洞窟から出て、麓へと下りた桜ちゃんは、商店街の十字路に立っていました。
分かれ道です。このまま真っ直ぐに行けば住宅街に、左に行けば田んぼや畑の多い農地が、右に行けば地元住民が通う学校があります。
桜ちゃんが、ムムムと考えます。
学校へと続く道は、そのまま行けば高級住宅街──つまり、桜ちゃんのお家がある間桐さんちに出ます。学校がどんなところか興味はありましたが、お家に帰る気はサラサラ無い桜ちゃんは真っ先にこの選択肢を却下しました。まだ小学校にも通える年代では無い桜ちゃんですが、果たして来年には無事、小学校に入学する事が出来るのでしょうか? 何だかこのままだと難しい気がします。
さて、そうなると、残りの選択肢は二つです。
左の道はそのまま冬木の郊外へと続きます。昔ながらの田園風景が残る古風な土地ですが、桜ちゃんにはあまりピンとこず、最終的に残った真っ直ぐの道を桜ちゃんは選びました。
時刻はまだ早朝。お仕事に行くサラリーマンがいそいそと出勤する姿は見えますが、学生の姿はありません。
季節は冬。それでも冬木は比較的温暖な地域ですので、行き交う人たちは思いの外薄着です。
そんな企業戦士の皆さんから時折、桜ちゃんに向けて不思議な視線が送られてきます。
不快な眼差しではありません。奇異と戸惑い、そして若干の好奇心が混じった視線です。
朝早くからこんな子供が一人で商店街を彷徨いているのですから、当然と言えば当然である、と桜ちゃんはそう思っていましたが、直ぐにそれが誤解であると気付きました。原因は桜ちゃんの格好にあったのです。
今の桜ちゃんの格好と言えば、まるで大道芸人かの様なド派手な格好です。頭には大きな帽子に胸元が大きく開いた上着、下はタイツと派手な装飾の靴、至るところにアクセサリーや装飾品を纏い、とてもじゃないですが子供だからといって許される格好ではありません。そりゃ街の人も奇異の目で見る訳です。
いくら世間知らずで幼い桜ちゃんといえども、花も恥じらう女の子です。流石に今のこの格好を人前でするのは恥ずかしいようです。桜ちゃんの中にいる“女の子”は毛ほども気にならないようですが、桜ちゃんはまだその領域には至っていません。
急に恥ずかしさを感じた桜ちゃんは、顔を真っ赤にして物影に隠れました。そして、頭の中でイメージします。
桜ちゃんの頭の片隅に様々な姿の“女の子”の一覧が浮かんできました。
ですがそのどれもがやたら派手だったり、無駄に露出が激しかったりと、普段着としては問題外なものばかりです。中にはゴツゴツした鎧姿のまであるのですから、本当に散々であると言えるでしょう。
その中でも比較的マシなものは無いのかと、一生懸命探していた桜ちゃんですが、一覧の中に気になる項目を見つけました。一番下に申し訳程度に添えられている、『すっぴん』という項目です。
他の項目では『ナイト』だとか『モンク』だとか『鍛冶師』だとか『採掘師』だとか、何やら普段着とは無縁そうな項目ばかりだったのですが、この『すっぴん』という項目だけは、なんだか異彩を放っていました。
何せ取り敢えず『ひらがな』だというのが挙げられます。他の項目は難しい漢字だったり、カタカナだったりして物々しいですが、ひらがなというだけで何だか軟らかい感じがします。それに桜ちゃんには昔、お母さんがお父さんと『すっぴん』がどうのこうのとお話している記憶がありました。桜ちゃんのお母さんは優しいお母さんでしたので、少なくとも危ないものなどでは無いでしょう。
覚悟を決めた桜ちゃんは意を決して『すっぴん』を選択しました。
瞬きする暇もなく、桜ちゃんの姿が変わっていきます。ド派手だった衣装は紫色のシンプルなワンピースに、身に付けていたアクセサリーも消え、申し訳程度に頭にリボンが出現します。それは普段、桜ちゃんがお家で着ているお洋服と全く一緒の物でした。
