オリジナル展開、オリジナルキャラの要素を多分に含みます。
それでも良いと言う方は、ぜひ一読下さい。
何か悪いことがあると、誰が悪かったかを問いたくなる
誰も悪くなかったという言葉は、決して優しさとは限らない
それでは、どうぞ
炎が消えた後にも、熱は残る。
焼けた岩に。
熔けた鉄に。
煤けた壁に。
そして、そこに居た者の中に。
目に見える火が失せたからといって
災いまで終わったとは限らない。
残された熱は、触れた者へ傷を刻み
時に炎そのものより長く、その身を苛み続ける。
◆
誰かが呼んでいる。
遠い。
水の底から聞いているように、声がぼやけていた。
『──お燐!』
聞き覚えのある声。
毎日、何度も耳にしている声。
けれど今は、その名を思い出すことさえ億劫だった。
身体が重い。
瞼も、指先も、息を吸うための胸さえも。
何より、背中から伝わる固い感触が痛かった。
寝台ではない。
冷え切ってもいない鉄の板。
『お燐! 聞こえる?!』
今度は、はっきり聞こえた。
「……さとり、さま……?」
声に出したつもりだった。
けれど喉から漏れたのは、空気が擦れるような音だけだった。
ゆっくりと目を開ける。
何も見えない。
視界を塞いでいるのは、黒い何か。
焦げ臭い。
けれど、知らない匂いではなかった。
この匂いを、アタシは知っている。
「お空……さん……」
昨夜の記憶が、一度に戻ってきた。
暴走した第四補助釜。
流れ込んだ溶岩。
閉ざされた二つの逃げ道。
そして、炎を割って来てくれた黒い翼。
「お空さん」
自分を覆う身体へ呼び掛ける。
返事はない。
けれど右腕は、今もアタシの頭と胸を庇っている。
約束どおり、一晩中こうして守ってくれていたのだ。
防壁はもう見えなかった。
それでも周囲の熱は、火車であるアタシなら耐えられる程度まで下がっている。
助かった。
お空さんが、守ってくれた。
「もう大丈夫ですよ。さとり様が来てくれました」
だから、腕を退けてもらおうと思った。
自分に乗せられた右腕へ、両手を添える。
いつもなら簡単には動かせないほど太く、重い腕。
今は、不思議なほど軽かった。
「……え?」
指先が触れた場所から、黒い表面が崩れた。
乾いた音を立て、細かな欠片が胸元へ落ちてくる。
何が起きたのか分からず、もう一度触れる。
今度は、手首から先が形を失った。
黒い指が。
手の甲が。
何度も頭を撫でてくれた大きな手が。
炭となって、アタシの上へ降り注いだ。
「……お空さん?」
息が止まった。
身体を起こそうとする。
しかし、お空さんに覆い被さられているため、上手く動けない。
残された腕を壊さないように、肩へ手を回す。
「お空さん、起きてください」
返事はない。
耳を澄ましても、昨夜まで聞こえていた呼吸が分からない。
「もう朝ですよ。さとり様が、迎えに来てくれたんです」
震える腕で、お空さんの身体を支えた。
重い。
いつもなら、アタシ一人の力で支えられるような身体ではない。
それでも落とすわけにはいかない。
壊れ物を扱うように、少しずつ上体を横へずらす。
煤に染まった長い髪。
焼け落ちた翼。
ところどころ炭化した服。
顔だけは、奇跡のように形を保っていた。
眠っているようにも見えた。
「お空さん……」
頬へ触れる。
冷たくはない。
けれど、いつもの力強い熱も感じられなかった。
さとり様の声が近づいている。
岩を退かす音。
誰かが、もう少しだと叫んでいる。
助けが来た。
なら、もう大丈夫だ。
お空さんを寝かせて、さとり様を待てばいい。
アタシはお空さんの腰へ腕を回し、棚の上へ横たえようとした。
「よい、しょ……」
持ち上げた身体の下に、あるはずの重みがなかった。
視線が、自然と下へ向く。
「…………」
お空さんの両脚は、太腿から先が失われていた。
焼けた衣服の端。
黒く固まった傷口。
その先には、何もない。
昨夜、溶岩へ浸かりながらアタシを支えていた両脚が。
地底の誰よりも速く駆け、どんな相手にも倒されなかった身体が。
そこにはなかった。
