オリジナル展開、オリジナルキャラの要素を多分に含みます。
それでも良いと言う方は、ぜひ一読下さい。
それでは、どうぞ
帰る場所とは、建物のことではない。
同じ屋根。
同じ部屋。
見慣れた廊下。
それらは確かに、帰る先を形作る。
けれど、そこに待つ者がいなければ
どれほど馴染み深い場所であろうと、ただの器でしかない。
誰かが待っているから帰る。
誰かを待つために帰る。
それを家と呼ぶのだと
アタシは、ずっと信じていた。
◆
その後、アタシは三つ目入道の診療所から、旧都にある馴染みの店へ移された。
第四補助釜の異常によって負傷した妖怪は、アタシだけではなかった。
診療所は空いた寝台どころか、床にまで患者が並び、歩く場所すら満足に残っていない。
幸い、アタシの火傷は、火車としての回復力があれば治療出来る範囲だった。
熱を吸い込んだ喉や肺も傷ついていたけれど、それ以上に疲労が酷いらしい。
何より、心の消耗が大きい。
三つ目入道の助手から、静かに休める場所へ移した方がよいと言われ
ヤマメさん達は、店の二階にある小部屋を借りてくれた。
以前、アタシが鬼達に連れ込まれた店。
ヤマメさんと初めて話し
後に皆で食事会を開いた場所でもある。
今は営業時間前で、店内に客はいない。
二階の小部屋へ敷かれた布団の上で、アタシは浅い眠りを繰り返していた。
『少しは食べないと、身体が保たないよ』
目を覚ますたび、ヤマメさんが水や柔らかく煮た粥を勧めてきた。
言われるままに口へ運ぶ。
味は分からなかった。
キスメさんは部屋の隅から、時折こちらを見ていた。
パルスィさんは窓辺へ座り、外を眺めている。
勇儀さんの姿はない。
あれから一度も戻っていなかった。
「ヤマメさん」
『何だい』
「さとり様は、本当に……アタシを責めてなかったんですか」
ヤマメさんは直ぐに答えなかった。
アタシの額へ載せていた布を取り、水桶の中で絞り直す。
『責めてなかったよ』
「でも……」
『ただ、悲しんでた』
胸が痛んだ。
責められるよりも、その言葉の方が辛かった。
『だから、自分を傷つける材料にするんじゃないよ』
「……はい」
『返事だけは良いんだから、全く』
いつものように、頭を撫でられた。
けれど今日の手つきは、やけに慎重だった。
◆
階下が騒がしくなったのは、それから暫く経った頃だった。
店主が誰かと話している。
聞き慣れた声。
けれど、ここで聞くはずのない声。
アタシは布団から跳ね起きた。
「さとり様……?」
襖が開く。
地霊殿の主・古明地さとり、そのヒトが立っていた。
旧都の飲み屋へ、さとり様本人が足を運ぶことはほとんどない。
思考を読まれることを嫌う者が多いこの地では、彼女がいるだけで店中の客が逃げ出しかねないからだ。
今日はまだ営業時間前で、店内に客はいない。
それでも、さとり様の姿はひどく場違いに見えた。
『目が覚めていたのね』
いつもと同じ、抑揚の少ない声。
衣服の裾には煤が付き、髪も少し乱れている。
第三の目は普段より低い位置で、疲れたように揺れていた。
立ち上がろうとした。
『そのままでいいわ』
「でも……」
『命令よ。座っていなさい』
有無を言わせない声音に、布団へ座り直した。
さとり様はアタシの前まで来ると、怪我の様子を確かめるように全身へ目を向けた。
「お空さんは?!」
尋ねる声が震えた。
さとり様は、一度だけ目を閉じた。
『地霊殿へ戻ったわ』
息を呑んだ。
「本当……ですか?」
『ええ。今は屋敷の部屋で休ませている』
「生きて……」
『生きているわ』
それを聞いた瞬間、身体の奥へ溜まっていたものが一気に抜けた。
「よかった……」
両手で顔を覆う。
「よかった……お空さん……」
涙が溢れた。
今度は、悲しいからではない。
死んでいなかった。
帰ってきた。
もう一度、会える。
「さとり様、ごめんなさい」
それでも、口から出たのは謝罪だった。
「アタシが勝手なことをしたから……お空さんが、あんな怪我を……」
『お燐』
「お空さんは止めてくれたんです。誰かを頼れって。でもアタシ、自分でも出来るって思って……」
『お燐』
「アタシが全部──」
『その考えを捨てなさい』
鋭い声が、アタシの言葉を切った。
さとり様が怒鳴ることは少ない。
声を荒らげなくとも、相手の考えを知り尽くしている彼女には、その必要がないからだ。
今も、声量は変わっていない。
それなのに、勇儀さんに責められた時より強く身体が震えた。
『貴女は判断を誤った。空の教えを守らず、自分の力量を見誤った。
その点は、反省しなければならない』
「はい……」
『でも、自分を責め続けることと反省は違う』
