長門の話の続きになります。
夕暮れの鎮守府のとある大広間。
そこは食事の場であり、幾多数多の艦娘たちの憩いの場である。
しかし今はピークを完全に過ぎ去り、人気が無い。
厨房は電気が落とされ薄暗く、ブラウン管の画面は何も映し出していない。
机には麦茶の入ったぬるいヤカンと、お盆に乗ったコップの山が双つ。
山は片や整然と、片や無造作に置かれている。
水分補給に訪れる艦娘、それも一部の物好きの者が、時たま此処を訪れるのである。
「ねえ、長門」
戦艦長門の艦娘はここで、くつろいでいた。
特に音の無い広く孤独で退屈な空間を、どうしてか彼女は好いていたのだ。
そんなことは、彼女に親しい者なら誰でも知っている。
「何だ。陸奥か」
声の主は長門の後ろ。
長門にとって当然だが、親しみのある女の声。
椅子に座ったまま上半身だけ振り返ると、少し上に彼女若干くせっ気のある茶髪が見えるのであった。
「明日の休日のことなのだけど。暇かしら?」
陸奥がそう言ってほほ笑むと、姉の長門は少しだけ困ったようにして返すのであった。
「あー。残念だが。明日は既に、外出する予定が入っているのでな」
「あら、そう。残念ね」
少しだけ予想はずれの思いをこめて、陸奥は肩をすくめた。
断られるとはあまり、思っていなかった。
だが、それはそれで仕方がない。
「というか。貴女が外出の予定を入れているなんて意外ね。貴女って、いつも鎮守府に居るイメージしかないのだけど」
「失礼な。私だって外出ぐらいするさ」
長門はややむっすりとするが、陸奥に対して怒っているようではないようだ。
このぐらいは姉妹のやり取りである。
無骨な姉のこういうところが妹にとっては可愛いものだと思うし、姉も妹のちょっかいを好いていた。
「ふーん? そういえば、普段。貴女って休日は何をしているのかしら。貴女の交友関係とかも、割と謎なのよね」
からかいはしたが、そこは妹の本心である。
この姉は休日に、良く鎮守府内で見かける。
となると鎮守府に一日中居るのであろうが、一体誰と何をしているのだろうと。
妹の休日は外出派であり、そこが気になるのであった。
「そうだな。普段、休日の私は鎮守府の設備を使って。例えば、ランニングマシンやプールを使って汗を流しているな。その際、運動が好きな艦娘と。そうだな、長良や鬼怒たちと一緒にすることが多い」
この鎮守府には、高校の部活程度のジム設備が置いてあった。
艦娘である彼女たちが体を鍛えたとして、それにどんな意味があるかは科学的には良く分かっていない。
とはいえ精神的な鍛練のため、あるいはただ単に娯楽として筋トレを行う艦娘はそれなりにいるのだった。
「へえ。じゃあ、明日もどっかに運動しに行ったりする訳ね? 山とか?」
「いや。それも良いのだが」
陸奥は、次の長門の言葉に面食らうことになる。
「明日は提督と外出することになっている」
提督というと艦娘を指揮する者であり、艦娘たちの上司である。
指揮官やご主人様などと呼ばれたりもするが、基本的に軍に所属し階級を持つ者たちである。
「え? 提督と? 何をするの?」
「さあ? 予定は決めてないらしいが。資材関係の買い物でもするのではないのか?」
さて、提督と艦娘の関係は、というと。
実はそこまで明文化されてはいなかったりする。
故にその関係は、軍隊のそれであったり、あるいは父と子のようなものであったり。
「私の勘が正しいのなら。提督は長門とどっかの宿をとって、室内スポーツで汗やらを流したいのじゃないのかしら」
あるいは、そういった関係になる事もある。
陸奥は手袋をした手で、わっかを作り、その中に指をつっこんだ。
妹の意図を理解したらしく、姉は口に含んだ麦茶を盛大に吹いてしまった。
