艦尾に座り、波の揺れを感じながら海を眺めていた。
(どういうことだろう)
改めてこの状況を考えてもやはりおかしかった。
私は確かに自室で寝ていたはずだった。
そして、そもそも私が存在するということは、空母としての「加賀」は既に沈んでいるということだ。
それなのに、私は「私」に乗っているのだ。
考えているうちに、いつの間にか霧が晴れていった。
「私」の後方、数百メートルほどに大きな軍艦が見える。
特徴的な作りだからすぐに分かる。
(あれは赤城だ)
長い飛行甲板が艦首と艦尾で巨大な支柱で支えられている。戦艦から空母となり、三段式甲板を一段式に大規模改装した名残だ。私も似たような形をしている。
他の正規空母は初めから一段式甲板だから、私達より長方形に近い形をしている。
(もしかして、赤城も「赤城」に乗っているのだろうか?)
私がここにいるくらいだから、赤城がいても不思議ではない。
もっとも、今はそれを確かめる術はない。
彼女のことを考えて思い出したが、私はそもそも別の時代の存在だった。
今頃鎮守府はどうなっているのだろう?
私がいなくなって騒ぎが起こっているのか。
それとも、本当の私は部屋で眠ったまま夢を見ているだけなのか。
しかし、この甲板の冷たさ、波の揺れ、潮の匂い、景色。
どれも本物だと告げている。
(どうすれば元の世界に戻れるの?それに、私はここでどうすればいいの?)
私は一人だけで異世界にいることに不安を感じ始めた。
赤城を眺めていると、戦闘機が発艦していくのが見えた。
それは走行して甲板を出ると、一瞬少し沈むものの、やがてふわりと宙に浮いていく。
そこでふと気がついた。
(そうだ、前日には既に敵機を発見して赤城から追跡してたんだ)
その時は敵機に逃げられてしまったはずだ。
六月四日は既に別の場所で戦いが起こっており、日本の輸送船団が攻撃されていたはずだ。
(もう戦いは始まっているんだ)
これからどうなるのか、思い出そうとした。さっき眠る前までずっと考えていたことだった。
いや、私が生まれ変わってからずっと考えていたことだった。
(明日になる前に、今のうちに動かないと)
私は立ち上がり、駆け出した。
明日起こること、そして敵機の位置を思い出し、私がやるべきことを考える。
(夢なのか、本当にあの時に戻ったのか分からないけど、やれるだけのことはしないと)
「今度こそ、私は負けない!」
艦橋には防弾用に丸めた毛布が巻きつけられていた。
もう戦闘状態であることを示していた。
まず真っ先に私がやること、それは米空母が既に出撃していることを知らせることだった。
これが最大の敗因なのだ。
艦橋の中に入り、狭い階段を登る。そこに司令室があった。
扉を開けると、軍服に軍帽の男が五人ほどいた。窓の外を双眼鏡で覗いていたり、立って話をしている。彼らが加賀の司令官だ。
「誰だ?」
扉の近くにいた男が尋ねてきた。部屋の男たちが私を見る。
「艦長はどなたかしら?」
私の声に、窓の外を双眼鏡で覗いていた男がこちらを向いた。
「あなたは・・・岡田艦長ですね?」
「そうだが、君は?」
軍帽を被った中年男、その返答は穏やかだったが、目は鋭かった。
岡田次作。爆撃の名手であり、航空戦のエキスパート。
かつて加賀の飛行長を務めたこともある、この男が私の艦長だった。
「私は・・・」
答えに困った。なんと言えばいいのか。この時代に艦娘という概念は無いし、信じてもらえるとも思えない。
だから、そのまま言うことにした。
「私は加賀、この船そのもの」
男たちが眉を寄せ、顔を見合わせる。
どう反応していいか困っているらしい。少なくとも信じている者がいないのは明らかだった。
だが今はそんなことはどうでもいい。
「伝えたいことがあるの。米空母は既に真珠湾を出て、ミッドウェーの北東にいる」
男たちの顔が緊張を含んだものになった。
「おい、それは本当か?」
「そんな報告は受けていないぞ」
狭い司令室がざわつく。
「ふむ、君が誰かは知らないが・・・どうやってそれを知ったんだね?」
岡田艦長は落ち着いて私に尋ねた。
「それは」
再び答えに窮した。今この場で見せれる証拠は無いのだ。
