からすとこねこ   作:ビーグル

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この作品は、東方Projectの二次創作です。
オリジナル展開、オリジナルキャラの要素を多分に含みます。
それでも良いと言う方は、ぜひ一読下さい。

それでは、どうぞ


第十三話 「残心」

 

 心は、形を持たない。

 

 それでも妖怪にとっては

 肉や骨よりも確かな形を持つものだという。

 

 積み重ねた記憶。

 育まれた知性。

 誰かを想う感情。

 

 それらは妖力という器に抱かれ

 長い年月を掛けて、一つの心を形作る。

 

 ならば、その器が砕けた時。

 

 中にあったものは

 一体、何処へ行くのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 地霊殿へ戻ってきた。

 

 見慣れた赤黒い廊下。

 窓から差し込む、焦熱地獄の揺らめく光。

 空気の中に混じる、石と煤と古い絨毯の匂い。

 

 何も変わっていない。

 なのに、全てが違って見えた。

 

 いつもなら聞こえてくる動物達の足音が少ない。

 姿を見せた者も、アタシ達を見るなり道の端へ寄り、何も言わずに頭を下げた。

 その理由を考えないようにした。

 

 お空さんは生きている。

 地霊殿へ戻ってきた。

 部屋で休んでいる。

 

 それだけを、何度も心の中で繰り返す。

 

 

『足元に気を付けな』

 

 

 隣を歩くヤマメさんが、小さな声で言った。

 自分でも気付かないうちに、絨毯の継ぎ目へ足を取られかけていたらしい。

 

 

「すみません」

『謝ることじゃないさ』

 

 

 ヤマメさんは笑ってみせた。

 けれど、その笑顔はいつもより少し固かった。

 

 地霊殿へ入ってから、さとり様は一度も振り返らない。

 先頭を歩き、一定の速さで廊下を進んでいる。

 

 

 

 お空さんの部屋は、ここから西棟へ向かった先にある。

 アタシの部屋からも近い。

 

 具合が悪い時は、直ぐに様子を見に行けるように。

 何かあった時は、直ぐに呼んでもらえるように。

 お空さんが、そう決めてくれた。

 

 しかし、さとり様は西棟へ向かわなかった。

 

 中央階段を通り過ぎ

 普段は使われていない北側の廊下へ進んでいく。

 

 

「さとり様」

 

 

 堪え切れずに声を掛けた。

 

 

「お空さんのお部屋は、あちらでは……」

『ええ』

 

 

 足を止めることなく、さとり様が答える。

 

 

『今は自室へ戻せないの』

「どうしてですか?」

 

 

 返事は直ぐには返ってこなかった。

 

 

 

 

--

 

 

 

 

 

 

 廊下の奥には、分厚い鉄扉が見えている。

 地霊殿に長く暮らしていても、あの先へ入ったことは一度もない。

 窓もなく、扉の脇には複数の封印札と、用途の分からない計器が備え付けられていた。

 

 

『あそこは隔離区画よ』

 

 

 ヤマメさんの足音が僅かに止まった。

 アタシも、その言葉に息を呑んだ。

 

 隔離。

 

 その響きだけを聞けば、危険な妖怪や怨霊を閉じ込める場所を想像する。

 

 

「お空さんが、危険なんですか……?」

 

 

 さとり様が、ようやく足を止めた。

 振り返った顔には、怒りも悲しみも見えない。

 

 

『違うわ』

 

 

 きっぱりと否定した。

 

 

『ここは誰かを罰するための場所ではない。

 怪我や病によって、自分や周りを傷つける可能性がある者を保護するための施設よ』

 

 

 扉の脇にある計器へ、さとり様が手を触れた。

 

 

『妖力が不安定な者を、安全に休ませるために作られた区画。

 外から状態を確認しながら、必要な処置を行うための場所よ』

「それでも……お空さんが、誰かを傷つけるなんて」

『本人の意思とは関係がないの』

 

 

 声音は変わらない。

 

 

『今のお空は、残された妖力を自分で制御出来ない。

 眠っている間にも、突発的に外へ漏れ出すことがある。

 小さな火だったり、衝撃だったり、その時によって違うわ』

 

 

 何も言えなかった。

 

 