「もう。ばっちいわね」
「な、なななな。何を言っている?!」
「こう言う所は相変わらず鈍いわね。要するに、提督は長門とデートがしたいのでしょ?」
あ、と長門は何かに気づいて間抜けな顔をして。
そのまま、さあっと顔から血の気が引いた。
どうやら、気づいていなかったらしい。
「デ、デートだとぅ?! そ、そんなはずはないはずだ! わ、私と提督は、そういうのではなく」
「友人だと? 長門はそうでありたいと思っているのでしょうけど。提督は絶対そう思ってないわよ」
勿論、艦娘を友、あるいは戦友として関係を持つ提督も居たりはする。
するのではあるが、ここの提督はそうでないことが明白だった。
「だ、だが。私は提督を一度振っているのだが」
「あの提督がそれで諦めるとは、とても思えないわねえ」
過去、長門は提督にプロポーズされ、それに“友達のままでいましょ”と返している。
しかし、陸奥たちが知るに、未だ提督は未練たらたらのようであるそうだ。
「それに。私は男女の間で、友情なんてものが成立するかは謎だと思うけど?」
「そんなはずはない、はずだ」
長門はそう、ぎこちなく返す。
先に言った通り、提督と艦娘との間において友情が成立しないこともないのではある。
が、長門はそういう事例を見た訳でもないのであって。
ぱっとその例を挙げるとなると難しいのだ。
「あらあら。それをこれから自分で証明してみせるとでも? ミイラ取りがミイラにならなければ良いわねー」
「う。うぐぅ」
男女の仲において、友情と恋愛を見分けるのは困難である。
男と女が居て二人が並んで歩いていたら、普通はカップルだと思われるであろう。
男女の仲とは、単純なようで難しいのである。
友情であっても、一歩踏み込めば容易く恋愛へと発展するものだ。
「陸奥。ど、どうにか出来ないか?」
「外出するのを止めちゃえば?」
「そ、それは。一度、決めた約束を破るというのは、あまりに不義理だというか」
途端に、わたわたし出す長門。
それを見て、陸奥はくすくすと笑うのである。
「じゃ。諦めなさい」
妹は姉の問題をきっぱりと突き放す。
元々、姉ほど真面目な艦でもないのだ。
「て、適当すぎるぞ!」
「あらあら。いいじゃないの」
「それに」
「それに?」
「放っておいた方が面白いもの」
姉は提督と付き合う事に否定的ではある。
が、妹としてはそう、まんざらではないのだ。
二人がくっついたら、さぞ鎮守府は愉快だろう。
妹はそのぐらいの認識なのである。
「クッ! 頼れるのはやはり、己のみか! もういい! 第三砲塔爆発しろ!」
「そんな、子供じゃないのだから」
「覚えていろ!」
三流染みた捨て台詞を残しながら、長門はその場を去るのであった。
**
時と場所は少しだけ変わって、休日の駅前。
駅としては中規模の建物の前で提督は一人、そわそわしながら人を待っていた。
そこから少し離れたコンビニの前、陸奥はカジュアルな私服姿で、提督の様子を遠巻きに眺めていた。
そうする目的は勿論、提督と長門のデートをストーキングするためである。
「で、どうして貴女がここにいるのかしら?」
「いやあ。青葉がこんな面白そうなイベントを見逃す訳なんて、そんな訳ないじゃないですか」
陸奥が駅の近くに行くと、そこには先客が居たのである。
噂を聞きつけた桃色の重巡、青葉であった。
「しかし、こんなことをするとはー。陸奥さんも暇ですねぇ」
「貴女に言われたくないわよ。全く。他人のプライベートなんて覗いて、何が楽しいのかしら」
「いやはや。その楽しさは陸奥さんなら、分かっているかと」
諸君は週刊誌なんて、なんのためにあるか疑問に思ったことはないだろうか?
