とそれ以上を言い咎める気が箒には起きなかった。

 これ以上あーだこーだ言うのも馬鹿らしいと思ったからというのもあるが、一切の毒のない鈴の笑みを見ていたら自然とそういう気にならなくなったのだ。

 

「ほいこれ。まぁ差し入れよ」

 

 そう言って対面に座った箒に鈴はペットボトルの緑茶を差し出す。予め自販機で買っておいた物だろう。

 

「あ、すまない。その、いいのか?」

 

「良いのよ別に。これでも国の候補生だかんね。一応給料出てるし、ペットボトルの飲み物一本奢るくらいはどうってことないわよ」

 

「なら、言葉に甘えさせてもらおう」

 

 そう言って箒はペットボトルを受け取った。そういうことであり、本人も別に構わないと言っているのならば、厚意に甘んじるべきだ。

 キャップを捻って封を開ける。そして中の緑茶を一口、口に含んで飲み込む。さほど喉が渇いているというわけではないが、さっぱりとした苦味と冷たい茶が喉を通り抜けていく感覚は悪くない。

 

「さて、さっそくガールズトークといきましょ? あたしとしてはあんたの話から聞きたいんだけど、どうかな?」

 

「それは……何故だ?」

 

「ん? だってあんたの話の内容の方が中身としちゃ古いでしょ? こういうのは古い方から順にやってくもんなのよ」

 

 言うことは至極道理だ。ここで自分から話したとして、鈴の方も自分が話そうとすることに関連付けのできる情報を得られるということになる。その方がより話もスムーズに進み、互いの理解も早くなるのは明白だ。

 

「その、実際に話すと言っても、もう何年も前のことだ。私自身も鮮明に覚えていることばかりではないし、話せることも多くはないが――」

 

「別に構わないわよ。ほら、早く早く」

 

 中々話が始まらないことに苛立っているというわけでもなく、単に早く話を聞いてみたいからという好奇心が強く感じられる鈴の急かしに、半ば押されるような形で箒はポツポツと語り始めた。

 前以て言った通り、箒の語る内容は決して多いというものではなかった。単に一夏の姉である千冬が箒の姉である束の友人であり、同時に箒の父の指導する剣道場での門下生だった関係で一夏が剣道を習い始めたのをきっかけに出会ったことに始まり、その後の交流に関して淡々と語っただけだ。

 その中には一夏が剣道で父も驚くような上達を見せたことや、箒自身も一夏に幾度となく勝負を挑むも勝てなかったこともある。

 ただ、決して要点を簡潔に纏めた聞きやすい話というわけでもない箒の語りに、真摯な表情で耳を傾ける鈴は箒が一夏との思い出を本当に真面目に語っていると理解していた。

 鈴が興味があったとすれば、目の前の少女がいつどのような時に旧友(一夏)に惚れたかだった。別段他意があるわけではない。単に年頃の少女らしい、他人の色恋沙汰に興味を持ったというだけの話だ。

 そして話を聞いている内に何となくではあるが、鈴は箒がいかにして一夏に好意を抱くようになったかを理解した。

 

「その、私はそこまで人づきあいが上手いほうというわけではない。だから、幼い頃は周りにからかわれたりすることもあってな……」

 

 実によく分かる話だ。自分とて一夏のいる小学校に転入した当初は、外国人ということでよくからかわれたものだ。

 もっとも、それもさほど長くは続かなかったし、中学に上がってからはそのからかっていた者たちと昔やった馬鹿の一つとして笑い話の種にするくらいになっていたくらいだ。

 ただ、自分はそうやってあっさり割り切ったものの、箒はそうはいかなかったのだろうと推測をする。なんとなくだが、そういう感じの性格に思えるのだ。

 

「ただ、そう言う時に一夏は私を気遣ってくれてな。別に特別なことじゃない。単に『気にするな』と声を掛けてくれたり、気晴らしに剣道の相手をしてくれたり、そのくらいだった。ただ、それが私には嬉しくてな」

 

 気にするなはともかく、剣道の相手云々は本当に相手がいないから手近に居た箒に頼んだだけではないのかと疑いたくなった鈴だが、あえて口を噤んだ。余計なことを言って思い出に水を差すのも野暮というものだ。

 おそらくはこの辺が契機なのだろうと当たりをつける。いじめ、というほどに酷いものではないだろうが、まぁとにかく他の人間と良くない状態であった時に味方をしてくれる。それが好意に繋がるなど、ありふれた話だ。