さとり様の第三の目が、アタシを真っ直ぐ見ている。
『貴女は、自分を痛めつければ空への償いになると思っている。
自分だけが苦しめば、起きたことへ責任を取れると思っている』
「そんな……」
『思っているわ。私に隠せるとでも?』
否定出来なかった。
胸の内には、確かにそういう考えがあった。
お空さんの右腕。
失われた両脚。
自分が同じだけ傷つけば、少しは許されるのではないか。
自分が今後ずっと苦しめば、お空さんの痛みを忘れずに済むのではないか。
『そんなものは償いではない。ただの逃避よ』
さとり様は、容赦なく言い切った。
『貴女が自分を壊しても、空の腕も脚も戻らない。
それどころか、あの子が守った貴女まで失われる』
顔を上げられなかった。
『空が何のために、あそこまでしたと思っているの』
「アタシを……守るため……」
『なら、生きなさい』
短い言葉だった。
『反省して、学んで、二度と同じ過ちを繰り返さない。
空が守った命を、自分から粗末にしない。
それが、今の貴女に出来ることよ』
「……はい」
『もう一度』
「はい……!」
涙を拭い、さとり様を見た。
「もう、自分を責めて終わりにはしません。
お空さんが守ってくれたことを、無駄にしません」
さとり様は暫く黙っていた。
やがて、アタシの頭へ手を置く。
『よろしい』
いつものように撫でてくれた。
手は優しかった。
けれど、何かが違う。
その違和感へ、直ぐに気付いてしまった。
さとり様は、お空さんが生きていると言った。
地霊殿へ戻り、部屋で休んでいると。
なら、もっと安心しているはずだ。
お空さんの状態を話す時の声が、余りに平らだった。
「生きている」と告げるまでに、一度目を閉じた。
そして何より。
さとり様は一度も、お空さんが「大丈夫」だとは言っていない。
「さとり様……」
喜びの中へ、冷たいものが混じる。
「お空さんに、会えますか?」
さとり様の手が止まった。
『そのために迎えに来たの』
答えは、望んだとおりだった。
しかし、その声には喜びがなかった。
◆
お燐が身支度を整える様子を、私は部屋の入口から見ていた。
火傷の痛みは残っているはずだ。
それでも、先ほどまで寝込んでいた者とは思えないほど動きが早い。
空が生きている。
会いに行ける。
その二つだけで、無理にでも身体を動かしているんだろう。
私は安心したかった。
だが、古明地の顔を見れば見るほど、そうは出来なかった。
心を読む妖怪だから、ポーカーなんちゃらが得意だと以前笑っていた。
確かに表情は崩れていない。
それでも隠し切れないほど、今の古明地は疲れていた。
「それじゃ、お燐を頼んだよ」
なるべく明るく言った。
「私は此処で待ってるからさ。空が落ち着いたら、また様子を聞かせておくれ」
本当は、一緒に行きたかった。
けれど地霊殿は、古明地と、その従者達が暮らす場所だ。
空でも燐でもない私が、こんな時に踏み込むべきではない。
そう思っての言葉だった。
『ヤマメ』
古明地が、こちらへ顔を向けた。
『貴女も来なさい』
「え?」
『お燐の友人なのでしょう』
予想していなかった言葉に、間の抜けた声が出た。
「でも、良いのかい?」
『私から誘っているのよ』
お燐が、期待の籠もった目でこちらを見ている。
その顔を見て断れるほど、私は薄情ではなかった。
「……分かった。邪魔にならないようにするよ」
『ええ、お願い』
キスメはどうするのかと思い、視線を向けた。
桶の中の少女は、小さく首を横へ振った。
ここへ残る、ということらしい。
パルスィも窓辺から動かなかった。
『私はキスメと一緒にいるわ』
それだけ言うと、ワイングラスへ口を付ける。
中身は水だった。
勇儀の姿は、結局戻らないままだった。
「姐さんは……」
言い掛けると、パルスィは冷たく言った。
『放っておきなさい。今頃、自分で自分を殴ってるわよ』
妙に想像しやすかった。
けれど、笑う者はいなかった。
『ヤマメさん』
階段の前で、お燐が振り返った。
『行きましょう』
不安を隠し切れない顔。
私はいつものように笑い、その隣へ並んだ。
「ああ。空の所へ帰ろう」
三人で店を出た。
地霊殿へ続く道を、古明地が先頭に立って歩く。
その少し後ろを、お燐と私が並んで進んだ。
隣を見る。
お燐は前だけを見つめながら、何度も小さく唇を動かしていた。
─お空さんは生きている
─地霊殿へ戻った
─部屋で待っている
声は聞こえない。
けれど、恐らく同じ言葉を何度も繰り返しているのだろう。
そうでもしなければ
古明地の背中から漂う不吉な静けさに
押し潰されてしまいそうだった。
(次に続く)