砲弾の炸裂する音が坑道内に響き渡る。その音はだんだんと数を増していくごとに大きくなっていった。
「貴様ら!俺に続き米軍のキャンプ地を奇襲する作戦に加われ!」
怒り狂うように叫ぶ将校に鼓舞され若い兵隊たちは銃を肩にささげた。二人は見つからないよう、身を低くし坑道の入り口付近に体を小さくして寄せ合った。目の前で混乱した兵隊たちが右往左往している。誰も二人のことなど気づいていなかった。
「よし。俺から先に行く。篠田、後に続いてくれ。」
よし、と篠田と言われた男は頷き、満月が雲一つない夜空に輝く春の日に二人は投降しようと米軍の陣地に足を踏み入れようとしていた。
その時だった。辺りに銃声が響いたのは。
Look!Soldiers are over there!(見ろ!敵が向こうにいるぞ!)」
くっ、と小さな呻き声をあげ滝本が倒れた。どうやら右足のアキレス腱を撃たれたらしい。
滝本!と篠田は敵兵の事も顧みずその場に膝をついた。
「俺はどうせ生きて日本にゃ帰れねえよ...だから、これ...お前が生きて帰って新潟の家に届けてくれないか、2枚あるんだ...だから」
プシュッ、と音がすると同時に滝本の胸から細く鮮やかな赤い線が滲み始めた。
「hey!,you!(おい、お前!)」近くのうら若いアメリカ兵が篠田に話しかけた。
「I'm going to surrender of you.please do not shoot me.(私は投降するつもりです。どうか撃たないでください)」
篠田があまりにも流暢な英語で話したので近くの4人のアメリカ兵は気後れした様子を見せた。
翌日、戦いは終わった。篠田はアメリカ軍の空母の中、看護室の無機質なベッドの上で鈍色の空が降り注いでくる気だるい陽光の下、滝本から預かった手紙を目で追っていた。
家族の皆様へ
拝啓
萌芽の候、ご家族の皆様いかがお過ごしでしょうか。新潟ではもう雪が解け始める時期でしょうか。小さい頃、近所の友と一緒にキリギリスを捕まえ、ガラス瓶に詰めて飼っていたのをふと思い出します。
家の方はお変わりありませんか。この手紙を書くのは2回目ですが、出征する前日家のトタンを結局直せませんでしたね。ひふみの部屋の襖の紙の張替えも中途でやり残してしまったことは未だに心残りです。
母さん、どうかお身体を御案じて無理をなさらないでください。日々の飯炊きや洗濯は他の者に任せて、自分の時間をお作りになられてください。
父さん、私が島に向かう前、手首が痛むと言っておられたのを覚えております。大工の仕事は休みながらいたし、重いものや危険なものを扱う時は近所の若い衆に頼み無理をなさらないように。
ワン公の太郎は元気ですか。最近、元気が良くないと1回目の手紙の返信で拝見いたしました。あやつは冷たいものが好きなので飯は冷やしてからやると食いっけがますやもしれません。
硫黄島と言うところは、とりあえず暑くて地獄のような所とだけ記しておきます。およそ人が住めるような場所ではなく、米軍が上陸して来る前におっ死ぬのだけは避けねばと日々心に念じております。
アメリカと言えば、周りの兵隊の奴らは「どれだけヤンキーを殺せるか」と賭けをする始末ですが、私が大学で米英の詩を勉強し、新約克に留学したことは不幸中の幸いであったかもしれません。あぁ、新約克!今では遠い昔の事のように思われます。古きものがあたらしきものと変わり、行き交う人にも心躍らせ、五番街から溢れ出るエナジーを何と形容したらいいか!しかし、兵隊となり米軍と対峙する今の我が身では昔の友人にも顔向けできません。彼らも同じ事を考えていればと切に願います。殺したくない、と。赦してくれ、友よ。
もし...ほんとに奇跡が起こって私が新潟の家に帰ることができたら...家族揃って花見に行きたいです。ひふみの着物を着ている姿が見たい。妹は年頃でしょう。いいお相手を探す手伝いも兄としての務めと承知しております。飯島の兄貴などはどうだろうか。私はよくあやつと小さい頃から戯れておりました。気立てもよく愛想がいい奴だから考えておいてください。
