からすとこねこ   作:ビーグル

21 / 23
この作品は、東方Projectの二次創作です。
オリジナル展開、オリジナルキャラの要素を多分に含みます。


<前解説>
巨釜騒動が落ち着き、お空がいなくなった後
騒動の時に、お燐を火口へ行かせるために時間稼ぎをしたクレスタの
その後を描いたエピソードです



追加エピソード
外伝 「醜翼」


 

 

 醜いものは、人目から隠したくなる。

 

 汚れた顔。

 傷ついた身体。

 焼け落ちた羽。

 

 けれど、本当に隠したいものほど、外からはよく見えない。

 

 羨望。

 執着。

 身勝手な怒り。

 

 誰かに愛されたいと願いながら、拒まれる前に、こちらから相手を拒んでしまう心。

 それらを認めることは、醜い姿を晒すよりも、ずっと難しい。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 薬の匂いがする。

 

 随分と昔にも、同じような匂いを嗅いだことがあった。

 地上でニンゲン達に追われ、幻想郷へ迷い込み、同じ鳥の妖怪からさえ忌み嫌われた頃。

 翼を傷つけられ、森の洞穴で身動きも出来ずにいた時だ。

 

 あの時は、誰も助けに来なかった。

 傷口へ泥を塗り、腐った肉を喰らい、自分の身体が治るまで独りで耐えた。

 

 今も同じだ。

 目を開けたところで、傍にいる者など誰もいない。

 

 

『目が覚めたか』

 

 

 低い声が聞こえた。

 僅かに瞼を持ち上げる。

 

 視界が霞んでいる。

 三つの目。

 大きな身体。

 寝台の脇に立つ入道。

 

 三つ目入道の診療所。

 見覚えのある天井だった。

 

 

『動くな。まだ縫合したばかりだ』

 

 

 言われるまでもない。

 身体に力が入らない。

 

 違和感を感じる右腕を動かそうとすると、感覚があった。

 以前、自ら切り落とした腕とは違う。

 治療によって再生されているらしい。

 

 左腕。

 こちらにも感覚がある。

 巨釜の制御室で、弁を押さえ続けていた腕。

 

 鳥脚も。

 翼も。

 身体は残っている。

 

 ワタクシは、生きている。

 胸へ浮かんだのは安堵ではなかった。

 

 何故という疑問だけだった。

 

 

「……お姉様は」

 

 

 喉が焼けていた。

 掠れた声しか出ない。

 三つ目入道は、直ぐには答えなかったが、その沈黙で分かった。

 

 

「お姉様は、何処に」

『クレスタ』

「何処にいらっしゃるのですか」

 

 

 入道は三つの目を伏せた。

 

 

『霊烏路空は、巨釜(おおがま)へ入った』

 

 

 知っている。

 

 あの時、燐を火口へ向かわせたのは、ワタクシだ。

 お姉様を任せると告げた。

 それでも、結果までは知らない。

 知らないままであれば、戻った可能性を残せた。

 

 

「それで」

『巨釜は沈静化した』

「お姉様は」

『戻っていない』

 

 

 言葉の意味を理解したくなかった。

 

 

「捜索は」

『行われた』

「ならば、未だ」

『妖力の痕跡も、身体も見つからなかった』

 

 

 天井を見つめる。

 古い板に描かれた、巨大な目の紋様。

 視線が合う。

 何も言わない目。

 

 

『巨釜の底で、妖力そのものを燃やし尽くしたと考えられている』

「……そうですか」

 

 

 自分でも驚くほど平らな声だった。

 三つ目入道は、それ以上何も言わなかった。

 

 薬の確認を済ませ、部屋を出ていく。

 扉が閉じる。

 今度こそ、誰もいなくなった。

 

 

「そう……ですか」

 

 

 もう一度、口にする。

 涙は出なかった。

 

 悲しくないわけではない。

 心の奥が大きく抉られ、そこへ冷たい空気が流れ込んでいる。

 けれど、泣き方が分からなかった。

 

