この中忍試験は、正直言ってレベルが高い。
『死の森』を通過する者が過去最多人数。
繰り広げられる忍術戦も過去最高と言っても過言ではない。
まさしく玉の年。才溢れる者が集う、喜ばしい年だ。
そして篩い落としと知られる一対一の試合の内容もまた、濃厚な結果を色濃く残す。
間違いなく、この忍達は金の卵だ。それは断言できる。
しかし世の中は、非情な現実で出来ている。
如何に「忍としての質」が同レベルでも、相性によっては圧勝もすれば完敗もするほど大きな差を生む。
それが、まさに『テマリ』VS『テンテン』の試合だろう。
テンテンは決して弱くは無かった。実力も下忍のなかでも選りすぐりではあったのだろう。しかし、あまりにも相手との相性が悪かったのだ。なにせ敵は風遁を得意とする『風影の娘』であったのだから。
暗器を飛ばすことが主な攻撃手段であったテンテンの猛襲は、全て風の壁により叩き落された。それどころか、風に暗器を載せられ、そのまま倍返し。風遁の風斬りに暗器による物理凶器の波はそのままテンテンを飲み込んだ。
一方的だったのだ。あまりにも、凄惨無比な、試合であった。
「………っ」
白野は一人、病室に運ばれた彼女の隣に座り込んでいた。
テンテンとは、友だった。大切な、友達だったのだ。
彼女とはこの中忍試験で合格を競い合うと誓い合った仲だ。無論、途中でどちらかが敗退し、志半ばで倒れるだろうことも理解していたつもりでいた。しかしその覚悟も、あの試合を見た後に、大きく揺らいだ。
友の悲鳴が響いた。
友の悲痛な表情が滲み出ていた。
友の無念がそこにあった。
しかし、自分は何もしてあげられなかった。助けることもできず、その戦いが終わるまで、ずっと視ているしかできなかった……いや、違う。自分は、あろうことか、目を背けていた。最後まで彼女の戦う姿を見据えることをせず、目を閉じた。その行いこそ、友として恥ずべき行為だと知らずに。
「……うっ……は……く、の?」
「テンテン!? よかった、意識が………!!」
テンテンは、ゆっくりと目を開け、かすれる声で自分の名を呼んだ。
そして、
「な…んで、貴女は……ここ…に……いる…の」
彼女は、この場にいるべきではないと、意識が覚醒してすぐに告げたのだ。
「私は……」
なんでこんなところにいる。
ああ、テンテンの言う通りだ。
まだ戦いを控えている白野は、本来ここにいるべき人間ではない。
でも、行かずにはいられなかった。自分でも良くわからない。ただ、私は―――
「もう……す、ぐ……でばん…でしょ………はやく、いきな…さい」
「でも、」
「……あな…た、がいても……傷は、癒えないし……うれしく、ない…から……」
彼女は笑顔を見せず、同じ忍として、彼女を言葉で突き放す。
「……やくそく、まもれなくて、ごめん…ね」
この試験で拳を交えると約束した。
しかしそれももはや叶わない。
「こんかいは、わたしの……し…けんは……こ…こ、まで」
声を振り絞る。
「く…やしい。くや……し…い……け…ど……まだ……らい、ねん……が、ある……から」
彼女の心は折れていなかった。
折れているどころか、その悔しさをバネにしようとしている。
「だ……か…ら、こ…と……し…は…ゆず…って……あげる」
「………テンテン」
「かち…なさ…い、はく…の。わ…たし……は…こ、こまで……だけ…ど、あ……なた…は……ま……だ……チャン…スが…あるん…だ、から」
テンテンはまた意識が途切れそうになる頭を、無理矢理維持する。
まだ、白野には伝えなければならないことがある。
「がんば…って…………ここ…まで……脱落した……わたしたち…の、分、まで」
そう言い終えると、彼女はゆっくりと目を閉じて眠りについた。テンテンの言葉を最後まで傾聴していた白野は、もはや彼女に声を出して送る言葉は無粋と言わんばかりに、扉まで無言で歩き出す。
