「あなたは死にました」
はい。
はいじゃない、はいじゃないんだよ。寝て覚めてふと気がつくとあたり一面が暗くなっていて、椅子に座っていた。基本的に夢というのはモノクロでしか見ないタチなので、やけに色が多いなと思った。椅子といい、机といい、目の前に腰掛けている銀色の髪の毛を後頭部で結い上げてビジネスルックに身を包んだ女性といい、色がある。透き通った素肌の血の気といったら、まるで本物のようだ。
銀色の髪の毛を後頭部で結い上げたポニーテール。シンプルなヘアピンで前髪をわけている。目はサファイアのように青く、顔立ちは絵画の美の女神のように整っていた。服装は清潔的なビジネススーツ。キリっとした印象を与えるハイヒール。足は机の下で組まれているようだった。
「もう一度いいますが、あなたは死にました」
その女神のように美しい女性はものすごい笑顔を浮かべてそんなことを言った。はて、二十代も後半にさしかかろうという俺が突然死するなんてことがあるんだろうか。
「心臓がですね、とくんとイッてしまいまして。心不全という奴ですね。具体的に言うと心臓の血管の一部に、別の場所から剥離してきた血液の塊が詰まってしまい機能不全を起こしたわけです」
そんな情報知りとうなかったのです。
俺はふと自分の体を見てみた。白かった。具体的に言うと丸い球体が椅子の上に浮かんでいるといった状態だ。
「死んでもなお自分の体をイメージできる人というのは少ないんですよ。たいてい、イメージが崩れて魂だけの姿になります。その後転生省に送られて書類審査の後、別世界へと輸出されます」
その人は花の咲くような笑顔を浮かべていた。
こえーなあの世って。書類審査かあ。きっと書類上の不備やら他国情勢によって輸出できなくなったりするんだろうな。関税とかかかりそうだし、なんとか協定でもめたりするんだろう。
しかしこの女神様仮面でも被っているような笑顔だ。素敵なんだけど、その裏に何かを隠しているような気もする。サラリーマンとして上司やらに言葉で殴られたりしてきたんだから、相手が腹の中に何かを抱えているかどうかくらいは推理できるようになってきた。なんとなくそんな感じがしただけなんだが。
「しかし実は
にっこにっこの笑顔で頭を下げる女の人。何か生々しい話を聞いたような気がするけど、気にしないようにしよう。そういやこの人なんなんだろう。
「私は女神です。あなたのような正者を死者に変えその後どこに送るかを決める仕事をしています」
すごい仕事っすね。なんだっけバルキリーとかいう奴でしたっけ。
ふっと女神様の表情が曇る。
「そう神でありながらクソどうでもいい飲み会と上司の愚痴ときわどいマッサージを避けることもできない」
………女神様、女神様、闇が出てます。
するとコンマ数秒で女神様の目に光が戻ってきた。
「いっけなーい! 手を煩わせちゃったね!」
い、いえ、いいんです。そういうのわかりますから。思わず敬語が出てしまった。この女神様の取り繕うような言葉が仕事中の自分を彷彿とさせる。
「でつまり書類上の不備で死ぬはずじゃなかったんだけど死なせちゃったから担当者の私が君のことをサポートしていかないといけないんですけど……!」
何か必死に身を乗り出してきた。若干言葉の節々に覗く闇は別にしても、銀色の髪の毛を湛えたおっぱいが大きい美人さんなんだ。生身の肉体があれば反応できたというものの、まるでピクリともこなかった。魂だけの状態って要するに五感どころか自分の体があるという実感さえなくなっている状態らしい。
「さあ細かい項目は飛ばしてハイと言ってください。サインする必要があるんですが、もし書けないならここは私が代筆しておきますから」
素敵な笑顔はどこへやら、女神様の表情が鬼気迫るものになっている。般若っていうのかな、殺意を感じたね。もう死んでるから殺せないんだろうけど。
俺が書類とやらに目を通そうとすると、女神様が両手を重ねてにこにこと笑い始めた。
笑いというものは、本来攻撃的なもので……という一文が脳裏を過ぎる。なぜだろう、銀色の髪の乙女の背後に猛禽の姿を見たような気がした。
こういう契約書というのは大抵ヤバイ要項に関しては小さい文字で書いてあるもんだ。だけどもう死んだというならどうでもいい話だ。地獄行きになる契約書かもしれんが、そもそも地獄なんてもんは契約書があろうがなかろうが突き落とされるものなんだ。
ペンを持とうと意識するとにゅるっと手が空中に生えた。驚いた。まるでVRゲームで自分の体を見ているような気分だ。腕だけ生えているシュールさと来たら前衛芸術どころの騒ぎじゃない。
名前をさらさらっと記入する。女神様がコンマ数秒で書類を取った。そして空中に放り投げる。書類が一人でにくるくると筒状になると、紙飛行機のように飛んでいった。
「これで手続きは終了です。向こうの世界で会いましょう」
……ん? ん? 向こうで会う?
ここで俺は後悔した。書類の内容くらいには目を通しておいてもよかったんじゃないかなって。
「ぐふっ」
目が覚めた俺を待ち受けていたのは、満天の星空と、ビジネススーツを着込んだ女神様がハイヒールで俺の頭にかかとを突き立てる場面だった。
「ぐあああああっ!?」
痛い。かかとに余程体重がかかっていたのか女神様が象並みの重量だったのかは知らないが額から頭が割れるかと思った。身を起こすと、化け物がいた。
『―――――!!』
一つ目の怪物。さしずめサイクロプスとでも言おうか、筋骨隆々身の丈3mはあろうかというそいつが、棍棒を振り上げていた。
確かにファンタジーな世界でいやな現実世界から逃げたいなとは思ったけど、そういう化け物が闊歩するアクションRPGゲームの世界がいいなとはこれっぽっちも思っていなかった。
「はああっ!!!」
するとビジネススーツに身を包んだ女神様が棍棒をあろうことか回し蹴りで吹き飛ばした。風が舞う。蹴りの反動でサイクロプスが大きく仰け反るのが見えた。
「ワンツースリー!」
腰を落とした教科書的なワンツーからの中段蹴り。止めにサイクロプスの膝をヘシ折って跪かせて頭を掴む。
「………」
無言でその頭を地面に叩きつけて靴で踏みしめる。哀れサイクロプスはぴくぴく痙攣して動かなくなっていた。
「さてと」
女神様が振り返る。能面のような表情が一変して笑顔に切り替わった。ここに来て俺は悟る。おそらくあれは営業スマイルであると。
「あははすいません緊急避難として踏んでしまいまして」
「は、はあ」
「それでこの世界にやってきた目的なんですが、死ぬはずではなかった人間を死なせた対価として別の人生を歩んでもらうためなんですけど」
「そうなんですか」
ちょっと待てよ、するってーと親友達にはもう会えないということなのか。心の中に虚無が漂い始めた。
「死ぬまで生きてもらうということになります。ですが、この世界には不死というものがあります」
「え?」
何か風向きが怪しくなってきたと思ったんです。それで私は、ピーンときた。ああ、これは契約書とか仕様書とかの穴をついてくる系の相手の言葉運びだなって。背筋がぞわっとしましたね。
「あなたには不死になってもらいます」
女神様の表情筋が死んでいた。