からすとこねこ   作:ビーグル

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この作品は、東方Projectの二次創作です。
オリジナル展開、オリジナルキャラの要素を多分に含みます。


<前解説>
お燐が拾われるよりも前
地底でのお空の日常エピソード


前日譚 「居場所」

 独りでいることと

 孤独であることは、同じではない。

 

 他者を必要とせず

 己の力だけで生きていける者であっても。

 

 帰る場所があり

 名を呼ぶ者がいて

 時折、顔を見せろと酒席へ引きずり込む友がいるならば。

 

 それを孤独と呼ぶ者は、きっといない。

 

 もっとも。

 

 当の本人が、そのことへ気付いているかは

 また別の話である。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 地霊殿の朝は、羽音と共に始まる。

 少なくとも、古明地さとり(わたし)にとってはそうだった。

 

 決められた鐘が三度鳴る少し前。

 赤黒い廊下の奥から、規則正しい足音が近づいてくる。

 

 以前は飛んで来ていた。

 その度に絨毯へ黒い羽根が散らばり、窓辺で眠っていた小動物たちが驚いて逃げた。

 二十七回ほど注意した結果

 お空はようやく、朝だけは廊下を歩くようになった。

 

 朝だけは。

 

 

『さとり様。お目覚めでしょうか』

 

 

 扉の向こうから、抑揚の少ない声が聞こえた。

 既に起きていることも、部屋の中で書類を読んでいることも、お空には分からない。

 

 さとりの心を読めるわけではないのだから、当然である。

 

 

「入っていいわ」

 

 

 扉が静かに開く。

 一度、扉ごと壁から外したことがあるせいか

 お空は開閉の時だけ妙に慎重だった。

 

 

『おはようございます』

「おはよう、お空」

 

 

 大きな身体が室内へ入ってくる。

 

 長い黒髪。

 背中に畳まれた巨翼。

 

 朝の巡回を終えたばかりなのだろう。

 肩には岩の粉が付着し、右頬には細い煤の跡が引かれていた。

 

 

「顔が汚れているわよ」

『申し訳ありません。直ちに洗い流して参ります』

「別に怒ってないわ」

 

 

 お空は一礼し、その場へ留まった。

 

 主から出された言葉が、指示なのか単なる指摘なのか。

 この烏は時々、必要以上に深く考える。

 そのくせ、考えなくてよいところでは驚くほど考えない。

 

 

「朝の巡回はどうだった?」

『異常ありません。第三排熱路の温度が僅かに上がっておりましたが、許容範囲内です。

 念のため第一弁を開き、熱を逃がしてあります』

「そう。ご苦労様」

『勿体なきお言葉』

 

 

 お空が深々と頭を下げる。

 相変わらず、堅い。

 

 拾った当初よりは幾分ましになったが

 主人と従者という関係を、本人が必要以上に重く捉えている。

 自分は拾われた身だから。

 居場所を与えられたのだから。

 

 その恩へ報いることが、此処にいる条件なのだと考えている。

 何度否定しても、根本の部分は変わらなかった。

 

 

「お空」

『はい』

「頭を下げ過ぎよ」

『しかし──』

「私が話しにくいから、顔を上げなさい」

『畏まりました』

 

 

 顔を上げる。

 命令にすれば素直に従う。

 少し卑怯な気もするが、この子にはこれが一番早い。

 

 

「今日は制御室の定期点検だったわね」

『はい。クレスタと共に、昼前より取り掛かる予定です』

「無理はしないように」

『そのような事態にはなりません』

 

 

 即答だった。

 無理をするなと言われて「しません」と答える者ほど、実際には無理をする。

 しかもお空の場合、本人が無理だと認識する基準がおかしい。

 

 骨が折れても動ければ軽傷。

 翼が焼けても片方が残れば飛行可能。

 意識を失っても、目が覚めれば問題なし。

 

 主人として、頭の痛い従者だった。

 

 

「夕方には戻りなさい。今日は皆で食事にするから」

『皆、とは』

「こいしが帰ってくるわ。多分」

 

 

 最後の二文字は、どうしても弱くなった。

 昨日も帰ると言っていた。

 その前の日も、夕食までにはいると言っていた。

 

 どちらも来なかった。

 

 

『でしたら、こいし様がお戻りになるまでお待ちします』

「待っていたら明日になるでしょう」

『では、明日まで』

「待たなくていいの」

 

 

 お空は本気で言っている。

 こいしのためなら、食事を翌日まで延期することに何の疑問も抱かない。

 

 

「時間になったら食べます。こいしの分は残しておけばいいわ」

『承知しました』

「それと、顔を洗ってきなさい」

『はっ』

 