その瞳は、今日まで積み重ねてきた経験を糧に踏み出す、女の眼光が宿されていた。
■ ■ ■
既にこの中忍試験の選抜試合は終盤に差し掛かっていた。残る忍は二人。もはや掲示板で発表されるのを待つまでもない。
この最終試合が開始されるまで、多くの下忍達がこのステージで己が術を放ち、鍛え上げた肉体から繰り出される打撃を打ち込んだ。もはや最初から整地されていた会場など見る影すらない惨状。
そんな会場の中、一人の少年が舞台の中央で対戦相手を静かに待っていた。
淡い朱色の髪は錆びた鉄を思わせ、琥珀色の瞳は鉱物の無機質さを感じさせる。
「(………あの野郎)」
砂隠れの忍、セタンタは眉をひそめた。彼が注目したのは、シロウの装備だ。これまで彼は長い外套を羽織り、多目的に配慮した複数の巻物で戦う暗器使いとしての面が強かった。どのような場面でも巻物からそれに応じた獲物を即座に取り出し、対応する万能型。その男が今着用しているのは、これまでのものとは異質の装束。
上半身は鍛え上げられた肉体のみ。謂わば裸で、裏地が鮮やかな花々で刺繍されている純白の羽織を肩にかけているだけだ。下半身は武将が履くような鎧の袴を着用しており、腰辺りに一つだけ巻物を括りつけている。
明らかに今までと比べて装備の数が少ない。動きやすくするにしても、これまで様々な巻物を使い分けてきた男が、たったそれだけの装備で立っている。まさか奥の手を隠したままこの予選を這い上がり、余力を残すつもりなのか?
否、否だ。セタンタはそこまであの男が慢心するとは考えづらいと踏んだ。
「(……あの巻物は、奴の奥の手の一つか)」
流石にあの巻物が岸波シロウの持つ、秘中の秘に当たる代物ではないだろう。
しかし、奥の手に準ずるに相応しい何かであるのは間違いない。あの巻物から溢れ出している圧気に対して、セタンタの中で飼っている怪物が多少なりとも興味を引いているからだ。そして何より、セタンタの野生の鼻が告げている。あの巻物の中身から、僅かに血の匂いが漏れ出していることを。
「お前がそんな物騒なものまで持ち出さにゃならないほど厄介な相手か。それとも単に、ここまで勝ち抜いた相手への礼儀か。どれ、見届けてやろうじゃねぇか」
セタンタは見届けると決めた。いずれ長きに渡る因縁の相手となるであろう、男の力を。
そして、時は来た。
エミヤは自分の前に現れた少女を見る。自分の対戦相手を静かに見下ろす。
電光掲示板に示された『岸波シロウ』VS『岸波ハクノ』。同じチームでの潰し合いなど珍しくもない。事実、先ほどセタンタとディルムッドが互いに忍道を競い合い、結果を示した。ならば、それが自分達のチームにも回ってこないなんて道理もない。運が悪ければ、こうなる。既に三人一組で勝ち上がる過程など過ぎ去っている。ここからは個人の力量を判断する篩い落としなのだから。
「オレがこの装束を持ってお前と相対している。この意味、分かるな。白野」
「うん」
「オレは、メルトほど甘くはない。棄権するのなら今のうちだぞ?」
「シロウの方こそ私を甘く見ないで。負けて恥を掻きたくなかったら棄権してもいいんだよ?」
「――――そうか。なら、示してみろ。お前の成長を」
「いつまでも上から目線。そういうとこ、嫌い」
はははははとシロウは笑う。だが内心傷ついていることを観戦しているメルトリリスは気づいてニヤリと笑った。そういうことろだぞシロウ。溺愛するが如く育てた義妹の辛辣な言葉に弱すぎる。
だが、そういう小さな精神的ダメージも試合では結果を左右する要素になりかねない。
「ごほ、ごほッ……すみません。では、改めて。準備はいいですね?」
「「はい」」
「それでは中忍試験、最後の一組。最終予選試合………始めッ!!」
試験官ハヤテの合図と共に、真っ先に動いたのは白野だった。彼女は愛刀を抜き、全力でシロウの懐に滑り込むように入り込む。無論、闇雲に突貫したわけではない。彼に『巻物を手にするアクションを起こさせてはいけない』のだ。