 思えば、自分だって一夏とツルんで今の様な友人関係になった切欠も、似たようなものだ。違いがあるとすれば、向ける感情が友情か恋慕のどちらかであるというだけだ。

 

「あとは、おそらく知っているのだろう? 六年前だ。開発者として国連やあちこちに協力していた姉が唐突に行方をくらまし、私は政府に『保護』という名目で監視付きの生活だ。それっきり会えず、連絡も取れず。そしてIS学園で再開、というわけだ」

 

「なるほどねぇ」

 

 そう言って頷く鈴の表情は箒に話を急かした時の笑みと打って変わり、真剣そのものになっている。

 箒の経歴に関しては鈴も既にある程度は知っているが、こうして本人の口から聞けばまた違った重みを感じる。

 箒の姉である篠ノ之束に関して鈴はまるで知らない。少し調べれば誰でも分かるような、言うなればそれなりに世間というものに広まっている情報くらいだ。それにしても、極めて奇特な人格の持ち主であり、同時に希代の頭脳の持ち主でもあるというくらいだが。

 だから鈴には篠ノ之束が何を思って姿を消したのかは分からない。自分が姿を消したことで妹が苦悩し、家族が散り散りになったことに何も思わないのか。こうして篠ノ之箒本人を前にして、初めてそう思った。

 だが、思ったところで口には出さない。それはあくまで篠ノ之家の人間の問題でもある。なら、自分が何かを口出すことはできない。

 

「なら、今度はあたしの番ね」

 

 だから鈴は、そのまま自分の話をするという選択を取った。

 

「うん、正直話して貰って助かったっていうのが本音ね。少なくともあんたの話した一夏と、あたしが最初に会った頃の一夏はほとんど一緒だわ」

 

 そう前置きをして切り出す。この分ならば自分もさほど多くを語らずに話し終えるのではと思った。

 

「多分、あんたが気にしてんのは自分と離れてから一夏が変わったこと、でしょ? とりあえずはそっから話すわ。ただ、あたしも細かいトコは分かんないから、そこら辺は勘弁してよね?」

 

「構わん。教えてくれ、凰。お前が目にした一夏の変化を」

 

 静かに頷き、鈴は語りだした。

 

「時期はちょうど三年前、千冬さんが現役の引退を発表した頃よ。あの直前にISの国際エキシビジョンがあったんだけど、知ってる?」

 

「一応は」

 

「オッケー。あの大会の理由は結構複雑らしいわよ。いわゆるショーみたいな感じでISを民間に受け入れやすくさせるとか、結局一回しかやってない最初の大会、えーと、モンド・グロッソだったわね。あれを再開させようとしたとか。

 あとは――まぁぶっちゃけその大会で独壇場だった千冬さん、ひいては日本に各国がリベンジ仕掛けようとしたとか。まぁその辺はどうでもいいわね。

 とにかくそのイベントがあった時なんだけど、一夏のやつ、千冬さんが試合に出るから見に行くって一人でドイツに行っちゃったのよ。それで帰って来て――変わってたわ」

 

 箒は小さく息を飲んだ。それはつまり、そのドイツへと単身飛んだ際に何かがあったということだ。

 

「そんときに一夏に近いレベルで何かあったと言えば、そのエキシビジョン大会で千冬さんが決勝を不戦敗になったことと、その後に一身上の都合だとかっていうんで現役の引退を表明したこと。多分、それが絡んでるんだろうけど、それ以上は分からないわ。あいつ、あの辺のこと全然話さないから」

 

「そうか……」

 

 鈴の話した内容はざっくりと言えば一夏に変化が訪れた時期だ。情報としての量は決して多くない。だが、それでも間違いなく箒にとっては有益と呼べるものだった。

 

「で、多分ここからがメインね。とにかくドイツから帰って来てしばらくは誰の目に見えてもちょっとおかしかったわ。ちょっと落ちつかなかったって言うか。

 ただ、それも千冬さんのゴタゴタがあったからって皆思ってて、あたしもそう思ってたのよ。実際、しばらくしたら殆どいつも通りになったし」

 

「……」

 

 鈴の言葉を箒は静かに聞き続ける。まだ話はこれで終わりというわけではないだろう。むしろ、ここからが本番のように思える。

 

「まぁ落ちついたにしても、やっぱりちょっと変わったのは間違い無かったわ。ほら、あいつなんか格闘技だかやってるらしんだけど、知ってる?」

 

「あぁ。ただ、一夏は格闘技というよりも剣術だ。私と離れた後、誰かに弟子入りしたらしくてな」

 

