からすとこねこ   作:ビーグル

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この作品は、東方Projectの二次創作です。
オリジナル展開、オリジナルキャラの要素を多分に含みます。


<前解説>
幼い空が、新しくぬいぐるみをもらう話


短編 「黒猫」

 

 覚えていることと、もう一度同じものを選ぶことは違う。

 失われた記憶が、同じ形へ手を伸ばさせるとは限らない。

 

 懐かしいからではなく。

 以前から知っていたからでもなく。

 

 今、目の前にあるものへ触れ。

 今の心で、傍に置きたいと願う。

 

 たとえ選んだものが同じでも、それは過去を繰り返したことにはならない。

 以前の誰かから受け継いだのではなく、新しく生まれた者が自分で見つけた大切なものになる。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 お空さんが卵から生まれて、まだそれほど日が経っていない頃。

 地霊殿の一室で、あたいはお空さんの髪を梳いていた。

 

 お空さんはあたいの膝へ座り、黒い翼を小さく畳んでいる。

 まだ自分の身体の幅をよく分かっていない。

 翼の先が椅子へ挟まりそうになれば、あたいが直す。

 髪も、寝ている間に翼の下へ入れてしまうため、朝になるとあちこち絡まっていた。

 

 以前のお空さんも、髪の手入れを面倒がった。

 けれど、今この膝にいる子が髪を絡ませる理由は違う。

 

 過去と似たものを見つけるたび、同じだと思いたくなる気持ちは、今もあたいの中に残っている。

 だからこそ、その違いを一つずつ見なければならなかった。

 

 

「痛かったら教えて下さいね」

『いたい?』

「今は痛くありませんか」

『ない』

「そうですか」

 

 

 櫛をゆっくり通す。

 お空さんは、あたいの言葉を口の中で確かめるように繰り返しながら、足を小さく揺らしていた。

 

 言葉を覚える途中では、問いと答えの境目も曖昧だ。

 それでも、痛くないことを自分の言葉で伝えられた。

 櫛を持つ手から、僅かに力が抜ける。

 

 その騒動の種は、お構いなしに部屋の扉を勢いよく開けた。

 

 

『お空ー! 新しいお友達を連れてきたよ!』

 

 

 扉が壁へぶつかる音に、お空さんの翼が跳ねた。

 あたいは咄嗟に肩へ腕を回す。

 

 入口には、大きな籠を抱えたこいし様が立っていた。

 

 

「こいし様。扉は静かに開けて下さい」

『静かに開けたよ』

「今の何処がですか」

『壊れてないから大丈夫』

 

 

 誰かによく似た理屈だった。

 同じ台詞を今のお空さんが覚えないよう、聞かなかったことにしたい。

 しかし本人は、既にこいし様の方を見ている。

 

 

『こわれてない』

「覚えなくてよい言葉から覚えますねぇ」

 

 

 こいし様は気にせず籠を床へ置いた。

 中身を一つずつ取り出していく。

 

 

『じゃーん!』

 

 

 白い兎。

 茶色い熊。

 黄色い鳥。

 丸い何か。

 最後に、黒猫。

 

 全部、こいし様の手作りだった。

 縫い目は少し歪んでいる。

 左右の目の高さも揃っていない。

 

 綿の詰め方にも偏りがあり、兎は片方へ傾き、熊は妙に胸だけが厚い。

 それでも、以前作ったものより丁寧になっていた。

 

 作り直す間、こいし様が何を考えていたのか。

 あたいには読めない。

 訊けば、何となくと答えるかもしれない。

 けれど、黒猫だけではなく他の皆まで作り直したこと自体が、失われたものを一匹だけ戻すのが嫌だったのだと思わせた。

 

 

「また作ったんですか」

『前のは、巨釜(おおがま)でなくなっちゃったでしょう?』

 

 

 こいし様は、言葉を選ばなかった。

 あたいの胸の奥で、火口へ落ちていく背中と、小さな黒い塊が重なる。

 

 以前の黒猫は、お空さんと共に巨釜へ落ちた。

 沈静化した後も、見つからなかった。

 燃えたのか。

 お空さんの妖力と共に消えたのか。

 確かめるものは何も残っていない。

 

 