「今伝えれる証拠はない。でも、明日は予定通りに艦載機の半数を対空母用の装備で待機させて。くれぐれもお願い」
岡田艦長の目が開かれる。
「なぜ部外者の君が明日攻撃すること、そして半数を待機させることを知っているんだ?いや、それもあるが、空母が出ているのは本当か?だとしたら、米軍の無線に何か動きがあるはずだが・・・おい、赤城か大和から何か来てたか?」
岡田艦長は室内の男たちを見回す。
「いえ、何も連絡を受けていません」
「そんな動きがあれば司令部から連絡があるはずです。それにアメリカが我々の動きを知っているはずがありません」
次々に男たちが口を開く。
「暗号は解読されていてMI作戦はとっくにばれてる。大和では米空母が出撃していることを察知しているけど、位置を知られるのを恐れて無電で伝えてこないの。赤城が傍受しているはずだと思いこんでいるからわざわざ伝えようとしないの」
連絡のこなかった空母出撃の報せ。もし知っていれば、戦いは全く変わっていたはずの情報だった。
「うむ・・・」
艦長は窓の外を一瞥した。
「もうこの時間から索敵を飛ばすわけにはいかなそうだな」
外では水平線に太陽が落ちていくところだった。
「明日ミッドウェー島から反撃の攻撃隊がきたら、もう無電を打って構わないでしょう?そうしたら大和に確認を取って」
「なるほど、確かにそうだな。君の言うことを簡単に信用する訳にはいかんが・・・どうしてそんなに作戦の詳細を知っているんだ?」
岡田艦長は私をじっと見た。
「私はこの船そのもの・・・事前演習で米空母が出撃していた場合の被害はご承知ですよね?明日はその事をくれぐれも忘れないで」
私は司令室から出た。
「おい、待ちなさい。君には聞きたいことがある。それと、今日はどこで寝るのかね?部屋を案内させるぞ」
部屋の中から艦長の声がした。
「私には必要ない」
私は扉を閉めて、次の場所へ向かった。
次は艦橋のすぐ脇にあるテントへ向かった。
テントには「戦闘機搭乗員待機室」と書かれた札が掛けられていた。
テントを開けると、そこには五人のパイロットがゴザの上で寝転がっていた。
私がテントの中に入っていくと、全員が驚いて起き上がった。
女じゃ、何者じゃ、と狭いテントの中、私を取り囲む。
みな若い。せいぜい二十才そこそこから、一番年長でも三十歳にならないくらいだろう。
だが、彼らこそが当時世界最強の戦闘機乗りであり、私の誇りだった。
当時の零戦は他国の戦闘機を圧倒する性能だった。そして加賀のパイロットは最も多くの戦場に参加し、鍛えられた精鋭だった。
艦攻や艦爆は戦死者が出ているが、戦闘機パイロットは開戦以来、殆ど死傷者は出ていない。空に飛び立てば文字通り無敵の存在だった。
「制空隊の指揮官は誰かしら?」
彼らの顔に驚きが浮かぶ。
「ほう、制空隊なんて言葉よく知ってるね」
「隊長殿、もしや妾を連れ込んだのですか?」
「隊長、これは軍法会議ですぞ。子供が生まれたばかりだというのに、非常にけしからんですな」
「おい、俺は知らんぞ」
私の目前にいる隊長と言われた男が指揮官らしい。
茶色の飛行服を着た、少し歯並びの悪い無精髭の男だった。
「ねえ、高度の割当はどうなってるの?」
「お?」
隊長の目が丸くなる。
「直掩機は誰がどの高度を担当するか決まってる?」
「いや、決まってない。各自、自分の判断で動くんだ」
やはりそうだった。個々の戦闘では無敵でもそれが部隊としての弱点だ。
「そう、じゃあ聞いてちょうだい。もう米空母は近くまで来てる」
笑っていた男たちの顔が真剣なものになる。
そんな話聞いとらんぞ、偵察隊からも何も無いはずだ、などとテントの中はざわついた。
「明日はミッドウェー島からの攻撃と敵空母からの攻撃を受け続けることになる。でもあなた達の腕なら全て撃墜できるはず」
事実、途中まで全ての攻撃機は撃墜していた。
「だけど、爆撃機には気をつけて。低空だけに集まらずに高高度にも必ず誰か残って」
あの急降下爆撃を防がねばならない。
「爆撃機?心配するな。あんなとろいの全部撃ち落としてやるよ」