『それに、この場所は周囲を守るだけではない。

 あの子自身を守るためでもある』

「お空さんを……?」

『今の状態を、親しい者が何の準備もなく目にすれば、心を傷つける。

 そして、その心を受けたお空が更に不安定になる可能性もある』

 

 

 さとり様の第三の目が、僅かに伏せられた。

 

 

『だから、会わせる相手と時間を私が決めている』

 

 

 その言葉で理解した。

 アタシ達は今から、さとり様に選ばれて中へ入る。

 けれど、それが許されたことを喜んでよいのか分からなかった。

 

 

『怖いなら、ここで待っていてもいいのよ』

 

 

 さとり様が、アタシではなくヤマメさんへ言った。

 

 

『お燐一人で行かせる気はないよ』

 

 

 ヤマメさんは即座に答えた。

 

 

『それに私だって、空の友達のつもりだ。

 嫌がられたって、顔くらい見て帰るさ』

 

 

 いつもの調子に近い言葉。

 それを聞いて、胸の奥に張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。

 

 

「アタシも行きます」

 

 

 迷いはなかった。

 

 

「お空さんに会わせて下さい」

 

 

 さとり様は静かに頷いた。

 計器の横にあった小さな鍵穴へ、細い鍵を差し込む。

 複数の錠が外れる音が、扉の内側から順番に響いた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 隔離区画の中は、想像していたより暗かった。

 廊下には最低限の灯りしかなく、足元を白く照らす細い光が続いている。

 外の焦熱地獄から届く赤い光も、ここまでは入ってこない。

 

 壁は石ではなく、黒く磨かれた何かで覆われていた。

 触れる気にはならなかった。

 

 

 幾つかの扉を通り過ぎ、一番奥の部屋でさとり様が足を止める。

 

 

『ここよ』

 

 

 扉の向こうは、さらに暗い小部屋だった。

 さとり様が壁の灯りを点ける。

 淡い光が広がり、正面に大きなガラスが現れた。

 

 向こう側には、もう一つの部屋がある。

 

 こちらから中の様子を見渡せるように作られた観察室。

 ガラスは二重になっており、その間には細かな文字の書かれた札が何枚も挟まれている。

 

 

『このガラスも封印の一部よ。

 向こう側で妖力が暴発しても、こちらまでは届かない』

 

 

 さとり様の説明を聞きながら、ガラスの向こうへ目を向けた。

 最初に見えたのは、色だった。

 赤。

 青。

 黄色。

 緑。

 

 地霊殿の中では見慣れない、明るく柔らかな色。

 部屋の壁には、星や鳥の絵が飾られている。

 床には厚い敷物が敷かれ、尖った家具は一つもない。

 

 小さな木馬。

 積み木。

 糸で吊られた羽根飾り。

 

 そして、あちこちに置かれた沢山のぬいぐるみ。

 まるで子供部屋だった。

 

 

「ここに……お空さんが?」

 

 

 自分の声が、酷く遠く聞こえた。

 

 

『ええ』

 

 

 さとり様が、部屋の中央を示した。

 そこに誰かが座っている。

 

 大きな身体。

 長い黒髪。

 

 

「お空さん……」

 

 

 確かに、お空さんだった。

 床へ敷かれた厚い布団の上。

 壁へ背を預けるようにして座っている。

 

 右肩から先には何もない。

 下半身には毛布が掛けられているが、その膨らみは太腿の途中で小さく途切れていた。

 

 身体に合わせて作られた服を着ている。

 柔らかな布地。

 大きな釦。

 着替えさせやすいよう、襟元や脇が広く作られた上着。

 

 形だけを見れば、幼い子供が着る服に似ていた。

 けれど、お空さんの身体は以前と変わらず大きい。

 その食い違いが、部屋全体を異様なものに見せていた。

 

 

「お空さん……?」

 

 

 ガラスへ近づく。

 こちらの声は向こうへ届かないらしい。

 お空さんは顔を上げなかった。

 

 左手で何かを弄びながら、床を見つめている。

 

 表情は穏やかだった。

 苦しんでいるようには見えない。

 それなのに、アタシの知るお空さんとは違う。

 

 あの鋭い目がない。

 誰かを守る時の、揺るがない力がない。

 何も知らない子供のような顔で

 自分の周りにある玩具を、ぼんやりと眺めていた。

 

 

「どうして……」

 

 

 さとり様へ振り返る。

 

