オリジナル展開、オリジナルキャラの要素を多分に含みます。
それでも良いと言う方は、ぜひ一読下さい。
それでは、どうぞ
何処かへ向かう者を見送る時
残される者は、必ず問い掛ける。
何故、行くのか。
どうして、一人で決めたのか。
共に帰る道は、本当に残されていないのか。
けれど、答えを聞くことが出来たからといって
その背中を止められるとは限らない。
決意とは時に
別れの言葉よりも先に、歩き始めているものだから。
◆
隔離区画の扉は、開いたままになっていた。
普段ならば有り得ない。
複数の錠を外さなければ動かないはずの鉄扉が、僅かな隙間を残して止まっている。
避難命令が出てから、地霊殿の廊下は何処も慌ただしかった。
それでも、この区画だけは別である。
お空さんを守るため、係の者が最後まで残るはずだった。
胸の奥へ、冷たいものが落ちた。
考えるより先に名前を呼ぶ。
「お空さん!」
返事を待たず、扉の間へ身体を滑り込ませた。
暗い通路。
足元を照らす白い光。
幾つもの閉ざされた部屋。
規則正しく並ぶ扉が、今日は中身のない棺のように見えた。
アタシの足音だけが黒い壁へ反響する。
「お空さん! 迎えに来ました!」
呼べば返事があると思っていた。
以前なら、名前を聞いただけで翼が落ち着かず動いた。
隔離された後も、アタシの声へ顔を向けてくれた。
その小さな反応を頼りに、ここまで来た。
観察室の扉も開いている。
ガラスの向こうへ目を向けた。
子供部屋のように整えられた室内。
床へ散らばるぬいぐるみ。
壁へ立て掛けられた、傾いた鳥の絵。
お空さんの姿はない。
「……え?」
何度見直しても、いない。
寝台の陰。
机の下。
ガラスから見えにくい壁際。
何処にも黒い翼はなかった。
黒猫のぬいぐるみも消えている。
あれを自分から置いていくことは考えにくい。
ならば、お空さん自身が持って出たのか。
誰かが一緒に持ち去ったのか。
観察室を飛び出し、隣の処置室へ向かった。
さとり様が言っていた車椅子。
お空さんの大きな身体を支えられるよう、背凭れと座面を補強した特別な物。
それもなかった。
「そんな……」
見ると、床には細い車輪の跡が残っていた。
処置室から廊下へ。
廊下から、半開きの鉄扉へ。
途切れた箇所では、車輪が僅かに浮いたように煤の跡が薄くなっている。
誰かがお空さんを連れ出したのだ。
「係のヒトは?! 誰かいませんか!」
叫びながら周囲の扉を開く。
返事はない。
隔離区画の担当者も、避難作業へ回っているのだろうか。
さとり様は、係の者へ声を掛けるよう命じた。
けれど、その係の者自体が此処にいない。
命令が届く前に去ったのか。
別の異常へ対処するため、やむを得ず持ち場を離れたのか。
今は問い詰める相手さえいなかった。
「お空さん……」
連れ去られたのか。
クレスタさんが戻り、お空さんを連れていったのか。
あるいは、隔離区画の異常を察した誰かが避難させたのか。
どの想像にも、お空さんが安全に待っている結末が見えない。
柱へ手を付き、息を整えようとした。
焦れば、見えるものまで見落とす。
昔、お空さんから何度も言われた。
返事だけで分かった気になるな。
先に周囲を見ろ。
今は、その言葉を自分へ返す。
床の隅に、小さな黒い欠片が落ちていた。
羽根ではない。
煤とも違う。
指で摘まむと、僅かな妖力が残っている。
赤と青。
二つの火の気配。
「ヒダマと……カゼダマ……?」
頭の中で、ばらばらだったものが一つに繋がった。
赤と青の人魂。
お空さんへ懐き、カシラと呼び続けた二匹。
隔離区画の扉を正しく開ける知識はなくても、小さな身体なら錠の裏へ入り込める。
車椅子を持ち上げる力も、二匹で火を合わせれば足りるかもしれない。
そして地の底から響く、巨釜の脈動。
床の奥で何かが打つたび、壁の白い光が僅かに揺れた。
「まさか……」
お空さんが、巨釜の異変を知らないはずはない。
知性も記憶も失っていたとしても、地獄烏としての身体は火へ反応する。
隔離室でぼんやりしていた時でさえ、遠くの釜が脈打てば翼が強張った。
もしも。
何かの切欠で記憶が戻っていたなら。
お空さんが選ぶ行動を、アタシは知っている。
自分の身体も。
立場も。
これから先に得られるものも。
誰かを守るためなら、何一つ惜しまない。