昨晩、ムシグラに入る前に綺麗に畳んでしまっておいた筈ですが、一体何時の間に紛れ込んでいたのでしょう。気にはなりますが、桜ちゃんは深くは考えませんでした。きっと桜ちゃんの持ち物だから、持ってくることが出来たのでしょう。きっとそうに決まっています。
派手な『吟遊詩人』の姿から、質素な『すっぴん』姿へと変わった桜ちゃんですが、代わりに急激に『ステータス』が減少したのを感じました。
突然の事でビックリする桜ちゃん。
一体『ステータス』とは何なのか、また、何の『ステータス』が激減したのか、と桜ちゃんは疑問に思いましたが、『
果たしてどれくらい急激に落ちたのかというと、具体的にはレベル70からレベル1まで落ちた感じです。
レベルという概念すらあまり良く理解していない桜ちゃんですが、要するにとっても弱くなったのだという事で納得しました。
確かに心なしかですが、さっきまでよりも体が重い気がします。今までの羽の様に軽い体とは段違い……とまでは言いませんが、確実に重くなっているのは事実なようです。今の桜ちゃんには年相応──もっと言うなればレベル相応のステータスしかないということなのでしょう。
それでもある程度までの行動には支障は無いみたいです。もし、問題があるとすれば戦闘などの激しい運動をする時になるでしょうが、この平和な日本でそうそう幼女である桜ちゃんがそんな事に巻き込まれる事は無いでしょう。あるとすれば、“球体”と決着をつける時になるでしょうか。そうであるならば、今は心配は無いと言えます。
そう結論付けた桜ちゃんは、今度こそ意気揚々と住宅街へと入っていくのでした。
桜ちゃんのお父さんや間桐のお爺さんたちが、下賤な庶民の住処と言う住宅街を、職場に向かう大人たちと共に歩く桜ちゃんは、人の流れに身を任せながら『新都』へと向かっていました。
冬木大橋を渡った先にある『新都』は、その名の通り冬木の新しい都で、オフィス街や繁華街、市役所や図書館、警察、消防などの冬木の重要施設などが集結する、冬木の中心地です。これまで桜ちゃんにはあまり縁の無い土地でした。記憶にある限りでは、ときどき外れにある教会に家族で訪れていたくらいです。確か、そこの教会の息子さんが、桜ちゃんのお父さんに弟子入りしたのだった筈です。
そんな『新都』に向かう途中、閑静な住宅街の一角に、一瞬、桜ちゃんは違和感を覚えました。
まるでその一帯だけ別の世界に切り離された様な不思議な感覚です。
一体、なんだろうっと気になった桜ちゃんは、少し様子を見てみる事にしました。
違和感はある一件のお家から放たれています。とても綺麗で落ち着いた雰囲気のお家です。表札にはアルファベットとカタカナで名前が刻まれていました。
(
伊達に遠坂家というエリート一家生まれ、紛いなりにも英才教育を受けていた桜ちゃんは、幼女と言えでもアルファベットを読むことが出来ました。決して上にあるカタカナを読んだ訳ではありません。
冬木は古くから海外との交流が盛んであった背景からか、特に目立った観光地も無いにも関わらず外国人が多い地域です。特に、老後を日本で過ごそうという外国の人に人気な様です。
ですのでこういったお家は珍しくも無いのですが、だからといってそれだけではその違和感を説明する事はできません。
他に何か手掛かりはないのかなと少し身を乗り出して中を伺ってみます。
すると桜ちゃんの耳に野太い声で──
「ホッ! フンッ! ハッ! AAAALaLaLaLaLaie!!」と言う掛け声が聞こえてきました。
驚いた桜ちゃんが声のした方に顔を向けると、そこにはとっても大きな赤毛の男の人が、爽やかな笑顔で太陽に向かってお庭で体操をしているのが見えました。
違和感の中心は、この人から放たれています。