 

「お空さんは、どうしてアタシ達を見ないんですか」

 

 

 さとり様は直ぐには答えなかった。

 ここまで連れて来る間と同じ、感情の読み取れない顔。

 

 

『お空は、右腕と両脚を失った』

 

 

 知っていた。

 分かっていた。

 それでも言葉にされると、胸の奥が締め付けられた。

 

 

『身体の欠損は、時間を掛ければ回復する可能性がある。

 妖怪である以上、人間ほど絶望的ではないわ』

 

 

 一瞬、希望が浮かんだ。

 

 

『でも、妖力は別よ』

 

 

 その希望を、さとり様の声が静かに押し留めた。

 

 

『あの子は防壁を維持するために、残っていた妖力の大半を使った。

 肉体を守るための分も、心を保つための分も、貴女へ注いだ』

「心を……保つ……?」

 

 

 意味を理解出来なかった。

 

 

『妖怪の心は、人間のように肉体だけへ宿るものではない』

 

 

 さとり様は、ガラスの向こうのお空さんを見つめた。

 

 

『妖力は、力の大きさを示すだけのものではない。

 記憶を留め、知性を形作り、自分が自分であるための器でもあるの』

 

 

 地上の神々が、信仰を失えばその存在を弱めるように。

 妖怪もまた、妖力によって自らの形を保っている。

 

 肉体だけではない。

 長く生きる中で得た記憶も。

 学び、考えるための知性も。

 誰かを大切に思う心さえも。

 

 その多くが、妖力と深く結び付いている。

 

 

『器が傷つけば、中にあったものも形を保てなくなる』

 

 

 さとり様の説明は、難しい言葉ではなかった。

 だからこそ、否定する余地がなかった。

 

 

『お空は知性の大部分を失った。記憶も同じよ』

 

 

「……アタシのことも?」

 

 

 訊きたくなかった。

 それでも、聞かずにはいられなかった。

 さとり様は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

 

 

『今のところ、私達を認識している反応はないわ』

 

 

 息が出来なかった。

 

 

『名前を呼んでも振り向かない。

 自分の名前も理解していない。

 言葉は僅かに聞き分けられるようだけれど、意味までは殆ど分かっていない』

 

 

 ガラスの向こうでは、お空さんがぬいぐるみを一つ持ち上げた。

 白い兎。

 暫く見つめた後、興味を失ったように手から落とした。

 

 

「さとり様なら……」

 

 

 声が震える。

 

 

「さとり様なら、お空さんの心を読めるんじゃないんですか。

 中に残っているものを探して、元へ戻すことは……」

 

 

『出来ないわ』

 

 

 即答だった。

 怒りも悲しみもない。

 ただ、出来ないという事実だけを口にしているように聞こえた。

 

 

『私達さとり妖怪に出来るのは、見ることだけ』

 

 

 第三の目が、僅かに揺れた。

 

 

『形のある心なら読める。

 記憶を辿り、考えを見つけることも出来る。

 でも、崩れた心を組み直す力はない』

 

 

 さとり様は、左手で第三の目へ触れた。

 

 

『何かの残滓で覆われた記憶を見つけても、それを取り除くことは出来ない。

 心の形そのものが失われていれば、読むための入口すら見つけられない』

 

 

 冷たいガラスへ手を当てる。

 ほんの少し先に、お空さんがいる。

 それなのに、途方もなく遠く感じた。

 

 

「治るんですか……?」

 

 

 さとり様は、また少し黙った。

 

 

『分からない』

 

 

 希望を持たせる言葉を選ばなかった。

 

 

『妖力が回復すれば、失われたものの一部が戻る可能性はある。

 けれど、それに何年、何十年、あるいは何百年を要するかも分からない』

「そんな……」

『戻らない可能性もあるわ』

 

 

 隣で、ヤマメさんが小さく息を呑んだ。

 何も言えなかった。

 

 

 お空さんの周りには、沢山のぬいぐるみが散らばっている。

 兎。

 犬。

 熊。

 鳥。

 形のよく分からない、丸い生き物。

 

 色も大きさも様々だった。

 

 

『あれは、こいしが持ってきたものよ』

 

 

 アタシの視線に気付いたのだろう。

 さとり様が説明した。

 

 

『この部屋が殺風景だと可哀想だからって、自分の物を随分持ち込んだの』

 

