オリジナル展開、オリジナルキャラの要素を多分に含みます。
新しいことを始めるには、終わらせないといけない。
しかしその別れは、悲しみだけに満ちたものではない。
希望だってほんのちょっと混じっているのだ。
(著:とあるテクガクシャ)
名前ってのは、命を縛るものなんだってさ。
形のない妖怪に姿を与えて、曖昧だった存在を、たった一つの個にする。
でも、あたいは思うんだ。
名前は命を縛るだけじゃない。
たとえ姿が変わっても、記憶を失っても、離れ離れになった命を
もう一度繋いでくれることがあるんじゃないかって。
呼び掛けた声に応えてくれる何かが残っているなら、きっとその名前は
魂の一番深いところまで届いている。
どうしてそんなことを知っているのかって?
それはね。
これから話すのが、あたい自身の昔話だからさ。
◆
黒い卵が地霊殿へ帰ってきてから、数日が過ぎた。
あたいは、卵の傍を離れようとしなかった。
仕事へ向かう時は、さとり様かこいし様へ預けた。
戻れば真っ先に卵の様子を確かめる。
眠る時も同じ部屋だった。
お空さんが以前使っていた大きな寝台の隣へ、卵を置くための籠を用意した。
中には柔らかな布と、熱を保つための石を敷いている。
卵の殻へ耳を当てても、声は聞こえない。
けれど、手を置けば小さな脈動が返る。
それだけで、ここに命があることを確かめられた。
必要な温度が分からないため、最初は相当に苦労した。
『地獄烏なんだから、熱い方が良いんじゃない?』
こいし様の意見で、焦熱地獄の石を大量に置いた。
暫くすると、黒い殻の表面が赤くなり始めた。
慌てて半分を撤去する。
『冷えたら困るでしょう』
さとり様が毛布を何枚も掛けた。
今度は内部の妖力が弱くなったように感じた。
毛布を全部取り払い、一枚だけ籠の下へ敷き直す。
『いっそ釜の近くへ置けば宜しいのでは』
クレスタさんの提案は、全員一致で却下された。
「もう釜には近づけません」
『冗談ですわ』
「顔が本気でした」
『気のせいでしょう』
---
クレスタさんは正式に地霊殿の所属となっていた。
再生した腕は、以前と変わらず動く。
顔と翼には、巨釜で負った火傷の痕が残っている。
治療すれば、さらに薄くすることも出来た。
けれど、本人が拒んだ。
『この醜さは、ワタクシ自身のものです』
以前なら、決して口にしなかった言葉だった。
クレスタさんが残そうとしたのは、焼けた顔や翼そのものではない。
お空さんだけを求め、他の相手を拒み、自分の怒りを正しいものだと思い込んだ心を
美しい言葉で覆い直さないための傷だった。
さとり様も、それ以上の治療を強いなかった。
あたいとクレスタさんの関係も、以前とは違っていた。
必要な会話だけ。
必要な協力だけ。
親しいとは言えない。
許されたとも思っていない。
それでも同じ地霊殿に属し、同じ仕事を支える仲間にはなりつつあった。
---
『温度は、今のままで安定しているようですわ』
クレスタさんが卵へ手を翳す。
『火勢に反応しています。やはり、もう少し釜へ』
「近づけません」
『最後まで聞いて下さいな』
卵を抱え直した。
意見は意見として聞く。
けれど、危険だと思えばはっきり断る。
それも、お空さんから学んだことだった。
クレスタさんは不満そうに翼を動かした後、自分で作った温度記録へ新しい数値を書き加えた。
口では釜を勧めても、卵へ危険がないよう一番細かく調べているのは彼女だった。
◆
「ねえ、お空さん」
毎日、卵へ話し掛けた。
返事がないからこそ、話すことは幾らでもあった。
「今日は主釜の第三弁を直したんだ。クレスタさんが手伝ってくれたよ」
返事はない。
「旧都の復興も進んでる。勇儀さんが、家を三軒まとめて持ち上げたら全部壊れたって」
卵の内側で、微かな脈動がした。
「今、笑った?」
都合のよい解釈だと分かっている。
それでも嬉しかった。
卵の中へ思考の形はまだないと、さとり様は言った。