それは強さだった。
同時に、アタシが何度止めようとしても変えられなかった危うさでもある。
戻ってきたお空さんには、もう同じことをさせたくなかった。
今度こそ、守る側にいさせてほしかった。
「……
声に出した瞬間、予感が確信へ変わった。
お空さんは連れ去られたのではない。
自分で向かった。
ヒダマとカゼダマは、それを手伝った。
アタシは隔離区画を飛び出した。
さとり様へ知らせるべきだという考えは浮かんだ。
けれど、足は既に巨釜へ続く道を選んでいた。
別れの言葉を聞くためではない。
まだ間に合うと信じるために走った。
◆
車椅子は、廊下を進むために作られたものである。
左右から人魂が火をまとわせ、宙へ持ち上げて運ぶことまでは、恐らく想定されていない。
赤と青の火が、車椅子の左右へ張り付いている。
車輪は地面から僅かに浮き、前へ進む度に大きく傾いた。
『右、下がってんぞ!』
『そっちが上げ過ぎなんだぃ!』
言い争う声だけは威勢がよい。
実際の車体は、左右へ危うく揺れている。
「……大丈夫なのか、この運び方は」
問い掛ける声は、自分で思ったより静かだった。
身体へ残る力が少ないせいかもしれない。
あるいは、二匹が必死に運んでいることを知っているため、強く責める気になれなかったのか。
『大丈夫だぃ。オイラ達を信じろ』
『今んところ、一度も落としてねぇ』
「今後は落とす可能性があるように聞こえるが」
『細けぇこと言うなよ、カシラ』
車椅子の左側が下がった。
身体も傾き、左手に抱えた黒猫のぬいぐるみが落ちかける。
腕へ力を入れる。
以前なら片手で何でも持ち上げられた。
今は、ぬいぐるみ一つを落とさず抱えることにも意識を向けなければならない。
「待て、止まれ」
『どうした?!』
「黒猫が落ちる」
『そこォ?!』
二匹は慌てて車体を水平へ戻した。
『カシラは落ちても、猫は落とさねぇから安心しろ』
「私も落とすな」
『注文が多いなァ』
以前の私なら、ここで呆れた声を出しただろう。
今は、少しだけ笑った。
自分でも分かるほど僅かな笑みだったが、二匹は嬉しそうに炎を強めた。
『やっと笑ったな、カシラ』
「そうか?」
『隔離部屋ん中じゃ、ずっとぼーっとしてたからよ』
『あれはあれで可愛かったけどなァ』
「忘れろ」
覚えていない自分の姿を、二匹は覚えている。
その事実へ、説明しにくい居心地の悪さと安堵が同時にあった。
私の記憶は、完全に戻ったわけではない。
思い出せること。
形だけ浮かび、意味を掴めないこと。
何も残っていないこと。
それらが入り混じっている。
さとり様の顔は分かる。
お燐の名も、あの子へ抱いた想いも分かる。
泣かせたくない。
置いていきたくない。
その感情だけは、記憶より先に胸へ戻っていた。
勇儀。
ヤマメ。
キスメ。
パルスィ。
クレスタ。
名を思い出せば、遅れて顔が浮かぶ。
けれど昨日何を食べたかは分からない。
隔離部屋で過ごした時間も、厚い霧に閉ざされている。
お燐が何度訪ねてきたのか。
何を話し、何を渡してくれたのか。
断片だけが指の間から落ちる。
それでも、巨釜を鎮める方法だけは鮮明だった。
私が前回作った封印。
外から岩石を落とし、妖力を流し込み、暴れる火と怨念を一つの形へ押し留めた。
封印の根幹には、今も私の妖力が残っている。
術者と同じ妖力。
現在の暴走は、その残滓まで怨念に呑まれ、巨釜の火と共に荒れ狂っているためだった。
外から力を加えれば、更なる反発を招く。
内側へ入り、残された妖力を回収し、怨念と火の流れを元の形へ戻す必要がある。
全てを消すことは出来ない。
釜の火は地底に必要だ。
怨念もまた、完全に消し去れば別の場所へ歪みを生む。
暴走する分だけを、自らの命を燃やした炎で浄める。
火を火で滅ぼすのではない。
高ぶったものを鎮め、本来あるべき場所へ戻す。
その計算へ、自分が戻る余地は含まれていなかった。
別の方法を探す時間もない。
誰かへ相談すれば、止められる。
お燐なら、正しいかどうかより先に腕を掴む。
さとり様なら、残る可能性を最後まで探す。
クレスタなら、自分を代わりに出来ないか考える。
だから一人で決めた。
卑怯だとは分かっている。
それでも、それが今の私に出来る最後の仕事だった。
『カシラ』
ヒダマの声に、意識を現実へ引き戻される。