他人のプライベートなんかを覗いて、何が楽しいのだろうかと。
とはいえ、それらが売れるのはちゃんとした理由がある。
結局の所、皆、暇をもてあましているのであったのだ。
「ところで、陸奥さん。提督と長門さんは、どう思いますか?」
その質問の後に、少し間が空く。
「どう、とは?」
「仲があれから良くなっているのだとお聞きしていますが。実の所は?」
青葉は素朴な疑問を陸奥にぶつけた。
妹から見て、姉の様子は実際どうなのだと。
「以前よりは仲が良くなっているわよ。ただ、提督は距離を縮めたい一方で、長門は距離を取りたいようだけど」
長門が提督を振ってから、提督からは地道なアプローチが続いている。
その結果、二人はそれなりに良好な関係を築いているのだろう。
そう言う所に関して、姉は鈍感であったのだが。
提督のことを黙っとけばよかったかな、と陸奥は今更ちょっと後悔している。
「くっついちゃいますかね?」
「どうかしらねえ。あの堅物を落とそうとするのは難しそうには見えるけど。押し込んでしまえば弱いでしょうね」
姉はとても真面目で、義理堅い性格だ。
素直にぶつけられた好意を、そう無碍にはできまい。
そういった信頼もあって、妹としてはとっととくっつくことをある程度期待している。
「しかし、押し込みに弱いことは、長門さん自身も理解しているとは思いますが。その。なんです?」
とはいえ、長門はただの艦娘ではないことは、皆、承知なのだ。
その点において、青葉は長門のことをはかりかねていた。
「自分で言って何なのですが、長門さんが提督とくっつく姿が想像できません」
「そうかしら?」
「長門さんも、あれで弁えていますから」
長門の中には、異世界の提督が入っているのだ。
“彼”はかつて“長門”に信を置き、大事にしていた存在であるらしい。
そういった経緯もあって、長門は異質な存在なのである。
そんな所が、この鎮守府の提督が彼女に惚れこむ所以であるそうだが。
「長門さんの言う所の、“完全な存在“という概念は、非常に理解しにくいものですが。確実に我々と違う次元にあるものですからね」
「そこの所はよく分からないわね。長門の中に異世界の提督が入っているからって、そこまで私たちと変わるものかしら?」
しかし、この鎮守府の長門は強かった。
姉は誰よりも敵を沈めてきたし、誰よりも苦難を乗り越えてきた。
妹はそんな姉のことを誇りに思っている。
だが、何故そうなのか、と言う所はあまり疑問に思っていないのである。
「そこの所は、鎮守府が寛容すぎるのですよ。普通なら、長門さんは排他されても可笑しくはないのですから」
「ふうん?」
そんな長門を周囲は認め、尊敬している。
彼女は自他ともに認める、最強で最優の艦娘であるのだ。
「しかし、私が、長門さんのようだったら、提督に告白していたでしょうね」
勿論、青葉も長門のことを尊敬する艦娘の一人である。
そしてこの鎮守府においては、長門のことを人一倍理解しているのであった。
「あら、意外ね。貴女にそんな気があるなんて」
「私は沈みませーん! って。えへへ」
人は、だれしも不完全な存在である。
それは艦娘でも例外ではなく、得意や不得意がどうしても存在する。
だが、あの長門だけは違うのだ。
一人でありながら、一人でない。
それが彼女の強みであり、青葉が羨ましいと思う所以。
もし、自分がそうであるのなら、どんなに良かったのだろう。
「うーん。提督かあ。そりゃあ、悪い男ではないのだけど」
陸奥は青葉と向かいながら、遠くにいる提督をちらりと見た。
彼女としては、彼も軍人として、自分の指揮官として相応しい男ではあるのだが。
「私は提督には、“戦艦陸奥“として見て欲しいわね」
「そうですかー」
「恋愛って、他人のを見る分には面白いけど。自分がするには実感湧かないのよね」