けれど、声や温度まで届かないとは言われていない。
ならば、いつか生まれる命が何も覚えていなくても、呼ばれていた感触だけは残るかもしれない。
「あたいね、まだ上手く出来ないことが多いんだ」
卵の表面を撫でる。
「お空さんみたいに強くないし、皆から頼られると困ることもある」
以前なら、弱音を聞かせまいとしただろう。
今は、出来ないことまで隠さず話した。
育てる相手へ必要なのは、何でも出来る者の姿ではない。
失敗した後でどう戻るかを、一緒に考える相手なのだと思うようになった。
「でも、今度はあたいが守るから。
お空さんが一人前になるまで。たとえ何年掛かっても」
殻へ額を寄せる。
「決して一人にはしない」
卵が、腕の中で一度だけ脈打った。
◆
卵を旧都へ連れていった時、最初にその気配へ気付いたのはキスメさんだった。
卵を厚い布で包み、荷車へ載せていた。
揺らさないよう、普段の半分ほどの速さで街を進む。
周囲の者は、荷車へ何が載っているのか知っていた。
それでも誰も急に近づこうとはしなかった。
希望へ手を伸ばして、違っていた時に傷つくことを恐れているようだった。
『お燐! 待ってたよ!』
ヤマメさんが手を振って近づいてくる。
その隣にキスメさん。
少し離れた場所には、パルスィさんと勇儀さんもいた。
「皆に、見せたいものがあって」
『空の卵だろ? 古明地から話は聞いてるよ』
ヤマメさんの声は明るい。
しかし、荷車へ近づく足取りは慎重だった。
布を外そうとした時。
キスメさんが、桶ごと前へ飛び出した。
「キスメさん?」
卵を覆う布へ、小さな手を当てる。
まだ中身は見えていない。
それでもキスメさんには分かったらしい。
目を大きく開き、あたいを見上げた。
「分かるんですか?」
キスメさんは何度も頷く。
布を取り払う。
黒い卵が現れた。
キスメさんは桶から身を乗り出し、卵へ優しく抱き着いた。
小さな両腕では、半分も回らない。
それでも頬を寄せ、何度も殻を撫でる。
『……
滅多に声を発さないキスメさんが、名を呼んだ。
ヤマメさんの顔から、作っていた笑みが消える。
『本当に、あいつなんだね』
「あたいも、そう思います」
卵が一度、脈打った。
キスメさんの呼び掛けへ応じるように。
『おかえり』
ヤマメさんが、卵へ手を置いた。
『遅いんだよ、馬鹿烏』
声が僅かに震えている。
パルスィさんは何も言わず、その横から殻を撫でた。
『生まれる前から妬ましいわね。皆に囲まれて』
勇儀さんは、少し離れた場所に立っていた。
近づこうとしない。
あたいに、勇儀さんの心を読むことは出来ない。
けれど、その顔には迷いが見えた。
触れれば、本当に空だと認めることになる。
また失う可能性まで、同時に受け入れることになる。
「勇儀さん」
呼ぶと、僅かに肩が動いた。
「触ってあげて下さい」
『私がか?』
「お空さんの親友でしょう」
勇儀さんは暫く黙っていた。
やがて卵の前へ膝を付き、大きな掌を殻へ添える。
『今度は、酒の飲み方を最初から教えてやる』
脈動が返った。
『返事だけは良いじゃねぇか』
勇儀さんは笑った。
目元に浮かんだものへは、誰も触れなかった。
--
『ところで』
少し離れた位置から、クレスタさんの声がした。
全員が振り返る。
いつから付いて来ていたのだろう。
身なりを整えたクレスタさんが、卵へ向かって歩いてくる。
『孵化する前から声を聞かせておけば、最初に認識する可能性が上がるのではありませんか』
言っていること自体は、間違っていないように聞こえる。
けれど、表情が妙に真剣だった。
『でしたら、ワタクシが常に御側で──』
クレスタさんの身体へ、無数の糸が巻き付いた。
『な、何をしますの?!』
『刷り込みを狙ってんじゃないよ』
ヤマメさんが指を動かす。
糸に引かれ、クレスタさんの身体が宙吊りになった。
『誤解ですわ! ワタクシは純粋にお姉様の成長を!』
『生まれる前から、お姉様呼びする気満々じゃないか!』