 

 一礼し、お空が退室する。

 扉を閉める直前、一度だけこちらを見た。

 

 

『さとり様』

「何?」

『本日も、良い一日を』

 

 

 そう言って扉を閉めた。

 

 毎朝、同じ言葉を残していく。

 誰に教わったのかは知らない。

 

 暫く閉じた扉を見つめた後

 誰もいないことを確認し、僅かに頬を緩めた。

 

 

「……貴女もね」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 焦熱地獄の制御室では

 巨大な地獄烏と、一羽のハーピーが無言で計器を見つめていた。

 

 互いに声を掛けない。

 仲が悪いからではない。

 仕事中の私語を、空があまり好まないだけである。

 クレスタも空の方針へ従い、必要な報告だけを口にする。

 

 少なくとも表面上は。

 

 

『第二圧力弁、異常ありません』

「第三は」

『確認中ですわ』

 

 

 クレスタは眼鏡を押し上げ、記録帳へ数値を書き込んだ。

 

 人の腕に似た両腕。

 鳥の脚を覆い隠す長い衣服。

 整えられた羽。

 

 以前の自分からは想像も出来ない姿だった。

 

 残飯を漁り

 泥と汚物へ塗れ

 同じ鳥の妖怪からさえ蔑まれた頃。

 

 その自分を地の底から拾い上げたのが、空だった。

 

 

 ──随分と酷い姿だな。

 

 

 初めて掛けられた言葉は、決して優しいものではなかった。

 だが、嫌悪もなかった。

 空は汚れたクレスタへ躊躇なく手を差し出し

 此処で働く意思があるなら来い、と告げた。

 

 それだけだった。

 

 憐れみも。

 過去を尋ねることも。

 同情の言葉もなかった。

 

 クレスタには、それが有り難かった。

 

 

「クレスタ」

 

 

『はい、お姉様』

「数値が違う」

 

 

 記録帳を覗き込まれる。

 

 

『……失礼致しました』

「疲れているのか?」

『いいえ。少し考え事を』

「仕事中は、目の前の釜を優先しろ」

『肝に銘じます』

 

「昼までに終わるか」

『このまま問題がなければ』

「なら、終わった後で食事にしよう」

 

 

 クレスタの羽が僅かに持ち上がった。

 

 

『お誘い頂けるのですか』

「働いた者が共に食事をするのは、普通だろう」

『……はい』

 

 

 空にとっては、それだけだった。

 クレスタにとっては違った。

 仕事仲間として認められた。

 自分と同じ席へ座ることを許された。

 

 その意味を、必要以上に大きく受け取った。

 

 

「どうした」

『何でもありませんわ』

「なら、第三弁を見てくれ」

『畏まりました』

 

 

 穏やかに微笑み、作業へ戻る。

 

 その笑みの意味へ

 空が気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 定期点検を終え、二人が制御室を出たところで

 廊下の向こうから赤と青の火が飛んできた。

 

 

『カシラぁ!』

『大変だァ!』

 

 

 ヒダマとカゼダマである。

 普段から騒がしい二匹だが、今日は火勢が一際強い。

 

 

「何があった」

『鬼だ!』

『鬼が来たぞォ!』

 

 

 空の表情が変わった。

 

 

「数は」

『いっぱい!』

「具体的に言え」

『いち、に、さん……いっぱい!』

「役に立たんな」

 

 

 翼を広げる。

 

 

「クレスタ。さとり様へ報告を」

『お姉様は』

「私が行く」

『でしたら、ワタクシも』

「駄目だ」

 

 

 即座に拒否された。

 

 

「相手が敵とは限らない。多数で向かえば、こちらが戦う意思を示すことになる」

『しかし』

「命令だ。さとり様を頼む」

 

 

 それ以上の反論を許さず

 空は翼をはためかせた。

 

 

『カシラ、廊下で飛ぶとアネさんに怒られるぞ!』

「今は緊急時だ!」

『羽、拾っとくからナァ!』

「頼んだ!」

 

 

 黒い風が、廊下の奥へ消えた。

 クレスタは暫く、その背中が消えた方向を見ていた。

 

 

『命令、ですか』

 

 

 拒絶ではない。

 自分を信頼し、さとりを任せた。

 そう理解するために、何度も心の中で言い聞かせる。

 

 

『おい、メガネの姉ちゃん』

『報告しなくていいのかぃ』

 

 

 クレスタは二匹を睨んだ。

 

 

『分かっています』

 

 

 そのまま地霊殿へ向かう。

 

 