『前の巨釜ん時も、こんな道だったなァ』
「お前達は、その時にはまだ生まれていないだろう」
『そうだったか?』
『いや、オイラは見たぞ。カシラがドカーンと飛び込んで』
「それは誰かから聞いた話だ」
『……そうだった』
カゼダマの青い火が、照れたように小さくなる。
二匹は昔から、聞いた話と自分の記憶を混同する。
自分達が生まれる直前の出来事なら、尚更だった。
『でもよ、火は覚えてる』
ヒダマが言った。
『カシラの火だ。オイラ達の底ん所に、ずっと残ってる』
二匹を見る。
人魂の顔は炎の揺れで形を変え、考えていることまでは読めない。
ただ、赤と青の火は、来た道へ戻ろうとしなかった。
「……そうか」
それだけを答えた。
二匹が何を決めているのか。
この時の私は、まだ知らなかった。
◆
旧都では、避難する住民達が長い列を作っていた。
荷車へ家財を積む者。
腕に子供を抱く者。
住処へ戻ろうとして、鬼に引き戻される者。
普段なら酒と怒号で賑わう街が、今日は不安と焦りに満ちている。
岩盤が鳴る度、列の何処かで悲鳴が上がった。
皆が自分だけは先へ行きたいと考えれば、道は直ぐに塞がる。
だから、さらに大きな声で押し返す。
「走るな! 押すんじゃねぇ!」
声を通り全体へ響かせる。
「北西の廃坑までは道が保ってる! 荷物より、動けねぇ奴を優先しろ!」
配下の鬼達が列の左右へ立ち、住民を誘導している。
ヤマメは天井や壁へ糸を張り、崩れかけた岩盤を支えていた。
キスメは高い位置から前方を確認し、危険があれば身振りで知らせる。
パルスィは橋の近くへ流れ込んだ溶岩を見張り、流路が変わる度にこちらへ伝えていた。
誰も、今すぐ空のところへ行きたいとは口にしない。
口にすれば、足がそちらへ向くことを知っているからだ。
『姐さん! 南の通りはもう駄目だ!』
「分かった! 東へ回せ!」
返事をしながら、燃えかけた家屋を片手で押し倒す。
倒れた壁が溶岩の流れを僅かに変え、避難路へ届くまでの時間を稼いだ。
住人が逃げるには足りる。
街を守るには足りない。
だが、今守るべきものを違えてはならない。
『空は……』
ヤマメが言い掛ける。
「今は住民が先だ」
同じ言葉を、自分へも言い聞かせた。
ヤマメは頷く。
地霊殿で空がどうしているのか。
無事に避難出来るのか。
気にならないはずがない。
あの馬鹿は、巨釜が暴れれば自分だけで何とかしようとする。
一度失った身体を取り戻しても、根の部分までは簡単に変わらない。
今すぐ地霊殿へ向かえば、止められるかもしれない。
しかし、ここを離れれば多くの者が逃げ遅れる。
それを空が望まないことも、私達には分かっていた。
残る者には、残る者の仕事がある。
見送りたくない相手を追えないまま、別の命を逃がす。
それもまた、空が守ろうとしているものを引き受けることだった。
「次の列を出せ! 止まるな!」
迷いを声へ変え、旧都の道へ叩き付けた。
◆
地霊殿を飛び出し、巨釜へ続く道を走った。
後ろから誰かが呼ぶ声が聞こえる。
振り返らない。
さとり様へ報告するべきだった。
独断で動くなと、何度も命じられた。
分かっている。
それでも今は、戻って説明している時間がない。
お空さんは既に巨釜へ向かっている。
それだけは、理由もなく確信していた。
「お空さん……!」
足元が揺れる。
岩盤の亀裂から炎が噴き出す。
横へ跳び、頬を掠める熱を避けた。
巨釜へ近づくほど、空気が重くなる。
熱だけではない。
怨霊の声。
釜の底へ溜まった思念が、地の底を擦るように響いている。
怒り。
苦しみ。
形を失っても消えなかった声が、火と共に通路へ溢れていた。
制御室へ通じる古い階段が見える。
半分は崩れている。
残った足場を飛び越えながら下りた。
「誰かいる……?」
制御室の方角から、金属が砕ける音がする。
扉は外れかけ、熱で赤く染まっていた。
その向こうに一人の人影がある。
「クレスタさん……!?」
片腕を失ったクレスタさんが、制御盤へしがみ付いていた。
残った手で弁を回し、鳥脚を隠していた靴と衣服を脱ぎ捨て、剥き出しの爪で別の把手を押さえている。
翼の羽は、ところどころ焼け落ちていた。
白かった顔も煤と血で汚れ、以前の美しさは見る影もない。
それでもクレスタさんは、今の自分の姿など気にも留めていないようだった。