「あぁ、そっちだったっけ。いや、毎年夏休みとか冬休みに泊まり込みで修業がどーとか言ってたけど……。話がズレたわね。まぁそのトレーニング? で前よりちょっと付き合い悪くなって。まぁそこは良いのよ。ただ、別でね……」

 

 そう言って鈴は僅かに視線を逸らした。重要なことであることは間違いないが、果たしてそれを言っていいのか、迷うような目だった。

 だが、しばし視線を宙に彷徨わせると、決心したように一度瞑目し息を吐く。そして続きを話し始めた。

 

「ちょうど中学二年の割と真ん中のあたりだったかな。ちょっとあいつ喧嘩騒ぎを起こしたのよ」

 

「喧嘩?」

 

「そ。あたしや一夏の通ってた中学もさ、別に私立の有名進学校だとかそんなじゃなくて、どこにでもあるような普通の学校だったのよ。だからまぁ、ちょっと中学生の割には柄が悪いっていうか、言い方古いけどツッパッてるやつもいたのよ。

 そいつとちょっとね。クラスの他の奴にそいつが絡んでたのを一夏が言い咎めて、そいつの矛先が一夏に向いたのよ。あれはあたしも見てたからよく覚えてるわ。

 絡んでくるそいつを一夏も鬱陶しそうにしてたんだけどさ、それがそいつの癪に触ったらしくて手を挙げようとしたのよ。で、飛んできたそいつのパンチを一夏があっさり手首掴んで止めて、返しに横っ面に一発。

 手を出したのは相手が先だったから、一夏は先生とタイマンでちょっとお説教くらってそれで事は終わったわ」

 

「それが、どうしたのだ……?」

 

 確かに喧嘩沙汰というのは問題だろうが、鈴の話を聞く限りではすぐに解決したようだし、後々に尾を引くような事には聞こえない。

 それに、仮にその時の一夏が今箒が毎日目にしている一夏なら、まぁ何となくやりかねないとは思う。思えば昔も少々気が短い所はあった。

 

「あぁうん。そう、あたしがあいつが変わったって思ったのは、その一発が『本気』だったってことよ。あたし、パンチで人が吹っ飛ぶトコなんて見たのは初めてだったから」

 

 僅かに視線を伏せながら鈴は続ける。

 

「あいつさ、前に言ってたのよ。自分が人よりずっと強いって分かってるから、本気で殴ったりするようなことはしないって。まぁその後に、試合とかなら話は別だけどって言ってたけどさ。

 だからあたし、その時に一目見て本気だったって気付いて、後になって聞いたのよ。『何で本気で殴ったのかって』。別に責める気は無かったわよ。ただ、どうしても気になって」

 

「それで、アイツはなんて……」

 

「最初に小さく『ワリィ……』って。ただその後に、こう言ったのよ。『無様見るくらいなら本気になるって』。その時のあいつの目、正直怖かったわね。

 ただ、その瞬間に何となく分かったのよ。あいつが変わっちゃったって。あんまり表に見えないような、けど凄く大事な所が。

 んで、その後は昼に話した通り。あたしは中国に帰っちゃって、そのままよ」

 

「そうか……。感謝する」

 

 話してくれたこと、それに対しての素直な謝礼を口にする箒に鈴は御相子だと言って首を横に振る。

 

「あ~、ねぇ箒。ちょっと聞きたいんだけどさ、やっぱ一夏のこと、ホの字?」

 

「んなっ! いきなり何をまた!」

 

「いや、いいからいいから。どうなのよ?」

 

 先ほどまでの重みのある会話から一転、唐突に向けられた話に箒はうろたえるが、それまでとは異なり問いかける鈴の表情は真面目なものだった。だからだろう。バツが悪そうに視線を逸らしながらも、箒は首を縦に振った。

 

「まぁ、他人のあたしがとやかく言うつもりもないんだけどさ。あたしはあんたに好かれてる一夏のダチだし、まぁ今日一日であんたともそれなりに親しくなったって思うから、ちょっとお節介焼くわよ。

 箒、あんたが一夏のことを好くのは別に構いやしないわ。ただそうだとしたら、アイツが変わってるってことをきっちり受け止めた方が良いわよ。まぁあたしも、そうしたから今でもアイツとダチ続けてるようなもんだし」

 

「それは……」

 

 想い続けるならば、その相手の変化を受け入れる。理屈では至極真っ当なものだ。理解はしている。

 だが、だからと言ってハイ分かりましたとすぐにそうできるかと問われたら、箒は答えを返す自信が無かった。

 今もなお、箒の脳裏にはかつての一夏の姿が、自分をかばうように前に立った背が焼き付いているのだから。

 