『だから新しくしたの。黒猫だけだと寂しいから、皆ももう一回作ったんだよ』

「皆?」

『ぬいぐるみの皆』

 

 

 こいし様は、ぬいぐるみを床へ一列に並べた。

 お空さんはあたいの膝の上から、それらを見つめている。

 

 懐かしむ様子はない。

 黒猫だけへ注意を向けることもない。

 全部が、初めて見るものだった。

 

 その反応へ安堵したのか、寂しさを覚えたのか、自分でも分からない。

 記憶が戻ってほしいと願う気持ちはある。

 けれど、過去を思い出した証として、目の前の子を観察するのは違う。

 

 

『お空。好きなのを選んでいいよ』

 

 

 こいし様が白い兎を持ち上げる。

 

 

『これは兎。お耳が長いの』

 

 

 お空さんは兎を見た。

 反応はない。

 次に、茶色い熊。

 

 

『これは熊。強いよ』

『つよい?』

『お空より強いかも』

「余計な対抗心を植え付けないで下さい」

 

 

 お空さんは熊へ手を伸ばした。

 こいし様の顔が輝く。

 しかし、お空さんが掴んだのは熊の耳だった。

 そのまま口へ運ぼうとする。

 手首を支え、口へ入る前に止める。

 

 

「食べ物じゃありませんよ」

『お空、ぬいぐるみだよ』

『ぬい……?』

『お友達。抱っこしたり、一緒に寝たりするの』

 

 

 お空さんは熊を見つめた。

 抱き締めるでもなく、床へ置く。

 知らないものへ、友達という役目だけを説明されても、直ぐには分からないのだろう。

 

 こいし様は気を取り直し、黄色い鳥を渡した。

 

 

『お空と同じ鳥!』

 

 

 お空さんは鳥の翼を引っ張った。

 糸が軋む。

 

 

『あっ、優しく! 取れちゃう!』

 

 

 こいし様が慌てて回収する。

 さすがに時間をかけた力作が無残に散らされるのは、閉じた瞳にも焦りをもたらすらしい。

 珍しい体験をしてしまった。

 

 

『これは、まだ早かったかな』

「先ほどから、ぬいぐるみの方が遊ばれていますね」

『遊び方を知らないだけだよ』

 

 

 こいし様は、お空さんの隣へ座った。

 丸い何かを自分の胸へ抱いてみせる。

 

 

『こうやって、ぎゅってするの』

 

 

 お空さんは、こいし様を見た。

 次に、あたいを見上げる。

 おもむろに広げた両手を見て、次に何を言うかが分かった。

 

 

『だっこ』

「はい」

 

 

 すぐに腕を回し、抱き締める。

 お空さんは満足そうに、あたいの胸へ頬を寄せた。

 

 

『違う違う! お燐じゃなくて、ぬいぐるみを!』

「お空さんは、自分が抱っこしてほしいそうです」

『おりん、だっこ』

 

 

 お空さんが念を押すので、こちらもしっかりと抱き上げる。

 まるでぬいぐるみが負けたように感じたのだろう。

 こいし様は分かりやすく頬を膨らませた。

 

 

『これじゃ、ぬいぐるみの意味がないよ』

「無理に選ばせなくてもよいでしょう」

『絶対どれか好きになるもん』

 

 

 自由な地底のクリエイターは、まだ諦める様子はなかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 ぬいぐるみ選びは、それから暫く続いた。

 

 兎は耳を持たれた。

 熊は、また噛まれそうになった。

 鳥は投げられた。

 丸い何かは枕にされた。

 

 選ばせるというより、こいし様が思い描いた遊び方と、お空さんの実際の反応を一つずつ確かめる場になっている。

 それでもこいし様は、何かしらの好意を読み取ろうとしていた。

 

 

『枕にするなら、気に入ったってことかな』

 

 

 期待を込めて言う。

 

 お空さんは丸い何かの上へ頭を乗せたまま、あたいの袖を掴んでいた。

 瞼が半分閉じている。

 

 

「単に眠いだけでは」

『そんなことないよ。きっと、この子が一番なんだ』

 

 

 こいし様が丸い何かを持ち上げる。

 支えを失ったお空さんの頭が、床へ落ちた。

 やや鈍い音が響く。

 

 