以前、彼女の過去を僅かに聞いたことがある。
残飯と泥に塗れ、他者から醜いと蔑まれ、顔を隠して生きていた頃があったのだと。
お空さんと出会ってから得た清潔な衣服も、整えられた髪も、今は何の意味もないと言わんばかりだった。
以前の姿へ戻ったのではない。
守りたい一人のため、再び何を失っても構わない顔をしていた。
『遅いですわ』
クレスタさんは、制御盤から目を離さずに言った。
「どうして此処に……」
『貴女を待っていたわけではありません』
圧力計の針が上がる。
クレスタさんは鳥脚の爪へ力を込め、閉じかけた弁を押し戻した。
『巨釜へ流れ込む経路を、一時的に固定しています』
「そんな身体で……」
『ワタクシの身体を心配する暇があるのなら、火口へ行きなさい』
息を呑む。
クレスタさんの言葉が示す先は一つしかない。
「お空さんが、そこに?」
クレスタさんの顔が、一瞬だけ歪んだ。
怒りのようにも、悲しみのようにも見えた。
アタシへ向けた感情ではない。
止められなかった自分自身と、止まるつもりのないお空さんへ向けたものだった。
『ええ』
短く答える。
『お姉様は既に、火口へ向かわれました』
「止めなかったんですか?!」
『止められるとでも?』
言葉を失った。
クレスタさんは、お空さんを誰よりも慕っている。
以前なら、アタシを押し退けてでもお空さんの傍へ行こうとした。
その彼女が、お空さんを火口へ向かわせた。
『ワタクシには、お姉様の御意思を覆す権利などありません』
「でも、このままじゃ……!」
『分かっています!』
叫びと同時に、管が一本破裂した。
噴き出した炎をクレスタさんが翼で受け、アタシへ届かないようにする。
残った羽が燃えた。
焦げた匂いが広がる。
クレスタさんは一度顔を歪めただけで、弁から脚を離さなかった。
『分かっているから、此処にいるのです』
声が震えていた。
強がりでは隠し切れないものが、燃える音の隙間から聞こえた。
『お姉様が火口へ辿り着くまで。貴女があの方と話すまで。この経路を保たせる必要がある』
「クレスタさん……」
『勘違いなさらないで』
クレスタさんがアタシを見る。
以前のような剥き出しの敵意は、その目に浮かんでいなかった。
許してくれたわけではない。
憎しみが消えたわけでもない。
ただ今は、それより優先すべきものを選んでいるように見えた。
『ワタクシは今も、貴女を許していません』
「はい」
『お姉様が貴女を選んだことも、納得などしていない』
「……はい」
否定する資格はない。
クレスタさんが失った時間も、アタシへ向けてきた憎しみも、簡単な謝罪で消せるものではなかった。
『ですが』
制御盤が大きく揺れた。
クレスタさんは残った腕と両脚で、崩れかけた装置へしがみ付く。
『あの方が最後に話したい相手は、ワタクシではない』
胸が締め付けられた。
最後という言葉を認めたくない。
それでも、クレスタさんは既に認めた上で、アタシへ道を残している。
『火口へ行きなさい』
彼女は、もうアタシを見なかった。
『お姉様を……
初めて、敬称を付けずにお空さんの名を呼んだ。
お姉様という関係だけでなく、一人の空を託したのだと分かった。
唇を噛む。
「必ず、戻ってきて下さい」
『約束は致しかねます』
「それでも!」
クレスタさんは僅かに笑った。
煤に汚れた顔。
昔の自分へ戻ったような姿で。
けれど、その笑みは過去の惨めさへ屈した者のものではなかった。
『早くお行きなさい。猫の足は速いのでしょう』
深く頭を下げ、制御室の奥へ走った。
背後で、また何かが崩れる音がした。
振り返らなかった。
振り返れば、クレスタさんのところへ戻ってしまう。
今は、託されたものを果たす。
お空さんへ追い付き、何故一人で決めたのかを問い掛ける。
答えを聞いた後でも、止める。
共に帰る道が残っていないと言われても、探す。
それだけを考えた。
地球にぶつかる隕石が迫っていたとして、それを体当たりで砕き、皆を守ろうとする人。
それを分かっていて、見送る人たち。
観客としてはどういう結末になるか分かっているだけに、その過程はあまり重要視されない。
でも彼らに葛藤が無かったはずがない。
本当はもっと一緒に生きていたかったはずだ。
そう思い始めると、見慣れた映画ですら涙があふれてくる。