『やっぱ怖ぇな、あの姉ちゃん』

『カシラ、何で気付かねぇんだろな』

 

 

 赤と青の火だけが、その場へ残された。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 旧地獄街の外れ。

 

 空が到着すると、岩山の前に鬼たちが集まっていた。

 数は十を超えている。

 

 その中心には、周りより少しだけ小柄な鬼。

 額の紅い一本角。

 片手には大きな盃。

 

 

『遅かったな、空』

 

 

 星熊勇儀が笑っていた。

 

 

「何の真似だ」

 

 

 空は地面へ降り立ち、翼を広げたまま訊いた。

 いつでも戦える姿勢。

 

 鬼たちは、その妖力を感じて僅かに身構える。

 勇儀だけは楽しそうだった。

 

 

『何の真似って、引っ越しの手伝いだ』

「引っ越し?」

『ああ』

 

 

 勇儀が親指で、背後の岩山を示した。

 よく見ると、岩山の中腹に蜘蛛の巣が見える。

 

 

『ヤマメの寝床を、こっちへ移そうと思ってな』

 

 

 岩陰から、黒谷ヤマメが顔を出した。

 

 

『私は今の場所でいいって言ったんだけどさ』

「それで、何故鬼がこれだけ集まる」

『岩を動かすには人数が要るだろ』

「地底へ攻め込んできたのかと思った」

『攻める時は、もっと連れてくる』

「そうか」

 

 

 納得しかけてから、空は眉を寄せた。

 

 

「それを私へ言うな」

『冗談だよ』

 

 

 勇儀が豪快に笑う。

 空は翼を畳んだ。

 戦う必要はないらしい。

 

 

『せっかく来たんだ。手伝ってけよ』

「断る。仕事が終わったところだ」

『力仕事なら、お前が適任だろ』

「鬼が十人もいる」

『十人で動かなかったから呼んだんだ』

 

 

 空は岩山を見上げた。

 

 中腹で、巨大な岩が別の岩へ挟まっている。

 あれを動かさなければ、ヤマメの望む場所へ通路を作れないらしい。

 

 

『無理ならいいぞ』

 

 

 勇儀が言った。

 空の眉が僅かに動く。

 

 

「誰に言っている」

『お前にだ』

「下がっていろ」

 

 

 拳を握る。

 

 

『単純だねぇ

 煽る方も、乗る方も』

 

 

 ヤマメが呆れた声を出した。

 岩陰に置かれた桶の中から、キスメが静かに頷いた。

 

 さらに少し離れた橋の上。

 水橋パルスィが、つまらなそうに頬杖をついている。

 

 

『仲が良くて妬ましいわ』

『どこがだい』

『言われた瞬間、仕事帰りなのを忘れてるじゃない』

 

 

 空は聞いていなかった。

 岩の前に立ち、両脚を開く。

 

 

「ふんっ!」

 

 

 拳が岩へ突き刺さった。

 地面が揺れる。

 

 巨大な岩が中程から砕け、左右へ転がり落ちた。

 鬼たちが歓声を上げる。

 

 

『相変わらず滅茶苦茶だな!』

 

 

 勇儀は嬉しそうに空の背を叩いた。

 空の巨体が半歩だけ前へ動く。

 

 

「痛い」

『これくらいで痛がるなよ』

「加減を覚えろ」

『お前にだけは言われたくない』

 

 

 空は砕けた岩を見た。

 

 通路は開いた。

 けれど周囲に細かな岩が散らばり、以前より足場が悪くなっている。

 

 

「これで良いのか」

 

 

 ヤマメは自分の新しい寝床になる場所を眺めた。

 

 

『まぁ……掃除すれば』

「なら帰る」

『待ちなよ』

 

 

 ヤマメがおの翼を掴んだ。

 

 

『手伝ってもらった礼くらいさせておくれ』

「必要ない」

『こっちの気が済まないんだよ』

 

 

 勇儀が空の反対側へ回る。

 

 

『丁度、酒もある』

「私は食事の約束がある」

『誰と』

「さとり様と、こいし様。クレスタもだ」

『なら、それまで少しだけ』

「断る」

『一杯だけ』

「お前の一杯は桶だろう」

『今日は小さい盃にする』

「信用出来ん」

 

 

 両側から引かれる。

 空は動かない。

 勇儀とヤマメも諦めない。

 

 キスメは桶の中から三人を眺め、静かに笑っていた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 結局、空は一杯だけ付き合うことになった。

 

 勇儀が用意した盃は、確かに普段より小さかった。

 空の頭ほどの大きさである。

 

 

「何処が小さい」

『いつもの半分だぞ』

「比較対象がおかしい」

 