『うにゅっ』

「こいし様!」

『ごめん』

 

 

 お空さんを抱き上げ、後頭部へ手を添える。

 腫れも傷もない。

 驚きの方が大きかったらしく、泣くより先にあたいへしがみ付いた。

 腕の中で強張る小さな身体を撫でる。

 

 無礼だと思いつつも、あたいはこいし様へ抗議の目を向けた。

 本人も反省したらしく、丸い何かを両手で抱えたまま動かない。

 

 

「もう、今日は終わりにしましょう」

『まだ黒猫を渡してない』

 

 

 その言葉へ、あたいの手が僅かに止まった。

 

 最後の一匹。

 黒い布。

 二本の尾。

 赤い糸で縫われた不揃いな目。

 

 隔離されていた頃のお空さんが、理由も分からないまま抱き続けていたものを、出来るだけ同じ形へ作り直したらしい。

 似せたのは形だけではない。

 右の耳が少し低いことも、片方の尾が短いことも、以前のものに近い。

 

 こいし様は記憶を頼りに縫ったのだろう。

 そう思うと、簡単に渡してよいのか迷った。

 もし、お空さんが黒猫だけを選べば。

 それを過去の記憶が残っていた証だと思いたくなる。

 

 選ばなければ、以前のお空さんとの違いへ寂しさを覚えるかもしれない。

 どちらであっても、それはあたい達の都合だった。

 選ぶ前から意味を背負わせれば、お空さん自身の選択が見えなくなる。

 

 

『ほら、お空』

 

 

 こいし様が黒猫を差し出す。

 お空さんは、あたいの胸元へ顔を寄せたまま黒猫を見た。

 

 知らないものを見る目だった。

 手も伸ばさない。

 

 

『これ、猫だよ』

 

 

 こいし様が二本の尾を揺らす。

 

 

『お燐と同じ』

 

 

 あたいの名が出たからか

 お空さんが、僅かに顔を上げた。

 

 

『おりん?』

「はい。あたいはここですよ」

 

 

 あごを上げてこちらを見つめる。

 見て分かるくらいに、ハテナが顔に浮かんでいる。

 こいし様は黒猫を、お空さんの膝の上へ置く。

 

 

『お燐のぬいぐるみ』

「違います。黒猫です」

『でも、尻尾が二本』

「誰がモデルなんですか」

『お燐』

「やっぱり…」

 

 

 以前の黒猫も、あたいを意識して作られたのだろうか。

 それとも、二本の尾を持つ黒猫という形が、偶然あたいと重なっただけなのか。

 こいし様へ訊いても、明確な答えは返らない気がした。

 

 お空さんは、膝の上の黒猫を見つめる。

 その目に何かを思い出した色はない。

 どう扱えばよいのかも、まだ分かっていない。

 

 片手で耳へ触れる。

 尾を摘まむ。

 赤い目を指先で押す。

 

 こいし様とあたいは、黙って見守った。

 兎や熊へ触れた時と、最初は変わらない。

 それでよい。

 違う反応を期待してはいけない。

 そう自分へ言い聞かせた時、お空さんが黒猫を持ち上げた。

 

 顔へ近づける。

 匂いを確かめるように、鼻先を触れさせる。

 次に、黒猫を一度遠ざけ、全体を見た。

 まるで、腕の中へ入れてよいものか自分で考えているようだった。

 

 それから。

 

 誰に教えられるでもなく、左腕と右腕で黒猫の身体を抱き締めた。

 小さな胸元へ、大事そうに引き寄せる。

 

 

『……あ』

 

 

 こいし様が声を漏らした。

 あたいも息を止めていた。

 

 お空さんは黒猫へ頬を寄せる。

 あたいの腕の中にいる時と似た、力の抜けた顔をした。

 

 あの時(・・・)と同じものを選んだ。

 胸の内で、その言葉が浮かぶ。

 しかしすぐに打ち消した。

 

 以前と同じものではない。

 こいし様が新しく縫い、お空さんが初めて触れ、今の手で抱き締めた黒猫だ。

 

 

『おりん』

 

 

 黒猫を見ながら、あたいの名を呼んだ。

 それが、二本の尾から連想しただけなのか。

 抱かれて安心する感覚と、あたいを結び付けたのか。

 魂の何処かに、以前の感触が残っていたのか。

 