当人は、恋愛に興味はあっても、自分がするつもりはないらしい。
陸奥は腕を組んで、その場で困ったように笑ってみせた。
「良い船だって言われるのは嬉しいけど。良い女として見てもらうってのは、ちょっと。何だか、複雑な気分だわ」
「と、いうと」
青葉には良く分からず、そこで首をかしげた。
「艦娘としての幸せって、何かしらね。艦としての幸せなら分かるのだけど」
「艦としての陸奥さんが、ですか」
世間では未だに艦娘が何であるか、はっきり決まったものがない。
とりあえずは軍人であり、また人として尊重されるべきだろう、ということにはなっている。
そして、艦娘の中でも自分が何者なのかは、統一されていないのである。
「まあ、そういうものかもしれませんね」
ここら辺は、青葉には良く分からなかったのだが。
皆にも色々あるのだろう、と何となく納得することにした。
「あ。長門さんが来たみたいですね。おや?」
そこに私服姿の、ボーイッシュで無骨な服を着た長門の姿が現れたのであるが。
その傍らには、別の人影があった。
「あ! しれぇ! おはようございます!」
茶髪で小中学生ぐらいの背丈をした、活発な少女がそこに居た。
口から覗く歯の輝きが眩しい。
「あれは、雪風さんですか?」
「どういうことかしら?」
想いもしなかった人物の登場に、二人は困惑する。
そんな中、青葉は納得してポン、と手をたたいた。
「ははーあ? これはアレですね? ヒロインがラノベ主人公に“二人で、遊びに行こう?”って言ったのに、“ああ! みんなも一緒だ!”って答えちゃったのに似てますねえ?」
「何よその例えは」
納得できなさそうで、やけに納得できそうな例え話をするものである。
陸奥としてもその例えで、長門のせんとしたことを理解した。
「あ。あの。私、ひょっとして邪魔でした?」
「ああ。いや、その、違うんだ。うん」
雪風はなんとも曖昧な顔をして、提督に問う。
提督はそれを否定しているが、彼は戸惑いを隠しきれていない。
「あー。顔に出てますよ。提督。駄目ですねえ。雪風さんが凄く困惑してます。ぷくく」
「こ、これは。笑うとこかしら?」
青葉は思わず、おなかを抱えて笑いをこらえている。
陸奥はどうすればいいのかわからず、引きつった笑みが出た。
「雪風。今日は提督の奢りだそうだ。雪風の行きたい所や、食べたい物を言うと良い」
「え、ええと。長門さん、その。それでいいのでしょうか?」
雪風は、遠慮がちに困惑するが。
それに対し、長門は何とも堂々としている。
「ああ! こういうのは皆で行くと楽しいからな! なんたって、私たちは皆、“友達”だからな!」
「あ。はい。そうですね」
長門は友達、という所を精一杯強調しながら大声で宣言する。
事情を今になって察してはいるが、そう言われると何とも言えないのがこの駆逐艦であった。
「あ、あはは。長門も意外と、強かなのね」
これでは二人が恋愛関係になるには、まだ遥か遠いのだろう。
そう思うと同時に、陸奥は姉のことをさらに見直したのであった。
「あ。長門さんがこっちに向かって、手を振ってます」
長門の表情は、こちらから見えるほど笑顔である。
それと、提督が唖然とした表情を浮かべているのが見えた。
「あらら」
「あちゃー。ばれてしまいましたねぇ」
「潜水艦を派遣すればよかったわねえ」
二人はそういって、顔を見合わせた。
「行きましょうか」
「ええ。長門の思惑に乗るのは、面白くないけど」
提督の元に、笑顔を浮かべて近づくことにした。
こうなったら、自分たちも楽しむべきだろう。
「陸奥さん。私、寿司が食べたいんですよ」
「奇遇ね。私も、回ってない寿司が食べたいわ」
こうして、貴重な提督の一日と財布の中身は潰れるのであった。
今日も、鎮守府は平和である。
そして、これからも。