 泣けば、お姉様の死を受け入れることになる。

 泣かなければ、まだ何も決まっていない振りが出来る。

 どちらも選べず、身体だけが寝台へ残されていた。

 

 お姉様は死んだ。

 ワタクシは生きている。

 

 

「何故……」

 

 

 誰へ向けた問い掛けなのか。

 

 何故、ワタクシを置いて行ったのか。

 何故、最後に選んだのが燐だったのか。

 何故、ワタクシはお姉様と共に行かなかったのか。

 何故、あの場で死ねなかったのか。

 

 何故。

 何故。

 何故。

 

 答えはない。

 

 お姉様がいないのなら、ワタクシが生き残った意味もない。

 お姉様の助手。

 それだけが、ワタクシの居場所だった。

 

 お姉様に拾われ、お姉様に仕事を教わり、お姉様に必要とされることで、ようやく存在することを許された。

 そのお姉様は、もういない。

 ならばワタクシは、また以前と同じだ。

 

 泥と汚物に塗れ、誰からも必要とされず、何処にも居場所のない醜い鳥。

 焼けた頬も、欠けた羽も、昔の姿へ戻った証のように思えた。

 本当に戻ったのは姿ではない。

 

 一人になることを恐れながら、先にすべてを拒絶しようとする心だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 クレスタさんが目を覚ましたと聞き、旧都へ向かった。

 

 手には、小さな籠を提げている。

 中には水と、柔らかく煮た穀物。

 地霊殿の厨房に残っていた材料で、さとり様と一緒に用意した。

 見舞いの品として適切なのかは分からない。

 

 クレスタさんが喜ぶとも思えなかった。

 それでも、何も持たずに行くことは出来なかった。

 

 三つ目入道の診療所は、以前より静かになっていた。

 巨釜事件直後は廊下にまで患者が溢れていたが、多くは既に自宅や仮設住居へ戻っている。

 

 

『あのハーピーなら奥だ』

 

 

 受付にいた助手が、あたいの目的を察して教えた。

 

 

『目は覚めてるが、殆ど喋らん。食事にも手を付けてない』

「分かりました」

 

 

 籠を抱え直し、廊下の奥へ進んだ。

 

 扉の前で足を止める。

 以前、クレスタさんに襲われた時のことを思い出した。

 

 鋭い爪。

 喉元へ向けられた殺意。

 貴女さえ来なければ。

 お姉様を返せ。

 

 その声は、まだ耳に残っている。

 怖くないわけではない。

 けれど今は、逃げるために来たのではない。

 

 

「クレスタさん。入ります」

 

 

 返事はない。

 

 扉を開ける。

 寝台の上に、クレスタさんが横たわっていた。

 再生した腕には包帯が巻かれている。

 顔の左側と翼には、巨釜で負った火傷が残っていた。

 

 以前の整った姿とは違う。

 焼け焦げた羽。

 赤黒く変色した頬。

 

 けれど本人は、顔を隠そうともしていなかった。

 窓の方を向いたまま、あたいへ視線すら向けない。

 

 

「具合はどうですか」

『お帰り下さい』

 

 

 直ぐに返事があった。

 

 

「食事を持ってきました」

『必要ありません』

「水だけでも」

『聞こえませんでしたか』

 

 

 クレスタさんが、ゆっくりとあたいへ顔を向けた。

 片方の目は腫れ、以前のような鋭さはない。

 それでも、敵意だけは残っていた。

 

 

『貴女の顔など見たくありません。出て行って』

 

 

 扉を閉めた。

 

 部屋の外へではない。

 中へ入り、逃げ道を塞ぐように。

 

 

『何の真似です』

「話があります」

『ワタクシにはありません』

「それでも聞いて下さい」

『嫌です』

「困りましたね」

 

 

 寝台脇の椅子へ座った。

 

 

『出て行きなさい』

「話が終わったら出ます」

『貴女は…!』

 

 

 クレスタさんの声が強くなる。

 直後、傷へ響いたのか顔を歪めた。

 立ち上がりかける。

 けれど手を貸せば、余計に拒絶される。

 

 

「釜のことです」

 

 

 クレスタさんの動きが止まった。

 