『離しなさい、この下賤な蜘蛛!』
『反省が足りないようだねぇ!』
卵の前で、二人の言い争いが始まる。
止めようとしたら、その前に卵が小さく震えた。
驚いたのかもしれない。
それでも、その細かな揺れは笑っているように見えた。
「もう……」
あたいも笑った。
静かな場所へ帰ってきたのではない。
怒鳴り声も、泣き声も、笑い声もある。
そんな騒がしい場所へ帰ってきたのだと、卵の中のお空さんへ教えるように。
◆
卵に最初の亀裂が入ったのは、旧都から戻った翌朝だった。
「さとり様!」
声が地霊殿へ響いた。
「卵が! お空さんが!」
部屋へ駆け込んできたさとり様が、寝台の上に置かれた卵を見る。
殻の上部へ、細い線が走っている。
内側から、小さな音がした。
何かが殻を押している。
『こいしを呼んでくるわ』
「待って下さい。目を離すのが怖いです!」
『では、ワタクシが呼んで参ります』
廊下から、クレスタさんの声がした。
『貴女は入らないで』
『さとり様?!』
『刷り込みを狙わないと約束出来る?』
『出来ますわ!』
返答が少し早過ぎた。
結局、クレスタさんは扉の外で待つことになった。
こいし様が到着する頃には、亀裂が卵全体へ広がっていた。
『頑張れー!』
包帯の取れた両手を振り、こいし様が応援する。
どこから出したのか鮮やかな手旗を持っている。
『お姉ちゃんも応援して』
『静かに見守りなさい』
『頑張れー!!』
さとり様も、止めるのを諦めたらしい。
あたいは卵の真正面へ座り、両手を組んで見守った。
「大丈夫。ゆっくりでいいから」
卵の中で、何度も聞いていたはずの声で呼び掛ける。
殻が一つ、外へ落ちた。
中から、黒い羽毛が覗く。
続いて、小さな手。
以前のお空さんとは比べものにならないほど幼い身体。
長い黒髪は濡れ、肌へ張り付いている。
幼い地獄烏は、残った殻を押し退けながら外へ這い出した。
『生まれた……』
こいし様が囁いた。
さとり様は慎重に手を伸ばし、幼いお空さんの身体を抱き上げた。
『大丈夫。怖くないわ』
小さいお空さんは、さとり様の顔を見た。
目を丸くする。
初めて見るものへ向ける、純粋な反応。
さとり様が微笑み掛けても、首を傾げるだけだった。
『私が分かる?』
返事はない。
第三の目を不思議そうに見つめ、指を伸ばそうとする。
さとり様の表情が、ほんの一瞬だけ寂しそうに見えた。
待ち続けた相手が戻っても、以前と同じようには自分を見ない。
それでも、直ぐにいつもの顔へ戻った。
『初めまして、で良いのかしらね』
そう言って、幼いお空さんを抱き直す。
あたいは、少し離れた位置から動けずにいた。
生まれた。
お空さんが帰ってきた。
けれど、以前の記憶はない。
さとり様のことも分からない。
なら、あたいのことも分からないのではないか。
毎日、卵へ話し掛けた。
何度も名を呼んだ。
それでも、あたいの都合のよい期待に過ぎなかったのかもしれない。
胸の奥へ不安が広がる。
『お燐』
さとり様が呼んだ。
『来て』
ゆっくり近づき、幼いお空さんへ顔を見せた。
「お空さん……」
声が震える。
お空さんは、あたいを見た。
じっと顔を見つめる。
さとり様の時と同じように、分からないという顔をするのではないか。
息を止めた。
次の瞬間。
幼い顔が、大きくほころんだ。
『おりん!』
確かな声だった。
幼い左手と右手を伸ばし、あたいへ向かって身を乗り出す。
「……え?」
『おりん!』
もう一度、名を呼んだ。
目を見開いたまま、お空さんを受け取る。
小さい。
以前なら、反対にあたいが抱き上げられていた。
今は両腕の中へ、すっぽり収まっている。
「覚えて……」
何を覚えているのかは分からない。
名前だけなのか。
声なのか。
卵の中で聞いていたのか。
あるいは、もっと深い場所に残っていたのか。
昔のお空さんの記憶が戻った証とは限らない。
それでも、そんなことは今はどうでもよかった。
「お空さん……!」
涙が溢れた。
