少女空母は海底で揺れる   作:ophidian

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1942年6月4日

 

かすかに揺れている。

体全体、というよりも床そのものが揺れているような感覚がする。

(ああ、懐かしい。海の揺れのようだ。まだ私は夢の中にいるのか)

陸地を離れ、目的地まで何日も波とともに過ごしていた日々を思い出す。

陸地を離れる時の奇妙な寂しさ、そして戦場へ近づく高揚感と緊張が混じった複雑な胸中。

(この揺れはいつの出撃だろう。上海だろうか、それともラバウルか・・・)

私はしばらくの間、懐かしい感覚に身を委ねていた。

 

次第に、私は覚醒していることを自覚した。

(本当に揺れてる?)

気のせいではない。わずかだが一定のリズムで揺れているのを体で感じる。

意識がはっきりしてくるにつれて、違和感を感じる。

私が目を開けると、そこはいつもの私の部屋ではなかった。

天井は低く、曲がりくねったダクトが何本も通っている。壁は鉄骨に塗装がされているだけの簡素な作りだ。

私が寝ていたベッドは横幅が狭く、壁にくっつくように設置されている。

ベッドはカーテンで囲われていた。

体を起こすと、先程までの寝間着姿ではなく、いつもの袴姿になっていた。

(どういうこと?)

ここは医務室だろうか。私は演習か何かで、負傷して医務室に運ばれたのだろうか。

記憶が全くない。

体を動かしたり触ったりするが、痛む箇所はなさそうだ。

それに鎮守府の医務室はこんな部屋ではない。こんな無骨な造りではないし、もっと広い。

そしてこの揺れは明らかに海上だった。

私はベッドから起き上がり、カーテンを開いた。

窓のない、狭い部屋だった。

壁には大きな棚が並んで埋め尽くされ、中には薬瓶が並んでいる。棚の上にも応急用の鞄などが載せられていた。

横には水道と流し台があり、そこによくわからない器具がたくさん置いてある。天井の蛍光灯は弱く、人工的で白い光が部屋に陰影をつけていた。

部屋にはメガネを掛けた白衣姿の中年の男が一人いた。彼は小さめの、いかにも間に合わせの机で何か書いていたようだが、私に向き直った。

「おお、起きたか」

短髪に丸みを帯びた顔。見覚えのない顔だった。

「あの、ここは」

私が状況を掴めずにいると、男は近寄ってきた。

「いやあ、驚いたが・・・何にせよ、起きてくれてよかった。とりあえずここに座りな。そうだ、どこか具合悪いところはあるか?」

私は勧められた椅子に座る。

「いえ、特にはありません。多分ですが」

この部屋と様子からして、この男は医者だと思った。

「そうかそうか。それはよかった。いやあ、女が倒れてるって運ばれて来た時はたまげたぞ。水飲むか?」

男は私の返事を待たずに流しに歩いていき、蛇口をひねってコップに水を注いで持ってきた。

私はそれを受け取った。

アルミ製のコップだった。シンプルで妙に古いデザインだ。

別に喉が乾いている感じはない。

私がコップを見ていると医者が告げる。

「心配せんでも大丈夫じゃ。それは真水だ」

(真水以外に何があるっていうの?)

疑問に思ったが、とりあえず飲んでみる。一口だけ口にいれるとぬるく、何か鉄っぽい味がした。飲み込むと、喉を伝って体の中に流れ落ちていくのを感じる。

(夢じゃない)

「おまえさん、どうやってこの船に入ってきたんだ?柱島出てから一体どこに隠れてた?」

「柱島?」

かつて日本海軍の停泊地だった瀬戸内海の柱島だろうか。

「そうよ。そこから乗ってきたんだろ?まさか出発してからこの船に飛び乗ってきたわけじゃあるまい」

全く意味が分からなかった。

私のいた鎮守府とははるか離れた瀬戸内の島。そこから出発した船と言っているらしい。

私はついさっきまで自分の部屋で寝ていたのだ。

「なんじゃあ?何か様子がおかしいな。ん?」

医者は不審そうにメガネの奥から私を見る。

「お前さん、何も知らずに乗ってきたのか?もしや、誰ぞ将校殿の妾か?」

「め、めかけ・・・?」

「いや、海の上でいくら女が恋しいとは言っても、流石になあ・・・すぐバレるだろうし、どんな処罰を受けることやら」

「あの、ここってどこですか?他の鎮守府の仲間はどこへ?」

男は眉を寄せる。

「鎮守府?どこのことを言ってるのか知らねえが、ここは太平洋のど真ん中よ」

「たい、へいよう?」

床が揺れている。このゆったりとした揺れは、覚えている気がする。

「本当に何も知らねえで乗ってきたのか?今乗ってるのは帝国海軍の空母、加賀。写真で見たことくらいあるんじゃねえか?」

頭が真っ白になった。

(空母・・・加賀・・・そんな馬鹿な)