 

「主釜は安定しています。でも、第三弁と第二排熱路の調子が良くありません」

『それが何です』

「クレスタさんの力が必要です」

『お断りします』

 

 

 予想どおりの答えだった。

 

 

『ワタクシには、もう関係ありません』

「あります」

『ありません』

「お空さんが守った釜です」

 

 

 クレスタさんの指が、布団を掴んだ。

 

 

『その名前を、ワタクシの前で出さないで』

「出します」

 

 

 逃げなかった。

 

 

「お空さんが守った地霊殿です。お空さんが守った旧都です。

 あたい(・・・)達が、これから守らないといけない場所です」

 

『あたい達?』

 

 

 クレスタさんが、嘲るように笑った。

 

 

『随分と都合の良い言葉を使うのですね』

「都合が良くても構いません」

『貴女は、ワタクシに何を求めているの』

「一緒に釜を守って下さい」

『嫌です』

「クレスタさんにしか分からない箇所が、まだ沢山あります」

『貴女が覚えれば良いでしょう。お姉様から全てを奪った貴女なら』

 

 

 胸が痛んだ。

 それでも俯かなかった。

 

 

『ワタクシは貴女を許したわけではありません』

「知っています」

『これからも許すつもりはない』

「それでもいいです」

 

 

 クレスタさんが眉を寄せた。

 

 

『許してほしくて来たのではないと?』

「はい」

 

 

 はっきり答えた。

 

 

「許してもらうために来たんじゃありません」

『では何のために』

「お空さんから託されたものを、守るためです」

 

 

 火口の縁で、後は頼むと言われた。

 皆を。

 地霊殿を。

 

 声へ出されなかったものまで含め、託されたと受け取っている。

 

 

「お空さんは、あたい一人に何もかも出来ると思っていたんでしょうけど」

 

 

 ほんの少しだけ、声を緩めた。

 

 

「あのヒトは、他人を過大評価する癖がありますから」

 

 

 クレスタさんの口元が僅かに動いた。

 笑い掛けたのか。

 怒り掛けたのか。

 あたいには分からなかった。

 

 

「あたい一人じゃ無理です」

 

 

 それを認めることは、以前のあたいには難しかった。

 自分だけで何とかしようとして、お空さんを取り返しのつかない状態へ追い込んだ。

 だから今度は、言葉にする。

 

 

「助けて下さい」

 

 

 クレスタさんは目を伏せた。

 

 

『……嫌です』

 

 

 先ほどより弱い声だった。

 

 

「そうですか」

 

 

 立ち上がった。

 持ってきていた籠を椅子の上へ置く。

 

 

「今日は帰ります」

『二度と来ないで』

「それは約束出来ません」

『何故』

「明日も来ますから」

 

 

 クレスタさんが顔を上げる。

 

 

「明日も断られたら、その次の日も来ます」

『迷惑です』

「知っています」

『厚かましい猫ね』

「ヤマメさんから色々教わりました」

 

 

 クレスタさんは、心底嫌そうな顔をした。

 一礼し、扉へ向かう。

 

 

「食事は、置いていきます」

『要らないと』

「食べるか捨てるかは、クレスタさんが決めて下さい」

 

 

 この日はそのまま部屋を出た。

 

 

 

--

 

 

 

 宣言通りに翌日も訪ねた。

 

 

「今日は、主釜の記録を持ってきました」

『帰って』

「ここへ置きますね」

 

 

 

--

 

 

 

 その次の日も。

 

 

「第三弁を分解してみたんですが、内部の部品が一つ欠けていました」

『帰りなさい』

「代用品で直せると思いますか」

『知りません』

 

 

 

--

 

 

 

 さらに次の日も。

 

 

「クレスタさんが前に書いた記録で、分からない箇所があって」

『……本当にしつこいですわね』

「褒め言葉として受け取ります」

『褒めていません』

 

 

 クレスタさんは、毎日あたいを追い返し続けた。

 あたいも毎日、短い時間だけ訪れた。

 

 許しを求めない。

 自分の罪を語らない。

 お空さんの思い出を押し付けることもしない。

 