「いや……」
喉の奥から、子供のような声が漏れた。
「いや……いや……!」
お空さんの身体を抱き寄せる。
右腕はもう、肩から先の形を保っていない。
抱き締める力を強めれば、それまで崩れてしまいそうだった。
「お空さん! 起きて! 起きてください!!」
顔を覗き込む。
反応はない。
「アタシです! お燐です! 分かりますか?! 返事をして!!」
昨夜の最後。
返事を求めたアタシへ、お空さんは言った。
ここにいる、と。
「ここに居るって言ったじゃないですか!!」
声が裏返る。
「明日も教えてくれるって! 一緒に謝ってくれるって! 約束したじゃないですか!!」
お空さんの胸へ耳を当てる。
何も聞こえない。
自分の泣き声が邪魔をしているだけだ。
そう思い、息を止めた。
微かに。
本当に微かに。
遠くで、何かが一度だけ鳴った気がした。
「さとり様……!」
声の限りに叫ぶ。
「さとり様!! 早く! お空さんが! お空さんがぁっ!!」
崩れた通路の向こうから、さとり様の声が返る。
『お燐! そこにいるのね?! もう少しだけ待って!』
もう少し。
それが、どのくらいなのか分からない。
一分。
一秒。
今のアタシには、そのどちらも余りに長かった。
「お願い……死なないで……」
お空さんの顔へ、自分の額を押し当てる。
「アタシを一人にしないで……」
その言葉を最後に、身体から力が抜けた。
さとり様が制御室へ辿り着くより先に
アタシの意識は再び、暗闇の底へ沈んでいった。
◆
薬の匂いがする。
焦げた鉄とも、焼けた羽根とも違う。
鼻の奥へ残る、苦く青臭い匂い。
何度か瞬きをした。
見知らぬ天井だった。
古い木板に、巨大な目玉のような紋様が描かれている。
中心の瞳だけが時折左右へ動き、こちらの様子を窺っていた。
「……どこ……」
声を出すと、喉が焼けるように痛んだ。
身体を起こそうとする。
直ぐに全身へ痛みが走り、寝台へ倒れ戻った。
『動くんじゃないよ』
聞き覚えのある声。
顔だけを横へ向ける。
寝台の隣に、ヤマメさんが座っていた。
目の下には薄い隈があり、いつもの快活な笑顔も見られない。
その傍らにはキスメさんが浮かんでいる。
桶から伸ばされた小さな手が、寝台の端を掴んでいた。
さらに部屋の奥。
壁へ背を預け、両腕を組んだ勇儀さんがいる。
「ヤマメ、さん……」
『ああ。私だよ』
「ここは……?」
『旧都の三つ目入道ん所さ。妖怪専門の診療所だよ』
ヤマメさんの言葉を聞きながら、記憶を探る。
制御室。
棚。
お空さんの腕。
「お空さんは?!」
痛みも忘れて起き上がろうとした。
ヤマメさんが肩を押さえ、キスメさんが布団へ潜り込むようにして身体の動きを止める。
『落ち着きな、お燐!』
「お空さんは何処ですか?! 一緒に居たんです! 右腕が……脚も……!」
『古明地が付いてる!』
ヤマメさんも負けない声で言った。
『空は地霊殿へ運ばれた。三つ目入道も急いで向こうへ行ってる。
古明地は空の処置に残って、私らにお前を頼んだんだ』
「処置……」
『まだ何も分からない。だから勝手に悪い方へ考えるんじゃないよ』
何も分からない。
生きているとも。
助かるとも言われなかった。
それでも「死んだ」とは言われていない。
その僅かな可能性へ縋るように、布団を握った。
「アタシのせいです……」
口から、勝手に言葉が出た。
「お空さんは行くなって言ってたのに……誰かを頼れって……」
『今は考えなくていい』
「でも、アタシが勝手に行かなければ……」
『お燐』
「アタシが……」
『そうだな』
低い声が、言葉を止めた。
壁際にいた勇儀さんが、ゆっくりと近づいてくる。
いつもの豪快な足音ではない。
下駄が床を打つ度、部屋の空気だけが重くなっていく。
『お前が一人で行かなければ、空がああなることはなかった』
『姐さん』
ヤマメさんが制止する。
けれど勇儀さんは、足を止めなかった。
寝台の傍まで来ると、アタシの顔を見下ろす。
怒鳴りつけることもない。
殺気を向けることもない。