 答えは分からない。

 

 分からないままでよかった。

 あたいは何も説明しなかった。

 以前も似た黒猫を選んだこと。

 記憶も知性も失ったお空さんが、理由も分からないまま黒猫だけを離さなかったこと。

 そのぬいぐるみを抱いたまま、巨釜へ落ちたこと。

 

 今伝えれば、目の前の黒猫へ、本人の知らない過去の重さを載せてしまう。

 幼いお空さんの頭へ手を置き、黒い髪を優しく撫でた。

 

 

「気に入ったんですね」

『おりん』

「はい」

 

 

 お空さんは黒猫を抱いたまま、あたいへ身体を預けた。

 あたいは二人まとめて包むように腕を回す。

 

 お空さんと。

 お空さんが今、自分で選んだ小さな黒猫と。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

『何で……』

 

 

 こいし様は、床へ並んだぬいぐるみ達を見た。

 

 白い兎。

 茶色い熊。

 黄色い鳥。

 丸い何か。

 

 黒猫だけが、お空さんの腕の中にある。

 

 

『前と同じ……』

 

 

 愕然とした顔だった。

 やはり、こいし様も以前との一致を意識していたらしい。

 

 

『全部作り直したのに』

「黒猫を作り直さなければ、他の子が選ばれたかもしれませんね」

『でも、黒猫だけないのは可哀想でしょう?』

「それは、そうですけど…」

 

『じゃあ、黒猫を作るでしょう?』

「はい」

『黒猫が選ばれるでしょう?』

「そうなりましたね」

『他の皆は?』

 

 

 答えに困った。

 こいし様は兎を抱き上げる。

 

 

『この子、お耳を長くするの、大変だったんだよ』

 

 

 次に熊。

 

 

『この子も、お空より強くしたのに』

 

 

 強さを何で表現したのかは分からない。

 胸へ綿を多く詰めたことだろうか。

 次は黄色い鳥。

 

 

『同じ鳥なのに』

 

 

 最後は丸い何か。

 

 

『この子なんて……、コレ何だろう?』

「作ったこいし様が分からないんですか」

『途中で忘れた』

 

 

 こいし様は四体を両腕へ抱えた。

 

 

『お空は見る目がない』

「そうでしょうか」

『ないよ。こんなに可愛いのに、一個しか選ばないなんて』

 

 

 こいし様は本気で拗ねていた。

 お空さんは、その様子を見ている。

 黒猫を抱いたまま、首を傾げた。

 

 

『こいし』

『なに?』

 

 

 不満そうな返事だった。

 お空さんは黒猫の片方の耳を掴み、こいし様の方へ少しだけ差し出す。

 

 

『いっしょ』

『え?』

『いっしょ、だっこ』

 

 

 黒猫を譲るつもりではない。

 腕は離していない。

 ただ、こいし様にも一緒に触れてほしいらしい。

 

 

『一緒に抱っこしていいの?』

 

 

 お空さんが頷いた。

 こいし様は四体を床へ置き、お空さんの隣へ座る。

 

 黒猫の反対側から腕を回す。

 お空さんとこいし様で、一匹のぬいぐるみを抱いた。

 

 

『あったかいね』

『あったかい』

 

 

 こいし様は嬉しそうに笑った。

 あたいも、二人の頭を撫でる。

 

 

「良かったですね、こいし様」

『うん』

 

 

 こいし様は頷いた。

 それから、床に残された四体を見る。

 

 

『……でも、やっぱり一個だけ』

 

 

 お空さんの反対側で、また少し頬を膨らませる。

 その様子が、お空さん以上に子供に見えて、あたいは笑った。

 

 

「次は、黒猫を五匹作ればいいんじゃないですか」

『……それだ!』

 

 

 こいし様の顔が明るくなる。

 これは失言だったかもしれない。

 

 

「冗談です」

『五匹なら、全部選んでもらえるね!』

「待って下さい。本当に作る気ですか」

 

 

 こいし様は既に、次の黒猫の形を考え始めている。

 お空さんは何も分からないまま、腕の中の一匹を大切そうに抱き締めていた。

 