 ただ、釜の状態を話し、分からないことを訊ね、食事と水を置いて帰る。

 クレスタさんは答えなかった。

 けれど、記録には目を通してくれているようだった。

 

 食事も、翌日にはなくなっていた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 診療所へ来ると、病室の前にお燐が立っていた。

 今日も記録帳と小さな籠を抱えている。

 

 

『さとり様?』

「お燐。今日は私が話します」

 

 

 一瞬迷った後、お燐は頷いた。

 

 

『分かりました』

 

 

 持ってきた記録帳を受け取る。

 病室の扉が閉じる直前、お燐は中へ声を掛けた。

 

 

『また明日来ます』

『来なくていいですわ』

 

 

 返事は、いつもどおりだったようで

 お燐は少しだけ笑い、廊下を去った。

 足音が遠ざかるのを待ってから、口を開く。

 

 

「あの子は、本当に毎日来るのね」

『貴女が止めて下されば宜しいでしょう』

「止める理由がないもの」

『ワタクシが迷惑しています』

「そう」

 

 

 椅子へ座り、お燐から預かった記録帳を寝台脇へ置く。

 

 

「三つ目入道から、退院してよいと言われたそうね」

『ええ』

「それで、これからどうするつもり?」

 

 

 クレスタは答えなかった。

 

 

「地霊殿へ戻る?」

『……戻る理由がありません』

「では、何処か別の場所へ行く?」

『それもワタクシの自由でしょう』

「ええ」

 

 

 簡単に認める。

 クレスタの眉が動いた。

 

 

『止めないのですか』

「何故?」

『ワタクシは釜の構造を知っています。燐さん一人では扱い切れない箇所も多い』

「そうね」

『ならば…』

「それでも、止めないわ」

 

 

 第三の目へ流れ込む心を見つめる。

 

 苛立ち。

 困惑。

 そして、捨てられることへの恐怖。

 

 引き留めてほしい。

 必要だと言ってほしい。

 しかし自分から戻りたいとは言えない。

 

 拒まれる前に、相手が命令した形へしてしまいたい。

 

 

「地霊殿へ戻るか。何処かへ去るか。それは貴女が決めなさい」

『家主である貴女が決めることでは?』

「以前の貴女なら、そうだったかもしれない」

 

 

 お空の助手。

 お空が連れてきた居候。

 お空の信頼を理由に、地霊殿へ置かれていた者。

 

 

「でも今度は、貴女自身が選ばなければならない」

 

 

 クレスタは目を逸らした。

 

 

『ワタクシが地霊殿へ戻ったところで、喜ぶ者などいません』

「お燐は毎日来ているわ」

『必要だからです。ワタクシの技術が』

「ええ。必要としている」

『同じことですわ』

「違うわ」

 

 

 静かに言った。

 

 

「技術だけが必要なら、記録を奪って貴女を追い出せばいい」

 

 

 クレスタが私を見る。

 

 

「お燐は、貴女に一緒に守ってほしいと言ったのでしょう」

 

 

 クレスタは答えなかった。

 けれど心の中では、あの日の言葉が何度も繰り返されている。

 

 ─ 助けて下さい

 

 許してほしいのではない。

 一緒に釜を守ってほしい。

 

 

『ワタクシは、あの猫を殺そうとした』

「知っているわ」

『お姉様が命を懸けて守った相手を』

「ええ」

『地霊殿へ戻る資格などない』

「資格を決めるのは貴女ではない」

 

 

 言い切った。

 

 

「あそこは私の屋敷よ」

 

 

 少しだけ胸を張る。

 

 

「貴女を入れるかどうかは、私が決めます」

『では、戻れと命令なされば良いでしょう』

「嫌よ」

 

 

 クレスタが目を見開いた。

 

 

「命令されなければ戻れない者を、従者には出来ない」

『従者……?』

「戻るなら、今度は居候ではありません」

 

 

 記録帳へ手を置く。

 

 

「お空の助手としてでもない」

 

 

 お空はもういない。

 その言葉を、互いに口にはしなかった。

 