人の様に見えますが、どうやら人ではないようです。幽霊でしょうか? しかし、足はちゃんとあります。では妖怪でしょうか? でもそれも違う気がします。
“女の子”の知識によると、『召喚獣』というものに近しい存在みたいです。
ぐいぐいと男の人が動く度に、はち切れんばかりの筋肉が、ぴっちりとした服の中で激しく脈動しています。燃えるばかりに輝く赤髪が、太陽と汗に照らされて燦々と輝いているようでした。
愉快そうに笑顔を浮かべながらその巨体をリズム良く動かす様は、実に堂々として様になっています。
この人がマッケンジーさんでしょうか? ですが注意してよく見ると、男の人の頭上に『征服王イスカンダル』という名前が浮かんできました。どうやらこの人はマッケンジーさんではなく、イスカンダルさんみたいです。
マジマジと観察する桜ちゃんの視線に気が付いたのか、イスカンダルさんが此方を向きます。
「ふむぅ、何やら熱い視線を感じると思ったら……おぉ、これはこれは、この街の幼子ではないか! なんだ? こんな早くから余に拝謁しに来たというのか? うむ、殊勝である。苦しゅうない」
いきなりイスカンダルさんに話しかけられて、桜ちゃんはビクンっと警戒を露にします。熊のように大きな人と会話するのは、幼い桜ちゃんにはまだ不慣れなのです。それが幽霊みたいな人とくれば、余計にビビるというものです。
そんな様子を見て何かを察したイスカンダルさんは、優しく宥めるように再び声を掛けてきました。
「これこれ、そんなに驚くでない。いくら余が征服王だからといって、いきなりとって食いはせんよ。もっとも、お主が我が覇道を阻む『敵』、というのであれば話は別だがな」
イスカンダルさんの言葉に桜ちゃんは無言で頭を横に振りました。覇道がどうだとか良くわかりませんが、別に桜ちゃんはイスカンダルさんの敵ではありませんし、彼の邪魔をしたい訳でもありません。できれば何事もなく立ち去りたい気分です。
「ごめんなさい、邪魔をするつもりはなかったんです。ただちょっと気になって……」
「ふむ……まぁ、征服王である余がこうして『朝のラジオ体操』なるものをやっているのだ、気になるのも無理はない。どうだ、一緒にやってみるか? 坊主のやつ中々起きんのでな、余一人なのだ」
「ううん。これから『新都』に行く予定だから」
イスカンダルさんの誘いに桜ちゃんはそう答えました。“女の子”の影響で多少なりとも明るくなった桜ちゃんといえども、流石に筋骨逞しい初対面の幽霊男といきなり朝の体操を出来るほど、コミュニケーション能力に優れている訳ではありません。流石にそれは前代未聞です。
「そうかぁ、それは至極残念。麗しき乙女と踊る“ダンス”ならば、さぞかし至福の時だったろうに……」
「……?」
イスカンダルさんの言葉に、どうにもピンときていなさそうな桜ちゃん。それを見たイスカンダルさんは、ガハハと笑いながら「お主にはちと早かったかのぅ」と呟きました。
「……それじゃあ、もう行くね」
豪快に笑い飛ばすイスカンダルさんに、桜ちゃんはさよならを伝えます。違和感の正体も分かった事ですし、早々に立ち去りたい気分なのです。決して怖いからではありません。
「うむ! 出会いがあればまた、別れもある。さらばだ、朝焼けに出会いし乙女よ、また会う日まで!」
そうイスカンダルさんは言うと、堂々たる態度で桜ちゃんに手を振りました。その立派な様たるや、まるで本物の王様の様です。
少しだけ気恥ずかしさを感じながらも、桜ちゃんもイスカンダルさんに応える為に手を振り返しました。威風堂々とした雄大な態度の征服王に比べ、桜ちゃんの身振りは、些か以上に謙虚だったのは言うまでもないでしょう。
そんな思いがけない出会いもありながら、桜ちゃんは急ぎ『新都』へと足を進めて行きました。
あやうくジョブチェンジしたらすっぽんぽんになる所だった……。