 同じ形が増えれば、同じように大切になるわけではない。

 けれど、それをこいし様へ説明するより先に、布を隠した方がよさそうだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 お燐は、お空を連れて食堂へ入ってきた。

 昼食の支度をする時間になったらしい。

 

 私は食卓の端で、旧都から届いた書類を確認していた。

 お空の片腕には見慣れない……いや、懐かしい黒猫のぬいぐるみが抱かれている。

 

 黒い布。

 二本の尾。

 不揃いな赤い目。

 

 一目で、こいしが作ったものだと分かった。

 そして、以前も似たようなものを持っていた事を思い出した。

 

 隔離された部屋で、理由も分からないままお空が抱いていた黒猫。

 何度取り上げても探し、眠る時にも離さなかったもの。

 最後には、巨釜まで共に落ちたもの。

 

 形はよく似ている。

 けれど、同じものではない。

 そう考えなければ、今のお空が腕へ抱くものまで、失われた空の遺品にしてしまう。

 

 

『さとり様。少しだけ、お空さんを見ていていただけますか』

「ええ。厨房へ行くの?」

『はい。直ぐ戻ります』

 

 

 お燐の腕から下ろされたお空は、床へ座った。

 黒猫だけは手放さない。

 

 

「慌てなくていいわ。火を扱うのでしょう」

『はい。では、お願いします』

 

 

 お燐が厨房へ向かう。

 いつもと違い、足音が遠ざかっても、お空は追い掛けなかった。

 以前なら、姿が見えなくなっただけで扉へ向かった頃である。

 

 今は黒猫を抱いたまま、床へ置かれた積み木へ手を伸ばした。

 一つを立てる。

 もう一つを重ねる。

 黒猫が腕から滑りかけると、直ぐに抱き直す。

 

 私は書類を閉じた。

 

 

「お空」

 

 

 呼ぶと、お空が顔を上げる。

 変わらず、黒猫は抱いたままだった。

 

 

『さとり』

「その子を見せてくれる?」

 

 

 お空は、黒猫を胸元へ引き寄せた。

 心へ、小さな警戒が浮かんだ。

 

 取られる。

 嫌。

 自分のもの。

 

 強い思いは、読もうとしなくても届く。

 

 

「取り上げないわ」

 

 

 先に答えると、お空は私の第三の目を見た。

 

 

『よんだ?』

「少し、届いてしまったの」

『や…』

「御免なさい」

 

 

 第三の目を逸らす。

 

 読めることと、読んだものを使ってよいことは違う。

 この子は言葉にする前のものへ触れられることを好まない。

 前のお空は、隠すほどのことはないと笑っていた。

 

 同じ黒い翼を持っていても、同じではない。

 

 

「見せたくなければ、そのままでいいわ」

 

 

 お空は黒猫を抱いたまま、私を見ていた。

 読まないと言葉で約束しても、能力そのものがなくなるわけではない。

 信じるかどうかは、お空が決めることだった。

 

 暫くして、お空は立ち上がった。

 覚束ない足取りで近づき、私の膝へ黒猫の顔だけを乗せる。

 自分の腕は離さない。

 

 全部を渡すのではなく、見せてもよいところだけを差し出した。

 その境界を崩さぬよう、私は手を伸ばさず待った。

 

 

『くろねこ』

「黒猫というのね」

『こいし、つくった』

「そう」

『おりん』

「お燐?」

 

 

 お空は黒猫の尾を二本とも摘まんだ。

 

 

『おりん、しっぽ』

「似ていると思ったの?」

 

 

 お空は首を傾げた。

 理由までは言葉にならないらしい。

 説明出来ないことと、理由がないことは違う。

 

 それ以上は訊かなかった。

 

 

『くろねこ、だっこ』

「抱いていると、安心する?」

『あんしん?』

「怖くなくなる?」

 

 

 お空は少し考えた。

 厨房の方を見る。

 

 

『おりん、いない』

 

 

 次に、腕の中を見る。

 

 

『くろねこ、いる』

 

 

 胸の奥が、静かに痛んだ。

 以前の空も、お燐が傍にいない時に黒猫を抱いていた。

 同じ役目を同じ形へ求めたのかもしれない。

 