だからこそ、その静かな目が怖かった。
『空がどういう奴か、お前は知っていたはずだ』
「……はい」
『お前が危ないと知れば、何を捨ててでも助けに行く。それも知っていたな』
「はい……」
『なら何で行った』
答えようとした。
お空さんの補佐をしたかった。
少しでも負担を減らしたかった。
自分にも出来ると証明したかった。
どれも、今となっては言い訳にしか聞こえない。
「ごめん……なさい……」
『謝れとは言ってない』
勇儀さんの大きな手が、布団の上にあったアタシの手を掴んだ。
痛い。
傷へ響くほど強い。
けれど振り払う資格など、自分にはないと思った。
『何で、空の言葉を守らなかった』
「ごめんなさい……」
『何で一人で行った』
「ごめんなさい……!」
『どうして空に任せなかった!』
「ごめんなさい! ごめんなさいっ……!」
それ以外の言葉が出てこない。
勇儀さんの言うとおりだ。
全部、アタシが悪い。
痛みより、胸の中にある重さの方が苦しかった。
『止めな、姐さん』
ヤマメさんが勇儀さんの腕を掴んだ。
『お前は黙ってろ』
『黙れる訳ないだろ。お燐が何をしたって、今それを言ってどうなる』
『こいつが分かってねぇから言ってんだ!』
『分かってるよ! 分かり過ぎて潰れかかってるのが見えないのか!』
勇儀さんがヤマメさんを睨む。
ヤマメさんも、一歩も引かなかった。
『古明地さとりは、お燐を責めなかった』
その名を聞いた勇儀さんの手が、僅かに緩んだ。
『空のあの姿を最初に見たのは古明地だ。
お燐が何を考えて、何で一人で行ったのかも、あいつには全部分かってる。
その古明地が、この子を責めなかったんだよ』
『だから何だ。あいつが何も言わなきゃ、全部なかったことになるのか』
『ならないさ。でも、お前さんが代わりに罰を与える話でもない』
『私は……!』
勇儀さんの言葉が詰まる。
掴んでいたアタシの手へ視線を落とす。
小さな手。
包帯が巻かれ、力なく震えている。
その上へ、勇儀さんの指が食い込んでいた。
「ごめんなさい……」
涙を流しながら、何度も頭を下げた。
「アタシのせいです……お空さんが……全部、アタシの……」
勇儀さんの手から、力が抜けた。
やがてアタシの手を放し、半歩後ろへ退く。
『……悪かった』
誰に向けた言葉なのか、アタシには分からなかった。
その直後。
乾いた音が、診療所の一室に響いた。
『っ……』
勇儀さんの顔が横を向いていた。
いつから部屋にいたのだろう。
寝台の反対側にパルスィさんが立ち、振り抜いた右手を下ろしている。
相手は鬼だ。
細い腕で平手打ちをしたところで、大した痛みにはならないはずだ。
それでも勇儀さんは、打たれた頬へ手を当てようとしなかった。
『……最低』
パルスィさんは、それだけ言った。
怒鳴りもしない。
勇儀さんを睨み続けることもしない。
アタシの包帯が巻かれた手を取り、先ほど掴まれていた場所へ異常がないかを確かめる。
『パルスィ、いつから……』
『最初からよ。入る価値もない話をしていたから、外で待ってたの』
勇儀さんは何も返さなかった。
俯いたまま、病室の扉へ向かう。
『姐さん』
ヤマメさんが呼び止めた。
勇儀さんの足は一瞬止まった。
けれど振り返ることなく、そのまま部屋を出て行った。
アタシは、閉じた扉を見つめ続けた。
勇儀さんに責められたことは辛かった。
けれど、その背中が怒っているようには見えなかった。
もっと別の何か。
自分へ向けるべき感情の行き場を失い
代わりにアタシを掴んでしまったような。
そんな背中だった。
『今は休みな』
ヤマメさんが布団を掛け直す。
『全部、目が覚めてから考えればいい』
「でも……お空さんが……」
『古明地を信じな。あいつが付いてるんだ』
キスメさんの小さな手が、アタシの指へ触れた。
握り返そうとしたけれど、もう力が入らない。
薬の匂いと、ヤマメさんの声。
そして扉の向こうへ消えた勇儀さんの背中を最後に
アタシは再び、浅い眠りへ落ちていった。
(次に続く)