暗器使いの主戦力である巻物。その巻物の中には多くの暗器が内包されている。であれば、その巻物を開けさせる前に攻撃を加えることこそセオリー。白野は息つく暇もなく刀をシロウめがけて振るう。
「ふむ。暗器使いの鉄則はよく理解している。テンテンと関わっているだけはある―――が」
「!?」
「素の身体能力でお前がオレに勝るとでも思ったのか」
シロウは刀を持つ白野の手首を即座に握り、彼女の勢いを利用してそのまま壁目掛けて放り投げた。柔術だ。彼は、暗器使いである以前に熟練した白兵戦のプロ。当然だ。強力な暗器。多彩な暗器を使うのならば、その資本となる肉体を鍛え上げなければ到底使いこなすことなど不可能。武器頼りだけならば、武器に振り回されるだけの木偶にすぎない。
「言ったろう? オレは、メルトのように甘くはないと」
そう言って彼は巻物に手を伸ばした。投げ飛ばされ、距離を置かれた白野にそれを妨害する手立ては。
「シロウこそ、私を甘く見るなって言ったでしょ!」
投げ飛ばされながらも、白野はすぐさまポーチに手を突っ込み、クナイをシロウに向かって投擲する。シロウはそのクナイを難なく掴む。だが、その手間のせいで巻物を手にする過程にロスが生じた。そのロスを逃さぬよう、地面に着地した白野はすぐさまシロウの元まで全力で駆ける。
こうまでガッツいてこられたら、馬鹿でも白野の考えは分かる。要は、シロウが本気を出す前に潰すつもりなのだ。虎の子の暗器を使われる前に勝負を付けようとしている。自分より技量が上な相手ならば、確かにその考えは間違っていない。
「全力を受け止めるのではなく、全力を出す前に決着をつける。なるほど、確かに忍らしい、正しい選択だ」
正々堂々とした果し合い。全力を尽くしたぶつかり合い。それはあくまで武士や戦士の領分。影に生き、目標を達成することこそ本懐である忍には縁遠いもの。白野の選択はまさしく忍然としたもの。あの何事にも愚直で真っ直ぐな妹がこうも搦め手を持ってくるとは、成長したものだと実感する。
「いいだろう。つき合ってやる!」
思考、戦略ともに忍らしさを持っている。それは結構。なら、残る課題はその考えを貫き通せる実力があるか否かだ。高い理想、高い戦術を用いたならば、それを遂行できる技術が無ければ所詮は思い描いただけの机上の空論にすぎない。
「おおおおおおおおおおおお!!」
白野は叫ぶ。不敵な笑みを浮かべられるほど、平静な面を保てるほど、今の彼女にそんな余裕はない。元から、一対一の戦いのおいて余裕が持てる瞬間なんてこれまで一度たりともなかった。
だからこそ、気合いを入れる。喝を入れる。決して自暴自棄にならず、それでいて己の熱を体に宿らせるのだ。
白野が振るう剣閃を、シロウは手にしたクナイで悉く受け流す。所詮は素人の太刀筋。セタンタの連撃を凌ぎ切ったシロウから見れば児戯にも等しいだろう。
チャンバラ。そう揶揄されても仕方がない応酬だが、流石にここまで勝ち上がった下忍だけあって、皆は気づいていた。その違和感を。
「チグハグじゃんよ、あの娘の太刀筋」
カンクロウはそう呟いた。それにテマリも同意するように頷く。
そう、チグハグなのだ。あの岸波白野という少女の剣戟は。
攻撃こそ素人のそれ。ただ力任せに振るってるようにしか見えないが、防御はどうだ。シロウの鋭い剣戟を見事に捌き切っているではないか。
「攻めは素人、受けは手練れ。そんなバカげた偏りなんて普通は生まれない。攻撃が巧い奴は、ある程度防御にも長けている。防御が巧い奴は、攻め手の思考を汲めることから自然とそっちにも技術が向上していくもんじゃんよ」
「ああ。だからこそ、あのチグハグ加減はよく目立つ。そしてそのカラクリも」
テマリが見つめるもの。それは岸波白野が持つ刀。