 

 こいし様らしいと思った。

 

 

『でも、何をあげても気に入らないみたいでね』

 

 

 言葉の端に、ほんの僅かな困惑が混じる。

 

 

『こいしは拗ねていたわ。

 「お空ってば全然遊んでくれない」って』

 

 

 こんな時なのに、少しだけ笑いそうになった。

 笑ってはいけない気もして、口元へ力を入れる。

 

 

『ただ…一つだけ、肌身離さず持っているものがある』

「一つだけ……?」

 

 

 さとり様が、ガラスの向こうへ視線を戻した。

 

 

『左手を見て』

 

 

 お空さんの左腕。

 

 身体の陰になり、最初は見えなかった。

 胸元へ抱えるようにして、何かを持っている。

 

 黒い耳。

 小さな四本の脚。

 二本の尾。

 

 こいし様が作ったのだろう。

 縫い目は少し歪み、左右の目の高さも揃っていない。

 けれど、見間違えるはずがなかった。

 

 黒猫のぬいぐるみ。

 お空さんはそれだけを、左腕で大切そうに抱いていた。

 

 

「……あ」

 

 

 声が漏れた。

 胸の奥から、何かが一気に込み上げてくる。

 

 両手で口を押さえた。

 声を出してはいけない。

 

 ガラス越しで聞こえなくとも、泣いてはいけないと思った。

 お空さんが守ってくれた。

 生きていた。

 

 それなのに、こんな顔をしてはいけない。

 

 

「……っ……!」

 

 

 嗚咽が指の隙間から漏れる。

 脚へ力が入らない。

 

 見開いた目からは涙だけがとめどなく溢れる。

 支えきれなくなった体が、膝から床へ崩れ落ちた。

 

 

「お空、さん……」

 

 

 アタシの名前も分からない。

 自分の名前も覚えていない。

 

 さとり様も。

 地霊殿も。

 教えてくれた仕事も。

 

 何もかも失った。

 

 それでも、黒猫だけは離さなかった。

 理由なんて分からないはずなのに。

 

 それが何を表しているのか、考える知性さえ失ったはずなのに。

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

 また、その言葉が出た。

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 

 さとり様に捨てなさいと言われた考え。

 自分を責め、抱え込み、それで償ったつもりになること。

 

 分かっている。

 分かっているのに、涙と一緒に謝罪が溢れた。

 

 

「アタシのこと、覚えてないのに……」

 

 

 床へ手を付く。

 

 

「どうして……どうして、それだけ……」

 

 

 肩へ、誰かの手が触れた。

 さとり様だった。

 背後から抱くように、アタシの肩を両腕で包み込む。

 

 

『お燐』

 

 

 耳元で、静かな声がした。

 

 

『無事でよかった』

 

 

 何を言われたのか、直ぐには理解出来なかった。

 

 

『貴女が無事で、本当によかった』

 

 

 さとり様の腕に、少しだけ力が入った。

 お空さんが、どれほどのものを失ったのか。

 これから何が戻り、何が戻らないのか。

 

 誰にも分からない。

 

 それでも、さとり様はアタシが無事だったことを喜んでくれている。

 少なくとも、そう聞こえた。

 

 怒ることも。

 責めることも。

 声を上げて嘆くこともなく。

 

 ただ、無事でよかったと繰り返した。

 

 

「さとり様……」

 

 

 肩を抱く手が、僅かに震えていた。

 その時になって、初めて気付いた。

 

 さとり様は、平気なのではない。

 この方もずっと、耐えていたのだ。

 

 口を押さえていた手を下ろし

 さとり様の腕へ縋った。

 無理に嗚咽を止めることを、止めた。

 

 声を上げて泣いた。

 

 ガラスの向こう。

 お空さんはこちらを見ない。

 

 黒猫のぬいぐるみを左腕へ抱いたまま

 何も知らない幼子のような顔で、その頭を撫でていた。

 

 

 





私がどうしても表現したかったのが
お燐が、嗚咽すらも漏らさずに泣くシーンでした。
瞳孔が縮小しきって、でも両手で口元を押さえて...
ボロボロと涙が溢れ出てくる様子は自分で読んでも毎回泣きそうになります。

惜しむらくはそれを十全に表現しうる力が私に無かった事です...

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