兵隊生活のことを少し書いておきます。全くいいことはないです。心の支えとなるのは友である篠田くんと一緒に話をすることです。アメリカ兵たちは毎日肉を食っているという噂です。...ああ、俺も肉をたらふく食いたい思いでいっぱいです。
皆さんどうかお元気で。いつも皆さんのことだけを想っております。生きて帰ってこれたらまたちゃぶ台に向かい、夕飯を囲って語り合える日が来るよう、願うばかりです。
ひふみへ
元気か。ひふみ。お前のことが毎日気がかりでこうして手紙を書く。他の者にはこの手紙は読むな、と念を教えあるから安心しろ。勉強頑張ってるか。お前が立派になって、戦争が終わった後の新しい世の中の一員になれるよう、しっかり勉学に励むように。応援しているから。体力もつけるんだぞ。お前は小さい頃から体が弱かったから。
人付き合いの方はどうだ。人と話すのはもう慣れたと母さんの手紙には書いてあったが、嘘だと分かったよ。しかし、すまない、もう俺はお前と話す練習をしてやる事はできないんだ。
母さんを心配させないように書かなかったが、この手紙が着く頃には俺はもう死んでいるだろう。新潟の家には帰れないよ。ごめんな。叶う事ならお前にまた会いたかったが、それも夢のまた夢と諦めた。この戦いが終わる頃には新潟では桜の咲く季節だろうな。家の近くに大きな山桜が一本あったのを思い出すよ。よく花見に行ったな。
ひふみ。俺はお前に必ず人付き合いを直せというのじゃない。それもお前の個性の一つだ。しかし、世の中そんなに怖い人だらけじゃないんだ。お前の才能や人格をかってくれるひとはたくさんいる。社会に出れば困難もつきまとうやも知れぬ。だがそのような時は周りの人に助けを求め、一人で解決しようとするなよ。兄さんと約束してくれ。
お前は何時ぞやか、人に幸せを運ぶような仕事がしたい、と言っていたね。恥ずかしそうに言っていたが俺は真剣に聞いていた...
ここまで読んでひふみは頰に涙が伝うのを感じた。お前のことだからこの手紙を読んで泣いてもいいように、と、行数がわざと少し空けられていた。兄はこんな時にも外国仕込みのユーモアを忘れなかったのだ。ひふみにはそれが嬉しくもあり、同時に苛立たしい気持ちにもさせた。彼女は布団の丸まって畳まれたものに腰掛け、すぐ近くに篠田が座っていた。彼は彼女に手紙を渡しに来たのだ。
「ひふみちゃん。お兄さんは君のこと大切に想ってたんだよこんなに...。」
ひふみはいつの間にか、篠田の話をよそに昔の思い出に浸り始めていた。
「ねぇ...、お兄ちゃんあれさ...」
「あぁ、賽銭か。分かったお祈りしに行こうぜお祈りしに行こうぜ。」
ひふみはおずおずと兄の後ろについて行き、細々と五銭玉を賽銭箱に投げ入れ、鈴を静かに鳴らした。
「なぁ、何でお願い事したんだ?ひふみ...」
正月の早朝、初詣をしに来た人達でがやがやとしていた神社の鳥居の端で兄が聞いた。
「え、...え、いや...その...人と話すこととか...上手くなりたいとか...」
なーんだ、と兄は微笑んでひふみの頭の上に手を置いて、
「今日も話す練習一緒にしようぜ...」と呟いた。
うん、とひふみは小さく頷いた。
春の海の尺八の音色が辺りに響き渡る。桜のつぼみが膨らんでいた。
「ひふみちゃん⁉︎ちょっとどうしたの⁉︎」篠田が思わず叫んだ。
ダッ、とひふみは思わず駆け出し、縁側から外に出た。父母が心配そうにひふみの背中を見つめる。やけに静かな昼下がりだった。雨で湿った地面の上に桜が一枚舞い散るのをひふみは見届けた。
「(んッ...)」
ひふみは嗚咽を押し込み、うつむいた。
「ひふみは将来何になりたいとかあるの?」
「......人を喜ばせる仕事、かな...まだよくわかんない...お兄ちゃんは...?」
兄は少し考える素振りを見せてからこう告げた。
「俺もひふみと同じだよ。人を喜ばせる仕事がしたい...パン屋でも開くかなー...」
ひふみはクスッ、と笑った。つられて兄も微笑んだ。ひふみは雨上がりの庭で初詣の日のことを思い出していた。