 

「自分の意思で地霊殿へ戻り、私の従者となりなさい」

『随分と勝手な条件ですこと』

「選ばない自由も与えているわ」

 

 

 立ち上がる。

 

 

「何処かで一人で暮らすのもいい。昔のように」

 

 

 クレスタの顔が強張った。

 そこから先は、言葉にならない記憶と感情が流れ込んできた。

 

 暗い森。

 冷たい洞穴。

 誰も近づかない。

 誰も声を掛けない。

 

 先に拒絶すれば、拒絶されても傷つかない。

 他者を見下し、敵意を向け、一人でいることを自ら望んだように振る舞う。

 

 けれど本当は違った。

 独りが得意だったわけではない。

 大勢から嫌われ続けたため、誰かと共にいる方法が分からなくなっただけ。

 

 お空に拾われた時。

 地霊殿へ連れて来られた時。

 同じ食卓へ座り、同じ制御室で働いた時。

 初めて、独りでなくてよいことを知った。

 

 その居場所を失う恐怖が、お空への思いを歪な執着へ変えた。

 お燐を憎み、私を罵り、お空以外の全てを拒絶した。

 そうすれば、お空だけは自分を選んでくれると思った。

 

 結果は違った。

 

 

『ワタクシは……』

 

 

 声が途切れる。

 私は待った。

 心を読めても、答えを代わりに言うことはしなかった。

 

 

『一つ、お訊ねしても?』

「どうぞ」

『何故、ワタクシを受け入れるのです』

 

 

 少し考える。

 

 

「お空が連れてきたから」

 

 

 クレスタの顔が歪む。

 

 

「というのは、半分」

『……半分』

「もう半分は、貴女が戻りたいと思っているからよ」

 

 

 クレスタの思考が止まった。

 

 

『戻りたいとは、申しておりません』

「心ではずっと言っているわ」

『勝手に読まないで』

「無茶を言わないの」

 

 

 扉へ向かった。

 

 

「明日、退院するのでしょう」

 

 

 扉へ手を掛ける。

 

 

「地霊殿へ戻るなら、夕食までにいらっしゃい」

『行かなければ』

「貴女の部屋は片付けます」

『まだ残していたのですか』

「お燐が、勝手に片付けるなと言うから」

 

 

 クレスタは目を伏せた。

 

 

『……あの猫は、本当に余計なことばかり』

「同感よ」

『家主でしょう。止めなさい』

「言って止まるなら苦労してないわ」

 

 

 部屋を出た。

 

 選ぶ期限は示した。

 今度は、クレスタ自身が答えを出す番だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 再び一人になった。

 しかし、以前とは違う。

 

 明日がある。

 夕食までという期限がある。

 

 帰るか。

 去るか。

 

 ワタクシが選ばなければならない。

 

 

 

---

 

 

 

 

 退院の日。

 診療所の前で、長い時間立ち尽くしていた。

 

 翼には火傷の痕が残っている。

 顔にも赤黒い傷が走っていた。

 三つ目入道は、更なる治療を申し出た。

 

 

『時間は掛かるが、もう少し薄く出来るぞ』

「このままで結構です」

『以前は、随分と顔を気にしていたそうだが』

「ええ」

 

 

 焼けた頬へ手を触れる。

 

 

「だからこそ、このままにします」

 

 

 ワタクシの醜さは、顔や羽にあるのではない。

 それを忘れたくなかった。

 傷痕を罰として残すのではない。

 自分の心にあった執着と怒りを、再び美しい言葉で覆い隠さないためだった。

 

 同時に。

 今後、誰かから醜いと言われても、その言葉に自分の価値を委ねないためでもあった。

 

 

『そうか』

 

 

 三つ目入道は、それ以上勧めなかった。

 

 

--

 

 

 診療所を出る。

 

 右へ行けば、地霊殿。

 左へ行けば、旧都の外。

 どちらへ進んでも自由だった。

 

 足が動かない。

 

 地霊殿へ戻れば、燐がいる。

 許していない相手。

 ヤマメも来る。

 パルスィも。

 