 魂の何処かに残った感覚が、手を伸ばさせたのかもしれない。

 あるいは、二本の尾からお燐を連想し、今初めて安心出来るものとして選んだだけかもしれない。

 どの答えも、私が深く読めば確かめられるとは限らない。

 

 心には、本人にもまだ言葉へ出来ない感触がある。

 それを過去の記憶と名付ければ、今の選択を狭めてしまう。

 

 

「素敵な子を見つけたのね」

『みつけた?』

「ええ。こいしが作って、お空が選んだのでしょう」

『おくう、えらんだ』

「そう。貴女が選んだの」

 

 

 その言葉を、はっきり伝えたかった。

 以前と同じ形を選んだのではなく。

 以前の空に選ばされたのでもなく。

 今のお空が、自分の手で選んだのだと。

 

 

『さとりも、だっこ』

「私も?」

 

 

 お空は黒猫の片方の耳を持ち、こちらへ差し出した。

 ぬいぐるみそのものは手放さない。

 それでも、先ほどより少し広い範囲を見せてくれた。

 

 私は黒猫の反対側へ、そっと手を添える。

 柔らかな布の内側には、詰め方の偏った綿が入っている。

 

 整った出来ではない。

 けれど、お空の腕の温かさが移っていた。

 

 

『いっしょ』

「ええ。一緒ね」

 

 

 黒猫を挟み、お空の小さな手と私の指が触れる。

 生前の空と、こうしてぬいぐるみを抱いたことはない。

 似た黒猫が間にいても、これは記憶の繰り返しではなかった。

 今の私と、今のお空の間に生まれた初めての時間である。

 

 

『さとり』

「なに?」

『くろねこ、あげない』

「欲しがっていないわ」

『いっしょは、いい』

「そう」

 

 

 思わず笑った。

 所有することと、共有することを、お空なりに分けている。

 全てを渡さなくても、一緒に触れられる。

 その許し方は、私が思う以上に細やかだった。

 

 

「大切にしてあげなさい」

『たいせつ』

「離したくないものを、乱暴に扱わないことよ」

 

 

 お空は黒猫を見る。

 先ほどまで掴んでいた耳を、今度は指先で撫でた。

 

 

『やさしく』

「ええ。優しく」

 

 

 厨房から、器の触れ合う音がした。

 お燐が戻ってくる気配に、お空の顔が明るくなる。

 それでも、黒猫は手放さない。

 

 お燐が戻れば不要になる代わりではない。

 もう一つ、新しく大切になったものだった。

 

 

 

---

 

 

 

『お待たせしました』

 

 

 食事を載せた盆を持ち、お燐が戻ってきた。

 お空は黒猫を抱いたまま、私の膝の前へ立っている。

 

 

「大丈夫よ。黒猫を見せてもらっていたの」

『お空さん、貸してあげられたんですか』

『あげてない』

 

 

 お空が黒猫を胸へ抱き直す。

 訂正の声は強い。

 自分のものだという認識だけは、もう揺らがないらしい。

 

 

『いっしょ、だっこ』

「だそうよ」

 

 

 お燐は、黒猫と私の指が触れていた辺りを見る。

 安心したように笑った。

 

 

『良かったですね、さとり様』

「ええ」

 

 

 何が良かったのか、お燐は説明しなかった。

 私も訊かなかった。

 黒猫を選んだことか。

 私へ一部だけでも見せられたことか。

 それとも、過去と似た形を選びながら、過去にはなかった関係を作り始めたことか。

 

 どれか一つへ決める必要はなかった。

 お空は床へ戻り、黒猫を自分の隣へ座らせる。

 その前へ、小さな器が置かれた。

 

 

『くろねこも、ごはん』

『ぬいぐるみは食べませんよ』

『いっしょ』

『では、隣で見ていてもらいましょう』

 

 

 お燐が黒猫の姿勢を整える。

 お空は満足そうに頷いた。

 以前の黒猫は、失われた空の傍にいた。

 新しい黒猫は、これから育つお空の隣に座っている。

 

 似ていても、役目まで同じである必要はない。

 この子と共に、新しい時間を重ねればよい。

 

 

 

---

 

 

 

 食事が始まって間もなく、こいしが食堂へ入ってきた。

 両腕には、選ばれなかった四体を抱えている。

 

 

『皆も連れてきた』

 