 

 文句を言いながらも、受け取る。

 酒を一口。

 空は少しだけ顔を顰めた。

 

 

『相変わらず弱いな』

「弱くない」

『顔が赤いぞ』

「火の近くにいたからだ」

『ここは火口から離れてるけど』

「夕焼けだ」

『地底に夕焼けはないよ』

 

 

 ヤマメの指摘へ、空は黙った。

 

 

『無理に飲ませるんじゃないわよ』

 

 

 パルスィが橋から降りてくる。

 

 

『倒れたら、地霊殿まで誰が運ぶの』

『私が運ぶ』

 

 

 勇儀が胸を叩く。

 

 

『途中で面倒になって置いてくるでしょう』

『置いてかねぇよ』

『前に酔い潰れた鬼を道端へ積んでたじゃない』

『あれは家が分からなかったからだ』

『本人に聞けばいいでしょう』

『寝てた』

 

 

 パルスィは溜息を吐いた。

 

 空は二口目の酒を飲む。

 少しずつ、肩の力が抜けていく。

 

 

『なあ、空』

 

 

 ヤマメが隣へ座った。

 

 

『古明地の所は、居心地良いかい』

「何故訊く」

『何となくさ』

 

 

 空は盃の中身を見た。

 

 居心地。

 その意味を考える。

 

 

「仕事がある」

『うん』

「さとり様がいる」

『うん』

「こいし様も、時々いる」

『時々なんだ』

「クレスタもいる。動物たちも多い」

 

『それで?』

「それだけだ」

 

 

 ヤマメは笑った。

 

 

『そりゃ、居心地良いってことだよ』

「そうなのか」

『嫌なら、そんなに並べないさ』

 

 

 空は少し考えた。

 

 地霊殿へ来る前。

 力を試す相手を探し、地底の至る所を歩き回っていた頃。

 

 何処で眠ろうと気にならなかった。

 腹が減れば、適当なものを食べた。

 誰かと約束をすることもなかった。

 

 今は違う。

 

 決まった仕事がある。

 戻る時間がある。

 帰りが遅ければ、さとりが心配する。

 クレスタも制御室で待つ。

 こいしは、帰ると言いながら帰らない。

 勇儀やヤマメたちは、時々こうして酒へ誘う。

 

 

「なるほど」

 

 

 空は頷いた。

 

 

「私は、居心地が良いらしい」

『自分のことだろ』

「今、分かった」

 

 

 勇儀が笑い出す。

 

 

『お前、強いくせに妙なところで鈍いよな!』

「強さと関係あるのか」

『ないね』

 

 

 ヤマメも笑った。

 キスメも桶の中で肩を揺らしている。

 パルスィだけが、少し離れた所で杯を傾けていた。

 

 

『帰る場所も、待ってる奴も、飲みに誘う友達もいる』

 

 

 パルスィが呟く。

 

 

『本当に、妬ましい』

 

 

 空はその言葉を聞いた。

 

 

「パルスィにも、いるだろう」

『何が』

「待っている者と、友達」

 

 

 勇儀。

 ヤマメ。

 キスメ。

 

 空自身も含めているのかもしれない。

 

 パルスィは空を睨んだ。

 

 

『分かったような口を利かないで』

「違ったか」

『……本当に妬ましいわね』

 

 

 今度の言葉は、少しだけ柔らかかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 地霊殿の夕食には、空だけが遅れて現れた。

 こうなるだろうとは予想がついていたけど。

 

 

『申し訳ありません!』

 

 

 食堂へ入るなり、床へ片膝をつく。

 衝撃で床にひびが入る。

 今日掃除したばかりの動物たちが遠くで悲鳴を上げていた。

 

 

「遅かったわね」

 

 

 席に着いたまま、お空を見た。

 こちらへ届く前から酒の匂いがする。

 

 

『帰路にて勇儀たちと遭遇し、岩の撤去を手伝った後、一杯だけ酒を──』

「全部見えているから、説明しなくていいわ」

 

 

 お空の思考には、先ほどの出来事がそのまま浮かんでいる。

 

 巨大な岩を砕いたこと。

 勇儀に酒を勧められたこと。

 ヤマメへ、地霊殿は居心地が良いと教えられたこと。

 

 そして。

 遅れてしまったせいで、私に見捨てられるのではないかという不安。

 

 

「お空」

『はい』

「立ちなさい」

 

 

 お空は立ち上がった。

 それでも不安は消えていない。

 

 

「食事が冷めるわ。早く座って」

『……宜しいのですか』

「何が?」

『遅刻に対する罰は』

「明日の廊下掃除」

『畏まりました』

 