(まぁ、あいつが変わったっていうのは、箒にとっちゃラッキーだったかもね)

 

 箒が考えを巡らせる一方、対面に座る鈴もまた一人静かに思いを巡らせていた。

 

(もしもあいつが変わらなかったらあたしはきっと……。それに、箒とも……)

 

 考え、今更なことだと頭を振って頭から追い払った。まだまだ時間はある。しばらくこうしてゆっくりするのも良いだろう。それに、もうちょっと目の前の箒と話すのも、悪くはない。

 さて今度はどんなことを話そうか。そう考え、自然と口元には笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 破砕音が響き渡る。既に幾度目となったか分からない。安価な軽量材質でできたターゲットを破壊して、とにかく壊し続けた。数えることなどとうに辞めている。

 

「かっ……はぁーー……」

 

 拳を突き出したまま一夏は息を吐く。ISを展開しているとはいえ、やっていることは普段の鍛錬と何ら変わりはない。このくらいの疲労はむしろ当然だ。

 ISを展開してこそいるが、一夏は居る場所は屋内だ。生徒が主に近接用の兵装の取り回しなどを訓練するために、アリーナの一つに併設された施設だ。

 主として刀剣系武装のより効果的な振り方や、変わった例を挙げれば近接戦で現在最高峰の威力を持つとされる武装のシールド・ピアス(盾殺し)、いわゆるパイルバンカーなどといったものの取り扱いを学ぶためにある。

 あくまでその場を動かない訓練を想定しているため、アリーナに比べればその面積はだいぶ狭い。だが、それでも十分であり現状は生徒、教師ともに苦情は上がっていないのが現状だ。

 

 その施設の一角、個別訓練用のブースで一夏は延々とターゲットのダミーを破壊していた。本来であれば剣で斬りかかったり、シールド・ピアスで打ち貫いたりするものであるが、それを一夏は敢えて拳で破壊していた。無論、ISを展開した上でだ。

 

「壊れてもすぐに次が出てくるのはありがたいけどさ~、もうちょい頑丈にならんものかね?」

 

 コスト削減のために安価な素材で作っているのだろうが、武装では無く拳で破壊されるのは少しばかり脆いような気がする。

 

「まぁ良い。感覚は、掴めてきた……」

 

 そう呟き一夏は拳を握る。動くのは血の通わない鋼鉄の拳だが、それでも全身を奔り回る熱がその鋼鉄にも宿っているような感覚がする。

 悪くはない。漠然とした感覚だが、不思議と気分は良い。

 口元に笑みが浮かぶが、それも一瞬。すぐに真一文字に引き締め直す。

 

(もしも、俺の予想が正しいなら……)

 

 静かに目をつむる。思い出すのは先のセシリア戦だ。あの時の感触、衝撃、痛みを鮮明に思い出す。そして浮かんだ一つの仮説。これが正しいのであれば、そして今自分がやっていることが正しければ……

 所詮は小手先の技術だろう。だが、一つの強力な武器を得られることができる。そして今のところ、思惑は概ね軌道に乗っていると言えるだろう。

 

「しかし、鈴が相手か……」

 

 思い浮かべるのは旧友にして二人目の幼馴染。そして、隣のクラスの代表として自分とISで争うことになった少女だ。

 いずれにせよ、自分と彼女が相対することになるのは間違いない。ならば、コレ(・・)を使うことになるのかもしれない。

 

「まぁ、大真面目にやるだけか」

 

 大真面目に、本気で戦うだけだ。それが勝負というやつだろう。それは相手が旧友だとしても変わらない。

 

「俺も……大概だよなぁ……」

 

 そう小さく漏れた言葉には、僅かながらの自嘲が含まれていた。

 そして再び、破砕音が響き渡り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




え~と、その~、セカン党の方には土下座するべきなんでしょうか?
いや、結局こんな感じが自分としましては一番しっくり来る形になったと言いますか、ハイ。
鈴の家族関係については概ね原作通りですが、そこまで拗れた事情というわけでもないので、そこまで鈴の心理的負担にはなっていないという形です。
今回の話を書いていて、鈴には一夏と他の面々の間の潤滑油のような存在が適しているのではなどと思いました。いや、そういう役割がすごくピッタリそうでして。

とりあえず今回はここまでです。
もうそろそろ次の試合も書きたいし、例のあの娘もちょっとでも良いから出したいかな~なんて思ってます。

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