 相変わらずワタクシを嫌う人魂達もいる。

 さとりは心を勝手に読む。

 こいしは部屋へ勝手に入る。

 動物達は騒がしい。

 お姉様はいない。

 

 以前と同じ場所ではない。

 

 

「それでも……」

 

 

 地霊殿を守るため、お姉様は命を使った。

 そこからワタクシが逃げれば、今度こそ本当に、お姉様の助手だっただけで終わる。

 お姉様がいなければ何者でもない自分へ戻る。

 

 それだけは、嫌だった。

 

 

「ワタクシが決める」

 

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 

 

「ワタクシが、戻ると決める」

 

 

 右の道へ歩き出した。

 

 

 

 

 

--

 

 

 

 

 

 地霊殿へ着いた頃には、夕食の鐘が鳴り始めていた。

 

 扉の前で、また足が止まる。

 ノックをするべきか。

 以前はワタクシの住処だった。

 けれど、今は違う。

 

 迷っているうちに、内側から扉が開いた。

 

 

『遅いですよ』

 

 

 燐が立っていた。

 

 

「……何故、此処に」

『迎えに来たんです』

「来る保証はなかったでしょう」

『来ると思ってましたから』

「根拠は」

『毎日の食事、全部食べてたでしょう』

 

 

 黙り込んだ。

 見られていないと思っていたことまで、戻る理由へ数えられている。

 

 燐は道を開けた。

 

 

『おかえりなさい、クレスタさん』

「……まだ、決まったわけでは」

『決まっています』

 

 

 廊下の奥から、さとりが現れた。

 

 

『貴女がここまで来た時点で、答えは出ているわ』

 

 

 さとりを見る。

 燐を見る。

 その向こうには、何匹もの動物達がいる。

 

 警戒する者。

 様子を窺う者。

 それでも、追い払おうとする者はいない。

 

 

「古明地さとり様」

 

 

 姿勢を正した。

 以前、お姉様へ向けていたように。

 けれど今度は、誰かの真似ではない。

 

 自分自身の意思で、片膝をつく。

 

 

「お願いがございます」

『聞きましょう』

「ワタクシを、地霊殿の従者としてお加え下さい」

 

 

 さとりの第三の目が、ワタクシを見つめた。

 その表情からは、何を読んだのか分からない。

 けれど、ワタクシの心に嘘はない。

 

 お姉様のためだけではない。

 燐を許したからでもない。

 ここで生きることを、自分で選んだ。

 

 

『許可します』

 

 

 さとりは静かに答えた。

 

 

『今日から貴女は、お空の助手ではなく、地霊殿の従者です』

「……畏まりました」

 

 

 頭を下げる。

 胸の奥に、大きな穴は残っている。

 お姉様を失った穴。

 それが埋まることはない。

 燐への感情も、簡単には変わらない。

 

 それでも。

 一人ではない場所へ、自分の意思で戻ってきた。

 

 

『それじゃ、晩ご飯にしましょう』

 

 

 燐が言った。

 

 

『今日は玉ねぎ抜きカレーです』

「……何故、ワタクシまで猫向けの献立に付き合わされるのです」

『同じ家で食べるんですから、我慢して下さい』

「別の料理を用意すれば済む話でしょう」

『厨房がまだ直ってないんです』

「では、仕方ありませんわね」

 

 

 いつものような会話。

 以前とは違う関係。

 

 燐が食堂へ向かう。

 ワタクシも、その後へ続いた。

 

 

『クレスタ』

 

 

 さとりに呼び止められる。

 

 

『おかえりなさい』

 

 

 振り返らなかった。

 

 焼けた翼が、僅かに震える。

 隠したいとは思わなかった。

 

 傷も。

 その言葉を待っていた心も。

 

 

「……ただいま戻りました」

 

 

 それだけを返し、今度こそ自分の居場所へ歩き出した。

 

 




追加エピソードスタート!

なんだかんだでアレコレとネタを拾いまくったため
本編よりも話数が多くなりそうですが...
色んな視点で何不自由なく書けるのは嬉しいです
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。