 

 お空の表情が明るくなる。

 罰を受けることに安心している。

 何とも面倒な性格である。

 

 

『お空、こっち!』

 

 

 こいしが隣の椅子を叩いた。

 今日は珍しく、宣言どおり夕食へ来ている。

 

 

『お空が来るまで待ってたんだよ』

『申し訳ありません、こいし様』

『お腹空いたから、お空の分ちょっと食べた』

 

 

 お空の皿を見る。

 肉が半分ほど消えている。

 一応は止めたのだが、目を離したすきにやられたのだ。

 

 

『……構いません』

 

 

 僅かな間があった。

 

 

『お空、泣いてる?』

『泣いておりません』

「心の中では泣いてるわ」

『さとり様?!』

『お空、泣かないで。人参あげる』

 

 

 こいしが自分の皿から人参を移す。

 お空は肉と人参を見比べた。

 

 

『……有難く頂戴します』

 

 

 忠誠心で悲しみを押し殺した。

 クレスタは向かいの席から、そのやり取りを静かに眺めている。

 

 

『お姉様。宜しければ、ワタクシの肉を』

『いや、クレスタが食べろ。今日働いたのはお前も同じだ』

『ですが』

『命令だ』

『畏まりました』

 

 

 表面上は従順である。

 しかしその心の中では、こいしの皿に残る肉を凝視していた。

 憎悪と嫌悪で胸やけしそう。

 

 

「ところで、お空」

『はい』

「先ほど、地霊殿は居心地が良いと話していたわね」

 

 

 お空の手が止まる。

 

 

『……御覧になったのですか』

「見たというより、貴女が今も考えているのよ」

『出過ぎた考えでしたでしょうか』

「どうして?」

『従者が、主の居城を自らの居場所と考えるなど』

 

 

 相変わらずである。

 一度、深く息を吸った。

 

 

「お空」

『はい』

「地霊殿は私の屋敷です」

『はい』

「そして、ここで暮らす者全員の家でもある」

 

 

 お空が顔を上げた。

 

 

「貴女も含めてね」

 

 

 お空は何も言わなかった。

 言葉を探している。

 うまく見つけられず、何度も口を開きかけては閉じる。

 

 

『……有難うございます』

 

 

 ようやく出た言葉は、それだけだった。

 

 

「どういたしまして」

『お空、顔真っ赤』

 

 

 こいしが笑う。

 

 

『酒のせいです』

「照れてるからよ」

『さとり様まで……』

 

 

 クレスタが微笑み、動物たちも食卓の周りで楽しそうに鳴いた。

 お空は困ったように眉を下げた。

 

 それでも、最後には笑った。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 食事の後。

 空は一人で廊下を歩いていた。

 

 朝は飛ばない。

 夜も、なるべく飛ばない。

 さとりに注意されたからだ。

 

 途中、窓から焦熱地獄の炎が見えた。

 明日も、あの火を管理する。

 

 クレスタと働き。

 さとりへ報告し。

 こいしが帰れば、共に食事をする。

 

 時々、勇儀やヤマメたちに呼ばれる。

 同じ日々。

 それを退屈だと思ったことはなかった。

 

 

「居場所、か」

 

 

 誰にも聞こえない声で呟いた。

 

 地霊殿。

 旧地獄街。

 焦熱地獄の制御室。

 

 何処か一つではない。

 自分を待つ者がいる場所。

 名を呼ぶ者がいる場所。

 

 それならば、自分には随分と多くの居場所があるらしい。

 

 窓辺に、一枚の黒い羽根が落ちた。

 空はそれを拾い上げる。

 

 捨てに行こうとして、少し考えた。

 

 

『羽、拾っとくからナァ!』

 

 

 昼間のカゼダマの声を思い出す。

 明日、掃除をする時にまとめて拾えばいい。

 そう考え、羽根を窓辺へ戻した。

 

 直後、廊下の奥からさとりの声が聞こえた。

 

 

『お空。落とした羽根は自分で拾いなさい』

「……畏まりました」

 

 

 第三の目からは逃れられない。

 空は羽根を拾い、懐へ入れた。

 

 今日も大きな異変はなかった。

 

 釜は静かで。

 友人たちは騒がしく。

 家には待つ者がいた。

 

 火焔猫燐という名を持つ一匹の子猫が

 まだ、この地の何処にもいなかった頃。

 

 霊烏路空は既に

 多くの者に囲まれて生きていた。




追加エピソードを作っていくたびに
本編での性格と少しずつ変わっていく感じがあるのはあるあるです。

一番振れ幅が少ないのは、多分さとり様だと思います。
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