 

 白い兎。

 茶色い熊。

 黄色い鳥。

 丸い何か。

 

 こいしは空いている椅子へ四体を並べた。

 

 

『この子達も御飯を見る』

『食卓が狭くなりますよ』

 

 

 お燐が言う。

 

 

『黒猫だけだと不公平でしょう』

 

 

 こいしの中では、まだ選ばれなかった者達への埋め合わせが続いているらしい。

 お空は四体を見る。

 けれど、黒猫を手放して取り替えようとはしない。

 

 それでも、兎の耳へ一度触れ、熊の胸を押し、黄色い鳥の翼は今度こそ引っ張らずに撫でた。

 丸い何かには、匙を立て掛けた。

 

 

『これ、なに?』

 

 

 お空が訊く。

 

 

『……お友達』

 

 

 こいしは、何を作ったかではなく役目で答えた。

 

 

『まるい』

『丸いお友達』

『まる』

 

 

 お空が短く呼ぶ。

 こいしの顔が明るくなった。

 

 

『名前が付いた!』

 

 

 選ばれなかったことと、関心を持たれないことは同じではない。

 お空は黒猫を一番近くへ置いたまま、他のものにも少しずつ触れている。

 大切なものは、一つでなければならないわけではない。

 ただ、同じ重さで並べる必要もない。

 お空自身が、それぞれの距離を決めればよい。

 

 

『お姉ちゃんも選ぶ?』

 

 

 こいしが四体を示す。

 

 

「私が?」

『一人一個』

「いつ、そのような決まりが出来たの」

『今』

 

 

 即興の規則だった。

 お空がこちらを見る。

 選ぶのかと期待しているらしい。

 以前の黒猫を思い出させないものを選ぶべきか。

 お空が扱いに困らなかったものを選ぶべきか。

 

 そんな判断を始めかけ、止める。

 これは役割分担ではない。

 正解を選ぶ場面でもない。

 

 私は白い兎へ手を伸ばした。

 

 

「この子にするわ」

『どうして?』

「耳の高さが違っていて、少し気になったから」

『失敗じゃないよ』

 

 

 こいしが言う。

 

 

『こっちの耳は、こっちを聞くの。反対は、反対を聞く』

「そうだったの」

 

 

 後から出来た理由かもしれない。

 それでも、こいしがそう言うなら、この兎には左右の音を別々に聞く耳があるのだろう。

 お空は兎と黒猫を見比べる。

 

 

『さとり、うさぎ』

「ええ。私は兎」

『おくう、くろねこ』

「そうね」

 

 

 持っているものが違っても、同じ食卓へ座れる。

 お空は黒猫を抱き、私は不揃いな兎を膝へ置いた。

 こいしは熊と鳥と丸い何かをまとめて抱える。

 

 お燐だけは何も持っていない。

 

 

『おりんは?』

 

 

 お空が訊く。

 

 

『あたいは、食事を運ばないといけませんから』

『あとで』

『後でですか』

『いっしょ、だっこ』

 

 

 黒猫を少し差し出す。

 お燐は目を細めた。

 

 

『では、食べ終わったら一緒に抱きましょう』

『うん』

 

 

 約束が一つ増えた。

 お空は安心したように匙を持つ。

 

 黒猫は、器の隣で少し傾きながら座っている。

 以前と同じ形へ作られたものが、以前にはなかった食卓を見ていた。

 それでよいのだと思う。

 

 過去と似ていることを恐れる必要も、同じ意味へ決め付ける必要もない。

 今のお空が選び、今の家族と触れ、これからの記憶を重ねていく。

 黒猫はもう、失われたものの代わりではない。

 

 新しく生まれたお空が、自分で見つけた最初の大切な友達だった。

 




少しわかりにくいかもなので、ぬいぐるみについて簡単に説明します。

・発端は、重傷を負って知性が低下した昔の空に対して、こいしが用意したもの
・こいしが自ら手作りしたもの
・種類は兎、鳥、熊、丸いなにか、黒猫の5種類
・最初に作った黒猫は空と一緒に巨釜に落ちた


ちなみに「丸い何か」というのは生成AIが案出しの時に生み出したもの
私にも正体が何かは分かりません。おそらくパックマンみたいなものかと。
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