「アメリカの攻撃機なんて怖くねえよ。こないだなんか八十機も飛ばして翔鶴一隻も沈めれなかったんだからな」
「そう。大した腕じゃねえ。多少撃ち漏らしても空母に爆撃を当てる腕はねえよ」
(やっぱり)
私は胸中でため息をついた。
連戦連勝、無敵の機動部隊。負けるなど露ほども思っていない。アメリカを完全になめている。いや、当時の私だってそうだったのだ。
レーダーが使い物にならなかった時代、対空は艦戦に依存しきっている。彼らの死角と慢心はそっくり空母の死角となる。
「そう。それは頼もしいわ。明日はエンタープライズとヨークタウンからの爆撃機が高度四千以上で来る。曇りだから雲が多くて見つけづらいけど・・・漏れなく撃ち落としてちょうだい。あなた達ならできるでしょ?これは制空隊全員に絶対に伝えておいてね」
「お、おう・・・見つけたら片っ端から落としてやるぜ」
「しかし、高度とかエンタープライズとか・・・妙に詳しいな。お前誰だ?女がどうやって乗ってきたんだ?」
「私は加賀、この船そのもの」
「はぁ?」
男たちは口と目を開く。
「確かにあなた達は一度飛び立てば無敵ね。でも、覚えておいて。空母が沈んだらあなた達が戻れる場所はない。そして、貧弱な対空装備しかない機動部隊ではあなた達しか空母を守れる人はいないの」
私はテントから出ていこうとした。
「い、いや、ヨークタウンはこの間大破したはずだ。来るわけがねえよ」
「そうだよ。それに、赤城に飛龍に、蒼龍もいるんだ。俺達が戻れねえってことはねえだろ」
私はテントの入り口で振り返る。
「ねえ、あまり敵をなめたら駄目よ。それに、四隻もこんな団子状態で空母が固まってるのを見たら、相手はどう思うかしら?」
男たちは黙った。ややあって、髭面の隊長が口を開く。
「ふっ、そうだな。馬鹿な運用してるって思うだろうな。一度見つければ、固まってるから攻撃しやすい。俺が攻撃隊だったら一気に四隻撃沈させるね」
「そうよね。きっと相手もそう思うはずだわ」
あの時は空母運用については手探りだったが、冷静に考えれば空母同士を近づける必要は全く無かった。
今更この陣形を変えるのは無理だからどうにもならないが、彼はすぐに危険性が分かったようだ。
「ま、だけど安心しろ。俺達が全部撃ち落としてやるよ」
「・・・頼んだわよ」
私はテントの外へ出た。
日が落ちていく。
乗組員たちは早めの夕食を済ますと、さっさと寝てしまったようだった。
いつもは夜遅くまで遊び、酒を飲んでいる乗組員たちだったが、もう艦内は静かだった。
数時間後、作戦が始まる。
彼らはそれがどういうことか知っているのだ。
戦いが始まれば休むことはできない。
生死を分かつ、恐ろしく精神と体力を消耗する十数時間を過ごさなければならない。
今のうちに少しでも長く寝ておかなければならない。
私は暗く、静かな艦内を歩いた。
消火栓の場所を確認ておきたかった。
甲板へ出ると、雲の合間に星が瞬いているのが見えた。
「私」は夜の太平洋を進んでいた。
潮の匂いと風を感じながら甲板を歩く。
甲板の各所にある消火栓の場所を覚えると、再び艦内に戻る。
格納庫は暗く静かだった。
広い格納庫が、今は艦載機がびっしりと並べられている。
一つ一つの艦載機を見て回る。
どれも整備が行き届いており、翼も魚雷もピカピカだった。
エレベーターから一番遠い位置にいる九七式艦攻を見る。
明日はこの艦攻が最後に飛び立つことになるだろう。
胴体に手をおいて冷たい感触を確かめる。
「明日は必ず飛ばせてあげるからね」
消火栓の位置を覚えると、格納庫を後にした。
医務室の扉を開けると中は真っ暗だった。
灯りをつけると、狭い部屋に小さなベッドが三つほど押し込められているが、そのうち一つにあの丸顔が寝ていた。
私は灯りを消して、最初に私が寝ていたベッドに入り、横になった。
目を閉じると、心地よい揺れを感じる。
進水して以来、寄港していても常にこのゆりかごで過ごしていた。
穏やかだった。
耳をベッドに押し付ければ、わずかに機関部のゴウゴウという音が聞こえる。
それは「私」の鼓動。いつも聞いていた音だった。
いつしか意識は消えていき、波と一体になって揺れていた。