お空さんを抱いたまま、泣きながら笑う。
「おかえりなさい……お空さん」
幼いお空さんは、あたいの涙へ手を伸ばした。
指先で触れ、不思議そうに眺める。
『おりん』
また、嬉しそうに名を呼んだ。
「あたいは、ここにいます」
お空さんを抱き締める。
「今度は、あたいがずっと一緒にいますから」
あの日。
炎の中から、お空さんがあたいを拾ったように。
今度はあたいが、炎から帰ってきたお空さんを腕に抱いた。
お空さんが、あたいを一人にしなかったように。
あたいもまた、この幼い地獄烏を決して一人にはしない。
扉の外で、クレスタさんが静かにたたずんでいる。
こいし様は笑っている。
さとり様は、第三の目を穏やかに伏せた。
地霊殿の窓の向こう。
焦熱地獄の火が静かに揺れていた。
かつてのように荒れ狂うこともなく、二人の再会を見守るように。
◆
とまあ、これがあたいの知っている、遠い昔の物語さ。
地底の大妖怪と恐れられた、一羽の地獄烏。
炎と共に生まれた、一匹の火車。
お空は、あたいを拾って名前をくれた。
言葉を教えて、仕事を教えて、家族ってものを教えてくれた。
それから一度、何もかもを失った。
身体も。
記憶も。
それまで積み重ねた役目も。
最後には、自分の命まで火へ変えた。
そして今度は、あたいがお空を拾った。
昔のお空が覚えていたことを、今のお空が覚えていなくても構わない。
あたいが覚えているからね。
出会った日のことも。
喧嘩したことも。
一緒に笑ったことも。
最後に託された言葉も。
全部、あたいが覚えている。
記憶は、一人だけが持っていなければならないものじゃない。
忘れた方へ、覚えている方が渡せばよい。
昔と同じ形で戻らなくても、これから新しいものを一緒に増やせばいい。
だから今度は、あたいが教えてあげるんだ。
お空が、あたいにしてくれたように。
この地底のことを。
地霊殿のことを。
あたい達が家族だったってことを。
もっとも、全部を昔と同じにするつもりはない。
昔のお空が好きだったものを、今のお空が嫌うこともある。
以前なら出来たことが、今は出来ないこともある。
今のお空だけが好きになるものも、これから沢山増えていく。
昔を教えることと、昔へ戻すことは違う。
それを理解するまで、あたいも随分失敗した。
そうして、いつか。
あの子がもう一度、自分の足で歩けるようになる日まで。
いや、その後もずっと。
あたいは決して、お空を一人にはしない。
『おりん!』
ほら。
廊下の向こうから声がする。
まだ上手く言えない言葉が多いのに、あたいの名前だけは何度でも迷わず呼ぶ。
あたいの大切な妹が呼んでる。
昔は姉で、親代わりで、友達だった。
そして今は、あたいが守るべき小さな地獄烏。
けれど、守る側と守られる側は、きっと一度決まったら変わらないものじゃない。
あたいが弱れば、いつかまた、お空に支えてもらう日も来るだろう。
家族ってのは、そうやって何度も役目を交換するものなのかもしれない。
『おりんー!』
呼ぶ声が大きくなった。
そろそろ待ち切れなくなったらしい。
「はいはい。今行きますよ」
話はここまで。
続きはまた、いつかね。
あたいは立ち上がり、声のする方へ歩き出した。
その先には、まだ誰も知らない今のお空の物語が続いている。
2019年… 第7話の投稿で一度は更新が途絶えたこの作品ですが
こうして最終話まで投稿することができました。
始めは12話くらいで終わるかと思いましたが、オリキャラであるクレスタが
思いのほか話を膨らませてくれたので、より深みが増した気がします。
「お空が昔、実はすごい大妖怪だったら」というテーマで始めましたが
気づけば燐を中心とした昼ドラみたいなものになってしまいました…
あまり冗長にならないように気を付けたため結末までが早かったようにも思います。
なのでこれからは追加エピソードを外伝や短編として上げていきます。
拙作にまたしばしお付き合い頂ければ幸いです。