「間違いなく、あの刀が岸波白野の命綱だ。あの刀が自動的に防御を行い、その流れに岸波白野が沿って行動しているだけじゃん」
攻撃には作用しないようだが、こと防衛においては完璧と言えるほどの能力を発揮している。どれだけ死角を突こうが、あの刀は自動的にそれを察知して防御する。攻防一体と言えるほど立派なものではないが、堅牢と言えるだけのものが備わっている。
「なるほどな。あのバゼットがあんなド素人に後れを取ったと聞いたときにゃあ何かあるとは思っていたが、セタンタめ。この情報を俺達に伝えてなかったじゃんよ。クソが、後から文句言ってやる」
「よしなよ。どうせ深く聞かなかったお前らが悪いとか言ってのらりくらりと躱されるだけだ。労力を無駄に使うだけだって分からないのかい」
「くそ、これだから口の達者なやつは嫌いだ」
「それよりアンタも気を逸らすんじゃない。まだ戦いは始まったばかりなんだから」
「はいよ。もしかしたら、この先でかち合うことになるかもしれねぇからな」
岸波白野の防衛能力の高さは分かった。ならば、あの防御をどうシロウが突破するのか、見極めなければならない。あの男は自分達の障害になり得る忍であるならば。
このままでは攻め手に欠けるか。シロウは何撃か白野に打ち込んでそう思い至った。
白野が振るうあの刀は、何を隠そう岸波シロウが作り、そして白野に授けたものだ。その特性もシロウが一番理解している。
「(少々、過保護が過ぎたかもしれんな)」
己の作った武器に攻めあぐねていては世話はない。それはそれとして自分の武器の性能に満更ではない感想を抱きそうになる。
「後は、お前の腕前が上達すればなお良いんだが」
シロウは肩にかけていた純白の羽織を手にして白野の刀の刀身に絡め込んだ。その瞬間、即座にチャクラを羽織に通して硬質化させる。
「この羽織はチャクラの通しが良い特別性だ。簡単には解けんし、斬ることもままならん。そして、この刀は敵の攻撃自体には自動で切り払うようになっているが、こうして拘束された後の対処法は今のところ為されていない」
そのままシロウは白野から刀を力づくで奪い取り、放り投げた。
「これでお前の命綱は呆気なく絶たれたな」
そう、あまりにも呆気ない。シロウは組み手で拘束するべく白野に手を伸ばした。
今の彼女に命綱はない。素手による白兵戦能力においてもシロウに勝てるわけもない。だからこそ、その一瞬だけ、シロウは勝利を確信したのだ。
『人間、勝ったと思ったその瞬間が一番脆い』
他の誰でもない、シロウが言っていた言葉。その教訓を、今、そのままお返ししてやろう。
「――――」
シロウの動きが、ぴたりと止まった。
白野の身体に手をかけた瞬間、まるで時間が止まったように、彼は静止したのだ。
場外の人間はどよめいた。まさかこの期に及んで情けをかけたのか? と。
否、そうではない。ここまで勝ち残った一部の人間はその可能性を除外した。
「幻術か」
観戦していたセタンタはこの事態の原因をすぐに看破した。あの視点が定まらない、瞳。口を開けて閉じない呆けたようなシロウの顔を見ればすぐ分かる。アレは幻術にかかった者特有の症状だ。
「身体に術式を刻み、それに触れた瞬間発動する仕組みだな」
印を結ばずに発動するものなら、それは設置型の術式に限られる。ある一定のアクション、ないし触れた時に発動するもの。であれば、岸波白野の幻術が発動する工程は一つ。岸波シロウが岸波白野の身体に触れた、あの瞬間だ。その時に予め用意されていた術式が発動したと考えるのが妥当だ。
決して侮っていたわけではないだろう。しかし、それでもなお、シロウの心のどこかには油断があったのだ。あの娘がここまでの策を弄するわけがないと。今まで長く共にいた存在だからこそ、護ってきた存在だからこそ、今までの敵とは違う心の隙を生んだ。
「はぁ、はぁ……かかっ…た?」
当の術を発動させた本人は上手くいった事態に逆に驚いていた。ここまで上手く行くとは思わなかったのだろう。