現実とは思えなかった。

だが足元は私の知っているリズムで揺れていた。

医者はため息をついた。

「兵員は何しとったんじゃ、こんな娘が乗り込んで来て誰も気づかなかったんか」

辺りを見回した。誰かが隠れているんじゃないかと思った。

(きっと鎮守府のみんなが悪ふざけをしているんだ)

寝ている間にこんな所に運び込んだりして、手が込んだものだ。私が驚くのを見て笑うつもりなのだろう。

だが、周りを見ても、まさに軍艦そのものの武骨な作りの部屋には、誰かが隠れるようなスペースは見当たらなかった。

壁に妙に古いデザインのカレンダーが掛けられているのが見えた。

六月だった。

皇紀2602年と書いてあるのが見えた。

皇紀は確か西暦に直すと660引いたものだったはず。

(どこで見つけてきたのよ、こんなカレンダー・・・いたずらにしては手が込みすぎている)

「今から引き返すわけにもいかんからなあ。悪いが作戦中だからしばらくは日本には戻れんぞ」

「作戦中って、あの、今っていつですか?」

「今日は、確か六月四日だな」

「六月四日・・・年は、今年って何年ですか?」

「年?十七年だろ。覚えとらんのか?」

「十七年?」

十七年と言われてもよくわからなかった。2017年?1917年?

男は少し困った顔をした。

「はあ、記憶もあやふやになっとるようだな。ちょっと様子もおかしいし、もう少し寝てたほうがいいかもしれんな」

それから、大きな声で、ゆっくりと言った。

「今日は、昭和十七年の、六月四日」

 

 

 

私は医務室を出て、艦内を歩いた。

(そんな馬鹿な)

廊下は狭く、長く、暗かった。

廊下を進むと半袖半ズボンの兵隊とすれ違う。

「お、おお・・・?おい!女がいるぞ!」

「なんだと!」

私を見るたびに兵隊達が騒ぎ立てる。

これだけ大掛かりないたずらなど、もうありえなかった。

歩いているうちに汗が吹き出す。暑い。

機関室の近くか、それとも排煙口の後ろか。

(この居住性を犠牲にした狭さと暑さ)

通路は私の知っている通りの作りだった。

もう確信し始めていた。

(この船は私だ)

これが私だとすれば、もう一つ、確認しなければならないものがある。

懐かしい自分の体内を進み、飛行甲板を目指した。

細長い廊下を進み、曲がり、長いタラップを上へと登る。

太陽が見える。

タラップを登りきり、甲板へと立った。

 

広い。ひたすらに長い長方形。

木製の板目の上に白いラインが何本も引いてある飛行甲板。

私は艦尾に向かう。

全長二百四十八メートルの飛行甲板だ。艦尾までかなりの距離がある。

格納庫に収まりきらない艦載機が端に十機ほど並べられていた。

ガチャンガチャンと音を立ててエレベーターも動いている。

辺りには整備員や兵員が艦載機を並べていた。

途中、何本もの着艦用ワイヤーが張ってあるのを見ながら進む。

 

艦尾にそれはあった。

白く、大きく「カ」と書かれた文字。

紛れもなく空母加賀であることの証明だった。

(私が「私」に乗ってるなんて)

海を見ると本来は水平線が見えるはずだが、今は濃い霧が立ち込めていた。

(そうだ、六月四日は霧に覆われていた)

濃い霧の中、周囲の艦が見えなかった。

(そう、あのときは霧で二航戦とはぐれたんだ)

風と霧のせいでさっきまでの汗が、急に体を冷やし始めた。

海面を見下ろす。

濃い青色の海に白い航行跡を残して進んでいた。

(本当にあの時のミッドウェーに来ているんだ)

 

 

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