「おちつけ、落ち着け白野。まず、このまま―――」
「どうするつもりだ?」
「!?」
白野はその声に条件反射ぎみに後退した。
バカな、聞こえるはずがないと。しかし現実は常に眼球を通して映し出される。
そう、先ほどまで幻術にかかっていたはずの、岸波シロウが動き出したのだ。それも何食わぬ顔で。
「どうして、幻術にかかったんじゃ!」
「ああ。確かにかかった。しかし、その幻術をかけた際の対処策をオレが講じていないとでも?」
シロウは知っていた。白野が幻術タイプの忍であることを。
シロウは知っていた。白野が生半可な覚悟で自分の前に立っていないことを。
シロウは知っていた。白野が自分に幻術をかけるだけの力があることを。
ならば、シロウが対処する為に一定の策を備えるのは当然だ。
「良いアイデアだ。自分の肉体に術式を組み込み、相手が触った瞬間に起動する。それならば、確かに最悪の状況からの逆転も期待できる……が、やはり血は繋がらずとも兄妹だな。考えは同じということか」
考えは同じ。そこから導き出される答えは一つしかない。
「………自分の身体に、解呪の術を!」
「ご名答。だが、それも万全ではない。解呪には数秒間時間がかかる」
「っ!」
「気づいたか。あのままお前が呆けずに、時間を無駄にすることなく畳み掛ければ、オレの負けだった」
策が上手く嵌めらせたのはいいものの、その後の行動に移すのが遅かった。
たったそれだけ。
数秒間の遅れ。それだけの為に、あの貴重で、最大のチャンスをおじゃんにした。
「後悔先に立たず、だな。そしてそこからの機転、取り返すための行動も遅い!!」
シロウはすかさず巻物を手に取り、封を切った。
「あっ!」
「相手が全力になる前に倒す。その戦い方も、ここまでだ」
巻物から飛び出してきたもの。それは一振りの刀だった。美しい日本刀。されどその刀身は赤く、まるで血のように紅く。
「既に身を護る刀もなく。頼りであった幻術もなく。敵が全力を出す前に倒すというやり方も今や通じず」
その日本刀の切っ先を、シロウはゆらりと白野に向ける。
「さぁ、今度は何をする。何を魅せてくれる。それとも降参するか? 白野」
白野の頬に汗が伝う。
もはや彼女に手などない。ここから逆転に持ち込める手立てなど、あるはずもない。
だが、それでも白野の行動は一つに限られていた。
「喰らいついてやる」
白野は駆けた。
勝利など元より遠かったこの試合。
最悪の状況から、崖っぷちになっただけの違いだ。
みっともなく足掻いてやろうじゃないか。見苦しくても牙を見せてやろうじゃないか。
ああ、そうだ。
自分は負ける為にこの場に立っているのではない。先に進む為に。あの男に認めてもらう為に。何より、自分が変わる為に、今こうして中忍試験に挑んでいる。降参など、するものか。辞退など、してたまるものか。
白野は決意を籠めて大地を踏み込みながら突貫する。もはや万策尽きているのは誰が見ても明らかだった。それでもシロウは笑わなかった。無様だと、見苦しいと、思いはしなかった。むしろよくここまで成長したものだと改めて身に沁みている。挑んでくる白野のその目には諦めの二文字などなかったのだから。
だからこそ、此方もそれ相応の想いで応えなければならない。それが義兄として。否、一人の敵としての礼儀なのだから。
シロウは静かに紅く染まった日本刀を構えた。
この刀は人斬り包丁から新生させたもの。切れ味は言うに及ばず。その異能も受け継がれている。その力の一端を、今から魅せよう。
岸波白野と岸波シロウ。同じ班にして、家族と言える間柄。その垣根を越えて、男は容赦なくその娘を蹂躙した。嬲るのではなく、ただ挑む敵を粉砕するが如き威容を持って。圧倒的な力を持って。ただ、ただ、敗北という名の現実を残酷にも刻み付けた。
之にて、本日行われた第三試験予選の終了を告げたのだった。